仔山羊悪魔の奮闘記   作:ひよこ饅頭

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第4話 ナザリック珍道中

 ウルベルトの帰還を正式に公表してから一週間と少し。

 ワインだけでなくナザリックの料理人たちが腕を振るう料理も口にするようになったウルベルトは文字通りすくすくと成長していた。今では5歳ほどになり、身長も最初の約50cmから二倍の100cmまで伸びている。言葉の呂律は流暢になり、身体の動きも全体的にスムーズだ。衣服も既に何着か用意され、今では立派なミニチュアな仔山羊頭の悪魔となっている。最も元の彼とは少し違い、身に着けている服装はスーツではなかったが…。

 それは兎も角としてウルベルトは大分成長した自分の身体を見下ろしながら、そろそろ頃合いか…と行動を起こすことにしたのだった。

 

 

 

「………何も今日しなくても…」

 

 ウルベルトが口にした提案に、アルベドを背後に従えたアインズが骸骨の顔にも関わらず顔を顰めさせた。目の前ではウルベルトが肩に引っ掛けた漆黒のマントの裾を小さく弄りながら小首を傾げている。その顔には見慣れた右半分を覆う特徴的な仮面が装備されており、“慈悲深き御手”もマフラーのように首にぐるぐる巻きに巻かれている。

 

「いや、そろそろ大丈夫かと思いまして…。大体、今まで渋っていたのはモモンガさんじゃないですか」

「それは…まぁ、そうですけど……」

 

 少し嫌味っぽく敬語で言ってくるウルベルトに、アインズは思わず言いよどんだ。

 ウルベルトが言った提案、それはNPCたちへの挨拶回り兼ナザリックの散策だった。

 実はこれは三日ほど前から提案されてきたことなのだが、その都度アインズからまだ早いと言われて引き延ばしにされてきたのだ。まぁ、今まで一人での歩行さえ満足にできなかったのだから反対されても仕方がなかったことだろう。しかし何故しっかりと成長した今でもアインズが反対しているのかというと、全ては今日という日が原因だった。

 

「何も、俺がモモンとして出かける日にしなくてもいいじゃないですか…。俺だって、ウルベルトさんと一緒にナザリック巡りしたいです」

「我儘言わないで下さいよ、子供じゃないんですから」

 

 にべもなく冷たくあしらわれ、アインズはグッと黙り込んだ。その背後では、静かに控えていたアルベドが顔を強張らせ、ピクピクと腰に生えた漆黒の翼を小刻みに震わせている。しかしアインズは彼女の様子にまったく気が付いてはいなかった。そんな事よりも、経験上ウルベルトがこんな態度を取るのは相当彼が怒っている時だと知っていたからだ。けれどアインズには彼が怒っていることは分かっても、何故こんなにも怒っているのかが分からない。恐らくナザリック内の散策をずっと引き延ばしにしてきたことではないだろう。では一体何故…?

 

「……あの、ウルベルトさん。何をそんなに怒ってるんですか…?」

「あはは、怒ってなんかいませんよ。ええ、まったく、これっぽちも。何かの勘違いじゃないですか、“アインズ様”?」

「っ!!?」

 

 ウルベルトの口から飛び出てきた聞き間違えようのない呼び名。

 思ってもみなかった出来事に、アインズはギョッとするのと同時に何故彼がここまで怒っているのかが分かってしまった。

 

「なっ、まっ、待って下さい! 誰に聞いたんですか!?」

「…デミウルゴスからですよ。けど、その前にNPCたちが“アインズ様”“アインズ様”呼んでんですから普通気が付くでしょう! 何であの時に一緒に話してくれなかったんですか! それとも俺が怒るとでも思ってたんですか!?」

「ちっ、違います! まずは落ち着いて下さい!」

 

 苛立たし気に捲し立てられ、慌ててマシンガントークを止めさせる。いつデミウルゴスから聞いたのかは少し気になったが、今はそんなことを聞いている場合ではない。とにかく誤解を解かなければ…と真摯な思いが伝わるように片膝をついて仔山羊に目線を合わせた。しかしウルベルトにとっては気に食わなかったようで、まだまだ幼い仔山羊の顔を不機嫌そうに顰めさせた。

 

「…ちょっと、それすっごくムカつくんで止めてもらえません?」

「もう、意地悪を言わないで下さい!」

「はぁ…、分かりましたよ。それで…?」

 

 大きなため息をついた後、今までの態度は改めて真っ直ぐにこちらへと向けられる金色の瞳。怒りの消えた静かすぎる瞳に、逆に気圧されそうになってしまう。

 

「実は…その……。………わ…」

「…わ…?」

「………忘れてたんです…」

「……………………は………?」

 

 仔山羊の小さな口から間の抜けた声が零れ出る。金色の瞳は驚愕に見開かれ、信じられないというように凝視されて、アインズは居た堪れなさに思わず視線を逸らした。彼の逸らされぬ視線が痛く感じられて仕方がない。

 

「…その、すみませんでした…。NPCたちが俺のことを“アインズ”と呼ぶことに慣れてしまっていて…、ウルベルトさんから“モモンガ”って呼ばれるのも当たり前だと思っていたし…、ウルベルトさんから質問されなかったので、つい……」

「……なるほどな…」

 

 申し訳なさそうにこちらを伺いながら、その名を名乗るようになった経緯も含めて説明される。それに耳を傾けながら、ウルベルトは神妙な表情を浮かべる中で内心納得に頷いていた。

 確かに慣れて当たり前…ある意味常識になってしまったものを思い至って説明することは難しい。加えてアインズの場合、自分の帰還に未だに心を浮足立たせていることも大きな要因の一つだろう。

 

「…はぁ、もう分かりましたよ。そんなこと言われたら、もう怒れないじゃないか」

「はは、ありがとうございます。…でも、どうして今まで黙ってたんですか?」

「あの場にはデミウルゴスやパンドラズ・アクターもいただろう? あいつらの前で話さなかったから何か理由があるのかと思って聞けなかったんだよ。だから話してくれるのを待ってたんだが、…まぁ、最終的には我慢できなくなってデミウルゴスに聞いたわけだが…」

 

 自分の我慢のなさが幼子そのもののようで、今度はウルベルトが気まずそうに視線を逸らす。しかしアインズにとってはそんな事よりもウルベルトの心遣いの方が嬉しかった。同時に、ユグドラシル時代では『悪』に拘っていた彼だけれど意外と真面目で真っ当な人間であったことも思い出す。少なくとも仲の良いギルドメンバーに対しては紳士的でいて気遣いのできる“いい男”だった。最も自分や仲間たちがそう褒めれば、『嫌味かっ!』と逆に不機嫌になられたものだが…。

 

「まぁ、モモンガさんが“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗るのは正解だな。今後、俺のようにメンバーがこちらの世界に来る可能性もゼロじゃない。その際、ナザリック内で出現するとは限らないからな」

「…そうですよね」

「それで? 俺も“アインズ”と呼んだ方が良いのか?」

「や、やめて下さい! ウルベルトさんの前では、俺はどこまでも“モモンガ”です!」

「…分かった、公の場以外はいつも通りに呼ぶ」

「ありがとうございます、ウルベルトさん」

 

 骸骨の顔では表情は浮かばないが、それでもアインズが柔らかな笑みを浮かべているのが分かる。

 しかしそれに応えるウルベルトの笑みは、可愛い仔山羊の顔には似つかわしくない不敵な笑みだった。

 

「じゃあ、問題は解決したな。もう行った方が良いぞ、モモンガさん」

「いや、だから…、俺も一緒に………」

「もう、我儘言わないで下さいよ。俺は子供…だけど、少なくとも中身は子供じゃないんですよ」

「……うぅ…」

 

 再びの敬語と呆れたような表情に、アインズの口から寂しそうな呻き声が漏れる。勿論それはウルベルトの耳にも届いていたが、そこは敢えて気がついていない振りをした。

 ウルベルトとて、アインズの思いが唯の我儘ではないことくらい分かっている。しかしこのナザリック巡りにはどうしても彼を同行させる訳にはいかなかった。

 

「どうしても心配ならアルベドをつけてくれ。彼女なら今のナザリックにも詳しいだろう?」

 

 だからわざと微妙に話を逸らしてアインズの背後の女を示す。

 彼女は今や深く顔を俯かせて両手でドレスの裾をきつく握りしめていた。握り締められている部分はいくつもの皺が寄り、拳は勿論翼さえ相も変わらず小刻みに震えている。必死に感情を抑え込もうとしているのが丸分かりだ。仮にも守護者統括が感情を抑えきれず、そもそも感情に流されること自体いかがなものかと思わないでもなかったが、まぁ今は取り敢えず流しておく。変につついてこの場が混乱するのも面倒だ。そのため、アインズがアルベドを振り返ろうとするのを阻止することも忘れない。

 

「ほら、ナーベラルが待ちくたびれてるぞ」

「…うぅ、分かりましたよ。…その代わり、戻ったら今日のこと絶対に教えて下さいね!」

「はいはい、分かったから。早く行かないと本当に遅れるぞ」

 

 視線をウルベルトに戻して必死に言い募るアインズに、思わず呆れたようなため息が零れ出る。ウルベルトは未だ未練がましく言葉を続けようとするアインズの身体を無理やり反転させると、その背を押して必死に行くよう促した。

 傍から見れば恐ろしい死の支配者(オーバーロード)が可愛らしい二本足の仔山羊に背を押されているという何とも滑稽なものだっただろう。

 しかし当人たちがそれに気が付くはずもなく、何とかアインズを送り出したウルベルトはフゥッと大きな息をついてアルベドを振り返った。

 

「よし、じゃあ俺たちも早速始めるか。今日はよろしくな、アルベド」

「………畏まりました。お供致します、ウルベルト様」

 

 アインズの背後で見せていた態度が嘘であったかのように優雅な動きで深々と頭を下げる。しかしウルベルトは、その美しく輝く金色の瞳が一瞬細められるのも、こちらの返答に不自然な間があったのも見逃さなかった。

 ナザリックのシモベであれば、どちらも決して許されないもの。

 だがウルベルトは敢えて何も気が付いていない振りをした。その裏で、自分の思い通りに事が進んでいると確信して内心でほくそ笑む。

 しかしそんな表情はおくびにも出さず、ウルベルトは爽やかなまでの笑みをアルベドへと向けた。

 

「下から順に行っていこう。確か、アルベドはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っているんだったな?」

「はい、モモ……アインズ様より賜っております」

「そうか。なら問題ないな」

 

 純白の手袋に覆われた細い左手薬指に煌めく深紅の光。まるでその指輪自体がアインズであるかのように愛し気に撫でる女を横目に、ウルベルトはさっさと指輪の力を発動することにした。

 一瞬で視界が暗闇に染まり、先ほどとは違う景色が姿を現す。

 

 そこは一面に広がる広大な荒野。

 ここは第八階層、ヴィクティムが守護する階層だ。

 一見何もないように見えるが、ここは非常に危険なエリアであり、通常であれば容易な立ち入りは許されない。しかし今回はヴィクティムのいるセフィロトにのみ立ち入るという条件でアインズからも許可を得ていた。

 旧約聖書に語られる生命の樹と同じ名を与えられたヴィクティムの住居。

 ウルベルトは一面茶色い荒野の景色には似つかわしくない緑豊かな一本の大樹を見上げ、アルベドが背後に転移してきたのと同時に大樹の穴へと足を踏み入れた。

 

「ヴィクティム、いるか?」

「これはウルベルトさま! おんみみずからごそくろうをおかけしてしまうとは!」

「いや、ナザリック内の散策も兼ねているからな。気にするな」

 

 身体ごと向き直ってきたのは一見ピンク色の100cmほどの肉の塊。しかし長方形気味の肉塊には小さな目と小さな手足がついている。背中には枯れた枝が翼のように二本生え、頭上には天使の輪っか、尻にはヒョロッとした尻尾がピコピコ揺れていた。

 本来の姿であれば可愛らしく思えただろう異形の胎児。

 しかし今のウルベルトの身長はヴィクティムとほぼ同じであり、目の前の赤ん坊は中々に迫力があった。

 

「………ヴィクティム、一つ頼んでもいいか?」

「はい、なんなりと」

「………………抱っこしてもいいか…?」

「…………は……?」

 

 奇怪な言葉が不自然に止まる。

 ヴィクティムにとって…いや、この場にいる誰にとってもウルベルトが発した言葉は理解に苦しむものだろう。その証拠に後ろに付き従っているアルベドも、彼女にしては珍しく唖然とした表情を浮かべている。

 ヴィクティムは胎児ではあるものの、その見た目からも分かる通り決して愛玩NPCではない。しかし悪魔であるウルベルトにとってはヴィクティムの姿も迫力はあるものの十分可愛らしく見えたのだ。

 是非ともこの赤ん坊を抱いて、ぷにぷにしてみたい。

 目の前で戸惑うヴィクティムを尻目に、ウルベルトは小さな手を赤ん坊へと差し伸ばした。その態度は誰が見ても『おいで』と言っているものだ。

 至高の御方にそこまでされてこれ以上待たせる訳にもいかず、ヴィクティムは恐る恐るウルベルトの元へと飛んでいった。

 小さな両手がヴィクティムの身体を捉え、ほぼ同じ体躯を抱え上げる。そのまま大好きなぬいぐるみを抱きしめる子供のようにウルベルトはヴィクティムを抱きしめた。予想以上のぷにぷに感と気持ちよさに、思わず至福の笑みを浮かべる。

 

「………ああ、持って帰りたい…」

 

 思わず言葉が漏れ、頬ずりしそうになる。

 しかし流石に見かねたアルベドによってそれは未遂で止められた。

 

「……ウルベルト様、その…」

「…あぁ、分かっている…」

 

 どう言うべきかと言葉を濁らせるアルベドに、ウルベルトは小さく頷いてヴィクティムを抱く腕の力を緩めた。ゆっくりと赤子を離す仔山羊の顔は見るからに残念そうに小さく歪んでいる。

 しかしウルベルトとてヴィクティムを困らせたい訳ではない。

 自身の腕から解放されて再び目の前に浮かんだ赤子を見やり、ウルベルトは金色の左目を小さく細めさせた。

 

「…俺の帰還を歓迎してくれて感謝するぞ、ヴィクティム」

「なにをおっしゃられます! ウルベルトさまのごきかんはわれらナザリックのシモベぜんいんのひがんでございました! こころよりごきかんをうれしくおもいます、ウルベルトさま」

 

 土下座するように深々と頭を下げるヴィクティムに、ウルベルトはただ静かに頷いた。

 顔を上げるように頭の部分を一撫でして促し、柔らかな笑みを浮かべて見せる。

 

「お前の忠義に応えられるよう俺も努めよう」

 

 ウルベルトの言葉に、せっかく上がりかけていたヴィクティムの身体が再び深々と沈む。完全に土下座しているように見える様子に苦笑を浮かべながらウルベルトは踵を返してアルベドを振り返った。

 彼女に一つ頷いて見せ、それとほぼ同時に指輪の力を発動させる。

 先ほどと同じように暗転する視界。

 次に広がった光景は、赤々とした溶岩が流れる場所だった。

 

 ウルベルト自身が多く手を加えることを許された階層、第七階層。

 この階層の守護者であるデミウルゴスが留守にしていることは知っていたが、それでもウルベルトは彼の住居である赤熱神殿へと足先を向けた。

 赤々と流れる炎の河を横目に、見えてきた三つの影に歩み寄る。

 

「…これは、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

「ウルベルト様!」

「アルベド様も!!」

 

 ウルベルトとアルベドの存在に気が付き、三つの影がそれぞれ驚きの声を上げる。

 

「…久しぶりだな、ラース、エンヴィー、グリード」

 

 ウルベルトの目の前で横並びに片膝をつき深々と頭を下げて臣下の礼を取る異形たちに、ウルベルトは親し気に声をかけた。

 彼らはデミウルゴスの直属の配下であるLv80台の悪魔たちである。

 ウルベルトの呼んだ名は全て正式名称ではなく、彼だけが使う略称――ウルベルトは愛称だと言い張るが――のようなものだった。

 ラースと呼ばれた右側の悪魔は、正式名称は憤怒の魔将(イビルロード・ラース)

 鋭い牙を生やした顔は恐ろげで、鱗に覆われた屈強な体付きをしている。太い豪腕は鋭い爪を備えており、蛇のような長い尻尾と燃え上がる翼が特徴的だ。

 次にエンヴィーと呼ばれた中間の悪魔は、正式名称は嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

 黒い革のボンテージファッションに身を包んだ女で、黒い烏の頭をしている。

 最後にグリードと呼ばれた左側の悪魔は、正式名称は強欲の魔将(イビルロード・グリード)

 一見美男子の人間のように見えるが、大きく前が開いた鎧から覗く鍛え抜かれた身体からは蝙蝠のような翼が生え、こめかみからは二本の角が生えている。

 三人ともウルベルトが好む悪魔らしい姿をしており、愛称で呼んでいることでも分かるようにウルベルトのお気に入りの悪魔たちだった。

 

「申し訳ございません、ウルベルト様。デミウルゴス様はただいま外出しておりまして…」

「ああ、分かっている。今回はお前たちに会いにきたんだ」

「わ、わたくしどもにっ!?」

「そんな! お呼び頂ければ、すぐさま馳せ参じましたものを!」

 

 ヴィクティムと同じようなことを口々に言われて思わず苦笑を浮かべる。しかしすぐさま顔を引き締めさせると、ウルベルトは三人に小さな手を差し伸べて立つように促した。

 お気に入りの悪魔たちに傅かれて悪い気はしないが、今は何よりも別の目的を果たさなければならなかった。

 

「今日はお前たちへの挨拶回りをしているんだ。お前たちの手を煩わせるわけにはいかないだろう?」

「何を仰られます! ウルベルト様に対して煩わしいなどと!」

「我らはウルベルト様の忠実なるシモベ。ウルベルト様のご意思やお言葉は我らのすべてでございます」

「慈悲深き我らが主様。我らに気遣いは無用でございます」

 

 片膝をついたまま顔だけを上げて言ってくる悪魔たちに、それが本心からの言葉だと分かるだけに、お前たちは本当に悪魔か…と突っ込みたくなる。しかしその一方で、彼らの真っ直ぐな忠誠心にウルベルトは自分の心がひどく浮き立つのを感じていた。

 現実世界での自分には持ち得なかった全てを持っているはずの存在が今目の前で自分に跪き、絶対の忠誠を向けている。

 自分が絶対的な力を持つ悪魔になったことよりも、彼らの存在に何より胸を熱くさせた。

 

「お前たちの忠義に感謝しよう」

「勿体ないお言葉っ!」

 

 歓喜に身を震わせる悪魔たちに鷹揚に頷きながら、ウルベルトはふと言葉を途切らせて視線を外した。目の前に佇む一見廃墟のような赤熱神殿を見やり、続いてドロドロとマグマが流れる真っ赤な景色を見渡す。

 

「……一度ナザリックを去った俺が言っても説得力がないかもしれないが…、俺にとって、この第七階層とデミウルゴスを始めとするこの階層を護るお前たちは特別な存在だ。再びこの地を踏み、お前たちに出会えたことを何より嬉しく思う」

「ウルベルト様っ!」

「我らも、再びウルベルト様に出会いお仕え出来ることは身に余る至福でございます」

「デミウルゴス様も先ほどのお言葉を聞けば、さぞやお喜びになったことでしょう!」

「…そうだな……。だが今のこの姿では、俺はお前たちの主だと胸を張って言えない。元の姿に戻った暁には再びお前たちに会いに行こう。そして改めて、お前たちの忠義を受け取らせてほしい」

「「「はっ!!」」」

 

 身に余る言葉の数々に、悪魔たちは感涙に咽び泣きながら深々と頭を下げた。

 彼らとしてはウルベルトがどんな姿をしていようが一ミクロンも忠誠心は変わらない。しかし敬愛する至高の主にここまで思われて、誰が否定の言葉を言えるだろうか。勿体ない言葉だと謙遜すること自体、不敬となってしまうだろう。

 

「あ…ウルベルト様、例のものは…―――」

「しーーー!」

 

 そろそろ次の階層へ向かおうとアルベドを振り返る仔山羊に、強欲の魔将(イビルロード・グリード)が引き留めるように声をかける。

 しかしすぐさま振り返ったウルベルトの声によってそれは最後まで紡がれずに遮られた。

 小さな細い人差し指を縦に唇に添え、子供がするような秘密の合図を送る。

 まだまだ幼い仔山羊の顔に浮かんでいるのは、まさに悪戯っ子のような笑みだった。

 

「まだ少しだけ預かっておいてくれ。その時が来れば俺の方から引き取る」

「畏まりました」

 

 三人の悪魔が再び頭を下げ、ウルベルトは改めて踵を返す。

 右手の薬指にはめられている指輪の存在を確かめながら、ずっと黙って控えていたアルベドへと合図を送った。

 

「…ウルベルト様、先ほど強欲の魔将(イビルロード・グリード)が言っていた例のものとは……」

「ああ、まぁ、気にするな。モモンガさんにも今のところ秘密だから他言無用だぞ」

「なっ!! それは…!!」

「そんな事より、さっさと次の階層に行くぞ。第六階層は最後にしたいから、次は第五階層だな」

「あっ、待っ…!!」

 

 しかしアルベドの言葉は最後まで届かない。

 ウルベルトはさっさと指輪の力を発動させると、第六階層をすっ飛ばして第五階層へと転移した。

 熱気の篭った場所から、一気に寒々しい氷河の世界がウルベルトを包み込む。

 幾つもある青白い氷山がまるでダイヤモンドのようにキラキラと輝いてウルベルトの目を楽しませた。

 

「ウルベルト様、先ほど仰られた事はどういう意味なのですか!?」

 

 遅れて転移してきたアルベドから早々に声を上げられる。まるで憎い仇のようにすごい形相で睨まれ詰め寄られるのに、ウルベルトは面倒くさそうに顔だけでアルベドを振り返った。

 

「なんだ、別に第六階層を最後にしても良いだろう。モモンガさんにはまだ話していないが、この子供の身体のせいで本来の力がうまく出せないんだ。練習がしたい」

「そうではありません! 私が聞きたいのは…!!」

「オ待チシテオリマシタ、ウルベルト様」

「…コキュートス」

 

 アルベドの声を遮って不意に聞こえてきた軋むような声。一瞬氷が喋った!?とギョッとするものの、すぐにその正体に気が付いてウルベルトは大きな瞳を瞬かせ、アルベドは咄嗟に黙り込んだ。

 いつの間にいたのか、多くの氷山や氷に同化するようにコキュートスが目の前に立っていた。

 この階層と同じ青白い氷のような巨体であるとはいえ今まで気づけなかったことが少し恥かしい。

 ウルベルトは取り繕うように一つ咳ばらいをすると、気を取り直すように目の前のコキュートスを見上げた。

 

「お前がここにいるとは思わなかったな…。ここに来た俺が言うのもなんだが、お前はリザードマンの村にいると思っていた」

「ハイ、先ホドマデハ確カニリザードマンノ村ニオリマシタ。シカシ、ヴィクティムヨリウルベルト様ガ来ラレルト知ラセヲ受ケ、ココデオ待チシテオリマシタ」

「そうか…。却って手間を取らせてしまって、すまなかったな」

「トンデモゴザイマセン! 守護ヲ仰セツカッタ場デ御方ヲオ迎エスルノハ我ラノ尊キ役目デス」

「そ、そうか……」

 

 分かってはいたことだが、彼らの予想以上の忠誠心の厚さに思わずドギマギする。しかし今までアインズが必死に支配者ロールで築き上げた主従間の信頼関係を自分が壊すわけにもいかず、ウルベルトは努めて上位者である姿勢を保ち続けた。

 

「…コノヨウナ場所デ失礼イタシマシタ。ドウゾコチラヘ」

 

 不意に何かを思い至ったのか、コキュートスがウルベルトを促してくる。

 その先には、氷山や雪に埋もれるようにして存在している巨大な氷河。丁度中央部分にまるで蜂の巣をひっくり返したようなドーム状の建物が見える。

 大雪球(スノーボールアース)…、この第五階層でのコキュートスの住居である。

 恐らくそこに出向けば、最高級のもてなしをしようとコキュートスのシモベたちが嬉々として動くだろう。

 しかしウルベルトは慌ててそれを辞退した。

 

「いや、せっかくだがまたの機会にさせてもらおう。まだ他の階層にも挨拶に行く予定なんでな」

「……左様デシタカ。残念デス」

「すまないな…。…そうだ、また今度リザードマンの村を見学させてくれ。お前の成果を見るのを楽しみにしているぞ」

「ハッ、オ待チシテオリマス」

 

 大きな身体を屈し深々と臣下の礼を取るコキュートスにウルベルトも鷹揚に頷く。

 まさかここでコキュートスに会えるとは思っていなかったが、これは良い意味での予想外だと満足感が胸を満たす。コキュートスに連絡したというヴィクティムのポイントがウルベルトの中で上昇する中、仔山羊は目の前の巨躯をポンポンっと軽く叩いて背後のアルベドを振り返った。

 肩を叩かれたコキュートスは突然の至高の存在に触れられたという事実に混乱と歓喜に固まっていたのだが、幸か不幸かウルベルトは気が付いていない。ただ静かにこちらを観察するように見つめているアルベドへと声をかけた。

 

「よし、では次はシャルティアに会いに行くぞ」

「…第四階層のガルガンチュアは宜しいのですか?」

「ああ、あいつは普段は地底湖に沈んでいるからな。挨拶回りなどで一々起動させてはいらん苦労を使わせるだけだろう」

「畏まりました。それでは第二階層に参りましょう」

「ああ。…ではな、コキュートス」

「ハッ、イッテラッシャイマセ」

 

 背中でコキュートスのキシキシとした声を聞きながら再び指輪を発動させる。

 青白く煌めく光景が闇に呑み込まれ、続いて目の前にボロボロの吊り橋が現れた。吊り橋の先には、元は煌びやかだったのだろう朽ち果てた地下聖殿が静かに佇んでいる。

 恐らくシャルティアはあの地下聖殿にいるのだろうと当たりをつけた。

 

「……面倒くさいな。〈飛行(フライ)〉で行くか」

 

 吊り橋を見下ろしながらウルベルトがボソッと言葉を零す。

 何がそんなにも面倒くさいのか…、それは長ったらしい橋を歩いていくことでは決してない。

 実はこの吊り橋は踏む場所を間違えれば無数の亡者が待ち構える奈落へと落とされる仕組みになっているのだ。亡者たちが至高の四十一人の一人であるウルベルトを襲うとは考えられないが、それでも一々注意を払うのも面倒くさい。

 ウルベルトはさっさと〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えると宙にその小さな身体を浮き上がらせた。続いてアルベドも腰の両翼を羽ばたかせてウルベルトの後へと続く。薄暗い空間をふよふよと泳ぐように進み、些かのんびりとした速度で地下聖殿へと近づいていった。

 そこでふと地下聖殿の前に小さな人影があることに気が付く。

 それは一人の幼い少女だった。

 まるで闇に溶け込んでいるかのような漆黒を纏った肢体。その中で蝋のように白い顔だけが闇の中に浮かび上がっている。

 未だ上空に浮かぶウルベルトを深紅の大きな瞳で見上げ、少女は闇色のスカートの両端を摘まんで深々と頭を下げてきた。

 

「ようこそいらっしゃいんした、ウルベルト様」

「…シャルティア、お前もヴィクティムから知らせを受けたのか?」

 

 地下聖殿の正面の地面へと降り立ちながら未だ臣下の礼を取る少女へと声をかける。シャルティアはゆっくりと顔を上げると、その幼い顔には似つかわしくないニンマリとした妖艶な微笑を浮かばせた。

 

「流石はウルベルト様。そうでありんす。ここでずっとお待ち申し上げておりんした」

「そ、そうか…。ご苦労だったな」

 

 ウルベルトの労いの言葉に、途端にシャルティアの笑顔が妖艶なものから可愛らしいものへと変化する。見た目の年齢と合ったその笑みに、ウルベルトはこちらの方が良いなと内心で頷いた。

 シャルティア・ブラッドフォールン。

 彼女はギルドメンバーの中でも特に仲の良い友人の一人であったペロロンチーノが手掛けたNPCだ。彼のマニアックすぎる趣味趣向を全て詰め込んだ、まさにペロロンチーノの“理想の嫁”とも言える存在。それが目の前で生き生きと動いている事実に、今までにない程の感慨深いものを感じてしまう。もしここにペロロンチーノがいたら、文字通り歓喜に発狂したかもしれない。

 友人を懐かしく思い出しながら、不思議そうにこちらを見つめている少女に気が付いて一つ小さな咳ばらいを零した。

 

「いや、気にするな…。それよりも、この世界に来てナザリックに変わりはないか?」

「…第六階層にはこの世界の生物が何種類か入ってきてはいんすが……、私の守護階層である第一から第三階層は変わりないでありんす」

「そうか、それは何よりだ」

 

 どこか嬉しそうな…安心したような笑顔にシャルティアだけでなく、珍しくもアルベドも不思議そうな表情を浮かべる。互いに顔を見合わせてこちらを見つめてくる美女と美少女に、ウルベルトはまるで教師が教え子に教えるように小さな人差し指を立てて見せた。

 

「シャルティア、お前が守護する第一から第三階層は一番外界からの侵入者が足を踏み入れる場所だ。そんな愚か者にナザリックの偉大さを知らしめるには本来の姿を見せつける必要があるだろう?」

「なるほど、流石はウルベルト様!」

 

 ナザリックの偉大さを見せつけることで、いかに自分が下等な存在であるのかを自覚させる…それはまさに強者である我々のなすべきことであろう。

 ウルベルトの言葉に賛同して目をキラキラさせるシャルティアに、ウルベルトは気恥ずかしさと照れでむず痒くなるのを感じていた。恐らくアインズも今まで同じようなことを何度も味わってきたんだろうな~…と少しだけ遠い目になる。これからは少しでも分かち合っていければと望みながら、ウルベルトは次にすべきことに思いを馳せて気を引き締めさせた。

 

「シャルティア、時間を割かせてしまってすまなかったな。お前と話せて嬉しかったぞ」

「とんでもございません! ウルベルト様にお越し頂き、お声をかけてくださって身に余る光栄でありんす」

「お前の俺たちに対する愛に感謝しよう。これからも宜しく頼む」

「はいっ!」

 

 ウルベルトの言葉にシャルティアが感極まったように再びスカートの両端を摘まんで深々と頭を下げる。完璧な臣下の礼にウルベルトはフッと笑みに金色の瞳を細めさせると、“最期の段階”に進むために一つ息をついた。

 指輪の力で転移する前に目的の人物に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。

 一直線に線が飛び、確かに繋がる感覚。

 聞こえてた可愛らしい声にウルベルトは思わず小さく仔山羊の顔を綻ばせた。

 

『ウルベルト様!? 如何されましたか?』

『突然すまないな、アウラ。今から少し円形劇場(アンフィテアトルム)を使わせてもらいたいんだが』

『あっ、分かりました! それではすぐに用意を…』

『いや、用意はしなくていい。ちょっと危険かもしれないから俺が呼ぶまで誰も円形劇場(アンフィテアトルム)に近づけさせないでくれ。もちろん、お前やマーレもだぞ』

『えっ、ウルベルト様っ!?』

『それじゃあ、よろしくな』

 

 まだ何か言おうとしていることは分かっていたが、敢えて気づいていない振りをしてそのまま〈伝言(メッセージ)〉を切る。アルベドに視線を向け、右手薬指にはめられた指輪を見せることで合図を送った。

 

「…よし、最後は第六階層の円形劇場(アンフィテアトルム)に向かうぞ」

「……畏まりました」

 

 ウルベルトが〈伝言(メッセージ)〉を使っていたことに気が付いているだろうに何も聞かず、ただ静かに頷いて頭を下げる。

 どこまでも従順なその姿が返って不気味で不自然に見えるのに気が付いていないのか…。

 いや、気が付いていないからしているんだよな…と内心で肩をすくめながらもウルベルトは何も言わなかった。

 どちらにせよこれからすることは変わらないのだから、今何を言ってもどうしようもない。それよりも早く終わらせてしまおう…とウルベルトはさっさと指輪を発動させた。

 今日は既に何度も経験した暗転が起こり、次に目に飛び込んできたのは広大な広場。

 ローマのコロッセをイメージしたそこは、第六階層に存在する円形闘技場だ。観客席は多くのゴーレムで埋め尽くされ、ギルドメンバー用のVIP席のみが空席となっている。

 ザッと周りを見回し先ほどの〈伝言(メッセージ)〉で伝えた通り、この場に誰もいないことを確認する。遅れてアルベドが背後に転移してきたことを気配で感じ取り、ゆっくりと彼女を振り返った。

 小さな仔山羊と一人の美女が広場の中心でポツリと向き合う。

 まるで観察するように鋭い視線が突き刺さるのを感じながら、ウルベルトは殊更ゆっくりと片手を差し出すように伸ばした。

 

「さて、そろそろ終わりにしようか…アルベド」

 

 響き、鼓膜を震わせるのは、悪魔に相応しい甘やかな誘惑の音。

 向けられる金色の片目が不気味に細まり、小さな口がニンマリと三日月型に歪んだ。

 

 




ヴィクティムの話し言葉は最初は小説と同じような形にしたかったのですがルビがうまく作動せず断念しました。
無念……。
それぞれの階層の描写を書いていますが、原作と間違っていたりしたら申し訳ないです…。
その際は誰か教えて下さると本当に助かります……(深々)

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