比企谷くんの同級生(仮)   作:ほーき。

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7話

 春の麗らかな日差しをカーテンの隙間から一身に受ける一人の少女。

 春に相応しい名を持つ彼女はただいま絶賛不機嫌中である。

 長机の対角上にいる俺と雪ノ下との温度差が激しいような……。まあ、こっちは日陰ってのもあるが、雪ノ下からの腐ったみかんを見るようなジト目が怖い。

 机に突っ伏し顔だけをこちらに向けている。

 温度差というか、湿度が違うような雪ノ下の視線で俺の周りじめじめしてない?

 ここで、遠い記憶がよみがえる。

 そう、あれは小学校の歓迎遠足のこと。

 近場の自然公園まで異性と手を繋いで歩くという小学生ならではの可愛い行事。当時は年相応の少年だった俺は夜も眠れず、この後の地獄を知らずに浮かれていた。

 遠足初日になり、校長の話が終わりいざ、出発というときに、手を繋ぐはずだった女子が涙目でこう言った。

 

「あ、あのね。ひき……が、やくん? は、ね。なんかヌメヌメしてるから手を繋げないの!」

 

 と、突然の告白に帰ってから枕を濡らしたのは良い……お、思い出です!

 あ! これヌメヌメのエピソードでした!

 ……あのあと、泣きながら母ちゃんに「ヌメヌメしてる?」って聞いて、何かを察した母ちゃんに黙々と頭を撫でられてたな……。

 

 今の状況が良くないと過去の記憶に逃げたが逃げ場がどこにもなかったでござる。

 まあ、未来は不安しかないしどっち道、現実に戻るしかないわけで――。

 鞄から文庫本を出し、広げながら不満を漏らす。

 

「こっち、あんま見ないでくんない?」

「む! ……はあ、嬉しかった? 人に頼られて」

 

 雪ノ下は呆れたように、蔑むように問うてくる。

 

「ああ、嬉しいね。残念ながら生まれてこの方、人に頼られたことなかったからな」

 

 雑用とか、掃除の押し付けとかならあるけど、純粋に助けを求められたのは初めてだった。

 純粋と思えたのは戸塚の第一印象が良かったからだろう。

 

「うん、確かに頼られたのかもね。でもさ、それって今までされてきたことと同じじゃない? 嫌なことを人がやりたくない役を押し付けられる」

「……ちげぇよ。たぶん」

「どう違うのかな?」

 

 執拗に問いただそうとする雪ノ下に、ムキになる俺――。

 平行線を辿る会話に終わりはない。

 

「戸塚に会えば理解できると思うぞ」

 

 最大限の譲歩。

 雪ノ下と言えど、戸塚と話せば分かるはずだ。

 いや、雪ノ下なら少しの会話で人となりを把握できる。

 まあ、残念なのは俺が戸塚と雪ノ下を引き合わせるようなことをしないことか。

 できないと言ったほうが正しいのかも知れない。

 戸塚は部活で忙しいだろうから、段取りを進めるためには休み時間に話さないといけないが、俺みたいな奴が戸塚に接触するにはリスクが高い。

 言ってしまえば、戸塚への不信感が集まる可能性を捨てきれないのである。

 人畜無害の俺が誰に話しかけようが問題ないのかもしれない。しかし、こういった浅はかな言動が後のごたごたに繋がるのである。

 浅はかな言動で中学生だった俺は枕を何回濡らしたことか。

「それだと意味がないんだよねー」と席を立ち、紅茶を淹れ始める。

 その様子を見て、俺は文庫本に目を落とす。

 視覚は文字のみを追いかけ、嗅覚は紅茶の良い匂いを嗅ぎ付ける。

 すると、扉が開く音を聴覚が知らせてくる。

 音のする方に顔を向けると二堂が教室に入らず廊下側に突っ立っている。

 二堂の脇からひょこっと顔が飛び出る。

 俺を見つけるやいなや、てとてとと近づき手を掴み微笑む。

 

「手伝ってくれる人って比企谷くんなんだね!」

 

 嬉しそうに笑う天使。もとい、戸塚は何か大きな勘違いと共にやって来た。

 

「とりあえず、座ったら? 紅茶も四人分淹れたからさ。……依頼者なんだよね?」

「はい、そうです」

 

 二堂が代わりに答える。

 四人分のカップをお盆に乗せた雪ノ下は戸塚に席に座るよう促しそれぞれの場所にカップを置いていく。

 皆が着席し、必然的に沈黙が訪れる。

 戸塚は困ったように俺と雪ノ下の顔を交互に視線を移し、二堂は連れてきた張本人にも関わらず、我関せずと、紅茶をちびちびと口に含んでいらっしゃる。

 雪ノ下は雪ノ下で誰かが話し出すのを待っている。

 静かな場所は好きだが、張りつめた緊張感は心臓に悪い。

 一連の流れを作った本人に聞くのが早いと思い口を開くも先ほどまでの重い空気に喉が萎縮し、きゅっ、と喉が鳴る。

 

「……」

 

 恥ずかしさもあり、口を閉ざすことにした。

 目ざとく見ていた雪ノ下は声を出さずに笑いながら声を漏らす。

 

「くっ、……ふふ、ひ、比企谷くん続き、どうぞ」

「……二堂、説明してくれ」

 

 雪ノ下を無視し、二堂に話しかける。

 

「はい、雪ノ下さんが本人を連れてこいと仰られたので、彩加さんを呼びにいって参りました」

 

 簡潔に話すとすぐに口を閉ざし、じっとしている。

 代わりに雪ノ下が不満そうに口を尖らせていた。

 

「別にそんなこと話してないんだけどー」

「いえ、反応で正解だと思いましたので……、っ! 確かに雪ノ下さんは言ってません。しかし、彩加さんを呼んでしまいました。ど、どうしましょう、比企谷さん!?」

 

 二堂らしくない後半の慌てっぷりに多少驚きつつも、自分に話を振られたので答える。

 

「まあ、なんだ。……来たんだし、話だけでも聞いたらどうだ?」

 

 確認の意味を込めて雪ノ下に同意を求める。

 雪ノ下は肩を竦めながら大袈裟にため息をつく。

 アメリカ人か!

 やれやれ、比企谷くんは……。

 みたいな反応やめてくれ、むかつくからさ。

 

「そうだね、可愛い子の頼みなら、何でも受けちゃう下心の化身みたいな比企谷くんの意見を採用してあげるよ。……わたし大人だからね!」

 

 謎のテンションで俺の意見に同意した雪ノ下は戸塚を観察するように頭から足さきまでを眺める。

 こいつなんか勘違いしてないか? 俺と同様の勘違いを……。

 

「戸塚は男だぞ」

「そんなの初めから分かってるよ。比企谷くんじゃあるまいし。わたしが言いたいこと、理解できない?」

「すまんが解らん」

「比企谷くんはね。自分より弱い立場の子を助けたいだけ、なんだよね?」

 

 雪ノ下はこれがおまえの真理だと、言わんばかりに声を大にして話す。

 確かにか弱い女子を助けたいと思わなくもないが、戸塚はその部類に入らないんじゃないだろうか?

 戸塚は見た目はか弱そうだが、部のためこうして誰かに頼れる強さを持っている。

 弱い奴は頼るなんて選択肢はない。

 俺みたいな奴に頼るんだ。……あれ? 弱くない?

 いや、俺を部に入れ、他の部員の競争心もとい、外から来た外敵を排除しようとする、事故防衛本能を刺激させるという完璧な作戦を水面下で成功させようとしているあたり、逞しいではないか!

 考えすぎか……。

 現に自分に振られた会話を横取りされ、困ったように微笑んでいる。

 仕切り直して戸塚に言う。

 

「わりぃ、戸塚。話してくれ」

「う、うん!」

「あー! 無視した。女の子の言葉、無視するんだー。ちょっと、触れられたくない会話を持ち出されると逃げる系男子なんだー」

「うるせ、相手の嫌がることを理解してほじくる、性悪女」

「っ! へぇ、言うじゃない、比企谷くん?」

 

 またしても雪ノ下が口を挟んでくる。

 それに甲斐甲斐しく答える俺も大概だけど――。

 

「あの、彩加さんが一度目はまだしも、二度も遮られ大変困惑しております」

 

 静かに主張する二堂。すると、雪ノ下がハッとしたように戸塚を見る。

 

「えっと、……よし。ごめんね? それで、君は戸塚彩加くんでいいのかね?」

「はい。……それじゃあ、どこから話したらいいかな?」

「うーん。大体は比企谷くんに聞いちゃったからなぁ」

 

 顎に手を当て考えるポーズをとる雪ノ下。

 戸塚は続きを聞こうと話を伺う。

 

「どこまで、比企谷くんに聞いてるのかな?」

「ん? 比企谷くんを外敵として招いてみんなに駆除させようとしているところかな」

「ひ、比企谷くん!?」

 

 戸塚が雪ノ下の言葉に唖然とし、慌てて俺に声をかける。

 すまんな、戸塚。人には一生勝てない敵が一人はいるもんなんだよ。

 でも、雪ノ下にしては行き過ぎたジョークではある。真意は読めないがターゲットは戸塚ではなく、俺なのかもしれん。

 

「雪ノ下なりの冗談だよ。……たぶん」

 

 尻下がりに表情を萎ませていく戸塚に申し訳ないが、あいつの考えなんて、読もうとするだけ無駄なのかもしれない。

 現に雪ノ下はゆるゆると頬を緩ませながらこちらを見つめている。

 いつまでも馬鹿にされるのを癪に感じ睨み返すことにした。さっきまで、こちらに視線を反らすことなく見ていた雪ノ下が急に目線を下げ、カップの縁をなぞり始めた。

 理由は分からないが、これで話は進めやすくなっただろう。

 

「あー、……戸塚はどうしたいんだ?」

 

 ここに来た理由は二堂に連れてこられた。

 しかし、戸塚は何か自分の意見を言おうとしていた。

 それくらい聞いても時間の無駄ではないはずだ。

 

「うん。部活に入って欲しいって、言ったのは取り消すね? 少し一方的だったかもって反省してるんだ。……改めて比企谷くんには――奉仕部には僕を強くしてもらいたいんだ!」

 

 ダメ……かなぁ?

 と、儚げに、しかし真剣に言葉を紡ぐ。

 少なからず、力になりたいと思ったのも事実なわけで――。

 

「俺が賛同してもな。……部長、雪ノ下だし」

 

 そう、いくら俺が両手を上げて賛成しても、この部の最高権威が許可を出さない限り手伝うことはない。

 

 戸塚の力にはなりたいが、正直面倒だな――と考えないわけでもない。

 雪ノ下が断るならそれでも良いし。依頼を受理するなら雪ノ下と二堂がなんとかするだろう。

 俺の負担は少ない。

 

「うん。いいよ。個人を強くする程度なら問題なし! それで、部活の子たちを引っ張っていければ尚更ね」

「はい、初めての依頼頑張ります!」

 

 やけに声を大きくして答える雪ノ下に、小さくも向上心高めの発言をする二堂。

 何だかんだで二人とも乗り気のようだ。

 よかろう。頑張りたまえ。

 月並みだが、こんな台詞を述べ俺は立ち去るとしよう。

 ぶっちゃけ、学校でも有数の美少女である雪ノ下もそうだが、色白で日本人形のような二堂も只者ではない雰囲気を醸し出している。

 戸塚も見た目美少女なので、俺が入ることで、不審者感が一層強くなる。

 爽やかな雰囲気はあまりにも、俺らしくない。

 

「あ、比企谷くんも参加だからね!」

 

 わたし分かってます。

 と、雪ノ下は釘をさす。まあ、なんとなくそうなるだろうと心の隅で確信していた。

 戸塚の同意を得るために目でコンタクトを送ると大きく頷き返してくれた。

 

「比企谷くんも手伝ってくれると嬉しいな。……男子が僕だけってのも、ね?」

 

 いやいや、問題なくね?

 そこに俺がいるのが不自然なくらいだし。

 見方によってはストーカーと見られても違和感ないくらいにな。

 

 よくよく、考えるとどうしてこうなってしまったんだろうか?

 いつの間にか女子二人と部活をし、男の娘とテニスをし――。

 どこから俺は間違ったのか。考えればいろいろ浮かぶが、いちいち思いだすのも馬鹿馬鹿しい。

 後方から鋭い視線を感じ振り向くと、平塚先生がニヤニヤと笑みを溢していた。

 我が子の成長を肌で感じている母親のような温かい視線にむず痒さを覚えるもどうしても言いたいことがあった。

 

「親戚のお節介なおばさんかよ。……そんなんだから、結婚できないんだよ」

 

 ぼそっと呟いた声は依頼に対して意気揚々な二人と、手伝ってもらえる喜びで聞こえていない戸塚に届くことなく消えていった。

 

 


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