仔山羊悪魔の奮闘記   作:ひよこ饅頭

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第8話 密会と思惑

 第九階層の自室へと戻ると、ウルベルトは控えていたメイドたちを下がらせた。

 豪奢な椅子に腰を下ろし、続いて部屋に入ってきたデミウルゴスとアルベドを招き入れる。

 デミウルゴスは控えるようにウルベルトの背後に立ち、アルベドは数歩の距離を取ってウルベルトの前に立った。

 

「……さて、話とは何かな?」

 

 軽く足を組みながら目の前のアルベドを見やる。

 彼女は暫く言葉を選ぶように黙り込んでいたが、意を決したように真っ直ぐウルベルトを見つめてきた。

 

「…わたくしはウルベルト様にも絶対の忠誠を誓いました。その心に従い…一つご報告をさせて頂きます」

「ああ、なんだ?」

「実は…ウルベルト様がご帰還される以前より、わたくしの進言により至高の御方々の捜索部隊が編成されました」

「…ほう。お前の進言により、な……」

 

 小さく目を細めさせるウルベルトに反応するように、後ろに控えているデミウルゴスが不穏な空気を纏い始める。

 アルベドとの戦闘は唯の鍛錬だとデミウルゴスには伝えている。しかし頭の良い悪魔のことだ、もしかしたら何かしら勘付いているのかもしれない。

 言葉の裏に隠された彼女の本当の目的に気が付いたのだろうか…と少しだけ背後の悪魔の様子を伺う。

 しかしウルベルトは敢えてそのままスルーすることにした。

 そんな事よりも、彼女がこんな形で話を切り出してきたことの方が興味をそそられた。

 

「…それで?」

「部隊の指揮はわたくしが、その副官にパンドラズ・アクターが…」

「……………………」

「そして、その…ルベドの指揮権もアインズ様より頂きました」

「なっ!!」

 

 言いよどみながらも告げられた言葉に、ウルベルトは思わず声を上げた。

 決して聞き捨てならない言葉に思わず呆然となる。

 全く信じられない…、いや、信じたくない話にウルベルトは慌てて詳しく話すようにアルベドに命じた。それによって語られたのは一部は納得できるものの、非常に怒りが込み上げてくるものだった。

 

「………それで、“最強のチームを作りたい”と言って許可を貰った、と…」

「は、はい…」

 

 こくんっと小さく頷かれた瞬間、徐々に大きくなっていた怒りが一気に爆発した。

 

「ふっざけんなぁぁっ!!」

「「っ!!」」

 

 部屋中を埋め尽くすほどの激しい怒気にアルベドとデミウルゴスが身体を強張らせる。本能的な恐怖と畏怖が湧き上がり、この世界では絶対的な力を持つはずの二人の悪魔でさえも心の底から怯えさせた。

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった! モモンガさんもモモンガさんだっ! 何故よりにもよってルベドの許可を出すんだ! 軽率すぎるだろっ!!」

「…ウ、ウルベルト様…、どうか…お心をお鎮め、ください…」

 

 激しい怒りを喚き散らす仔山羊に、悪魔が震える声で必死に呼びかけてくる。

 アルベドはといえば、怒りの一部を向けられて顔は蒼褪め息も絶え絶えになっていた。

 

「……はぁ、悪い…。少し感情的になっていたようだ…」

 

 デミウルゴスとアルベドの様子に気が付いて、怒りに大きく波打っていた感情を何とか落ち着かせようと試みる。

 ウルベルトが大きく息をついて怒りの感情を収めた瞬間、まるで緊張が切れたかのように目の前のアルベドと後ろのデミウルゴスがほぼ同時に床へと崩れ落ちた。

 どんなに姿は子供でも、その力と存在感はユグドラシル全盛期の時のものと全く変わらない。恐ろしくも絶大な創造主の姿に身震いしながら、デミウルゴスは未だ小さく震える身体を叱責してヨロヨロと立ち上がった。これ以上崇拝する御方に無様な姿を晒すわけにはいかない、と身体に力を込める。

 アルベドもよろめきながらも何とか立ち上がり、体勢を立て直した二人のシモベにウルベルトはもう一度大きなため息を吐き出した。

 

「…お前の本当の目的を考えると理解できなくもないが、あまりにも軽率すぎる」

「……………………」

 

 先ほどの恐怖を未だに引きずりながらもアルベドが少し怪訝そうな表情を浮かべる。

 全く分かっていないその様子にウルベルトは呆れたように大きな息をついた。

 

「はぁ、お前がルベドの指揮権を欲しがったのは俺たちギルドメンバーを抹殺するためだろう? 相手の力量を考えて対策を取るのは良いことだ。だが、それにルベドを選択することが軽率すぎる」

「………ウルベルト様や御方々を抹殺、ですか…」

「デミウルゴス、大人しくしてろ」

 

 ウルベルトの言葉から確かな言質を取り、一気に殺気立ち始める後ろのデミウルゴスにウルベルトは軽く片手を挙げることで押し留めた。

 最初はぼかして話そうと思っていたが、彼女がここまで準備していたのなら話は別だ。加えて、よりにもよって最強の手札(ルベド)まで引っ張り出していたのならこちらも容赦するつもりはない。

 

「大体、シャルティアを洗脳した奴が誰なのかもまだ分かっていないんだぞ。そんな中でルベドなんか出してみろ、下手したら最悪な事態になるぞ」

「? …捜索隊の対象は至高の御方々であり、シャルティアを精神支配した輩ではありませんが…」

「あいつらが、その謎の連中と手を組んでいない保障がどこにある」

「「っ!!」」

 

 迷いなく発せられた言葉に、アルベドとデミウルゴスが大きな衝撃を受けたように大きく目を見開かせた。

 彼らにとっては思ってもみなかったことなのだろう。

 しかしウルベルトからすれば、それはどこまでも甘い考えだった。

 

「モモンガさんもこの世界に来た最初の頃は慎重に情報収集に徹していたんだろう? 俺の場合は飛ばされたのがナザリック内だったから大事には至らなかったが、他の連中もみんなそうだとは限らない。ナザリック内ではなく何も知らない場所に突然飛ばされた場合、情報を得るために誰かしらと手を組むことは十分に考えられる。…そして」

「そしてそれが我々と敵対している者たちになる可能性も十分にあり得る…というわけですね…」

「そうだ。他にも、あいつらが既に精神支配を受けていて、俺たちを誘き寄せる囮として使われる可能性もある」

「それは…っ!!」

 

 次々と出てくる最悪の可能性にデミウルゴスから焦ったような声が零れ出る。

 褐色の肌でも分かるほど蒼褪めている悪魔に、ウルベルトは安心させるように柔らかな笑みを浮かべた。

 

「まぁ、全ては可能性の話だ。必ずしもそうなるとは限らないから、もう少し落ち着け」

「は、はい…、申し訳ございません…」

 

 ひどく狼狽えていた姿はすぐに鳴りを潜め、デミウルゴスはすぐさま居住まいを正して深く頭を下げた。

 ウルベルトは悪魔がきちんと落ち着いたのを確認してから改めてアルベドへと目を戻した。

 

「お前がいかに浅はかだったか理解したか?」

「…はい、お恥ずかしい限りです。即刻、当部隊は解散させて頂くようアインズ様に進言いたします…」

「いや、その必要はない」

 

 未だ顔を蒼褪めさせたまま震える声で頭を下げるアルベドに、しかしウルベルトはそれを引き留めた。

 それが意外だったのだろう、再びアルベドとデミウルゴスが驚愕の表情を浮かべる。

 

「ウルベルト様? 何故そのような…、ウルベルト様や至高の御方を害するものなどあってはなりません! 即刻解散させるのは元より、アルベドとパンドラズ・アクターには死をもって…!」

「だから落ち着けって。少なくとも今のこいつにはもう俺たちギルメンを傷つける意思はない。だからこそ今回話してくれたんだろう?」

「仰る通りでございます。…わたくしにはもう至高の御方々を害する気持ちは微塵もございません。ただ…」

「パンドラズ・アクター、か…」

 

 今まで見てきた卵頭を思い出し、ウルベルトは思わず苦々し気に顔を歪ませた。

 この世界に来てそれなりに経つが、今まで全くと言って良いほどパンドラズ・アクターに対して何も感じなかった。本当にウルベルトに対して何も思っていないのであればそれに越したことはないのだが、そんな都合のいいことなどあるわけがないだろう。あれだけウルベルトと接触しておきながら巧みに殺意を隠していたのなら、それはもう称賛に値する。見事すぎて苛立ちすら感じてしまう。感情に素直過ぎるアルベドが可愛らしく思えてくるほどだ。

 

「どちらにせよ俺がこの世界に来れた以上、あいつらの捜索隊は必要だ。さっきも言った通り、俺と同じようにナザリック内に飛ばされてくるか分からないからな」

「ですが、それでは…」

「勿論、まったく今まで通りにはしないさ。モモンガさんに許可を貰う必要はあるが、ルベドの指揮権は剥奪し、捜索隊の指揮権は俺が貰い受ける」

「ウルベルト様っ!?」

 

 何でもないことのように言ってのけるのに、デミウルゴスは思わず声を上げた。慌ててウルベルトの前に回り込み、懇願するように跪いて頭を下げる。

 

「どうかお考え直しを! 今のウルベルト様を…それも裏切り者であるパンドラズ・アクターと行動を共にするなど、あまりにも危険です!」

「勿論元の姿に戻るまでは俺も安易に外に出ようとは思っていないさ。暫くは代理として今まで通り指揮をアルベドに任せるつもりだ。…それに、パンドラズ・アクターが完全に黒だと決まったわけじゃないだろ?」

「し、しかし…!」

 

 安心させるように言葉を続けるも、悪魔は焦燥の色をなくさない。加えて更に言い募ろうとするのに、ウルベルトは軽く手を上げてそれを押し留めた。

 

「とにかく、パンドラズ・アクターについては様子見だ。捜索隊については俺の方からモモンガさんに言っておく。…よく話してくれたな、アルベド。さがってゆっくり休むといい」

「…はい。ありがとうございます、ウルベルト様」

 

 表情を翳らせたまま、アルベドは深々と一礼して退室していく。

 どこか頼りなく見える彼女の背を見送りながら、ウルベルトは小さく息をついて未だ跪いている悪魔を見やった。

 

「デミウルゴス、どうした? お前にしては妙にムキになっているというか…心配しすぎなような気がするが…」

「至高の御身に害をなすものに対して過剰になるのはシモベとして当然のこと。加えてウルベルト様は私を造って下さった御方でございます。創造主である御方を想わぬシモベはおりません!」

「創造主、ね…」

 

 真剣な表情で力説する悪魔を見つめながら、ウルベルトはパンドラズ・アクターのことに思いを馳せた。

 彼らにとって至高の四十一人…とりわけ自身の創造主というのは自分が思っている以上に重いものなのかもしれない。

 最初はただ単に大切な親のような存在なのではないかと思っていた。しかし彼ら…特にデミウルゴスの言動を見る限り、それ以上の意味を含んでいるのだと容易に窺い知れた。そしてそれは決して思い違いなどではないだろう。

 ならばパンドラズ・アクターの意思も、そこにあるのではないだろうか。

 創造主であるアインズのため…。いや、創造主であるアインズを悲しませてきたことに対する憎しみ故、といったところか…。

 

 

「とはいえ、さっきも言った通りパンドラズ・アクターについては暫く様子見だ。あいつが何を考えているにせよ、こちらにもそれなりの準備が必要だ。…あいつはアルベドとはわけが違うからな」

 

 アルベドの場合、自分の感情に素直過ぎるため煽れば煽るほど冷静な判断ができず、こちらの勝算が高くなる。加えて彼女は盾NPCであると同時に戦士でもあるため、ウルベルトにとってはどんな状況でも彼女に勝つことは比較的簡単だった。

 しかしパンドラズ・アクターはアルベドとは似ても似つかない。

 戦士職でもなければ、自分の感情を隠し通すことのできる冷静さをも持ち合わせている。どんなに罠を張っても容易には引っかからず、腹の探り合いも骨が折れるだろう。となれば十分に対策を考えて準備をしなければ、いかなウルベルトといえども簡単に足元を掬われかねなかった。

 

「…まずは捜索隊の実権を握って奴の反応を探るとしよう。後は魔の壺(マジックベースデビル)も補充した方が良いな」

「ですが、魔の壺(マジックベースデビル)は一匹造り出すにも30%もの魔力を消費致します。それではウルベルト様にご負担が…」

「たった30%だろう? 二匹でも60%だ。…毎日外出しなくちゃいけない訳でもないし、殆どナザリックにいる俺には無用の心配だよ。…そうだな、一日二匹は造ることにしよう。魔力供給の手段が少ない以上、魔の壺(マジックベースデビル)の貯蔵は多いに越したことはないからな」

 

 うん、と一人勝手に頷き、改めて悪魔を見やる。

 

「それで、明日はどうする? お前の休暇は二日間だから明日まで俺へのお願いは有効だぞ」

 

 思えば今日はデミウルゴスの褒美として用意した特別な日だ。パンドラズ・アクターの“至高の御方抹殺計画疑惑”などよりも愛する息子(デミウルゴス)の褒美に時間を使った方がよっぽど有意義で意味があることだろう。

 今までの威圧感のある姿は完全になくなり、柔らかな笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。

 全く邪気のない可愛らしい創造主の姿を暫く見つめ、デミウルゴスは恭しく跪いて頭を下げた。

 

「申し訳ございません、ウルベルト様。明日は少し私にお暇を頂ければと…」

「ああ、良いぞ、気にするな。元々お前の休暇だからな。俺は明日はずっとナザリックにいるつもりだから、何か用があったら連絡してくれ」

「はい、ありがとうございます」

 

 慈悲深い主の言葉に感謝しながら、デミウルゴスは一層頭を下げる。

 その完璧な立ち居振る舞いが何故かおかしくて、ウルベルトはフフッと小さな笑みをこぼした。

 何でもかんでも大げさだな…と苦笑を浮かべ、椅子から立ち上がってデミウルゴスへと歩み寄る。

 近づいてきた気配に顔を上げるデミウルゴスに、ウルベルトは小さな手を差し出して立ち上がるよう促した。

 

「けど、まだ今日は終わっていない。折角だ、もう少し付き合ってくれ」

 

 背後の豪奢なテーブルと椅子を指さし、にっこりとした笑みで誘う。デミウルゴスも応えるように柔らかな笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がって胸に手を当て一礼した。未だ小さな仔山羊をテーブルへとエスコートし、椅子を引いて主を促す。下がらせていたメイドも呼び寄せ、ささやかな酒と料理を準備させた。

 それから繰り広げられたのは主従の和やかな食事会。話題はウルベルトがここに来るまでの出来事が中心で、特にヤルダバオトの話はウルベルトも興奮気味に食いついた。しかしやはり多くの場所に行って疲れていたのだろう、ウルベルトは徐々にうつらうつらとし始め、持っていたグラスに顔を突っ込みそうになっていた。

 そんな可愛らしい姿にデミウルゴスは小さな笑みを浮かべると、椅子から立ち上がってウルベルトへと歩み寄った。小さな声で断りを入れ、手からグラスコップを離させて小さな身体を抱き上げる。反射的な行動なのだろう小さな手がキュッとスーツを掴んできて、彼が赤ん坊だった時のことを思い出して思わず笑みがこぼれる。奥にある寝室へと足先を向けながら、デミウルゴスは小さなぬくもりを抱く腕に少しだけ力を込めた。

 

 もう二度と会えないと思っていた。

 それでも、やっと会うことのできた…取り戻すことができた敬愛せし至高の創造主。

 我が至上の御方を、たかだか宝物殿の領域守護者ごときに害されてなるものか…――

 

 

「……この身と命にかけて、必ずお守り致します。ウルベルト様」

 

 薄っすらと開かれた瞼から覗く宝石が、怪しく危険な光を帯びて輝いていた。

 

 

 

**********

 

 

 

 フッと浮き上がる意識に、ウルベルトはいつの間に閉じていた瞼をゆっくりと開いた。

 何故か全身が窮屈に感じられて、ひどく寝苦しい。

 フゥッと大きく息をつきながら横たわっていた身体を起こし、きょろきょろと周りを見回した。

 

「おはようございます、ウルベルト様」

「っ!!?」

 

 突然かけられた声にビクッと身体を震わせる。

 慌ててそちらへと目を向ければ、少し離れた場所でデミウルゴスが変わらぬ笑みでもって直立不動で立っていた。

 

「お、おはよう。…ていうか、ずっとそこにいたのか!?」

「勿論でございます。退出の御挨拶をさせて頂いておりませんでしたので」

「そんな事、別に良いのに」

 

 どこまでも律儀なところが悪魔らしくなく、けれどデミウルゴスらしいとも思えて、クスッと笑みがこぼれてしまう。

 身体に纏わりついている布団をどかし、寝台から足を降ろして立ち上がった。

 

「うおっ!!?」

 

 その瞬間、昨日とは違う大きな違和感にウルベルトは思わず大きな声を上げた。

 驚愕に見開いた目で自身の身体を見下ろし、続いて周りを見回す。

 やはり全てが昨日と違っている…と愕然となった。

 手が違う、腕が違う、足が違う。身に着けている服が全て窮屈で、裾から覗く手首や足首が異様に露出している。何より視界の高さが昨日と全く違っていた。

 

「……何でこんなに成長してんだよ」

 

 ウルベルトの言葉通り、彼の身体は間違いなく大きく成長していた。恐らく30cmは確実に背が伸びている。

 昨夜はワインはそんなに飲んでいなかったのに何故…と多くの疑問符が頭上に浮かんだ。

 

「ウルベルト様、そのままではいけません。新しい服をご用意いたします」

「…あぁ、ローブとかで良いぞ。またすぐ成長するかも分かんないし」

 

 自分の急激な変化に流石に感情がついていかず、思わず半笑いに言葉を返す。

 しかしデミウルゴスがそれに頷くはずもなく、数分後に彼が用意してきたのはスーツに似た立派な服だった。ユグドラシルの装備用の服ではないため防御力は紙も同然だが、身に纏うには十分すぎる品物だ。

 ウルベルトは悪魔の用意の良さに感心しながらも短く礼を言い、両手で受け取って手早く身に纏った。その動きは昨日よりもすべらかで手際が良い。

 デミウルゴスはウルベルトがきちんと服を着たのを見届けた後に退室の挨拶と共に立ち去り、ウルベルトはフゥッと大きく息をついて軽く頭を振った。

 全然そうではないのに、随分と久しぶりに一人になったような気がしていきなり胸の奥がずぅんっと重くなる。これからの事や新たに発覚した問題に、一気に大きな不安と小さな恐怖が胸に湧き上がってきた。あぁ、これからどうしたら良いものか…と頭を悩ませる。

 しかし数分も経たぬ内に扉が外側からノックされた。

 一体誰だと小首を傾げながらも許可を出せば、一人のメイドが綺麗なお辞儀と共に室内へと入ってきた。

 

「失礼いたします。アインズ様がご帰還されました」

「ああ、ありがとう。それで、今はどこにいる?」

「アインズ様ご自身のお部屋にいらっしゃいます」

「そうか…。ご苦労様」

 

 アインズの自室ならば同じ第九階層なため、そんなに時間はかからないだろう。

 ウルベルトは肩にかけた漆黒のマントをバサッと後ろへとさばくと、意気揚々と足を踏み出した。礼を取るメイドの前を通り過ぎ、自室から豪奢な回廊へと足を踏み出す。

 後ろからは先ほどのメイドが付いてきているのを感じながら、少し足早にアインズの自室へと向かった。

 

「モモンガさ~ん、お帰りなさ~い。入りますよ~」

 

 目的地であるアインズの部屋の扉まで来ると、間延びした声と共に扉を開く。

 そこには見慣れた骸骨が立っており、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべて室内へと足を踏み入れた。

 

「モモンガさん、お帰り~」

「あっ、ウルベルトさん聞きましたよ。…って、でかっ!?」

 

 こちらを振り返った瞬間、骸骨から驚愕の声が飛び出てくる。

 暗い眼窩の灯りは真っ直ぐにウルベルトに向けられており、ウルベルトは皮肉気な笑みを浮かべて軽く肩をすくめてみせた。

 

「いや~、俺も何でこんなに急に成長したのか分からないんですよねぇ…」

「…そう言えば、昨日はデミウルゴスと一緒にいろいろ外を回ったらしいじゃないですか。その時に何か変な物でも食べたんじゃないですか?」

「失礼な! そんな記憶ありませんよ!」

 

 豪奢な椅子に勝手に腰かけながら、少し苛立たし気にじろっと金の瞳でアインズを睨む。しかし迫力などあるはずもなく、どこまでも可愛らしい仔山羊の姿にアインズは思わずクスッと笑みをこぼした。

 もう一つある椅子をウルベルトの対面まで持って行き、そこに深く腰を下ろす。両手の指を交互に組み合わせ、その上へと軽く顎を乗せた。

 

「でも、本当に成長しましたね。身長から見て…大体12歳くらいでしょうか?」

「自分ではよく分からないけど、モモンガさんがそう感じるならそうなのかもな」

「あっ、そう言えば聞きましたよ! 昨日指輪を着けたまま外に出たらしいじゃないですか! リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはナザリック攻略の要になるんですから、外に出る時は誰かに預けて下さいよ!」

「…忘れてた。すみません、気を付けます」

 

 昨日よりも大きくなった手の指にはめられた指輪をチラッと見やり、素直に軽く頭を下げる。

 確かにこの指輪は唯一ナザリック内を自由自在に転移できる代物であり、安易に外に出して良い物ではなかった。

 これは確かに軽率だったと反省する中、ふと昨夜のことを思い出してウルベルトは少しだけ顔を顰めさせた。

 

「こっちも聞きましたよ。俺たちの捜索隊を作って、アルベドにルベドの指揮権まで与えたらしいじゃないですか」

「えっ、ちょっ、誰に聞いたんですか!?」

「アルベド本人ですよ。ルベドまで出すとか何考えてんですか!」

 

 ここからはウルベルトの独擅場だった。

 昨夜アルベドに話した内容に加えて、アインズにだからこそ言えることをクドクドとマシンガンのように言い放つ。その勢いは凄まじく、アインズは完全に押されていた。

 成長したとはいえまだまだ幼い仔山羊に、タジタジになっている死の支配者(オーバーロード)。恐怖の姿に反して仔山羊に押される様は完全にシュールで、普段の威厳は微塵も感じられない。

 それから十数分後、完膚無きままに論破したウルベルトは大分スッキリして漸く口調を緩めさせた。

 

「まぁ、捜索隊自体はあった方が良いとは思いますがね。…そこで提案なんですけど、ルベドは通常通りナザリックに置いておいて、代わりに俺が出るってのはどうだ?」

「ルベドのことは良いとして、ウルベルトさんが出るって言うのはどういう意味ですか?」

「言葉通りだよ。総指揮官はアルベドって話だったけど、その指揮権を俺が引き継ぐ。因みにアルベドには既に了承は取ってあります」

「えっ、でも、ウルベルトさんはまだ元の姿に戻れてませんし! その状態で動くのは危険です!!」

「勿論、俺もこの姿で外にほいほい出ようとは思ってませんよ。元の姿に戻るまでは今まで通りアルベドに任せます」

 

 心配性なところは変わってないな…と思わず笑みがこぼれる。

 しかしすぐに顔を引き締めさせると、次には捜索隊の件も含めて今後について話し合いを始めた。

 ウルベルトの急な成長の理由、捜索隊の今後の方針、これからの“アインズ・ウール・ゴウン”の行動。まだ魔導国が設立されてから日が経っていないということもあり、話すことや解決することは予想以上に多く、また多岐に渡る。未だ国の統治者としての自覚がないアインズの心情も相まって、アインズとウルベルトはほぼ同時にため息をついた。

 

「…大体、唯の平民でしかない俺が国なんて治められる訳ないじゃないですか」

「そうは言っても、ここまで来たらやるしかないだろ。勿論俺も協力するし」

「ありがとうございます、よろしくお願いします…」

 

 脱力したようにぐで~っと自身の膝に突っ伏す骸骨に、仔山羊は足を組んでふむっと顎に手をやった。未だ髭のない顎を指で撫でながら、考え込むように小さく目を細めさせる。

 

「…なんでもイメージは大切だな。どういった方針で動くにしても、まずは治めている街を視察してみたらどうだ?」

「視察…ですか……。ということは、モモンとしてではなく、アインズとしてってことですよね。…確かにアインズとして街に出たことはありませんね」

「だろ? 違った立場で見てみれば、同じ場所でもイメージや印象も違ってくる。息抜きにもなるし、良い思いつきもあるかもしれないぞ」

「そうですね…。だったら、ウルベルトさんも一緒にどうですか?俺もウルベルトさんといろいろ見て回りたいですし」

 

 表情が動かない髑髏でも、彼がにっこりと笑みを浮かべていることは分かる。

 ウルベルトは最初きょとんっとした表情を浮かべたものの、すぐに気を取り直して笑みを浮かべた。

 

「そうだな…。久しぶりに一緒に出掛けましょうか」

 

 思えばウルベルトがユグドラシルを引退してこの世界に来てから、未だ一度もアインズと共にどこかに出かけたことがない。いろんな理由や要因があっての事とは言え、それはあまりにも寂しいことだった。久しぶりに仲間と出かけられるというのは、思っている以上に興味深く魅力的だ。それはアインズも同じなのだろう、満面の笑みの雰囲気を漂わせたまま嬉々として今後のことを話し始める。

 ウルベルトは未だ自分の内に渦巻く杞憂を感じながらも今はそれにきつく蓋をしてアインズの言葉に耳を傾けた。

 

 


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