Fate/kratos 第四次聖杯戦争にクレイトスを招いてみた 作:pH調整剤
そこは月光も遮光する母なる海。
悠々と泳ぐ彩色豊かな海魚達は、今日も人知れず生存競争に明け暮れていた。
そして、その紺色の子宮に…衛宮切嗣も居た。
宝具の砲火に細切れにされた、コンテナクレーンが飛沫を立てながら沈んでいく光景は、まるで海中を突き抜ける砲弾と見間違えるだろう。
それもそのはず、爆風に煽られて沈降していく人工物の残骸は、一度でも接触すれば、人体に重大な致傷を負わせるだけで済む事故ではない。
静謐の深海に切嗣の身を捩る、くぐもった遠泳音だけが孤独に鳴り響く。
――海に漂う赤を放出しながら。
恥も捨てた死に物狂いの遊泳で、残骸の散弾を回避し続けるが、その動きはまるで、かなづちが溺死寸前でもがいているようにしか見えない。
その通り、切嗣はこの蒼海を己の墓標にしようとしていた。
体内時間を魔術によって法外な速度へ加速減速させ、人体を近代医学の枷から解き放つ
身体を二倍速に変動させた事による代償は当然ながら血管を痛めつけ、おまけに骨身染みる寒冷の海に突如、飛び込んだ事でアドレナリンが心拍を荒れ狂う波の如く加速させたことも起因して、心臓をショックに近い状態へと深刻な状態へと悪化。
さらに致命的なのが、魔力の洗礼を受けた残骸の破片が、切嗣の腹部へと冷酷に突き刺さっていた。
三つの鉄槌は切嗣を魚類の撒き餌に成り代わらせようと、今も獰猛に体内で暴れ続ける。
切嗣は酸欠とポンプ機能を辞職しかける心臓によって、失神と蘇生を反復横跳びする。
意識薄れ行く海中でついに死の影を肌身で実感し始めていた。
脳内では早々と過去の記憶が再生と停止を繰り返し、自らがこの死地へと足を踏み入れた足跡を辿る。
破顔しながらケリィと呼ぶ褐色の少女。氷を掴んだように冷たいグリップ。糸が切れた人形のように崩れ落ちる父。
そして煙を噴出しながら高度を下げていく航空機。
―ナタリア…。
ふとその名前を心中で口ずさむと、あの記憶の奥底へと収納されていた風貌が一枚の写真のように鮮明さを取り戻す。髪型はプラチナブロンドのショートヘアー。煙草は常に口から離さない。
利己的な性格だったが、自分はその中に暖かさを感じていた事を覚えている。
「ボウヤ」
まるで隣で語りかけてくれたような気がした。
そう、彼女も同じように海の藻屑となって死んだのだ。
どのような感情で海底へと死の道を突き進んでいたのかは知る由もない。
だがその近い感覚を体験することであたかも、同化した錯覚を覚えた。
所謂、走馬灯と呼ばれる現象であるが…。
この現象は本来、生存方法を過去の記憶から捜索する最後の抵抗である。
だが切嗣は朦朧と意識の最中で不思議と心地よさを感じていた。
まるで余命を全うした棺桶の死体であった。
棺に飾られた懐古と共に海底へ沈んでいく切嗣。
だがその幸福な瞬間を切り裂く濁音が身体ごと攫っていった。
濁流がひたすら自由を奪い何処かへと、運び去っていく。
聴覚は豪水音だけを聞き取り、四肢は水の手をレールにただ移送されていくのみである。
そしてなにか背に衝撃が走った。その反動によって流路が河川敷の域に転換させると、浅瀬の尖った砂利と礫石に摩擦し移動が停止する。
誰に起動させられたか、生存本能が一時的に体を支配すると、切嗣は河川から水分を吸った重い体を引き上げ、無意識に河川敷へ倒れこんだ。
「ナ――タリア」
ただ、そう一言呟いて。
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雁夜の精神の絶頂は止まるを知らなかった。
刻印虫の身体を責める激痛も忘れ、その一時の闘技場となった倉庫街の死闘に釘付けとなっていた。
それもそうであろう、あのアーチャーを狂戦士は、なんと敵の宝具を己の武器として扱い、玩具のように本人には屈辱の極みであろう行為だが、クレイトスの熾烈な振舞いから、ひれ伏していた。
常識から外れた奇妙な展開の連続に雁夜は抱腹絶倒を我慢できず、漏れた
憫笑が下水を一周して反響する。
「いいぞ!バーサーカーァ!そいつを殺せ!今すぐに!」
狂気が蔓延する様態に興奮を漲らせ、喀血しながら処刑の下知を飛ばす。
ついに時臣が己のサーヴァントに負け滅ばされる。
その渇望して止まなかった瞬間がついに訪れようとしていたが…。
おかしい。
唐突な中継の切断に雁夜は呆然とした。
外界に繋いだ映像は線が切れたように、ホワイトアウトしていたからだ。
目に送られるのは、白で塗りつぶした画板と代わらない壊れた映像だった。
考えられる事態から、雁夜は先ほどの悦の有頂天から突き落とされるように青ざめた。
「まさか、俺の眼は…」
そう白濁した眼に手を翳し、落胆するが、一縷の望みに掛けるように、急いで虫とのリンクを落とす。
だが、今度はホワイトアウトした視界は、下水道のこびり付いた汚泥が周辺を埋める根城を映した。
つまり視界は正常に機能している。
まだ盲目になった訳ではないのだ。
と、ほっとまだ五感が瀬戸際で繋ぎとめられている事実に安堵する。
となると、この事故の原因を究明するなら使い魔の蟲が死んだか、なんらかの要因でノイズ的な不具合なのかの二択に搾られるが、未熟な雁夜では判別が出来なかった。
それを脇に置いても、せっかくの処刑劇を些細なミスによって中断された雁夜は苛立ちで舌を鳴らした。
そして、おぼつかない足取りで地上に繋がるタラップに手を掛けた。
わざわざ逃げ込んだ安穏の場所だったが、肝心の絵が閲覧できないのなら無用の長物であると考えたからだ。
だが、その音でマンホールを押し出す、手を止めた。
地響きが如く反響する怪音。
地震を疑ったがこの何かと激突して引き起こされたような震動は、自然現象とは思えなかった。
すると重低音をけたたましく打ち鳴らし、微振がついに破裂音へと駆け上がった。
突如左の下水菅から雪崩の如くの大量の質量が押し寄せる暴虐の音は、雁夜を凍らせた。
―まさか。
雁夜の脳内が簡単な類推をした。
そのまさかに回答を提示すべく、下水道を粉砕して鉄砲水が一気に雁夜の首まで上昇する。
「み、水!?」
そう戦慄の叫びを上げると、洪水としか形容できない、荒れ狂う汚水は雁夜を生贄を選択し、逆巻きの激流に巻き込み、押し出した。
濁流のトロッコは穿った穴を高速で突き進みながら、陥没した穴から雁夜ごと排水した。
口内が汚水の腐敗した吐しゃ物の味から、塩辛い感覚に染まると、雁夜は海まで流された事を悟った。
ただでさえ動かない足を蛸のように駆動させて必死に海面へと浮上しようとする。
だがそれを許さぬ激流は呼吸を奪って、瓦礫と共に流し出すのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
雁夜は道中、石状の物体が偶然クッションとなり、激突の衝撃で方向転換したことによって浅瀬に流木の如く流れ着いていた。
喉が海水で犯された不快感で、えづき、むせ返りしながら岸へと体を移す。
どうやらコンテナ集積場の隣で、海洋へと注ぐ未遠川に辿りついていたらしい。
僥倖だった。
運が落ち目ならあの冷海で残骸を伴って水死体となっていたかもしれない。
それにしてもあの下水道まで海水が流れて込んできた、ということは宝具がこっちまで飛んできたのだろうか?と軽く推理をしながら、河川に沿って歩き続ける。
現状、雁夜一人ではあまりにも危険な移動だった。
早い所、サーヴァントと合流し安全を確保するのが先決だろうが、気絶からまだ、朦朧とする平衡感覚と意識の覚醒を取り戻すために、とりあえず歩き脳に刺激を与える。
そして雁夜の目に飛び込んできたのは、同じ河川敷に流れ着いた黒い物体であった。
遠目からはただのブイにも視認できなくもない。
だが近づいて確認してみると、それが明らかに人間である事が分かった。
「この人も同じように巻き込まれたのか…」
流石に聖杯戦争中とは言え、不幸な被害に巻き込まれた"一般人"を看過しておく訳にもいかない。
一応死亡していないか、黒コートを着衣した男を仰向けに転がし静脈を取る。
微弱だが指に脈が感じられた。どうやらまだ死には到っていないようではある。
だがこの冷たい河川敷で寝かせていたら、確実に死亡させることになる。
そう考えた雁夜は己も重病人であることは、忘却して肩に切嗣の手を回して人目がある所へ移動させようと試みる。
だがその機会を右手の紋様が無残に切り捨てた。
紅く剣を模したような刻印を凝視する。
まだ令呪がはっきりと雁夜の甘い良心を砕くように、手に残存していた。
「コイツ……
即座に現物から察知した雁夜は叫びかけたが、なんとかそれを噛み殺す。
急いで担いだ切嗣から身を離そうとするが、マスターを暗殺できる千載一遇のチャンスに巡り合ったことに体が硬直する。
憎き時臣ならまだしも、顔すら知らない男を殺せるか。
という一般の感性による疑問が殺しに体性がない雁夜を詰問する。
外気の寒気と緊張による身震が判断を鈍らせた。
殺すにしてもどういう手順を踏めば、殺害できるのか。日ごろニュースや書籍の情報を総動員して頭を巡らせる。
その結果、一旦体を地面に下ろして実行することにした。
選択した方法は絞殺。
切嗣の首を祈るように両手で鷲掴みする。
「悪く思うなよ…俺はやらなきゃいけないんだ…俺は…」
荒い息を一緒に弁明の言葉を搾り出し、絞め上げる。
だが、力がまるで入らない。
まるで筋肉が溶けたように、腕力が消失していたからだ。
これがあくまで、一般の世界で歳月を過ごして来た男の限界なのか。
―俺にはやれる。
―オレニハヤレル。
だが雁夜はそう心身に言い聞かせ、歯を食いしばって力を取り戻そうとする。
だが筋肉が弛緩したように力が入らず、首を撫でるようなマッサージになってしまう。
時が過ぎれば過ぎるほど、玉のような汗が噴出し、本人の意に逆らって体が言うことを利かない。
―雁夜。
誰かが自分を呼び捨てた。
声の主が誰かとは分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
だが、その禍々しく聞き慣れた声は、どう足掻いても、脳が知っている。
「所詮、魔道から逃げた軟弱者には無理な話だ。卑怯者は卑怯者らしく一般を享受していればよかったものの…」
風の撫でる音が、そう呟いた気がした。
土壇場で敵の殺害を実行できぬ、愚か者に誰かが嘲笑を投がけていた。
その瞬間…他者の殺人を慄きで矛止めしていた、殺意が可燃物質を浴びたように燃え爆ぜる。
「時臣ィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」
そう絶叫しながら腕力は堰を切ったように取り戻し、切嗣の喉頭を締め上げた。
「ぐぶっ!?」
だが、水死体のように沈黙していた切嗣の膝が雁夜の鳩尾に打ち込まれていた。
水月に叩き込まれた膝蹴りは威力は、意識を一瞬奪い去る。
「こ、コイツッ…!」
さらに、マウントを取った形の雁夜の体を利用し、親指の爪で眼を差し込んだ。
眼球を抉られる法外な激痛に絶叫しながら、あえなく河川敷に倒れ込んだ。
それは、雁夜を散々を苦しめて来た発作的な疝痛を勝るとも言える、神経を穿り返される痛みは雁夜の知らぬ痛みでもあり、当然の反応であった。
一連の反則超過の攻撃は、CQBを初めとする、軍隊格闘術の要である急所の集中。
一般人が習得しても、ルール無用の鉄火場だけで活用される禁術である。
「まったくプロファイル通りだな。間桐雁夜…」
「助けて貰って悪いが、悪く思わないでくれよ」
形勢を逆転した切嗣はトドメの
つもりだった。
手が空を切る。
「無い」
思わず口に出すほどの醜態。
既に切嗣の礼装と兵装は海の藻屑へとなっていた。
「最悪だ」
予備のナイフすら紛失する徒手空拳の状態を認識した魔術師殺しは追撃の手を緩めない。
仰向けの重病者の顔面に一発踵を見舞い、無残にも昏睡させようと、さらにもう一発踵で顎を弾き出し、意識を狩った。
間を空けずとどめの
魔術回路は疲労でほど機能しないが、魔術は使うまでも無かった。
そして、見事、絞首される側が入れ替わる。
首を抱き上げる体勢に移行し、縄と変貌した腕が首に絡むのは、
本来なら呼吸を閉鎖させる窒息させる技であるが、切嗣が行っているのは全体重を落として、頚椎を絶ち折る絞めである。
雁夜は水辺に上がった魚のように口を開閉させる。
苦しい。苦しい。息が出来ないだけでここまで苦痛だとは。
そういっその事、そのまま意識を飛ばされた方が遥かにマシだったとこの最中で思った。
締め上げが喉を潰すような狭窄に達すると、酸素が回らず、意識が混濁に溶けていく。
雁夜の頚椎をへし折ろうとする切嗣はさらに力を込めた時…。
背に焼けたように熱く燃えるほどの刺痛が走った。
その被害を被ったのは…切嗣であった。
雁夜は絞められる形で不敵に笑みを漏らす。
「どうした…折らないのかよ」
「……しくじったか」
切嗣は切り裂かれる苦痛を察しの言葉と共に吐いた。
恐ろしく、単純な、戦法であった。
切嗣が懸命に雁夜を葬り去ろうと大技を掛けてる最中に、翅刃虫を背後に忍ばせる。
そして背を無防備にするであろう、絞める瞬間を狙って襲わせた。
伏撃の初歩中の初歩。
こんな子供染みた戦術に引っかかったのはこの番狂わせの事態や、武装の不在などの混乱した精神がもたらしたモノであろう。
百戦錬磨の魔術師殺し言えど、驚愕に相次ぐ驚愕のドミノが敗戦を倒した偶然の敗北。
戦場は絶えず変化する自然。
誰かそう言ったか。雁夜は改めて言葉をかみ締めた。
切嗣が身を投げ出して場から逃げるのと、1cmも満たない肉薄した翅刃虫の堅牢な顎が、軟い背を食い破るのがどっちが早いか。
双方ともこの戦いの終焉を予想する。
「運が悪かったんだよ。アンタは」
潰された雁夜の眼窩から血が滴り落ち、地面を染めた。
また切嗣も同じく背の刺し傷より、死を予期した如くの鮮血が下に流れ出る。
「頼み事がある」
翅刃虫が背でまだかまだかと給餌を待つ、最後の沈黙を破って切嗣が口を開いた。
「何をだ」
「お前に最後の遺言を頼みたい。もしも会ったら長髪の白人の女性か、黒髪の女に伝えろ」
「衛宮切嗣は死んだ。これだけ伝えてくれ」
「僕を殺した罪悪感に駆られるのなら、他人のせいにしてくれて構わない」
そう頼み事を終えると、片手で煙草を取り出し、火もつけず咥えた。
「悪いが、俺が無駄な事をそんなことするとでも?」
雁夜がそう吐き捨てる。
「やるさ。僕だったらいちいちバカ正直に遺言なんて聞かず殺してるからね。お前のお人よしは命取りだな。間桐雁夜。」
見えない紫煙を口から吐きながら、苦笑する。
「お前は…遠坂時臣に勝てない」
そう切嗣は確信めいたように呟く。
「食え」
その冷え切った言葉に、迷い無く処刑の命を拝領した蟲は歓喜する。
「少し疲れた」
羽音が狂ったように乱舞した。
骨が砕け折れ、肉が裂ける咀嚼音は見なくても、聴覚だけで、それがどうなっているかが理解できた。
血飛沫が遠慮なく飛び交い、奇妙な事にその地点だけ血の雨が降ったような惨状に河川敷が変化した。
「約束は守る」
もう衛宮切嗣は居ない。
鮮血に溺れた外套と、血の雨を浴びた男だけが居た。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まだ仄暗い朝焼けにまどろんで、黒が蠢く。
「フム…まぁ貴様にしては及第点と言った所かの。雁夜…」
そう、誰に向ける訳でもない感想の独り言を放つと、紅色の空模様に黒点が舞って散った。