誰が為に華は散る【鉄血のオルフェンズ外伝】 作:deburi
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ここはどこだったか。
花咲レゴリスは遠い記憶の中にいた。
硝煙が立ち昇る地球の空は灰色に包まれており、砂塵が足元を覆っていく。銃を持った子供たちが怒声とともに駆け出していた。やがて怒声は銃声に変わり、敵味方双方の断末魔が木霊する。バラックや薄汚れた家屋が建ち並ぶ市街地は、戦場と化していた。
南アフリカの大地、ここは地獄だ。
しかし四年もいれば慣れてきて、感覚が麻痺していく。
『殺せ。敵は目の前の奴らだ。殺せ。人は銃で殺せる。殺せ。殺さねばお前が殺されるぞ。殺せ。これは神のための戦争だ。殺せ。祖国を取り戻すのだ』
無線で流れてくる指揮官の声は様々な理由で、花咲たちを戦わせてくる。そもそもこれは宗教戦争だったか、国境紛争だったか、それとも革命戦争か。花咲はそれをはっきりと覚えていない。いや、そもそも指揮官から知らされていなかった。
花咲もモビルスーツという鋼鉄の装甲を身に纏い、駆け出していく子供たちを蹂躙する戦車に向かって銃撃を開始した。花咲はまだ“阿頼耶識のある”ヒューマンデブリだった為、地上戦用にチューンナップされたスピナ・ロディを支給されている。生身で突撃していく阿頼耶識なしのヒューマンデブリ―――いや、デブリにすら満たない鉄砲玉のような少年兵よりは幾分かマシだった。
花咲のように「元々は人間だった」ヒューマンデブリは少ない。その殆どが生まれて間もなくヒューマンデブリになった者たちで、阿頼耶識の手術をさせる費用すらも勿体無いと使い捨てにされるような存在だった。中には人間でいたのは、母親の子宮の中だけという者もいた。
生まれてから人間ではなく、鉄砲玉として生きさせられる彼らの命は、豚一頭よりも軽い。正真正銘のゴミクズだ。花咲もまた例外ではない。ただ人間であった期間が長いか短いか。阿頼耶識使いとして使い道があるかないか。それだけの違いだ。
どちらにせよ消耗品であることに代わりはない。
『殺せ。蹂躙しろ。我々を侮辱する売国奴どもを。政敵どもを。悪魔どもを。殺せ。殺せ。殺される前に撃て。上手く撃って殺せ。躊躇せず殺せ。戸惑うことなく殺せ。せっかくだから楽しんで殺せ。笑え。笑いながら殺せ。戦争は楽しいものだ。戦争だ。殺せ』
指揮官の言葉は狂気に満ちていたが、同時に戦場で異常な程に高揚した花咲たちの意識をさらに鋭くさせる、まるで麻薬のような中毒性のあるものであった。彼の言葉を鵜呑みにするだけで気持ちが楽になった。戦争が楽しいと本気で思える。
この戦場に正気の者は誰一人いない。
気づけば辺り一面に子供たちの死体が広がっており、死臭が漂っている。この暑さなら死体が腐って蛆が沸くのも早い。感染症を引き起こす危険があるため、早いうちに退去しなければならない。最も、退去する味方が生きていればの話だが。
今回は珍しく圧勝だったようで、付近の逃げ遅れた住民を子供たちが引きずり出していた。花咲と同い年ぐらいの少年兵は住民の黒人女性を物陰に引きずり込んで行為に及ぶ。それよりも少し幼い子供たちは敵側の生き残った少年兵一人を複数人で囲んで罵声を浴びせながら甚振っていた。
悪趣味だが、この狂った世界では日常茶飯事だ。生き残った敗者に安楽死する権利はない。ひたすら苦しみながら死ぬだけだった。
そもそも生まれて間もなく鉄砲玉として大人たちに使われてきた彼らに、誰が倫理観を教えるだろうか。
むしろ歪んだ快楽を覚えさせたほうが好都合だ。
人として扱わぬなら、人として育てる必要もない。大人たちは彼らに道徳教育よりも、狂気を植え付けさせた。
「……好きじゃない」
だが花咲個人としてはどうしても馴染めない空気でもあった。まかりなりにも、四年前までは真っ当な教育を受けてきた身だ。人を殺してはいけないという定義を覆すのにも、一年はかかった。おそらく一生、馴染めないだろう。
花咲もモビルスーツから出ると現地住民たちを引きずり出して一箇所に集めた。父親と思われる男性と一人の少年がいた。黒人であることから現地住民であることが分かる。大人の男はすぐに殺せ。反撃されると厄介だ。大人の女は自分たちで楽しむか、上官の大人たちへの献上品として丁重に扱ってやれ。少女は貴重だ。捕縛して、あとで売春宿に売り飛ばせ。少年は―――
「銃はこうやって撃つ。さぁ父親を撃て」
花咲は少年にアサルトライフルを渡した。そして銃口を彼の父親へと向けさせる。少年は涙ながらに嫌だと訴えるが、花咲は強く言い返した。
「殺せ」
短い言葉でそう言った。すると周りの少年兵たちも同調し、「何故撃たない!」「臆病者め!」「殺せ!殺せ!」と声を上げる。やがてそれは一つの声となって父親に銃口を向けさせた少年に殺到していく。
「いいから殺せ。すぐ殺せ。考えるな、殺せ。殺しなさい」
花咲は淡々と少年に言い続けた。やがて耐え切れなくなった少年は引き金を引く。
戦場では常に少年兵は不足する。ヒューマンデブリだろうと、それ以下の鉄砲玉だろうと、消耗品だ。ゆえに現地調達する必要があった。肉親を殺したということが分かれば村や家に帰ることもできない。あとは必要最低限の訓練をさせた後、鉄砲玉としてまた消費するだけだ。
指揮官のお気に入りでもあった花咲は、毎回この役を押し付けられていた。子供に銃を持たせて肉親を撃つように強要させる、鬼畜の所業を。しかし断れば自分が死ぬ。だからこそ花咲は躊躇することなくやった。何度も。
全てが終わると、指揮官の男は花咲たちの目の前に現れた。二メートルを越える長身で、迷彩服を着た筋骨隆々とした男だった。彼ほど戦場に似つかわしい人間はいないだろう……ただ一つ、異様な仮面をつけているということ以外は。東の国のほうでは能面と呼ばれているそれは、古典の歌舞などで用いられるものらしい。
そんな細目の女性の顔をした能面を被った男の名は、キリシマ・ハーヴィス。花咲に阿頼耶識の手術をさせた傭兵であり、ここの指揮官でもある。
「よくやった、花咲。お前の働きで今回も勝利を手にすることができた」
「はい」
阿頼耶識の手術を三度も受けた花咲のことを、キリシマは高く買っておりいつも傍に置いていた。傭兵として戦地を転々とする彼に、花咲はついて行った。そして行く先々で人を殺し、殺されかけ、生きながらえてきた。
「皆もご苦労だった。さぁ次の戦争だ。殺すための準備をしようではないか」
キリシマはいつも戦争のことしか話さなかった。彼はまるで戦争をすることが趣味のように立ち振る舞い、なんの躊躇もなく子供たちを死地に送る。この世界に悪魔がいるとすれば、間違いなく彼のことを指すだろうと花咲は確信していた。
しかし彼の傍にいなければ、ヒューマンデブリの自分は飯もろくに食べることができない。そうでなくとも逃げようとすれば撃ち殺される。キリシマにとって花咲はよくできたヒューマンデブリであるだけで、かけがえのない存在ではなかったのだから。
戦場を生き抜いた後の夜は震えるような恐怖が全身を包んで、とてもじゃないが安らかな眠りにたどり着けるような時間ではなかった。いくら戦争に慣れても心の奥底では拒否反応を未だに示しており、吐き気が止まらない。乾いた大地に布を一枚敷いただけのベッドに横たわり、花咲は胸を抑えた。
自分はモビルスーツのパイロットというだけで優遇されている。阿頼耶識のない子供たちはもっと悲惨だ。夜襲の警戒のために交代で見張り番をしており、睡眠もろくにとれていないのだから。
「……いつになったら」
この地獄は終わるのだろうか。
苦しい。楽になりたい。でも死にたくない。生きたい。生きて―――花咲はポケットに詰め込んでいたものを取り出した。この人生の中で唯一、親友と呼べる少女に送るはずだった誕生日カードだ。
辛くなったときはいつも、これを胸に抱いて眠っている。
自分を命懸けで助けてくれた人、いや神にも等しい存在。こんな地獄の中にいても生きようと思える理由でもあった。花咲は彼女に再び会うために今を生き延びている。もう一度会って、この誕生日カードを渡して、命を救ってくれた恩を返したい。
「私の神様……アスナ、アスナ……アスナ―――」
アスナのために生きていける人生であるように、花咲は流れる涙を拭うことなく瞳を閉じてひたすら神の名前を唱え続けた。すると気持ちが楽になっていく。恐怖や罪悪感や疎外感や、何もかもが消えていく。暖かな気持ちになっていった。
ずっと花咲を包み込むように、幼き日の思い出が広がっていく。
「アスナ、会いたい……アスナ、アスナ……」
そして―――
「アスナ」
目が覚めると、花咲は無重力の中にいた。目の前には大破してもなおその鋭い双眸を突き立ててくるアスモデウスと、眠りについていた花咲を優しく包んでいるアスナがいる。スーツを着たアスナは花咲の体を抱きしめ、格納庫に佇むアスモデウスの前で静かに浮かんでいた。
「ハナ、起きた?」
「……私、眠っていたのね」
どうやら花咲はアスモデウスと向かい合って考え事をしているうちに眠ってしまっていたようだ。その間に、長く怖い夢を見てしまっていたのか。
「ごめん、アスナ。ずっとこうしていて大変じゃなかった?」
「うんん。私も仕事が終わって疲れちゃってさ。こうして、ハナをぎゅーってして癒されていたところだから!」
アスナは花咲を強く抱きしめると、無邪気に笑ってみせた。
「ハナならここにいるかな、って思って寄っちゃった」
「……うん。ちょっとこの子を眺めて考え事してた」
ここはテイワズの重工業部門を担当するエウロ・エレクトロニクスの所有する工廠だ。廃棄コロニーでの戦闘で大破したアスモデウスはここで改修を行われる予定だった。月輪の鷹団がテイワズと契約を結んだことにより、条件付きでテイワズの工廠にてモビルスーツの改修を格安で行ってもらえるようになっている。
「どんな感じになるのかなって、気になっちゃって」
「アスモデウスはハナの愛機だもんね」
「いつの間にか、偶然が重なってそうなったわけだけど。気に入ってはいるかな」
その条件というのが、テイワズの試作品のテスト機としてアスモデウスを使用するということだ。テイワズは独自のモビルスーツフレームの開発にも手を出しているなど、軍備拡大の真っ最中である。そんな中で開発した武装やモビルスーツのパーツの試作運用を行う必要が出てきた為、その役目を月輪の鷹団のエースパイロットである花咲と愛機アスモデウスに任せることになったというわけだ。
テイワズのトップであるマクマードは、敗北こそしたのもの鉄華団のバルバトスと対等に渡り合った花咲の実力を高く評価しているようで、実戦データを集めるのに最適であると判断した。ゆえに実戦テストも兼ねて最新鋭の装備が月輪の鷹団に格安で提供されることになっている。
月輪の鷹団はその装備を実戦で使い、そのデータをテイワズに渡すこと。それが契約の内容だ。賠償金やモビルスーツの修理で資金難の月輪の鷹団にとって、これ以上ない条件であった。
「この子のおかげでアスナを助けることができた」
「じゃあお礼を言わなきゃね」
「モビルスーツよ?」
「何にでも意思は宿るものだって私は思うな……アニミズムみたいな?」
「よく分からないけど、アスナが言うなら間違いないわね」
花咲はアスモデウスの傷ついた頭部に手をあて、瞳を閉じて呟いた。
「……ありがとう」
返事はなかった。ただそこには冷たい装甲があるだけで、生気は何一つ感じさせない。だがその冷たい装甲の奥に、微かな魂の気配を花咲は少しだけ感じ取っていた。それが喜んでいるのか泣いているのか、花咲には分からなかった。
「アスモデウスが実験機になってくれるおかげで、なんとか資金難も乗り越えられそうだけど……試作品って大丈夫かな」
暗礁宙域で戦ったテイワズの試作モビルスーツもそうだ。試作品ということは最新鋭である一方、予期せぬ不具合が発生する可能性も孕んでいる。それはつまり花咲を危険に晒すかもしれないことであった。
「大丈夫。私と、この子ならできる気がする。それに私にはアスナがいるもの」
「ハナ……」
「やるよ、私」
花咲はアスナをまっすぐ見つめた。アスナを信じていれば大丈夫だ。安心して前に進むことができる。今までもそうだったように、きっとこれからもそうなのだ。
「そういえば、さっきから何を握っているの?」
アスナは花咲が右手に握り締めているものを指差して言った。花咲は眠っている間、ずっとそれを胸に抱いていた。あの時の誕生日カードのように。
「これ、貰ったの」
右手を開けると、そこには一本の口紅があった。艶のある黒いケースに入っているもので、真っ赤な大人びた色のものであった。
「え、どこで!?」
「“きれいなねーちゃんのいる店”で」
「えぇえぇっぇぇぇぇえぇ!? え、それって、あの、その」
「そーぷ、ってところ」
アスナはまさかの急展開に開いたままの口が閉じずにいた。たしかに歳星の歓楽街ではそういう店が数多く存在すると聞いたことがはある。しかもかなりの高レベルらしく男なら一度は行ってみたい楽園だというじゃないか。
しかしそのような場所に花咲が行くとは思えないし、そもそも同性でもサービスを受けられるものなのか。いやいやそもそも―――とアスナは、かき乱された思考を必死に整理しようと頭を抱える
「鉄華団のシノって人が訓練終わりに、ジャックやゴードンに一緒に行かないかと誘っていたの。でもジャックは「童貞は純愛の中で捨てたいんだ」と、ゴードンは「僕の恋人はモビルスーツですから」と断って、途方にくれていたのね。それで―――」
「私が一緒に行きます、と」
「うん。奢ってくれるらしかったから……。女の子でも興味があるの、って言ったら連れて行ってくれた」
「凄い……ハナって大胆なのね」
「でもまさか、そういうことをする場所だなんて……」
「知らなかったの!?」
「うん」
花咲は今まで戦場しか知らない少女だった。それ以外の知識は忘れたか、元々持っていないかのどちらかだ。勿論、風俗に関する知識などあるはずがない。
「綺麗な女の人ってどんなのだろう、って気になったの。きっとアスナみたいな人ばかりいるのかなーって思ってた」
「いやまぁ、私よりはレベル高いと思うよ」
「でも違った。綺麗だけど、アスナほどじゃなかった。おっぱいはアスナより大きかったけど」
「…………」
アスナは自分の胸に両手を当てて、しばらく考え込んだ後、落ち込んだ。
「綺麗な女の人と一緒の部屋になったはいいけど何もすることがなくて、せっかくだから話をしたの。今までのこととか、色々……そしたら、これを」
「口紅を?」
「うん。化粧したら可愛くなるよ、って教えてくれた。化粧って何か知らなかったから色々教えて貰ったわ。それで思ったの」
花咲は知らないことだらけだ。だからこそ知りたいと思った。自分もアスナのように色々なことを知ることで前に進んでいける気がしたから。それは憧れでもあり、アスナと少しでも同じ場所に立っていたいという願いからきたのかもしれない。
「可愛く、なりたいな……って」
「ハナ……」
「おかしい、わよね。戦場で人を殺すことしか知らない私がそんなこと」
「素敵だと思うよ」
「本当?」
「うん! 今でも十分ハナは可愛いけど、お化粧したらもっと可愛くなるかも!」
「そう、かな……」
どこか嬉しくなって、花咲は口紅をそっと胸元に抱き寄せて、赤くなった頬を隠すようにうずくまった。今まで抱いたことのない感情に戸惑いつつも、これでいいんだと素直に花咲は思うことができた。いや、きっと忘れていたのだ。
硝煙と死臭の記憶が八歳までの花咲を無かったことにし、戦争マシーンに仕立て上げていただけなのだ。幼い日、花咲とアスナが一緒にいた時も、もしかすれば同じような会話をしていたかもしれない。
「変わったね、ハナ」
「うん……何だか不思議な気分。思い出したような、変わったような、新鮮なような、懐かしいような」
「ハナにとって私は神様?」
「神様だった。でも今は親友」
心の底からアスナを信じていられる。信じて背中を預けられる存在でもあり、誰よりも大切な存在でもあった。だからこそ今は素直にそう言えた。
「アスナ、色女になったね」
「え?」
花咲は、欠けた前歯がそのままになっているアスナの口元を指差して笑ってみせた。