誰が為に華は散る【鉄血のオルフェンズ外伝】   作:deburi

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第9話:命を叫ぶ声(後編)

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 戦況は悪化の一途を辿っていた。

 

「敵、増援です!」

「どこの所属だよ! 艦隊はどうなっているんだ!」

「お、おそらくテイワズの……い、一番艦、航行不能! 三番艦も推進機関を損傷!」

 

 ライオネルは艦長席に腰を落として爪を噛みながら、次々と消えていく味方の信号に苛立ちを隠しきれず、ティーカップを床に叩きつけた。ティーカップが割れて、中の紅茶が飛び散る。

 

「クソっ……撤退だ、撤退!」

「し、しかし交戦中の味方艦隊はすぐには離脱できません」

「そんなのどうだっていいだろう! 僕たちだけで逃げるんだよ!」

 

 その様子をアスナは聞いていた。エースパイロットであるシドレー機の大破、テイワズの増援、最早物量で圧倒する作戦は破綻し、自軍は崩壊寸前まで陥っている。そんな中でライオネルは自軍を置いて逃げ出そうとしているのだ。

 たしかにシラヌイはまだ敵からの攻撃を受けていない。廃棄コロニーの裏側を通って航行すれば逃げ切ることはできるだろう。しかし、だ。

 

 残された花咲は、ジャックは、ゴードンは、ヒューマンデブリの子供たちは、ライオネルに雇われた傭兵たちはどうなるのだ。命令もないまま旗艦だけ撤退したなかで、最後まで戦い続けて死んでいくのではないか。

 

(あの人は皆を見殺しにする気だ……)

 

 ライオネルは調子の良い時こそ前のめりだが、雲行きが悪くなるとすぐに逃げ出す人間だ。暗礁宙域の時もそうだった。

 降伏すればタダでは済まないだろう。傭兵たちの雇い主であり、この作戦を指揮した人間なのだ。テイワズに捕まってしまえば何をされるか分からない。資産の没収だけではなく、最悪殺されてしまう可能性もある。

 

 だからこそ彼は保身に走った。

 自分の不始末を子供たちに押し付けて。

 

(止めなきゃ……)

 

 アスナは立ち上がろうとする。しかしその瞬間、心臓の鼓動が異様に早くなり、息が詰まるような苦しさが胸に襲いかかった。ライオネルはポケットに拳銃を仕込んでいた。この艦橋で彼に逆らえる者はいない。逆らえば殺される。

 それに彼の暴力と蔑む瞳と圧力は、トラウマとしてアスナの心を掴んで離さなかった。幼い頃から受けてきた折檻、罵倒、そして男の命令に従うことが絶対である狭い世界の感覚。ライオネルからも許嫁という立場を利用して、酷いことを沢山されてきた。

 

 ずっとそうだ。

 自分は従い続けてきた。

 理不尽でもそうしなければいけない、圧倒的な力に。

 逆らえば力をもって制裁を受け、従うまで痛めつけられるのだ。

 それが力だ。

 

「それでも……」

 

 自分一人ならいい。どんなものを失ったとしても、それは自分がマリーメル家の女だからという理由で納得できた。

 だが今は違う。

 アスナは多くの命を背負っているのだ。理不尽に屈して良い理由など、どこにもない。

 

「信じてって」

 

 花咲がアスナに見せた瞳。己の命を犠牲にしてでもアスナを守る。今まではそう思っていた。花咲が自分を守ってくれるのだと、心のどこかで安心していた。今回だってそうだ。鉄華団を相手にしても花咲が何とかしてくれるのではないかと、そう思ってライオネルに従っていた。それがベストだと自分に言い訳をして。

 自分自身の恐怖から逃げる口実に、花咲を使っていたのか。

 

「ハナに」

 

 だがそれは間違いだった。花咲の瞳はアスナに期待していたのだ。花咲がアスナに、この状況を打破できるのは貴女だけだと信じている。そう訴えかけていた、とアスナはようやく気がついた。

 

 花咲は自分のことを信じている。

 自分は馬鹿だ。大馬鹿者だ。悲劇のヒロインを演じていた醜い人間だ。

 親友だと思っていないのはどっちのほうか。親友なら互いに信じ合い、背中を預けるものだろう。決してその瞳を裏切るわけにはいかない。そんな硬い絆で結ばれているはずだった。恐怖、トラウマ、理不尽、圧倒的な暴力、その全てがどれほどでも、親友を裏切っていい理由などない。ただ、前を向け。

 

 前を向いて睨みつけろ、不条理を。

 花咲の瞳を裏切るな。

 

「ハナに信じてって言ったから!」

 

 アスナは全てを振り切って立ち上がり、ライオネルの前に立った。こんな男に屈していた過去の愚かな自分を噛み締め、それでも今こうするべきだとアスナはライオネルを睨みつけた。

 

 彼のポケットには拳銃。周りの傭兵たちも、今の状況とライオネルの撤退命令に疑問を抱いている様子だったがアスナの味方にはならないだろう。アスナが立ち上がっただけで状況が変わるわけではない。しかし、やってみるだけの価値はある。アスナは“それ”に全てを賭けた。

 

「どうした、席に座っていろよ。今僕は忙しいんだ!」

「今すぐ鉄華団に降伏してください」

「はぁ? 誰に向かってそんな口を聞いているのか、なぁ!」

 

 ライオネルは怒りに身を任せて、アスナの腹部を思いっきり殴った。しかしアスナは今までのようには倒れず、両足で踏ん張って耐え切り、もう一度言った。

 

「降伏してください」

「だから何度も言わせるなよ!」

 

 彼の拳は顔面に何度も突き刺さった。手加減を知らない暴力は容赦なくアスナに襲いかかる。口の中に血の味が広がり、頬は腫れあがり、止めようとした手に拳がぶつかって小指が変な方向に折れ曲がった。

 

「あっ……が……だから、」

「な、なんなんだよ!」

 

 いつもであれば、顔を一回殴ってやれば従順になるはずだったアスナが、従う素振りも見せず立ち続けていることを不気味に思ったライオネルは一歩退き言った。そんな彼にアスナは一歩前に出て叫んだ。

 

「だから、鉄華団に降伏しろッて言ッてんのよ!!!」

 

 アスナは生まれて初めて怒りをそのまま相手にぶつけた。花咲や皆の命を手駒にし、今まさに保身のために犠牲にしようとしている愚かな男に対して、心に湧き上がる衝動をそのまま喉の奥から叫んだのだ。

 

「ひっ……う、うるさいんだよ!」

 

 そのままアスナはライオネルのポケットに向かって手を伸ばした。拳銃を奪えば、力では劣る自分でもこの状況を打開できるはず。

 しかしアスナの手よりも先に、ライオネルの右足が彼女の腹に打ち込まれた。

 

「あッ……!」

 

 アスナは艦長席から転げ落ちると、メインモニターの下にある壁に背中を打ち付けた。喉の奥まで昇ってきた血を床に吐き出しながらも、アスナはそれでも立ち上がってライオネルに詰め寄ろうとした。

 拳銃を奪わなければ。何としてでも彼を止めなければ。

 

 だが何度も殴られて体が思うように動かず、詰め寄れば思いっきり顔面を殴りつけられて吹き飛ばされるを続けていた。前歯の数本が折れて、血とともに床に落ちていく。目元は腫れあがり、唇は擦り切れ、額からは血が流れて顔の半分が真っ赤になっていた。

 それが何だ。これぐらいの痛み、ヒューマンデブリの子供たちが背負ってきたものと比べれば大したことない。

 

 食いしばる歯が残っている限り、渾身の力を込めて食いしばれ。

 そして目の前の愚かな男に教えてやれ。

 女にも意地があるということを。

 

「これ以上戦わせても、犠牲者が増えるだけよ」

「黙れぇ! 僕の命とヒューマンデブリのクズどもの命、どっちが世界に有益な存在なのか知ってのことか!」

 

 腹を蹴られた。

 

「僕の頭脳と!」

 

 顔面を殴られた。

 

「資産と革新的な考え方と!」

 

 ついには拳銃を出して発砲してきた。

 

「それが世界の為になるんだよ! デブリどもなんざねぇ! 読み書きもできないゴミクズどもを命を天秤にかけること自体おかしいんだよ! おかしいんだぁあ!!!」

 

 銃弾はアスナの頬を切り裂いていった。あと少し狙いが外れていたら即死だった。頬から血が流れ出すが、アスナは拭わずそのまま堂々と立っていた。

 

「はぁっ……はぁっ……次はぁ、外さないぃ!」

 

 アスナはライオネルに詰め寄ろうとした。右手は逆方向に曲がっているし、平衡感覚も消えていき、ふらつく。しかし倒れようとはしなかった。倒れるにしても前のめりに、それこそライオネルを巻き添えにして倒れてやろうと心に誓っていた。

 

「そこまでして自分の命が大切ですか」

「ああそうさ大切だよ。富も権力も今ある全てが大切さ。だからこうしている。ここにいる全員がそうだろう!? 誰だって自分の命が一番だ! ましてや言葉も話せず、戸籍も存在しない奴らを助けるためにその全てを捨てろだなんて馬鹿馬鹿しい!」

「私は……違う」

「は?」

 

 アスナはまっすぐライオネルを睨みつけると、渾身の力で叫んだ。

 

「私はあの子達の命を背負う、月輪の鷹団団長アスナ・マリーメルだ!!! もうこれ以上、あの子達を戦わせたりしない! 私は団員の皆を守ると誓った!」

 

 頭が割れるように痛い。自分の血と折れた前歯が周囲に飛び散っていた。右腕の骨は折れてしまっているだろう。骨が折れたことなんか生まれて初めてだ。泣き叫びながら地面に倒れてのたうち回りたいぐらいに、とんでもなく痛い。いやむしろ、この痛みのおかげで意識を保っていられるのかもしれない。

 

 精一杯の意地を張って、アスナは立ち続けた。

大切なものを守るために敵を倒せ。敵、敵は目の前にいるぞ。首に噛みついて頚動脈を引きちぎってやれ。もしくは拳銃を奪って撃て。何でもいいから抗ってみせろ。

 

「や、やめろ! こっちに来るなぁ!」

 

 ライオネルはアスナの気迫に押されつつも、拳銃を彼女にめがけて構えた。いくら手が震えていようとも、この距離では確実に当たる。アスナが前に出て止めようとするが、発砲のほうが早いだろう。

 

(ああ、そうか……)

 

 その時、アスナは思った。自分は死んでもいい。死んでもいいから、何とかして彼を止めて花咲たちを助けねばならない。だから撃たれてもすぐには死なず、彼を押さえ込もう。どれだけ流血しても、それだけはやりきろう。

 

 花咲が前にアスナに語った言葉と同じだ。

 自分の命を犠牲にしてでも誰かを守ろうという、心の底から湧き出す感情だった。

 ようやく花咲と同じ場所に立てた気がした。

 

 しかしその瞬間、銃声が艦橋に鳴り響いた。

 

(こういうことだったんだね、ハナ)

 

 

 

     5

―――ねぇ。

 

「……ん?」

 

―――大丈夫?

 

「アス、ナ?」

 

―――ほら、涙を拭いて。

 

 花咲が目覚めた場所は鮮やかな緑色の芝生が広がる庭だった。周囲には色鮮やかな花々が咲き乱れており、庭の前にはレンガ造りの荘厳な屋敷が建っていた。花咲には見覚えがあった。たしか、これは、自分が生まれ育った場所だ。

 ここでのことはあまり覚えていなかった。

 

 いや、ヒューマンデブリになってからの記憶が鮮烈すぎて、いつの間にか忘れ去ってしまったのかもしれない。

 目の前には赤いドレスの幼い少女がいた。アスナだ。彼女は芝生に倒れ込んでいる花咲に手を差し伸べてきた。そして花咲は思い出す。アスナと出会ったあの日を。

 

「どうして貴女は泣いているの?」

 

 どうしてだったか。とても辛いことがあったはずなのに思い出せない。きっと戦場のほうがよっぽど地獄だったからなのだろう。今の花咲からしてみれば、どうってことないことだったのかもしれない。

 

「ん、気持ちすっごい分かるよ! 私も似たようなことあったから……。でも大丈夫! 私が貴女のお父様に事情を説明してあげる!」

 

 何で貴女は知らず見知らずの私に手を差し伸べてくれるの?

 

「そんなの決まっているじゃない! 目の前で泣いている人がいて、見て見ぬふりなんてできないもの。大丈夫、私が貴女を助けてあげる。だから安心して!」

 

 でも。

 

「だから大丈夫だって! バレても殺されはしないと思うし。それに貴女が助かるならそれでいいよ! あ、そうだ。じゃあ今度、お花の冠の作り方教えてよ!」

 

 きっかけは些細なことだった。

 しかし花咲はこんな人間を見たことがなかった。馬鹿か、と最初は思った。誰一人救いの手を差し伸べてくれない冷たい世界の中で、どうしてこんなお人好しでいられるのか。自分を犠牲にしてまで誰かを助けようとしているのか。

 分からない。分からないけど、信じられた。

 

 アスナの瞳は本物だと。

 信じ続けていいんだと、迷いのない瞳を目にした瞬間に花咲は確信した。

 

 だから花咲は手をアス―――――――――もういいだろう。

 

 美しい思い出には充分浸った。

 目を覚ませ。

 花咲レゴリス。

 花咲レゴリス!

 

「ッ!」

 

 庭があったはずの色鮮やかな光景はかき消され、白い煙が立ち昇る薄暗いコックピットの中に花咲は突き落とされた。コックピット前面は尽く破壊されており、外の光景が見えている。廃棄コロニーの瓦礫や細かな破片が浮き上がっており、その中にいたバルバトスはアスモデウスからメイスを引き抜いていた。

 幸い、パイロットスーツに損傷はないものの、メインモニターは潰れており、右腕はフレームごと破損している。機体を制御するシステムが損傷しているのか、最早動くことすら困難な状況になっていた。

 

「まだ……」

 

 バルバトスはメイスを回収するとアスモデウスに背を向けて、離脱しようとしていた。このままだと奴はシラヌイに向かい、アスナを殺すだろう。

 

「終われない」

 

 花咲はバルバトスに向かって手を伸ばす。

 アスナは今、きっと歯を食いしばって月輪の鷹団を守るために戦っている。たとえどんな恐怖と対峙しても、アスナ・マリーメルという人間なら絶対にそうするはずだ。花咲は確信していた。

 

 そうだ、アスナは全身全霊をかけて立ち向かっている。

 ならば自分は、花咲はどうだ。

 

「ねぇ返事をしなさいよ」

 

 まだ出せるはずだ。

 自分の全てを賭けて、目の前の悪魔と戦えるはずだ。

 まだやれる。やれなくても、やれるのだ。やらなければいけない。やれ。

 出せ、全てを。

 

「あんたもここで終われないんでしょ。聞こえているなら―――」

 

 花咲は伸ばした手を握り締めて拳を作る。強く、強く握って、花咲は叫んだ。

 

「答えろ! アスモデウス!!!」

 

 その瞬間、花咲の言葉にアスモデウスが答えた。

 

 普通のモビルスーツならシステムを損傷してしまえば再起動などするはずがない。だがアスモデウスは違った。花咲の肉体と精神に呼応するように、再び動き出す。しかもただ単に再起動したわけではなかった。より深く、花咲とアスモデウスが繋がっていく。

 花咲自身もそれを感じていた。左手が痙攣を起こし、全身に流れる血液が沸騰しそうなほど熱される。花咲の背中と阿頼耶識システムを接続しているチューブが激しく揺れ、今までにない高密度の情報が脳に流し込まれていった。

 

 リミッターが外れたアスモデウスの双眸が赤く煌く。アスモデウスはその場を立ち去ろうとするバルバトスの左腕を掴んで、再び立ち上がる。

 

「どこへ……行くつもりだ」

『まだやるの』

「あんたを殺すまでは、やる」

『んじゃ、とっとと―――』

 

 バルバトスはアスモデウスの手を振り払うと、右手に持ったメイスを横に薙いだ。しかしアスモデウスの姿はそこにはなかった。アスモデウスは咄嗟に姿勢を低くしてメイスを回避すると、スラスターを噴射しつつ左手を地面に打ち込む。

 打ち込んだ左手を軸に低姿勢のまま回転しながら、バルバトスの背後に回り込んだ。その際、途中で左手を地面から離して廃墟ビルに向かって伸ばし、そこに突き刺さっていたバルバトスの太刀を回収する。

 

 背後に回り込んだアスモデウスは右足で踏ん張って立ち上がりつつ、太刀を構えた。そしてちょうど振り返ろうとしていたバルバトスに、鋭い一閃が駆け抜ける。

 

『あ』

 

 アスモデウスの太刀はバルバトスの左腕をフレームごと斬り裂いた。

 

 基本的にモビルスーツの近接武器はハンマーやアックス、メイスなどといった鈍器だ。それは何故か。鉄は斬るよりも、叩き潰すほうが遥かに楽だからだ。ならば、刀で鉄は斬れないのか。

 否。刃物の扱いに対する心得があるならば分かるだろう。引いて斬ればいいのだ。

 もちろんモビルスーツにそのような繊細な動きをさせるのは至難の業だろう。しかし阿頼耶識システムならであれば、そしてそのリミッターが外れたガンダムフレームならどうだろうか。

 

「これ、ちょうどいいわ」

 

 左眼から血を流しながらも、花咲は静かに笑ってみせた。刃物の使い方ならはっきりと分かった。ナイフを持って人間を切り裂くことなど日常茶飯事だったからだ。どうすれば肉を素早く正確に切ることができるか、花咲は知っている。

 斬るものが、肉から鉄に変わっただけだ。

 

『この動き。やばい奴だな』

「終わらせるのよ」

 

 たとえこれで命が尽きようとも構わない。それでアスナの道が開けるのなら本望だった。自分が死ねばアスナはきっと泣くだろう。しかし立ち止まることはしないはず。きっと、アスナはそれでも前に進む。

 自分よりも遥かに強い人間であると信じているから。

 

 誰が為に華は散るか。

 

 決まっている。

 

「アスナの為に!」

 

 アスモデウスの双眸は再び輝き、そこから赤い燐光が迸った。


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