仔山羊悪魔の奮闘記   作:ひよこ饅頭

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アインズ様の表記は、『モモンガ』ではなく『アインズ』で統一しています。
違和感などありましたらご了承ください…。


第3話 小さな災厄の幕開け

 アインズは途方に暮れていた。

 目の前には寝台の上にちょこんっと座り込んだ仔山羊がおり、アインズは豪華な椅子に腰を下ろして仔山羊と向かい合っていた。

 瞳孔が横に長い金色の瞳と、紅の眼窩の灯が宙で混じり合う。

 アインズは上体を屈ませると、大分低い位置にある仔山羊の目へと目線を合わせた。

 

「……ウルベルトさん、何か食べませんか?」

「……………………」

「ああっ、寝ないでくださいよ!」

 

 うつらうつらし始める仔山羊に慌てて声を上げる。しかしアインズの言葉も虚しく、目の前の仔山羊はこてんっと寝台に転がった。金色の瞳は閉じられ、クゥクゥと寝息を零し始める。

 完全に寝入ったその姿に、アインズはガクッと大きく肩を落とした。

 

 ウルベルトが五体の黒い仔山羊たちの集合体から生まれ出てから早三日。アインズとウルベルトはこれまで幾度となく今と全く同じことを繰り返していた。

 赤ん坊にとって眠ることは良いことだ。寝る子は育つと良くいうし、ウルベルトに必要なことならばアインズとてそれを止めるつもりはない。しかし食事をせずに眠り続けるのはいかがなものだろうか。

 ユグドラシルでのウルベルトは最上位悪魔(アーチデビル)であり、飲食や睡眠は不要だ。それが大いに関係しているのかもしれないが、別に食べられないわけではないのだし実際に睡眠はとっているのだから飲食も必要なのではないだろうか…。

 

 

「アインズ様、パンドラズ・アクターでございます! 入室させて頂きます!」

 

 呑気に眠りこけているウルベルトを恨めし気に見つめる中、パンドラズ・アクターがノックと大きな声と共に部屋へと入ってきた。両手には大きなワゴンの取っ手が握られ、コロコロと小さな音を響かせながらアインズの近くまで歩み寄る。

 

「おや、ウルベルト様は再びお休みに?」

「ああ、そうなのだ。今日こそは何か口に入れてもらおうと思っていたのだが…」

 

 あるはずのない肺を使ってため息を吐き出しながらアインズは座っていた椅子から立ち上がった。後ろに置いてあるワゴンを振り返り、その上に置いてある色とりどりのピッチャーを見やる。

 

「何を持ってきたんだ?」

「すぐに摂取しやすいように各種の飲み物をご用意いたしました! 右から水、ミルク、オレンジジュース、リンゴジュース、ミックスジュース、はちみつレモン、トマトジュース、ワイン、リキュール、ウォッカ、ウイスキー…」

「ちょっと待て! 後半から酒になっていないか!?」

「はい、左様でございます」

「いや…、左様でございますって。それはマズいだろっ!!」

 

 子供に向かってなんてものを用意してるんだ!とワゴンの上に並ぶ数多くの酒を睨み付ける。

 ウルベルトの状態を察して食べ物ではなく飲み物を用意してきたことは感心するが、何故そこで酒も入るのかが謎だ。

 しかし持ってきた張本人は疑問の色も浮かべずに不思議そうにアインズを見つめている。

 色鮮やかな液体の正体が酒であると分かった瞬間、アルコールの香りがむせ返ったような気がして思わず内心顔を顰めさせた。子供の近くに酒を置いておくこと自体マズいんじゃないか…?と寝台の仔山羊を振り返る。

 その瞬間、大きな金の瞳とばったり目が合って、アインズは思わずギョッとした。先ほど寝入ったばかりの仔山羊がうつ伏せに寝転んでじっとこちらを見つめている。いや、その目線はアインズから微妙にずれている。正確にはアインズの後ろにあるワゴンへと向けられていた。

 

「ウルベルトさん、やっと何か食べる気になってくれたんですね!」

 

 じーーーっと穴が空くほど凝視しているウルベルトに喜びの声を上げる。しかし彼が何の飲み物を見ているのか目線を追った瞬間、アインズは思わず唖然とした。

 試しに手前のミルクが入っているピッチャーを持ち上げてみる。金の瞳はチラッと動いたが、しかしすぐさま元の位置に戻ってしまう。

 続いて次は赤ワインが入ったピッチャーを手に持ち、ゆらゆらと上下に揺らしてみる。すると金色の瞳もそれを追うように上下に揺れ動いた。

 

「だ、駄目ですからね! これワインですから! お酒ですから!!」

 

 これは子供が…それも赤ん坊が飲むようなものではない!と言外に言われ、仔山羊の顔が不満そうに顰められる。

 しかしアインズとて譲る気はない。

 ワインを巡って睨み合う至高の二人に、パンドラズ・アクターは表情の浮かばぬはにわの顔でじっと二人を見つめていた。

 

「…アインズ様。僭越ながらワインを口にされても大丈夫なのではないでしょうか?」

「何を言うのだ! ウルベルトさんは今赤ん坊なんだぞ!!」

「おっしゃる通りです! …しかし、ウルベルト様は最上位悪魔(アーチデビル)。恐らく問題ないかと思われますが…」

「…う~む…」

 

 パンドラズ・アクターの控えめな進言に、アインズは探るようにウルベルトを見つめた。

 確かに三日間何も飲まず食わずでいたにも拘らずピンピンしているところを見ると、ワインを飲んでも大丈夫なような気もする。逆にワインでも、何か食べ物に興味を持ってくれただけでも僥倖と言えるのかもしれない。

 アインズは暫くワインと仔山羊を交互に見つめていたが、やがて諦めたように一つ息をついた。

 まずは未だ寝転んだままの仔山羊を起き上がらせ、寝台の上に座らせる。次にワインをコップへと注ぐと、小さな手にしっかりと握らせた。その際ストローを挿し、コップを持つ手を上から支えることも忘れない。一瞬ストローで大丈夫だろうかと不安に思ったが、それは杞憂に終わった。

 仔山羊はまるでかぶりつくように勢いよくストローを咥えると、そのままワインを飲み始めた。決して小さくはないグラスのコップから見る見るうちにワインが無くなっていく。

 数分も経たぬうちにコップは空になり、ウルベルトはストローから口を離してケポッと小さな空気を吐き出した。アインズは空のコップをウルベルトから離させ、そのまま後ろに控えているパンドラズ・アクターに預けた。

 

「御代わりはいりますか、ウルベルトさん?」

「……………………」

 

 まだピッチャーの中にあるワインを確認しながら問いかけるがウルベルトは答えない。ただ何か言いたげに小さく口をまごつかせている。まるで声を絞り出そうとするかのように、細い首の喉元から唸り声のような音が聞こえていた。

 

「ウルベルトさん…?」

「………モ…」

「っ!?」

 

 小さな口から零れ出たのは、決して仔山羊の鳴き声ではない。驚愕と期待に眼窩の灯りを揺らめかせ、アインズはじっと食い入るように目の前の仔山羊を見つめた。

 仔山羊は先ほどと同じように口をまごつかせ、小さな唸り声のような音を鳴らしている。口を小さく何度も開閉させ、じっとアインズを見上げた。

 

「……も……もぉ…、…もぉーーー…」

「……………………」

「………………………んガっ…」

「っ!! …ウルベルトさん!」

 

 言葉にもなっていない、ただの音にしか聞こえない呼び声。しかしアインズにとっては何よりも嬉しい呼び声だった。

 もう呼ばれることもないかもしれないと諦めていた。

 寂しさにも悲しみにも蓋をして、見えないふりをしてずっと逃げてきた。

 しかし、もうそんなことをしなくても良いのだ。

 求めた友人は今目の前におり、望めばいくらでも呼んでもらえる。

 

「そうです、モモンガです! ウルベルトさん、もう一度呼んで下さい!」

「……………………」

「…ウルベルトさん?」

 

 しかし何度呼びかけても目の前の仔山羊は先ほどのように呼び返してはくれない。

 一体どうしたのかと不安を湧き上がらせる中、ふと仔山羊の小さな口がもにゅもにゅと動いているのに気が付いた。不機嫌そうに顔を顰めさせ、何か言いたげに小さな唸り声のような音を喉の奥から響かせている。その様はまさに不機嫌にムズがる幼子そのものだった。

 

「ウルベルトさん、どうしたんですか?」

「……………………」

「…アインズ様、思うに…ウルベルト様はまだうまくお話ができないのではないでしょうか」

「まぁ、まだ赤ん坊だしな…」

「しかし、もし意識が我々の知っているウルベルト様ならば、さぞや今のご自分の状況に歯がゆく思われていることでしょう! ここは〈伝言(メッセージ)〉を使ってみてはいかがでしょう?」

「…なるほど」

 

 パンドラズ・アクターの言葉に、アインズは納得したように頷いた。

 確かに中身が大人で身体が赤ん坊という状態であれば誰でも歯がゆく思うだろう。しかも愚痴を言いたくても言葉さえうまく扱えないのであればなおさらだ。

 アインズはこめかみの辺りに指を添えると、ウルベルトに向けて〈伝言(メッセージ)〉の魔法を発動させた。この世界に来た当初は虚しくも繋がらなかった線が、今回ははっきりと繋がったのが分かった。

 

『…ウルベルトさん、聞こえますか? …話せますか?』

『………モモンガさん…』

 

 少しの間をおいて聞こえてきた懐かしい声に、アインズは歓喜した。

 やはりこの仔山羊はウルベルトだったのだ、とないはずの心臓が震えたようにさえ思える。

 しかしアンデッド特有の感情抑制がすぐさまかかり、浮ついた心が治まっていく。それに小さな苛立ちを感じながらも改めてウルベルトに目を向けた。

 

『ウルベルトさん、また会えて本当に嬉しいです!』

『あ、ああ…俺もだよ、モモンガさん。ユグドラシル最終日(あの日)も本当は行こうと思ってたんだけど間に合わなくて…ずっと謝りたいと思ってたんだ』

『来てくれる、つもりだったんですか…』

『当たり前だろ! モモンガさんには迷惑かけっぱなしだったし、すごく感謝もしてるんだ。礼を言いたかったし、最後にもう一度だけ馬鹿騒ぎしたかった…。…まぁ、結局行けなかった俺が言っても説得力ないと思うが…』

『そんなことないです! ウルベルトさんの気持ちを聞けて、すごく嬉しいです!』

 

 夢にも思わなかったウルベルトの思いに、アインズは胸が温かくなるのを感じた。

 自分にとってギルドのメンバーたちは全員大切な友人たちであり、その気持ちはアンデッドになった今でも変わらない。しかしそれでも、彼らを恨む気持ちも少なからずあったのだ。

 置いて行かれた…、捨てられた…、裏切られた…---

 彼らの事情は理解できるのに、そんな身勝手な思いが小さく蠢く。

 しかしそれも、ウルベルトの先ほどの言葉で一気に晴れたような気がした。

 確かに置いて行かれたのかもしれない。けれど捨てられたわけでも、裏切られたわけでもなかった。少なくとも彼は、自分を忘れずに来てくれようとしてくれたのだから。

 

『なぁ、モモンガさん…、これは夢なのか? 俺が後悔と罪悪感から見てる幻なのか?』

『…え…?』

『モモンガさんには感謝してる。謝りたかったのも本当だ。ユグドラシル最終日(あの日)だって、最後にもう一度だけナザリックやデミウルゴスたちをこの目に焼き付けておきたかった。…でも、これが俺の自分勝手に見てる夢なら、早く目を覚ましてしまいたい。こんな形でモモンガさんへの罪悪感を消そうなんて、自分自身に反吐が出る…!』

『ウルベルトさん、落ち着いて下さい。これは夢でも幻でもありません』

 

 ウルベルトを宥めながら、アインズは再び自分の心が浮足立つのを感じていた。NPCたちも今の彼の言葉を聞いたら感動で咽び泣くことだろう。

 

『夢でも幻でもないって…一体どういうことだ? まさかユグドラシル…、いや、ユグドラシルはもう終わったはず…』

『ウルベルトさんの言う通り、ユグドラシルは終わりました。ここはユグドラシルでも、ましてや現実世界(リアル)でもありません。…信じられない話かもしれませんが、全てお話します』

 

 難しい表情をして考え込むウルベルトに一言前置きを告げてからユグドラシル最終日からの出来事を嘘偽りなく話し始める。

 それは、にわかには信じられない話であっただろう。しかしウルベルトは一言も口を挟まず、ただ真剣な表情を浮かべて静かに聞いてくれていた。

 長い時間、それでもある程度省いたものの話が終わった頃には、目の前の仔山羊は呆気にとられたような複雑な表情を浮かべていた。

 

『それは、また…』

『……信じてもらえませんか…やっぱり…』

 

 自分でも突拍子もない話をしていることは分かっている。ウルベルトが信じられないのも無理はない。

 しかし返ってきた言葉は意外なものだった。

 

『いや、信じるよ。第一、モモンガさんがそんな嘘を言う人じゃないってことも、嘘をつく理由もないしな』

『…ウルベルトさん』

『第一、感触や温度だけじゃなくて味がある夢なんてありえない。さっき飲ませてもらったワインはすごく美味かったし』

「あははっ、それは良かったです」

 

 おどけて小さく肩をすくめながら笑みを浮かべるウルベルトに、アインズは思わず言葉を口に出して笑い声をあげていた。

 先ほどの仕草も、先ほどの言葉も、全てがウルベルトらしくて懐かしさが溢れてくる。ああ、本当に戻って来てくれたのだと込み上げてくる喜びをそっと強く噛みしめた。

 

『…モモンガさん、もう一つ聞きたいことがあるんだが』

「? なんですか?」

『………俺は何で仔山羊姿なんだ?』

「……………えっと…」

 

 憮然とした声音で問いかけられた質問に、アインズはどう答えたものか途方に暮れた。

 いや、その答えを知らないのだから答えようがないのだけれど…。

 しかしそんな答えでは目の前のウルベルトは納得しそうにない。

 

『ユグドラシルでの悪魔の姿なら分かる。現実世界(リアル)での姿でも…まぁ納得はしただろう。だけど何で仔山羊? こんな姿だからずっと夢だと思ってたのに!』

「ああ、まあ…そうですよね。実を言うと俺もよく分からないんですよ。ただ、黒い仔山羊たちから生まれたから仔山羊姿なのかな~と…」

『……………………』

 

 心なしか目の前の仔山羊から白い目で見られているような気がする。

 しかしこれ以上の解答が見つかるはずもなく、アインズはわざとらしく咳ばらいを零した。パンドラズ・アクターからワインのピッチャーを受け取り、誤魔化すように軽く振って見せる。

 

「そんな事より、もう少しいかがですか?」

『いいのか? 赤ん坊に酒はマズいんだろう?』

「まぁ、見た限り平気そうですし…、何か口にしてくれるだけでもマシです」

『…悪ぃ、この姿のせいか…どうも眠くて仕方ないんだ……』

 

 言外に今まで飲食しなかったことを怒られ、ウルベルトは謝りながらもふあぁっと口を大きく開けて欠伸を零す。

 金色の目を瞼に隠し、眠そうに目を擦る様子はやはり幼子そのもの。

 ウルベルトに知られれば睨まれてしまうのは確実だが、その微笑ましい姿にアインズは笑みを抑えることができなかった。最も、骸骨なため緩む頬はないのだけれど…。

 何はともあれ今では船をこぎ始めたウルベルトを放っておくわけにもいかない。アインズはウルベルトの手からコップを離させると、そのまま寝台の上に横たえさせた。

 やはり身体が赤ん坊であることが影響しているのか、再びすっかり寝入ってしまった仔山羊にクスッと笑みを零す。本当はもっと何か口にしてほしかったし、話をしたかったが仕方がない。

 アインズは柔らかな掛け布でその小さな身体を包みこむと、骨の手でポンッポンッと軽く叩いた。

 

「……これからは、ずっと一緒にいて下さいね、ウルベルトさん」

 

 喜びの滲んだ声が、しかし何故か少し寂し気に響いて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日からウルベルトのいるアインズの部屋には常時いくつもの種類のワインが揃えられるようになった。他の飲み物も飲めると言えば飲めるのだが、ウルベルトの好みと『ワインが一番成長に効いてる気がする』という言からアインズも進んでワインを用意させたのだ。

 そして今日もまた、ウルベルトは用意してもらったワインをストローで必死に吸って飲んでいた。

 

「……確かに成長しましたね、ウルベルトさん」

 

 ウルベルトがストローを口から離したのを見計らって、近くで執務をこなしていたアインズが感心したように声をかける。

 アインズの言葉通り、目の前の仔山羊はワインを飲むようになってから急激に成長していた。ワインを飲み始めてまだ二日程度しか経っていないというのに、赤ん坊の姿から2~3歳まで大きくなり、言葉も滑舌は未だ柔らかいものの大分上手く話せるようになっていた。

 

「そろそろ固形物でも良いかもしれませんね。ナザリックの料理は現実世界(リアル)と違って美味しそうですよ」

「それはみりょくてきな話だが…、どうもワインのほうがきき目があるような気がするんだよなぁ」

「…悪魔とワインって何か関係ありましたっけ?」

「さぁ、おれは知らないな…。タブラさんなら何か知っていたかもしれないが」

「……確かに…」

 

 無駄な知識を多く持つギルドメンバーの一人を思い出し、小さく頷く。確かに彼ならば何かしら知っていたかもしれない。

 一瞬他の仲間たちがいないことに寂しさが込み上げてきたが、すぐさま感情抑制が発動しアインズはフゥッと小さく息をついた。気分を変えようと今までずっと気になっていたことを聞こうと改めてウルベルトを見やる。

 

「…ウルベルトさん、そろそろウルベルトさんのことも教えてもらえませんか?」

「……………………」

 

 ウルベルトがこの異世界ではっきりと自覚して意識を取り戻した日から二日。眠る時間も徐々に減り、会話できる時間も増えてきた。しかしその間もウルベルトは自分のことを話そうとはしなかった。アインズとしては、この世界に来れた手がかりがあるかもしれないため話を聞きたかったのだが、色々と整理したいと言われてしまえばこれ以上は聞きづらい。しかしこれ以上我慢することはできそうになかった。

 

「そう…だな……、おれもいい加減、みとめないとな……」

「ウルベルトさん…?」

 

 どこか悲し気に苦笑を浮かばせるウルベルトに、アインズは不安そうに声をかける。ウルベルトは一度力なく頭を振ると、苦笑はそのままにアインズを見上げてきた。

 

「……かくじつとは言えないが、おそらくおれはリアルで死んだんだとおもう」

「…え…?」

 

 子供らしい高い声が、諦観したように自分の死を告げる。未だ苦笑を浮かべながらも金の瞳は静かでいて真剣な色を帯び、アインズは恐怖にも似た感覚に背骨を小さく震わせた。

 

「……どうして…、何があったんですか…?」

「びょうきだよ、モモンガさん。どこにでもある…、気管支系のびょうきだ」

「……………………」

 

 どこか諦めたようなウルベルトの様子に、彼の心情に思い至ってアインズは思わず口を噤んだ。

 ウルベルトの言う通り、それは現実世界ではあまりにも“どこにでもある話”だった。

 重度の大気汚染に蝕まれた現実世界は、もはや生き物が生きていけるような世界ではない。それでも人間はアーコロジーを作り、外出時は防塵コートとガスマスクを着けるなどして見苦しくも生き続けようと足掻いていた。しかし誰もが設備の整ったアーコロジーに住めるわけではない。人間は少数の“富裕層”と大多数の“貧困層”に別けられ、アーコロジーに住むことが許されたのは少数の“富裕層”のみ。後の“貧困層”に別けられた人間たちは空調のあまり宜しくない集団居住区に住む他なかった。外出時に必要不可欠なガスマスクでさえピンからキリまであり、貧しい者はどこかしら欠陥のある物しか手に入れられない。そのため人間の大部分は気管支を病み、死亡者数も年々増加していた。

 

 

「…ずっとおかしいとは思ってたんだが、ようやくびょういんに行けたころには手遅れだった。くすりでしょうじょうをおさえるくらいしかできなかったんだが…、気がついたらこの世界にいておどろいたよ」

「……ウルベルトさん…」

「さいしょはほんとうに夢だとおもっていたんだ。死んだきおくもないし、ずっとモモンガさんやユグドラシルのことが気になっていたから…」

 

 そこで一度言葉を切り、どう話を続けようか迷うように金の双眸をさ迷わせる。しかし次には何かを決心したように真っ直ぐに金の瞳にアインズの姿を映してきた。

 

「しょうじき、おれがほんとうに死んだのかはわからない。死んだからこのせかいに来られたのか…、それとも他になにかげんいんがあるのかもわからない。…ただひとつ言えることは、もうおれはリアルにはもどれないってことだ。たとえもどったとしても、あっちでのおれのからだはもう使い物にならないだろうからな……」

 

 柔らかい…優しいまでの笑みを浮かべる仔山羊に、アインズはもはや言葉もなかった。

 穏やか過ぎるその様は、まったく悪魔に見えない。まるで死を受け入れた仏か聖人かのように…、おおよそ悪魔には相応しくない表情。彼を少なからず知る者としては、お前は誰だ!と言いたくもなるが、しかし異様な雰囲気に呑まれて何も言うことができなかった。

 しかしそれは幸か不幸か長くは続かなかった。

 ウルベルト自身も自分らしくないと思ったのだろう、子供らしくない咳ばらいを一つ零した後、先ほどとは一変して明るい笑顔を仔山羊の顔に浮かばせた。

 

「でも、もうそんなことはどうでもいい…。またモモンガさんに会えてうれしいよ」

「…ウルベルトさん。……俺も、またウルベルトさんに会えて嬉しいです」

 

 本当に嬉しそうにしてくれているウルベルトに、アインズもまた骸骨の顔でも伝わることを願って笑みを浮かべた。

 ウルベルトの話が本当なら、彼の死を喜ぶのは友人として失格だ。しかしそう思いながらも、やはり彼と再び出会えたことを喜ばずにはいられなかった。

 

「そうだ、この世界でのことはおしえてもらったけど、ナザリックについてもおしえてくださいよ!」

「? …えっと、ナザリックについてですか?」

「この世界に来てかわったこととか…、そう、NPCのこととか! やっぱりあいつら、性格とかはせっていのテキスト通りなのか?」

 

 心なしか目をキラキラさせながら聞いてくる様が幼い子供そのものでとても微笑ましい。

 仔山羊の姿がそう見せているのか、はたまた子供の身体にウルベルトの精神が引きずられているのか…。どちらにせよ、とても可愛らしくアインズの目に映った。

 

「大体はテキストの設定通りですね。…でも、テキスト設定では補いきれない部分はどうしてもあるので、そこは作った人に似るようになってるみたいです」

「……まるでおやとこどもみたいだな…。…うん? じゃあ、デミウルゴスはおれに似てるってことか?」

「そうですね、悪魔だから悪役ロールが好きな可能性はありますが…。ああ、でもロールプレイ中のウルベルトさんに似てますね。後は…趣味は結構似てると思いますよ」

「…ふ~ん…」

 

 今は髭がない顎下を小さな指で弄びながら、ウルベルトが何かを考え込む。先ほど話に出てきたデミウルゴスのことを考えているのか、それとも何か違うことを考えているのか。

 不思議そうに見つめる中、ウルベルトは暫く押し黙った後、徐にアインズに金の瞳を向けた。

 

「………モモンガさん…」

「はい、何でしょう?」

「…おれのかんちがいなら申し訳ないんだが……、…アルベドに何かしました?」

「っ!!」

 

 突然のことに思わずギクッと身体が震える。

 何故バレた!?と口が滑りそうになり慌てて口を閉ざす。

 キョドキョドと眼窩の灯りを揺らめかせ、しかし諦めて一つ息をつく。

 例え今誤魔化せたとしても、いつかは知られることである。ならば今ここできちんと話すべきだと心を決めた。

 

「その…、実はですね……---」

 

 そこから語られた内容に、ウルベルトは心の内でなるほど…と納得した。

 思い出されるのは初めてNPCたちを見た時。誰もが嬉しそうな笑みを浮かべる中、一瞬ではあったが確かにアルベドだけは苦々しげな表情を浮かべていた。その後の対応もどこか不自然で、まるで必死に負の感情を押し殺しているかのよう。

 今まではずっとナザリックを捨てたことに怒っているのだろうと思っていた。しかし、そうは思っても違和感は消えず、アインズの話を聞いて漸くすべてに合点がいった。

 彼女はアインズを愛している。それ故に自分のことが憎くて仕方がないのだろう。

 ナザリックを捨てたことでアインズを酷く悲しませたことを恨み、それでもなおアインズに想われていることに嫉妬して…。

 ウルベルトとしてはいい迷惑だと思わないでもなかったが、その一方、ある意味これがナザリックを捨てた自分がすべき罪滅ぼしなのかもしれないと思った。

 他人の恋路に首を突っ込む趣味はないんだがな~…と気づかれない程度にため息をつく。

 目の前では、勝手に設定を書き換えた罪悪感がぶり返してきたのかアインズが頭を抱えて呻いていた。

 

コンッ、コンッ

 

 不意に聞こえてきた硬質な音。続いて耳に心地よい声が響き、アインズは頭を抱えていた手を離して扉を振り返った。

 入出の許可を与えて一拍の後、二つの影が部屋へと入ってくる。

 

「アインズ様、ご要望のものを持って参りました。お待たせしてしまい、誠に申し訳ございません」

「…いや、丁度良い頃合いだ」

 

 歩み寄ってきたのはパンドラズ・アクターとデミウルゴス。表情のない卵頭でビシッと敬礼するパンドラズ・アクターの隣でデミウルゴスも両手を差し出し深々と頭を下げる。

 揃えられた両手の上には見覚えのある物が載せられており、ウルベルトはデミウルゴスとアインズを交互に見やった。

 

「……モモンガさん、これは…」

「パンドラズ・アクターとデミウルゴスに取りに行かせました。ウルベルトさんの最終装備です」

 

 にっこりと笑って言うアインズと、柔らかな笑みを湛えたデミウルゴス。両者を見やり、ウルベルトはあぁ…と内心で声を零して金の双眸を小さく細めさせた。

 見なくとも彼らが笑顔の裏で酷く緊張しているのが分かる。恐らくこの行動は自分が思っている以上に彼らにとっては大きな意味を持つことなのだろう。

 ウルベルトの最終装備は他のギルドメンバーと同じようにギルド長であるアインズに託され、アインズは自らが作ったゴーレム(アヴァターラ)を使って宝物殿に保管していた。これら全てが今ここにあるということは、宝物殿にあるウルベルトを模ったアヴァターラは今何も纏っていないということになる。それはつまり、ウルベルトが完全にナザリックに戻った(帰還した)ことを意味していた。

 ウルベルトは一度瞼を閉じると、ゆっくりと開いて徐に手を伸ばした。デミウルゴスの手に乗せられている装備品から装飾の類を受け取り、その他の衣服の類はその手に残す。

 ユグドラシルの装飾類は装備者によってそのサイズを変化させる。しかし衣服の類はそうもいかなかった。何しろユグドラシルの衣服類は男性用女性用だけでなく、大人用や子供用、果ては無性用、両性用まで揃っていたのだ。着る者の体型によって少なからず変化はするものの、それだけだ。今の子供の身体では、大人用の衣服は着ることができない。アインズたちもそれが分かっていたからこそ、今までウルベルトに合う服を探していたのだから。

 

「…今はこれだけうけとっておく。のこりはほうもつでんに戻さなくていい。お前があずかっておいてくれ、デミウルゴス」

「ウルベルト様…」

 

 一つ一つ装飾アイテムを身に着けながら言うウルベルトに、デミウルゴスは感極まったように身を震わせた。ギルド長であるアインズにではなく従者であるデミウルゴスにそれらを預けた主の真意を正確に読み取り、デミウルゴスはゆっくりと差し出していた手を戻して残った衣服を皺にならないように大切に胸に抱きしめた。そのままその場で片膝をつき、深々と臣下の礼を取る。

 

「…畏まりました、ウルベルト様。来たるべきその日まで、このデミウルゴス、大切にお預かり致します」

「ああ、たのんだぞ」

「はっ!」

 

 快活な返事と共に一層深く頭を下げるデミウルゴスに、ウルベルトも満足げに頷いてみせる。

 そんな二人の様子を暫く見やり、アインズはそろそろ頃合いだろうか…と眼窩の灯りを小さく揺らめかせた。

 まだ少したどたどしいものの、言葉はきちんと話せている。何よりウルベルトとしての意識はちゃんとあり、いつかは元の姿に戻るであろう確証も得た。言うべきタイミングはこの時なのかもしれない。

 

「…ウルベルトさん、そろそろ正式にウルベルトさんが帰ってきたことをナザリックのみんなに公表しませんか」

「……そういえばまだおれの存在は一部をのぞいてかくしてるんだったな…。じっさい、どこまでが知っているんだ?」

「階層守護者だけ…ですかね。他のNPCはまだ…領域守護者ですらまだ知らないはずです」

「そうか…」

 

 ウルベルトは暫く考え込むような素振りを見せていたが、徐にアインズへと目を向けた。

 

「…もしモモンガさんたちが望んでくれるのなら、それでかまわない。おれも、改めてみんなにあいさつしたいしな」

「そんなの、当たり前じゃないですか! …よし、早速アルベドに連絡を取って玉座の間にみんなを集めましょう! きっとみんな喜びますよ」

 

 張り切ったように〈伝言(メッセージ)〉でアルベドに連絡を取り始めるアインズ。すぐ横ではデミウルゴスが満面の笑みを浮かべて小さく尻尾を揺らめかせており、パンドラズ・アクターは表情は分からないものの少なくとも悪い雰囲気は感じられない。三者三様の様子を見つめながら、ウルベルトは小さく金の瞳を不穏に揺らめかせた。

 果たしてこの時点での自分の帰還をNPCたちはどう受け止めるのか。

 アルベドのように憎悪を宿すのか、それともデミウルゴスのように歓喜に身を震わせるのか、はたまたパンドラズ・アクターのように静かにアインズの決定に頭を下げるのか…。

 どんな反応が返ってこようが受け入れるつもりではあるけれど、場合によっては身の振り方を考えなければな…と密かに決心を固めていた。

 

 

 

**********

 

 

 

 その夜、ナザリック地下大墳墓の第十階層にある玉座の間ではアインズの命により階層守護者をはじめとする多くの異形たちがひしめいていた。

 一様に臣下の礼を取り頭を下げる彼らの目の前には金色に輝く杖を握り、豪奢な漆黒のローブを纏った一人の骸骨。

 アインズは一度異形たちを見回した後、朗々と口を開いた。

 

「急遽この場に集まってもらったのは他でもない、お前たちに喜ばしい知らせがある」

『…ウルベルトさん』

 

 シモベたちに話しかけながら発動した〈伝言(メッセージ)〉で自分の背後へと声をかける。それに応えるように、今までまるでアインズの背に隠れるようにして控えていたウルベルトがゆっくりと動いた。一歩二歩と歩を進め、赤黒い布を巻き付けただけの仔山羊姿をこの場にいる全員に曝け出す。

 ざわっと大きく騒めく空気。

 誰もが驚愕の表情を浮かべる中、アインズの支配者然とした声がまるで落ち着かせようとするかのように響いた。

 

「ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”の仲間であり、至高の四十一人の一人であるウルベルト・アレイン・オードルがナザリックへの帰還を果たした!」

「…ウルベルト・アレイン・オードルだ。突然こんな姿で現れ、さぞ皆を驚かせたことだろう。だが、この姿は時と共に元に戻るから安心してほしい」

 

 そこで一度言葉を切り、ウルベルトは周りを見渡した。

 シモベたちは未だに驚愕の表情を浮かべてはいるものの、同時に歓喜の色も確かに宿していた。中には喜びのあまり涙を流している者さえいる。

 彼らの反応にウルベルトは改めて彼らが生きているのだと実感させられた。続けるべき言葉が喉に詰まり、しかし思い切って口を開く。

 

「…俺は一度、ナザリックを去った。そして今回の帰還は、俺の意図したことではない」

 

 その瞬間、この場にいる全員が歓喜に濡れる表情を凍りつかせた。身体は硬直し、その顔も悲しみと絶望に蒼褪めていく。

 一気に澱んでいく空気に、しかしウルベルトは目を逸らさずに言葉を続けた。

 

「だが、俺は再びこの地に戻ってこられたことを嬉しく思っている。それは叶えられない願いだと思いずっと諦めていたからだ。俺がここに戻ってこられたのは偶然でしかないが…、俺はこの偶然に感謝したい」

 

 徐々に絶望が薄れ始め、困惑と希望の光が見え隠れする。

 

「もしお前たちが許してくれるのなら、これからは喜んでナザリックと…お前たちと共に生きていこう。この命と力をもって、お前たちを守っていこう!」

 

 溢れんばかりの歓喜が再び湧き上がってくる。

 

「ここに、ウルベルト・アレイン・オードルの帰還を宣言する! 皆、これよりは私や彼に一層の忠義を尽くせ!」

 

 支配者の言葉が、希望の光を確かなものにしていく。

 

「………至高の御二方の言、確かに承りました。アインズ・ウール・ゴウン様、並びにウルベルト・アレイン・オードル様に我らが絶対の忠誠を!」

 

 この場を代表しての階層守護者統括の言葉に、歓喜の声が一気に弾けた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳!」

「ウルベルト・アレイン・オードル様、万歳!」

「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳!!」

「ウルベルト・アレイン・オードル様、万歳!!」

 

 新たな主の帰還に、シモベたちの歓声は途絶えることはない。

 異形たちの声は、まるで新たな世界の終焉を喜び迎えようとするかのようにナザリック地下大墳墓中を響かせ揺るがせた。

 

 

 


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