黙々と食事を行う。
そこに会話は生まれない。
俺もなのだが、二堂も食事中は無駄話をしない派らしく、弁当箱に彩りよく飾られた料理を口にしている。
俺はもう食事を終えていたのでボケーっと、快晴の下昼休みにも関わらず、ひたすら壁打ちをしている体操着の少女らしきテニス部員を眺める。
それにしても、物悲しい。
何故だろうと考える。理由は一つだ。
先ほど判明したこと――俺のブレザーに関することだ。
雪ノ下陽乃が装備すると稀代の装飾品にも匹敵するほどの優雅さを帯びる。
言い過ぎか、言い過ぎだな。
それに関してはよしとしよう。
しかし、今の状況は良くない。言葉にすると恥ずかしいがあえて口にすると――。
二堂さん俺のブレザー返してください!
平然と俺の横で弁当を突っついている二堂ではあるが、肩には男子の制服を装着している。腕には通さず羽織る形で……。
物悲しいと言ったがただただ寒い。
解せぬ……。こういうのって所謂、萌えるシチュエーションじゃないのか?
女子が男子の制服を着る。定番すぎるくらい定番だが、俺みたいな女子と接する機会が皆無だった奴には嬉しくてしょうがないはずなのに。
理解してる――あいつのせいに違いない。
俺の上着と純情もろとも奪い去り、あまつさえ目の前で着るという傍若無人ぶり、あいつは魔王――大魔王である。許すことはないし、俺が許そうが許さまいが雪ノ下には関係ないんだろう。
自分が楽しかったらオッケーなのだから……。
天性の快楽主義者。
ふと、よぎった言葉に納得する。
……で、雪ノ下が大魔王なら二堂は悪魔か堕天使か。
着れずにいたブレザーをつまみ上げ二堂は「雪ノ下さんの匂いがします」と興味深げに言い、寒いので、と訳の分からないことを口にし羽織って食事を開始した。
その前にいろいろ言っていたが、正直雪ノ下との場面を見られたことによる衝撃で記憶にない。なくもないが消去した方が良いだろうと頭が判断を下した。
ご馳走さまでした。
風に吹かれるようにその小さな声が聞こえてくる。
わずかに視線を二堂に向ける。小さな弁当箱を仕舞い、魔法瓶を取りだし付属のコップに注ぎ入れる。
「比企谷さん、寒いのでお飲み下さい」
そっと俺に差し出す。
「……は?」
「等価交換です。比企谷さんには上着を貸してもらいました。なら次は私がお返しをしなければいけません」
貸してねぇよ!
奪い取ったじゃねぇか。
二堂は当然でしょ? と当たり前のことだと言うように一人納得したのかうんうん、と唸っている……。
そのわりに、差し出された腕は緊張しているのかプルプルしている。
「はあ、無理すんなよ。その……恥ずかしいんだろ?」
「そう思うのなら早く受け取って下さい」
戻す気がないのかさらに押し付けてくる。
半ば強引に渡してくるので仕方なくもらう。
これって……か、間接――いや、まだ飲んでない可能性が……。
「申し訳ないのですが一回、口をつけています」
「飲めるか! 」
コップを突き返す。
俺がどう反応するのか分かっていたのか、クスクスと口元を抑え静かに笑う。
「冗談です。実はこちらを用意しておりました」
再度差し出された手にはコップではなく、缶コーヒーが乗っていた。
「どうも」
手元にはほんのり温かさを残した缶コーヒーが一つ。
俺にしては素直な態度。
しかし、しょうがないだろ――これを断ればまた違う手でからかってくる。
缶コーヒーに手を掛け蓋を開けるとプシュっと、気の抜けた音が漏れる。
ちびちび飲むのもなんなのでグビっと一気に飲み干す。
「にげぇ」
ブラックじゃねぇか。
うげー、と顔をしかめてしまう。
「……もしかして、ブラックは苦手でしたか?」
「まあ、苦いより甘いほうが……」
「人生も同様ですね」
しみじみと噛み締めながら二堂は遠い空を見上げる。
……噛み合わないなー。
ちょいちょい話が逸れる。意図的か、恣意的なのかは不明だが――。
「昼飯、一緒に食べるやついねぇの? 雪ノ下とかさ」
二堂の話しやすい雰囲気なのか、俺のコミュ力が上昇中なのか不明だが俺から話題を作る。
二堂の学校生活が上手く想像できないでいた。
雪ノ下は言わずもがな――狡猾に円滑に生徒を操り自分の立場を守りつつ、面白そうなものには首を突っ込み、散々ひっかきまわし満足すると去る。
台風みたいな奴。
おおよそのイメージができるが、二堂は分からない。名前を出したはいいが二堂が雪ノ下と一緒に昼休みを過ごしているのは想像できない。
「いえ、雪ノ下さんの派閥には属していないので……」
「じゃあ、別の人と食べてるのか?」
「それも違います。私は無所属です」
「それって……」
そこで区切る。聞きたくない。
理解した。したが、そんな悲しいことを聞きたくなかった。
……いや、ね? そんな堂々と言うもんだから。
ぼっちの俺が言うのもあれだけどさ。
「比企谷さんと一緒ですね!」
「喜ぶなよなぁ」
そろそろ時間か、スマホを取りだし確認する。
次の授業まで十分前、いい頃合いだ。
よし、ここは知らず知らずのうちに無言になり、お互い気まずくなり、俺がひっそりとフェードアウト。
完璧、完璧すぎる。そうと決まれば即実行。
「えい!」
できませんでした!
何を血迷ったのか、二堂はチャームポイント兼比企谷家の印――アホ毛を鷲掴み、至極ご満悦の様子。
「……おい」
「……風で揺れてたので、つい」
おまえ、猫じゃらしじゃないんだっつーの。
鬱陶しいので軽く手を退ける。
この子たち、人の頭触りすぎじゃね?
「仲良しなんだね。二人とも」
からからと楽しそうな笑い声が前方から伝う。
聞き慣れない声音に驚き、ばっ、と二堂から離れ声の主を見る。
体操服にラケットを持ち、首からタオルをぶら下げた少女は――確か昼休みいつも壁打ちしてた子だったはず。うん、今日もしてたよ、な?
記憶を探りつつ状況を判断する。
「こんにちは、彩加さん。自主練は終わりですか?」
二堂は顔見知りなのか、気さくに声をかける。
あまりにも小さい声は風に吹きとばされ彼女に届いてないのでは? と疑問に思うも、要らぬ心配のようでしっかりテニス部の彼女には聞こえたようで元気いっぱいに返事をする。
「うん! 次の授業もあるからね。あ、えっと、比企谷くん」
「うぇ? な、なんでしょうか?」
いきなり呼び掛けられすっとんきょうな声を発してしまう。
言いにくそうに口を開いては閉じを繰り返し、決心がついたのか両方の拳を握りしめ励ますように胸の前に持っていき――。
「次の授業、体育だけど着替えなくていいの?」
「……着替えます」
わーい、体育だー、体育……。
……着替えよ……。
立ち上がりグッと背中を伸ばす。
四限から座っていたのが原因なのか腰がバキバキと鳴る。
テニスコートを背に教室棟に入る。
「良かったね。比企谷くんに会えて」
「彩加さん。聞こえます!」
何やら怪しげな会話が聞こえるが、まあ悪口じゃないしいいか。
……ブレザー二堂に貸したままだ。
* * *
急いで着替え、テニスコートに向かいなんとか間に合い、列に並ぶ。
危なかった。万が一ここで、遅刻しようものならクラスメイトからの異物を見るような視線に晒される。
ぼっちたるもの浮かずに、しれっとその場に馴染む。これ基本スキルな――ほら、あそこに馴染めずに可哀想な奴がって、材木座じゃねぇか。なら大丈夫だな。うん。
今日も今日とて、壁と友情を交わし合う。
……壁打ちだけど。
意気揚々と壁に向き合うと、後ろから肩を叩かれる。
何奴?
後ろを振り向くと天使もといテニス部の少女が笑顔で立っていた。
「うっす。何か用か?」
「いつも相手になってくれてる子がお休みなんだ。よければ比企谷くんとしたいなぁー……なんて」
テヘっと、照れながら頼まれる。
可愛い。じゃなくて女子は体育館でバレーのはず。
その事を言おうとして、はたと、気づく。この子の名前何だっけ? 二堂は彩加と呼んでたが、おそらく名字ではなく名前だろう。
馴れ馴れしく呼ぶのはリア充の特権。
なんで、あいつら全然違うクラスの女子にも名前呼びできるの? 俺のこと、総じてヒキタニくんって呼ぶのに……クラス一緒ですよ! どうでもいいけど……。
「さ、……女子はバレーじゃなかったか?」
無理でした……。ハードル高ぇよ。
女テニの子は少しシュンと顔を俯かせると、顔を上げ上目遣いで反論する。
「ぼく、男なんだけど……なぁ」
はい? え、男? 嘘だー。
無言で問いかけるような視線をやる。
すると彼女じゃなく、彼は若干の憤怒を滲ませにじりよる。
「ほんとのほんとに男だよ?」
「分かったから近寄るな」
「うん、改めまして、戸塚彩加です。比企谷八幡くん」
一歩下がり戸塚は自己紹介をする。
よろしく、と挨拶しようとして、疑問が一つ浮かぶ。
「俺の名前……」
「ああ、うん。だって、クラスメイトだよ?」
「同じ?」
「そうだけど……、もしかして」
「知ってる知ってる、超知ってるっつの」
あっぶねぇー、危うくばれるとこだった。
クラスメイトか、そういえば同じクラスの奴の名前知らないんだよなぁ。
このままだとクラスメイトの名前一つも知らない輩という真実……ではなくレッテルを貼られてしまう。
話を逸らすため話題を探るため頭をガシガシと掻きながら考える。
「ここにいても何だし、始めようぜ」
「あ! そうだね。……ぼくから誘ってたのに」
空いていたテニスコートに滑り込み、二人で打ち合う。
さすがと言うべきか俺のレベルに合わせ、最初は軽く正面で打ち合う、そこそこできると分かるとサイドに振り分ける。
何回か続け、俺がギリギリで返すも弱々しい打球は相手コートに弾むも戸塚の手前で止まる。
戸塚はラケットで上手に掬い上げるとこちらに歩み寄るとベンチを指差し――。
「比企谷くん、少し休憩しよ?」
疲れも溜まってきて一休みしたかったのもあり、無言で頷きベンチに腰かける。
ピタッと俺の太ももと戸塚の太ももがくっつく近さで戸塚も座った。
離れてほしいなぁ。ほら、汗かいてちょっと匂うかもしれないし。
「比企谷くん、テニス上手だよね? してたの?」
臭いかなぁ。くんくん、と自分の服を戸塚にばれずに嗅いでいると話しかけられていた。
「あ? いや、とくにしてないぞ」
「ほんとに? すっごい上手かったよ! 経験者かと思ったもん」
「いやー、それほどでも」
ははは、と苦笑いで返す。
お世辞とはいえ、表裏のない子に言われるのは嬉しくないわけじゃない。
「でさ……相談があるんだ」
戸塚は俺をテニスに誘った理由や前から俺がそこそこテニスができることなど、いろいろと話してくれた。
理由とはテニス部の現状について――。
三年が引退し、戸塚を含めた二年が当然三年より弱く一年生のモチベーションが上がらない。
結果、競争意識は生まれず部の雰囲気がお遊びサークルに成り下がっているのだそうだ。
そこに俺を入れカンフル剤になって欲しい、と戸塚はお願いしてきた。
初めて受けたお願いを無下にしたくなかったが、俺にできることは入部しても少ないはずだ。
集団行動は俺の専門外だが、一人得意な奴に心当たりがある。
入部に関しては断り、他にないか考えると気休めにもならない言葉で誤魔化し体育の時間は過ぎていった。
* * *
「無理じゃないかな。男テニにわたしが入っても余計こじらすだけだよ」
ほら、わたし可愛いし。
と、付け足し有無も言わせない勢いで断られた。
……雪ノ下が言わんとすることに遅れながらも気づく。なるほど、男しかいない部活に雪ノ下みたいな美少女が入れば、それはもう悲惨なことになる。
が、雪ノ下がそんなへまをするはずがない。
人身掌握に長けた彼女が部をまとめあげるのは容易なことだ。
「おまえなら回避できるだろ?」
速攻で拒否されたことで、反射的に発していた。
「おまえじゃない陽乃だよ」
不満げに言葉を漏らすも内容が全然違うことだった。
意図的に反らしているのかおまえ呼ばわりが気に入らないのか不明なので無視することにした。
それが怒りを買ったのかつまらなさそうに言葉を続ける。
「比企谷くんだって知ってるでしょ? 競争なんて意味はない。結局は心のもちよう――ってこと。そのもちようが女子に良いとこ見せようなんて陳腐じゃない?
」
「戸塚の依頼はテニス部を強くすることだ。理由は何であれ、雪ノ下ならできるだろ?」
今度こそ、怒りを買ったようで苛立たし気になおも続ける。
「それ、他人任せじゃない? そこまで比企谷くんはわたしに信頼を寄せてるのかな?」
ああ、そうだ。
これは俺のミスだった。
誰かに頼るなんてこと、前ならしないはずなのに。
俺自身が弱くなってしまったらしい。
「わりぃ、忘れてくれ」
「了解♪」
納得したようでそこで会話は終了した。
「雪ノ下さん、よろしいでしょうか?」
ここまで会話に参加してなかった二堂が弱々しく手を上げ雪ノ下を伺う。
「何かな? 二堂ちゃん?」
「はい、では一つ」
こほん、と咳払いを挟みゆっくりと小さい声で話す。
「雪ノ下さんは比企谷くん経由で頼まれたのが不愉快だった。戸塚という子は知らないが比企谷くんが協力しようとしてたこと自体が許せない――違いますか?」
二堂にしては高圧的な挑発的な態度。
沈黙が訪れ俺の心はどんどん押し潰される。
た、楽しくいこうぜ!
なんて、言えるはずもなく窓の向こう側を見つめる。
「知らない」
雪ノ下らしくない。
不透明な答えに雪ノ下を見るとこちらを睨んでいた。
……何故?
「少し席を外します」
二堂は空気を読んでか読まずか外に出ていった。
「……」
雪ノ下はなおも無言でこちらを見ている。
「なんだよ?」
「と、戸塚って子は誰なのかな、かな?」
おまえが誰だよ……。
遠くでひぐらしが鳴いて……るわけないかまだ春だし。