サン=サーラ...   作:ドラケン

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 この度は、拙作をご覧いただきありがとうございます。作者のドラケンと申します。この小説は、以前投稿途中でにじふぁんさんの閉鎖でにより更新停止してしまった『聖なるかな外典“無銘の唄”』を手直ししたものになります。
 フォレストページさんにも投稿させて頂いていますので、暫くはそのコピーを投稿させて頂きます。ご容赦下さい。

 それでは、本編をどうぞ…………。


【挿絵表示】

 友人であるヴェルダファードさんから頂きました、オリ主人公とオリヒロインのイメージ画像です! 画才ゼロの私には不可能な美麗画像、本当に有難うございます!


序章 月世海《アタラクシア》 Ⅰ
月の海原 濫觴の盃 Ⅰ


--一体、いつからそうしていたのだろうか。

 

 そこは何時でも無く、何処でも無い。表現する言葉も世界も無い其処(そこ)、永遠に瞬間を繰り返すしかない、時間も空間も無い最底(ソコ)

 

 周りの、同じだったモノが渦を巻く。思考も感情も抜け殻の癖にと声ならぬ声で怨嗟を吐く。

 それはさながら、蠱毒の瓶の中を覗き見たようだった。届かない希求の声に、果たされない応報。全てが烏有へと緩慢に還るだけの不等価の坩堝。

 

 そこからゆっくり浮き上がっていく。閉じていた視覚を、始めて刺激される。温かな透明を感じて、開いた瞳に――深滄の揺り篭と深蒼の天蓋。

 遥か高く揺らめく空に注ぐ金の日輪の輝きと、遥か深く揺らめく海に注ぐ白銀の満月の煌めき。

 

――綺麗だ。

 

 果てしない大空を流れる白雲、果てしない大海に渡る白波。行き詰まった絶望の彼方にゆっくりと近付きながら。

 

――こんなに、『世界』は美しいのか。こんなにも、『生きる』事は美しいのか。

 

 知らず、手を伸ばしていた。何に向けてなのかは分からない。

 それでも――

 

――それでも、この温もりは……死の果てに消えたとしても決して、始めて知ったこの温もりを俺は忘れはしないだろう――――

 

 

………………

…………

……

 

 

 久遠に無間に拡がる、蒼く滄い空と海の境界に浮かぶ小さな島。薄明か薄暮か、空には極じみた陽と月。蒼穹から群青、そして瑠璃へ移り行くグラデーションが空海を彩る。

 島の中央に根を下ろす威風堂々たる連理の大樹が聖なる水を吸い上げて根で抱く無垢の土を潤し、天に伸びた枝葉が陽射しを浴びて清廉なる大気を生み出し、水と土が瑞々しい若草や繚乱たる百花を育み、大気が虚空へと絶える事のない輝ける火を燈し、輝火が大気を聖なる水に還す。

 

三重幻日から注ぐ日光が温かく、三重幻月から注ぐ月影が冷たく。完結した輪廻を包み、破綻も弥縫も無く箱庭の世界を廻していた。

 

「Humm~~~~、Hummm~~~~~~♪」

 

 その箱庭の中、ハミングが天地に染み入るように響く。ハミングの時点で人口に膾炙するあらゆる存在を凌駕する水晶硝子の唄声。それは永劫よりも遥かに広大で、刹那よりも遥かに狭小な箱庭中に響き渡る、祝詞にして呪詛。

 唄歌うは鍵穴の空いた白銀の錠のチョーカーを嵌めて、極彩色のステンドグラスで設えられた神子を抱いた聖母のパナギアを首から下げた少女。裸足の脚を重ねて、捻れ合う二本の巨樹の根元近く。滄海色の『刃』が突き出すウロの真下に腰を下ろす無辜の媛君。

 

 生花で編んだ花冠を載せた暁光のクロブークを頭に被り、宵闇のカソックと前後に二枚と両の肩に紅焔色の長い布を垂らしたリャサを身に纏う敬謙な教徒を思わせる彼女は、大事そうに慎ましやかな胸に抱えた清澄な聖水を湛えた金のグレイルに指を滑らせた。

 俯いている為に修道帽の為、顔は窺えない。だが桜色の艶やかな唇は、楽しげに綻んでいる。

 

「Humm――――きゃっ……!」

 

 その瞬間、空海を揺らし一陣の風が駆け抜ける。連理の樹の枝に吊られた、多様な金属で作られた様々な形状の鐘が合唱するように一斉に鳴き散らした。その風に、修道帽が吹き飛ぶ。

 それによって明らかになった、遥か刧初に生命を生み出した滄海を思わせる、滄く長い髪。そしてその髪の中から僅かに覗く、東洋の『龍神』を思わせる小さな角。彼女は慌てて双樹の幹に存在する祠のような空間に聖盃を置いて、修道帽を追い掛けた。追い掛けて――不器用なのか、器用なのか。駆け出した所で己の足に蹴躓いて転んでしまう。

 

「はう~~……」

 

 泣きそうになりつつ起き上がり、服に付いた土埃を払った。だが、怪我の類は無いようだ。それもその筈だろう、この世界は彼女の為の箱庭。彼女を傷付けるモノは無い、そんな法則の許に成り立つ無可有郷『孵ラズノ世界卵』。

 すんすんと鼻を鳴らし、彼女は拾い上げた修道帽を花冠ごと抱き寄せる。そして--涙に潤んだ、眼差しを。

 

「はい……本当に分かりました。父さまと母さまが仰られた通り、あのお方が……」

 

 妖魔の金と神聖の銀。金銀妖瞳の双眸で、境界の判別が出来ない空と海の狭間……遥かな水平線の彼方に。

 

「あのお方こそがわたしの、この『空位』の担い手となられる存在なんですね……」

 

 先程の風が消えた方を見詰めて、夢見るように某かを呟いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「――赤子とはこんなものですか。件の娘というのも、始めはこうだったのかしらね?」

 

 青く微睡む早朝の帳に包まれた学校の屋上で、少女は抱く赤ん坊を見た。

 

「ふふ――泣き喚くしか能の無い、意味の無い生き物。浅ましい事ですわね」

「赤子ですからな――意味のある行動など出来ますまい」

 

 白いローブを纏った白髪の少女の嘲りに似た物言いに、その背後に控える黒い大男が答えた。

 黒いマントと指まで覆う篭手を左腕に纏う偉丈夫に振り返る。

 

「あら、流石の貴方でも子供には甘くなるものなのかしら?」

「御冗談を仰る――ですが、期待だけはしておりますとも」

 

 逆立つくすんだ金髪の大男は、酷薄な笑みを浮かべる。そこにはただ、邪悪な期待が見て取れた。

 

「しかし、神剣らしきものは持ち合わせていませんわ。全く、見事に期待を裏切ってくれて。やはり、"聖賢者"と"永遠"の娘が特別なだけかしらね。"輪廻の観測者"の言った事を真に受けて、わざわざ貴方の力を使って『有った事』にして損しましたわ――【破綻】?」

 

 そして手にしていた黒く有機質な鍵剣の頭から伸びる紐を赤子の首に掛けて妖艶に笑み――ゴミを捨てるように自然な動作で、赤子を校庭に向けて突き出した。

 

「相も変わらず下衆な事ですね、"法皇"」

 

 その背面の大男の更に背面から冷ややかな声が響く。何時からか、二人の背後には巫女装束に身を包んだ二人の少女の姿。

 赤褐色の髪に扇を持った人間の少女と、銀の狗と思しき耳と緋色の瞳を持った亜人。

 

「あら、また貴女ですの……もう飽き飽きですわ、"時詠の"――」

 

 白い少女の言葉が終わらない内に懐に踏み込んだ赤褐色の巫女は間髪入れずに右手の金剛杵、片方のみが短刀となっている三鈷杵を少女に振るい――

 

「無駄だ。俺をそれで抜けるものか。さぁ、残りの剣を抜け……」

「……貴方も、相変わらずの忠犬ですね。"黒き刃"」

 

 大男の右手に握られた、黒い光を纏う巨大で肉厚な斬首鉈に受け止められた。

 

「"法皇"――覚悟!」

 

 その瞬間、大男が赤褐色の巫女に気を取られている間に銀の巫女が小太刀を抜いて走る。白い少女を目指して。

 だがその小太刀の一撃も、少女の目の前の空間に突如現れた一本の杖によって弾かれた。

 

「く……かはっ!」

 

 更に、空いていた右腕にそれを保持して銀の巫女へと杖を向けた途端、虚空に現れた光の玉が砲弾のように銀の巫女を撃った。

 硬い床面に打ち付けられた銀の巫女は、失神してしまう。

 

「今回、『カオス』とは争う気は有りませんの。実験も失敗した事ですし、我々は引きますわ」

 

 巫女達など最初から眼中に無い少女の言葉と同時に、赤子が放り出された。勿論、重力に引かれて真っ直ぐ校庭に落下する――

 

「――くっ!」

 

 巫女が懐から人の形をした紙を二枚取り出し、それに某かの言葉を囁きかけ男と少女に投擲すれば--それらは巫女と全く同じ姿に変わり二人に襲い掛かる。

 その隙に巫女は宙に踊り出た。背後では斬首鉈に一刀両断された偽物の自分や、無数の剣や槍にて貫かれた偽物の自分が紙に還っているが、全て無視して。

 

「――っ……!」

「そんな出来損ないまで助けるんですのね。構いませんわ、それは差し上げます」

 

 右で銀の巫女を抱き、左で赤子を受け止めて校庭に着地した。

 

『そうですわ、それでままごとをしては? 坊やとの子が出来たとでも仮定して、母親の真似事でも。もしかすると、意外に『そう』かもしれませんわよ、あっははは……』

 

 睨みつけた屋上。だがそこにはもう誰の姿も無い。虚空に響いていた嘲笑も、風と消えている。

 

「……み、さま……申し訳、ありません、足を引っ張って……」

「喋らなくていいわ……ゆっくり休みなさい」

 

 地面に下ろした銀の巫女が何かを呟こうとしたのを制し、本物の狗に戻ったのを見届けて。巫女は金剛杵の刃を――泣き喚く赤子の首筋に当てた。

 

「………っ!」

 

 だが、それを引けない。彼女が手に力を加えたその瞬間、赤子の小さな手の平が彼女の人差し指を握った為に。

 そしてそれに驚いた彼女がつい伸ばしてしまった人差し指を口に含むと--今まで火が着いたかのように泣いていたのが嘘みたいに、穏やかな笑い顔を見せたのだ。

 

「…………馬鹿みたい」

 

 暫く硬直していた彼女だったが、漸くした後に溜息を零してからそう呟いた。勿論、それは彼女の指をしゃぶる赤子にではない。

 

「貴方はこの世に、生まれるべきじゃなかったのに。だから、時間ごと消してあげたのに……」

 

 金剛杵を仕舞い、悲しげに朝の空を見上げる。指を吸おうと乳は出ない、赤子が泣き出すのも時間の問題だ。

 

「綺麗な空……今日も秋晴れの、いい天気になるんでしょうね」

 

 それまでの、僅かな間だけ――

 

「そうね、決めた。貴方の名前は、空よ。空って書いて、アキって読むの」

 

 そして巫女は歩き出した。まだ笑っている赤子に、自分でもよく判らない笑顔を向けて。

 

「高く深い、あの秋の空のように。清濁併せ呑む空のように大きく、吹き抜ける風のように雄々しく気高い男になりなさい……」

 

 今日という、一日の始まりに。人々が目を覚まし始めた、朝靄に煙る町並みに消えて行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『それ』が浮かぶ茫々たるこの大宇宙と比べれば、小さいという表現ですらも誇張に等しい浮島の大樹の前で。精悍な印象を与えるサファイア色の瞳の黒衣の少女は、時折吹き渡る虹色の輝風に銀のポニーテールを揺らしつつ佇んでいた。

 

「一先ずは、これでいいだろう。新たな循環システムの構築は完了、プロテクトが時間樹を覆うのも時間の問題……」

 

 呟き、目の前の大剣……地面に深々と突き立てていた、最早斧とでも呼ばれかねない『己の半身』たるグレートソードの柄を握る。

 

「――貴様には、この時間樹内の監視を任せる。その能力、存分に使うがよい」

【ハッ――役目、承知致しました】

 

 いつしかその背後に控えていた、燃え上がる漆黒の陽炎のような赤黒い影に語りかけた。

 

【地の眷属の銘に賭けて、必ずやご期待に沿えるよう努力します。しかしあの樹に巣食う虫共は些か厄介、つきましては、不遜ながら我が身に太祖のお力を一欠片でもお恵み戴きたく】

 

 合成音声のような薄気味の悪い声で、巧言令色に美辞麗句を並び立てる陽炎。それに黒衣の少女は微笑して――

 

「――痴れ者めが、戯けた事を。貴様に期待などしていない、有るとすれば失敗しない事くらいだ」

【出過ぎた事を――もっ、申し訳ございません、代行者様……!】

 

 剣と彼女から放たれた凄まじい威圧に気圧された陽炎は、不様にも地に這い蹲って許しを乞う。

 それを冷ややかに見下ろして、少女は口を開いた。

 

「我はプロテクトの最終確認と、侵入した『異物』二匹の駆除へと向かう。貴様も与えられた責務を熟せ」

 

 それだけ吐き捨て、宇宙の闇に溶けるように姿を消す。残された陽炎は脅威が掻き消えた事を悟り――

 

【あんな……あんな小娘に、この私が……!】

 

 沸き立つ拳を握り締め、虚空に浮かんだ足場である岩塊を灰に変えた。凄まじい憎悪を、消えた少女に向けながら。

 

【だが、コレはチャンスだ。あの時間樹には奴も恐れる力が眠っている。それを手に入れば――私が代行者となる事も……】

 

 そんな浅ましい言葉を、誰にも聞こえないよう口の中で噛み殺しながら呟き立ち上がった陽炎は。

 

【精々思い上がれ……この私こそ太祖の代行者に相応しいという事を証明してみせようではないか。貴様を敗った、『あの剣』の力を手にして!】

 

 爛々と輝く蜥蜴じみた単眼を、神々しく煌めく大樹へ向けた--


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