「今帰った。門を開けてくれ」
門が徐々に開いていきホームである館の姿が視界に入ってくるにつれ、フィンは漸く帰って来たんだなと実感していく。アクシデントの起こらない遠征など有り得ないが今回は特に様々な事態に陥った。
新種のモンスターとの遭遇。
帰還の際でのミノタウロスの逃亡劇。
そして何よりもウルキオラとの再会。
疲労している心身を叱咤し、フィン達遠征組は敷地内へと足を踏み入れた。
「おっかえりぃいいいいい!!」
ホームへと戻ってきたフィン達を見計らったように迎えたのは女性の明るい声だった。
声の主は後頭部の高い位置で一つに結んだ朱色の髪を揺らし館の入口から全速力で走り寄ってくる。
「ただいまロキ。今回の犠牲者は無かったよ」
フィンが短く一番欲しているだろう情報を伝えると、ロキと呼ばれた女性は足を止め、にへらと安心したように笑った。
彼女こそがフィン達と契りを交わした
……なのだが、ロキには女神でありながら唯一の例外を除いて無類の女好きという厄介な嗜好があった。
「その割には皆、表情が固いなー? よっしゃ! ウチが顔も身体も柔らかくしたるでっ!」
ロキは団員達を見渡し不思議そうにするも直ぐに女性は絶対しないであろう、いやらしい笑みを浮かべ両手を前に突き出し交差する形で後ろにいる女性陣に駆け出していく。
その姿にフィンはやれやれと苦笑するが、一刻も早く伝えなければならない事実があるため顔を引き締めた。
「ウルに会ったよ」
ロキが細めがちな瞳を大きく見開きフィンの方へと顔を向ける。
「え?」
「50階層でウルに助けられた」
端正な容貌と容姿とが相まって、さながら王城に飾られる美しい女性像のように動きを止めていたロキだったが、段々と喜色を溢れさせるとフィンへと詰め寄っていく。
「ホンマかー!! 何処におるん?! もしかして隠れとんのか? 暫く見んうちに随分お茶目になったなー」
喜びに満ちた顔で辺りを探し回るロキが、今から告げる一言でどれだけ心を痛めるか知っているフィンは一瞬答えるのを迷う。しかし真実は誰かが伝えなければならない。
「……ここには、いないよ」
ロキの表情が一転し、首を信じられないとでもいうように力無く左右に振り始めた。
「ウ、ウルに助けられたんやろ? ほんならウルも一緒に帰って……」
「……」
神は真実と嘘を見抜く事が出来る。ウルキオラが此処にいないのは分かる筈だ。それでも信じたくなかったのだろう。更にロキは聡明な女性ゆえに気付いてしまった。再会し助けられたというのに、一緒に戻ってきていないのが何を意味しているのかも。
「あ、あはは、ウチとしたことが早とちりしてもうた! ……ウル元気やった?」
「ああ……」
フィンは答えた。
必死に仮面を取り繕っているロキに、そう答えることしか出来なかった。
「そっか。元気にしとったかぁ……」
「ロキ……」
「ああ! ウチせないかん用事思い出した!! 部屋に戻るから、また後でな。皆おつかれさんー!」
軽い調子とは裏腹に肩を落とし、寂しく辛そうな背中で館へと戻っていく今まで見たことのないロキの後ろ姿に、フィン達は声もかけれずただ見送ってしまっていた。
団員達が荷物の仕分け、遠征の汚れを落とすための入浴などを済ませているなか、
フィン、リヴェリア、ガレスの三人だ。
「考えることは同じか……」
「そうみたいだね」
「流石にあんな姿を見せられたらのう」
三人は示し合わせた訳ではない。偶然にも同じ目的を持った結果、道中で鉢合わせをしたのだった。
螺旋階段を上りきり目的地であるロキの私室の前に到着するとフィンはドアを軽くノックした。
返事はない。
もう一度ノックをするが返事はなかった。
三人は互いの顔を見やり一度頷くと強行手段にでることにした。
「僕だ。入るよ」
鍵でもかかっていたら破壊して入るつもりだったが、そんな事はなく木製の扉は何の抵抗も無くすんなりと開いた。
雑多な物で溢れる室内に入りフィン達はベッドに腰掛け俯いているロキに近づいていく。
カーテンを閉め日光を遮断しているのと俯いているせいでロキの表情は分からないが、先程の空元気とは一転してどこか影を落としているように思われる。
「てっきり酒でも飲んでいるのかと思ったのだがな」
「……酒は楽しむために飲むんや。逃げるために飲むもんやない」
リヴェリアに答えたロキだったが依然として俯いたまま視線は床の一点を見つめ続けている。
会話が途切れ沈黙が室内を包み込んだが、ロキが三人の方へ向き直り頭を下げたことによって、重たい静寂の時間は終わりをむかえた。
「さっきはすまんかったな。みっともない所を見せてしもうた」
「ロキ……」
「フィン、ダンジョンで何があったか教えてくれへん?」
フィンは頷くと50階層での出来事を語り始めた。
未知のモンスターと遭遇し、その規模がこちらを全滅させる戦力であったこと。
絶体絶命の危機にウルキオラが現れたこと。 ──そして共闘を申し出るも拒絶され、そのまま姿を消したこと。
話すにつれロキの表情が悲痛の色に染まっていくのをフィンは見てとったが、中断することはせずに最後まで語り終えた。
「……ウチのせいや。ウルは恨んどるんやろな。あの時、他の連中の言いなりになってしもうたウチを……」
「……」
「神々の全てを敵に回してもウチはウルを守らなあかんかった! 子一人守れんなんて、ウチは主神失格や……!」
両足をベッドの上に乗せ、三角座りの膝に顔をうずめながら発せられた身を焼かれるような自責の念からの叫びを、フィン達は黙って聞いていた。
ロキはファミリアの主神。ウルキオラがいなくなった後悔も人一倍強いはずだ。それこそ団長であるフィンよりも。
不器用ながらも母親としての愛情でウルキオラの世話を焼き、いつしか家族としての愛情が異性としての愛へと変わっていったロキ。特別な存在だったと思う。その特別な存在を自分のせいで追放させてしまった。
ロキの心にある後悔は、何をしようとフィン達では消す事は出来ない。それが可能なのはウルキオラだけだ。
だが、消すのは無理でもラウルやリーネがしてくれたように軽くすることは出来る。
「ロキだけの責任ではないよ。ウルは僕達を守る為に戦い、僕達に被害が及ばないよう自ら捕らえられた。その責任は皆で背負うものだ」
それにロキは勘違いをしている。幾ら主神とはいえ全てを抱え込む必要などない。
「そうだ。だから私達にもその重荷を寄越せ。それに、そんな様子だと此方の調子も狂うのでな」
独りで苦しく潰れそうな時は頼って欲しい。それを重荷と感じる人間はいない。助けられずただ指を咥えて見ているだけの方が余程辛い。
「後悔は飽きるほどした。此処には居ないがウルはオラリオに戻っておる。ならば、これからすべき行動は分かっておろう?」
そして過去に縛られてはいけない。後悔とは毒だ。身体を蝕み深い霧のように進む道を隠し一歩目を躊躇わせる。
だったら僕達が光となり道を照らそう。皆が僕にしてくれたように。
フィン、リヴェリア、ガレスの一言一言が氷が溶けるように、絡まった糸が解けるように胸に染み渡る。膝から顔を上げたロキの暗かった瞳に光が戻り始めていく。
「皆、後悔は一緒なんだロキ。だからこそ僕達は行動する事にした。何もしないで後悔するのだけは絶対に繰り返してはいけない。──一緒にウルを見つけだそう。そして罵られようが拒絶されようが会って話をしよう」
同情ではない。慰めでもない。今、本当に必要なのは未来へ進むための一歩を踏み出す原動力。そして、己の仕出かした醜い過去から生み出された現在と向き合う勇気。
それは勇気を象徴とする
だからこそ一人で歩けないのなら一緒に歩こう。それは許される筈だ。
フィンはロキへと手を差し伸べる。
──だって僕等は家族なのだから。
涙で揺れる瞳が映しだす差し出された掌に、ロキはまるで大切な宝物に触れるようゆっくりと手を重ねた。
「……ウチはホンマにええ家族に巡り会えたんやな。──せや、せやな! ウルはオラリオにおる。いつまでもウジウジしとられへん。まず、会って話をせんとな!」
フィン達が深く頷いたのを見たロキは完全にいつもの調子を取り戻したようで、目元を手の甲で拭い三角座りを胡座に変えると、手元にあった枕を抱きしめ照れたように笑った。
「ウチな、ウルが戻ってきてくれたらな……」
ウルキオラが帰ってきた場面を頭に思い描いているのだろう。幸せそうに告白するロキにフィン達はウルキオラを見つけ出す決意を強くする。
「絶対、ウチに出来る最高の笑顔で『おかえりーっ!!』って言うたるんや!」
その時のロキの笑顔は誰もが見惚れるほど美しく陽光のように暖かで眩しかった。
「押し倒すのは無しだぞ」
そんな笑顔もロキの性格を危惧したリヴェリアの一言で脆くも崩れさるが。
「何でや?! ええやん! 自分が出来ひんからって……ホンマは羨ましいやろ? 言うとくけどな、ウルの隣はウチのもんやで!」
「な!? 誰が決めたそんな事! ウルの隣は淑やかで清楚な淑女と決まっている!」
「そんなん決まっとらーん」
──懐かしい。始まった言い争いにフィンは目を細めた。ウルキオラが居なくなってからは全く見なくなってしまった光景。
隣のガレスと目が合い互いに吹き出し笑い出してしまう。
──漸く止まっていた時が動き出したんだな。
フィンはそう思うとロキとリヴェリアの方へと視線を戻し、溜まっていたものを吐き出せば良いと、仲裁に入らずこのまま二人の口喧嘩を静かに眺める事にした。
◆◆◆
サポーターと別れ、薄暗い路地を進みホームへと帰っていたウルキオラだったが突然感じた視線に足を止めた。
まるで人を値踏みするかのような、人の中身をほじくり返すような不快な視線。
僅かに苛立ち周囲の気配を探るが、人はおろか動物さえ居ない。
それもそのはずウルキオラは人目を避ける為に人気の無い裏通りを選んでいたのだから。視線を感じた方向を絞っていく。
ウルキオラの瞳が巨大な建物を映した。
「そこか」
◆◆◆
『
世界で最も高い住居に一柱の神がいた。
黄金律そのものといえる完璧な肉体。煌めくような長い銀糸の髪に、最早言葉では形容出来ない美貌を持つ美に魅入られた神、フレイヤ。
だが、涼しげな相貌は、今は驚愕に満ちていた。
「……有り得ない。どういうこと?」
偶々だった。いつも通り戯れに町の様子を見ていた時にそれは視界に入った。
全身をローブで覆った人物。
それ自体は別段驚くような事ではない。フレイヤが驚愕したのは視えるべき魂が視えなかったからだ。そんなのは初めてだった。
誰しも未知に対しては不安や恐怖が湧きおこる。フレイヤとて例外ではない。だがそれ以上に興味を抱いた。
椅子の背に寄りかかりフレイヤは口端を上げる。
どう接触するか。思索に耽っていたフレイヤだったが、顔に影がかかったことで考えを中断させられた。
「オッタル?」
極限にまで鍛えられた逞しく大きな背を向ける、己の従者であるオラリオ最強の戦士の名を呼ぶ。目の前に立った理由が分からなかったからだ。
しかし返答はない。オッタルは微動だにせず
直立し、全身からは殺気すら漲らせている。
何かしらの異変が起きていると察したフレイヤはオッタルの視線を追い、そして瞠目した。
そこには先程のローブの人物が立っていた。
いつの間に現れたのか気づかなかった。他の者なら冷や汗が流れるであろう状況でありながらフレイヤは楽しそうに微笑んだ。
(小柄だけど性別は男。流石に種族までは分からないわね。
愛や情欲を司る美の女神であるフレイヤの多情は神々の間では周知の事実となるほど有名で、気に入った異性を見つけると直ぐにでもアプローチを行い自分の虜とする。なので、こと男に関しては熟知している。
その経験から生み出された洞察力、観察眼を持ってローブの人物を分析していく。
今、フレイヤは大好きな両親と遊びに出掛ける子供のように高揚していた。
未知が自らの足でやってきた事に。
「あなたは何者?」
これ以上は見ているだけでは無理だと判断したフレイヤの甘く囁くような問いだったが男は答えない。
──魅了も効果は無いみたいね。
フレイヤは益々興味を持ち、男の言葉、声色を今か今かと待つ。少しでも未知であるこの存在の情報が知りたいからだ。
やがて待ちに待ったその時が訪れる。
「俺にその薄汚い視線を向けるな」
薄汚いという単語に反応したのか、男の明らかに侮蔑した言動に敵意を募らせていくオッタルを感じながらも、フレイヤは声色から男の正体を看破した。
神友の愛した男。
嘗てオッタルと共に、オラリオの双璧と呼ばれた男。
深淵の闇に飲み込まれまいと、必死に輝く星のような儚くも魅力的な魂を持った男。
一度気に入った男の声を忘れるはずなどない。
ウルキオラ。
フレイヤは確信した。
「これ以上俺に干渉するのなら……殺す」
殺意の暴風が室内に吹き荒れる。一瞬目を覆ったフレイヤが見たのは互いの首筋に大剣、指先を突きつけたオッタルとウルキオラの姿だった。
「フレイヤ様を殺すと言ったか!! 貴様!」
「塵が……この程度で俺と戦う気か?」
猛るオッタルと冷たく言い放つウルキオラ。何処までも対照的な二人が生み出す、濃密な殺気の充満する戦闘空間。両者は今にも動き出し殺し合いを始めるように見えた。
「やめなさい、オッタル」
静かな威厳のある声が場に響き渡る。フレイヤにとって、ここでの戦闘は好ましい展開ではなかった。
フレイヤの命令にオッタルは警戒心を最大限に残しながらも大剣を下ろし、ウルキオラも戦うつもりはなく警告だけのつもりだったのか、ローブの下に腕を戻した。
「久し振りね。いえ、初めましてかしら? ウルキオラ」
オッタルが驚いたようにフレイヤへと振り返ると怪訝な顔をした。
ローブの人物がウルキオラだということ、それをフレイヤが見破っていたことに先ずは驚き、初めましてという言葉に疑問を抱いたのだろう。
フレイヤとウルキオラは初対面ではない。ロキのお気に入りで何処に行くのにも連れまわしていたので、何度か顔を合わせ僅かだが会話もしている。
だが、敢えてフレイヤは初めましてと言った。視えていた頃の魂。そして視えなくなった魂から一つの仮説を立て、そう挨拶するのが正しいと思ったからだ。
それに、このままウルキオラを帰らせたくなかった。少しでも会話を続けるには相手の関心を引かなければならない。フレイヤは、ウルキオラの変化に気付いているのを暗意に伝えた。
それが功を奏したのか、反応はないがウルキオラは立ち去る気配を見せない。
「単刀直入に言うわ。私達のファミリアに入らない?」
「……何故だ?」
「私は、あなたを知りたいの。気に入ったのよ。昔も良かったけど、今のあなたはそれ以上」
「俺は貴様達に興味は無い」
「ふふ、つれないのね。……でもこれだけは覚えておいて」
フレイヤは立ち上がるとオッタルが制止するのを無視して歩き出し、ウルキオラの間合いの中に入る。人は鏡。勧誘する相手に信じてもらうには、自分が先ず信じるのが第一だと考えたからだ。
「行き過ぎた未知は人を恐怖させ遠ざける。この世界に、今のあなたの居場所は無いわ。──私の側以外に」
「……言いたい事はそれだけか?」
「ええ」
無理みたいね。勧誘は失敗に終わったとフレイヤは悟った。だが、成果は益々だろうと思う。少なくとも無関心ではない。会話を続けられたのが良い証拠だ。それに諦めるつもりも無い。
「何時でもいらっしゃい。待ってるわ、ウルキオラ」
目の前に現れること、ファミリアに入ることの二重の意味で言われた言葉に返答は無く、ウルキオラは侵入した時と同じく煙のように消えた。
フレイヤは、再び椅子に座るとオッタルにウルキオラの帰還、今の遣り取りを口止めする。
誰にも渡さない。あの未知は必ず自分の物に。その為には、先ず調べ上げ情報が揃った所で本格的に攻略する。
ダンジョンに潜る冒険者はこんな気持ちなのだろう。フレイヤは高ぶる気持ちを胸に、目を爛々と輝かせ子供のように無邪気にはしゃいでいた。
◆◆◆
人気の無い路地裏深くに建っている、長い年月を経て廃墟と化した教会の正面玄関にウルキオラは佇んでいた。
視線の先には嘗て信仰の対象であったであろう、全身をぼろぼろにして顔半分を失っている女神像がある。
神々が下界に降臨したことによって実在しない神が信仰されるはずもなく、人々は遠ざかり忘れていった。
まるで異端の存在をこの世界全体が許さないとでもいうように。
「俺の末路か」
ウルキオラは女神像に自分を重ねていた。本来ならばいるはずのない存在。やがて、この女神像のように静かに朽ちていくのかもしれない。昔のウルキオラならばそれを幸福とさえ感じただろう。
だが今は違う。目的があるからだ。
玄関をくぐり教会へ入ると視界に飛び込んでくる雑草が生える割れた床、崩れ落ちた天井、辛うじて原型を留めている祭壇。そのどれもが滅びを示唆しているように思われた。
『この世界に、今のあなたの居場所は無いわ』
フレイヤの言葉が頭に浮かんだ。
それでもウルキオラは歩き続ける。立ち止まることなく。
祭壇の先にある小部屋に進むと、地下へと伸びる階段を下り小窓から光が漏れる扉の前でウルキオラは立ち止まった。
ロキは知らない。ウルキオラが自ら己自身の全てを話した少女のような女神がいることを。
フレイヤは知らない。ウルキオラの正体、過去を知っても尚、自分が居場所になると言った女神がいることを。
ウルキオラが手を伸ばす前に内側から扉が開かれると、光と共に少女が胸に飛び込んできた。
「おかえりーっ!!」
胸に頬をすり寄せながら少女──ヘスティアは大輪満開の笑顔を最高に咲かせウルキオラの帰りを迎えた。
伊豆魔様、誤字報告ありがとうございます。