警報が鳴った後、私たちは直ぐに出撃ドックへと向かう事になった。二人で案内されながら駆け足で向かえば既に神通さんと川内さん、それに先程は遠目で見ただけだった那珂さんも既に着いていた。
「すみません、遅れました!」
「まだ開始時刻には早いからそこまでは言わないよ。……神通!」
「はい、姉さん。皆さんが揃った所で、開始前に作戦概要を説明します」
神通さんは一歩前に出てから私達へと振り向いて、いいですかと前置く。
「先程、第四艦隊が遠征中に敵深海棲艦と遭遇、並びに敵棲地を発見しました。そこで今から此処を強襲します。布陣は第一艦隊『機動部隊』が敵棲地を強襲、第二艦隊『支援部隊』がこれを援護し私達第三艦隊『第三水雷戦隊』はこれらの主力の前衛として警戒にあたります。つまり、私たちがこれから向かうのは最前線です」
「……最前線」
最後に言われた言葉を繰り返す。言葉通りの意味で、敵に最も近い戦場。戦いの中心ともいえるその場所に今から私たちが向かわなければならない。それは任務であり、私達に課されたことだから、やらなくちゃならないことだ。そこに疑問や思考の挟む余地はなくて、唯々私たちは課せられた仕事をするべきなのだろう。
―――だけど、どうしてか手が少しだけ震える。
どうしてなのか、なんて言うまでもない。この胸を占めている感情は緊張、そして不安だ。初陣に対する、初航海に対する緊張と、これから起きる戦いでちゃんと戦えるのかと疑問に思うからこそ、身体の震えは収まらない。抑えようと思っても、身体はまるでいう事を聞いてくれなかった。
「あれ? えっと、名無しちゃんだよね? 震えてるけどひょっとして怖いの?」
そんな私の様子にひょっとしてと、那珂さんが首を傾げながら私に尋ねてきた。
「……那珂さん。はい、怖くない、といえばウソになります」
「那珂さんじゃなくて那珂ちゃんでいいよ。でもそっか……」
那珂ちゃんは小さく頷いて、少し伏し目がちにあのさ、と、切り出して、そこで神通さんが那珂ちゃんと呼びかけて遮った。
「それについては、私が言います」
「え、でも……」
何かを言おうとして渋る那珂ちゃんと、それを告げようとする神通さんの二人を遮るように川内さんが私の前に立った。
「いいや、神通、那珂。こういうのは私の仕事だよ。で、特型駆逐艦。ちょっと辛い事いうけどいいかい?」
辛い事? と少し首を傾げながら、神通さんや那珂ちゃんは何を言いたかったのだろうかと思いながら頷く。それを見て、川内さんは口を開く。
「これから行く先はさっき神通が言った通り最前線だ。初陣にしては荷が重いかもしれないけれど当然敵は待ってくれない。そして、戦いである以上怪我や、最悪轟沈するかもしれない。……だけど先に言っておく、私たちは
「―――っ」
それは見捨てるかもしれないという事だった。冷静に、淡々と川内さんは言葉を続けて、それに気圧される様に一歩下がるけれど、川内さんもまた一歩詰める。
「作戦に不必要だと判断すれば、例えば混乱して周りの害になると判断すれば切り捨てるし、そうじゃなくても敵が沢山いる中そう何度も援護をするのはまず無理。意識を下手に逸らせばそれこそ全員が危なくなるし、そうやって動きが鈍くなれば作戦にも影響が出る。それは本末転倒だ」
「あの、川内さん、それはちょっと言い過ぎじゃあ!」
「落ち着いて睦月ちゃん。これは大事なことだから」
私を庇う様に睦月ちゃんが前に立とうとするけれど、夕立ちゃんに抑えられる。それに言われている言葉は全くの正論だから、否定する必要はない、当然のことだ。お荷物を抱えて動けるほど、優しい場所じゃないのだからしょうがないと納得させるように俯くように話に頷く。
「だから先に言っておく」
川内さんはそこで一度言葉を区切って、
―――直後、ポンと頭に手が置かれてわしゃわしゃと混ぜられた。
「ギリギリまで頑張れ、ギリギリまで踏ん張れ!」
「―――っえ?」
頭を混ぜられながら今までとは違う様子で笑いながら言う姿に少しだけ呆気に取られる。そんな私を置いてけぼりのまま、川内さんは今言ったの、忘れないようにねといいながら元の位置に戻る。神通さんが川内さんに私の仕事でしたのに、と少しだけ頬を膨らませながら私に近づき、視線を交わしながらいいですか? と言って、
「姉さんに言われてしまいましたので、私からは助言だけですが……たとえピンチが連続したとしても諦めてはダメです」
そう言った。言われたことに頷けば神通さんは忘れないで下さいと言って川内さんと同じように離れ、そこであーもう! と那珂ちゃんが少しだけ怒った様子で私の両手を掴んだ。
「二人とも那珂ちゃんが言いたかったこと全部言っちゃうんだから……でも折角だから名無しちゃん、那珂ちゃんからも一言言わせてもらっちゃいます! 危ないと思った時ほど引いちゃダメ。自分の力を信じて飛び込んで。咄嗟の時、いざという時にはそれが道を開く勇気の光になるから」
以上だよ! と、那珂ちゃんは手を離して踊るように元の位置に戻る。嵐みたいだと、感想を零しながら手を降ろした所で、そういえば言われたことがさっき睦月ちゃんに言われたことと、ニュアンスは結構同じだなと気付く。それがなんだか可笑しくて、少しだけ笑いが零れる。
『第三水雷戦隊、出撃してください』
笑っている内に時間がきたらしく、出撃のためにハッチが開く。いよいよだ、と呟けば小さく横から突かれ、何事かと思えば睦月ちゃんが不安そうな表情で大丈夫? と尋ねてきた。
―――視線を下に向けても、腕はもう震えていなかった。
「諦めない。前を見る。限界を超える。……うん、忘れてないから大丈夫だよ」
少しだけ目を見開いて、先程までの表情が嘘のように睦月ちゃんは可笑しそうに笑った。
「……うん! それを覚えてるなら大丈夫! それじゃあ、張り切ってまいりましょー!」
「うん! ―――名無し、抜錨します!」
出撃のためにハッチが開き、光が広がる中、飛び込むように私は一歩、海面に足を踏み出した。
―――……
「――――っぅ」
風が顔を撫でるという言葉があるけれど、高速で移動しているからか撫でるというよりは叩きつけるよう。目にもあたる風は強く、痛くなりそうで瞬きを幾度もするけれど、それだけに気を取られる暇はない。少しでも気を抜けばバランスを崩して倒れこんでしまいそうだという事と、バランスにばかり気を取られていては置いて行かれるほどに行軍速度が速い事。また、天気は晴朗、波高くで不定期に大きい波で揺れ、その度に転ばないように気を付ければその分遅れて、それを取り戻すために急くせいで疲労がたまる。遮蔽物のない海上には太陽が眩しく照らし汗も浮かびあがり、止まることを知らない。睦月ちゃんが心配そうに時折こちらへと視線を向けるけれど、心配を掛けないために大丈夫と言って、何とか最後尾で皆について行く。
「……間もなく敵海域に突入、交戦距離に入ります。皆さん、準備はいいですか?」
第三水雷戦隊旗艦、一番前を進む神通さんが後ろへと振り返りながら問いかける。声もなく皆が頷くと共に神通さんは速力を上げ、皆が追従するなか、少しだけ遅れつつ速度を上げる。そして進行方向へと目を向ければ、少し離れた距離、時間にして数分で着くだろうという距離に何かがポツポツとあることに気付いた。
―――あれは敵だ。
始めてみた存在だけれども、誰に言われるまでもなく、理解する。あれが深海棲艦なのだと。
「―――大きい」
周りに聞こえないような声で小さく呟く。吐いた言葉に違わず、視線の内に収めたその敵は大きかった。高速で近づいているとはいえかなりの距離が離れているにもかかわらずこぶし大か、それ以上に見える。近づけば3mはありそうだと零し、それが六体の艦隊を組んで動いているせいでかなり目立っていた。神通さんが腕を上げているのを見てそちらに視線を移す。動く腕の先は敵を指示し、それを読み取ってか川内さん達主砲を構えた。
「砲雷撃戦用意―――」
一拍遅れて私も肩から下げた主砲を構え、同時に漸くこちらに気付いたらしい敵たちがまるで機械がこすれるような咆哮を放つ。
「始めてください!」
神通さんの掛け声のもと、主砲で狙いを定めた敵に向けて引き金を引き―――反動でのけぞりながら体勢を崩してしまい派手に転んだ。
「え―――わ、ぷッ!?」
「え、名無しちゃん!?」
背中から転んだことで艤装が海に止めてくれたおかげで寝ころぶような姿勢になる。すぐさま起き上がるけれど転んだせいで部隊から遅れてしまった。
「っ、急いで戻らないとっ!」
「―――っバカ! 敵から目を逸らすなぁ!!!」
焦りながら立ち上がって合流しようとした所で川内さんに叫ばれ、しまった。と、敵は何処だと探そうとして―――左から咆哮が響く。咄嗟に目を向ければ、もうほんの近くと言っていい距離に深海棲艦はいた。先ほどは外形しか見れなかったその全貌がハッキリと、剝き出しの歯と濁った水色のような液体さえも見える。
『―――――!』
「――っひ、あぁああああッ!?」
咆哮と共に飛び掛かるその姿に向けて、恐怖で我武者羅に主砲を撃った。咄嗟に撃ったそれは当たらず、しかし不安定な姿勢で撃ったためにまたも反動で吹き飛び、幸を奏して敵の噛みつきから間一髪、避けることに成功する。とはいえ再び転んでしまい、逃げる様に立ち上がって全力で距離を取る。
『――――!』
再び咆哮。チラリと後ろを向けば敵が大口を開けていて、その内側に主砲が見えた。
「――――っぁ!」
撃たれる。そう判断して転がるように横に無理やり力を加えて軌道を変える。同時に近くに着弾し、水飛沫と波が身体を襲って、まともに立つ事すら難しくなり、這いつくばるように逃げた。
「―――っ逃げちゃだめ! 名無しちゃんおちついてぇ!」
「――――っ!」
必死に逃げようと動いている途中に聞こえた那珂ちゃんの叫ぶ声にふと冷静な思考が一瞬だけ戻って来て告げる。そうだ、落ち着かないといけない。頭を振り、冷静になれと自分に言い聞かせて、改めて周囲を見渡す様に警戒しながら先ほど攻撃してきた敵に視線を向ける。再び主砲を撃とうとしているのを見て更に横に無理やりズレればまたも至近距離に着弾。バランスを崩しかけるけれど今度は無理やり抑えて、主砲を構える。
「―――ギリギリまで頑張って、踏ん張って!」
「そうです! 名無しさん、腰が引けてます。もっと落として背を少し曲げて撃ってください!」
「―――っ、はい!」
神通さんに言われるまま立った姿勢から腰を落とし、背を少し曲げて身体全身で抑え込むように主砲を撃つ。弾が吐き出されると同時に反動が身体を襲うけれど、先程までと違いバランスを崩して転ぶことはない。吐き出された弾も主砲の反動を抑えたことで真っ直ぐに飛び、敵へと向かい命中する。
「やった!?」
「まだ、油断しちゃだめっ! 小刻みに動いたほうがいいっぽい!」
砲弾が直撃して爆発が発生するも、煙を引き裂きながら敵深海棲艦は炎を引き、今にも轟沈しそうになりながら直進する―――が、既に先程の場所から離れていたためにその先に私はいない。敵がそれに気づいて、姿を探す様に一度動きを止める。
「お願い―――当たってっ!」
その瞬間を狙って主砲を発射、吐き出された砲弾が敵の装甲を食い破り、中まで到達して内側から爆発を引き起こした。破片が飛び散り、ボトボトと音を立てながら海に落ちていく音が聞こえ、息を大きく吐く。
「倒せた、やれたんだ。……わ!?」
漸く勝てたと実感が湧き、気が緩んだ所で少し強い波が来て少しだけバランスを崩してしまい、転びかけて、
「お疲れ様、名無しちゃん」
「あ……睦月ちゃん」
睦月ちゃんに支えられることで転ばずに済んで、そこでそういえばとふと周りを見渡せばとっくに他の深海棲艦は倒し終えていたらしく神通さん達も近くに立っていた。考えてみればこちらに指示が出来るのだから私が戦っている間に他の敵はさっさと倒してしまっていたのだろう。なら、私を一人で戦わせたのは経験させるためだろうかと考えた所で、川内さんが近づいてきて頭の上に手を置いてきた。
「お疲れ様、特型駆逐艦。初戦闘で撃破おめでとう。中々筋がいいね」
「川内さん……。そんな、皆さんが教えてくれたからですよ」
「言われて直ぐ反映して動けるのなら上々だよ」
笑いながら手を退かして、川内さんは神通さんに呼びかけた。頷いて、神通さんが私へと視線を向ける。
「名無しさん、これからまだ戦いは続きます。……動けますか?」
「――行けます。まだ、頑張れます」
返答して、神通さんはそれならば隊列を組みなおしますといって副縦陣を取るようにと指示した。
「睦月ちゃんありがとう、もう、大丈夫だから」
「……無理はしちゃダメだよ?」
何処か不安気な様子でそういう睦月ちゃんに大丈夫だよと返して神通さんに言われた通りの位置に着いて、それを見届けて神通さんは号令をかけて敵泊地への行軍を再開した。
―――……
途中に再び交戦を挟んだものの、今度は最初から吹き飛ぶなんてことがなかったこともあり、まだ転びそうになったりしながらもキチンと艦隊の一員として動いたまま敵艦隊を撃滅することに成功する。戦闘終了と同時に息を吐きながら全身を確認すれば、見事に水を被って全身がびしょぬれになっていて、それなりの速さで動いていると冷たく感じる。しかし、戦闘していたからか身体は熱く、冷たいというそれは火照った身体を冷すために丁度良く感じられた。
「このまま進めばあと少しで敵泊地近海に着きますが皆さん大丈夫ですか?」
神通さんの問いかけに頷くことで返答し、皆も同じように返答を返して海上を進む。陣形を維持するための速度は未だつかめないけれど、とかく置いて行かれないように足を速めて、行き過ぎれば落とすというのを繰り返しつつ、直進するだけの為バランスを崩すこともあまりないまま進む。暫しの平穏だった。
―――このまま何事もなく終わればいいんだけれど。
海を走りながらふとそう思う。私たちの仕事はあくまでも第一艦隊、第二艦隊が来るまでの露払いのはず。ならば敵泊地までの道を掃討すれば問題ないという事で、それはもう間もなく敵泊地に到着するという事を考えれば終わる。初陣は危ない所があったけれど大事なくで終われるかもしれない。
「―――敵艦隊、捕捉しました」
そんな風に考えていたら、期待を裏切るように神通さんが再び敵艦隊を補足したと声を上げる。現実はそう甘くないかと思いつつ、しかしさっきまでのようにすればいいと判断したところで、神通さんが先程より鋭い声を上げた。
「皆さん気を付けてください! 敵艦隊にエリート級を確認しました!」
エリート級? そう首を傾げるけれど私以外の皆に緊張が奔るのが見て取れて、厄介な敵なのだろうと判断しながら主砲を持って腰を落として神通さん達の後ろから見える敵艦隊の姿を確認して―――赤い光を見た。
「―――何、アレ」
先程まで倒した深海棲艦と違い、赤い光を牽いた深海棲艦がいる。どういう原理かわからないけれどそいつらがエリート級なのかもしれないと判断しつつ神通さんの指示を待とうとして―――敵は吠えた。
「来ます! 砲雷撃戦用意―――ッ回避!」
「え―――っ!?」
神通さんの声に反応して皆は回避運動を取って、それから一拍遅れて取ろうとして、敵の砲撃が近くに着弾し、水飛沫というより大きな波を発生させて、流されるように吹き飛ばされた。
「かは―――っ、威力が、違う!?」
吹き飛ばされながら受けた身体の衝撃に咳き込みながら明確な威力の差に驚いて言葉を吐き、しかし直ぐに体勢を立て直して状況を確認する。初戦と同じように―――と、いうには私の様子が変わっているけれどやはり一人だけ引き離された状況になり、既に敵からの砲撃が始まっていて神通さん達も応戦している状況だった。敵を攻撃して牽制しつつ戻らなきゃと思うけれど、初戦の焼き回しのように敵が一隻、こちらへと突っ込んでくる。赤い光を放つ、エリート級だ。
「でも―――一対一なら!」
危ない敵かもしれないけれど乱戦ではなく一対一ならまだ勝機はあるはず。そう思いながら主砲を構えて引き金を引く。狙い違わず敵に向かって砲弾は空気を割き―――しかし、敵はそれを横に動くことで回避した。
「そんな!?」
動きが違う。先ほどまでの深海棲艦とはまるで違うというのを身を以て味わうことになる。狙いをつけて主砲を撃ち続けるも、一発たりとも敵を掠めることさえなく左右に敵は動き、弾を避け続けて、動きの途中でこちらへと急接近、体当たりを仕掛けてきた。
「しま―――がっ!?」
主砲を撃つことに集中していたせいで避けられずまともに喰らい、質量差で軽く吹き飛びながら海面に叩きつけられ、痛みに息を吐き出す。何とか起き上がろうとすれば、そこに大口を開けた敵がいて―――。
―――あ、これ食われる。
そう理解するも逃げ場はなく―――しかし、直後に横合いからの砲撃に敵はダメージを喰らいながらも後退した。
「名無しちゃん! いったん離れて、そいつの相手は私たちが―――きゃぁ!?」
「那珂ぁ! くっそ、邪魔だ!」
助けてくれた那珂ちゃんがその隙を突かれて砲撃をまともに喰らい吹き飛び、川内さんがカバーに入るのが見えて自分のせいだと歯噛みしながら、敵へと向けた目は逸らさないで立ち上がる。敵は真正面から再びこちらへと突撃の姿勢を見せて動いている。
「真正面から来るなら―――当たってっ!」
避けられるはずないはずだと信じて、主砲を撃って――――。
『―――――!』
敵はあざ笑う様に跳躍してそれを回避した。
「――――え?」
避けられると思わなくて、呆けた声を出したまま跳躍しながら口を開けて今にも私に飛び掛からんとしている敵の姿を見る。
―――ダメだ、避けられない。
主砲を撃った直後で身体は動かせないし那珂さんのカバーもあって川内さん達は動けない。敵はこのまま顎を合わせて私を喰らおうとしているけれど避けることすらできない以上このままでは食いちぎられて確実に死ぬ。それはもう避けられそうにない。
―――ああ、でも。
「いやだ……嫌だよ」
―――沈みたくない。諦めたくなくて、動けなくても足掻こうとして、視界は光に包まれた。
―――……
「……ここは?」
ふと気づけばそこは暗い何処かだった。可笑しい、先程まで戦場にいたはずなのに私は何処にいるのだろう? と疑問に思い、しかしひょっとしてと答えになりそうなことを考える。
「もう死んじゃって、此処は死後の世界とか?」
いや、馬鹿なと直ぐに頭を振って否定する。死後の世界とかを信じていないとかそういう訳ではなく、もっと単純な話身体を噛まれたような感覚がないということと、あとまだ沈んだわけじゃないと、そう信じたいだけだ。
―――なら、此処は何処?
疑問の答えは出ない。ただわかる事として、私はまだ思考出来るという事、そして身体は動かせるという事だけ。でも、それだけわかるなら十分なこともある。
「―――生きたい」
まだ、沈みたくない。まだ、戦える。あんな所で終わるはずがない。もっと、もっと、もっと、まだ、私は何かを出来るはずだから、諦めたくない。
「諦めない、前を見る、限界を超える―――それを忘れてないから」
私は、まだ進み続ける。
―――そう呟いた所で、光が溢れた。
「―――これは」
光の発生源は私の腰部、両腰から下げていた、ほとんど今まで忘れていた輪のような何かと二枚のカードだった。
―――ドクンと、何かが胎動する。
左腕に輪を持ち、右手にカードを持つ。両方、共に最初見た時にはなかったはずの模様が浮かび上がっており、輪には白と赤のラインが奔り、カードは裏が青く染まり、表には絵柄が浮かび上がっていた。
「―――綾波、ちゃん?」
カードに書かれていた人物絵と名前。それはつまりこの絵に描かれている子の事なのだろう。
―――半ば無意識のうちに、私はそのカードを光り続ける輪の間に通していた。
カードは光に変わり、光は絵に描かれていた子、駆逐艦『綾波』という艦娘へと姿を変える。
「―――暁、ちゃん?」
もう一つのカードに書かれていたのはそういう名前の少女。そのカードもやはり輪の間に通せば、光に変わり、光は駆逐艦『暁』という少女へと姿を変える。
思考するまでもなく、身体は動きを覚えていたかのように左腕に持った輪を空へと突き上げ、叫んでいた。
「お願い―――二人の力を貸して!」
輪から響く音声がそう声を上げ、私は光に包まれた。
―――……
その場にいた皆が間に合わないと悟っていた。彼女、名無しを助けるのは不可能だと。間に合わない、遠すぎる、敵に阻まれて見ていることしか出来ないと。
「―――名無しちゃんっ! 逃げてぇ!」
それでも睦月は叫んでいた。敵に食われる直前、しかし主砲を撃ったために動けない彼女にそれでも逃げてほしいと祈って、しかし逃げることはままならず敵が開いた口を閉じていくのを見た。
―――そして、その瞬間光が満ちた。
「……何、これ?」
優しい光だった。明るい光だった。未知の光だった。理屈じゃない光が名無しを起点に輝き、その身を包んでいた。
「―――光の艦娘」
「―――何、コレ。夕立は知らない、こんなの知らない! こんなこと、起こるなんて知らないよ!?」
取り乱したように叫ぶ夕立の声すら、この時ばかりは敵の事すら忘れて睦月はその光に見惚れ、やがてその光はOを描くように吹き飛んで収まり、名無しがいた場所では食わんとしていた深海棲艦の歯を腕で抑えている一人の艦娘の姿があった。その敵を放り投げ、睦月達へと向いた艦娘の姿は、先程までいた名無しからかけ離れている。褐色に近くなった肌に、長いサイドテールと、それと反対に斜めに被った帽子。長袖に変わった上着には胸部にOの字に青い光が浮かび上がり、肩から手先に掛けて二本のラインが伸びている。そしてその双眸には紫と、茶色の光が宿っていた。
「―――名無しちゃんなの?」
睦月の問い掛けに、彼女はゆっくりと頷いて答えた。
「―――私の名前は『吹雪』だよ、睦月ちゃん」
そう言って、微笑んだ。