前回に引き続き、今回は副題『悪魔親子の散策(後編)』となります。
カルネ村を後にしたウルベルトとデミウルゴスは一っ飛びに森の中にある強大な砦まで来ていた。
深い森の中にどーんと悠然と佇むさまは圧倒されるものがある。
ウルベルトは幻術を解いた本来の仔山羊の姿で、おぉっ!と感嘆の声を上げた。
多くのアンデッドやゴーレムを使って建てたとは聞いていたが、これは指揮する者にもそれなりの才能がないとここまで見事な物は造れないだろう。まさかアウラにこんな才能があったとは思わなかった、とウルベルトは驚きと共に感動を覚えるのだった。
「…ウルベルト様、中をご覧にはならないのですか?」
大きな門の前でデミウルゴスがこちらの様子を窺っている。その隣には、いつから来ていたのか二体のゴーレムを引き連れたアウラがデミウルゴスの横で大人しくウルベルトを見つめていた。
どこか期待しているようなキラキラとした大きなオッドアイに、ウルベルトは未だ興奮している心を落ち着かせてアウラたちの元へと歩み寄った。
「ようこそおいで下さいました、ウルベルト様!」
「いや、突然ですまなかったな。是非とも案内をしてもらいたいんだが、構わないかな?」
「勿論です!」
元気よく歓迎してくれる可愛らしい少女に、思わず満面の笑みを浮かべる。
アウラは一見重たそうな門を軽く押し開けると、ウルベルトに道を譲って未だ横に立つデミウルゴスの真似をして軽く目を閉じた。二人揃ってる頭を下げ促すように片手を門の奥へと伸ばす姿は、何とも可愛らしく、同時に笑みを誘う。ウルベルトはフフッと笑いを零しながら二人の前を通り過ぎると、門を通って要塞の中へと足を踏み入れた。
木で造られているためか、現実世界ではついぞ嗅ぐことのなかった木の香りが心をひどく落ち着かせてくれる。
ウルベルトは背後にアウラ、デミウルゴス、ゴーレムたちを引き連れて要塞内を練り歩いた。
「いや、本当に素晴らしいな。まさかここまでの出来とは思わなかった!」
外装から予想する以上の広大さと凝った内装に、ウルベルトは良い意味で自分の予想が裏切られ満面の笑みを浮かべた。アウラのことを疑っていたのでは決してないが、ついついそんな言葉が出てしまう。
彼の後に続くアウラもデミウルゴスもそれを理解しているのか、変わらぬ笑みでもって頷いてくれた。
「ありがとうございます、ウルベルト様!」
「そうですね。時間はそれなりにかかってしまったようですが、アインズ様もご満足頂けたと聞いております」
「ああ、そうだろうな。それに聞いた建築期間から考えると、ここまで造れたのはむしろ上出来だと思うぞ。俺たちがナザリック地下墳墓を今のナザリック地下大墳墓に改築した時は、その何倍も時間がかかったからな」
当時の輝かしくも苦労した日々を思い出し、懐かしさに小さく目を細めさせる。
ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドメンバーは誰もがキャラが濃く、自分が言えた義理ではないが自身の趣味趣向に素直で『本能に忠実に!』をモットーにしているような凝り性な人物ばかりだった。良く必要な素材を求めてはメンバーに無理を言ったり喧嘩したりダンジョンに潜入したりしたものだ。かけがえのない仲間たちとの努力の結晶がナザリック地下大墳墓であり、自分たちが生み出したNPCたちもまたその一つだった。
改めて今までずっとそれらを守ってくれていたアインズに対して大きな感謝の気持ちが込み上げてきて、ウルベルトは少しだけ自嘲的な笑みを浮かべた。
ここにきてまた自分は我儘ばかり言ってしまっているけれど、全てが落ち着いたら今度こそこの感謝を返そうと心に誓う。一度現実世界で失った命だ、この世界での二度目の命は仲間たちが残したかけがえのないものたちと大切な友のために使いたい。そのためにはまず早く本来の姿に戻らなければ!と気合を入れ直す。帰ったらワインをがぶ飲みしようと心に決めながら、ウルベルトは一つの部屋へと足を踏み入れた。
一見玉座の間にも見える、広く天井の高い部屋。
しかしナザリックの第十階層の玉座の間に比べれば、こちらは謁見の間と言った方が正しい様な気もする。
どちらにしろ立派な部屋には違いないのだが、ウルベルトは興味深げにきょろきょろと周りを見回した。ゆっくりと奥へと進み、ふと目に入った“それ”にピタッと動きを止めた。
「……アウラ、あれは何だ…?」
アウラに話しかけながらも、ウルベルトの目は“それ”に釘付けだ。
少女はウルベルトの視線の先を追って口を開きかけ、しかしその前に満面の笑みを浮かべた悪魔がそれに答えた。
「この要塞にアインズ様をお迎えした際、アインズ様に献上させて頂いた玉座です」
「…お前が造ったのか」
「簡素なものではございますが…」
少し言葉は濁されたものの、つまりはデミウルゴス作で間違いないらしい。
ウルベルトの視線の先にあったのは、芸術品と言っても過言ではない純白の美しい椅子。
しかしウルベルトが食いついた理由は、何も美しい芸術品だからでは決してなかった。
「……何の骨だ?」
「様々な動物です。グリフォンやワイバーンなどの良い部分を使用しております」
悪魔の言葉通り、多くの骨によって造られた玉座。無数の骨の中には先ほど述べられたグリフォンやワイバーンだけでなく、見るからに人間や亜人の骨も混ざっている。
しかしウルベルトはそんなことを全く気にしてはいなかった。
おどろおどろしい雰囲気が漂いアインズがどん引きしていたにも関わらず、仔山羊の悪魔の心にあるのはただ一言しかなかった。
(超かっけーっ!!)
「素晴らしい! さすがはデミウルゴスだ!!」
「恐れ入ります」
創造主の心からの称賛に、悪魔は満面の笑みを浮かべて恭しく胸に手を当て頭を下げる。
悪魔の横ではアウラが少しだけ拗ねたような表情を浮かべていたが、残念なことにウルベルトは全く気が付いてはいなかった。勢い込んで玉座に歩み寄り、全方向から眺めまわしては感嘆の息をつく。
一点の血の穢れもない純白の骨、金具を一切使用していない完璧な組み合わせ、所々に取り付けられた骸骨が威圧感をもって威厳さを漂わせている。
人間だった頃に見ればまた違った感想を持ったかもしれないが、今のウルベルトは悪魔であり、悪魔の感覚からすればこの玉座は素晴らしいの一言に尽きた。
「デミウルゴス、時間がある時でいいから俺にも造ってくれ!」
感極まるあまり幼子のようにせがんでしまう。
しかし今のウルベルトには羞恥など欠片もなかった。それだけ目の前の椅子は魅力的であり、悪魔としての魂が騒ぐのだ。
椅子の魅力にすっかりとらわれてしまったウルベルトは、自分の耳と細長い尻尾が期待にピロピロと動いていることにも気が付かない。目の前の悪魔がその可愛らしい様子を慈愛に満ちた眼差しで見つめているという事実も…。
「お任せ下さい、ウルベルト様。必ずやウルベルト様のご期待に応えてみせます!」
「ああ、楽しみにしているぞ!」
折角だからその際は自分もアイテムを作ってデミウルゴスに贈ってもいいかもしれない、と楽しい未来に思いを馳せる。
しかしそんな中、漸くアウラの様子に気が付いてウルベルトはハッと我に返った。二人の前で幼子のような態度を取ってしまったことに遅れて羞恥心を感じ、それと同時にアウラをそっちのけにしてしまったことに罪悪感を覚える。
ウルベルトは玉座から離れてアウラの前まで歩み寄ると、自分と同じくらいの少女の頭へと優しく手を乗せた。
「アウラ、実に見事だった。お前にこんな素晴らしい才能があったとは知らなかったぞ」
「ほ、本当ですか? …えへへ」
「ああ、本当だ。是非アウラにも頼みたいことがあるんだが、その時は頼んでもいいかな?」
「はい! 勿論です!!」
頭を撫でられ、加えて再び至高の御方の役に立てるという期待にアウラは弾けるような笑みを浮かべる。実に可愛らしいその姿に密かに癒されながら、ウルベルトは未だに小さな頭を撫でながら傍らの悪魔を振り返った。
「さて、ではそろそろ次に行くか!」
「次…でございますか……?」
てっきりここが最後だと思っていたのだろう、悪魔が不思議そうな表情を浮かべる。しかしウルベルトとしてはまだメインディッシュというべき場所が残っている。
ウルベルトは満面の笑みを浮かべて悪魔を見つめた。
「確か牧場を運営しているんだろう?案内してくれると嬉しいな」
「!!」
邪気のない可愛らしい笑みで放たれた言葉に、デミウルゴスは雷に打たれたような衝撃を感じた。
敬愛する創造主が自分の管轄する場所においでになる…。
大きな喜びと共に激しいプレッシャーがデミウルゴスを襲い、先ほどのコキュートスやルプスレギナの心情を痛いほど理解することになった。それと同時に、コキュートスやルプスレギナに対してウルベルトの来訪の連絡が直前になってしまったことに対してひどく罪悪感を覚える。丁度この場にいたアウラと違い、コキュートスもルプスレギナもデミウルゴスが連絡をした時には不幸なことにナザリックに戻っており、二人にはウルベルトを出迎えるための準備の時間は皆無に等しかったのだ。
リザードマンの村やカルネ村でのことから慈悲深い創造主は大抵のことは気にしないのかもしれないが、その尊き優しさに甘えるなどシモベとしてはあるまじき愚行だった。
「畏まりました。…しかし少々…、少々お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
「ああ、構わないぞ。折角だ、ゆっくり空の散歩を楽しみながら向かうとしよう」
そうではなく、時間がほしいのです…と誰が口に出せるだろう…。
デミウルゴスは焦る気持ちを決して面には出さず優雅に臣下の礼を取りながら、裏では〈
『プルチネッラっ!!』
『っ!! これわデミウルゴス様!如何いたしましたでしょうか?』
〈
彼特有の気取ったような明るい声音に、デミウルゴスは少しの時間も惜しく手短な説明と共に最重要命令を下した。
『今からウルベルト様がそちらに来られます! 早急に出迎えの用意をしなさいっ!!』
『ウルベルト様がっ!? か、畏まりました、すぐに取り掛かります!』
『とにかく急ぎなさい! どんなに引き延ばせても早くて30分、長くても1時間ほどでそちらに到着するでしょう』
『っ!! 畏まりましたっ!!』
彼もどれだけ切羽詰まった状況か理解したのだろう、大げさなほどの声を上げて早速動き始めたようだった。デミウルゴスも彼の邪魔をしないようにすぐさま〈
どこか楽しそうな様子は光栄ではあるが、今はプレッシャーと不安の方が大きい。
リザードマンの村やカルネ村での失態を思い出し、これ以上ウルベルトに無礼をはたらく訳にはいかないと決意を新たにした。
「楽しみだな。モモンガさんから軽く話を聞いて、ずっと気になっていたんだ。ここからだとどのくらい時間がかかる?」
「…よ、40分ほどかと……」
「? …そうか。まぁ、のんびり行くとしよう」
どこか歯切れの悪い悪魔の言葉に、ウルベルトは思わず小さく首を傾げる。しかし敢えてそこは気にしないことにした。変に突っついて藪蛇であったら目も当てられない。こちらが気にしすぎれば逆に相手に負担を掛けてしまう場合だってある。息子を信じるのも親の務めだ…と自分に言い聞かせ、ウルベルトはアウラやデミウルゴスたちを伴って踵を返すのだった。
結論から言って、デミウルゴスの牧場に到着したのは要塞を出て45分ほど経った頃だった。
一つの大天幕を中心に大小様々な天幕と畜舎と思われる幾つもの木造建築。普通の牧場と違って漂う雰囲気は不気味で、牧場を取り囲んでいる簡易的な柵が逆に異様さを際立たせている。
のんびり空の散歩を楽しみながら到着したウルベルトとデミウルゴスを出迎えたのは、三体のトーチャーを引き連れた純白の道化師だった。
「ようこそおいで下さいました、ウルベルト様っ!!」
「…ああ、お前も元気そうで何よりだ」
大げさな身振りで飛び跳ねた後、深々と跪いて頭を下げる。何とも“道化師”の名に相応しいひょうきんな動きに思わず小さな苦笑を浮かばせながら、ウルベルトは彼らの背後にある牧場を見やった。規模は自分が思っていたよりも大きく、異様な雰囲気とも相まって“牧場”という言葉に少なからず疑問符を浮かべてしまう。
ウルベルトは手振りで彼らを立ち上がらせると、ペストマスクによって見えない道化師の顔を見やった。
「突然来てしまって悪かったな。少し見学させてもらいたいんだが…」
「はいぃっ! 既に準備わできております! ささっ、どうぞお入りくださいませ!」
まるで道を譲るように、身体の向きを変えて再び深々と頭を下げる。
ウルベルトは鷹揚に一度だけ頷くと、背後にデミウルゴスを従えて牧場へと足を踏み出した。前を通り過ぎた二人に、すかさずプルチネッラとトーチャーたちも後に続く。
柵を越えて牧場内へと足を踏み入れたウルベルトは、微かに聞こてきた悲鳴のような音に不思議そうに背後の悪魔を振り返った。
「…そう言えば、何を飼育しているんだ?」
「何種類かおりますが、多くは
「……
優し気な満面の笑みを浮かべる悪魔の様子に、ウルベルトはある隠語を思い出して小さく目を細めさせた。
「……え~と、…何をしているんだったか」
「主に羊皮紙の供給です。他にも治癒魔法の実験や、品種改良での異種交配実験も行っております」
「………なるほど…」
それでこんなに満面の笑みを浮かべているのか…と内心で相槌を打つ。
確かに彼ら悪魔にとって人間は下等生物であり、家畜として扱っても当然なのかもしれない。
しかしそれをアインズが許しているのは何とも違和感を覚えた。
これはアインズが言っていた“精神も人間ではなくなる”という現象故なのか、はたまた家畜の正体に気が付いていないからなのか…。
「…モモンガさんには、きちんと説明しているんだよな?」
「はい、勿論です。報告も定期的にさせて頂いております」
「……因みになんて?」
「? 主に
なるほど、はっきり人間とは明記していないってことか…とアインズが気が付いていない可能性を高くする。まぁ、例えそうだとしてもウルベルトがそれに対して何かをするということは決してなく、どうでもいいことではあるのだが。
別に誰かが困っている訳でもないし良いだろう…と、
奥に行けば行くほど強くなっていく叫びと生臭いにおい。人間の感覚では強い吐き気と嫌悪感を感じるはずのそれらは、しかしウルベルトには福音や良い香りに思えるものだった。
確実にウルベルトも精神の悪魔化が進んでいる。人間としての精神も未だ確かに残ってはいるが、それでも確実に人間を捨ててしまっている現状に、しかしウルベルトは取り立てて何も感じることはなかった。
別に人間としての自分を殊更気に入っていたわけではない。どんなに身体が変わろうが、どんなに精神が変化しようが、自分が“ウルベルト・アレイン・オードル”という存在であることには変わりないのだ。そう考えれば、むしろ悪魔としての強靭な肉体や強剛な精神を持てて僥倖と言えるだろう。
ウルベルトは自分の明確な変化に肩をすくめるだけで軽く流し、皮剥ぎ作業を行っているという天幕へと向かった。
泣き叫ぶ声と血生臭いにおいが一層濃くなっていく。
多くのトーチャーがウルベルトたちに気が付いて頭を下げる中、丁度作業中の区画を見つけてウルベルトは足を止めた。
二体のトーチャーに連行されて羽交い絞めに拘束された一人の“
一体のトーチャーが拒絶するのも構わずに治癒魔法で傷を癒している中、もう一体のトーチャーが綺麗に剥ぎ取れた皮を徐にウルベルトへと差し出してきた。深々と跪いて差し出してくる様は、まさに貴重な品物を王に献上する配下そのものである。
未だボタボタと血を滴らせている皮を見つめ、ウルベルトが思ったことは唯一言。
いや、今渡されてもどうすりゃいいんだよ…という何ともあっけらかんとしたものだった。
そこには皮を剥ぎ取られた者に対する配慮も、皮を剥いだ悪魔たちへの嫌悪もありはしない。あるのは唯の無機質な感想のみだった。
「…あ~、見事な皮剥ぎだったぞ。俺としてもお前たちの成果を手にしたいのはやまやまだが、今は少し具合が悪い。その皮は通常通り処理してくれ」
言葉を選びながら切々と言えば、トーチャーは頷くように更に深々と頭を下げて差し出していた皮と共に下がっていった。
もう一体のトーチャーと共に再び作業を開始するのを横目に、ウルベルトは背後のデミウルゴスを振り返った。
「お前も皮を剥いでいるのか?」
「いえ、私はあまり大天幕から出られませんので…、主にプルチネッラやトーチャーたちが行っております」
心なしか残念そうな色を浮かべる悪魔に、ウルベルトは納得して一つ頷いた。
冷酷残忍で残虐な悪魔である彼らにとって、人間の苦痛は何よりの美酒と成り得る。目の前にこんな美味しいものがあって手が出せないというのは、どんなに口惜しいことだろう。今は自分も同じ悪魔で心情が理解できるだけに、ウルベルトは苦笑を浮かべて慰めるように軽くデミウルゴスの腕を叩いた。本当は肩を叩きたかったのだが、子供の姿では手が届かないため非常に無念である。しかしウルベルトは自分のプライドにかけてそれを面に出すことはなく、他の場所を見るために踵を返した。創造主との思わぬ触れ合いに嬉しそうな笑みを浮かべていたデミウルゴスも慌ててその後に続く。
デミウルゴスやプルチネッラ、複数のトーチャーたちをぞろぞろと引き連れたウルベルトは、他にも多くの“おもてなし”を受けることになった。
ウルベルトは悪魔部分の自分が残忍な笑みを浮かべているのを感じながら、未だ背後に控えているデミウルゴスやプルチネッラを振り返った。
「非常に有意義な時間だった。ありがとう」
「っ!! いいえ、ウルベルト様に少しでも満足して頂けたのなら、それに勝る喜びはございません!」
「デミウルゴス様の仰る通りでございます! 家畜たちも至高の御方であるウルベルト様の存在に触れることができ、喜びに咽び泣いていることでございましょう!!」
デミウルゴスの言葉は兎も角、プルチネッラの言葉は何とも首を傾げてしまう内容だ。
しかしツッコミを入れる様な無粋なことはせず、ウルベルトは胸元から懐中時計を取り出した。
示された時間は他の場所を回るには足りず、ナザリックに帰るには丁度いいものだった。
「そろそろ良い頃合いだな。…ナザリックに帰還するぞ、デミウルゴス」
「はい、ウルベルト様」
手にしていた懐中時計を胸元に戻しながら悪魔へと声をかける。
すぐさま傍らに控えるデミウルゴスを横目に見やり、ウルベルトは目の前のプルチネッラたちに別れを告げて〈
「お帰りなさいませ、ウルベルト様」
いつからここで控えていたのか、深々と礼を取ったユリ・アルファとシズ・デルタに出迎えられる。
こんなところまで王様待遇か…と内心で苦笑を浮かべながら、ウルベルトは至高の存在らしく少し偉そうに頷いて返した。
「…出迎えご苦労。何か変わりはなかったか?」
「はい、何もございません」
「そうか。…モモンガさんは?」
「ただいまナーベラルと共にエ・ランテルに出ておられます」
「なるほど…。では、モモンガさんが戻り次第知らせに来てくれ」
「畏まりました」
再び深々と頭を下げる二人の前を通り過ぎ、デミウルゴスを連れてナザリックの中へと入っていく。
後ろではデミウルゴスだけでなくユリやシズもゾロゾロと後に付き従い、その仰々しさに少し辟易させられる。ここはさっさと撤退した方が良さそうだ、とウルベルトはすぐに行動を起こすことにした。
「俺は第九階層に戻る。お前たちは持ち場に戻れ。デミウルゴスは俺と共に来い」
「「「畏まりました」」」
デミウルゴス、ユリ、シズの三人が全く同時に頭を下げて礼を取る。
完璧なシンクロに内心で感嘆の声を上げながら、ウルベルトはデミウルゴスの手を握りしめた。まだまだ小さな子供の身体であるため、手を握るにしても少し爪先立ちしなくてはならないという現実が辛い。しかしそんな葛藤はおくびにも出さず、ウルベルトはさっさと指輪の力を発動させた。
転移した先は第九階層のウルベルトの部屋……ではなく、大浴場施設である“スパリゾートナザリック”の前だった。
「ウ、ウルベルト様…? ここは……」
「うん? 大浴場だよ、お前も知っているだろう。モモンガさんからお前たちと風呂に入ったことがあると聞いてな。俺もお前と入りたいなと思ったんだ」
「っ!! それは、とても光栄なことではございますが…、申し訳ございません。そこまで思い至らず、準備をしておりません…」
自分の察しの悪さに絶望していると言わんばかりに落ち込むデミウルゴス。
何故そこまで落ち込むんだと思わないでもなかったが、ウルベルトは徐に宙へと手を伸ばした。
「そんなに深刻にならなくても良いだろう。それに風呂支度ならこちらで用意しておいた」
宙に出現させたアイテムボックスから二人分の着替えなどを取り出して笑みを浮かべる。
何故ウルベルトがデミウルゴスの服まで持っているのかというと、実はユグドラシル時代に作りかけていたデミウルゴスの服が今でも残っており、それを完成させて今回アイテムボックスにしまっておいたのだ。サプライズとして渡す機会をずっと伺っていたのだが、これは良いタイミングに渡せそうだと内心でニンマリとした笑みを浮かべる。
しかしデミウルゴスはそれどころではない。
仕えるべき至高の主に逆に手間を取らせてしまった、と絶望に顔を蒼褪めさせる。できることなら今すぐ首をかき切って自害してしまいたい…と思い詰めている悪魔に、しかしウルベルトは幸か不幸かまだこの世界に来て日が浅いためデミウルゴスの様子に全く気が付いていなかった。ウルベルトの感覚では自分の行動はどこまでも子供の世話を焼く親のもので、デミウルゴスが思い詰めてしまうだろうという考えに思い至らなかった。
「ほら、さっさと行くぞ!」
“男”と書かれた暖簾に歩み寄りながら明るい笑顔と声に促され、もはやデミウルゴスには何も言葉にすることができない。申し訳なさや恐れ多さ、恐怖にも似た不安を抱えながら、デミウルゴスは恐る恐るといったようにウルベルトの後を追って暖簾の奥へと入っていった。
ロッカールームではウルベルトが服を脱ごうと悪戦苦闘している。いくら精神は大人であっても操るのは幼子のものであるため、短い手足がどうにも動かしにくくてならなかった。
「ああ、どうか私にお任せ下さい!」
少しでも先ほどの失態を挽回しようと、すぐさまウルベルトの元へと歩み寄る。ジタバタしていた手足を止めて見上げるウルベルトに、デミウルゴスはにっこりとした笑みを浮かべて手を伸ばした。「失礼いたします」と一言断りを入れ、手際よくウルベルトの服を脱がしていく。ウルベルトは大人しくされるがままだったが、粗方脱がされたところで逃げるようにデミウルゴスの手から離れた。
「後は自分でできるからお前もさっさと脱げ。早く風呂に入るぞ!」
その様は完全に可愛らしい幼子そのものだったが、ウルベルト本人は全く気が付いていない。
いつにない落ち着きのない創造主の様子に思わず笑みを浮かべそうになりながら、しかし早く早く!と急かされてデミウルゴスは慌てて自分の服に手をかけた。今にも風呂場に走っていきそうな主の勢いに少しばかり焦りを浮かべる。
ウルベルトは逸る気持ちを必死に抑えながら、デミウルゴスが全て服を脱ぎ去ったのとほぼ同時に風呂場へと駆けていった。
目の前に現れた広大な絶景に思わずおおっ!と感嘆の声を吐き出す。
今まで数人用の別の浴室を使っていたウルベルトは、実際にこの大浴場に来たのは初めてだ。これがベルリバーとブルー・プラネットの努力の結晶かと思うと感動も一入だ。
「ウルベルト様、どうか御足もとにお気を付け下さい」
「ははっ、大丈夫だよ。いくら今の俺でも転んだりはしないさ」
未だ浮足立っている様子では全く説得力がない。しかしウルベルトは気にする様子もなく、桶と風呂椅子を取って一番近くのジャングル風呂の洗い場に向かっていった。
草木の生い茂る自然豊かな洗い場に、真っ黄色の桶はひどく違和感に目に映る。
けれど何かしらこだわりの結果だということは理解していたため、当時もウルベルトを含めた他の仲間たちもあまり何も言わなかったことを覚えている。
「ウルベルト様、お背中をお流し致します」
「そうか? …じゃあ、頼もうかな」
他人に世話を焼かれるのは少し気恥ずかしいが、これも親子の触れ合いと思えば気恥ずかしさよりも照れに似た暖かな気持ちが湧き上がってくる。正直今の幼い子供の身体では全身は兎も角としても、角や尻尾まで磨き上げるのは結構な労力なのだ。手伝ってくれるのなら、それは有り難い以外ない。
ウルベルトは風呂椅子にちょこっと腰を下ろすと、そわそわとしながらもデミウルゴスに背を向けた。
その小さな背に、デミウルゴスは跪きながらもどこか切ない思いが湧き上がるのを止めることができなかった。
ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”全盛期に見ていた大きな背に比べれば、ひどく小さく頼りない背中。当たり前だ、主は今幼い子供の姿をしているのだから。しかし分かってはいても言いようのない感情が胸を占め、デミウルゴスは静かに小さな背に手を伸ばした。
絹のような手触りの真っ白な毛を感じながら、泡立たせた石鹸で丁寧に洗っていく。触れているため、毛皮の下の彼の背中が幼い姿の割には鍛えられていることが感じ取れる。デミウルゴスは勿論の事、純粋な
そんな背後の悪魔の思いに気づくこともなく、ウルベルトはただ気持ちよさそうに目を閉じて悪魔の手に身を委ねていた。角の付け根までまるでマッサージされているかのようで、絶妙な力加減にうっとりとしてしまう。お前マッサージ師にもなれるんじゃないか?と悪魔の万能さに少なからず内心で舌を巻いた。
丁度いい温度の湯によって泡を洗い流され、ウルベルトは衝動的にプルプルと小さく水滴を飛ばした。
「ありがとう、デミウルゴス。よし、次は俺が洗ってやろう!」
「いえっ! ウルベルト様にそのようなことをさせて頂くわけには参りません!!」
「…え~…」
慌てたように勢いよく首を振る悪魔に、ウルベルトはつまらなさそうな表情を浮かべる。
背中の流し合いの一方通行ってどうなんだ…と内心でツッコミを入れる。
しかしウルベルトはすぐさまその考えを改めることにした。
正直言って今でもデミウルゴスの背中を流してやりたいという気持ちはある。しかしウルベルトとデミウルゴスの身体の大きさの差が一番のネックになっていた。
逆であるならばまだ良い。
けれど今の現状ではウルベルトがデミウルゴスの背を流すにはそれなりの時間がかかってしまい、その間にウルベルトの身体は少なからず冷えてしまうだろう。子供でも悪魔であるのだから身体が冷えてもどうということはないのだが、それをデミウルゴスがひどく気にすることは目に見えていた。
「…分かったよ。お前も早く来いよ」
「はい、ウルベルト様」
仕方がないことではあるが、素っ裸で礼を取る光景は非常にシュールである。
ウルベルトはさっさと踵を返すと、大きな湯船へと歩を進めた。朦々と立ち込める湯気をかき分けるように中へと入り、熱い湯の中へと身を沈める。少し熱めの熱が全身を優しく包み込み、思わずはふっと小さな息をついた。
「…あ~、いい湯だな」
疲労など感じてはいなかったが、それでも実際に湯に浸かってみればため息にも似た息をついてしまうのだから不思議である。
何となく湯を掬って零すという遊びを繰り返す中、身体を洗い終わったデミウルゴスが一言の断りと共に湯船に入ってきた。
丁度いい空間を挟んで向かい合うように浸かる悪魔を見やり、ウルベルトは無意識に小首を傾げた。
服を脱いでいる時から思っていたが、目の前の悪魔は本当に理想の体付きをしているな~としみじみ見つめてしまう。
鍛え抜かれた筋肉に覆われた、細く引き締まった身体。浅黒い肌にはしっかりと筋肉の起伏が刻まれており、まさに細マッチョという体付きをしている。当たり前だが服の下まで作り込むことはできず設定もしていなかったのだが、その形はまさにウルベルトがこうだったら良いな~と思うイメージそのままだった。
「…ウルベルト様?」
「…あぁ、いや、何でもない。…そう言えば、モモンガさんたちと来た時はどの風呂に入ったんだ?」
不思議そうな表情を浮かべるデミウルゴスに首を横に振り、話を逸らすように問いかける。
「確か、こちらの湯船のみでございます」
「それは勿体ないな。確かここには他にも柚子風呂や炭酸風呂、ジェットバスとか…チェレンコフ湯なんてもんもあったはずだ。折角だ、後で幾つか回ってみよう」
「はい、ウルベルト様」
次々と出てくる風呂の種類に驚きの表情を浮かべていたデミウルゴスだったが、続いてかけられたウルベルトからの誘いに満面の笑みを浮かべて頷いてくる。
ウルベルトはにっこりと笑い返すと、次はどの湯船に向かおうかと楽しそうに思考を巡らせた。
**********
「はぁ~、良い湯だった~…」
デミウルゴスを伴って暖簾をくぐったウルベルトは、満足そうなため息を大きく吐き出した。
複数の湯船に浸かった小さな身体は未だポカポカと気持ちの良い温度を宿らせている。まるで自分の身体が湯たんぽになったかのような感覚に、ウルベルトは満面の笑みを浮かべた。
チラッと後ろの悪魔を見てみれば、彼も満面の笑みを浮かべているのが見てとれる。
サプライズで渡した服も感涙を流すほど喜んでくれたし、少しでも楽しんでくれたようで良かったと小さく目を細めさせ、さてこれからどうするかと思考を巡らせた。このまま明日に備えて別れても良いのだが、それもなんだか物足りなく思えてつまらない。もしデミウルゴスさえ良ければ一緒に食事をしても良いかもしれない。
新たな思い付きに満足して、ウルベルトは満面の笑みを浮かべた。
早速悪魔に提案してみようと視線を巡らせたその時、不意に視界に入り込んできた一つの影にウルベルトは咄嗟に動きを止めた。歩いていた足も止め、影の正体を真正面から見つめる。
「……ウルベルト様…」
こちらに歩み寄ってきたのは真剣な表情を浮かべたアルベド。
深刻な声音で名を呼んだ後深々と頭を下げてくるのに、ウルベルトは無意識に目を細めさせた。
「どうした、アルベド?」
「……至急お伝えしたいことがございます。できれば、デミウルゴス…あなたも…」
どちらか片方だけではなく、二人同時に話があるとは正直悪い予感しかしない。
しかし聞かないという選択肢などはなく、ウルベルトは大きなため息を一つ吐き出した。
ウルベルトさんの尻尾はウサギみたいな奴じゃなくて、牛(?)のようなものをご想像ください。
『山羊 しっぽ』で画像を検索して頂ければイメージが分かりやすいと思います!