この掌にあるもの   作:実験場

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幕間 とある不幸少女の憂鬱

 小人族(パルゥム)の少女、リリルカ・アーデは困っていた。

 

 空を見上げるとリリルカの心情を全く省みない晴れ渡った青空で、雲と羽を大きく広げた鳥が気持ちよさそうに泳いでいる。それがまた心を陰鬱にさせた。

 

「はあ……」

 

 思わず溜息が溢れた。

 それでも目的のために周りを見渡すと、今度は悩みとは無縁の小さな子供達が往来を我が物顔で楽しそうに駆け回っている。

 

 転んでしまえば良いのに。

 内面が闇へと堕ちていく自覚をしながらも黒い思いが湧いてくるのを止められない。

 

「はあぁ……」

 

 溜息が重たくなる。

 遅い足取りで歩を進めていると噴水のある広場へと出た。

 周りには腰に手をやる男女。

 腕を組んでいる男女。

 手を繋いでいる男女。

 皆、幸せそうに微笑み合っていた。

 

 別れてしまえ。あとついでに逢瀬に最適な雰囲気を作り出している噴水も壊れてしまえば良いのに。

 頭の中が呪詛の言葉で埋め尽くされる。

 

「はあぁぁぁぁぁ……」

 

 気分だけでは飽き足らず溜息までもが、どん底へと落ちていく。

 

 バベルへ到着すると木に凭れ掛かり、なるべく目立たないように影からダンジョンへと流れていく冒険者達の波を見つめているが、いくら待てども目的に添えるような人物はやってこない。

 

「……」

 

 もう溜息をする気力も無くなった。どん底ここに極まれりだ。

 

 無論ここまで腐っているのも理由がある。所属するソーマ・ファミリアを脱退するために金銭を稼いでいたのだが、ここで大きな躓きがあったのだ。

 

 獲物がいない。

 

 一刻も早く自由の身になりたいリリルカからすれば由々しき問題だった。

 そもそもファミリアから抜け出すのには眷族と主神の同意さえあれば可能なのだが、リリルカの所属するソーマファミリアでは其処にお金が絡んでいた。そればかりかステイタスを更新するのにもお金が必要だという始末で、何をするにしても金、金、金。常にお金が付きまとう地獄だった。こうなれば否が応でも金銭をどうにかして稼がなければならない。

 

 金銭を稼ぐためにリリルカが選んだ行為は散々痛い目に遭わされてきた冒険者という者達への復讐。即ち冒険者から高価な武具やアイテムを搾取する事だった。

 だが、リリルカは無力な少女だ。事実それまでは強奪される側の人間。ならばと頭を使って罠に嵌め、混乱した隙に愚鈍な冒険者からお宝を奪うという答えに行きついたのは必然の結果なのかもしれない。

 

 目の前を通り過ぎていく冒険者達を吟味する。

 顔つき。体格。身のこなし。装備。醸し出す気配。

 獲物の選定には慎重に慎重を重ねていた。失敗すれば命の危機だ。当然である。

 まず、強すぎてはいけない。都合よく罠に嵌められたとしても、その罠を易々と突破されそのまま自分を捕まえる、なんてざまになったらいい恥さらしだ。

 頭の回転の速いのも論外。出し抜くこと自体が出来なさそうだ。

 全身を高価な物で身を固めているのも却下。大金を持っているのには必ず何しら理由がある。危険だ。

 それとなるべくパーティーを組んでいない独りの冒険者が良い。

 非力で無能な少女がお宝を得るには大分条件が絞られていく。その結果が手頃な獲物の見つからない今というわけなのだが。 

 

 こうやって現状を自己分析していくとますます己の運命とやらに嫌気がさしていく。

 なんて不幸だ。

 なんて理不尽だ。

 なんで世界はこうも優しくないのだ。

 

 待てど暮らせど理想的な獲物は現れない。大分時間も無駄にした。ここは妥協して、金にはならないだろうが身の安全を重視し駆け出しの冒険者でも狙うかと計画を切り替えるリリルカ。

 

 自身のような不幸の固まりが高望みなんてするものではない。分不相応だ。

 大体、弱くてもそれなりに高価な物を持ち、独りで活動している冒険者なんて簡単に見つかる訳が……

 

 

 

 ──いた!!?

 

 冒険者溢れる街道を挟んだ向こう側の木の陰に白いローブを纏った人物がいる。観察するとフードのせいで視線までは分からないがダンジョンの入り口の方向や道行く冒険者に顔を向けていた。しかしそれだけだ。一向に動き出さない。これはダンジョンに潜るのが初めての人間に見られる光景だった。土壇場で怖気づいてしまい踏ん切りがつかないのだろうと思われる。木の陰にいるのも、きっとそんな情けない自分の姿を誰かに見られるのが恥ずかしくて隠れているのだ。

 

「ふひっ」

 

 持ち上がる頬を抑える事が出来ない。悪戯な風がローブを揺らした時に見てしまったからだ。腰に据えられた翡翠色の柄をした剣を。魂を引き付ける妖艶な美しさ。一目で高値で売れると確信した。

 

 機を逃してはならない。

 これは運命だ。

 これは不幸から抜け出すチャンスだ。

 これは今まで健気に頑張ってきた自分へ世界からのご褒美だ。

 

 リリルカは高鳴る鼓動を胸にローブの人物へと近づき──

 

「冒険者様、冒険者様」

 

 

 

 

 見事、地獄への切符を手に入れた。 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ウルキオラ・シファーは窮していた。

 

 フードの下にある端正な顔は相も変わらず無表情無感情のままだが確かに困っていた。『虚』時代にも『破面』になってからも直面したことのない問題が降りかかっていたからだ。

 

 余程の事でない限り難なく解決出来る力と頭脳を持つウルキオラを悩ませる問題。

 

 それは──お金が無い。ということだった。

 

 人が生きていくのにはお金が掛かる。

 例えば、『破面』時代では摂取しなくても問題なく嗜好品の一つだった食事だが『人間』となったウルキオラには必要なのだ。自分独りであればオラリオに来る前のように適当に動物でも狩って食べればいいが、今はヘスティアがいる。そんな訳にもいくまい。それにウルキオラ自身も味に関しては多少なりとも関心がある。少しでも美味しいものを食べたいと思うのは仕方のないことだろう。

 ヘスティアも働きに出てはいるそうだが、稼ぎは悪く職場で売れ残った『じゃがまるくん』なるものを御馳走だと言い食していると聞いた時には流石のウルキオラも絶句した。

 

 食事だけではない。

 朽ちた教会の地下にある本拠地にある壊れかけの家具。

 本拠地にはない風呂。

 身にまとう衣類。

 消耗品の購入。

 エトセトラ。

 

 人間の不便さを幾ら嘆こうが、世界の中心オラリオで生きていくためにはお金を稼ぐことからは逃げられない。狩りで食事を賄おうが川で身を清め洗濯をしようが時間稼ぎでしかなく、何処かで必ず前に立ちふさがる。ならば今ここで最初に解決すべき問題。故に思考を巡らしているのだが。

 

 いや、正確に言えば手っ取り早くお金を稼ぐ方法は過去の記憶から分かっている。ダンジョンに潜ってモンスターを蹴散らし魔石と呼ばれる物を収集すればいいだけ。簡単な仕事だ。ここまでなら何も問題ない。直ぐにでも取り掛かれる。しかし次の工程が問題なのだ。

 

 当然魔石を持っていたとしても魔石は魔石で、お金ではない。物を買ったりするには大抵の場合は魔石と物々交換というわけにはいかないのだ。なので魔石をお金に換金しなければならない。そう、換金だ。ここがウルキオラには問題だった。

 

 自分の正体を悟られるのは不味い。面倒なことになるのは明らかだ。

 生憎とウルキオラの顔と名は有名でギルド内での換金など出来るわけがない。裏通りにある胡散臭い店も闇に精通していた過去のウルキオラのお陰で同様だった。

 

 八方塞がりの現状に僅かに眉間を歪ませる。

 

 切れる手札は少ない。

 換金の問題を先送りにしてダンジョンへと潜り魔石を回収するか、適当な冒険者を捕まえ力で脅し換金の手駒にするか。それとも換金所の人間を屈服させるか。圧倒的な恐怖で支配すれば口外はしないはずだ。

 

 ダンジョンと道行く冒険者を交互に見比べていたウルキオラは思案する。

 

 その時だった。

 

「冒険者様、冒険者様」

 

 ウルキオラは視線を声の主人へと向ける。其処にはフードを目深に下ろした背の低い少女がいた。

 

 この時奇しくも二人の脳裏に浮かんだ言葉は、文言は別であれ同じ意味を持つものだった。即ち、鴨が葱を……それどころか鍋と他の野菜まで背負ってやってきた、だった。

 

 因みにどちらが鴨だったというのは、すぐ後の二人の会話を聞けば瞭然だろう。

 

「は離ななななっ下ろ助けいいぃぃぃいいやああぁぁああああああ!!!!」

「五月蝿い、黙れ」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 ダンジョン。

 神、人間、怪物(モンスター)に並ぶ、この世界を構築する主要物の一つ。神の理解すら及ばない謎の存在。

 生と死。

 富、権力、名声、そして失墜。

 人間の、神々の欲望を飲み込んでも未だ底の見えない奈落。

 

 一段一段、螺旋階段を踏みしめ地獄とも天国とも呼べる入口へとウルキオラは進んでいた。

 

 このダンジョンと呼ばれる存在にいるのはこれが三度目。

 一度目は愚者共によって死の間際にこの世界に引きずり込まれた時。

 二度目は──。

 

 

『つぅっ……暫し気を失っておったか。ウルが助けてくれたのか……って何だ何だその腰の刀はー!? ウ、ウル、その腰に差した刀を、ちょっとだけ見せてくれんか!!』

『椿、ウル!! ……どうやら無事だったようじゃのう。椿、はしゃいでおらんで、さっさと戻るぞ! ん? どうしたんじゃ、ウルも……ウ……ル?』 

 

 頭の痛くなる女と、そして……。

 

「──様! ──者様! 冒険者様! もう、やっと気付いてもらえました。契約が決まった途端に無言でダンジョンへ向かうものですから、リリ達、自己紹介もしていないのですよ」

 

 目の前の少女がフードの下の唇を尖らせ拗ねたように言う。

 

「リリの名前はリリルカ・アーデと申します。冒険者様のお名前は何と言うんですか?」

 

ウルキオラは思考を切り替え考えた。このまま本当の名前を言ってしまえば、当然面倒なことになると。思案は刹那。当たり障りのない、自分にとってどうでもいい名前を口にした。

 

「グリムジョーだ」

 

「分かりました。グリム・ジョー様ですね。これからは、グリム様と呼ばせて頂きますね」

 

 違う。否定しようと思った。本来は『グリムジョー』の後に『ジャガージャック』とセカンドネームが続くのだ。しかし、結局そのままにしておいた。態々否定するのも面倒だったのもあるが、何よりウルキオラにとってその名前は、どうでもいい名前だったからだ。決して過去の恨みなど無い。出し抜かれた恨みなどある訳がない。

 

「では、先ずお聞きしたいことがあります。グリム様のお力について知りたいのですが、ダンジョンでは今まで何階層まで潜ったことがあるんですか?」

 

 この体は過去に潜ったことはあるが、それはあくまで別の存在だ。ウルキオラ・シファーとして潜るのは初めて。だからこう答える。

 

「此処へ潜るのは俺は(・・)初めてだ。」

 

「そうですか……そうなんですね。分かりました。ではリリがご案内致します」

 

 一瞬、リリルカと名乗った少女の口元が歪んだのを見てとったが、目の前の小娘ごときが自分に被害を与えられるとは到底思えなかったので、そのまま流しておく。相手の力量は読みとっている。何事かあっても封殺は可能。仕掛けてくれば逆に力の差を教え恐怖で縛れば良い。

 

「初めてということなので今日は戦い方やモンスターの特徴などを勉強しながら、ゆっくりと先に進みましょう」

 

 螺旋階段の最後の一段を下りウルキオラはこの世界の根幹たるダンジョンへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 あっれれ〜? おかしいですよ〜? 

 

 リリルカは内心、首を傾ける。グリム・ジョーと名乗った男はダンジョンに潜るのは初めてだと言っていた筈だ。では、今、目の前に広がっている光景は一体何なのだろうか?

 

 男は辺りに散らばっている魔石の一つを手に持ち、繁々と見ている。手にしている魔石はダンジョンに潜り、出会い頭に現れた数体のコボルトの成れの果てだ。

 

 うん。何も問題はない。いたって普通の光景でダンジョン内であれば、ごくありふれたものだ。おかしいところなど無い。そうだ。一人でコボルトを倒したことも、この町の外の何処かで戦ったことがあるに違いない。経験者であればこんな雑魚のモンスターであれば瞬く間に一蹴出来るはずだ。戦闘初心者でないのは少し残念だが、オラリオの外の冒険者の質など高が知れている。必ず隙を見せる筈なので、機を待ちあの腰にある武器を盗めばいい。

 少しだけ浮かんだ疑問も考えれば納得のいく答えが出た。

 大丈夫だ。問題ない。

 もう何も恐くない。

 この企みが成功したら帰ってパインサラダを食べよう。

 

 リリルカは必死に現実から目を背ける。気のせいだと思い込もうとする。

 

(だってありえませんよ!)

 

 リリルカがモンスターを見つけ瞬きを一つした瞬間、後ろを歩いていた男が灰になってゆくコボルトの中心に立っていたなんて。

 自分を追い越し数体のコボルトを斃す。その工程の一切がまるで視認できなかったなんて。

 あまりにも現実的ではない。惚けて見逃していただけだと自分に言い聞かせた。

 

「これが魔石だな?」

 

 そんなリリルカの現実との戦いなどお構いなしに男が分かり切った問いを投げかけてきたので、近づき肯定する。

 

「魔石は下の階層に行けば行くほど高値になる。間違いないな?」

 

「はい、その認識であっていますよ。ただ、その分モンスターも強力になっていきますが」

 

「ここにある物で、どれ位の値になる?」

 

「これだと一〇〇〇ヴァリスにもなりませんね」

 

「そうか。塵を幾ら集めたところで塵にしかならんな」

 

 そう吐き捨てた男を横目に仕事の魔石回収に努めようと手を伸ばす。

 

「拾うな。時間の無駄だ」

 

「え……? で、でも」

 

 勿体ない。値が低くともお金にはなるのだ。出来るだけ回収した方が。

 言葉は続けられなかった。男が徐にリリルカを肩に担ぎあげたからだ。

 

「え、え、え、ええ?!!」

 

 突然の行動に驚くリリルカ。だが事態は待ってはくれず、よりにもよって悪化していく。

 男が走り始めた。それもリリルカが味わったことのない速度で。

 

「あわわわわわっあわわっ!!?」

 

「おい、早く道案内をしろ」

 

「あわわわわわっあわわっ!!? あああぁぁああぁあああ??!」

 

 出来る筈がない。混乱の極みに陥っているのだ。

 

「あぎゃぎゃぎゃぁあああああああ!!!」

 

「ちっ、役立たずが」

 

 目まぐるしく変わる視界。

 轢かれるモンスター。

 とても女性の口から出たとは思えない動物のような叫び声。

 全てを無視して走り続ける男。

 

「は離ななななっ下ろ助けいいぃぃぃいいやああぁぁああああああ!!!!」

「五月蝿い、黙れ」

 

 三階層。

 男はリリルカの哀願を聞かず駆け抜ける。涙が出てきた。男が立ち止まる気配は微塵も感じられない。

 

 六階層。

 新米冒険者(ルーキー)殺しとして悪名高いウォーシャドウが前に立ち塞がるが、出現した瞬間にコボルト同様、何も出来ずに灰になっていった。この男に声を掛けた少し前の己を呪った。男が立ち止まる様子は未だ感じられない。

 

 十階層。

 白い靄の中を男は突っ切っていく。叫びすぎて声が枯れ始めた。男が立ち止まる予兆は未だ感じられない。

 

 十三階層。

 リリルカの到達階層の記録が一つ前に目出度く更新され、上層から中層へと突入した。ヘルハウンドの火炎攻撃が横を掠め髪が少し焦げた。男が立ち止まる兆しは未だ見えない。

 

 十五階層。

 喜ばしい事に到達階層の記録がどんどん伸びていく。変転する景色と万感の想いで胸が一杯になったリリルカは遂に口からダンジョンへと虹の橋を架けた。死にたくなった。それでも男は足を止めない。

 

 そして、十七階層。

 

「待っ……て、待ってください!」

 

 リリルカの決死の制止が男を止める偉業を達成した。髪は乱れに乱れ、顔も涙と鼻水と虹の欠片でぐちゃぐちゃだが、そんなのには構ってはいられない。命に関わるのだ。拘束された腕から抜け出し説得を試みる。

 

「ここで引き返しましょう! グリム様のお力なら十六階層で十分に稼げます。ここから先には──」

 

『オオオオオオオオオオオオッッ!!!』

 

 地を揺らす、けたたましい咆哮。

 階層主──ゴライアス。楽園への入り口を塞ぐ死の門番。

 

 止まる息。冷たい背中。カチカチと嚙み合わない奥歯。震える全身。

 其処には死が顕現していた。

 

「戻りましょう、戻りましょう!」

 

 必死の嘆願。

 しかし、男には通らなかった。声の発生源である大広間へと悠然と歩いていく。

 

 死にたくない一心から男の進行方向を塞ぐ。無視された。

 手を広げ立ち塞がる。無視された。

 手を伸ばし力の限り跳躍して進行を邪魔する。後ろからは地響きを伴った足音が響いてきた。時間は無い。届けこの想いと目に力を込め男を見た。すると男が人差し指をこちらに向けているではないか。

 

 ばびゅん。

 

 内心で首をかしげる間も無くリリルカの直ぐ頭上を翠の閃光が通過する。パラパラと落ちてくる自分の物と思われる数本の短い髪の毛。首を回すと、階層主の──死の門番の──ゴライアスの上半身が消し飛んでいた。よく見るとその直線上にある壁までもが抉れ破壊されている。

 

「えぁぅい、へ、へはは……は」

 

 思わず口から出た意味をなさない言葉と渇いた笑いと共に両の内腿を生温かい液体が伝う。リリルカの乙女の尊厳はここに潰えた。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 昨日は酷い一日だった。なんて言葉では済まされないほどの、それはそれは凄惨たる一日だった。報酬は驚くことに山分けされ莫大だったが、もう懲り懲りだ。死は最大の恐怖だと言われるが、死ぬ目に合う、助かる、再び死ぬ目に合う、同様に助かる。これを何度も繰り返す方が遥かに恐ろしい。死ねば一度味わうだけで済まされるのだから。

 しかし、それももう終わりだ。今日も早朝からダンジョンに潜る契約だが当然放置。つい習慣で目が覚めてしまったが二度寝を敢行する。

 

 窓を通して約束の時間を知らせるように小鳥の歌い声と、そよやかな風が部屋へと入ってきた。

 

「リリは起きませんよーだ」

 

 ベッドに深く潜り惰眠を貪ろうとする。

 ふと僅かな圧迫感を感じた。人の視線を一身に浴びた時のような。

 疑問に思ったリリルカは体を起こし寝ぼけ眼を擦り部屋を見回す。

 相も変わらず薄暗く汚い殺風景な部屋だ。

 壊れかけの箪笥。

 軋む黒ずんだ床。

 鍵が閉まらず開きっぱなしの窓に朝露に濡れた窓枠。

 その側に佇み此方を凝視しているローブの男。

 所々罅割れた壁。

 染みだらけの天井。

 斜めに傾いている机と椅子。

 何時もと変わらない部屋だ。

 

 確認を終えたリリルカは露で湿ったベッドに再度身を埋める。

 部屋を見ることで確認出来た。己の現実を。どれだけ墜ちているか。下種な自分にお似合いの惨めで虚しく薄汚れた日常だ。辛い現実から唯一の安住の地である夢の世界へ逃げ込もうとする。

 

「ん?」

 

 違和感。先程見た光景に見落としはなかっただろうか。

 じわりと全身から出る冷たい汗。

 恐る恐る窓際へと目を向けた。

 

 其処にはたった一日でリリルカの常識を完膚なきまでに破壊した非日常が微動だにせず此方を見下ろしていた。

 

 不味い、不味い、不味い! あれだけの力を持った強者の約束をすっぽかしたのだ。このままではどうなるか分かったものじゃない。焦りに焦るが脳内は真っ白、普段は達者に回る舌もこの時ばかりは動いてくれない。考えも浮かばず頭を抱えそうになる。

 

 ──頭?!

 

 この時天啓が降りてきた。苦しむリリルカを救わんとする救世主。悪鬼羅刹から護ってくれる英雄。昨日、一生分の不幸が降りかかったはずの己を救わんとする神。

 

 リリルカは平静にされど少しの焦燥を滲ませた声色で言った。

 

「え、えっと、どちら様でしょうか?」

 

「何を言っている」

 

「リ、んんっ! 私たちは初対面なのですが……?」

 

 昨日会った時には魔法で犬人(シアンスロープ)に身を変えていたのだ。早いうちにフードが捲れたお陰で男も頭にあった犬の耳を目にしていたはず。こんな簡単な事まで見落とすなど、余程追い詰められていたらしい。しかし、突破口が見つかれば相手を丸め込むなど赤子の手を捻るようなもの。

 

 

 

 

 ──そう思っていた時期がリリにもありました。

 

「いくら姿を変えようが霊圧は誤魔化せん。遅れた事は見逃してやるから、さっさと準備しろ」

 

 強く迷いの無い口調。れいあつなるものが、いかなるものかは分からないが目の前の男は確信を持ってリリルカに対峙していた。

 

 何で?! と、またもや混乱するリリルカ。だが、ここで負けては昨日の二の舞だ。今日こそ死ぬかもしれない。文字通り死ぬ気で食い下がる。

 

「どなたかと勘違いしていませんか? 此方こそ不法侵入は不問にしておきますので早く部屋から出て行ってください!」

 

 恐怖と切迫感で冷や汗に溺れている心の内を隠すように刺々しく言い放つ。回らない頭では、後は勢いで乗り切るしかない。

 

「いつまでもここにいないで早く待ち合わせ場所に戻ったらどうですか? お相手の人が待っているかもしれませんよ?」

 

「遅れた事は許すと言っている」

 

「だーかーらー、リリは少し遅れたぐらいで待ち合わせ場所から離れるなんて早計過ぎますと言ってるんです!」

 

「……」

 

「大体、冒険者様が昨日サポーターにしたのは犬人(シアンスロープ)であって小人族(パルゥム)ではありませんよね?!」

 

「何故貴様が待ち合わせ時間と俺が冒険者で犬人(シアンスロープ)のサポーターを待っていることを知っている」

 

「あ゛」

 

「もういい」

 

 そういうと男は右手にリリルカ、左手にリリルカの大きなリュック持つ。

 未来視なんて能力は持ってはいないのにこれから先の展開が容易く予知出来た。

 

「ま、待って、準備を」

 

「貴様が御託を並べたお陰で大分時間を消費した」

 

 男は窓枠に足を掛けると一気に蹴った。

 

「戻って! 準備をさせてっ、死にたくっっ」

 

 初めての空の旅だが、感動する余裕など欠片も無い。

 

 高速で流れる眼下の景色。オラリオの街はまだ眠っている。

 

「リリは……リリはぁっ! 不幸ですぅぅううううう!!!」

 

 抜けるような青空の中、不幸少女(リリルカ)の叫び声と鳥の囀りの合唱がオラリオに朝を告げた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 それから様々な体験をした。

 十八階層よりも下層に付いてくるよう強要された最近は特にだ。

 ある時は素早い熊型モンスターの爪が迫ってきた。

 またある時は蜻蛉型のモンスターに狙撃された。

 蟹型モンスターの鋏に挟まれそうになったりもした。

 そのすぐ後には大瀑布の滝壺へと飛び降りた。

 それでも、結果的には命は助けてもらえるので他人を欺き陥れて生きてきた過去に比べると多少は好転したように思える。

 ゆくゆくはお金も貯まりソーマファミリアを抜け、男のサポーターとして過ごす、大変だがほんの少しの幸福を手にした生活を送れるだろう。

 

 

 

 

 ──しかし。

 

『へへへへ、漸く見つけたぜ──忘れんなぁ、俺は絶対諦めないからな』

『いいか、アーデ。私にはお前の力が必要だ。なに、カヌゥなら私に任せておけ。お前が言うなら始末したって良い。仕事を手伝ってくれれば、ソーマ様に口添えをして神酒を飲ませてやるのも可能だ。どうだ、もう底辺の生活は嫌だろう? もうじき世界の力関係に変革がもたらされる。ここらで私と共に勝ち馬に乗ろうじゃないか』

 

 どんなに逃げても過去は追いつき、どんなに藻掻いても離してはくれない。

 

 

 少し離れた先では雇い主が大量のモンスターと踊っていた。

 

 改めて思う。強い、強すぎると。今まで見てきた中で間違いなく一番強い冒険者だ。それも群を抜いて。もしかしたら古今東西の冒険者の中でも一番強いのかもしれない。

 見眼麗しい『剣姫』よりも。

 小人族の英雄『勇者』よりも。

 大罪人であると同時に英雄とも呼ばれる『堕天』よりも。

 頂天『猛者』よりも。

 子供の頃、眉唾話で聞いた、最狂最凶最恐最強(さいきょう)の冒険者『暴霊』よりも。

 

 防御の面では、視認すら出来ない速度で動き、全方向から襲い掛かってくる攻撃をいとも容易く躱す。驚くべき事に背面からの攻撃もだ。短くない付き合いだが出会ってから一度も傷を負っていない。

 攻撃の方も規格外だ。腰の剣を抜かず武器を装着していない手と足でモンスターを灰へと変えていく。魔法も例にもれず超高火力なのに無詠唱で、しかも何度も放てるときたものだ。

 本当に人間か疑わしく思えるほどの規格外の強さ。

 

 もし、その力があれば惨めで汚らしい運命を変えられたのだろうか。

 もし、その力があれば自分は独りぼっちにならなかったのだろうか。

 もし、その力があれば親は死なずに、今も側にいてくれただろうか。

 

 答えは出ない。そもそも、そのような大それた力を自分が持てるなどあり得ない。分かっている。百も承知だ。

 

 誰か助けて。

 子供の頃から何度も何度も祈ってきた願望。叶わない夢。周りには見て見ぬふりをする人間か自分を利用しようとする屑しかいなかった。

 だからリリルカはこう結論付けた。

 

 益も無いのに他人を救う『英雄』なんて物語の中にしか存在しない──。

 

 

 

 

「ウルキオラだ」

 

 オラリオへの帰還途中で男から発せられた名にリリルカは自失した。

 

「いつまでも、あの男を連想させる名で呼ばれると不愉快だ。無論、口外はするな。すれば殺す」

 

「は……はい」

 

 助けて下さい。その一言を口にすれば救われるのではないか。正真正銘の英雄がいるのだ。しかも、偽名ではなく本当の名を教えて貰える程度には信用されている。

 一回、たった一回口を開けば自分は英雄譚に登場するヒロインのように颯爽と英雄の手によって窮地から救い出されるのだ。

 

「あ、あの」

 

「何だ」

 

 

 

 

「い、いえ何でも……ありません。ではこれからはウルキオラ様と呼ばせていただきますね。勿論、リリは口外なんかいたしませんよ!」

 

 内心を押し殺し無理矢理口角を上げ、明るく振舞う。

 

 言えなかった。

 自分には英雄に救われるヒロインになる権利など無い。物語の中のヒロインは王女様、町娘、農村の娘等身分は多様だが皆、心の綺麗な女性ばかりだった。何処の世界の本に薄汚い犯罪者の女がヒロインの物語が載っているだろうか。救われる者にも資格は必要なのだ。

 

「さあ、街へと戻りましょう!」

 

 これまでと何も変わらない。この卑しい身は色鮮やかな花ではなく、薄暗い裏路地に生える雑草。踏みにじられ、見向きもされずひっそりと枯れてゆく。

 浅はかで醜悪で自分勝手で傲慢な願いだった。よりにもよって他人を利用し続けてきた自分が、他人が他人のために動くことを願う。とんだ笑い話だ。

 

 この時リリルカは過去に出した結論を改変した。

 

 自分を救う『英雄』なんて物語の中にすら存在しない──と。

 




羚騎士「どうしたのよ?」
豹王「何か、今すっげえイラっとした」

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