真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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91:IF/低い視界で見るものは②

 それはある日のことだった。

 弱い自分に決別をと立ち上がった少年だったが、その心はあっさりと折れた。

 思春の予想はそれはもう的中で、少年が持つ言葉の責任は、今日までの数日しか保たなかったといえる。

 その日、少年は人にとっての最も楽な“挫折の道”を歩もうとしていた。

 子供に教えるものとはいえ、思春の鍛錬は本格的すぎた。

 

「………」

 

 疲れきった体で庭に倒れて空を見つめる少年。

 強い自分を諦めるための言い訳ばかりが頭の中を埋め尽くしていた。

 鍛えて一日目でいきなり華琳に挑み、こっぴどく負け、泣いた。

 華琳は華琳で「いつになったら戻るのよ」と顔を合わせる度に呟き、少年にはそれがどういう意味だかはわからないものの、彼女にとって自分がまるで眼中にないことだけは理解出来ていた。

 子供は大人の行動や視線には敏感だ。

 だから、自分がまるで必要とされていないことも理解出来ていたし、それなら振り向かせてやるとムキにもなったが……結局は子供がきゃいきゃいと騒ぐ程度の出来事で片付けられてしまう。

 

「……いてー……」

 

 体中は筋肉痛。

 ふと冷静になれば、なにやってんだろと呟きたくなる。

 華琳を倒すためにと張り切ってはみたが、結局は思春にも負けて、情けなさに気が遠くなる。

 結局……自分は手加減されていたのだと。

 自分が育った場所でも手加減されていたのだと、ひねくれた想像をしてみれば、頑張る理由はどんどんと蝕まれていった。

 頑張っても無駄なんじゃないか。

 そんなことに時間を潰すくらいなら、友達と遊んでるほうが楽しいだろ。

 自分を正しく許してやりたくて、都合のいい言い訳がぽろぽろと零れ出る。

 

「……あ、あほ───」

 

 アホらしい。

 その一言を呟いて全部やめてしまえばいい。

 そして家に帰ろう。

 もう剣道なんてやめて、負けない理由を作ればいい。

 

「………あれ……?」

 

 そう思ったのに、思った瞬間に華琳の言葉が思い返された。

 

  “二度と負けたくないからと、得物を捨てるかと思った”

 

「───!」

 

 思い返されたら、自然と涙が出てきた。

 それはとても悔しく、言葉通りに武器を捨ててしまえば本当に華琳に負けてしまうことを意味している。幼いながらも、それが理解出来ていた。

 

「~っ……ちくしょう……!」

 

 仰向けだった体を横にして、丸くなって涙した。

 歯を食い縛って目をぎゅっと瞑って、声を殺して。

 クラスメイトに見られたらなんて言われるだろうか。

 だっせぇ、と言われるのが簡単に想像できた。

 けれども、彼らは何度も立ち上がる漫画の主人公に憧れる。

 主人公はどうして立ち上がるんだろうか。こんなにも辛くて、面倒くさいことを前に。

 こんなの、痛くて辛いだけだ。

 “ほんのちょっとの自分のため”を理由に、世界中の我が侭を一つの体で叶える人形。

 英雄は、世界ってものに操られる人形だ。

 それに気づいた時、いつからか英雄というものが可哀相に思えた。

 

「………」

 

 隣の少女を守りたくて強さを求めた子供が居た。

 子供は強くなって、困難にぶつかりながらも成長して、やがて青年になった。

 青年はただ強いからって理由でモンスターを倒さなきゃいけなくなって、その強さがいつの間にか世界に認められて、魔王と戦わなきゃいけなくなっていた。

 青年は魔王を倒すことが守りたい少女を守ることに繋がるのならと立ち上がって、魔物を倒せば感謝されて、倒せなければ見下された。……自分ではなにもしない村人たちに。

 ひどく惨めでちっぽけな人生だなと思った。

 少女の隣で少女だけを守っていればよかったのにと何度も思った。

 いつしか魔物を倒すのが当然で、感謝すらされなくなった青年を見て……英雄はただの操り人形であることを理解した。

 

「………」

 

 涙を拭う。

 自分は操り人形にはなりたくない。

 守りたいものは自分で決めるし、戦う理由だって自分で決める。

 悔しさの底に居るような気になっていた一刀だったが、英雄の在り方を思い出すと、目に力を籠めた。“自分で決めたことくらいは貫こう”と。

 

「……いらない……」

 

 立ち上がる。

 体が筋肉痛で痛むが、無理矢理に立ち上がる。

 指差されて笑われたっていい、もう気に……するかもだけど、気にしない。

 痛くたって構わない、辛くたって強くなれるなら我慢しよう。

 だから。

 

「格好いい自分なんて……っ……いらないっ……!」

 

 食い縛った歯の隙間から押し出すように呟いた。

 思い出したのはいつかの日。

 同年代の男に剣道で勝って天狗になり、祖父に挑んで無様に負けた。

 言い訳をいくら並べようとも悔しい気持ちは消えないで、そんな少年に祖父は言った。

 “泣くほどに悔しいことが起きたら、その場でそれまで持っていた格好よさなぞ捨ててしまえ”と。

 “どこまでも格好つけたいのなら、どんな理由があろうと誰かを守り、女は優先して守り、誰かに乞われたなら馬鹿のように救っていろ”と。

 意味はわからなかったが、それでも言葉だけは覚えていた。

 けれども、その意味もたった今わかった。

 

「………~……」

 

 ぐしぐしと腕で涙を拭い、鼻をすする。

 格好なんてどうでもいい。いつか勝てるなら何度だって負けてやる。

 そして、負かしてやったら言ってやるんだ。俺のほうが強いだろって。

 

「つっ……うくっ……い、いたくないっ……! あ、ちが……い、いたいっ……!」

 

 少年は格好良さより勝利を選んだ。

 世界に利用されるだけの英雄よりも、自分の意思を貫く悪を選んだ。

 男だから痛くないと我慢するより、素直に受け取って痛いと呟き、泣いた。

 

  そう。それは、本当に些細なタイミングで……

 

 出てくる涙を何度も何度も拭っては、大声で泣く。

 一頻り泣いたら、もう一度さっきのねーちゃんに稽古を頼むつもりでいた。

 

  心がまだ回復し切っていない少年の元へ───

 

 やがてようやく涙や荒れた心が治まりを見せ始めた頃。

 一人の少女が、その場へと現れた。

 

「まったく、七乃のやつめ、妾をほったらかしにして何処へ行きおったのじゃ……。主様もおらんし、誰に訊いても答えもせぬしの……」

「!!」

 

 美羽……袁術であった。

 自分より少し大きいくらいの女性の来訪と、大声で泣いていたことに羞恥心を感じた一刀は慌てて涙を拭おうとするが、既に何度も拭ってびしゃびしゃの服では拭い切れるわけもなく。

 

「うみゅ? これお主、そんなところでなにをしておるのじゃ?」

 

 咄嗟になんの対処も出来ない自分に情けなさを感じてしまえば、治まりかけた嗚咽がまた溢れた。そんなタイミングで美羽に見つかってしまい、せめてそっぽを向いてやりすごそうとした。

 

「あ、う……な、泣いてるんだ、ほっといてくれ」

 

 けれど素直に生きようと決めたばかりだったことを思い出して、震える喉でそう言う。

 それを聞いた美羽は「それはまた随分と勇気のあることよの」と呟き、放っておくどころか傍に寄り、座り込んで泣いている一刀の顔を自分に向かせると、雑ではあるが自分の服の袖で一刀の目を拭ってやった。

 

「あ、な、なにしてんだよっ!」

「む? 涙を拭っておるのじゃが?」

「いいよっ、やめろよっ! 流すだけ流すって決めたんだ! おれっ……俺は、まだ強くないから……弱いうちに……ひぐっ……うっく……流すんだから……!」

「おお……なにやら困っておる顔が主様によく似ておる孺子じゃの」

 

 実は数日で治るということで、詳しい話を聞いていない美羽。

 七乃は面白がってあえて話そうとしたのだが、それはもう当然とばかりに華琳に止められた。無駄な騒ぎを広めるなと、ぴしゃりと。

 

「主様も泣いてしまえば斯様な顔になるのかの……う、うみゅう……」

 

 何も知らない美羽が目の前の子供を一刀だと思える筈もなく。

 少年の泣き顔を見て、自分が困らせ、泣きそうになっていた一刀の顔を思い出してしまったら構わずにはいられなかった。……いられなかったのだが、どう接すればいいのかがわからない。

 人付き合いに慣れてきたつもりではあったが、それもほぼ一刀が居たからこそであり、現在その一刀は居ない上に目の前で泣く存在は子供。

 自分の方が年上なのだからしっかりしなければと、妙な使命感が湧くには湧くのだが空回りしているようだった。

 

「うみゅ……そうじゃの。泣きたい時はたんと泣くのが一番じゃ。遠慮せず泣くがよいのじゃ」

 

 いろいろ考えてはみたものの、やはり泣かせておくのが一番だと思ったらしい。

 しかし泣けと言われて泣けるほど、子供というのは───

 

「うぐっ……うっ……うぁああ……」

 

 ……素直でした。

 泣き顔を見られたことに情けなさを感じるままに泣き、自分の未熟にも泣き、子供な自分にも泣き、そういういろいろな鬱憤を全部吐き出すつもりで少年は泣いた。

 その包み隠さぬ泣き様を、美羽はただ見守っていた。

 

「……我が侭ばかりはいかぬと思っておったが……素直に泣くことは我が侭とは違うもの……よな?」

 

 ただ周囲の人の気を引きたくて泣いているのであれば、美羽だって大して構いはしなかっただろう。けれど少年は自分の情けなさを認めた上で泣いていた。だから、根気良く泣き終わるまで待とうと思っていた。

 自分が泣いた時は、一刀がそうしてくれたのだからと。

 

……。

 

 どれほど経ったのか。

 いい加減体中の水分が無くなるんじゃないかと思うほど泣いた少年は、鼻をすすりながら美羽を見ていた。

 

「………ぐすっ」

「おお、泣き終わったかの?」

 

 涙を拭ってやった美羽の袖もびしゃびしゃだ。

 それを申し訳ないと思ったのか、少年は頭を下げた。

 口を開けると意味も無く泣いてしまいそうだったから、口は開かなかった。

 

「構わぬのじゃ。妾も失敗続きの際には、主様の胸を濡らしてしまうが……主様が怒ったことなど一度もないからの。うむうむ、やはり主様は偉大よの」

 

 目を伏せ腕を組み、どこか誇らしげにうんうんと頷く。

 そんな少女の姿を前に、少年はなにやらもやもやとしたものが浮かんでくるのを感じた。

 

「ほれ、立ち上がれるかの?」

 

 促されるまま、差し出されるままに手を掴み、立ち上がる。

 途端にふらつく自分の足に驚いて、泣くのって随分と体力使うんだなと思いながら……ぽすんと支えられた。

 

「……えわっ!?」

 

 閉ざしていた口から出る、悲鳴にも似た驚きの声。

 バランスを崩したまま倒れるのかと思いきや、目の前の少女がぽすんと抱き止めてくれたのだ。丁度、彼女の肩に顎を乗せるような形で。

 ……しかも口を開けてしまった途端に漏れてくる嗚咽がまた、てんで自分の思い通りに治まってはくれず、また泣き出してしまう。

 

「お、おぉおお……? な、なんじゃ? また泣くのかの? ……やれやれ、仕方の無い孺子よの。胸を貸してやるから存分に泣くが…………う、うみゅ? こういう時は肩を貸すというのかの? しかし肩を貸すでは、倒れそうになった者を助けるような…………おおっ、間違ってはおらぬのっ! 肩を貸してやるのじゃ!」

 

 答えは得たとばかりに元気に言う少女。

 少年はそんな、何処か抜けた調子とやさしさ、そして自分が暖かさに包まれている事実に促されるまま、もう一度泣いた。

 溢れてくるのは羞恥と安堵。

 そこから羞恥なんてものを無くして、安堵だけを受け入れる。

 自分でも少女を抱き締め、思い切り甘えるように泣いた。

 

……。

 

 ……やがて、今度こそ涙も涸れると、通った鼻が少女の香りを拾い、途端に恥ずかしくなる。しかしどうしてか少年の手は抱き締めた少女を離したくないらしく、抱き締めたままに硬直する。

 

「…………」

 

 顔が熱い。

 恥ずかしい、のは確かだ。

 けれど、それだけでこんな風になるのは初めてで……恥ずかしいのだけれど、離したくないという奇妙な状態に陥っていた。

 

「んむ、もう泣き止んだの。まったく、いったいどれほど泣くのかと思ったぞ」

 

 少女は少女で、自分よりか弱い存在を見つけたとばかりにお姉さんぶりたい部分もあって、ぽんぽんと少年の背中を撫でていた。

 その感触が気持ちよく、ずっとこのままで───なんて考えたのだが。

 

「………………!」

「!?」

 

 彼女の肩から見る景色。

 その先に、目をゴシャーンと輝かせ、自分を見ている女性が居ることに気づくと、慌てて少女から離れた。

 

「うみゅ? どうしたのじゃ突然。もういいのかの?」

「あ、う、うしっ、うしろっ……」

「? ……おおっ、七乃っ」

 

 そう。七乃である。

 “抱き合う美羽と一刀”に目を輝かせていた、七乃である。

 

「そう……そうですか。これは盲点でした……! 心が少年の頃に戻るなら、その時にいろいろやってしまえば大人に戻った際にもその記憶が……!」

「お、おー……? これ、七乃? 七乃ー……?」

「現時点、一刀さんはお嬢様のことを可愛い妹のように見ているようですから、そこに少年期からの恋心を加えてしまえば……! ああっ、どうして今までこんな素晴らしいことを思いつかなかったのかっ!」

 

 目をきらんきらんと輝かせ、突然ハッとした七乃は美羽の前から一刀を攫い、離れた位置でヴォソォリと会話を始める。

 

「実はですね一刀さん。お嬢様は強くて包容力のある人が好きでしてね」

「おじょ……? だ、誰だよそれ」

「あらあら顔が赤いですねー。わかっているのに訊くのは野暮ってものですよ。あそこに居る、袁術さまのことに決まっているじゃないですか」

「……へ、へー……。あいつ、えんじゅつっていうのか」

「泣いているところにやさしくされてコロリですか。案外ちょろいですね」

「な、なにがっ───…………うぅう……」

 

 素直に生きようとしたことが、いろいろと彼を苦しめていた。

 が、もしこれが恋とかそういうのだったとするのなら、素直に生きなきゃ変われない。

 そう思った少年は、一度目を閉じてからクワッと開き、認めた。

 

「そ、そうだよっ! なんか知んないけどあいつのことが気になってるよっ!」

 

 この頃の子供なんて、無自覚に女と一緒に居るのはダサイと思うものだが、少年はむしろ一緒に居たいと思っていた。

 なんとか気を引いて自分に話し掛けてほしいとも。

 ……ようするに自分から話し掛ける勇気が沸いてこなかった。

 妙なところで勇気が無いのは昔からだったようだ。

 

「はいっ、素直で大変よろしいですっ。けれどあなたは残念ながらお嬢様には好かれてません」

「えぇうっ!? ……そ、そうだよな……泣く男なんてダセェもんな」

「いえいえそういうことではなく。以前のお嬢様でしたら情けないとか言っていたかもですけど、今のお嬢様はなんというかこう、以前にはなかった包容力がありますから。……全部“主様”の影響でしょうけど」

「? ぬしさま? そういえばあいつも言ってたな。なんなんだ、それ」

 

 直感からか、少しムッとした表情で言う。

 七乃はそんな少年の嫉妬ににんまりと笑みつつ、「お嬢様が気になっている存在です」ときっぱりと言った。……嘘ではない。

 

「…………」

「~……!!」

 

 その時の少年一刀の落ち込み様といったら、七乃が体を震わせるほどに可愛かったという。思わず抱き締めたくなる衝動に駆られるが、それは我慢。

 

「い、いえいえっ、気になっていることは確かですが、ようするにあなたがその“主様”より強く包容力のある人になればいいんですよ」

「…………俺がぁ……?」

 

 泣いたことやショックなことで、重すぎる頭を垂れたままにじろりと七乃を見る。

 そんな彼ににっこりと邪悪な笑みを浮かべ、「はい」と返す七乃さん。

 それからは言葉巧みに一刀の心を誘導し、放っておかれた美羽が手持ち無沙汰でおろおろとし始めた頃。

 

「俺っ、強くなる! 強くなって、好きな奴くらい守れる男になるんだ!!」

 

 ……洗脳は、完了していた。

 その頃には芽生えそうだった恋心は無理矢理開花させられ、これは恋なんだと結論づけた彼は早速駆けた。

 ……どうせすぐに諦めるだろうとタカを括っていた、思春のもとを目指して。

 

「……子供は素直でいいですねー」

「おぉ? 七乃、話は終わったのかや?」

「はいお嬢様っ、これできっと一刀さんはお嬢様にめろめろですっ」

「めろめろとなっ!? …………よくわからんがよい響きじゃのっ! ところでその主様じゃが、今はどこに───」

「さあお嬢様、ここでこんな話をしている場合じゃあありませんっ! 一刀さんの方向性を磐石のものにするためにも、これからの接し方を勉強しませんとっ!」

「ほわぁっ!? こ、これっ! 急に引っ張るでないっ! それよりも妾は主様が何処におるのか───おぉおおーっ!!?」

 

 引きずられるままに去っていった。

 本日もいい天気。

 そんな晴天の下で、少しずつだが様々な感情が動き始めていた。


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