この掌にあるもの   作:実験場

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第九話 女神は宴に酔う

 余程急いでいるのか、息を弾ませ小走りで近寄ってくるロキにヘスティアは露骨に顔を歪ませた。只でさえ会う度に喧嘩をする犬猿の仲なのに、ベルの懸想の件に加えて大切な話を切り出そうとしたのを邪魔されたのだ。絶対に許すまじ。慈悲は無い、とロキを睨みつけ早くも臨戦態勢へと移行する。

 

「良かった来てたんやぁ。実はファイたんにお願いが……」

 

「私にお願い? 貴方も?」

 

()って……なんや、ドチビもおったんか。小さ過ぎて見えんかったわ」

 

 ヘファイストスしか目に映していなかったのだろう。ヘスティアに気付いたロキが、いつもの調子でからかうように言った。

 

「ウチら大事な話があんねん。お子様は早う大きゅうなれるように、あっちで料理でも食べとき」

 

 シッシッと動物でも追い払うように手を振りながらも、決してヘスティアのたわわに実った胸部装甲を見ないロキ。

 

 ヘスティアは大声で罵倒したい衝動にかられるが、ここはグッと堪えて大人の対応をしようとする。見かけは小さくとも精神は子供では無いのだ。額に抑えきれない青筋を浮かび出させながらも、穏やかな口調でロキを諭してやる。

 

「ボクが先にヘファイストスと話をしていたんだ。君の方こそ、向こうでその貧相な胸が膨らむようミルクでも飲んでいなよ。

 そこの給仕君。直ぐに甕いっぱいのミルクを持ってきておくれ」

 

 間違いを指摘し、尚且つ相手の身体を気遣い、更には恥ずかしくて口に出せないであろう注文までしてあげる。どこをどうとっても完璧な大人の対応だと自負したヘスティアはロキに見せつけるように胸を張った。

 

 偶々側に居たせいで巻き込まれた若い給仕が、本当に持ってきていいものかと涙目でおろおろしている。本当にご愁傷様です。

 

「たっぷり飲んでくれよ。ボクの奢りだ」

 

 やたら良い顔で親指を立てるヘスティア。無論奢りではない。主催のガネーシャ・ファミリア持ちだ。

 

 因みにだが、ヘスティアもロキも神なので、どんなに食べ物を食べようがミルクを飲もうが一切成長する事は無い。

 

「おもろい事言うなー。ははは」

 

「君には負けるよ。ふふふ」

 

 ゴリゴリと額を擦り合わせメンチをきりあう二人。

 

 これからの展開を容易に想像出来たヘファイストスが溜め息混じりに二人から距離をとると、それを合図にヘスティアとロキの取っ組み合いが始まった。

 

「こんのドチビが!」

 

「何だい、まな板女!」

 

 力比べみたいに互いの両手を掴み合い、手四つという体勢でとても女神とは思えない子供じみた罵詈雑言が二柱の口から飛び出す。

 混ぜるな危険で有名なヘスティアとロキが出会ったところから様子をうかがっていた周りの神々は、突如始まったキャットファイトに二人を中心にして輪のように囲み待ってましたと拍手喝采。賭け事までやり始める始末だ。

 

『危ない! 避けろ! ロリ巨乳!』

 

『負けるな! 掴め! ロキ無乳!』

 

 観客の野次と声援を背に二人はどんどんヒートアップしていき、今では手四つから、相手の口を力任せに引っ張り合う体勢になっていた。

 

「この口か! この口がっ!」

 

「取れぇ! いらんこと言う口なんか取れてまぇ!」

 

 痛みで目に涙を滲ませながら絶対に二人は力を緩めようとはしない。逆に込められる力は増していくばかりだ。

 

「何度もボクの邪魔をして! よくも可愛い可愛いベル君を誑かしたな!」

 

「はあ!? 何を訳が分からんこと言うてんねん!」

 

「君に覚えが無くとも此方にはあるんだ! ベル君を返せ!」

 

 あくまでもベルが惚れたのはアイズであって決してロキではないが、眷族の仕出かした事は主神が悪い。親が子の責任をとるのは当然だというのがヘスティアの言い分だ。

 それに何より、大切なベルがよりにもよって宿敵であるロキの眷族に懸想をした怒りとやるせなさと嫉妬のぶつけ所が欲しかった。

 もしも、ベルが恋に落ちたのがロキ・ファミリアの眷族で無かったならば、ここまで苛立ちはしなかったであろう。

 完全に暴論で八つ当たりである。

 

 ヘスティアとロキの口を左右に引っ張り合う巷の子供がしてそうな情けない喧嘩は、一向に終わりに向かう様子を見せない。

 

 会場の空気は不毛な争いを肴に大いに盛り上がっていった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「相変わらず仲が良いのね。羨ましいわ」

 

 最早、見世物と化したヘスティアとロキの闘いを観戦する為に出来た輪の最前列にいたヘファイストスに、後方から涼しげで楽しさを含んだ声が掛かった。

 

「あれのどこがよ……」

 

 溜め息混じりにヘファイストスは、輪を抜け隣にやってきたフレイヤに答える。

 フレイヤは品良い薄い微笑みを携えていたが笑みを消すと可愛いらしく、こてんと長い銀髪を揺らし首を傾けた。その仕草に幾人かの男神がハートを撃ち抜かれたようで、「はうっ」と呻き声を洩らし腰砕けになる。

 

「二人を止めないの?」

 

「えっ、私が?!」

 

 ヘファイストスは激しく狼狽する。冗談じゃない。あんなのに巻き込まれるのはゴメンだ。恥ずかしすぎる。こちとら、いい大人なのだ。

 

「さっき見てたけど、事の発端は貴方の取り合いからじゃなかったかしら? だったら止められるのも貴方しかいないと思うわ」

 

 フレイヤの正論に痛い所を突かれ、ぐうの音も出ない。さ迷わせた視線を二人に移せば、むぎゅうっと顔を潰されているロキと、鼻と口を広げられているヘスティアがいた。

 

「これより酷くなる前に止めた方が良いんじゃないかしら」

 

 楽しんでいる。フレイヤは自分の反応も込みで現状を楽しんでいるとヘファイストスは分かった。でも、どうしようも無い訳で。結局……。

 

「うぅ……あー、もう分かったわよ。このままじゃ埒があかないだろうし。はぁ、此処に来てからあの子(ヘスティア)関連で何回溜め息をつく羽目になるのかしら私……」

 

 足取り重く、愚痴をこぼしながらも仲裁に入る為に二人に近づいていく。ヘスティアとロキの友神である以上、気苦労から逃れられない運命なのだろう。

 

「二人共、もうやめなさい。このまま続けると貴方達の言うお願い事を聞いてあげないわよ」

 

 効果は驚くほど覿面だった。

 

「ハァハァ、チッ、ヘファイストスに感謝するんだね」

 

「ハァハァ、今日はファイたんの顔に免じて許したる」

 

 声が掛かる前の激昂が嘘のようにピタリと二人は手を放した。

 

 『これからだったのに』『まだまだ見たかったな』『またやるってあの二人なら』等と談笑して解散する輪の流れに逆らって、無理を押し付けてきたフレイヤが此方に歩いてくる。

 

「こんばんは、元気そうでなによりね」

 

 肩で息をしているヘスティアとロキに、フレイヤが神すら虜にする極上の笑みを浮かべた。

 

 フレイヤの挨拶に喧嘩で気分が高揚していた二人は隠そうともせず、正直にそれぞれリアクションをとった。

 ロキは警戒するように糸目を僅かに開く。

 ヘスティアは如何にも私は怒ってますとアピールするように頬を膨らませていた。

 

 剣呑な雰囲気にヘファイストスは疑問を抱き原因であろう神物を見るが、フレイヤも身に覚えが無いのか瞬きを何回か繰り返して、不思議そうにすらりと伸びた人差し指を顎に当てる。

 

「あら、どうしたの? 私、何か二人に嫌われるような事したかしら?」

 

 少しだけ四人の間を沈黙が支配するが、覚悟を決めたみたいに真面目な顔をしたヘスティアが一歩だけ前に進み出た。

 

「フレイヤ、ボク思うんだけど、やっぱり他のファミリアに所属する眷族に手を出すのは良くないよ」

 

 それにつられたのかロキもヘスティアの肩を軽く叩くと負けじと口を開いた。

 

「偶にはええこと言うなドチビ。そうや、大切な子供を誘惑して奪うなんて絶対にしたらあかん」

 

「そうだよ! 残された主神や眷族達の気持ちも考えなよ!」

 

「ホンマや! ドチビの言う通りや!」

 

 

「……何で私、急に二人から責められているのかしら」

 

 さっきまでの喧嘩がすっかり頭から抜け落ちたのか、顔を横に並べ共同で責め立てるヘスティアとロキ。

 フレイヤと同様に付いていけないヘファイストスは額に手を持っていくと俯き、二度三度頭を振った。

 

「今度は何なのよ……あんた達」

 

 ヘファイストスには二人が突然噛みつきだした理由が分からなかった。

 フレイヤが気に入った者を魅了して、自分のファミリアに引き入れるのは昔から行っていた。何故、今更と思うが二人には言わなければならない訳が出来たのだろうと強引に納得する。

 確かに、フレイヤの悪癖とも言える行動は誰かが諫めなければならない。周りの為にも、フレイヤの為にもだ。それで改めるとは到底思えないが。きっと暖簾に腕押しで終わるだろう。 それでも多少の薬位になれば良いと静観していたが、フレイヤが責められる光景というのは非常に珍しく気付いた神々が徐々に騒ぎ始める。

 これ以上騒がしくなるとフレイヤとて体裁が悪いだろう。それに、あまり『神の宴』に参加しないヘスティアとロキが来ているパーティーを純粋に楽しみたかったヘファイストスはフレイヤに助け舟を出す。こういった所が他の者達から頼られる所以で、気苦労を背負い込む原因なのだろう。

 

「もう、そこまでにしておきなさいヘスティア。それにロキも。私に何か話があるんでしょう?」

 

 どうにか引き下がってくれたロキに対し、ヘスティアはまだ言い足りないのか、もごもごと口を動かしている。

 

「最後に一言だけ言わせておくれ……。フレイヤ、こっそり動いても秘密はいずれ誰かにバレるものなんだ。バレた時には、取り返しのつかないことになっているかもしれない。だから、もうやめにしなよ」

 

 ヘファイストスは知る由も無いが、ウルキオラを勧誘した事を知っていると暗に含ませたヘスティアの物言いに、フレイヤは驚いたように形の良い整った眉を上げた。だが、それも一瞬だけで直ぐに笑みを顔に貼り付けるとヘファイストスに感謝を述べた。

 

「ありがとう。助かったわ」

 

「貴方も少しは我慢を覚えなさい。ヘスティアの言った通り、本当にそのうち手痛いしっぺ返しを喰らうわよ」

 

「あら怖い。ふふ、考えとくわ」

 

 反省の色を微塵も浮かべていないフレイヤに本日何度目になるか分からない溜め息を小さく吐くと、ヘファイストスは周りを見回した。

 先程まで此方に注目していた神々は各自歓談に戻ってはいるが、次は何が起きるんだと期待を込めた眼差しをチラチラ送ってくる。

 頭が痛くなってくるヘファイストスだったが、これを変えられるのは四人の中では自分だけだと奮起し、話を振る相手と会話の内容を慎重に選ぶ。

 

「久し振りね、ロキ。貴方のファミリアの名声、よく聞くわよ。良い眷族に恵まれたみたいね」

 

 急に話が振られたロキは、最初の方は少し驚いたようだったが次第に破顔していく。

 

「そうやろ! ウチの自慢の家族や」

 

 子供を褒められて嬉しくない主神はいない。 照れ臭そうにロキが笑った。

 

 これが嘗ては天界で暇つぶしに神々を殺し合わせようとした悪神の今の姿なのだと、ヘファイストスの瞳が優しげに細くなった。

 変われば変わるものだ。だが、それも当たり前とも思う。ロキはヘファイストスやフレイヤ、いや、他の神々もやれない事をやっている。

 下界に下りて少しも経たないうちに赤ん坊を拾い、自らの手で一から育てているのだ。これはそうそうやれる体験ではない。仮に同じファミリアの眷族同士で結婚して、子供を生んだとしても主神が育てる事は出来ない。言えば手伝い位はさせてもらえるだろうが、全部やれはしない。

 

 本当の親がいるからだ。

 

 それに神は生まれ方の違いから人間の子育ての仕方など全く持って知らない。聞くところによるとロキも相当に苦労をしたようだ。

 四苦八苦しながらもミルクを飲ませ──

 オムツを取り替え──

 泣き喚く赤ん坊のウルキオラをあやしていたそうだ。

 夜泣きの為にウルキオラを背負い深夜のオラリオを散歩したと聞いた時には我が耳を疑った。

 

 だからだろう。ウルキオラへの溺愛ぶりは凄まじかった。

 幼子のウルキオラを抱いたロキに、名前を呼ばれただの、立ち上がっただの、歩くようになっただの自慢話を聞かされたのは数えるのも馬鹿らしくなるくらいだ。ウルキオラが大きくなったらなったで、何処へ行くにもベッタリで。

 

 

 

 

 ……だからだろう。

 

 

 ウルキオラが追放された時のロキの憔悴ぶりは見ていられなかった。

 

 ロキ・ファミリアのホームへ見舞いに行き、案内された部屋に居たロキは信じられない程にやつれていた。聞けば部屋から一歩も出ず、食事もせずに過ごしていたそうだ。

 追放の憂き目にあわせてしまった罪悪感と恩恵を剥奪され、Lv1以下の生身の姿で野に放たれたウルキオラが心配で堪らなかったのだろう。

 

 

 

 

 だからだろう──

 

 

 

 ウルキオラの生存が分かった時の、あの喜びようは。

 

『ファイたん! ウルが……ウルが生きとってくれた!!』

 

『解けた! ウルのオラリオ追放が無くなったんや! これで戻って来れる!』

 

『ウチは、ずっと……いつまでも待っとるで……』

 

 ロキの想いを知るヘファイストスは、ウルキオラがロキ・ファミリアに帰ってくるのを望んでいた。

 

 

 照れるロキに固かった空気がほだされ、場が和やかになってくるとヘスティアのツインテールが何かを思い付いたように、ぴょこんと跳ねた。

 

「そうだ、ロキ。君のファミリアにいるヴァレン某について聞きたいんだけど」

 

「あ、『剣姫』ね。私も話を聞きたいわ」

 

「ほーう、ウチに願い事か~。知っとるかドチビ。願い事は頭を下げてするもんなんやで。……と言いたいとこやけどファイたんも聞きたいんやったら、しゃーないな。んで何や?」

 

 ロキの憎まれ口にカチンときているだろうヘスティアだったが、今度は何とか堪えられたようで質問を続ける。

 

「……聞くよ。その『剣姫』には付き合ってるような男や伴侶はいるのかい?」

 

「ウチの可愛いアイズにそんなんいる訳ないやろ。ちょっかいを出してくるような男がおったら八つ裂きにする」

 

「八つ……裂き……」

 

「八つ裂きってあなた……」

 

 あまりな物言いに呆れた声を上げるヘファイストス。しかし、これもロキの子供達への愛情の形と見ると不思議にも微笑ましく感じられた。子供を恋愛とはいえ誰にも取られたくないのだろう。それはまさしく、溺愛する娘を嫁に出したくない父親の駄々そのものだ。

 好奇心の湧いたヘファイストスは眷族の結婚について聞いてみたくなった。

 

「同じロキ・ファミリアの子でも?」

 

「他のファミリアやったら間違い無くアウトやけど、ウチの子同士かー。んー、それでもアイズはダメやな」

 

「どうして?」

 

「あの子はまだ幼いところがあるから色々と心配なんよ。恋だの結婚だのは、もう少し大人になってからやな。それまで悪い虫からはウチが守ったる」

 

「……ちゃんと親をしているのね」

 

「当たり前や。目に入れても痛く無い大切なウチの子供達なんやから。……ま、子供が一人もおらん可哀想なドチビには、この気持ちは分からんやろうけどな」

 

「あら、そうでも無いみたいよ。あんたも遂に眷族が出来たって言ってたわよね?」

 

「な、なんやて?!」

 

 ロキの驚きにヘスティアは勝ち誇ったように腰に手を当て体を仰け反らせた。鼻も少し高くなったような気がする。

 

「ふふん。スッゴく良い子なんだよ、ベル君は!」

 

「確か白い髪に赤い瞳のヒューマンの少年だっけ?」

 

「そうなんだよ! 白兎みたいで、すっっごく可愛いんだ! まだ故郷からオラリオに来たばかりで都会ずれもしてないから純粋でね!!」

 

「分かったから、少し落ち着きなさい」

 

 自慢気に語られるベルという少年の特徴に、視界の端にいるフレイヤの微笑みが別種の笑みへと変わるが、ヘスティアを宥めているヘファイストスは気がつかなかった。

 

 

 

 

「ふ~ん。なるほどなぁ」

 

 初めて眷族が出来たのが余程嬉しかったのだろう。興奮気味に迫ってきたヘスティアをどう落ち着かせるか頭を悩ませていると、合点がいったとばかりにロキが呟いた。

 

「なんだよ?」

 

 ロキの態度にヘスティアが訝しげに睨む。

 

「さっきドチビが口走っとった名前やな」

 

 少し前のヘスティアを思い出させるような、ニヤニヤと勝ち誇った顔をしているロキ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり、ドチビんとこの眷族がウチに惚れてしもうたんやな」

 

 ロキが放り込んできた一言の衝撃に絶句する三人。

 

「──はあ!?? どうしてそうなるんだい!!」

 

「言っとったやんか。誑かしただの、ベル君を返せだの」

 

「うぐっ……」

 

 もっともなロキの言い分にヘスティアが負けて押し黙ると再び静寂が訪れるが、生まれた無音の状態を埋めるようにしてガシャンと何かが割れた音がヘファイストスの耳に入ってきた。

音のした方向に顔を向けると、フレイヤが珍しく目を見開き、持っていたグラスを落としていた。手は僅かに震えている。

 

「何……ですって……っ」

 

「どうしたの、フレイヤ? 大丈夫?」

 

「え? い、いえ手が滑ってしまったわ」

 

 給仕が急いで駆けつけ粉々になったグラスの破片を回収し、新しい酒をフレイヤに渡す間もヘスティアとロキの口論は続いている。口論と言っても一方的にロキがやり込んでいるが。

 

「ウチに惚れるとは、なかなかに見る目のある男やけど残念。ウチは既に売約済みや」

 

「だから、それはその、違うって言ってる──」

 

「あー、えぇから。可愛がっとる眷族がウチに惚れてしもうて悲しいんやなー」

 

「ぐぎぎっ……」

 

 ヘスティアは今、強く否定出来ないジレンマに陥っていた。可能なら声を大にして否定したい。だがそれは出来なかった。強く否定して自分に惚れていないと分かればヘスティアの失言から、ロキ・ファミリアの誰かに懸想をしているとロキは察するだろう。それは非常に不味い。

 何故ならロキの言った『アイズに、ちょっかいを出す男がいたら八つ裂きにする』という言葉があったからだ。

 恐らく流石のロキもそこまではしないと思うが、それでもベルがアイズに惚れてアプローチをしようとしているのがバレてしまえば、危害を加えられるか、妨害されるか、最低でも目を付けられるだろう。ベルをそんな状況に追い込みたくない。然も完全に自分の落ち度のせいで。

 内心でゴメンよとベルに謝り倒しながら、なんとかロキにもアイズにも惚れていないと説明しようとするが、焦りから頭も口も上手く回らない。

 結果、そんな状態で否定してもロキは眷族を取られた嫉妬と悲しみからの単なる誤魔化しと受け取り、身長差もあって勝者のようにヘスティアを見下ろしている。

 

「気持ちには答えられんけども何処かで会うたら優しゅうしたるからな」

 

「うぎーっ!」

 

「実らん恋っちゅうんは切ないな……」

 

「話を聞けーーっ!!」

 

「ロキ……貴方、さっきフレイヤをその事で責め立てたんじゃなかったかしら……」

 

「ウチは魅了なんぞしとらんもん。使えんしな。……全てウチの美しさが罪なんや……」

 

 ぎゃーぎゃー騒ぐヘスティア。

 前髪を指に絡め悩ましげに艶っぽく、ほうっと口から熱い吐息を零すロキ。

 

「はぁ……また始まった」

 

 ヘファイストスが右手を頭にやり、目の前の光景から現実逃避するために瞑目すると、空いていた左手首を何者かに強く掴まれる。

 

「えっ?! なに?!!」

 

「これ以上付き合ってられるか! ヘファイストス行くよ!」

 

 掴んできたのはヘスティアだった。

 

「ちょっと! もう、私を巻き込まないでよ!」

 

 ヘスティアに半ば本気で訴えていると、今度は右手首をロキが握ってきた。

 

「なに勝手に連れて行こうとしてんねん! ウチもファイたんに用事があるんや!」

 

 左手をヘスティア、右手をロキが掴みヘファイストスを間に置いて両者が睨み合う。

 まさか……この流れは、とヘファイストスが冷や汗を背中に一筋垂らす。

 当たって欲しくない予測ほど当たるものだ。悲しいかな、二人は予想通り絶対に相手に渡すもんかと腕を引っ張り始めた。

 

「その手を離せ絶壁女!」

 

「離すんはそっちや! ウルトラスーパードチビ!」

 

 またもや始まった争い。この展開を期待していた周りの神々は即座に駆け寄り囃したてる。

 

 観客と化した周囲の神共は役に立たないと判断したヘファイストスは一縷の望みを賭けて、先ほど助け舟を出したフレイヤに視線で救いを求める。

 

 ──さっき助けたんだから、今度は私をお願い!

 

 しかし、フレイヤはどこか上の空で虚空を見つめている。

 

「ぎぎぎ、ヘファイストスはボクとっ!!」

 

「ぐぬぬ、ファイたんはウチとっ!!」

 

 こうしている間にも腕は左右に引っ張り続けられている。遂には両者共に腰を落とし本格的に力を入れ始めた。

 ミリミリと悲鳴を上げる両腕。

 ヘファイストスの前に立ち扇を手にして「のこった! のこった!」と意味不明な言葉をロキとヘスティアに掛け、勝手に審判を始めた馬鹿男神。

 最高潮に盛り上がる観客。

 此方を見ずに何事か考えている様子のフレイヤ。

 力の限り引っ張り合うヘスティアとロキ。

 

 ──無法地帯かっ!!

 

 叫びそうになるが、痛みでそれもままならない。

 

 やがて……。

 

「もう……いいかげん……つぅ! ……痛いって」

 

 堪えきれなくなったヘファイストスの沈痛な声に漸く右手が痛みから解放された。

 

「ご、ごめんファイたん! 熱くなってしもうて、つい……」

 

 ロキが手を離したのだ。

 苦痛から放たれた右手に安堵を覚えるが……。

 

 ──右手だけ?

 

「はん、残念だったねロキ! 勝負を途中で降りるとは情けない! ヘファイストスはボクが貰っていくよ!! せいぜい悔しがるがいいさぁっ!!」

 

 などと小悪党じみた台詞を残しながら走り去るヘスティアに、左腕をがっちり掴まれたまま連れ去られていくヘファイストス。

 

 

 

 

 

 

 

 

「普通、手ぇ離すよな……?」

 

「……私に聞かないでよ」

 

 常に余裕があり優雅な微笑みを絶やさないフレイヤも流石に苦笑いだった。

 

 ちなみにこの後ヘスティアは怒れるヘファイストスによって襤褸雑巾の如く、こってりたっぷり絞られベルの武器の説得に更なる時間を要しましたとさ。合掌。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「……私に聞かないでよ」

 

 ぽつんと取り残されたロキに答えたフレイヤには僅かばかりの焦りがあった。己の気に入った白兎のような少年がロキに惚れていると知ってしまったからだ。

 あのヘスティアの焦り具合、強く否定していない以上、ほぼ間違い無いだろう。

 

 出遅れてしまった。

 

 少年には試練を与え、じっくり成長するのを待ち、魂の輝きが増してから手に入れるつもりだったが裏目に出てしまった形だ。

 しかし、自身の持つ魅了は人間、神、モンスターでさえ虜にすることが可能だ。惚れた相手がいるだけで効果が無くなるほど柔ではない。

 隣にいるロキに対して生まれた嫉妬を抑え、今回は少年の所属するファミリアが分かったのとロキに惚れていることが知れただけでも僥倖だと思い直す。

 特に少年の居場所が知れたのが大きい。これからどのような行動を起こすにしても、少年の居場所を知っているのと知らないのではかなりの差がある。

 ロキに惚れている件にしても、分かっていればこれから対策は練れる。オラリオに来たばかりで、違うファミリアの主神を好きになったのなら、それは一目惚れだろう。ロキの反応を見るかぎり接点は無かったように思えるからだ。 それならば魅了を使わずともロキの駄目親父のような内面を知らしめてやればドン引きして恋も冷めるかもしれない。

 

 そう考えると実に幸先が良い。この調子でもう一人の人物、ウルキオラに関しても何らかの情報が手に入れば最高だ。

 

 フレイヤは手元にある果実酒で喉を潤し横のロキを盗み見る。ロキはヘスティアとヘファイストスの去った方向を見ながら苛立たしげに親指の爪を噛んでいた。

 

 恐らく直接ウルキオラの件を聞いても警戒して答えないか、はぐらかされて終わりだろう。 この際、ロキがウルキオラの帰還を知っているかは問題ではない。ウルキオラの追放の真相も知りたいのだから。

 そのためには、まず交渉のテーブルに着席してもらわなくてはならない。だったら、答えざるを得ない状況、逃げられない状態に持っていけば良い。

 

 もう出遅れる訳にはいかない。

 

 ヘスティアも言っていたではないか──

 

 

 「秘密はいずれバレる」と。

 

 確かにその通りだ。どうやって知ったのか薄ら寒いものを感じるが、現にヘスティアにはバレてしまっている。あれは暗に少年──ベルに手を出そうとしているのは知っているぞと釘を刺してきたに違いない。それ以外にあの場であんな発言をする理由が見つからない。

 

 フレイヤは侮っていたことを反省して、既にヘスティアへの警戒度を一段階上げている。

 

 どんな秘密も必ず発覚してしまうのだ。

 それが預かり知らぬところでなどゴメンだ。

 ならば目の届く範囲で。

 計画の一つとして。

 盤面は自分の思うがままに創り出す。

 

 今から行う事が仮にロキに効果が無くとも、この場には沢山の神々がいる。一人は当たりがあるだろう。いや、ロキも必ず乗ってくるはずだ。

 

 

 フレイヤは口を開く。

 

 目的を達成出来なくて舌打ち混じりに帰ろうとするロキに聞こえるように。

 熱気が冷めた他の神々に聞こえるように。

 

 小さな鈴が鳴ったような澄んだ声が会場に通る。

 

「そういえば──」

 

 己の身に集中する視線に身を震わせ、歌劇の演者の如く。

 歌うように。

 謳うように。

 

 楽しげに。

 愉しげに。

 フレイヤは音を紡いだ。

 

 ──さあ! これが開幕のベル! 存分に踊りなさい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウルキオラが帰ってきてるみたいね」

 

 

 会場の時が止まった。 

 


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