真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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31:蜀/良い学び舎を作るために③

幕間/悪と正義

 

 

 ───誰かのために生きることは悪ですかと問う。

 

  問われた人は、悪ではないが正義では決してないと謳ってみせた。

 

 それは何故ですかと問う。

 

  問われた人は、誰かのために生きることは、誰かの所為にすることと同じだと謳ってみせた。

 

 ならば何のために生きれば正義となれるのでしょうと問う。

 

  問われた人は、正義を謳うのならば己のために生きなさいと謳ってみせた。

 

  決して曲がることなく、誰の所為にするでもなく、全てを己の所為にして生きてみなさいと謳ってみせた。

 

  それを貫き通した時、あなたが辿った道の全てがあなたにとっての正義となります。

 

  正義とは己です。他人の中にあなたの正義はないのですから、あなたの正義はあなたのみがあなたのために振りかざしなさい。

 

  問われた人はそう言って、笑むわけでもなく背を向けた。

 

 背を向けた彼に、しかし己のためのみに生きれば、それは悪となりますでしょうと問う。

 

  問われた人は、ようやく笑います。悪こそが正義であり、正義こそが悪なのですと謳ってみせて。

 

 

……。

 

 

  ───……子供の頃、世界は大きな図書館だった。

 

 見るもの全てが知識であり、目には見えない空気や、“見えている”はずなのに掴むことのできない光。見るもの全てに興味を示し、走り回っては少しずつ、けれどたしかに頭の中に“世界”を刻む。

 子供は無邪気だ。

 泥で汚れることも、傷を負うことさえも勲章みたいに誇らしげに構え、泣きはするけど逃げることをしなかった。

 逃げることを知ったのはいつだろう。

 傷つくことが怖くて逃げて、怒られることが怖くて逃げて。

 ふと気がつくと……大きな図書館だった世界は、自分にとって恐怖を教える場所でしかなくなっていた。

 怖さが満ちる世界……そんな中で、生きていくための知識を教わっていくと、子供は少しずつだけど視野を広め、小さな怖さを忘れる代わりに大きな怖さを知っていく。

 

 竹刀を持ったのはいつだったか。

 竹刀が木刀に変わったのはいつだったか。

 連想ゲームをするみたいに思考を回転させるけど、子供の頃の記憶なんて案外曖昧なもので。鮮明なつもりでいても、少し前に思い出したものと、今思い出したものとでは少し内容が違っていたりする。

 そんな曖昧さに思い悩んでも、どんなことがあっても変わらないであろう記憶っていうものは、大抵ひとつは存在する。

 些細なことでも、それが心の中に残るものであるのなら。

 

 いつだったか、ブラウン菅の中で格好よく戦う変身ヒーローになりたいと思った。

 子供の頃だ、今は違う。

 小さな体を目一杯に振って、変身のポーズを取ってはギャーギャーと騒いでいたのを覚えている。そんな俺に、じいちゃんが軽口のつもりで言った言葉が“正義とはなんだと思う”だった。

 俺の答えはといえば、「強くて格好よくて、悪いやつをやっつけること」、なんてものだ。じいちゃんは笑いもしないで、小さく溜め息を吐いてコメカミあたりをコリコリと掻いていた。

 

  今思えば、孫に対してなんて質問をしたんだあの人は。

 

 なにも言ってくれない祖父に、子供心にムカッと来たのか、俺は「じゃあ悪ってなんなの?」と問いかけてみた。

 返ってきた言葉は、なんと“正義だ”だった。

 

  “悪は挫けない。悪は悪のみを真っ直ぐに行い、自分が正しいと思う道を突き進む。それこそが真の正義というものだろう”

 

 ……あの日のことを、今でも時々思い出す。

 じいちゃんが言った言葉を子供独特の生意気な態度で否定した。

 それでもブラウン管の中のヒーローは、俺に現実を教えた。

 突き進み続ける悪と、己の行動に迷いを見せるヒーロー。

 果たして己の道を恥じぬと断じて悪を行い続ける悪と、正義を謳っているはずなのに迷い続ける正義……どちらが本当の正義なのか。

 いつしか考えることが怖くなって、ブラウン管に変身ヒーローが映ることはなくなった。

 そうして、まだまだガキだった俺は、正義と悪なんてものは誰がどう見るかで決まるものなんだと知った。

 悪にとっての悪は正しいことで、正義にとっての悪は悪でしかなくて。

 悪でしかないものなんてのは無くて、視野を広げてみれば、この広すぎる世界に生きる全てのものの数だけ、悪と正義が存在していた。

 自分だけが正しいんじゃない。

 自分が正しいのだと思った時にこそ、一度立ち止まって考えてみるべきなのだろう。

 悪を知り、正義を知ることが、自分たちが言う“正義”に最も近づける方法なのではないか、と……───

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 …………と。

 

「こんな感じなんだけど」

「わからないのだっ」

「即答でしかも笑顔!?」

 

 話し終えてみれば、くるりと向き直った鈴々の笑顔がそこにあった。

 さっきまでとは違い、俺と向き合うかたちでにっこにこ笑顔である。

 楽しい話をした覚えは全然無いのだが……不思議だ。

 

「なるほど……確かに悪は行動を躊躇わない。その行動力には時折感心することもありましたが……」

「だよねー。いくら“だめだよー?”って説き伏せても、すぐに問題起こしちゃうし」

「やっつけてもやっつけても全然懲りないのだ」

「うん。不思議なんだけどさ、正義よりも悪のほうが行動力と根気があるんだ。正道を歩く人が学ぶべきは、その歪んでようと諦めない心。いいことをしようって頭を働かせても閃かないのに、悪いことを考えてみると呆れるくらいに思い浮かぶ。そういったところを上手く取り入れるのも、そう悪いことじゃないと思うんだ」

 

 聞いていた三人が「ほぉおおー……」と感嘆にも似た熱い息を吐いた。

 感心を得られるとは思っていなかったから、こちらとしても「ほぉおおー……」だ。

 

「悪だからって叱るだけじゃあだめだ。見習うところは見習う。そういうところを教えていければって思うんだけど」

「ふむ……いい考えだとは思うのですが……」

「? だめかな」

 

 愛紗がむう、と小さく唸る。

 いや、実際言われるまでもなくこれはダメじゃないだろうかとは思っているんだ。

 悪にも学ぶべきは確かにあるんだが、学ぼうとして悪を見ていれば……その、わかるだろ?

 

「学ぼうとして悪を見ていれば、悪の中にある“楽に物事を達成する”といった、邪な部分も学んでしまう可能性があります。それでは大人はもちろん、子供の成長に宜しくないかと……」

「あちゃ……やっぱりか」

 

 愛紗も同じ考えに至ったらしい。

 難しいところだが、“いいところだけを取り入れる”のは楽じゃないのだ。

 なにせ、実際に見て、感じて、学ぶのは俺達じゃなく生徒だ。

 それをあーだこーだと説き伏せるばかりじゃあ、生徒の独創性を奪うことになる。

 なるほど、教師ってやつはこれで案外……いや、相当に大変だ。

 テスト内容を考える時も、こうしてうんうん唸っていたんだろうか。

 …………いや、案外意地悪く難しい引っ掛け問題ばかりを選んでいたのかもしれない。

 そう思ってしまう自分は、やっぱりただの学生なんだなぁと実感してしまう。

 学生だったら……いや、人間だったら大体が思うだろう。

 楽して強くなりたい、楽して高い成績を取りたいと。

 当然俺だってそうだ。だって学生だもの。

 

(今も勉強が好きってわけじゃないけどね)

 

 多少の努力の精神を得たからとはいえ、好きになれるものじゃない。

 が、教えるのはこれで案外楽しかったりするから、学ぶことの何がどちらに転ぶのかは、突き詰めてみなければわからないものである。

 

「じゃあ悪と正義じゃなく、学ぶべきことを教えていけばいいのか。難しく考えないで、これはいけないことですよ、これはいいことですよって」

「うーん……それが一番なんだと思うけど、たぶんそれが一番難しいと思うよ?」

 

 とは桃香の言葉。

 俺もまったくだと心で納得してしまうあたり、人からの理解を得るのは大変難しいのですってことなんだろう。

 ……だったら昔話風に説いてみようか。

 悪いだのいいだのを説くんじゃなくて、物語として悪と正義を覚えてもらうつもりで。

 朱里と雛里に話して聞かせた桃太郎のように……その、童話にありがちな残虐なところを出来るだけ省いて。

 不思議なんだけど、童話って案外怖いものが多いんだよな。

 マッチ売りの少女とかは人の無関心さを浮き彫りにしていると思うんだ。

 誰もが少女を助けずに、明け方の死体を見てから哀れむんじゃあ誰も救われない。

 しかも、誰も少女がしていたことを理解できていないのだ。

 確かにマッチの火で暖まろうとしてはいた。

 が、そもそも売れていればそんなことをせずに済んだのかもしれない。

 かと言って、誰もが買ってやれるほど裕福なわけじゃないだろう。

 

(それはたぶん……この世界で、あの乱世の頃に売ろうとしても一緒だったんだろうな)

 

 案外この世界にもマッチ売りの少女のような子が居たのかもしれない。

 誰にも気づかれず、空腹のままに死んでしまった少女か少年が居たかもしれない。

 そう思うと、とても胸が苦しくなった。

 自分に誰かを救うほどの力はない……誰だってそうだ、一人で出来ることなんて限られている。国という巨大な組織が、たった一人で機能しているわけではないのと同じように。

 それでもと思うのなら、自分が目指すことは一つ。

 そんな子を出さないためにも、もっと暖かな国を作っていきたい。

 みんなで、将だけじゃなく民とともに、国に返すことで。

 ……そう。そう思ったら、今度は胸の苦しみじゃなく、暖かさや希望が沸いて出た。

 もっと頑張りたい。安心して笑って燥げる子供達、それを見て微笑む大人達を見たい。

 自分一人で国を動かせるわけじゃないと思ったばかりなのに、動かずにはいられない衝動が俺の中で暴れ出していた。

 だからこそ、桃香の“それが一番良くて、一番難しい”って言葉をきちんと受け止め、考える。

 

「そうだよな……難しいことばっかりだ。でも、難しいからって諦めたらそこで終わっちゃうんだよな。難しくても、理解されなくても一つずつ説いてみるよ。小難しい話じゃなくてもいいんだ、面白い話に喩えて説明するのもいい。自分の目の高さだけで説明する必要なんて、ないんだもんな」

「自分の目の高さで……?」

「子供には子供の視線の高さ……物事を考える基準がある。それなのに大人の考えかたばかりを押し付けてたら、子供らしさが無くなると思う」

「ならば、大人には大人の考えかたでぶつかると?」

「臨機応変……かな。背伸びしたい子にはそれなりの高さで、甘えたい大人にはそういった甘えも必要だと思う。えーと、つまり~……もっとよく人を見ることから始めるってことで。民として見るんじゃなく、ちゃんと人一人ずつとして見るんだ。大変だけど、そこまでしなきゃ誰のことも覚えられないよ。相手を知る努力をまずしていかなきゃ」

「それはまた、随分と難しい考えかたを……」

 

 軽く規模を考えるだけでも眩暈がしそうだが、それでも……将の名前を、性格を覚えられるのであれば、いつかは民の名前も覚えられるだろう。

 ずっとそうやって過ごして、みんなのことを知っていく。

 生徒の名前も知らない先生っていうのは、ちょっと恥ずかしいだろうし。

 

「でも、その努力のお陰で桃香や鈴々、愛紗ともこうして笑顔で話せてる。大事なことだし、必要なことだよ、絶対に」

「う……それは、その。はい……その通りですが」

「愛紗、顔真っ赤なのだ」

「なっ……赤くなどっ!」

「愛紗ちゃんが男の人と仲良くするところって、あまり見ないもんね~♪」

「そそっ、そのようなことはっ……!」 

 

 普段ならカッと眼光を光らせ、二人に喝を入れるような立場の愛紗が、こういう時だけは弱気だった。

 顔を赤くしている理由は思い当たらなかったけど、もしそれが照れからくるのなら、喜んでもらえたって考えていいのかな……と暢気に考えているうちに、やっぱり爆発愛紗さん。

 怒声という名の雷が落ちると、桃香と鈴々はしょんぼりと正座し、愛紗にガミガミ怒られていた。

 なるほど、やっぱりこういう力関係らしい。

 そんな三人の様子を思わず笑ってしまった俺まで正座させられ、まとめて怒られたのはまあ……いずれいい思い出になるだろう。

 そんなこんなで、今日も一日が過ぎていく。

 話と説教だけで一日が終わるなんて、どんな一日なんだろうと呆れてしまうくらいだ。

 

「うぅう~……愛紗ちゃ~ん、足、痺れてきたよぅ~……」

「何を軟弱なっ! 日々、一刀殿からの鍛錬を受けながらそのようなっ!」

「せいざなんて習ってないもん~……」

「それでもですっ! 一刀殿は平気な顔で座っておられますよ!?」

「いや……正座はいいんだけど、そろそろご飯の時間じゃ───」

「なりませんっ!」

「えーっ!? 鈴々お腹空いたのだ~っ!」

「全員がきっちり反省するまでずっとこのままですっ! まったく! 何かにつけて、赤くなっただの照れているだの! わわ私はべつにそんなっ! 照れてなどっ!」

 

 ちなみに説教は、夕方を過ぎて夜まで続いた。

 気を利かせて賈駆さんや董卓さんがお茶を淹れてくれたり、点心を小分けして持ってきてくれるまで……つまり、「反省するまで食べることは許しませんっ!」と叫んでいた愛紗のお腹が可愛らしく鳴くまで。

 ……そこで鈴々が「やっぱり赤いのだ」なんて言わなければ、そこで終了だったのかもしれないのだが。

 

「鈴々……」

「鈴々ちゃん……」

「うー……ごめんなのだ……」

「聞いているのですかっ!?」

『聞いてますっ!!』

 

 授業へ向けての相談はその日、ただのお説教日和と化した。

 せめて部屋の中で話をしようと提案したものの悉く却下。

 元気に説教となる言葉を叫び続けた結果、翌日には風邪でぶっ倒れた愛紗の姿があった。

 

「……黄忠さんに弓を教わる約束、してたのになぁ……」

「うう……申し訳……ひっくちっ!」

「いや、いいよ。黄忠さんも納得してくれたし、病気の時は支え合わなきゃ。病気の時って不思議と心細くなるし。学校完成までには治そう? どうせならみんなで完成を喜びたいし」

「一刀殿……けほっ……は、はい……!」

 

 賈駆さんと董卓さんが用意してくれた水桶で布をよく絞り、額に乗せる。

 風邪独特の症状なのか目は潤み、寝台に伏せる愛紗はいつもよりも歳相応の、か弱い女の子に見えた。

 だからだろうか……俺の口調も自然のいつもよりもやさしい感じになっていた。

 

「あ、そういえば風邪は人に伝染(うつ)すと治るっていうな。愛紗、俺に伝染せば良くなるかもしれないよ?」

「ふふ……ならばその時は、私が看病を……けほっこほっ!」

「ああほら、あんまり喉に刺激与えないでっ……って、俺が話し掛けたからか、ごめん」

「い、いえ……」

 

 そうした会話を続けながら、先日話し合ったことを頭の中で纏めたりしていた。

 もちろん看病もきちんとやりながらだ。

 厨房を借りて卵酒を作ったり、お粥を作ったり、こまめに額の布の交換もして、話をしてほしいと乞われれば天の話をしたりして。

 お粥はふーふーと息を吹き掛けて、あーんと食べさせたりもしたが、嫌がっていたわりにはきちんと食べてくれた。

 さすがに体を拭くのは無理だから、賈駆さんと董卓さんに頼んだけど。

 そうして、鍛錬の日を丸々潰して看病を続けた結果、元々の強靭な精神のためもあってか愛紗は一日で復活。

 そして俺は───……見事に風邪を伝染され、寝台の上で自分の“伝染せば治る”発言を呪っていた。

 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。


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