誰が為に華は散る【鉄血のオルフェンズ外伝】   作:deburi

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第2話:アスモデウス

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 10年前。

 

「どうしてあんな家の娘など助けようとした!」

 

 父に殴られるのは初めてではなかった。しかしその時の彼の拳には確実に殺意がこもっていたのを子供心ながら感じており、アスナは改めて男が怖いものだと思い知った。

アスナの小さな体は病院の壁に叩きつけられる。右腕の火傷の痛みなんてどうでもよくなるぐらい痛かった。周囲の大人たちの視線は冷たく、その全てがアスナを「愚かな子供だ」と蔑んでいる目をしていた。

 

「ハナは私の友達だったのです……だから」

「口答えをするな!」

 

 この世のどこに、足元で倒れ込んでいる自分の娘に蹴りを入れる親がいるだろうか。アスナは血を吐いて朦朧とする意識の中、それでも必死に繋ぎ留めながら声を出す。

 

「ハナは……ハナは……」

「全身大火傷、助かる見込みはない。一族の財産は全部燃え尽きた。治療費を払う者など、ここにはいない。それだけ屑みたいな家にあの娘は生まれたのだ」

 

 アスナはゆらりと立ち上がると、ガラス張りになっている治療室の窓を覗いた。全身大火傷で瀕死の状態の少女が、何もない病室のベッドで横になっている。ミイラのように包帯を巻かれ、ピクリとも動かない。生きているのか死んでいるのか分からなかった。

 

「まったく、わしらの事業を滅茶苦茶にして、その尻拭いもせぬまま一家無理心中など……あんな家の娘と会っていたから、アスナも馬鹿が移ったのか、まったく」

 

 治療費さえ払えれば、集中治療室にある生命維持装置で回復を待つことができるだろう。

 

「これで分かったか」

 

 父親はアスナの手を強引に引っ張る。しかしアスナは抵抗して、ガラスに張り付こうとした。機械の警告音とともに看護婦が少女に殺到する。少女の容態が急変したのか、医者による心臓マッサージが繰り返されていた。

 

「女に勇敢さは不要だと何度言えば分かる! お前は誰も守れない。大人しくマリーメル家の女として正しい生き方をしていろ! あんな家の小娘一人、どうでもいい!」

 

 心肺停止の音が鳴り響き、アスナの意識は同時にプツンと切れた。

 

 目が覚めると父がいた。

 殴られたかもしれないし、蹴られたかもしれないし、スーツケースで火傷している腕を叩き潰されたかもしれない。すごく痛く、苦しく、惨めだった。

 アスナはそれ以降、男に逆らわないようになった。

 

 それだけが真実だ。

 

 

 

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 伝説のモビルスーツ、ガンダムアスモデウスはアスナの目の前に屹立していた。

 

「ハナなの……そこにいるのは、花咲レゴリスなの!?」

 

 アスモデウスは手刀をガルム・ロディから引き抜いた。さすがにモビルスーツの装甲をマニピュレーターで貫くのには無理があったのか、中指がひしゃげて各部からスパークが迸っている。

 そしてアスナのほうを向くと左手を差し伸べてきた。先ほどの狂戦士の如き戦いからは想像もできないぐらい、丁寧な動きで。

 

『ええ。ずっと貴女を待っていたの。さぁ乗って』

 

 アスナはアスモデウスのマニピュレーターにしがみつくと、そのままコックピットまで運ばれていった。ヘルメットのバイザーの向こうに見えたのは凛々しい顔立ちをした金髪の少女だった。彼女は静かにアスナの手を握ると、

 

「会いたかった」

「どうしてハナがここに……」

 

 あの後、治療を受けられることなく死んだというのは嘘の情報だったのか。いや、しかし治療費など誰が払ったのか。そもそもあの時点で治療を受けて助かるなど奇跡じゃないか。疑問と推測が交差する思考を振り払い、アスナは何とか冷静さを保とうとした。

 

「まぁ色々あったの。気にしないで」

「気にするよ!」

 

 花咲の顔の左半分は火傷の痕が残っており、左眼は白く濁っていた。彼女の背中からは一本の太いチューブが伸びており、コックピットシートに繋がっている。阿頼耶識でモビルスーツと一体化を果たしているのだ。

 

「今は奴らを殺さなきゃ」

 

 気づけばアスモデウスに迫る敵影が二つあった。どちらも傭兵団のガルム・ロディのようで仲間の仇を討とうとしているようだ。

 

「戦うの!?」

「戦うしかないよ。大丈夫、アスナがいれば私は何でもできる」

 

 子供の頃の花咲はもっとこう可憐な乙女のような感じだった。しかし今、目の前にいる彼女は兵士の目をしていた。如何にして敵を殺し生き残るか、最も効率的な手段を考えている。アスナが男たちに飼われていた10年の間に、花咲は色々なことを知り、体験したのだろう。

 

 アスモデウスに接近するガルム・ロディのうち一番近い機体がライフルを構え、発砲してきた。アスモデウスは手刀で撃墜したガルム・ロディの残骸を掴んで、それを盾にする。この距離なら砲撃をくらっても、モビルスーツや戦艦に標準搭載されているナノラミネートアーマーと呼ばれる皮膜型装甲によって、当たり所さえ悪くなければ大したダメージにはならない。

 

 しかしだ。アスモデウスにはアスナも乗っている。耐衝撃装置も同乗者の存在までは想定して設計されていない。一回の被弾でもコックピットは大きく揺れ、同乗者のアスナは鞭打ちになってしまう。

 

 そのため花咲は出来るだけ被弾回数を最小限にとどめた上で、敵を確実に撃破していく手段を選択した。

 

「きゃあっ!」

「安心して」

 

 モビルスーツのコックピットに乗って戦闘した経験など、当然のことながらアスナにはない。敵が自分に大口径のライフルを向けているという事実が、この上ない恐怖であった。

 

 ガルム・ロディの撃った銃弾は残骸に命中していく。はじけ飛ぶ残骸の装甲板の隙間から、ガルム・ロディがライフルを投げ捨てて、バックパックに備え付けられたバスターソードを手に取っている姿が見えた。

 

「アスナは私が守る」

 

 アスモデウスは先ほど捨てたメイスを左手に持つと、右手で盾にしていた残骸をガルム・ロディに向けて投擲した。バスターソードで受け止められるも、その間に腰にあるスラスターを噴射させて急接近。

 

「守るんだァァァァァァアァ――――――――――ッ!」

 

 花咲の獣のような咆哮とともに、アスモデウスはメイスを振り上げてガルム・ロディの頭部を破壊する。そして動かなくなった機体のコックピットにめがけてもう一度メイスを打ち込んだ。同時にメインモニターに【SURRENDER SIGNAL】と表示され、アラートが鳴り響く。

 

「あ―――降伏信号。出すのが遅いわね。二人も死ねば、敵は帰ってくれるかしら」

 

 ひしゃげたガルム・ロディのコックピットを眺めながら、花咲は冷淡に言い放った。

 

 狂戦士のように叫び狂っていると思うと、次の瞬間には冷静に状況を見つめる。アスナにとってそれは異様な光景であった。人を殺すという行為を当然のように受け入れ、また同時に自分に銃口が向けられている事実に対して逃げることなく立ち向かっていく。そんな花咲の姿に驚愕する。

 

 普通なら人を殺すのを躊躇するはずだ。

 普通なら銃口を突きつけられれば逃げるはずだ。

 普通なら―――。

 

「テイワズの機体と傭兵の一機は撤退していく。けど残りの一機が向かってくるのね」

 

 傭兵団のガルム・ロディのうち隊長機らしき一本角のブレードアンテナを付けた一機と、その奥にいる三機の百錬は撤退していく。しかし残りの一機はライフルを捨ててこちらへ向かってくるではないか。

 

「と、投降するのかな」

「まさか」

 

 バスターソードに持ち替えて特攻してきた。

 

「ごめん、アスナ。もう少し時間がかかりそう」

 

 向かってくるガルム・ロディから通信が入った。花咲は回線を開くと同時に、コックピットに男の怒号が飛んできた。

 

『よくも、アンディとラサをやってくれたなァァッ! 貴様だけは許せん! この俺がぶっ潰してやらぁあぁぁぁ!』

「ひっ……」

 

 男の怒号にアスナは恐怖を覚え、後ろに下がってしまう。恐怖が思考を汚染していく。許嫁のライオネルから振るわれた暴力、父親の激しい折檻、周囲から飛んでくる罵声。

 

『俺は傭兵団ソードフィスト所属、バラデ・コング! 一騎打ちを所望す―――』

「黙れ」

 

 花咲はアスナの様子を見て、回線をすぐに切ると静かにそう言った。後ろで震えているアスナの手を握って、

 

「大丈夫、私がいる」

「……うっ」

「私が怖いやつ全部、殺してあげる」

 

 アスモデウスはメイスを残骸から引き抜くと、迫ってくるガルム・ロディに向けて投げつけた。バスターソードによって弾かれるものの、足止めにはなる。

 

 その間に投げ捨てられていたライフルと予備弾倉を手に取り、動作を確認。ギャラルホルンやテイワズのような大規模組織の機体の武器にはセキュリティロックがかけられており、所属の違う機体では使えなくなっているようだが、名も知らぬ傭兵団の機体にはさすがにそれはなかった。

 

「使えるか、よし」

 

 アスモデウスは腰のスラスターを吹かして、暗礁宙域を駆け抜ける。機動性ならこちらのほうが数段上だ。すぐに敵ガルム・ロディの背中に回り込むとライフルの銃弾を浴びせる。そこから白兵戦に持ち込んでもよかったが、アスナに負担のかかる戦い方はできない。

 

 一度後退しつつ、ライフルのリロードを行う。相手も花咲に正々堂々正面から一騎打ちをする気がないことを察し、ライフルを手に取り射撃を行う。

 

 アスモデウスは左右にスラスターを小刻みに噴射させ、銃弾を全て回避。射程圏外まで逃げると、アスモデウスはライフルを構える。メインモニターに表示されているロックオンサイトはメインモニターの中を泳いでいるだけであった。当然だ。射程圏内に入らなければロックオンはされない

 

 つまり、マニュアルで照準補正をしながら撃たなければならないのだ。味方と混戦状態の時にこれをやれば正気を失ったのかと笑われるだろう。だがアスナは違った。人機一体のシステム阿頼耶識を駆使することで、感覚で照準補正をやってのけた。

 

「ここか」

 

 精密な射撃が次々とガルム・ロディに炸裂していった。頭部のメインカメラを潰され、コックピット周辺のナノラミネートアーマーを徐々に削っていく。ガルム・ロディは銃弾を浴びながらもバスターソードを振りかぶり、こちらに突撃してきた。

 

「もう遅い、堕ちろ」

 

 しかしバスターソードはアスモデウスに振り下ろされることはなかった。ガルム・ロディのコックピットはライフルの銃弾で潰され、ミンチになった人間の肉片が微かに見えた。

 

「アスナを怖がらせた罰よ! 絶対に許すものか……」

 

 アスモデウスが撃破したのを確認すると、四機のモビルスーツが宙域を離脱していくのが見えた。マリーメル家の人間を殺すのが依頼だったようだが、遂行不可能と判断したのだろう。テイワズは依頼主であるからか、命を張ってまで敵に向かってくることはないというスタンスを貫いているように花咲には思えた。

 

「撤退していく……アスナ、お疲れ様。終わったよ」

 

 何はともあれ、敵は追い払った。花咲はアスナのほうを向いて、静かに笑みを浮かべた。

 

「ハナ、ちょっと、気持ち、わ……おぼぉ!」

 

 顔面蒼白なアスナの宇宙服のヘルメットは次の瞬間、彼女の吐瀉物で満たされることになる。モビルスーツに乗ったことのない人間が高速機動を味わえば、こうなるのは必然であった。

 

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 

 想定外の事態に花咲はただ謝ることしかできなかった。


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