真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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18:呉/笑顔のために出来ること③

-_-/一刀

 

 「思春の笑顔を?」という蓮華の疑問に、正座をしながらハイと答えた。ええ、また正座です。俺、なんにも悪いことしてないのに……。

 救いなのは、思春も俺の隣で正座中ってことくらいだろうか。

 

「たしかにさ、打算的なことだったとは思うよ? 人との交流を増やしていけば、自然な笑顔を見せてくれるんじゃないかな~って、うん、そう思った。でもまさか我を忘れるほどに襲いかかってくるなんて……」

 

 借り物の服がすっかりボロボロである。

 これって、もしかしなくても俺が弁償しなきゃいけないんだろうね。

 お給金貰ったばっかりだったのに……トホホイ。

 

「思春、どうしたというのだ……公共の場で拳を振り回すなど、お前らしくもない。店に誰も居なかったからよかったものを、これでひどい重症でも負わせれば、庶人扱いのお前は……」

「……面目次第もございません」

「はぁ……このことは不問とする。私は何も見なかったし、店主。お前も何も見なかった」

「へ、へい……店が荒らされてないなら、こちらも……」

「あれぇ!? 俺への心配はゼロ!?」

 

 そりゃあ前みたいに刺傷事件じゃあなかったわけだし、ボロボロになるのは鍛錬でも慣れてるからいいけどさ。

 そのー、少しくらい心配してくれたって……。

 

「ふふっ……急所は全て避けていたでしょう? 傍目から見ても、心配するほどのこととは思えなかったのだけど?」

「……そうだけどさ」

 

 うん、たしかに避けるのだけは上手くなった。

 イメージトレーニングってやつは、何度も何度も繰り返すと“こう来る”と見切った瞬間には体が動く。だから通常よりほんの少しだけ早く動けるわけで……蓮華の言う通り、急所だけはひたすらに避けた。代わりに他がボロボロなのは、どうかツッコまないでほしい。

 しかしなんだ、人によって口調を変えるのは大変なんじゃないだろうか。そうである時もあればそうでない時もあるようだけど、なにやら俺に向けての言葉は柔らかく、他へ向ける時はシャッキリした口調。

 慌てた時などはその範疇ではないものの、言葉だけでも忙しないイメージがあった。

 

「それで、これはいったいどういうことなの? “思春の笑顔が見たい”というのはわかるけれど、思春に手伝いをしてもらう理由にはならないでしょう?」

「ああうん、それなんだけどさ。接客業は笑顔が命だから、少し続ければ自然な笑顔が見れるかな~って……思った俺が浅はかだったよ……」

「……一刀? 説明からそのまま後悔に向かわないでほしいのだけど……」

 

 だって実際がこんななんだから仕方ない。得られたものは、思春のエプロンドレス姿と怒りの矛先だけなんだもんなぁ。

 けどまあ、口で後悔を語るわりには心の中は嬉しさでいっぱいなんだから、しょうもない。俺には見せてくれなかったけど、客として迎えた蓮華には笑顔になってくれたって事実が、俺自身どうやらたまらなく嬉しいらしいのだ。

 

「それで、蓮華こそどうしてここに? って、昼だもんな。今日はここでメシ?」

「え? え、ええ……そう、そうなの。それでその。なにか一刀のお勧め出来るものはある?」

「───っ」

「───!」

 

 蓮華の言葉に、俺と親父の視線が交差し、輝く。

 次の瞬間には立ち上がり、ダダンッと親父ともども地面を踏み、力一杯叫ぶ!

 

『この店は! なんでも美味いっ!!』

 

 拳を握り締めて熱く熱く!

 しかしながら、こういう熱さっていうのはどうにも───

 

「…………」

 

 ……うん。周りには受け容れられ難く……蓮華もそれが当然であるかのように、目を瞬かせて停止していた。ご丁寧に“バァーン!!”なんて効果音を頭に思い描いてみたところで、届くかどうかなんて解らないもんだ。

 

「あ、ああえっと……そういえば以前、冥琳が青椒肉絲を食べていったぞ? たまに食べたくなる~みたいなことを言ってたし、いいのかも」

「……熱く勧めたわりには、自信はあまりないのね」

「やっ、美味しいのは事実だ。これは譲れない。けど、相手にとってもそれが美味しいかはまた別なわけで……親父~、自信作ってあったっけ~?」

 

 俺が考えても仕方ない。作り手の親父の自信作を食べてもらうのが一番だろう───と思ったんだが。

 

「いや。ここは一刀、おめぇが作ってみろ」

 

 ……ニヒルな笑みでニカッと笑い、腕組みをした親父さまがとんでもないことを仰いました。

 どうやら停止する順番が俺に回ってきたらしい。

 

……。

 

 俺になにが作れるのか、なんてことは……考えてみれば簡単にわかることで、ヘンな見栄を張らなければきちんと作れるものは何品かはある。

 それを丁寧に愛情を込めて作ること……それが“食べてもらうこと”と俺は受け取った!

 

「覚悟……完了!」

 

 俺が蓮華の食事を作る。呆れた事実に引きかけはしたものの、誰であろうと客は客。客に素人の作ったものを食べさせる気かーとか言われそうだが(というか思春には言われた)、食べてもらう人への愛情をもって誠心誠意作らせてもらおう。

 俺なんかじゃ無理だと断るのは簡単。ならいっそ難しい方向に進んでみるのも悪くない。そんな考えの下、あっさりと請け負った俺は現在調理中。

 作るものは……オムライスだ。ただし中身はチキンライスではなくチャーハンでいく。無理に背伸びをしようとしたところで、失敗は目に見えているんだ。難しい料理はいい……簡単かつ美味しく作れるもので勝負をする!

 

「すぅ……はぁああ……」

 

 自分の氣を厨房の空気に溶け込ませていく。余計なことは考えず、ひたすらに蓮華のために調理する男であれ。

 

「よしっ」

 

 まずはチャーハン。

 チャーハンはスピード勝負だ。何よりもまず、全ての材料を火の傍に置いておくことが重要だ。あれが足りないこれがない、と取りに行っていたのでは焼きすぎてしまう。故に、材料から調味料まで全てを揃えておく。ここで忘れがちなのが盛り付ける皿だから、材料ばかりに気を取られて用意し忘れないように、と。

 

 肉、野菜を細かく刻み、米と混ざっても存在を主張しない程度の大きさに纏めておくといい。肉や野菜も小さく刻んだほうが火が通りやすいし、油も絡みやすいから焼く時間を短縮できる。ただしご飯を焼いているところに投下すると、野菜はもちろん肉からも水分や肉汁が出てご飯がくっつきやすい。気になる方は予め、別の鍋で肉や野菜を炒めておきましょう。

 

 油は少しで、よく熱して鍋に馴染ませておく。油を多く使う予定があるなら、むしろ中華鍋で油をたっぷりと熱して、問答無用で鍋に馴染んだ時点で別の容器に油を取っておくって手も有りだ。こうすればご飯が油でギトギトになることもない。

 

 では、梳いておいた卵を火にかけた中華鍋へと。ジュワァッとよい音を耳にしつつ、すかさずお玉と鍋とを捌きつつ軽く回すように焼き、固まりすぎるより早くご飯を投下。油と卵とご飯が上手く絡まるように小刻みに混ぜて、ご飯の固まりはお玉で叩くようにしてほぐす。

 

 油を吸ったご飯が熱でパラパラになり始めたら肉や野菜を投下。小刻みに混ぜ、大きく宙に飛ばし、浮いたご飯の一粒一粒に熱を当てていく。

 味付けはお好みで……といきたいところだけど、ここはあっさり目。この時代では濃い味付けよりも薄い味付けだ。

 出来上がったら手に構えた大きなお玉に、混ぜっ返す要領で宙に放りつつ炒飯を入れてゆく。で、お玉に炒飯が溜まったら、熱い中華鍋の内側に押し付けるようにして形を整え……カンッと皿に移せばドーム状の炒飯の出来上がり!

 

「次っ!」

 

 お次はスピード勝負。

 すでに油を馴染ませておいた別の中華鍋に、下味をつけた梳き卵を投下!

 お玉の底でオガーと掻き混ぜるように卵を焼き、固まりすぎるより先にクルクルと器用に丸めて……ま、丸めて……! ぐわっ! 中華鍋だと案外丸めるの難しい! オムレツが上手く出来ない!

 ですが諦めません。焼きすぎを注意しつつもなんとかくるりと卵を丸め、オムレツ状に。これを盛りつけておいたチャーハンの上に寝かせ、プツプツと切り開いていけば……とろとろオムライスの完成である!

 

(……正直、ライスを包む形じゃないとオムライスって呼びにくい気がするんだが)

 

 固いことは言いっこなしだ。

 あとはこれに薄味のスープをつけてと……(よし)ッ! 完成!

 オムライスとスープだけっていうのも寂しいが、なにせ女の子……あれ? つい女の子は小食って先入観で作っちゃったけど、考えてみればこの世界の女性って大体が結構食べるような。

 い、いやいい、量の問題じゃない、今は蓮華に食べてもらうことが目的だ!

 

「さあ! 食べてみてよ!」

 

 どこぞの味ッ子のように声を上げ、蓮華が座る卓の上にオムライスを乗せる。蓮華は目の前に置かれたそれを見て“ほう……”と息を吐くと、レンゲを手に食事を開始する。

 さあ、反応や如何に……!?

 

「………」

 

 口に運ばれ、咀嚼されるオムライスを見送った。

 ごくりと鳴る俺の喉は、さっきからやけに渇いている。こういうときの渇きは、困ったことに水を飲んだところで潤ってはくれない。

 蓮華が一口を咀嚼し飲み込む過程で、いったい何度喉を鳴らしただろう。唾液が滲むことも間に合わず、息を呑むような行動を繰り返しては余計に喉を渇かせていた。

 

「───……」

 

 やがて、一口目を嚥下した蓮華がスープを口にしてから───評価を下す。

 

「……普通、ね」

 

 …………。

 

「…………」

 

 ……フツー? 普通……普通? ふ…………

 

「普通……そっか、普通か! よかったぁ、不味いとか言われたらどうしようかと思ったよ!」

 

 シンと静まり返った店の中、俺の歓喜だけが響いた。

 途端に蓮華や思春、親父の不思議そうな視線が俺に向けられるけど、俺はそんなことは気にせずに喜びで胸を満たした。

 

「お、おいおい一刀? 美味いって言われたわけでもねぇのに、なんでぇその喜び様は」

 

 そんな俺に向けて親父がツッコミを入れるけど、嬉しいものは嬉しいのだ。

 

「だってさ、味付けの好みもわからない状態で“普通”って評価が貰えたんだぞ親父っ! むしろここは喜ぶところじゃないかっ!」

 

 そう。俺は蓮華の味の好みを知らない。薄味が好きかどうかなんてことも知らなければ、ただこの世界の食事全般が薄味だからって理由で薄味にしたくらいだ。

 そうした味付けをした料理をきちんと噛み締めてくれて、評価をくれた。レンゲを置かれて黙って去られるとか、そんなことにならなくてよかったって思えたら、もう嬉しさしか残らなかったんだ。

 ……あー、ほら。魏には居るだろ? 料理にとことんまでに駄目出しをくれる人。あんな前例があると、人様に料理を作るなんて恐ろしくて恐ろしくて。

 だけどよかったー、普通か、普通……ああ、普通ってステキだ……!

 

「……よくわからんが、料理に関しての貴様の理想は随分と底辺をうろついているようだな」

「な、なに言ってるんだよ思春! 料理は……料理はなぁ! 立ち直れないくらいボロクソに罵られた上に、同じ材料で次元の違う美味さを表現されて絶望を味わわない限り、決して底辺なんかじゃないんだぞ! 思春は……思春は“普通”と言われる喜びを知らないからそんなことをっ……!」

「……付き合い切れ───……いや。そ、そうなのか?」

「~……俺さ、思春がそうやって“聞く姿勢”を取るようになってくれて、本当に嬉しいよ……!」

「なばっ!? 何を馬鹿な! わた───私は、普段から話を聞く姿勢を保っている。単に貴様の話が聞くに堪えんだけの話だろう───な、なにが可笑しいっ、笑うなっ!」

 

 こうして様々な人を見ていると、呉も変わってきているんだなって実感がある。なにがどう変わった、なんて言葉に出来るほどのことじゃないんだ。それでも少しずつ一人ずつ、誰かが変われば誰かを取り巻く環境も変わり、それがやがて別の誰かを変えて……そんな連鎖が少しずつ広がっていっていた。

 一番変わったのはきっと思春。最初の頃からは考えられないくらい、彼女は俺の話を聞こうとしてくれていた。以前の思春だったら俺の言葉なんて聞く耳持たずだったのに、今は条件反射的に憎まれ口みたいなことは口にしても、自分でそれを否定してでも聞こうとしてくれる。

 彼女の中でどんな心変わりがあったのかは……訊いたら反感くって、最悪“聞く姿勢”を取ること自体を拒絶しかねないから怖くて訊けない。本当に庶人のようになろうとしているのかもしれないし、気が向いただけなのかもしれないけど……うん、なんだか嬉しかった。

 

「………」

 

 もちろん、そんな思春の変化に戸惑っている人も居る。盛大に慌てる思春を見て、食事を続けるのも忘れてポカンとしている蓮華がそうだ。

 普段が冷静すぎる分、突然こんな思春を見れば……うん、普通は驚くよな。俺も驚きと嬉しさが混ざったような状況に陥ったし。

 

「思春、お前は……」

「……失礼しました蓮華さま、どうぞ食事を続けてください」

「い、いや、食事よりも……、……いや。せっかく一刀が作ってくれたものだ。いただこう」

 

 あからさまに思春のことが気になっているんだろうに、ちらりと俺を見ると咳払いをする仕草を取ってからレンゲを手に、食事を進めてくれる。

 てっきり掻き込むように食べるのかなとも思ったものに、蓮華の食べ方は優雅であり静かであり綺麗だった。きちんと一口一口を味わって食べてくれて、それだけでもこう……胸の中に喜びが浮かんでくるというか、むずむずする。

 今言えることがあるとしたらたったひとつだろう。

 

(“作って良かった”)

 

 暖かなむず痒さは蓮華が食事を終えるまで続いた。……うん、続いたんだけど。口周りを拭いて一息ついた蓮華が思春に詰め寄ると、そんなむず痒さは四散した。

 苦笑いを浮かべつつ卓の上の食器を片付ける俺に、ポンと肩を叩く親父の手が大きく暖かかった。

 だ、大丈夫だよ? ちょっとだけでも味の余韻に浸って欲しかったな~とかそんな贅沢なこと思ってないから。普通、そう、普通だったんだから余韻なんて、ねぇ? はは、はははは……はぁ。

 

 

 

42/飴と……鞭ではなく練乳蜂蜜ワッフル。ようするに甘さカーニバル

 

 笑顔作戦が頓挫したものの、蓮華は「綺麗な笑顔だった」と言ってくれたので良し……でいいんだろうか。どうせなら俺も見たかったんだけどなぁ。

 ちなみに思春はもうとっくに着替えて、また気配を殺して消えている……んだと思う。なにせ気配がないからわからない。

 

「じゃあ昨日の復習から。俺が住んでいた国ではこういう文字を使ってて───」

 

 と、そんなことはさておいて。現在は呉と蜀の軍師を前にしての勉強の時間。教えるのが天の国のことでいいということなので、まずは理解力の早い軍師様たちを相手に教鞭を振るってみている。

 場所はいつも通りというべきか、俺が借りている一室。机は大きいのが一つと小さいのが一つ、椅子は三つしかないから、別の部屋から借りてきたものをそれぞれだ。

 

「ふむ……まず文字を覚えるところからかと溜め息を吐いたものだが、なるほど。北郷もこの大陸に降り立ってばかりの頃は、こんな調子だったのだろうな」

「あ、わかってくれる?」

 

 いつか桂花が子供達相手にやってみせていたように、大きな木板に紙を張り、そこに文字を連ねていくんだが。みんな難しそうな顔で眉を寄せていた。

 黒板とチョークがあればなぁと思うものの、それはさすがに贅沢……なのか? なんというか探せばあるような気がしてならないんだが。

 

「……丁度いいかも。俺、大陸のことに関してはそこまで詳しいわけでもないし、いっそ俺に当てられた時間は頭を鍛えるためのものって割り切ってもらえば」

「はぁ……頭を鍛える~……ですかぁ?」

 

 たは~……とぐったり気味な顔で言う穏に、「そう」と返して説明開始。うん、日本語……特に平仮名は皆さんには不評のようである。

 

「人間の脳はまず、“考えること”で刺激される。考えなければ使われないんだから、当然といえば当然だけど。で、この脳ってのを鍛えてやると物覚えの良さや早さが身に着いて、記憶力も良くなる」

「覚える速度が……か、一刀様っ、その、“脳”を鍛える具体的な方法はっ……なななにかないでしょうかっ……!」

 

 覚える速度に自分で不満があるのか、挙手をしてまで発言する亞莎に「うん」と返す。

 

「具体的っていっても、やっぱり“考えること”なんだ。細かに言うんだったら、“考える、声に出す、書く、聴く、読む”の五つ。それを繰り返して脳を刺激して、鍛えていくんだ」

「え……あの、一刀様? それだけでいいんですか?」

「うん、“それだけ”。けど、実際にやってみるのは難しいよ。聞いただけじゃあ簡単だって思うけどね、なにより継続させるのが難しいんだ。何事も意思が強く、根気がないと続かないものだから。でもさ、それを“授業”として受け容れれば、案外なんとかなるものなんだ。もちろん、本人のやる気も必要にはなるけど」

 

 継続は力なり、とはよく言うけどね。まずは“やろうとする気”と継続させるための根気、そして遣り遂げようと思う意思が必要だ。

 継続する力が日常ってものに溶け込めば、あとはもう当然のように出来る。俺が鍛錬を続けるみたいに、日常化が出来るんだ。

 ……問題があるとしたら、“そこまでに至れるかどうか”なわけで。

 あとは……普段やらないこと、自分だったらその方向への考え方はしない、と思うことを真剣に実行する、考えてみる、とかか。

 

「じゃあ亞莎、今から言う言葉を平仮名で書簡に書きながら自分でも復唱してみて」

「ひゃうっ!? わ、わわわ私がっ、ですかっ!?」

「ん、亞莎が。いくよ?」

「ままま待ってくださっ……!」

「だ~め。じゃあ───」

 

 わたわたと慌てる亞莎を余所に、言葉を連ねる。あまり難しいものを口にして、書けないのでは意味がないから……うん、名前でいこう。

 

「呂子明。これを平仮名にして、書いてみて」

「はうっ……あ、あの……それはつまり、これを書けないと……」

「ふむ。己の名も字に書けぬ愚か者ということになるのか?」

「ふえぇええっ!?」

「ないない、そんなことないって。もしそうだったら、字を習ってない人はみんな愚か者だろ? 冥琳、あんまりつつかないでくれ」

「ふふっ……いや、こうして誰かとともに学ぶことなど久しいのでな。それに“学校”とは難しくもあり楽しくもある場所だと言ったのは北郷、お前だろう?」

「“楽しむ”の方向が明らかに違う気もするけど、間違いだって断言できない……」

 

 くっくと笑う冥琳に苦笑を返しつつ、うーうー唸りながらも平仮名を書簡に綴っていく亞莎を見る。

 悩みながらも筆を進め、“出来ません、無理です”とは決して言わない姿勢に、なんというかこう……応援したくなる気持ちが溢れてくる。

 ……俺も、ここに来たばかりの頃からしてみれば、変わったんだろうな。誰かが、小さなものだろうが“変化を持つこと”で周囲にも影響を及ぼすっていうなら、きっと。

 

「りょ・しめい……か、書けましたっ」

 

 やがて、どっと疲れた風情で挙手する亞莎。そんな彼女の傍に寄って文字を見ると……“りよしぬい”と書かれていた。まあ……そうだよなぁ、漢文に小文字なんて無いもんな。言われてここまで書けるなら、お見事ってくらいだ。

 

「ん、よく出来ました───って言いたいところだけど、ちょっと惜しい」

「あ、えっ? まま間違ってましたかっ!? そんなっ」

「これだと“りよ・しぬい”になるんだ。ほら、漢文にも似ているようで違う文字があるだろ? それと同じで、これは“め”じゃなくて“ぬ”。“りょ”って読ませるなら“よ”は小さく書くこと」

 

 木板の前に戻って文字を連ね、事細かに説明。出来ないのが当然ってくらいの考えなんだから、間違うのは恥じゃない。問題になるのは、失敗を苦に投げ出してしまうことだ。

 

「う、うう……頑張ります……」

 

 しょんぼりとする亞莎を見て不安になるけど、早速復習をするかのように書簡に筆を滑らせているのを見て安心した。頑張り屋だなぁ……こういうところ、真桜や沙和にも見習ってほしい。あいつらは別の方向に意識が行きすぎて、こういった勉強は最初っから“わからん”、“わからないのー”で済ませそうだし。

 

(……っと、いかんいかん)

 

 ふとした時に魏のことばかりが頭に浮かぶのは、もはや癖以上のなにかだ。離れていた分だけ、頭の中が魏で埋め尽くされてしまっていることは、もはや隠しようもない事実で、隠す必要もない現実だ。

 しかしこういった場で魏のことだけを考えているわけにもいかず、俺は頭を振って“この場”に意識を集中させる。

 

「しゅう・こうきん……と。北郷、私も書いてみたが───これでよかったか?」

「えっ、あ、ああっ……えっと……おお」

 

 さすがと言うべきか当然と言うべきか、冥琳は達筆ともとれる完璧さで平仮名での自分の姓字を書いてみせていた。……うん、むしろ俺より上手いよこの字……。

 

「文句無しどころか俺より上手いよこれ、さすがだなぁ」

「ふふ、そうか。……しかし、これは確かに難しいな。見知らぬ文字を学ぼうとすることがこれほど───!?」

「うん、よく出来たな、偉い偉い。冥琳は本当にいい子だな」

「ほぶっ!?」

「ふわぁあああーっ!? かかかか一刀様っ!? なななにをーっ!?」

『あわはわわぁあーっ!!?』

 

 突如、穏がスズーと口に含んだ茶を噴き出し、亞莎が叫び、朱里と雛里が騒ぎ始め……ハテ? なに……なにを、と言ったのか? なにをって……。

 

「………」

 

 自分を振り返ってみる。むしろ今の自分を。

 “何を”もなにも、ただ冥琳の頭を撫でてるだけじゃ……おぉ?

 

「……アレ?」

「……! ……っ……!」

 

 首を傾げながらも、とりあえずは冥琳の頭を撫で続ける僕の右手。

 傾げた拍子に真っ赤になって俺を見上げる冥琳と目が合ったわけだが……ウワー、真っ赤になった顔も綺麗だー……ってそうじゃなくてっ!

 

「あ、う、うわすまんっ! なんか物凄く自然に手が出てたっ! あ、いやっ、この場合の手が出たってのは変な意味じゃなくっ……しゅ、朱里! 雛里っ! きゃーとか黄色い悲鳴をあげないっ!」

 

 な、なにやってるんだ俺はっ! 目上の人(で、いいんだよな?)の頭を気安く撫でるなんてっ! そりゃあ以前雪蓮の頭も撫でたけどさっ、これはあの時よりも明らかに状況が悪いだろっ!

 出来て当然のようなことで偉い偉いって頭撫でられて、誰が喜ぶって───と、ヒビの入った椅子とは別の椅子に座った冥琳を見下ろしてみたわけだが。

 

「…………~」

 

 ……あれ!? なんか喜んでる!?

 顔真っ赤にしたまま俯いて、文句も飛ばさずに……撫でられた頭を触って───はうあ!? 今笑った!? 小さくだけど笑った!?

 なに……!? なにごと……!? 今、公瑾さんの中でどんな混乱が巻き起こっていらっしゃるの……!? それはどういった公瑾の乱であらせられるの……!? いや待てなんだそれ。

 お、俺はただ、冥琳の中で会った小さな冥琳と約束した通り、頭を撫でただけであって……やっ、そりゃみんなが見てる前でやることじゃなかったって気づいたよ!? 気づいたけどさ! 気づいたからこそ今慌ててるんだけどさ! 仕方ないじゃないか、気づくまで本当に自然に手が出てたんだからっ!

 

「……? あ~、もしかして上手く書けたら、一刀さんが頭を撫でたりするご褒美があったりするんですか~?」

「へっ? あ……えと、そう……なのかな? たしかに“褒美”って意味では違わないだろうし……それに、頑張った人を褒めるのは悪いことじゃないから」

 

 自分の手を一度見下ろしてみて、こんなものに褒美としての価値があるのかと疑問を抱く。抱くが……

 

  “また、なでてくれる? いいこだねっていってくれる?”

 

 あんなことを言われてしまったのだ。

 そうなるとたとえ自分の身の一部であろうとも、馬鹿にしたらいけない気がしてくるんだから不思議だ。

 

(まあ、そうだよな)

 

 頭を撫でられることが嬉しかった昔がある。褒められて嬉しかったあの頃を覚えている。子供の頃のことだ~なんて否定するよりも、そうやって褒められることに一喜一憂していた自分を取り戻すことが出来れば、逆にいろんなことを学ぼうと思えるんじゃないだろうか。

 見栄なんか張らずに……いや。見栄を張ったっていい、それで前を向けるなら、子供も大人も一緒だ。辿り着きたい場所に向けて馬鹿みたいに真っ直ぐでいられる心を持ち続けていられるなら、それでいいだろ。

 

「よし、それじゃあ───」

「しょかっ……しょかつこうめい、書けましたっ!」

「ほ、ほう……ほうほほ……ほう、しげん……かかかけまし……た……」

 

 ……と、見下ろしていた手から視線を戻せば書簡を突き付けられる。顔を離して見てみれば、そこにはきちんと書かれた二人の名前の平仮名バージョン。なのだが……えーと。

 “しょかっ・しょかつ・こうめい”に、“ほ・ほう・ほうほほ・ほう・しげん”……ね……。

 

「……なるほど、言葉通りだな……」

「ひゃ、ひゃいっ!」

「ががが、がんばりっ……ましたっ……」

 

 文字でどもるって……いろいろな意味で凄いぞこれ。そして何故俺は期待がこもった爛々と輝く目で見上げられているんだろうか。

 ……撫でろと?

 

「……亞莎、あ~~しぇ」

「……? は、はいっ? なんでしょう一刀さまぁっひゃぁぁあーっ!? かかかかずっ……!?」

 

 俺の声に、書簡を睨む視線を俺へと向けた亞莎の頭を黙って撫でる。なんだかとんでもない悲鳴みたいな声をあげられたが、振り払われないのをいいことに、いい子いい子と丹念に撫で上げる……丹念に撫でるってなんだ? まあいいや。

 ともかく撫でた。きちんと心を込めて。だって、ここで朱里や雛里を撫でたら、最初に頑張りを見せてくれた亞莎が可哀想だ。だから先に、じっくりと……いつもの頑張りを労うように、やさしくやさしく……。

 

「いつもいつも頑張ってること、ちゃんと知ってるから。たまにはさ、力を抜いてやらないと倒れちゃうぞ? 力を抜いて~……? はい、脱力脱力~……♪」

「ふあっ……ふぁ……ひゃ……はぃい……!」

 

 俺を見上げる目がぐるぐると回ってきたあたりで、なんとなくだが危険を感じた俺は亞莎の頭から手を離した───途端、かくんっとその頭が垂れ、ドシャアと机に突っ伏した亞莎は……頭から湯気を出したまま、動かなくなってしまった。

 ね……熱暴走? なんで? と疑問を抱いていると、クンッと引かれる制服。

 

「………」

「………」

 

 振り向いてみれば、期待に満ちた目で俺を見上げる二人が居て───あ、あー……なんだか間違った方向に進み始めてないか? 俺はただ、学校計画の発展や脳の強化のために、教師役を請け負っただけだっていうのに。

 それが、褒美を餌に授業をさせる怪しい教師的立ち位置に納まりつつあるのはどうしてなんだ。

 

「はわわぁあ~……♪」

「…………♪」

 

 そう考えながらも撫でてしまう俺は、本当に馬鹿なのでしょうね神様。馬鹿だから、次の展開もなんとなく読めるわけですよ神様。

 

「………~♪」

 

 椅子が引かれる音を聞いて振り向いてみれば、“りく・はくげん”が微笑んでいた。

 予想通りだよ、ああ予想通りだとも。予想通りで、しかも寄ってきた彼女の頭に手を伸ばしてしまうあたり、どうやら俺は……スパルタ教師には永遠になれそうにはなかった。

 ……なりたいわけでもないけどね。


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