最初に感じたのは柔らかな温かさだった。まるで温かな毛布に包まれているかのような、まるで微温湯に沈んでいるかのような。けれど呼吸が苦しくないということは、やはり毛布の中に横たわっているのだろうか。
目の前は真っ暗で、何も見えない。
いや、瞼を閉じているのだから当たり前か。だが何故だろう、どうしても瞼が開かない。
そんな中、不意に何かが聞こえた気がして無意識に耳を聳たせた。
何が起こっているのか分からない状況で、やはり不安だったのかもしれない。必死に耳を澄ませて少しでも情報を集めようとする。
メェェェェェェ…―――
それは可愛らしい仔山羊の鳴き声。
なんで仔山羊?と思う間もなく、最初は一つだと思っていたものが気が付けば二つに。それが二つから三つ、三つから四つと増えていく。いつの間にか大合唱となっていた仔山羊の声は、まるで何かを祝福しているかのよう。
それをぼんやりと聞いていると、不意に何かに身体を絡めとられて柔らかなぬくもりから引きずり出された。すぐさま違うぬくもりに包まれたが、最初のぬくもりとは比ぶべくもない。
そこでやっと瞼を開けることができた。
だが目に飛び込んできた光景は信じられないものだった。
それは何年も前に去った『ユグドラシル』というゲームの光景。ギルドの仲間たちと共に作り上げたナザリック地下大墳墓の第九階層にある豪奢な部屋に、見覚えのある骸骨の姿。
あの骸骨はギルマスのモモンガさんだろうか?
ということは、これは夢なのだろうか?
骨の腕に抱かれ、いつの間にか用意されていた湯に包まれながらずっとそう考える。
しかしこの時はこれ以上意識を保つことができず、気が付いた時には意識はブラックアウトしてしまっていた。
次に意識が目覚めたのは、おそらく最初の目覚めからそれほど時間は経っていないと思う。しかし次に目に飛び込んできた光景には本当に驚かされた。
何とギルマスやナザリックの景色だけではなく、見覚えのある多くのNPCが揃っていたのだ。それもただ揃っているだけではない、何と自分で動き声を発している。まるで本当に生きているかのように……。
そして一人のNPCを見つけた瞬間、俺は意識が真っ白になって目が釘付けになった。
三つ揃えのスーツに、黒髪のオールバック。東洋系の整った顔立ちを丸眼鏡で飾り、その背後からは銀の甲殻で覆われた棘付きの尻尾が伸びている。
見覚えがあり過ぎる、その姿。
あれは間違いなく、俺が作り上げたNPCであるデミウルゴスだ。
ユグドラシルでの情熱の殆どを注ぎ込んだ最高傑作。ユグドラシルを去る際に一番の心残りだったNPCが、今目の前で動いて、話している。
その瞬間、俺はこれが夢であると確信した。逆にこれが夢でなかったら一体何だというのか。
幸せなような、少し物悲しい様な…、何だか不思議な気持ちが湧き上がってくる。
目の前で嬉しそうに動き出すデミウルゴスを含めた多くのNPCと、何故かすごい形相をしている一人のNPCの女。
ああ、あの女はどんな名だったか…、意識がぼんやりしていて思い出せない。だがこれが夢なら、そんなに必死に思い出さなくてもいいのかもしれない。
夢なら夢らしく、この素晴らしい光景を静かに眺めていたかった。
この夢が醒めないように、この夢が終わってしまわないように…。
しかしその考えは一つの出来事で脆くも崩れ去ってしまった。
その出来事とはひどく些細な事で、簡単に言えば俺が寝かされた寝台から落っこちたのだ。
ガンッという大きな衝撃と、頭の角から響いてくる鈍痛。身体に纏わりついてくる大きな布にもがきながら、夢で果たして痛みなど感じるだろうか…と疑問を浮かべる。
そして次に抱かれたのは今までの骨の腕ではなく、自分のNPCの腕の中。スーツ越しに感じる温かさと、清潔感のある仄かな香り。
夢に香り?と再び疑問を浮かべながらも、この腕のあまりの温かさに再び眠気が襲ってくる。
どうしてこいつの腕の中はこんなにも温かいんだろう?
炎獄の造物主という設定の炎系の悪魔だからか?とぼんやりする意識の中で思考を巡らす。
しかし眠い…と眠気を飛ばすために目の前のスーツに顔をこすりつけ、鼻をスピスピと鳴らす。先ほどの清潔感のある香りを胸一杯に吸い込み、少しだけ眠気が抜けたような気がした。
何はともあれ、今の自分にはすることも、ましてやしたいこともない。
夢が続く限りは温かな悪魔の腕の中で成り行きを見守ろう、と俺はぼんやりと動き始める成り行きに目を細めさせた。