薄暗い森の中を歩いてゆく一団、学園所属の遣い手達だ。
その最後尾を歩く、黒い外套を羽織った少年。昨夜クロムウェイから借りた袖付きの黒羅紗の外套の袖を通さず肩に掛けて、首元に襟巻きを巻いただけの空だ。
そんな彼の心を占めているのは今朝、全校集会で沙月が口にした『今、この世界から出られない』という事に関してだった。
--プロテクトが掛かっている、か。だとすれば、それがダラバの仕業と考えるのは……まぁ当然の流れだろう。
【あれま、どういう事ですのん? まるで、他に黒幕がおるような物言いどすなぁ】
(ああ、当たり前だろう? 普通は姫さんが戦争の助けを得る為に留め置こうとしているんじゃないか……とか考える物だと思うが、まぁ、あんな高潔な人がそこまでするとは思えないからな)
そこで一旦言葉を切ると、彼は前を歩いている八人を見る。中列のクリスト達はいつも通りの飛翔ユニットに入り、前列三人は全員が神剣士としての装束を纏って、何か話し合っている。
それを眺めつつ軽く握った左拳の親指の付け根を眉間に当てる。考え事をする時の、彼のお決まりのポーズだ。
--ただ、あいつらは姫さんじゃ無いならダラバだろうと言った。だがそれを言うのなら、ダラバにだって俺達を閉じ込めておく必要なんかは無いだろう。むしろ出ていって欲しいはず。
その考えに至った時、彼は一つの『光明』を得たのだ。
(『光をもたらすもの』、か)
あの日に、闇天から降り注いできたミニオン達。彼らが、漂流を始める原因となった出来事。沙月が彼をそう疑い、本気に近い殺気を向けてきた理由でもある。
--それが実は、此処に繋がっていたのだとしたら? ミニオンはあくまで駒なんだ、駒だけで戦いは出来ない。必ず、遣う人間……神剣士が居るはずだ。そいつが、この世界に来ているとしたら? 更に言うなら、ダラバと協力関係に有るとしたら? 俺達を、この世界に封じる理由が出来上がる訳だ。
まだ確証はない。しかし論理的に考えて、最も納得出来る。勿論姫さんが遣っている可能性だってダラバが只の気紛れで遣っている可能性も零じゃない。窮めて低いとはいえ、可能性が有るならそれも有りだ。
(それにしても、会長はこの事を望達に話してないのか?)
その紅い髪の生徒会長をちらりと見遣る。実は……というには髪の色がビビッド過ぎて、あっさり納得できてしまった別の世界出身のその少女を。
--さて、『旅団』ってのも中々きな臭い組織らしい。気を付けておいた方がいいだろう。
「……空くん、本当に大丈夫? 辛いなら肩貸そうか?」
「ぅえ! いや、大丈夫大丈夫!もう平気だって!」
と、突然間近に迫っていた希美に話し掛けられて深い思考の海に沈んでいた彼は戦慄いた。沈思の顔付きが痛みを堪えているように見えたのか、気遣わしげな様子で。そして前を歩いていた一行から注目を浴びている事に気付いて、眉間に当てていた左手を下ろして咳ばらう。
その際、外套の中が垣間見えた。その出で立ちは……旧男子指定の黒っぽい学ラン。交戦で制服が駄目になったので、替えとして手に入れたものだ。制服は貴重品、今現在新タイプの予備が無かったのである。ちなみにこの学ランは、彼の私室として割り当てられた物置部屋の片付けの中で見付けたものだ。
「さてと、急ぎましょうよ。ひ、アイギアスさん達が首を長くして待ってるでしょうから」
彼は外套のフードを目深に被り、口許まで襟巻きを引き上げて顔を隠すと先を急ぐように促した。
その黒尽くめの少年を見つつ、望は浮かない顔をした。朝会での事からだ。
生徒の意見一致を見た背景には、彼が徹底的な主戦論を展開した事が有る。普段のそういう場では昼行灯を決め込む彼が、沙月すら圧倒する程に強硬な姿勢を見せたのだ……その後には、ケイロンに便所の裏に連れていかれたが。
「なぁ、空……お前は、どうして闘うんだ?」
「はぁ?」
だから、そう問い掛けた。未だ『殺す為に闘う』という事に躊躇を持つ彼は。
「……どうしてもこうしても、それが俺の役割だからだろ。恩義にも屈辱にも必ずそれが、俺の壱志だからだ」
「壱志……?」
それに、あっさりと応えた少年。全身黒尽くめの鴉のような彼は、フードの奥の三白眼を向けて。そして事もなげにそれだけを言い放った。
「俺はアイギアスさん達にこの命を救われ、ダラバに屈辱を受けた。それを返す、必ず。俺は俺自身の壱志を貫くだけだ」
「それだけ、か?」
「ああ、それだけだ」
迷いは微塵も無い。そんな彼の、善悪にこだわらない真っ直ぐな思想が、望には解らない。
「…………」
陽射しの中でも影のようなその姿を見詰めながら、望は己の闘う理由を問う。だがやはり、それを掴む事は未だに出来なかった。
特に波乱無くヨトハ村に着き、全校集会で可決した『協力する』という決定を告げる。
途端に感極まったカティマが望に抱き着いて、それに希美と沙月が表情を硬くしている。
【感激屋さんどすなぁ。しっかし、お相手は旦那はんやのうて世刻のボンどすかぁ】
『……元々アルニーネはジルオルの奴に惚れていた節が有るからな。もしそれが受け継がれていたとすれば一目惚れしていても不思議じゃねェだろうよ』
(……お前らどんだけ下世話な話してんだっての。人の色恋沙汰に首突っ込んでんなよ)
【へーん、女っ気皆無の旦那はんには関係ない話どすわいな!】
『情けねェ話だぜ』
(お前ら纏めてマナの霧に還れ)
精神会話でツッコミを入れつつ、何気なく周囲を見渡してみる。外野は盛り上がっている、それもそうだろう。今までカティマ一人で絶望的な戦いをしていたところに、鉾に対抗できる九人もの援軍が現れたのだ。
「喜ぶのはまだ早い。我々はこれでようやく対抗できる戦力を得たに過ぎない。ダラバに【夜燭】が有る以上油断できない……それで無くとも奴は『アイギアの飛将』として勇名を馳せた、実力者なのですから」
「……あの男は、やはりとんでもない奴なんですね」
そんな中、やはりクロムウェイは冷静だった。
「ええ。大陸無双の武だけで無く、用兵においても神出鬼没にして大胆不敵。彼の進む道を妨げる事は、鉾が無い頃から既に不可能といっても過言では無かった」
語るクロムウェイは苦い顔だ。その物言いは、まるで--
「伝令ーーー!!!」
だがそれは、もたらされた火急の知らせによって破られた。火急の、最悪の知らせに。
………………
…………
……
森の中を走る、三つの飛影。
【……どうですか、タツミさん? 何か感じますか?】
「ああ、街道沿いに多数鉾の気配が有る。アズライールまでの道は両方押さえられてるな」
【ふん、やってくれるわね。確かに神出鬼没だわ】
ポゥ、ゼゥ、空の三人だ。彼らは斥候としてアズライールという街までに布陣した鉾の様子を探る役目に就いている。
遊撃戦闘に長けるポゥ、隠密性の高いゼゥ、己やその周囲の気配を断ちながら、広大な範囲を索敵できる空。正にうってつけというべき役割。
【タツミさん、傷は……】
「大丈夫だ、心配しなくていい。……有難うな、ポゥ」
ポケットから懐から取り出したのは丸められたコピー品の地図。クロムウェイから借りた本物を、学園で主要メンバー分コピーした地図に敵の布陣を記入していく。
--急襲を受けたアズライールは、反乱軍の補給拠点。隣国であるクシャトとアイギアを……今は、グルン・ドラスか……を結ぶ要衝だ。ここが陥落すれば、反乱軍は一週間と体制を維持出来ない。
記入が終わり、彼は懐から何かを取り出す。黒い、直方体のそれは。
「--こちら巽。聞こえますか、会長?」
『こちら斑鳩、首尾はどう?』
耳に当てたのはトランシーバー。半径40Kmをカバーする性能が有る、本格的なもの。昔の部活か何かで使ったのか、それを修理したのである。
その得た情報を余さずに伝えた。今頃それを基に編成が組まれているだろう。
無線を懐に戻す。地図を確認し、脇の二人に目を向ける。
「……アズライールまでは半日は掛かるな。マナはもつか?」
【心配されなくても、節約すれば二日はもつわよ】
鬱陶しそうに答えたゼゥ。だが、もう慣れた空は特に気にせずに街道に布陣した鉾に見つからないルートを算出していた。
「そりゃ結構。往くぞ」
【はい!】
【命令するんじゃないわよっ!】
だが、それでも。ムカつくものはムカつくのであった。
「いちいち噛み付くなってんだよ、この真っ黒チビ助!」
【あんただって真っ黒でしょっ! この真っ黒デクノボウ!!】
【ふ、二人とも……お願いしますから静かにしてください……】
喧しい斥候達は、深い森の中に紛れていった。
………………
…………
……
一方、湖畔のシーズー側の道を選択した望とカティマとルゥ。
「これでシーズーの町は解放できましたね」
「ああ、今頃は希美と先輩、ワゥがラダを解放してくれているはずだ」
消えていく鉾を見下ろしながら呟くカティマ。それに【黎明】を鞘に戻しながら望が答える。
偵察組によって得た情報により彼らの進軍は速い。リアルタイムで送られてくる鉾の現在の状況に合わせて纏まった作戦行動を行う事により、散発的な攻撃を仕掛けてきた鉾達は各個撃破された。
その後、各街を防衛線に篭城戦の構えを取ったところを同時攻撃で捻り潰されたのである。
各街を解放して最終目標地点のアズライール直前の街道で合流、足並みを揃えて進軍する事でこの戦闘を終結させる。それが反乱軍の立てた筋書だ。
剣の気配を探っていたカティマが【心神】を下ろす。情報通りの数だった。
「グルン=ドラス軍の兵士連中も降伏を始めたらしい。後は反乱軍の兵に任せ、吾らはアズライールに向かって進軍するぞ。森の中にも鉾が待ち受けているのだから、十分に気を付けるのだ!!」
「頭の上でごちゃごちゃ騒ぐな。地図を広げるのも止めろよ」
「あ、こら! 何をするかぁ!」
頭上で騒いでいたレーメの地図を取り上げた望は、それを眺めた。シーズーとアズライールを結ぶ街道はパルター湖に沿った一本道。そこに横たわる深い森の中には、二個小隊の鉾が息を詰めているとの事。
「行きましょう、望。一刻も早くアズライールの町を、民衆を解放しなければ……!」
「カティマ」
「--はい?」
早くも門をくぐろうとした彼女の肩を、望が引き止めた。それに驚き振り返った彼女の目に優しげな微笑みが映る。
「少し休もう。俺達が突出しても、後続がいないんじゃ足踏みだ」
「何を、悠長な事を言っているのですか!今、こうしている間にもアズライールの民が……!」
その手を振り払おうとして--気付く。また追い詰められていた事に。
「……駄目ですね、私。また心配を掛けてしまいました」
「『また』?」
「ええ。巽にも随分心配を掛けてしまったというのに、更に、望にまで……」
その名が出た事に、失礼ながら彼は少し驚いた。
「恥ずかしながら、この前の私は焦っていました。それ故に、彼に無礼を働いてしまい……それでも、彼は私達に協力すると申し出て下さいました。その言葉にどれ程救われた事か」
その人物の気持ちが、判らなくなっていた望には……それは。
「彼は、強い人です。強い信念を持っているお方です。どのように横槍を入れようと決して曲がらぬ意志が有る。まだ知り合って間もありませんが、それだけは峻烈な風のように感じられました」
「決して曲がらない意志、か」
望は噛み締めるように呟いた。その心には、少なからず猜疑心を抱いた事への後悔。そして--
「……負けてられない、な」
「え?」
「俺もカティマの助けになりたい。俺は、空みたいに迷わず貫く事は出来ないかも知れないけど……それでも、自分の決意を信じたい。カティマを信じたいっていう、この決意を」
友の決意に続こうという決意。そして、新たな友を信じるという決意。ただ、友達を信じ抜くと。彼はその決意を口にした。
それが空と望の差。空があくまで『恩返し』なのに対して、望は進んで『協力』を申し出た。その思いの差。
「え、えぇ!? えっとそのあの、望にはとても助けられました! 協力すると申し出て下さった時の感激はもう筆舌に尽くし難く!!」
「そうかな。だと良いんだけど」
「ええ、そうですとも!」
突然の言葉にカティマはポッとばかりに頬を朱に染めた。しどろもどろになりながら、ぐっと望の手を握って、勢い込んで彼女自身、よく判らない言葉を紡ぐ。
「オホン、そろそろ休憩は終わりだ! それ、キリキリ歩け!!」
と、不機嫌さ全開のレーメが望の耳を引っ張った。
「いででで! なにすんだよ!」
「うるさいわ、歩けったら歩けったら歩けーーーっ!!!!!」
その怒声は、シーズーで反乱軍の兵士に指示をしていたルゥにも聞こえたという……
………………
…………
……
辿り着いたアズライールの街は、最早街ではなかった。女子供老人に至るまでもが虐殺され破壊し尽くされた惨状に、自責の念からカティマが倒れてしまう程に。
その葬送に立ち会っているのは、学園の関係者内ではただ一人。反乱軍に名を連ねる空のみ。望達はカティマの看護に就いている。燃え盛る葬火に照らされ、居並ぶ兵士達は一様に沈んだ表情を火影に浮かび上がらせていた。
「巽殿。もう、お休みになられては如何ですか? 後は我々だけで十分ですから」
「……すみません。間に合わせる事が出来無くて」
喪服としての意味も持つ制服に身を包んだ空は、燃え盛る葬送の焔を見つめたままでそう呟いた。それにクロムウェイはただ、首を横に振った。
彼らが最高速度でアズライールに到着した時にはもう、この有様だった。彼らのせいではないのだ、恐らく制圧された直後に虐殺は行われたはず。
なのだが散々期待させておいてこれは無いだろう、と。空は自嘲する。
「……皆、御苦労様です」
そこにカティマが姿を現した。一眠りして落ち着いたのだろうか、いつもの優雅さを見せている。
「カティマ、具合は?」
「…………」
顔を伏せた彼女にクロムウェイは悟る。やはりまだ、この頑なな少女の心は溶けきってはいないのだと。
「今日はもう、休みなさい。巽殿も、英気を養って下さい」
「ですが……いえ、分かりました。民の供養をお願いします」
「では俺も、これで」
そのクロムウェイの言葉をしおにカティマは反乱軍の野営地に、空は物部学園へと帰っていった。
………………
…………
……
その翌日の早朝、物部学園の門をクロムウェイと数人の反乱軍兵がくぐった。揃って蒼白の顔には、余裕など見受けられない。
「お尋ねします! 沙月殿は居られますか!」
その誰何は校舎全体に響き渡る。何事かと起き抜けの一般学生達が物影から覗いている。
「クロムウェイさん、どうしたんですか?」
「こちらにカティマはお邪魔していませんか!」
挨拶も無く、本題を切り出す。普段の彼ならば考えられない事、それだけ緊迫した状況なのだ。
「いえ、こちらには来てませんが……まさか!」
沙月もその可能性に思い至る。彼がそこまで切迫する理由など、そうは無いだろう。
「はい、カティマが……カティマが、居なくなりました……」
「サツキ様、ワゥをお見かけしていませんか! タツミ様にお聞きしようと思っても、見当たらないのですが!」
クロムウェイの言葉が終わったと同時にその声が響く。深い溜息を零して頭を抱えた沙月の耳に、更なる頭痛の種が舞い込んだ。
「ふ、ふふふ……誰も彼も、いい度胸じゃない……」
彼女は笑う。それはもう、実に壮絶な笑顔だった。
………………
…………
……
時間を巻き戻して、その前夜。クロムウェイに見送られたその足で、彼女は野営地を潜り抜けた。幾許かの金銭と旅人の纏う簡素な外套を拝借した事、そして後事を沙月達に托すと書き置きを残してアズラサーセへ続く街道に立っていた。
「……お待ちしてました」
「ッ!?」
そうして街道に出た直ぐ先の道の真ん中に、男は立っていた。
一瞬身構えるが、すぐその正体に気付く。黒い外套に身を包み、フードを目深に被った長身の鴉。
「--巽……どうして貴方が」
問い掛けるカティマに彼は一つ溜息を落とした。フードの奥で、呆れ返る顔が見無くても解る程に盛大な溜息を。
「俺の感知は他の連中より広くて鋭敏ですから。幾ら気配を消して行動しても空気の流れは止められませんよ」
「貴方は、そんなモノまでも感知できるんですか」
月影の下で、闇に溶けてしまいそうなその黒尽くめの衣装。もし声を掛けられていなければ、最悪気付かなかったかもしれない。
「……どうするつもりです?」
カティマの声は低かった。それは、自らの目的を定めた者の声。
「……どうも、こうも。このまま行かせはしませんよ」
対する空の声もやはり低かった。だがこちらは、男性機能として備わった低さ。
「ならば--」
カティマは構える、左半身を前に向けてその黒い大刀【心神】を。上段に構えた刃を天に向けて地と水平に突き出した構えは、彼女の最も得意とする『天破の型』。
「--押し通るのみ……!」
鋭い剣気を漲らせた彼女に、空は黒い篭手に包まれた両手を突き出して--
「---待った! 最後まで話を聞いてください、姫さん!」
上擦った声でそう叫んだ。単純に気圧されたのだ。かつて神世の古に、永遠神剣を携えた神々の中に在って尚『北天の剣神』とまで称賛されたアルニーネ=アケロ。その転生体たる神剣士に。
「……『姫さん』……?」
その呼び掛けにカティマは気勢を削がれた。急速に弛緩する場に、空はホッと息をつく。そしてスクーターのシート下からリュックを取り出す。
「……と、失礼。姫君、俺は別に邪魔する気は有りません。ただ、一人で行くのは効率が悪いと申し上げたかったんですよ」
「効率……ですか?」
何を言っているのかと、彼女は首を傾げた。
「要するに、俺も付いて行きます。いえ、お供させて貰います」
「……え? えっと、巽……?」
「駄目とは言わせませんよ。もし断ったら、すぐ会長に連絡します。少なくとも斬られるよりは早く、掛けられますよ」
言いながら、懐から無線を取り出した。それを見て青い顔をするカティマ。その装置の用途を思い出したからだ。
「た、巽! それは卑怯です!」
「卑怯で大いに結構ですよ。さぁ、どうします?」
「うぅ……」
彼女は呻き声を漏らしながら、考え込む。考え込んで、何故自分は独りにこだわろうとしたのかが解らなくなった。
そして心配げに空を見詰める。
「……良いのですか、巽。沙月殿に背く事になるのでは……?」
「あぁ、構いやしません。むしろ裏切る方向で……おお、寒気が」
それに軽口を叩こうとし試みた空だったが、自分の吐いた言葉に感じた悪寒に苦笑いした。下っ端根性が染み付きかけている事に。
「巽?」
「いえ、何でも無いですよ。話も纏まりましたし、行きましょう。どうぞ姫君、乗り心地は良くありませんが、の竜騎兵《ドラグーン》の鉄の愛馬へ。道交法は、異世界じゃ関係ありませんからね」
気取った台詞で話を切り上げて、空は背負ったリュックサックからLEDの懐中電灯と地図を取り出すべく、手を突っ込み--
「……何してんだ、テメーは?」
【みっかっちゃった~てへぺろ】
電灯ではなく、クリスト・ワゥを取り出したのだった。
「オイ、『みっかっちゃった~』……じゃねェだろ! 一体何してやがんだ、さっさと帰れ! てか、てへぺろやめろ腹立つ」
【やだ、ボクもついてく! その為に【幽冥】にマナあげる約束でごまかして貰ったんだもん!】
その一言に、彼は腰の【幽冥】をホルスターの上から握り締めた。メキメキと音が出る程に。
「ほぅ、マナねぇ……つまみ食いとは良い度胸だな、カラ銃ゥ?」
【しぃ~~!! 言うたらあかんて言うたやないの、いだだだっ!!】
その空の目前にワゥは飛翔して、ビシリと言い放つ。
【へっへーん、いいのかな~? もし断ったりしたら、クリスト族の精神感応で伝えちゃうよ?】
「--なッ!? テメ……」
その能力を彼はアズライールの奪還作戦で知った。ポゥに教えて貰った、クリスト特有の能力。己がやった事と同じ事をやられ、彼は握った左手を眉間に当てる。そして--またもや溜息を。
「……勝手にしろ。ただ、マナは節約しろよ。補給なんて出来ねェんだから」
【うん、オッケー!】
夜天に高く昇った、金色の月。その煌めきに照らされる、三つの影。そこには、緊張感も悲壮感も持ち合わせてはいなかった。