「な、何故だっ!? べつに見るくらい構わないだろうっ! ど、同類だってお前から言い出したのにっ!」
「え、や、ですからっ……──────恥ずかしい……じゃないですか」
「───……へ?」
え? 今なんて言った? 地味に距離があって聞こえなかった。ぼそりとなんか言ったよな?
むしろ述の口から“へ?”なんて言葉が出たことに、俺も思春も驚きを隠せなかった。
「は、ず……? え?」
「だだだ大体人の目を見て話せなんて無茶な考えですよ、なんですかあれ。べべべべつに人の目なんか見なくたって話くらい出来ますし? しょもっ……!? そ……そもそも、私はお手伝いさんさえ誇ってくれたらべちゅっ……べつに、それでっ……」
「………」
「………」
「ぶふっ!」
「笑うなぁあーっ!!」
なにかをぼそぼそと言って、述が吹き出した途端に琮が暴走。
うがーと述へと襲い掛かり、こうして……武の才は無いけど鍛錬は続けていた姉と、武の才はあるけど鍛錬はサボっていた妹が激突。
「そうかそうか~っ! あの子明母さまの娘の割りに堂々としすぎだと思った! 琮、お前はやっぱり───」
「偉大なる母さまの悪口を言うなぁぁあっ!!」
ぼうっとしている間に取っ組み合いの喧嘩が勃発。
すぐに止めようとしたけど、途端に紫苑からのアイコンタクトを飛ばされ、“止めてはいけない”という“意”を受け取る。……え? ほっといていいのかこれ───とか思っているうちに、琮も混乱しているのかいろいろと叫び、そうして途中から聞こえてきた話を組み立てるに、えー……?
1:やっぱりみんなは自分の目にしか期待していない。
2:自分たちは私にいろいろ言うのに、こちらのことなんて右から左。私だって考えて行動しているのに、自分の考えに合った行動じゃないってだけですぐ怒る。
3:じゃあもう私だって見ない。誰が何を言ってきたって知るもんか。
4:なのに例外が一人出来た。(例外=俺、らしい)
5:同じくいろいろと考えさせられた。
6:一度は目を見て話そうとしたけど、今さら恥ずかしい。(俺は眩しくて見えないらしい)
7:なので目を見ないようにする半眼はこのまま続行。
8:諦めた。なんかもうお手伝いさんだけでいいです。眩しくて見れませんけど。
9:Fin……
……とのことらしい。
ようするに、人の顔を見ずに話すようになって久しく、見たら見たで上がってしまうらしいそうで。
…………エート。
((((親子だなぁ……))))
きっとこの場に居る全員が思ったことだろう。
顔を真っ赤にして、言葉を噛んだり語尾がしぼんだりして話す娘を前に、そう思わないでいるなんてことは無理だったのだ。
「じゃあ練習だ、琮。私の目を見て話してみろ」
「嫌です知りません」
……で、喧嘩したというのに、そのことに関しては引きずることもせず、琮は口を尖らせそっぽ向き、述は困ったって顔に苦笑を混ぜた表情で琮に話しかけ続けていた。
目を見なければ普通に話せるのか? とも思ったんだけど、どうにも感情を込めて言う言葉は噛みやすいようだ。
一方は知を求め、一方は武を求めた、互いに持って生まれたかった才能が逆な娘達。これで案外、もっと互いを知れば、誰よりも仲良くなれるんじゃないだろうか。
苦笑してばかりの本日、普通に微笑を浮かべて、娘達の成長を見守ることが出来る今に感謝を。嬉しくて、二人の頭を撫でたくなるものの……今割って入るのは空気が読めてないよなぁ。むしろ未だに道着を脱がそうとする娘に、俺はどうすればいいのでしょう。
「い・い・か・げ・ん・にぃい~っ……! 脱いで、くださいぃい~っ……!」
「うわわやめろ延! 破ける! 道着破ける! 今こっち氣がろくに使えないんだから、筋肉使って全力で抵抗するほかないんだよっ! そんなんでお互いが全力で引っ張ったら……!」
「お父さんが離せばすむことですよぅ!」
「別に脱がさなくてもできますよね!?」
「病魔退散の第一歩は触診からだから必要なことです~! これ以上延を困らせないでくさいぃ~!」
「困らせるって言葉の割りになんで嬉しそうなの!?」
前略おじいさま、娘が怖いです。
まるで本当にだらしのない存在を甲斐甲斐しくも世話するお姉さんのような……!
いやちょっと思春さん!? やれやれって溜め息吐いてないで助けて!? 俺もう腕力とか握力で娘に負けるって時点で泣きそう! 今まで氣でなんとか誤魔化し誤魔化しやってきたけど、疲れているとはいえこのままじゃ力で負けた上に脱がされる!
鈴々助け───あれ居ない!? 何処っ……あれ!? もしかしてもう厨房に向かった!? 祭さんっ……も居ない!? 食事は中止じゃなかったの!? 紫苑───は、琮と述の言い争いをやんわりと宥めてるから、何かを頼める空気じゃない……! ていうか宥めながら琮の汗を拭いている。器用だ。
ハッ!? 秋蘭は!? 僕らの良心、秋蘭は───……わあ、やってきた春蘭に食事に誘われてるー。こっち見てわざわざ軽く“すまないな”って顔を見せて……じゃなくて春蘭!? 俺も行く! 行くから誘って!? ていうか華琳の前に秋蘭を誘うなんて珍し───ぁあああそういえば華琳は他の王と一緒に視察に出てた! 華琳が居ればこんな状況も鎮まるだろうに! ……って春蘭待って! 顔赤くして逃げようとしないで!? むしろまだ赤いのですか!? ともかく俺も行くから! 逃げないでくれ! 俺も行く! 行くんだよォオーッ!!
「大体ぃいっ……お父さん、はぁああ……! なにをっ……恥ずかしがって、いるん、です、かぁ……!?」
「そこは男の子というかっ……ぐぎぎ……! いろいろ意地とか事情があるんだよっ! 心配してくれるのは嬉しいけど、まだ娘に傷の手当とかしてもらう歳じゃないとか、なんかそういう抵抗感があるんだっ!」
「大丈夫ですよぅ! 延は医者ですからっ……! そんなことはっ……気にしないで、いいんです~……!」
「だったらまず力ずくで道着を脱がすところから離れろぉおーっ!!」
力の込めすぎで言葉が途切れ途切れになるほどとか勘弁してほしい。
何処まで元気なんだ宅の娘たちは。むしろこっちがもう限界なのに。
治療なら氣が溜まり次第やるからって言ったって聞きやしない。
やがて握力もなくなって、さらされる道着の下。
夏の陽の下、全力で力を込めていたこともあって汗ばんでいたそれを、赤くなりながらもなんとか留まっていた春蘭が見た時、彼女は真っ赤になって逃走した。秋蘭もそれを追うかたちで走っていってしまい……我らが良心が居なくなってしまった。
途端に誰かに挑まれるのではと警戒してしまうのは、えーと……悪いことじゃない……よな?
「だっは……はぁ、はぁっ……! ……いやほら……な? 汗もすごいし、触診したら気持ち悪いだろ、な?」
誰も襲い掛かってこないことに安堵して、力を込めっぱなしだった手をぷらぷらさせながら返すも、延さんは「そんな理由で嫌がっていたんですかぁ? 本当にもう、お父さんはしょうがないですねぇ~」なんて笑顔で仰る。何処まで俺をだらしのない存在として見たいのでしょうか。
などと溜め息を吐きつつも、自分の腹を見てみると……痣、出来てた。ああ、まあ……一応武器で殴られたし。……ええいやめなさい、重症を隠していた子供を見るような“どうしてすぐ言わなかったの”って顔はやめなさい。
「……俺もさ、一応癒しは出来るのに、娘に癒してもらいたくて怪我をしたとか思われると恥ずかしいだろ……どこぞの猫耳フード軍師とか特に」
「怪我人は怪我人です。それ以上でもそれ以下でもありません。相手が親だろうと関係ないのです」
「凛々しく言っても、力の込めすぎで汗だくだぞ、延」
「お父さんがなかなか離してくれないからですよぅ!」
ともあれ、一度はだけてしまえば“もういいや”って感じで、タオルで腹部を拭う。そこに早速とばかりに手を添える延は、やっぱり仕方ないですねぇって顔でにこにこ。器用だ。
「延はこんなふうに、辻治療とかやってるのか?」
「時間が空いていれば、修行の一環としてですねぇ。活動時間が逆転してからは、どういうわけか体調も良いですし、体も健康そのものです。けだるさが無くなるって、素晴らしいですねー」
だから何度も夜は早く寝なさいと……。といっても過ぎたことだから、今さら言うことじゃないだろう。
氣で癒しをおこなってくれることに感謝しつつ、誰か見ていやしないかと辺りを見渡してみる。
……珍しく誰も居ない。述も琮も、紫苑に促されるままに厨房へ向かったみたいだ。ちらりと見たけど汗も拭いてたみたいだし、俺も早く行きたいんだが……移動しようとすると延に回り込まれる。
こんな状態のままだと、また桂花あたりが通りすがったりするんじゃないかと警戒しても、やってくる様子もない。平和だ。
とりあえず安堵。
思春だけが待ってくれているこの場で、ようやく長い長い息を吐けた。
あー、お腹痛い。気を緩めた途端に走る痛みは、さすがは模造品とはいえど英雄の腕で振るわれた一撃。随分と内側まで響いたらしい。
「本当にしょうがないお父さんですねぇ……みんなが居なくなるまで我慢するのも、親の勤めですか?」
「努め……努力のほうの努めかな。どうせなら延にも知られたくなかったけど」
「興覇お母さんはいいんですか?」
「どれだけ誤魔化しても見抜かれるからね、無駄なんだ」
支柱警護の仕事は伊達じゃあないらしい。
「う~ん……親というのは心配事を隠すみたいですけど、見せてくれたほうが嬉しいことだってありますよぅ?」
「親の心配ねぇ……」
想像してみる。
……頭に浮かんだのは、動けないほどの重症状態の親の姿だった。
ああなるほど、親っていうのは強い。
弱さを見せず、ようやく見えたと思えばもう手遅れってパターンばかりが頭に浮かぶ。
それなら小さな弱さを少しずつだろうと見せてくれた方が安心だと思えた。
……小さな借金が洒落にならないくらいに膨れ上がって、どうしようもなくなってから相談されても困る……そんな感じに。
「なるほど、確かに隠すよりは見せてほしいな。手遅れになってからだと遅すぎる」
「はいぃ、そーゆーことです」
にこー、と笑顔でそう返す延は、熱心に氣を送って、腹部をさすってくれる。それがまた、こそばゆい。
「ハッ!?」
こんなふうにくすぐったさを感じた瞬間、桂花が!! …………居ないな。
……もういい加減、罰が重なったこともあって懲り……る気がしない。なにせ桂花だ。
俺も、華琳に言われてやるとはいえ、ああいうのは心が痛むから自重してほしいんだけどなぁ……。
なのに仕返しとばかりに落とし穴を掘るものだから、またそれで呼び出されて罰くらって、って……。あの人軍師だよね? 懲りるってことを知らないって意味では不屈の精神お見事ですって言いたいけど、こうなるってわかってても地面を掘らずにいられないのは、こう……なんとかならないのだろうか。
ええはい……地味に桂花への罰は重なっていたりする。
その度に“桂花が嫌がること=俺とアレコレ”が華琳によって決定され、夜を待たずに華琳の前で……ああもう。
「どんな感じだ?」
「そうですねぇ……骨に異常はありませんね。お父さんのことだから、他の傷も隠しているんじゃないかって思いましたけど、大丈夫そうで安心しました~」
「……地味に信用無いのね、俺……」
「娘相手だからっていろいろと隠すお父さんが悪いんですよぅ。そもそも仕事をしていることとか鍛錬をしていることも、隠していたからこじれたんじゃないですかぁ。……もっと小さな頃から甘えたいことだってあったのに。……まったく、本当にお父さんはしょうがない人です」
「申し訳ない」
けれどもそういうことがあったからこその今の関係も、もしやり直せるんだとしても無くすのは嫌だと思えるのだ。
過去の自分に“よくやった”なんて言えないような歩みだっただろうけど、諍いの上に築く信頼も、そう悪いもんじゃない。相手の良し悪しを認めた上で、それでも一緒にいる関係っていうのは……心にやさしいもんだ。そう思う。
(この都に住む人たちも、元々は争っていた人たち……なんだもんな)
戦が終わってから、こんな光景が当然って世界に生まれ落ちた人には、きっと理解出来ない世界。
こんなことがあったんだとどれだけ語られても、そんなことがあったんだと納得は出来ても、その場にあった怒りや悲しみまでもは受け取れない。受け取れたとしても……こうして辿り着いた未来を、なにも今さら引きずりだした怒りや悲しみで壊すことなんてないと、そう思える。
……なるほど、抵抗はしたものの、こうやって娘の行動にいちいち焦るのも、平和であればこそなのだ。苦笑だろうと笑みを浮かべて、受け取ってい───
「では下も脱ぎましょうねぇ~」
「待ちなさい!?」
───けないよ! なんでここで下!?
ちょっと物思いにふけっていたら、娘がいきなり恐ろしい存在に!
「お父さんのことですから、普段は絶対に見せないところなどにも傷が───」
「無い! 本当に無い! 華琳に誓って無いからやめなさい!! ああもうほらっ! 考えてみたら氣を流し込まれてるんだから、少し貰えればそれで自分で癒せるじゃないか! いくぞ延! ご飯だご飯!」
「医療より食欲なんて……お父さんは本当に、大人なのに子供みたいですねぇ……」
「だからお父さんをそういうやんちゃ坊主を見る目で見るのはやめなさい!? ほ、ほらっ、思春も行こう! むしろお願い一緒に来て!?」
俺一人でこの子を躱すのは無理です。
なんでもかんでも“仕方の無い子ね”って感じで流される。流しておいて、こっちの話なんてほんと聞きやしないよ。嫌な方向でこの世界での生き方を学んでらっしゃる。
みんなももうちょっとだけ俺の話を聞いてくれればなぁ……聞いてほしい部分だけ、あえて全力でスルーしてくるからなぁみんな。
とほほと情けない顔をしながら厨房を目指して早歩きをする俺へ、隣を小走り気味に歩く延がまだ脱がそうと───ってだからやめなさい! 歩きながら脱がすってどんな芸当!?
ともかくそんなやりとりをしながら厨房へ。
結構時間が経っていたにも関わらずみんな待ってくれていたようで───っていうか本当にみんなだ。同じ時間にこんなに集まるのは珍しい。面倒な人は大体が国ごとに用意された屋敷の厨房で食べるのに。
不思議がりながらも“たまにはこんな日もあるか”、と歩いて卓へ……座ろうという時、皆が静まって、一点を見ていることに気づいた。
目を向けてみれば、なにやらその視線は中央の卓に集中しているようで、そこでお腹を抱えて蹲る存在と、けろりとした顔……というかむしろ無表情で、ガッツポーズを取る存在が。
「うぅう……もう食べられないのだぁ……」
「……ご主人様の仇、恋が取った」
……恋と鈴々でした。
ていうか、仇って……見てたんですか恋さん。
てこてこと寄ってくる恋の頭を、ありがとうとばかりに撫でるものの……いつもながら、かなり複雑な心境だ。負けた上に強力な助っ人に頼み込んで強引に謝らせた子供のような、なんとも情けない心境。
いや、気を取り直してご飯を食べよう。
「えっと……? みんなはもう食べたのか?」
「う……はい、私はまだですが、なんといいますか、その……」
「?」
訊ねてみると、もう食べ終えたらしい愛紗がそう返してくれた。のだが。なんだか妙に歯切れが悪い。
まあそれはそれとしてと、これまた気を取り直すように食事を探すのだが……
「申し訳ありません、ご主人様。その……今、恋が食べたものが、作られたものの最後でして」
「───」
最後、って……いっつも随分作ってませんでしたっけ?
や、というか今日も誰かが精がつくものをー、とか言って作ってたりとかは?
「作ったもの全て、鈴々と恋が……」
「え……いっつもみんなの分とは別に作ってなかったっけ」
精のつく料理が部屋に運ばれてきたりして、“俺だけ一人なんて嫌だー!”とばかりに場所を厨房に移してもらってからも、それは続いたはずなんだけど……え? それも全部? この二人が?
「それも、全部。加えて言うなら、もう材料がありません」
「うそぉ!?」
材料が!? 買い物には俺も荷物持ちとして付き合うけど、それでも何往復するんだってくらいのあの量を!? や、それでも冷蔵庫がないから、長期保存が出来ないものは買わないけど……それにしたって全部って!
「じゃあ、街に食べに行くしかないのか……。ていうかみんな、どうしてこっちの厨房に? 国ごとの屋敷の厨房でも十分に食べられるのに」
「いえ、それがその……」
みんなが集まって食べるなんて本当に珍しい。
けれども愛紗の視線が、空になった皿を申し訳無さそうに見ているあたりで、とても嫌な予想がゾワリと頭に浮かぶ。
「……もしかして、他の屋敷の食材もない……とか?」
「……仰る通りです」
宴が開催されれば買い出しに行ってでも用意する都だけども、それにしたって元々の大人数だから買い置きだって結構あっただろうに! それが全部!? 各国ごとで買い出しだってしてるでしょうが! どれだけ食ったんだよみんな! ……材料がなくなるほどだったね、そうだよね……。
「その……大食い対決ということで、食べることが自慢の者が我こそはと食べ、作っては消え作っては消え……」
「……それを叱るべき王さま方は? って、そういえば朝から邑の視察に出たって……」
「はい……気づき、止めに来た頃には、もはや食材も調理したあとで……」
うわあ……。
で、残しておくという余裕も湧かないくらいに腕自慢ならぬ食自慢たちががつがつ食べて、こんな静けさに到ってしまったと……。
対決だったのに、通りで静かだと思ったよ。
「わかった。じゃあ食べてない人は俺と一緒に街に行こう」
「………!」
「恋~? 口の端にご飯粒つけながら、さりげなく挙手してもだめだぞ~」
「………」
あと、出来れば大食い対決はやめてください。
今は食材が随分豊富になったからといって、その食材のために命をかけた人々や、少量の食材のために襲われて滅びた村があったことを忘れないためにも。
……そういう場所まで辿り着けたっていう意味では、本当に……平和になったなぁとは思うけどさ。