この掌にあるもの   作:実験場

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第十話 譲れないもの

 ロキとヘスティアのお陰で盛り上がっていた熱気の残りが、氷結魔法をかけられたように冷たく凍りついた会場。

 

 皆が皆、時が止まったように硬直しているが魔法をかけた張本人だけは影響を受けない。フレイヤは素早く瞳を動かした。

 

 ウルキオラの帰還を公にしたのには当然理由があった。情報とは鮮度が命である。ということは、他者に知れ渡った途端に持っている情報はゴミ同然となってしまう。ヘスティアは言った。『秘密はいずれバレる』と。大切に保管しておいて宝の持ち腐れにしてしまう訳にはいかない。だったら、その情報が重要な意味を持つ内に使ってしまうに限る。

 この機を逃してはならない。貴重なアドバンテージを売り飛ばしたが、二束三文の捨て値で買い取ってもらっては困る。それ相応の代価は必ず回収するつもりだ。

 どんな小さな動きも見逃さない。不意をついた今だからこそ、仮面の剥がれ落ちた素の反応をするのだから。

 

 フレイヤは会場全体に目を光らせる。

 

 神々のリアクションは様々だ。

 単純に驚いている者。

 好奇に瞳を輝かせる者。

 神殺しを知ってるせいか、不快感を抱く者。

 やや、不安気な表情の者。

 

 そして……

 

 

 

 

 

 顔を青ざめさせる者。

 

 

 ──見ツケタ。

 

 数人の男神が蒼白な顔を隠そうともせずに立ち尽くしているのを、銀色の瞳が捉えた。

 フレイヤは口角の端を吊り上げる。

 

 炙り出しに成功したうえに都合が良い。女神であればファミリアの力を使い脅迫する必要があったかもしれないが、男神なら魅了でどうとでもなる。

 

 いてもたってもいられなくなったフレイヤは、早速接触しようと最後の仕上げに入った。

 

「ああ、でも内緒にしておいてね。騒ぎ立てられると困るみたいだから。私、彼に嫌われたくないのよ」

 

 静かだった会場がどよめく。

 フレイヤがウルキオラを気に入っていると宣言したようなものだったからだ。同時にフレイヤの悪癖を知っている神達は、邪魔をするなら力尽くで排除するという宣告とも受け取った。

 

 しかし、フレイヤはざわつく連中は無視して顔面蒼白の男神達だけに注視する。

 

 男神達はウルキオラ追放の切っ掛けになった事件に居合わせた者達で間違い無い。恐怖故か顔色を失っている男神を見て、やはり神殺しを口実にしてウルキオラを追放したのだとフレイヤは確信する。もし、神殺しだけが理由であれば、ここまで血の気が引くような表情に追い込まれない。精々が他の神みたいに不安気な表情止まりだろう。

 

 子供を見守るだけの神に極刑や追放の案を出させたのは、事件の時にウルキオラがそれだけの事をしたのに違いない。

 それは、神を殺し天界へ送還させた罪ではない。もっと別の何か。神に決まりを破らせるような、恐怖を抱かせるような、もっと大きな出来事。

 

 それを知っている者であったならば、きっと気付いた筈だ。フレイヤの送ったメッセージに。ウルキオラが特殊だと知らない者には、有り得ないと頭から弾かれて気づけないメッセージに。

 フレイヤは『嫌われたくない』と言った。つまり裏を返せば嫌われる可能性もあるということ。魅了を持っているフレイヤが、だ。つまり、神もモンスターにも効果のある魅了がウルキオラには通じなかったとフレイヤは言っていたのだ。

 

 ここまでウルキオラへの危機感を煽れば男神達は事件の真実をひた隠しにする以上、危機感を共有する者達で集まり独自に動くしかない。其処にオラリオ最強のファミリアを持つフレイヤが現れ協力を約束する。喉から手がでるほど欲しい戦力に加え、全く状況を理解していない者ではなく、何かがあったと多少なりとも感づいている者が相手であれば口も割りやすくなる。何を企てるのかは分からないが、元々はウルキオラの極刑を主張していた者達だ。ろくでもないことだろう。真実が聞けたのなら用済み。上手く言いくるめてウルキオラ捜索の手駒にでもしてしまえば良い。

 

 案の定、言わんとする事が伝わった男神達は互いに目配せをし合って一カ所に集まり、一言二言話すとそのまま連れ立って会場から出て行った。

 

 笑みを深くして次にロキを流し見る。こうなってしまえばフレイヤの想定通り、苦虫を何十匹も噛み潰した顔をしたロキは便乗するしかない。

 

「ウチからも頼むわ。ウルキオラは()()()()大事な家族やから面倒かけたくない」

 

 ウルキオラは功績と犯した罪によって良くも悪くも有名で、オラリオの住人達が帰還を知ればあっという間に街中に広がり騒ぎとなるだろう。それを煩わしいと感じ、今まで以上に秘密裏に動かれたら流石に厄介だ。ロキにも同じ思いがあるからこそ、必ず乗っかってくるとフレイヤは考えていた。

 

 オラリオの最大派閥である二つのファミリアにこう言われては、敵に回したくない他の神々は従うしかない。しかしながら人の口に戸板は立てられない。寧ろ神の口の方が軽いので、いつかはバレるだろうが、これでオラリオの街に広がるまで少しの時間は稼げる。

 

(ありがとう、ロキ。思った通りに動いてくれて。今日は上々の成果ね、ウルキオラ追放の手がかりも得られそうだし)

 

 満足気に会場を出ようとするフレイヤの前に一つの影が立ち塞がる。

 

「何処へ行く気や?」

 

 怒りに身を焦がすロキだった。

 

「もう充分過ぎるほどパーティーは楽しんだから帰るのよ」

 

「そうやろな。エライ好き勝手やってくれたからなー。──これから、ツラ貸しい」

 

 フレイヤはロキと退出した男神達、どちらから攻めるべきか少し迷うが男神達の方が組み易しと考え誘いを断る。

 

「折角のお誘い嬉しいのだけど久し振りのパーティーで、もうクタクタに疲れてしまったわ。今からはとても無理ね。後日、使いを送るわ」

 

 それだけ言うとフレイヤはロキの返事も待たずに会場を後にした。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 八基の塔からなるロキ・ファミリアの本拠地。その中央塔にあり、ダンジョン攻略作戦の立案・伝達や、幹部達が集まりこれからのファミリアについて話し合う目的で作られた、通称会議室の扉をロキは開いた。

 

 召集をかけられたロキ・ファミリアの幹部達は、既に各自決められた席に着席している。

 「遅い時間にすまんな」と一声謝罪を述べてロキも定位置の椅子に座った。

 席順は大きな大理石の円卓を中心とし、0時の位置にいるロキから見て左隣が団長のフィン、逆の右隣には副団長であるリヴェリアが座っている。後はフィンから時計回りでガレス・ティオネ・ティオナ・アイズだ。

 ガレスとティオネ、リヴェリアとアイズの間にそれぞれ一つずつ主のいない椅子がある。前者はダンジョンから未だに戻っていないベートの席で、後者はウルキオラが嘗て座っていた場所だった。もう、三年も空席のままだが何時か戻ってきた時の為にと、ファミリアの総意で残している。

 

 ロキは一通り『神の宴』での出来事を話し終えると頭を下げた。

 

「すまんかった。絶対にウルの件、進めてきたるなんて言っておきながら……」

 

「ロキが悪い訳じゃないよ。頭を上げてくれ」

 

 フィンはそう言ってくれていたが、結果としてはヘファイストスに助力を頼むどころか、フレイヤにウルキオラの帰還をバラされる始末。もっと上手い立ち回り方があったはずだ。例えば、感情の思うがままにヘスティアを煽らなければヘファイストスを連れて行かれず、協力を要請出来たかもしれない。もしくは最後に手を離さなければ……いや、手は離さなければいけないだろう。絶対に。友神として。掴んだままのヘスティアがおかしいだけだ。

 

「私達以外にも、ウルの帰還を知っている者がいたとは……」

 

 苦い顔をするリヴェリアに同意する。誤算だった。街の噂話にすらなっていないことから、誰にも知られてはいないと高をくくっていた過去の自分を殴り飛ばしたくなってくる。

 

「これで他の神達にも知られてしもうた訳じゃのう」

 

「でもマイナス面ばかりではないよ」

 

「えー! 何でー?」

 

「ティオナ、大きな声を出したら駄目よ」

 

 驚きから大きな声を上げたティオナを姉であるティオネが諫めた。

 

「だって、分かんないんだもん。ティオネは分かるの?」

 

「そ、それは……団長ぉ~」

 

 想い人であるフィンを振り向かせるため、地の性格を隠して慎ましやかに淑女ぶってはいるが、ティオネも基本的にティオナと同じく脳筋だ。

 

 すがりついてきたティオネに苦笑しつつフィンが説明していく。

 

「僕らとフレイヤ・ファミリアが、ウルと接触しようとしているのは他の神々にも伝わった筈だ。それを邪魔、もしくは横槍を入れようものならオラリオ最大派閥の二つを敵に回す事も。これで他のファミリアは手出しが出来なくなった。正直、知っていたのが女神フレイヤで助かったよ。もし、他に知っている神様がいたとしても口を噤むしかないからね」

 

 ティオナは「ほへー」と理解したのかしてないのか不明な惚けた声色を出し、ティオネはフィンの美声に酔いしれているのか、うっとりと聞いている。

 

「だから、街へ話が広がるのも多少は時間を稼げるだろう。それに──」

 

「そうや。フレイヤと話せる機会を得れた。どうやってウルが帰ってきとることを知ったのか。それ以外にも何かしらの有益な情報が聞き出せるかもしれん」

 

「それなんだがロキ、僕もその話し合いに参加させてくれないか?」

 

 話を引き継いだロキにフィンが参加を願い出ると、他のメンバーからも次々に声が上がる。

 

「ちよっと待て! 私も参加させろ」

「儂も行きたいんじゃが」

「私、も」

「希望制なの? はい! はい! 私も行くー」

「ウルキオラはどうでも良いけど、団長が行くのなら」

 

 沸き立つ会議室。全員がウルキオラについて一刻も早く知りたいのだろう。最後の一人だけは違うみたいだが。

 仲が悪い……というかティオネは昔から、あれこれフィンに構われるウルキオラを一方的に敵視していた。ロキの目から見てもフィンはウルキオラを猫可愛がりしていて、多少ブラコンの気質があった。まあ、自分も含めリヴェリア、ガレスにも言える事だったが。ウルキオラの方も嫌な顔をせずにそれを受け入れており、仲睦まじい兄弟のようだった。そんなのを見せつけられていたらフィンに惚れているティオネが嫉妬して、ウルキオラを敵だと認識するのも仕方がないのかもしれない。

 

 ともあれ、全員の付いて行く発言にロキは頭を痛める。ロキとて叶うなら皆を連れて行ってあげたいが、そうするとフレイヤが警戒をしてしまう。ヘタに警戒させて口を閉ざされてしまう訳にはいかない。一緒に行くとしても、その場にいる理由が通る者しか駄目だ。

 ウルキオラにより近しい、親代わりとして一緒に育てたフィン、リヴェリア、ガレスであればフレイヤへの言い訳も可能だろう。

 

「すまんなぁ、今回はウチとフィンとリヴェリア、ガレスで行くわ」

 

「えー! ズッルい!」

 

「仕方ないわね。ティオナも諦めなさい」

 

「どうしても、ですか?」

 

 捨てられた小犬みたいな目で、上目づかいに見つめてくるアイズ。計算では無い天然物の威力によって、ロキはいたたまれなくなってしまう。

 

「あー、もう、分かった! ウルの妹分やったアイズなら大丈夫やろ。そん代わり付いてくる者は、武器の携帯は一切無しや。フレイヤを警戒させてしもうたらアカンからな」

 

 嬉しそうに何度もコクコクと頷くアイズ。尻尾があったらブンブン振っていたに違いない。今度はまるで散歩に連れて行ってもらえる小犬だ。

 

 フレイヤとの対談のメンバーが決まり参加者が喜色溢れるなか、ガレスだけが浮かない顔をしているのにロキは気付いた。思い返せばウルキオラと再会してから偶にそんな顔をしており、一人で考えに耽っているのをロキは何度か目撃している。

 

「どないしたんや、ガレス?」

 

「おお、その、な」

 

 豪快な性格のガレスが言い淀んでいる姿に、言い知れぬ不安がこの場にいる全員に襲ってきた。

 

 聞きたくない。

 聞かなければならない。

 

 二律背反する思いがロキの頭の中を、ぐるぐる回るが天秤は後者に傾いた。

 

「なんや、ガレスらしくないで。言いたいことがあるんやったら、言ってみたらええやないか」

 

「ふむ……皆の意見を聞きたいのじゃが」

 

 一拍おいてガレスは躊躇いがちに口にした。

 

 

 

 

 

 

「──あのウルは本当に儂らの知っておるウルなのか?」

 

 会議室に静寂が訪れる。

 聞かなければよかったとロキは激しく後悔した。誰もが考えてはいたが口にしなかったのかもしれない。口から出せば本当にそうなってしまいそうで。

 

 フィン達の危機を救った際にウルキオラは姿を変えたそうだ。しかし、ウルキオラは純粋なヒューマンでベートのような「獣化」などによる変化は有り得ない。もう一つの可能性である変身魔法だったら姿形を変えることは出来るが、強さが己の持つ能力値以上になる訳ではない。五十階層での戦いでは明らかに威圧感が増して能力が上昇していたらしい。それに、変身魔法が使えるのなら他人の目を欺ける。ローブを纏う必要は無い。ということは変身魔法でもない。

 どう考えてもロキの知る限りウルキオラでは姿を変えることは出来なかった。

 

 であれば全くの別人なのか?

 それは無い。フレイヤもウルキオラと認識していたようだったし、二十五年も一緒に暮らしてきたフィンやリヴェリア、ガレスが見間違う筈が無い。

 姿形、声まで同じ別人なぞ存在しない。

 もし、そんな存在がいるとしたら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

(中身が……?! そんなんありえ……)

 

 ロキは否定出来なかった。関係がありそうなものに思い当たったからだ。

 感情豊かで元気に騒いでいた子供のウルキオラが、ある日を境に少しずつ静かになっていった。当時は、これが大人になっていく段階だと感慨深く見守っていたが、沢山の人間の成長を見てきた今にして思えば、あれは大人になっていくというより感情が希薄になっていったのではないだろうか。大人になってからは笑みも殆ど見せず常に無表情だった。

 極めつけは三年前の事件の時にウルキオラが放った重圧と言葉だ。

 

『目障りな屑が。死ね』

 

 ロキの知るウルキオラは敵が相手でも、そんな事は口にしない。

 それにあの重圧は……。

 

 

 もし、仮に、仮にだ。中身が変わってしまったとしたら……。

 変わってしまったとしたら……。

 

 

 

 

 

 

 

 本当のウルキオラは……どうなった?

 

 

 ロキは震えそうになる声を必死に整え、皆に動揺を悟らせないように、安心させるように、明るく振る舞う。

 

「な、何を言うとんのや。ウルはウルやろ」

 

「……そう、じゃな。変な事を言って悪かった。忘れてくれ」

 

 ガレスはそう言うが皆の顔は晴れない。

 

「ほら、今日はもう遅いから解散や」

 

 パンッパンッと手を打ち強引に解散を促すロキの胸には一つの痼りがあった。ガレスの問いも“それ”があったからだろう。きっと、フィン、リヴェリアも今は“それ”に辿り着いている。ロキ、フィン、リヴェリア、ガレスそして本人しか知らない“それ”。

 感情が希薄になっていった原因の事件である、ウルキオラがダンジョンに単独で潜り死にかけた時に発現したスキル。四人によって使用するのを禁じられた、余りにもふざけたレアスキル。

 

 足早に逃げるようにして会議室から出て行ったロキの胸中は、不安と恐れでいっぱいになっていた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 コンコンコンと規則正しく扉を叩き、部屋の中から入室の許可があるとリヴェリアは扉を開いた。

 

 備え付けの魔石灯を使用していないせいで薄暗く、光源は窓から零れ落ちる星明かりのみ。

月はその身を隠している。

 月が無く暗闇の中に小さく瞬いている星達は、さながら大きな存在がいなくなってしまい途方に暮れる、今の自分達のようだとリヴェリアには感じられた。

 窓から星空をぼんやりと眺めているロキの背中は不安気に揺れており、そしてそれはリヴェリアも同じ気持ちだった。

 

「リヴェリアだけか?」

 

「フィンとガレスは戻らせた。女同士の話があると言ってな」

 

「やっぱり、あの二人も……」

 

「同じ考えのようだ。もし、ウルに何かあったとしたら、あのスキルが関係していると」

 

 ロキが本棚を横にずらし、隠してあった金庫から二十五冊ある本の内、一冊を力無く手に取った。

 これは全てウルキオラのステイタスが書かれている用紙を本のように纏めた物だ。所謂、成長日記で一冊が一年分。普通ならステイタスが外部に漏れないよう処分するものだが、どうしても成長記録として残しておきたかったロキが、厳重に管理するのを条件にウルキオラから受け取り作ったものだった。

 

 ロキが本の最後のページを開く。つまりウルキオラ最後のステイタス。

 二人の目がスキル欄の四つある項目の一番上、ウルキオラが最初に得たスキルで止まる。

 

 

 

 

 

虚無漏影(エクリプセルナル)

 

 ・能力値、経験値の上昇

 ・代償により効果向上

 ・代償の大きさによって向上率が変化

 ・失った代償は元には戻らない

 

 

「代償……代償ってなんや……」

 

「ウル本人も分からないと言っていたが……」

 

「それは嘘や。神達(ウチら)は嘘を見破れる。きっとウルは皆を心配させんようにと……」

 

 ロキがベッドに座り、震える体を抑えるように両腕で自分の体を抱き締める。

 

「感情……記憶……自我……っ、ウチは……怖い」

 

「私も……だ」

 

 同じ人を愛し、幾度も衝突した恋敵だからこそ弱音を言い合える。抱いている不安も恐怖も同じだからだ。二人は今、憂苦に苛まれていた。

 

『……俺は星の在り方に嫉妬している』

 

 今だからこそリヴェリアは、あれはもしかしたらウルキオラからのメッセージではなかったのだろうかと思う。

 中庭での会話でウルキオラは闇に飲み込まれる事無く輝き続ける星を羨ましいと言っていた。それが意味するものは……。

 

 リヴェリアは押し寄せてくる不安の波に抗うように、あの夜重ねた掌を見つめる。

 

 

 ウルに触れたい……。

 

 ウルを感じたい……。

 

 

「ウル……に……会いたいよぉ」

 

 ベッドに倒れ込み、手で目元を隠したロキの消え入る声での熱願。気持ちは痛い程に良く分かる。リヴェリアも遠くから見れただけだったからだ。

 

 横になっているロキの頭の横に腰を下ろして朱色の髪に指を通す。

 

「そうだな……会おう。家族としてもだが、愛しい男としてもだ。大丈夫だ。きっとウルは何も変わっていない」

 

 自分自身にも言い聞かせた。

 

「そして、二人で気持ちを伝えよう。どれだけ待ち焦がれていたのか、どれほど愛しているのかを」

 

「困るやろうなぁ、ウル……」

 

「私達にこんな思いをさせているんだ、それ位やっても罰は当たらんさ。それにお前は、最高の笑顔で『おかえり』と言うのだろう? そんな顔でウルを迎えるつもりか? だったらウルの隣は私の物になるな」

 

 ロキの片眉がぴくりと上がる。

 

「ウルの隣はウチのもんや、絶対に渡さんで」

 

 反射的に口にしたのだろうか。さっきまでの愁傷さを放り投げ、力強く反論してきたロキに吹き出しそうになるリヴェリア。

 

「全く世話を焼かせる恋敵だ」

 

「……おおきにな、少し元気出た。──リヴェリアはホンマ、ママやな」

 

 ウルキオラがいなくなってから精神的に不安定になっていたロキを、リヴェリアは弱音を吐き出させることによって、度々ガス抜きをさせていた。これはフィン、ガレスでは務まらない。同じ想いを持つリヴェリアだからこそ弱音を言える相手となる。

 過去の礼もあるのだろう。照れくささから最後は軽口になってしまったようだが。

 

 リヴェリアはロキの頭を優しく触れるように小突く。

 

「誰がママだ」

 

 窓から淡い木漏れ日のような星明かりが差し込むなか、二人は静かに笑い合った。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 普段も大勢の人々が行き交い、賑わっているメインストリートではあるが今日はそれに輪をかけて溢れる人、人、人でごった返していた。

出店の数も平時とは比べものにならず、いたる所で通行人の足を止め人だかりを作っている。

 通りを闊歩している人種も様々で世界中に存在する全ての種族が集まったかと思ってしまう位だ。

 色とりどりの花で装飾された大通り。数多くの種族、年齢で構成された通りを埋め尽くす群集。道の端に隙間なく詰められた露店は、空から見れば豪奢で色彩豊かなドレスのようだろう。

 オラリオでは今、世界でも屈指の祭典、ガネーシャ・ファミリア主催による『怪物祭(モンスターフィリア)』が開催されようとしており、住民や観光客は浮き足立ち、街全体に心地良い軽やかな緊張感が漂っていた。

 

 メインストリートの並びにある『豊饒の女主人』も例には漏れず緊張感に包まれていた。しかし、それは街とは真逆の重く深刻なものではあったが。そして、その緊張感は店内にいる神物の待ち人が来た事によって否が応にも高まっていった。

 

 

 『Closed』と札がかかっているドアをくぐりロキは『豊饒の女主人』へと入る。

 

 フレイヤが指定してきた日は『神の宴』から三日後の今日、場所は『豊饒の女主人』だった。それを聞いた時には、八つ当たりとは分かっているが使者に悪態をつきたい気持ちでいっぱいになったものだ。

 

 会話を聞かれたくないからだろう。入り口から一番離れている隅の席で、フレイヤはゆったりと葡萄酒をあおっている。

 

「自分一人か?」

 

「ええ。争い事にはならないって、貴方を信じてるもの」

 

 (よくも、いけしゃあしゃあと……っ!)

 

 白々しいフレイヤの台詞にロキは眉間に皺を寄せる。

 

 会談の場所となった『豊饒の女主人』はロキのお気に入りで何度も通っている店だが、フレイヤにとっても関係の深い場所であった。

 『豊饒の女主人』を切り盛りしている恰幅の良い女将のミアは、元フレイヤ・ファミリアの団長でLv6の冒険者だったのだ。

 働いているウェイトレス達はフレイヤ・ファミリア出身ではないが、並みの冒険者なら軽く一捻り出来る実力を持っている。

 フレイヤ側に付いているとは考えにくいが、流石に揉め事となってしまえば店を守る為に総出で止めに入るだろう。現に離れて仕事をしていながらも、いつでも飛び出せるよう此方に細心の注意を払っている。

 要するにフレイヤは一人で来てはいるが、形はどうであれ彼女達に守られているのだ。

 

 一つ舌打ちを鳴らすと、最悪の場合は強硬手段に出るという考えを早々に捨て去ったロキは挨拶もしないまま席に着き、いきなり本題に入る。

 

「で、聞かせてもらおうやないか」

 

「聞かせるって?」

 

「どうやってウ……っ! 帰って来とるのを知ったんや」

 

 ここまできても惚けるフレイヤに声を荒げたロキだったが、大声でウルキオラの名前を出すのは不味いと思い出し何とか冷静さを取り戻す。

 

「相変わらず彼の事となったら我を見失うのね」

 

「……」

 

「少し前に会って話をしたのよ」

 

 ロキは無言で逸らしていた顔を、再びフレイヤへと向ける。後ろにいるフィン達にも動揺が走っていた。

 皆が会いたくても会えないウルキオラに会って話までしたというではないか。

 ロキは悔しさでどうにかなりそうだった。

 

「……それだけか?」

 

 低く冷たい声で詰問した。

 

「ファミリアに誘ったわ」

 

 全く悪びれず、笑みさえ浮かべて答えたフレイヤにロキは殺気を滲ませる。

 

「あら? どうして、そんなに殺気立つのかしら?」

 

「ウチらの大事な家族に横からちょっかい出されたら、殺気立つんは当たり前やろ!」

 

「それは昔の話でしょう? ロキファミリアを抜けた今の彼は貴方達と何の関係も無いわ。ほら、悪い事はしてないじゃない」

 

「フレイヤ……ッ!」

 

「それに、自らの手で恩恵を奪った貴方に勧誘をどうのこうの言う資格があるのかしら?」

 

 古傷を抉られ、思い出したくない過去が白昼夢のようにロキの目の前に現れる。

 

 

 

 魔石灯に照らされる地下牢。

 監視している牢番。そして、神々。

 

 手足を鎖で繋がれ、此方に剥き出しにされた背中を向けるウルキオラに、ロキは大粒の涙を流しながら震える手をかざした。

 

『ご……ごめ……ごめんなぁ…ウ…ル……』

 

『良いんだロキ。やってくれ』

 

 少しずつ消えていく『神の恩恵』が家族の絆のようにも感じられて、ロキの目からは止めどなく涙が溢れる。

 

『ロキに拾われて……家族になれて幸せだった。俺の心は、今も一生分の幸福で埋められている』

 

『ウ……ルぅ……』

 

『──出逢ってくれてありがとう。皆を頼む』

 

 

 

 

「ウチが……どないな思いで……っ!」

 

 ギリッと歯を鳴らすロキの頭の中で何かが切れる音がした。

 

「よせ、ロキっ! 落ち着くんだ!!」

 

 異変をいち早く察知したフィンが宥めようとするがロキの激情は鎮火しない。

 『豊饒の女主人』の店員達の緊張感が一気に最高潮となる。

 

「ウチがっ! どないな気持ちでやったと思っとるんやァァァッ!!」

 

 朱色の瞳を怒り一色に染め、テーブルをなぎ倒すとフレイヤの襟首を掴み締め上げるロキ。しかし、力任せに身を起こされたフレイヤは逃げも抵抗もせず笑みを消して、正面から真っ直ぐに見据えてきた。

 

「そう、そこよ。私からも質問するわね。どうして貴方はそこまでの苦痛を味わいながらも、ウルキオラの恩恵剥奪と追放に賛成をしたの?」

 

 予期せぬ切り返しに、ロキは手の力を緩めて押し黙る。

 

「その反応。何かあるのね」

 

 フレイヤの言う通りだった。

 自分を止めようと近くに来ていたフィン達からも、疑問の視線を向けられているのを背中で感じる。

 しかし、これだけは答える訳にはいかない。もし、答えてしまえば騒動ではすまない。最悪、この世界の根底が覆される可能性だってある。何よりウルキオラの立場は今以上に悪くなってしまう。

 

 数秒間、視線を交わしていたが先に目線を切ったのはロキだった。

 

「……あくまでも口を閉ざすつもりね」

 

 掴まれていた手を外して乱れた着衣を元に戻すと、フレイヤは椅子に座り両手の指を絡ませ不敵に笑った。

 

「私も『神の宴』から独自に調べてみたのよ。それで、貴方と会うのが遅れてしまったのだけれど」

 

 ロキは息を飲んだ。

 

「何か……分かったんか……?」

 

「ええ、分からないという事が分かったわ」

 

 意味が分からないと疑問符を浮かべるフィン達の反応に対して、ロキの顔は険しくなる。

 

「ふふ、これは結構大切な事なのよ。私の魅了を以てしても、あの時現場にいた男神達は口を割らなかったの。あれだけ危機感も煽ったのに……。それ程の何かが、あの事件で起こった」

 

 フレイヤが甘く囁いてくる。

 

「ねえ、ロキ。私は貴方達の知らないウルキオラの情報を持っているわ。その情報と交換というのはどう?」

 

 喉から手がでる程欲しいウルキオラの情報。だが、それでも……。

 

「言……えん……言えんのや……っ!」

 

 血を吐くようなロキの返答にフレイヤは席を立った。

 

「そう、残念。交渉決裂ね。まあ、良いわ。どのみちウルキオラを手に入れてしまえばわかるのだし」

 

「っ! ウルはウチらの元へ必ず戻って──」

 

「有り得ないわね」

 

 出口へ向かうフレイヤが足を止め背中越しに断言する。

 

「だって、貴方達──」

 

 此方に振り向かせた顔には何も言わせない威圧感すらあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「過去しか見てないもの」

 

 怒りと哀しみを混ぜ合わせた責めるような視線。

 

「それは彼に、とても惨い事をしているのではなくて?」

 

 そう言ってお店から出て行ったフレイヤに緊張感が解け、安堵の息を吐く『豊饒の女主人』の従業員達。それとは反対に苦悩の表情をしているロキ・ファミリアの面々には、フレイヤの言葉がやけに耳に残っていた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「生きて帰って来れましたー!」

 

 両腕を天に掲げ全身で喜びを表現するリリルカ。

 

「いちいち、五月蝿い奴だ」

 

「五月蝿いとはなんですか?! リリが今回、何度死ぬ目に──」

 

「黙れ」

 

 ごちゃごちゃと喋っているリリルカをウルキオラは有無を言わさず黙らせた。街の様子がおかしい事に気がついたからだ。

 素早く意識を集中させて『探査神経(ペスキス)』を発動させると効果範囲を広げていく。

 その結果分かったのは、理由は不明だが街中にモンスターが現れ、住民が逃げ惑いパニックになっている状況だった。

 

「貴様はこのままメインストリートを通って宿に帰れ」

 

「え? あ、はい!」

 

「それと──」

 

「分かってますよ! 言われた事はちゃんとやっておきます! ……リリも死にたくはありませんし」

 

 

 

 リリルカと別れたウルキオラは更に『探査神経(ペスキス)』を広げていく。ヘスティアとベルの霊圧を補足出来ていないからだ。

 モンスターによって街が破壊されようが、多くの人間が喰われ殺されようが知ったことでは無いが、あの二人だけは別だ。もし、モンスターに襲われているのであれば助けなければならない。

 

 『探査神経(ペスキス)』がオラリオの街を半分程覆ったところで、二つの状況を知る。

 

 モンスターに追われ逃げるヘスティアとベル。

 巨大なモンスターによって危機に瀕しているロキとロキ・ファミリア。

 

 二つの窮地が同時に流れ込んできた。

 

 

 まるでウルキオラに選択を迫るように。


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