仔山羊悪魔の奮闘記   作:ひよこ饅頭

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第13話 狂劇のプレリュード

 バハルス帝国の帝都・アーウィンタール。

 活気ある街並みの中心に佇む帝城の一室に彼らはいた。

 城の主である鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス、帝国四騎士の“雷光”バジウッド・ペシュメルと“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノック、ジルクニフの優秀な秘書官の一人である男一名、そして二人の人ならざる者たち。蛙のような醜悪な頭を持つ化け物と、この世のものとは思えぬほどの美貌を持った美少女。

 ジルクニフは豪奢ながらも品のある椅子に腰かけながら、目の前で微動だにせず佇む化け物と少女に冷や汗を流していた。背後に控えるバジウッドたちも同様だろう、先ほどから彼らの乱れた息遣いがこちらにまで聞こえてくる。

 絶えず襲い掛かってくる恐怖と重苦しい空気。

 息苦しさすら感じるほどの重圧感は目の前の化け物と少女が発しているものだった。

 

 彼らが来たのはちょうど今から三十分ほど前。

 アインズから急遽話をしたいという言伝を持ってきた彼らは、その後ジルクニフが用意したこの一室に来てから何も話さず微動だにしなかった。こちらがいくら話しかけても全て『アインズ様が来られてから説明いたします』の一点張りで、当のアインズがいつどうやって来るかも分からない。もしや以前の闇妖精(ダークエルフ)のようにいきなりドラゴンに乗って来るつもりじゃないだろうな…と戦々恐々とする。何より、いつにない刺々しい彼らの様子にジルクニフたちはすっかり参ってしまっていた。

 始めてナザリック地下大墳墓の玉座の間に案内された時にも感じた、暴力的なまでの圧倒的な存在感。今はそれに加えて殺気のようなものまで漂わせているように思われた。

 しかし何故彼らがこんなにも苛ついているのか、その理由が分からない。

アインズが来る用向きに関しては先日伝えた属国に関することだろうかと推測することはできたが、何故彼らが殺気立つのかは皆目見当もつかなかった。

 今は何より、早くこの重苦しい空気から解放されたい。

 ジルクニフは自分でも信じられないことに、初めてアインズの来訪を心の底から願った。

 

 それから数分後。

 不意に少女が小さくピクッと反応し、宝玉のような深紅の瞳を宙へとさ迷わせた。まるで何か物思いにふけるような素振りを見せた後、次には蛙頭の化け物へと目配せを送る。化け物は心得たように一つ頷くと、少女も応えるように一つ頷きを返した。二人ともジルクニフたちに背を向け、まるでそこに誰かがいるかのように跪き深々と頭を下げる。一体何事かと目を見開かせる中、少女が跪いた状態で一つ手を打ち鳴らした。

 瞬間、ジルクニフたちの目の前…、異形種たちが頭を下げる先の空間がぐにゃりと歪み、円型の大きな闇が音もなく広がった。

 漆黒の闇が渦を巻き、大小二つの影が波紋と共に闇の中から姿を現した。

 

「こんにちは、ジルクニフ殿。急に時間を取ってもらい感謝する」

「…こ、こんにちは、ゴウン殿。いや、気にしないでくれ」

 

 小さく顔を引き攣らせながらも、何とか笑顔を浮かべて言葉を返す。

 目の前に現れたのは死を具現化したアンデッドと二足歩行の仔山羊だった。

 骸骨の頭には王冠のようなものが飾られ、豪華な深い青紫色のローブが小さく揺らめいている。骨の指すべてに煌めく指輪がはめられており、支配者然とした姿は圧倒的で恐ろしい。

 アインズ・ウール・ゴウン。

 魔導国の王にして、ナザリック地下大墳墓の死の支配者である。

 しかし隣に並ぶ小さな仔山羊に関してはジルクニフは全く見覚えがなかった。

 白い毛並みに、歪にねじくれた大きな二本の角。顔の右半分を鳥のような特徴的な仮面で覆い、品のあるシルクハットを被っている。首から下は漆黒のマントにすっぽり包まれており、その下は全く見てとれない。

 アインズの数多い配下の一人だろうかと当たりを付けるも、側近と思われる蛙頭の化け物と少女が仔山羊にも同じように頭を下げているのに非常に嫌な予感を感じた。

 取り敢えずアインズたちに席を勧めながら注意深く彼らの様子を伺う。

 席に着いたのはアインズと仔山羊。

 蛙頭の化け物と少女が二人の背後に控えるように立つのに、嫌な予感が更に増していく。

 

「……ゴウン殿、この度はどのようなご用件だろうか。もし属国の件なら…」

「ああ、今回はその件ではないのだ。貴殿に聞きたいことと、……そう、少しばかりお願いがあってね」

「………“お願い”、というのは?」

「それよりも、まずは彼を紹介しよう」

 

 アインズの顔が隣に座る仔山羊に向けられるのに、ジルクニフたちもそちらへと視線を向けた。

 仔山羊は小さく首を傾げると、瞳孔が横に伸びた不気味な金色の瞳を細めさせている。恐らく微笑んだのだろう。人間とは違う毛皮に覆われた顔では表情が読み辛かったが、アインズや二人の配下がピリピリとした雰囲気を漂わせている中、この仔山羊だけは穏やかにジルクニフたちを見つめていた。

 

「お初にお目にかかります、私はウルベルト・アレイン・オードルと申します。お会いできて光栄ですよ、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス殿」

「あ、ああ…いや、ゴウン殿と同じようにジルクニフで結構だよ。それで…、オードル殿は一体…」

「彼は私の大切な友人で、私と同じ魔導国の支配者だ」

「………は……?」

 

 思わず呆けた声が出てしまったが、自分は悪くないと声を大にして言いたい。

 絶大な力を誇る死の支配者に友人がいるというのも驚きだが、同じ支配者とは一体どういうことなのだろうか。一つの国に王が二人いる?そんな馬鹿な…。

 アインズの言葉が理解できず、無性に頭を掻き毟りたくなる。

 しかしそんな事よりも恐ろしいことに気が付いて、ジルクニフはハッと目を見開かせて恐る恐る不気味な骸骨を見やった。

 彼は仔山羊のことを“自分と同じ支配者だ”と言った。それはつまり、この仔山羊も支配者としての…、アインズと肩を並べられる程の力を持っているということではないだろうか…。

 ジルクニフは自分の恐ろし過ぎる考えに、思わず一気に顔を蒼褪めさせた。

 しかしアインズはこちらの様子に気が付いていないようで、淡々と話を続けてくる。

 

「実は先日彼が何者かに襲われてしまったのだ。…闘技場で貴殿が会っていたフードを被った四人組について教えてもらえるだろうか?」

「っ!!?」

 

 ジルクニフはギョッと目を見開かせて我が耳を疑った。

 まず頭を過ったのはアインズに対する疑念だった。

 仔山羊の化け物が何者かに襲われたというのは信じられず、第一あの四人組の正体などアインズ自身がよく知っているはずだ。こちらの口から話させようとするなど、一体何を企んでいるというのか。普通に考えれば帝国と法国との繋がりを断ち切り、完全に帝国を孤立させ手中に収めるのが狙いだろう。しかし帝国は既に属国を願い出ており、今更法国を裏切らせるような真似をさせずとも、法国はもはや帝国を敵と見なしているだろう。自分以上の叡智を持つアインズにそれが分からないはずがない。一体何を考えているのだ…と相手の思惑を予想することすらできず、胃がキリキリと痛みを訴えてくる。

 いっそのこと全てを投げ出してしまい衝動に駆られるが、だがまずはどうしても確認しておきたいことがあった。

 

「……その前に、私が会っていた方々とオードル殿を襲った連中に何の繋がりがあるのか教えてもらえないだろうか?」

「ジルクニフ殿の疑問も尤もだ。しかし、まずはこちらの質問に答えてもらおう。なに、ちゃんと答えてもらえれば、我々も喜んで貴殿の質問に答えよう」

「……………………」

 

 口調は穏やかではあるものの、その身に纏う空気は酷く重苦しく威圧的なもの。眼窩の灯りは今までにないほど暗く揺らめき、表情がないはずの髑髏が怒りに歪んでいるように見えた。背後に控えている化け物と少女も笑みを浮かべてはいるものの、何かを必死に耐えているのかピクピクと表情筋が小さく動いている。

 息苦しいほどだった威圧感が更に勢いを増し、ジルクニフは早々に情報を引き出すのを諦めた。

 

「……闘技場で会っていたのは法国の方々だ。その…、以前から我が国の闘技場にとても興味があると伺っていてね。あの日は丁度闘技場に招いていたんだ」

「…ほう、やはり(・・・)法国の輩だったか」

「……………………」

 

 ワザとらしく相槌を打ってくるのが憎たらしい。

 しかし“やはり”という言葉が何を意味しているのかが不安で不気味だった。

 帝国と法国が秘密裏に動いていたことに対してなのか、それとも別の思惑があるのか…。

 

「…では、次はこちらが質問に答えよう。ウルベルトを襲った輩についてだが、まずは貴殿と会っていた法国の者と同じ四人組で、同じ灰色のローブを纏っていたらしい」

「っ!! …しかし、人数が同じで恰好が似ていたからと言って、その連中が法国の彼らだとは限らな…―――」

「加えて、ウルベルト様が放った使い魔から、ウルベルト様を害した愚か者たちは一直線に法国へ入ったと報告を受けています」

 

 こちらの言葉を遮って、蛙の化け物が畳みかけてくる。

 ジルクニフは思わず歯を食いしばって顔が歪みそうになるのを必死に堪えた。

 あまりにも上手く出来過ぎている。法国との密会の最中にアインズが現れ、それによって早々に帰国した使者が道中でアインズの友人だというウルベルトに遭遇し、使者ではなくウルベルトの方が襲われて今自分の目の前にいる。全てがアインズの計略だと思えてならなかった。

 

「そこで属国である…、いや、まだ同盟国だったな。同盟国である貴国に折り入ってお願いがあるのだよ」

「それは…、一体なんだろうか…?」

「なに、簡単なことだ。これより我がアインズ・ウール・ゴウン魔導国は、我が友であり至高の支配者の一人であるウルベルト・アレイン・オードルを害した愚か者どもを一人残らず根絶やしにする。その際、貴国には我らの大義名分を後押ししてほしいのだよ」

「………根絶やしというのは、つまり…」

「勿論、法国を滅ぼすという意味です」

 

 禍々しい大きな深紅の目玉を細めさせて笑う化け物に、一気に冷たいものが背筋を駆け抜けた。

 彼らの言葉はまさに“最悪”の二文字に尽きた。

 人間至上主義を貫く法国と言えども、アインズたちに敵うとは思えなかった。しかし今後アインズたちに対抗する時、法国の力は必要不可欠だ。ここで法国が滅びるということは、人類にとって絶望を意味していた。

 

「す、少し待ってくれ! 確かにオードル殿に危害を加えられたことは許し難いことだ。しかし見たところ、オードル殿も大した怪我はなさそうではあるし、ここはもう少し穏便に…」

「ふふっ、大した怪我はない…ですか…」

 

 自己紹介をしてから一言も言葉を発しなかった仔山羊が笑い声を零す。

 黄金色の瞳を細めさせ、じっとこちらを見つめてきた。

 

「あぁ、失礼。…ただ、大した怪我がないというのは少しばかり間違いです」

「それはどういう……。…っ!!?」

 

 ハラリ…と仔山羊の小さな身体を覆う漆黒のマントが大きく揺らめいた。

 現れたのは蛙の化け物が着ている物と似ている深紅の服。しかし右腕の袖のみ不格好に腕まくりされており、顔を覆いたくなるような惨状が露わとなっていた。

 毛皮に覆われた細い上腕が真ん中から折れており、太い骨が肉や皮膚を突き破って外に飛び出ている。血は止まっているのだろう、血の生臭さは感じられなかったが、大きな傷口から覗く赤が生々しく、あまりのグロテスクさに吐き気が込み上げてきた。

 

「見ての通り、当分使い物になりません。私はただ、幾つか質問をしたかっただけなのですがね…」

 

 フゥッと大きく息をついて、やれやれと首を振る様が何ともワザとらしい。

 しかしウルベルトが目に見える形で証拠となるものを持っているのは非常にまずい状況だった。これではなおのこと法国は不利になり、下手に言い逃れもできなくなる。ウルベルトだけでなく法国の使者も傷を負っていればまだ流れを引き寄せることも可能だったかもしれないが、ウルベルトの口調から考えるにそれもないのだろう。彼の言葉通り、もし質問をしようとしただけで攻撃されたのならば、それは圧倒的に法国に非があった。例え真実は違ったとしても、ウルベルトの怪我がそれを肯定してしまう可能性が大きい。しかし、ここでむざむざと法国を滅ぼさせる訳にはいかなかった。

 

「…それは確かに許されないことだ。しかし、滅ぼすのは些か勿体なくはないだろうか。法国は我がバハルス帝国やリ・エスティーゼ王国よりも古い歴史のある宗教国家だ。滅ぼすのはあまりにも惜し…――」

「つまり、法国に慈悲を与えろとでも?」

 

 再び蛙の化け物がジルクニフの言葉を遮ってくる。

 あまりにも無礼な行動にいつもなら後ろに控えている臣下たちが苦言を発するのだが、しかし彼らは未だ一言も口を開こうとはしなかった。

 確かに相手への苛立ちと腹立たしさはある。しかしアインズと蛙の化け物と少女が放つ鋭い威圧感に押し潰されて、口を開くのもままならなかった。彼らがここに来た時から怒りの感情を垂れ流しにしているのは感じていたが、今はその比ではない。怒気…、いやもはや殺気と言った方が正しいだろう。激しすぎる気迫に、それだけで殺されそうな圧迫感と息苦しさが三人の異形種から放たれていた。

 しかしジルクニフは、その中でも一人だけ何の感情も発していない目の前の仔山羊の方が一層不気味で仕方がなかった。

 

「………ジルクニフ殿、覚えておくといい。我々ナザリックに属する者にとって、慈悲とは苦痛なき死を意味する」

「っ!!」

「そして私…、いや我々は法国の者どもに慈悲も、それ以上のものも与えるつもりはない」

 

 闇の口内から響いてくる声音が、まるで呪詛のように言の葉を紡ぐ。死の支配者からどす黒いオーラが見え隠れしているようにさえ見えた。後ろに控えている蛙の化け物と美しい少女も、まるでつられる様に邪悪な笑みを浮かべる。

 

「…ウルベルト様は、わたくしたちがお仕えする大切な至高の御方の御一人。その玉体を傷つけるなぞ、死も許されぬ大罪でありんす」

「我が創造主であるウルベルト様に苦痛を与えるなど、それが一瞬であろうとも万死に値します。生きながらに裂き、剥ぎ、千切り、地獄の窯で焼くことすら生ぬるい…」

 

「シャルティアもデミウルゴスも落ち着きなさい」

 

 激しくなっていく空気の中、穏やかなまでの声音が優しく二人を諌める。

 通常であれば神の声にも等しいと感じただろうが、今のジルクニフたちには何故かとてつもなく異質で不気味な声に聞こえた。

 しかし仔山羊はまるでそんなジルクニフたちの思いを嘲笑うかのように、朗らかなまでの柔らかな笑みを浮かべている。

 

「私は構いませんよ。元はと言えば私の不注意が原因でもあります。それでアインズたちが少しでも傷ついてしまうリスクがあるのなら、それは犯すべきことではありませんしね」

「「ウルベルト様!?」」

 

 今までの威圧感が一瞬で霧散し、蛙の化け物と少女から驚愕の声が上がる。

 しかしウルベルトは心底楽しそうにフフッと笑みを浮かべるだけだった。

 晒していた右腕を再びマントの中へと隠し、真っ直ぐにこちらへと目を向ける。先ほどの優し気な眼差しとは打って変わり、射貫くような鋭さにジルクニフは思わずビクッと小さく背筋を震わせた。

 

「…但し、一度はあなた方の言う慈悲をかけてやるのです。もし次に少しでも我々を不快にさせた場合、すぐに殲滅対象とさせて頂きます」

「それは…!」

「ウルベルトがそう言うのであれば仕方がない。だが、何の咎めもなしというわけにもいかないだろう。ついては早速使者を送り、バハルス帝国からも証人として何人か同行を願いたい」

 

 矢継ぎ早に進んで行く話に、ジルクニフは目の前の骸骨と仔山羊を見つめながら思わずギリッと歯噛みした。

 やられた…!と悔しさと苛立ちが湧き上がる。

 ウルベルトの提案は、やり方いかんでは唯の時間の引き延ばしでしかなかった。いや、彼らは勿論そのつもりなのだろう。そして一度譲歩された以上、ウルベルトの言う“不快にさせた事象”が起こった場合はもはや誰にも止められない。法国は跡形もなく滅び、国土は焦土と化すだろう。

 慌てて止めに入ろうとするも、まるでそれを遮るかのようにアインズたちが立ち上がった。

 

「そうと決まれば早速準備をしなければな。ジルクニフ殿は証人となってくれる者をこの部屋に揃えておいてくれ。一時間後に迎えに来よう」

「い、一時間後かっ!?」

「勿論。ことは早い方が良いからな」

 

 まるでこれからピクニックに行くかのような気軽さでアインズが頷いてくる。

 ウルベルトも立ち上がると、蛙の化け物はすぐさま仔山羊の補助につき、少女が魔法を唱えた。

 先ほどと同じような闇の扉がどこからともなく浮かび上がり、四人はこちらの気も知らず、さっさと闇の中へと消えていく。

 ジルクニフは重苦しい威圧感から解放されたことに思わず大きな息をつきながらも、突然突き付けられた難題に頭を抱えるのだった。

 

 

 

**********

 

 

 

 バハルス帝国から戻ったアインズたちは、そのまま第九階層の円卓の間へと向かった。

 メイドたちが扉を開き、部屋で待っていたシモベたちが一斉に頭を下げてくる。

 デミウルゴスとシャルティアを除く階層守護者、パンドラズ・アクターとセバス率いるプレアデス全員が揃っていた。

 アインズとウルベルトが席に着き、それを合図に下げていた頭を一斉に上げる。

 

「…さて、まずは第一段階は無事に終了した。一時間後に第二段階へと移行する」

「アルベド、コキュートス、法国に攻め込む軍の編成はどうなっている?」

「既にアンデッドと悪魔を中心とした精鋭を揃えております」

「ゴ命令ガアレバ、スグニデモ出撃デキマス」

 

 アルベドとコキュートスの打てば響くような答えに、アインズとウルベルトがほぼ同時に満足そうに頷く。

 

「アウラ、奴らが帰国してから誰か怪しい奴らが国から出てきたか?」

「いえ、出てきたのは商人などの一般市民のみです。全員秘密裏に捕獲し、ニューロニストの元に送っています」

「セバス、法国について情報は集まったか?」

「はっ、既にフールーダ・パラダインや八本指を中心に情報をまとめております」

 

 バハルス帝国に行く前に命を受けていたシモベたちが順々にアインズたちに報告していく。それに頷きながら今後の計画について話し合う二人の御方を見つめながら、デミウルゴスは目まぐるしく思考を働かせていた。

 頭にあるのはウルベルトの右腕のこと。

 当時の状況などは既にウルベルトから説明されていたが、デミウルゴスはどうしてもその内容に納得できていなかった。

 ウルベルトの話によると、彼が怪我を負ったのは油断していたためであり、相手の武器に神聖属性が付与されていたからだという。しかしこの世界にある素材はナザリックやユグドラシルの物に比べてレベルが低く、それから作り出される武器など、たとえ神聖属性が付加されていたとしてもウルベルトの身に傷を負わせられるか甚だ疑問である。

 一番考えられるのは世界級(ワールド)アイテムといった強力なアイテムによるものだが、それならばウルベルトがそう言うはずである。アインズや自分たちのことを想ってくれているウルベルトが、それを故意に隠すことはありえない。ならば何が考えられるのか…と考えた時、一番に頭に浮かんだのはウルベルト自身の弱体化だった。考えてみれば、ウルベルトの身体は本来のものではなく、成長途中の子供のものだ。本来の大人の時に比べると体重も軽く、力も弱い。しかし、もしそれが皮膚や毛皮の防御力にも影響が出ていたのだとしたら?それが原因でウルベルトが怪我をしたのだとしたら?

 デミウルゴスは自分の考えにゾッと背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 もし自分の考えが正しければ、ウルベルトを戦場に出すべきではない。

 しかしそう考える一方で、ウルベルトが自身の弱体化を隠し計画を進めている以上、彼を戦場から離してナザリックに留まらせることはできないだろう。ならば自分ができることは命に代えてもウルベルトを護ることだ。同時に、彼の弱体化が幼子となったことに関係しているのならば、なるべく早くウルベルトを成長させて元の姿に戻す必要があった。

 一番に思いつくのはワインを飲ませるという方法だったが、それではあまりにも時間がかかり過ぎる。もっと早くウルベルトを元に戻す方法をないものかと頭を悩ませる中、ふとウルベルトと共に外へ視察に出た日の翌朝のことを思い出した。寝台で目を覚ましたウルベルトは、確かに前日よりも大きく成長していた。前日の夜はワインを飲んでいなかったため、何か他の原因があったはずだ。

 ワインは一説によると“神の血”とされており、対象の血肉や感情を力の糧とする悪魔にとって、力を取り戻すにはうってつけの物とも言えた。同じように、ウルベルトが急激に成長した原因も悪魔として深い関わりがある物かもしれない。

 普段と違うことはなかっただろうかと必死に記憶をかき混ぜ、ふと牧場でのことを思い出した。

 あの日はいつもと違うことが多くあった。しかしその中でも牧場で繰り広げられた家畜たちの絶望や悲鳴、濃密な血肉や死の匂いが一番悪魔に影響があったのではないだろうか。であるならば、これからの計画はやりようによってはウルベルトを大きく成長させることができるかもしれない。

 先ほどあったように、本当に弱体化しているのであれば彼を戦場に出すのは危険を伴う。しかしセバスがまとめた情報が正しければ、法国のレベルは十分自分たちだけでも護り通せるものだろう。後は世界級(ワールド)アイテムに気を付けながら行動すればいい。

 

「ふむ、問題はなさそうだな。…後はプレイヤーの存在と世界級(ワールド)アイテムが気がかりだが」

「少なくとも法国にはいないんじゃないか? 俺たちプレイヤーはこの世界では桁が違うらしいし、そうなると身を隠そうとしても完全に隠れられるようなもんじゃない。噂なり影なりは出てくるはずだ」

「セバスたちの情報によると、気になるのは六大神の伝説のみか…。となると、少なくとも現在では法国にはいない確率が高いですね」

「六大神をプレイヤーと仮定して、彼らがユグドラシルでどこのギルドに所属していたのかは知りようがないが、世界級(ワールド)アイテムは多くて三つほどじゃないか?」

「そうとは限りませんよ。他にも過去にプレイヤーがいた痕跡は残っています。彼らが持っていた世界級(ワールド)アイテムを集めて所持している可能性もあります」

「ああ、確かに…」

 

 真剣な表情を浮かべて話し合う二人の様子は、かつてのナザリック全盛期の光景を思い出させる。

 懐かしさと大きな歓喜に心を震わせながら、デミウルゴスは意を決して話し合う至高の主へと一歩足を踏み出した。

 

「アインズ様、ウルベルト様。僭越ながら一つ提案がございます」

 

 アインズとウルベルトがほぼ同時にデミウルゴスを振り返る。

 悪魔は自身の至高の創造主のため、にっこりと笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジルクニフと会談して一時間後。

 再びバハルス帝国に転移したウルベルトたちは、ジルクニフが厳選したのだろう使者二名を連れて一斉に法国の上空へと転移した。

 メンバーはウルベルトと半悪魔形態となったデミウルゴス、“ヘルメス・トリスメギストス”を纏ったアルベド、ヴィクティムを抱きかかえたソリュシャン、そして護衛として八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウデーモン)を十人ずつ後ろに控えさせていた。

 過剰すぎる戦力にウルベルトは苦笑を禁じえなかったが、自分のことを心配してくれるアインズたちの気持ちも理解できるため何も言わなかった。同行している帝国の使者二人が死にそうな顔色で萎縮しているのも目に入ったが、敢えて気が付いていないふりをする。

 そんな事よりも今重要なのは謁見である。

 法国の方にはジルクニフと謁見している間に既に自分たちが来ることを伝えてある。

 方法はリザードマンたちの時と同じで、突如現れた精神をかき乱す絶叫を放つ非実体のアンデッドにさぞや大騒ぎになったことだろうと内心で人の悪い笑みを浮かべた。

 

「ウルベルト様、あちらです」

 

 デミウルゴスがウルベルトに声をかけ、一つの教会のような建物を指さした。

 街の中でも一番大きく高い建物。恐らくその最上階で目的の人物たちが待っているのだろう。

 ウルベルトは一つ頷くとアイテムボックスから一つのアイテムを取り出した。

 見た目はポーションと全く同じだが、瓶に入っている液体の色は赤ではなく緑色。

 全く美味しそうに見えない液体を一気に喉の奥へと流し込むと、魔法陣を展開させて詠唱を唱えた。

 

「〈写し身人形(コピードール)〉」

 

 ウルベルトの作り出した魔法陣が全員を包み込み、次の瞬間、淡い光と共にデミウルゴスが指さした建物の最上階の一室にウルベルトたちの姿が浮かび上がった。

 白を基調とした、まさに教会と言ったような雰囲気の大きな部屋。元々会議室として使っていたのだろうか、大きなテーブルを囲むように複数の椅子が並べられており、壁には複数の扉と大きな窓が備え付けられていた。窓はすべてステンドグラスで、外からの光に色づく様は悪魔となったウルベルトも素直に美しいと思えるほど見事な物だった。

 室内には老齢の十一名の男と一名の女が立っており、突然のウルベルトたちの登場に一様に驚愕の表情を浮かべていた。

 痛いほどに静まる室内。

 しかし次の瞬間、まるで爆発が起こったように一斉に人間たちが騒ぎ出した。

 ある者は身構え、ある者は声高に人を呼び、ある者は呆然とウルベルトたちを見つめている。彼らは高位の聖職者なのだろう、身に纏っている服は上等なローブで、服のデザインからおそらく神官なのだと推測できた。

 ウルベルトは隣に控えているアルベドを見やり、彼女は恭しく一礼して未だ騒いでいる人間たちに顔を向けた。

 

「静かにしなさい。こちらにおわすは我らが至高の主にしてアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル様です。即座に下劣な口を閉ざし、こうべを垂れなさい」

 

 威圧感たっぷりの漆黒の全身鎧(フル・プレート)から美しい女の声が聞こえてきて、この場にいる誰もが思わず口を閉ざす。

 先ほどまでの騒ぎが嘘であったかのように静まり返る室内に、ウルベルトは満足げに笑みを浮かべて小さく頷いた。

 

「初めまして、法国の皆さん。私はウルベルト・アレイン・オードル。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の使者として参りました」

 

 人語を喋る二足歩行の仔山羊に誰もが驚愕に息を呑む。しかしこちらとしては知ったことではないし、逆に彼らの反応に笑みさえ浮かべてしまう。

 ウルベルトは断りもなく勝手に近くにあった椅子へと歩み寄ると、一人腰かけて目の前の人間たちを見やった。

 デミウルゴスとアルベドはウルベルトの左右に立ち、他の者たちはその背後に控える。

 

「さてさて、我々がこちらに出向いた理由は既にメッセンジャーによってご承知のことと思います。つきましては、貴国は本日よりアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となって頂きます」

「「なっ!!」」

 

 驚愕の声は二つの方向から聞こえてきた。

 一方は法国の聖職者たちから。

 もう一方は帝国の使者たちで、彼らは青白い顔でウルベルトを見つめていた。

 心なしか縋るように見つめられているような気もするが、こちらとしては最初から法国を逃がすつもりはないため完全無視だ。属国に頷くのであれば奴隷としてジワジワと死に追いやり、属国を拒否するのであれば交渉決裂として今度こそ滅ぼせば良い。こちらは一度譲歩した体にしているため、どちらに転んだとしてもアインズ・ウール・ゴウン魔導国の慈悲深さと力は十分周辺諸国にもアピールできるだろう。

 さてさて彼らは一体どう返してくるのか…と期待する中、漸く立ち直ったのか一人の男が慌てたように少しだけ身を乗り出してきた。

 

「ま、待って頂きたい! 我々としてはオードル殿を傷つけた輩に覚えがない。例え法国の者であったとしても、それは…!」

「ああ、見え透いた嘘は結構。残念だが、我が忠実なシモベが私を傷つけた四人組を追跡していましてね。こちらの国家機関に属する者だということは既に調査済みなのですよ」

「…それこそ、何の証拠もない言いがかりでは?」

 

 次は違う男が反論してくる。

 鋭い瞳が印象的で、この場にいる聖職者の中では一番若そうだ。

 男は先ほど声を上げた男よりかは冷静で多少は頭が回るようだったが、その言葉はあまりにも相手を考慮したものとは思えなかった。状況判断と見る目が欠落しているな…とウルベルトは内心で男に対してマイナス点を与える。

 相手が唯の人間の勢力ならば先ほどの言葉も効力があっただろう。しかし今彼らの前にいるのはウルベルトたちなのだ。ハッタリも脅迫も言い逃れも、何一つ効きはしない。

 

「おやおや、嘘つき呼ばわりとは失礼ですねぇ。何故この場に我々だけでなくバハルス帝国の使者もいるのか、分からないあなた方ではないでしょう?」

「……………………」

 

 ニッコリとした笑みと共に言ってやれば、途端に男が黙り込む。

 バハルス帝国の使者が同行している…、この事実はこちらが言葉にせずとも絶大な効果を相手に与える。いや、この場合こちらが説明しない方が相手は勝手に勘違いしてくれることだろう。男の表情は微動だにしていないが、その実目まぐるしく頭を動かしているのが分かる。他の聖職者たちも一様に顔を強張らせたり困惑の表情を浮かべたり、考え込むような素振りを見せている。

 しかしウルベルトはそんな余裕すら彼らに与えるつもりはなかった。

 法国に赴く前にアインズと共に幾つかプランを考えてきたのだが、さてどのプランでいこうかと内心で舌なめずりする。

 やはりナザリックの外に出ると悪魔としての残虐性を強く感じてしまうな…と思わず小さく苦笑を浮かべる中、不意に目の前の男たちに動きがあった。

 

「…残念だが、貴殿らの言葉に頷くつもりはない!」

「お前たち、今だっ!!」

「ベレニス!!」

 

 バンッと大きな音と共に部屋中の扉が開き、十人ほどの男女がなだれ込んできた。聖職者たちを護るようにウルベルトたちの前に立ちはだかり武器を構える。その中に見覚えのあるグレートソードの男とビーストテイマーの男を見つけて、ウルベルトは知らず小さく目を細めさせた。さて何をするつもりか…と見定めるように見つめる中、ベレニスと呼ばれた女が勢いよく身に纏っている法衣を脱ぎ捨てた。

 現れたのは白銀の生地に金色の竜が描かれた見事なチャイナ・ドレス。

 ここにペロロンチーノがいれば、さぞや嬉々として食いついたことだろう。着ている人物が老齢の女でなければ…。

 醜く膨れたふくよかな手足が惜しげもなく晒され、非常に嬉しくない露出にウルベルトは思わずこの場の状況も忘れて目を逸らしそうになった。肉付きの良い丸っこい顔は他者に安心感をもたらすのだろうが、チャイナ・ドレスはいただけない。チャイナ・ドレスという物自体、本来は身体のラインが出るように設計されているため、チャイナ・ドレスが肥満体に引っ張られて、まるでソーセージかハムのような滑稽な状態になっている。隣に立つデミウルゴスの蛙のような顔も心なしか引き攣っているように見えて、まさかこれが狙いなのでは?とさえ思えてくる。因みにヴィクティムは変わらず、アルベドとソリュシャンは虫でも見るような無機質な表情を浮かべていたのだが、ウルベルトは知りようのないことであった。

 それはさておき、ウルベルトたちが思わず気の抜けたような雰囲気を漂わせる中、ベレニスが身構えたとほぼ同時にチャイナ・ドレスが眩しいほどの光を放ち始めた。

 突然侵入してきた男女の内の四人が突撃し、ほぼ同時にチャイナ・ドレスから黄金の竜が光となって飛び出てくる。光の放流となった竜は一直線にウルベルトへと襲い掛かり、四人の男たちは妨害してくるであろうデミウルゴスやアルベドたちへと刃を向ける。迫りくる竜の牙と四つの刃に誰もがウルベルトたちの末路を確信した、その瞬間…――

 

 

 

「……まさか一番してきそうにないことをしてくるとは…、思っていたより愚かですね」

「っ!!?」

 

 ウルベルトの呑気な声が響くと同時に、竜も刃も呆気なく彼らの身体をすり抜けた。

 手応えも何も感じない…、まるで空を切ったような感覚。

 誰もが驚愕に目を見開く中、不意に女のくぐもった呻き声が響き、この場にいる全員がそちらへと振り返った。

 目に飛び込んできた光景に鋭く息を呑む。

 あまりにも悲惨なチャイナ・ドレス姿に遅まきながら衝撃を受けたわけでは決してない。

 影のように揺らめく漆黒の悪魔が三体、背後から腕を巻き付けて彼女の身体を雁字搦めに拘束していた。骨ばった大きな漆黒の掌がベレニスの顔を鷲掴み、彼女から言葉を封じ込めている。

 彼らはウルベルトがフレズベルクと共に侵入させていたシャドウデーモンであり、万が一相手が強力なアイテムを使ってきた場合、背後から襲撃して捕縛するように命を受けていた。

 そして、その時は訪れた。

 シャドウデーモンたちはウルベルトの命令通りにベレニスを拘束すると、特殊能力(スキル)で発動させた足元の闇の穴へと引きずり込んで行った。そのあまりにも突然なことと鮮やかな手際に、誰もが成す術もなく呆然と闇へと沈むベレニスたちを見送る。

 そして遅まきながら、ウルベルトたちの姿も消えていたことに気が付いて顔を蒼白に蒼褪めさせた。

 

 

 

 

 

 一方その頃ウルベルトたちはと言えば、法国の上空で呑気に美しい街並みを見つめていた。

 

「…まさか本当に強行手段に出るとは思わなかったな。あいつら馬鹿なのか?」

「ですが、おかげであの謎のアイテムが手に入りました。ただいまシャドウデーモンたちがあの女ごとナザリックに運んでいるとのことです」

「ふ~ん。…アイテムを一つ無駄にしたんだ、奪取したアイテムがレア物だったら良いな」

「左様でございますね」

 

 ウルベルトとデミウルゴスが朗らかに言葉を交わす。微笑ましい主従の様子に、他のシモベたちも楽し気な笑い声を零した。

 上空に零れ落ちる、異形種たちの笑い声。

 彼らは慈愛に満ちた柔らかな笑みを浮かべると、改めて穏やかに下界を見下ろした。

 

「さてさて、これで第二段階も終了した。そろそろ第三段階の幕開けと行こうじゃないか」

 

 ウルベルトは徐に両手を宙に掲げると、瞬間大きな魔法陣が彼らの足元に展開した。

 

「絶望と悲鳴の宴、開くは地獄の咢、我が声に奈落のシモベよ来たれ! 〈最終戦争(アーマゲドン)(イビル)〉!」

 

 声高に唱えた詠唱に応えて、ウルベルトたちの背後の空間に巨大な闇の穴が口を開いた。

 蠢く闇の中から出てくるのは様々な悪魔の軍勢。召喚者の命すら聞かぬ欲望にまみれた悪魔の大軍が、獲物に舌なめずりしながら一直線に街へと群がっていく。

 一瞬で多くの殺戮と悲鳴が響き渡る地獄へと化した神都に、仔山羊の悪魔はニヤリと悪意に満ちた笑みを浮かべた。

 

 

 




オーバーロードの時間の単位が分からない~。
普通に○時○分で表現しているんですが、合ってましたっけ?
もし間違えてしまっていたら、申し訳ありません…。その場合は教えて頂ければ幸いです!


*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈写し身人形〉;
第10位階の幻術魔法。対象(複数可)の幻影を作り出す。対象が動かなくとも、自由に幻影を動かすことができる。

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