この掌にあるもの   作:実験場

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エピローグ 『ウルキオラ』の帰還

 昼間の騒動も無事に収まり元来の活気を取り戻したオラリオの街。陽は既に落ちており、太陽から主役の座を奪った魔石灯が煌々と道行く人を照らし大小様々な影が右へ左へと流れていく。

 

 木製のジョッキのぶつかり合う音。

 顎が外れるほど大きく開けた口から出る笑い声。

 酔っ払い同士の下らない理由からの喧嘩。

 騒がしい、されど心弾む喧騒がオラリオのメインストリートを中心に溢れ『怪物祭(モンスターフィリア)』の終幕に彩りを与えている。

 

 これこそがオラリオ。世界の中心。昼間の騒動ですら餌にして沸き立つ不夜城。

 盛り上がり、酒と料理を楽しむ間に交わされる会話に耳を傾けていると、聞こえてくる内容はやはり昼間の事件の話題だった。

 

「ガネーシャ・ファミリアの迅速な対応のお陰で助かったよ……まあ、原因もあいつらなんだけどな」

「ギルドも活躍したんだぞ。はぁ、エイナさん……かわゆ」

 

「ダイダロス通りで、もの凄い奇跡が起きたんだと」

「どんな奇跡なんだ?」

「何か光が、こう、バァーーっと」

「バァーーっとで分かるか。子供かお前は」

 

「ロキ・ファミリアはお手柄だな。住民に怪我人一人出さなかったらしい」

「流石、オラリオ最大のファミリアの一角だな」

 

 街のいたる所でこのような会話がなされていた。その中でも一番話題をさらっていたのは、

 

「おい、聞いたか?」

 

「ああ、お前も知ったようだな」

 

「『大罪人』が戻って来たらしい」

「『英雄』がご帰還だ」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 繁華街の賑わいから少し外れた場所に位置する赤煉瓦で造られた三階建ての建物。側面には半円を形どった幾つもの窓が設けられており、扶壁の上に造られた小尖塔と共に見るものに建物の格式の高さを訴えている。

 

 そんな高級感溢れる建物の一室でロキは建造物の雰囲気をぶち壊すがのごとく、いつもの飾り気の全くない格好で、これまた気品溢れる椅子の上に胡座をかき一人グラスを傾けていた。

 

 ──コンコンコンコンッ

 

「失礼します。お連れ様がお見えになられました」

 

「ん、入りい」

 

 扉が開かれると案内をしてきた給仕の後ろには、フード付きのローブで全身を隠した人物が。ローブの人物は飲み物を注文して給仕が部屋から出たのを確認すると、体を覆っているローブを脱ぎつつ席へと近づいてくる。

 

「待たせてしまったかしら?」

 

 着席してフードに押さえられていた銀色の髪をかき上げるとフレイヤは微笑んだ。

 

「もう待ち草臥れてしもうたわ」

 

「あら、こういう場合は自分も今来たところと言うのが気遣いじゃないの?」

 

「アホか。なんでうちがそないな事言わなあかんねん」

 

「つれないのね」

 

 神友同士の軽口の応酬は続く。

 

「ちゅーか、待ち合わせの時間ギリギリやないか。今日はそっちの奢りやからな」

 

「いいわ。今日は気分が良いから奢ってあげる」

 

 言葉の通りフレイヤは御機嫌に見えた。頬も桜色に染まっていて時折漏らす吐息も熱を持っているように思える。瞳も濡れているが何よりも目を引いたのは、

 

「肌がツヤツヤや」

 

 そう、肌が殻をむいた卵のようにすべすべで光沢を放っていた。今であればフレイヤの持つ魅了も三割増(当社比)ではないだろうか。

 「何があったんや」と出そうになった言葉を飲み込む。聞かれたくてウズウズしているのが見て取れたので面倒臭そうだと思い期待に沿いたくなかったのだ。だが、目が口以上にものを言ったのだろう。フレイヤが笑顔を添えて勝ち誇ったように自慢してきた。

 

「ふふふ。未知が既知になる快感と新しい愛のお陰ね」

 

 訳がわからないが聞いてしまえば藪から蛇どころか龍が出てきそうな感じがしたので黙っておいた。

 

「そういう貴方も良い顔になったじゃない。今日の食事はとても有意義な時間になりそうね。誘いに乗って正解だったわ」

 

 ロキは息を呑んだ。見透かされている。ウルキオラと再会した情報も何処からか入手しているのだろう。

 ならば回りくどい真似は抜きにして早速交渉へと入ろうとするがフレイヤが人差し指を唇に持って来た事によって静止される。中断させられたのを不服に思う前に理由は分かった。

 ノックが鳴る。到着時にフレイヤが頼んでおいた飲み物が持って来られたのだ。

 確かにここからの会話は誰であろうと部外者に聞かせるのは不味い。給仕がフレイヤの魅了にかからないよう扉の前で飲み物を受け取り、要件があれば呼ぶと伝えて扉を閉めた。

 

 飲み物を渡したフレイヤがグラスを掲げる。

 

「何に乾杯するんや?」

 

「貴方達が失礼な愛から脱却したことに」

 

「……どういう意味や」

 

「正対することにしたんでしょう、過去に。見ることにしたんでしょう、現在を。その上で動くことにしたんでしょう、未来へ。相手を見ない、受け入れない愛なんて残酷なだけだわ」

 

 ロキの背中に冷たいものが走る。正直ここまでとは思っていなかった。恐らくフレイヤはウルキオラとロキ・ファミリアにあったことを、ほぼ正確に推測している。

 

「ほんまに耳が痛くなるわ。……ああ、その通りや」

 

 ロキが答えるとフレイヤは嬉しそうに口元を緩めた。

 

「良かった。神友が間違った愛へと進まなくて」

 

「意外やな。うちの事を心配してくれとったんか?」

 

「当たり前じゃない。それに私は“美”と“愛”の女神よ。倒錯した愛も、狂った愛も、病んだ愛も認めるけど間違った愛だけは否定するわ」

 

 だからフレイヤは『豊饒の女主人』の時に過去のウルキオラしか見ていなかった自分達を非難したのだろう。

 

「……自分、いつから気付いとったんや?」

 

「昔のウルキオラと今のウルキオラが別人だってこと? 再会して彼の第一声を聞いた時からよ。魂が視えなかったから初めましてと確認もしたけれども。因みに、私が『豊饒の女主人』で言っていた情報っていうのはこの事よ」

 

 であれば、ここで得られる情報はもう無い、と思っているとフレイヤが勿体ぶった調子で続ける。

 

「でも、もう一つとびっきりの情報を知ったわ。それこそ貴方達の喉から手が出るほどの。その情報とこれからの私達の協力で三年前の真実を教えてもらえるかしら?」

 

 気持ち悪いほどの破格の条件だった。が、素直に喜べない。なにか企んでいるのではないかと怪しくなってくる。

 

「うちらの欲しい情報? それも協力するて……自分何考えとるん」

 

 目を少し開き牽制する。

 

「私もウルキオラの事をもっと知りたいの。彼を探すんでしょう? まずは見つけないと何も始まらないものね。だから協力するわ」

 

「見つけるまでの協力ということやな」

 

「そうねえ、この際だから同盟を組みましょう」

 

「はあ?」

 

 ロキ・ファミリアにとって最大の敵は言わずもがな同等の戦力を保持しているフレイヤ・ファミリアだ。フレイヤがウルキオラを狙っているとなれば尚更だ。

 仮に同盟を結べば監視も出来る。それに同盟を結んだ上でフレイヤが暴走して裏切れば全面戦争待ったなし。負ける気はないがどちらが勝つかは不明だ。そうなれば勝利した方も無事では済まず即座に他の有力なファミリアから攻められ結果としてどちらも崩壊するだろう。嘗てロキとフレイヤが当時最大の勢力を誇っていたゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアを失脚させたように。更に付け加えるならば戦争になった場合の大義は裏切られた此方に在る。

 そういった理由から情報を集める手の多さという理由以外にも同盟は好都合だった。

 

 しかし、だからこそフレイヤの考えが全く読めない。軽い協力関係ではなく同盟。ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアは敵対こそしていないが仲の良いファミリア同士というわけでもない。

 

 なのに何故?

 

「勘……かしら」

 

「何やて? 自分、頭大丈夫か?」

 

 らしからぬフワッとした理由にロキは詰め寄る。

 

「数日前にウルキオラと会った時に感じたのよ。なにか大きな事が近々起こるって」

 

 フレイヤの勘の良さに舌を巻いてしまう。きっとウルキオラと対峙して無意識に微量ではあるが感じ取っていたのだ。三年前に彼が処刑されそうになった本当の理由を。

 確かに下手を打てば大騒動になる可能性がある。最悪、全てのファミリアが敵となる。真実を知らないフレイヤではここまでは考えられなかったであろうが、戦力は多いに越したことはないとの思惑なのだろう。

 

 ロキはフレイヤからの同盟の申し出を受けることにした。

 

 

「んで、何や? うちが喉から手が出るほど欲しい情報って」

 

 正直期待していなかった。ウルキオラの件が少しでも分かれば良いという程度。この会談の当初の目的である情報も既に知っていたものであったし、それ以外でこんな短期間にフレイヤが自分達の知らない有益な情報を持っているとも思えなかった。

 有益な情報でなかろうと同盟を組めただけで充分だ。

 

 そう思っていた。

 

 この時までは。

 

 

「私はね、子供達の魂が視えるのよ」

 

 脈絡のない話にロキはからかわれているだけかと額に血管を浮かび上がらせる。

 

「あー、知っとる知っとる。ほんで視えた魂が好みやったら、とことん追いかけるんやろ?」

 

「今のウルキオラは視えなかったの、三年前は視えていたのに。昔の彼の魂は儚く美しかったわ。まるで闇に飲み込まれまいと必死で瞬く夜空の星のような魂」

 

 軽口を叩けなくなった。フレイヤは知らなくて言っているのだろうがロキには意味するところが分かっていたからだ。ウルキオラはずっと内面に封じられたもう一人に飲まれまいと抗っていたのだろう。それを思うと何も知らずに呑気に過ごしていた自分への怒りと彼への罪悪感で口が開けなくなってしまった。

 

「視えなかったから、初めましてと確かめてみたのよ」

 

 反応のないロキに構わずフレイヤは話を進めていく。

 

「何らかが原因で、ただ視えなくなっただけなのか。それとも全くの別人なのか。どちらか分からなかったから。……話を戻すけど貴方の、いつから気付いてたとの質問に私はこう答えたわよね彼の第一声を聞いた時から(・・・・・・・・・・・・)って」

 

 何を言いたいのかが分からない。

 

「どうして分かったかっていうと、昔の彼は段々と無感情にはなっていったけども、今ほど寒々しい雰囲気を纏ってはいなかったから。それに私と彼も知らない仲ではなかったんだし直ぐに態度で別人だと思ったわ。それでも確認をした……どちらか分からなかったから」

 

「ええかげんにせえ。何が言いたいんや」

 

「そう、どちらか分からなかったから。……ところで知ってる? 色って目を瞑って視えていなくても感じられるものなのよ」

 

 心に何かが引っかかった。

 

「頭では別人だと最初から理解していたのに確認したのよ……きっと意識の奥底で感じていたんでしょうね」

 

 ドクンッと胸が高鳴る。

 

「だから、どちらか分からなかった」

 

「う……うぁっ……」

 

 嗚咽を抑えられない。

 

「余りにも小さかったから感じ取りにくかったのね。でも、こうやって自分の行動理由を整理して思い返すと確かにあった」

 

「ぁぁ……ぁあああっ!」

 

 口を押さえても止まらない。

 肩が震えてしゃくりあがる。

 

「安心なさい」

 

 涙が次から次へと溢れ出た。

 

 

 

 

「貴方達のウルキオラは、まだ生きているわ」

 

 

 

 

 

 

「少しは落ち着いた?」

 

 フレイヤから差し出されたハンカチでロキは涙を拭う。ズビビーーーッと、ついでに鼻をかむお約束を忘れないまでには落ち着きを取り戻した。

 

「で? どうするのこれから」

 

「決まっとるやろ。ウルの事を知るのは変わらんけど、最終目標はウルを取り戻す」

 

「そう。私も諦めた訳ではないから、そこは忘れないでね」

 

「分かっとるわ」

 

「では、次は情報の共有ね。──聞かせてもらえるかしら? 三年前の事」

 

 今度はここでロキが待ったをかける。フレイヤに真実を知る覚悟を問わなければならないからだ。それほど今から伝える情報は重大なものだ。絶対である世界のバランスが崩壊する可能性だってある。

 ロキは念を押す。

 

「フレイヤ、今から話す事はうちと三年前あの場にいた神しか知らんことや。それほどやばい件や。そないな重大な事を知る覚悟はあるか?」

 

 フレイヤは瞬きを数度繰り返すと妖艶に微笑んだ。

 

「ええ、話してくれる?」

 

 糸目を開き声のトーンを落としてロキは三年前の真実を語る。

 

「三年前の、あの時──」

 

 

『目障りな屑が。死ね』

 

 舞う血飛沫。

 血溜まりに沈んでいく多くの物言わぬ亡骸。

 天に還された神。

 愛刀片手に悠然と佇むウルキオラ。

 

『そ、その男を取り押さえろーっ!!』

 

 

「うちだけやない。他におった連中も、ある感情に襲われたんや」

 

「ある感情?」

 

「それは、うちらが下界で絶対に持つことのない感情」

 

「…………ま、さか」

 

 フレイヤの顔から余裕と笑みが消える。

 流石、聡いフレイヤだ。今の言葉だけで答えに辿り着いたのだろう。

 

「そういう、そういう事なのね。視えなかった魂。その筈だわ、私は子供達のは視えるけども神のものは視えない。魅了の効かない説明もそれでつく。私達と同列の存在であれば……」

 

 優雅さが微塵も感じられず普段な涼やかな最上の顔には冷や汗が浮かんでいる。フレイヤにとっても、この未知は行き過ぎたものだった。

 

「──うちらを襲ったのは死の恐怖」

 

 その言葉は真に文字通りの意味で。

 

 

 

 

 

 

「もう一人のウル。ウルキオラ・シファーは(うちら)を殺せる」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「……んん……くぅ……」

「すー……すー……」

「………………」

 

 ヘスティア・ファミリアの本拠地である廃教会の地下では静かな寝息がたてられている。

 ベッドにはヘスティアとベル、離れたソファーにはウルキオラが、それぞれ体を休めていた。

 騒動の後でも商魂逞しく開けている出店を歩いて周り、全力ではしゃいでいたヘスティアが最初に睡魔に負け、次にシルバーバックと死闘を演じたベル──怪我はウルキオラと合流すると直ぐにポーションを購入して治療済み──、最後にやることの無くなったウルキオラと続いた。

 ヘスティアが寝る前に「家族は並んで川の字で寝るもんなんだぜ!」と強引に狭いベッドに二人を引きずり込もうとして起きた騒動は割愛しておく。

 

 

 一人、ソファーに寝ているウルキオラは夢を見ていた。

 ──いや、見せられていた。

 

 三年前にウルキオラ・フィーリスが見た最後の光景を夢として。

 

 

 

 

 笑顔を別れの挨拶として最愛の家族へと贈ったウルキオラ・フィーリスは顔に麻袋を被せられる寸前に一人の男の姿を見た。

 

 笑っている。

 嗤っている。

 嘲笑っている。

 

(奴は──)

 

 ウルキオラに青年の思考が流れこんでくる。

 

 嘲笑っている男も青年にとってロキ・ファミリアとは真逆の意味で重要な人物だったので即座に思い出せたようだった。ずっと追っていた二つのうちの一つだから当然とも言える。

 

(そうか……嵌められたのか俺は)

 

 結論へ行き着くとそこから逆算していく。だが、どうしても全ての線は一本にならない。視線の先にいる男の勢力だけでは辻褄が合わない部分が多く存在する。

 

(そういう──ことか)

 

 ロキ達を襲撃した事件の黒幕。

 自分を取り押さえろと命じた神々。

 人質を取り己を飼い犬とした者。

 目の前の男。

 

(世界は余程俺を憎んでいるらしい。無理もないか……俺はこの世界に──)

 

 嘲笑っている男を睨みつける。

 

(いいだろう、俺の負けだ。だが、覚えておけ。この身体は必ずオラリオへと戻って来る。何も知らないお前達は俺だと思い、必ずこの身体の持ち主と対峙するだろう。その時を覚悟しておけ) 

 

 惨めな負け惜しみだと理解している。

 

(──すまない、皆。不甲斐ない俺を許してくれ)

 

 麻袋が被せられ視界が暗転した。

 

 

 

 

 意識が覚醒する。ウルキオラは身を起こした。

 

「俺にこんなものを見せるとは警告のつもりか? それとも今の奴らを滅ぼして欲しいという願いか?」

 

 答えはない。沈黙したままだ。

 

「二人共……愛して……るぜー……んふふふ」

「僕も……です……ぅ」

 

 ヘスティアとベルの寝言が聞こえてくる。二人揃って幸せな夢の最中のようだ。

 ウルキオラはベッドの傍まで行くと、ずり落ちた毛布を手に取り二人へと掛けてやる。

 暫し幸せそうに眠っている二人を見つめた。

 

 

 夢も何も関係無い。

 襲ってくるのならば。

 二人を脅かす敵ならば。

 

 

 相手がどんな人間であれ──

 

 

 

 神であれ──

 

 

 

 

 世界であれ──

 

 

「破壊する」

 

 それだけだ。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「失礼しました」 

  

 用事を済ませ部屋から出た小人族(パルゥム)の少女は、とぼとぼと廊下を歩く。相変わらずここに戻って来ると嫌な気分にさせられる。良い思い出が無いどころか、辛い思い出しか無い本拠地。用事があるから戻ってきているだけであって、無いのなら近寄りたくもない場所。ファミリアが家族というのであれば本拠地は家とも呼べるべき場所なのに。

 暗い気持ちで曲がり角まで来ると無理矢理腕を引っ張られた。

 

「へへへへ、漸く見つけたぜ」

「何処に隠れてやがったんだ」

「てめえからノコノコ現れるとはな」

 

「ヒッ?!」

 

 逃げようとする腕を掴み、三人の男が下卑た笑みを張り付かせ少女を取り囲む。

 

「別に手荒な真似はしねえよ。渡すもんを渡してくれりゃあな」

 

 

「おい、やめろ」

 

 眼鏡を掛けた細身の男が止めに入った。手には大きな布袋を持っている。

 

「今はそんなのに構っている時間は無い。行くぞ」

 

「へい。チッ! 運のいいこった。だが忘れんなぁ、俺は諦めないからな」

 

 四人の男は少女の出てきた部屋へと入っていった。閉まってゆく扉の向こうから途切れ途切れの声が聞こえてくる。

 

「調子は…………マ様……資金……先方も……酒を是非と……」

 

 少女は扉が閉まると逃げるようにしてこの場から立ち去る。

 

「誰か……助けて下さい……」

 

 

 

 

 ──カランッ。

 

 太い腕に握られたグラスの中で氷が揺れる。

 

 カウンター席しか無い小じんまりとした飲み屋。店内には白髪を後ろに束ねた高齢の店主と一人の客しかいない。

 店内にいる唯一の客であるドワーフの男は隣に置いてあるグラスをじっと見つめている。一口も飲まれていないグラスの外側には周りの水蒸気が冷やされ沢山の水滴が付いていた。

 待ち人は今日も来ず。

 用意した一杯の蒸留酒は口に運ばれること無く氷も溶け温くなっていた。

 

 嘗て男同士二人でこっそりと来ていた隠れ家のバー。

 

 あの時も──

 

『俺にとってガ──は──』

 

 あの時も。

 

『話がある。皆には黙っておいてくれ、頼む』

 

 肩を震わせ、どんな攻撃にも耐えうる屈強な男の顔が苦痛に歪む。

 

「ウルッ……ワシは…………っ!」

 

 

 

 

「ちょっと! こんな時間に、何処に、行こうっていうのよ!」

 

「分かっておろうっ! あ奴が帰っておったのに知らせてもくれぬ薄情者達の所へだ!」

 

 片目に眼帯を付けた麗人が、同じく眼帯を付けたハーフドワーフの女性を羽交い締めにしている。

 しかし、悲しいかな。ハーフドワーフの女性の方が力が強く麗人はズルズルと引きずられていた。

 

「知らなかった、だけかも、しれないじゃない」

 

「いーや、手前には分かっておる! 黙っておいたに違いない! こと、あ奴の事となると手前を除け者にしおってーーーっ!!」

 

「落ち着きなさい! 今の貴方は、頭に、血が上っているわっ」

 

 わーわーぎゃーぎゃー大声が飛び交う。

 そんな二人の前を黒い着流し姿の赤毛の青年が通りかかった。

 

「丁度良かった! 貴方も手伝って!!」

 

「ゔぇっ?!」

 

 哀れ青年は巻き込まれたのだった。

 

 

 

 

 四炬の松明が照らす中心。大きな石の玉座に座っている老神に声が掛けられる。

 

「あの男が戻って来たみたいだね」

 

 声の主が闇の中から浮かび上がる。漆黒のローブを纏った人物だ。

 

「どうするつもり? 不干渉? それとも……」

 

「今はまだ監視だけだ」

 

「本当に良いのかい?」

 

「監視だけでよい。……今はな」

 

 パチッ。

 松明が弾け老神の大きな影が明かりの中で蠢いた。

 

 

 

 

 鍾乳洞に似た黒い岩盤で構成された洞窟に一つの影があった。影は石英の光だけが頼りの薄暗い岩盤の通路と外界を結ぶ入り口である水面の傍に、何をするでもなくじっと立っている。

 

 洞窟の奥から現れた新しい影が立っている影に近づいていく。

 

「またここにイたのネ。今日は感ジられたノ?」

 

「いや、全然駄目だーー!」

 

 水面にいた影はどかっと座り込むと頭を掻いた。

 

「そう、残念ネ」

 

「本当にな! あのなんとも言えない感じが気持ち良かったのになあ」

 

 未練たっぷりの言葉に近づいてきた影の好奇心が刺激される。

 

「そンなに良かったノ?」

 

「ああ! なんつーか、くすっぐたくて、でもやめて欲しくなくて、胸の中心がぽかぽかするんだ。他の皆も味わえば、やみつき間違いなしだぜ!」

 

「そこまで言うのなラ私も感じてみたいものでス……でモもう時間が。皆の所へ戻りましょウ」

 

 「残念だー残念だー」と繰り返す影と苦笑する影。

 

 二つの影が消えた後には静謐な空間と波紋一つ立っていない水面だけが残された。

 

 

 

 

「あの野郎がオラリオに帰ってきたみたいだぜ」

 

 一人の冒険者が男に街で仕入れた情報を報告する。男は装着している眼装(ゴーグル)の黒がかった色鏡(レンズ)の奥で赤い瞳を光らせ口元を歪めた。

 

「へー、そうかよ。んで、それがどうした? 今更、奴が現れたところでどうにもならねえよ」

 

「ひひっ、本当かぁ~? 俺は不安だぜぇ?」

 

 言葉とは裏腹に不安を微塵も感じておらず、端麗な相貌に軽薄な笑みを刻んだ自らの主神に眼装の男は歪な笑みを返す。

 

「面白い冗談ですねぇ。それは俺達を近くで見てきた貴方が一番分かっているでしょう?」

 

「ひひはははっっ! ああ、この三年間楽しみに楽しませてもらったからな。勿論これからもだろう?」

 

「当然ですよ。もっと、もっと面白くなっていく」

 

「期待しているぜぇ?」

 

「神の仰せのままに」

 

 眼装の男は赤い瞳を狂気に染め上げ仲間に、主神に確信を持って宣言する。

 

「ウルキオラだろうが、ロキ・ファミリアだろうが、フレイヤ・ファミリアだろうがっ! 今の俺達の敵じゃねぇ。目の前に立ち塞がるのなら、叩き潰すまでだ!! そして、俺達にはその力がある! はははははははははっ!!」

 

 

 

 

 本拠地のベッドの上でヘスティアは、すやすやと眠っている。

 幸福に包まれながら至上の夢を見て穏やかな寝息を立てている。

 

 

 

 

 

 

 

 自分の犯した失敗に、今も犯し続けている最大の失敗に、とうとう気付かないまま。

 もう取り返しの付かない時が直ぐそこまで来ているのに。

 

 今は幸せな夢に身を任せていた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 モンスターも冒険者もおらず静かだったダンジョンに壁の割れる音が反響する。モンスターが生み出される予兆だ。冒険者達がいれば身構えるなり逃亡するなりして騒がしくなっていただろうが、今は静かなものだ。何の障害も無く一体のモンスターがこの世界に産み落とされた。

 青白い肌に体の所々にある無数の鱗、額に埋まる紅の宝石は紛れも無くモンスターである証。しかし、蒼銀の髪や尖った耳に整った顔など、それ以外の風貌は美貌を携えた少女のように見える。

 一糸も衣類を纏ってはなく、未成熟な裸体を惜しげも無く晒している少女のようなモンスターは首を振り周りを見渡すと驚くべきことに人語を発した。

 

「ここは……どこ……?」

 

 少女は、よたよたと覚束無い足取りで進んで行く。

 

「だれも、いない」

 

 同胞を探して。

 

「わたし、ひとり……」

 

 孤独の寂しさを埋めるために。

 

「ひとりは……いや……っ」

 

 彷徨い続けた。

 

 

 

 人間達に出会えば傷つけられ、モンスターに見つかっても襲われ、有りと有らゆる存在から排他された少女は悟る。自身は排斥されるべき異端の存在だと。

 それでも死にたくなかった。

 誰かと共にいたかった。

 

 傷だらけで血に染まった全身。

 涙で濡れた顔。

 嘆きで枯れた声。

 

 逃げ疲れ、物陰に隠れて横たわったまま独りで心細く力尽きようとした少女は閉じそうになる瞼に必死に抵抗して目の前を見ていた。物陰から見える世界は小さな小さな狭い世界だった。

 

 きっと本当の世界というものは、こんなちっぽけではなく、もっと広大なものなのだろう。

 何も知らないで自分は死ぬのだ。

 生の喜びも。

 他者と共にいられる安心も。

 温かさも。

 何も知れないまま独りで死ぬ。

 

(そん……なの……や……だぁ…………)

 

 

 

 諦めかけた時だった。

 

 霞む視界を白い布が横切ろうとする。

 

 体中に電流が走った。

 次に胸がじんわりと温かくなり包まれるような安心感がやって来た。

 

 お腹がすいて。

 体が痛くて。

 死にたくなくて。

 寂しくて。

 

 少女は手を伸ばし、隠れている物陰の前を通過しようとする白い布を小さな掌で、ぎゅっと握った。

 

 

 そして──

 

 

 

 

 

「何だ貴様は」

 

 

 

 少女は──

 

 

 

 

 

 

 

 

「おとう、さん……?」

 

 

 運命(ウルキオラ)と出逢った。

 

  

 




これで一章は終わりでございます。
丸二年です(ガタガタ
お付き合い頂き感謝感激雨あられでございます。

沢山の感想、評価、お気に入り、誤字報告、誠に誠に! ありがとうございます!


エピローグということで、ワザと説明不足にしていた部分があるので、もしかしたら全然意味がわからなかったかもしれません。すみません。

一応補足おば。
フレイヤ様、推測凄くねえ? これはフレイヤ様が既にウルさんが別人だと看破していたから出来た芸当です。過去しか見ていないロキ様たちとウルさんが出会えば、そりゃ揉めるわなと。

最後のシーン
これは、時系列が少し飛んで二章に入ってから暫くしてからの内容です。



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