恋。
生きていれば大体は耳にし、目にもする文字。
子供の頃は好きなんて言葉は面白いように口に出来て、多分今でも口にするだけならば楽なこと。しかしそれを、心を込めて相手に伝えるのは気恥ずかしく、難しい。
いつだって正直にモノを伝えるのは難しいものなのだ。
「んー……」
「むぅ……? どうかしたのかの、主様」
先に部屋に入った俺のあと、しばらくしてから辿り着いた美羽は、寝台の上に寝転がっていた俺へとダイヴ。
慌てて片手で受け止めた先で、こうして寝台に座りつつ、ぼーっとしていた。
見下ろせば、足の間に座り、後頭部を胸に預けてくる美羽が振り返るようにして俺を見上げている。そんな美羽の髪に指を通すようにして、頭を撫でる。
返す言葉は「なんでもない」だけ。
我慢なんて慣れっこだ、辛くてもそれを日常にしてしまえば、いつかはこの恋心というものも落ち着きをみせるだろう。
それはとても惜しいとは思ったが、今は国に返すために歩く時。
我慢を無くすのは、もう少しあとでもいいよな。
そう思ったら少し心が軽くなって、“少し”以外の想いを美羽を抱き締めることで発散した。抱き締めるといっても言葉通りで、片腕でぎうーと抱き締めるだけ。
「なぁ美羽。俺っていろいろと難しく考えすぎか?」
「なのじゃ」
即答だった。ちょっとショック……。
「主様は妾に“きちんと考えてから答えること”を教えてくれたがの、あーうー……その、なんじゃ。主様の場合は考える時間が長すぎー……る、のじゃ? あ、あー……みみ皆のため国のため、己のためと考えてくれるのは……むむ、なんじゃったかの……おおそうじゃ、う、嬉しいことではあるがの? ももももそっと、その……軽く考えられる部分を増やすべきじゃ?」
「って、七乃あたりに言われたのか?」
「何故わかったのじゃ!?」
「わからいでか」
ところどころが無意味に疑問系だった美羽の話を聞くに、確かにと頷ける部分が何個もあった。難しく考えすぎなのはよ~くわかってるんだ。つまり、ああ、なんだ。こうやってまた考え始めるクセを直せってことだよな。はい終了! そもそも前にも冥琳に言われたじゃないか、俺は難しく考えるよりも自然体でいたほうがいいって。よし、自然体自然体~……!
「うん。じゃあ難しく考えるのはやめよう」
「うむっ! では主様っ!」
「ああっ! 寝るかっ!」
「なんじゃとっ!? ねねっ……眠る!? 主様はもう寝るのかっ!?」
「なんか今日は体がだるくてさ……遊んでやりたいのはやまやまなんだけど、瞼が重い」
油断してると話の最中でも寝てしまいそうなほどの、凶悪な睡魔。
このまま後方にぽてりと倒れれば、のび太くんのように素早く眠れるという確信がある。自然体を目指すのならば、もはやこの北郷、堪えることもやめて眠りたいのでございます。
コマンドどうする?
1:このまま寝る
2:ちゃんと寝転がって寝る
3:頬を叩いてでも起きてる
4:美羽と遊んでから寝る
5:この身を重い睡魔が襲ったとて、この俺を止めることはできぬゥウウ!!
結論:1(5は無視で)
「うずー……」
「ふまうっ!? ぬぬ主様っ!? 重い、重いのじゃーっ!!」
「……ふおっ?」
結論が出た途端にオチていた。
自然と脱力し、体が前へと倒れるもんだから、足の間に座っている美羽を圧迫してしまった。
「あ、ああ、ごめんな美羽……いや、思いのほか眠くてな……」
「むうっ……主様は働きすぎなのじゃ。だというのに次から次へと仕事仕事と、これでは妾とちっとも遊べないであろっ!」
「判断基準が遊びなのはどうかと思うぞ」
思わずツッコミを入れてしまうが、美羽はそんなやりとりだけでも楽しそうだった。
かつての袁家がどれほど偉く、美羽がどんな生活を送っていたのかは……正直な話、知識で多少は、という程度でしか知らない。
訊いてみたところで、胸を張っていろいろと教えてはくれるのだが……目が語っていた。その生活は今ほど楽しくなかったと。我が侭放題で暮らせる日々よりも、自分の傍で自分を理解してくれる者が居る生活。そういったものに、密かに憧れていたんじゃないだろうか。もっとも、そういう感情も、袁家で暮らすことが当然であるうちには気づけなかったのだろうが。
そんな美羽が今、俺の両腕……は無理だから、右腕を掴んで自分の体の前に持ってくると、抱き寄せるようにして笑む。寒い日にコートを引っ張って身を包むような様相なのだが、顔はとにかく楽しそうだった。
子供が出来たらこんな感じなんだろうかなぁなんて思うと、自然と顔が苦笑を作る。
美羽に対して失礼だろって思う心と、子供のことを考える自分に対しての心が混ざった結果がそれだ。……子供が欲しいんだろうか、なんて考えが頭に浮かぶと、支柱になったことや三国の父とか呼ばれたことを思い出す。
(出来れば友達でいたい、なんて考えはもう通せないよなぁ……)
みんなの前でした宣言を思い返すと“早まったかも”って言葉が浮かんでは消える。
自分の中で決めた覚悟のひとつなんだから、受け入れて然るべきものだ。
しかしまあ考えてもみよう。
友達として接してきた人達と子孫を残すために子種を提供する。
しかもそういう流れになってからと自分で言ってしまっている以上、俺はどこかで“友達以上”になることを望んでいたのでは?
(周りの受け取り方がどうあれ、これじゃあ本当に種馬だ)
ああもう、考えないようにすればするほど沈んでいく。
寝ないようにと気張れば気張るほど、睡魔に負けそうになるような気分だ。
(子供か)
璃々ちゃんと遊ぶのは楽しかった。
久しぶりに、なんというかこう……学生としての自分を出せた気がした。
国に返そうと気を張る毎日に、無意識に疲れていたんだろう。
咄嗟に息抜きをする方法さえ浮かばなかったのがいい証拠だ。散々サボっていたかつての自分が、どういう方法でサボっていたのかさえ咄嗟に浮かばなかったのだから。
「よし美羽っ、遊ぶかっ」
「お、おお? よいのか? 主様、疲れておるのじゃろ?」
「大丈夫! 努力と根性と腹筋でなんとかする!」
「腹筋!?」
なら、もっと遊ぼう。
真面目になるのもいい。けど息抜きだって必要だ。
国に返す時だと気張り続けて、ある日突然倒れてしまいましたでは仕事を回してくれる人達に責任を感じさせてしまう。
それ以前に休めとツッコまれるだろうが、いっそわざとらしいとさえ感じるくらいの“楽しさ”が無ければ、いくら仕事に達成感や充実感を感じていてももろいものだと思っている。
……そうじゃなきゃいつかの日の魏王さまは、徹夜してまで仕事を終わらせて時間を作ったりなどしなかっただろう。
なので遊んだ。子供が、己の限界まで遊ぶ時のように。
もちろん着替えてから、周囲に迷惑がかからない程度の騒音……もとい、賑やかさで。
……。
……ハッと気づくと、美羽を抱きかかえながら椅子で寝ていた。
意識が覚醒すると景色が明るいことにも気づき、窓から差し込む光が朝であることを教えてくれていた。
「………」
腰が痛い。
椅子と美羽に挟まれるカタチで眠っていた所為か、血が足に溜まり、体勢も変えられなかった所為で腰が痛んでいる。
動くとメシミシと軋む手応えを感じ、これをほぐすために少しずつ腰を動かした。
で、上手く痛くならない力加減を探しながら、もぞもぞと動き出すと……ふと視線を感じて顔をあげる。
「………」
「………」
目が合った。
朝陽に集中するあまり気づけなかった視線と自分の視線がぶつかる。
ハテ? これは幻覚か?
昨日、その姿を求めていたものが視線の先で腕を組んでムスッとしてらっしゃる。
「…………お、おは……よう?」
「ええ、良い朝ね、一刀」
幻覚じゃなかった。
「んん……ごめん、ちょっと体勢が悪くてよく眠れなかったみたいで……意識がはっきりしてない」
「ええそうでしょうね。だからこそ訊きたいのだけれど、一刀?」
「ん……なんだ?」
閉じた瞼を軽くこすりつつ、華琳を見やる。
なにやら尋常ならざる力の波動がモシャアアと滲み出ている気がしてならないが、言葉にした通り意識がはっきりしていないだけだろう。だからハッキリしてくださいお願いします。
「あなたは意識がはっきりしないと、朝から女を膝の上に乗せて腰を動かすのかしら?」
「…………ホエ?」
…………え?
言っている意味がよく解らないんだが……え?
腰を動か───はうあ!?
「いやっ! これはただ体勢的なものの所為で腰が痛くて、だから腰の体操をっ!」
「だとしても女を乗せたまま腰の体操をする男が何処にいるのよ!」
「ここに居てごめんなさい!!」
言われてみればそうだった! まだ寝てるからって、膝から下ろすって選択をしなかった俺に馬鹿野郎を届けよう!
「けど待て違う! 腰はあくまで体操で動かしていたんであって、べつにそんないかがわしいことは一切してないって! 昨日は美羽と遊び通した所為で、そのままストーンって眠っちゃったから腰が痛くて!」
「………」
「あ」
力の波動の質が変わった。
モシャアアと出ていたオーラ的な何かがこう、体に纏わりつくような“白くべたつくなにか”風なものに変わった。つまり殺気が纏わりついている。いや、ナメクジの老廃物じゃなくて、表現的な意味で。
「へえ、そう。片腕しか使えないあなたのためにと走る部下を労いもせず、あなたはこの部屋でそれと遊んでいたの」
「ア、イエソノー……ししし自然体がもたらした結果と申しますか……! あっ……もちろん勉強も済ませたぞ!?」
「当たり前でしょう? それすらしていなかったらとっくに首が飛んでいるわよ」
「……だから、いっつもどこから出してるのさ、その鎌……」
ジャキリと構えられた絶を見て、背筋を凍らせた。
だって目がマジなんだ、凍りもする。
しかし華琳は「まあいいわ」と言うと、「早くそれを下ろしなさい」と命じてきた。
……まあ、人と……王と話をする姿勢じゃないよな。
頷くと椅子から立って、持ち上げた美羽を寝台に運んで寝かせる。
そうしてからフランチェスカの制服に着替えると、華琳に向き直ってこれからのことを話し合おうと───したんだが、向き直った矢先に机に座るように顎で促された。
「……?」
首を傾げるが、今は逆らえる状況じゃない。
大人しくすとんと座り、どんなことを言われるのかと緊張していると……その足の間にすとんと座る、覇王さま。
「………」
「………ぷふっ!」
「……!」
「あだぁあああだだだだごめんごめんごめんなさい!!」
そんな行動に思わず吹き出すや、華琳が俺の太腿を抓った。
でも、だって仕方ない。
こんな、縄張りを取り戻すために怒った猫みたいな反応をされちゃあ、オチない男のほうがどうかしている。
太腿を放してくれた華琳は胸の前で腕を組みつつ、ぷんすかした様子のままに「大体あなたは私のものである自覚が……!」とぶつぶつと言っている。
自覚なら十分持っているが、今この時に言ったところで無駄なんだろうなと俺の経験が教えてくれた。俺の考える所有物としての定義と華琳の定義とでは違うだろうし。
「………」
「………」
なので自然と言葉も無くなる。
華琳の呼吸に合わせて静かに吸って吐いてをする俺は、特に急ぎの用があるわけでもないので華琳の気が済むまでこうしていることにした。
明日は祭りだというのに、のんびりとしたものである。
これが学園祭とかだとみんながみんな競うように騒ぐもんだけどな。
「なぁ華琳。祭りの準備のほうはどうだ?」
「問題ないわ。間違いが起こらなければ余裕で間に合うわよ」
「そか。で、その間違いっていうのは……」
「誰かが物を壊したり、体調を崩したり、怪我をしなければ平気ということよ。もちろん祭りをするにあたって、それぞれの役回りには代役をつけてはいるけれど、巻き込まれて台無し、なんてことになれば目も当てられないでしょう?」
「あー……そりゃそうだ」
なにせこの世界の将の皆様は、なにかっていうと誰かを巻き込んで困った事態を起こすのが好きだから。よく巻き込まれているこの北郷一刀が太鼓判を押します。
「祭りで思い出した。勝者への賞品とかって考えてあるのか?」
「勝者というよりは国に対するものね。国と国とで戦い、勝利数の多い国を、とね。大体、勝者全てに褒美をあげていては、苦手分野ばかりの者が何も得られないじゃない」
「む。そりゃそうだ」
だからこその国への賞品か。
……や、だからその賞品がなんなのかをだな。
「で、その賞品って?」
「国の皆で相談してもらい、用意出来るものを用意するわ。可能な限り、どんな願いでも一つだけ、というのも面白そうじゃない」
「そりゃまた勇気が要る賞品だなぁ……あれ? じゃあ魏が勝ったらどうなるんだ? と、つまりこういうことか? どの国かが勝ったら、負けた二国から望むものを貰う、とか」
「ええ、その通りよ。もちろん無茶が過ぎるものは却下。関係を壊したくてするわけではないのだから、まだ笑って済ませられるものを頂くだけよ」
「へぇえ……いいな、それ。適度に緊張出来て」
「そう? まあ、魏が万が一にも負けたなら、あなたもいろいろと覚悟するのね」
「へ? それってどういう───」
覚悟って……ハテ?
首を傾げる俺を見て、ニヤリと笑う華琳はその表情の通り可笑しそうに言う。
「期限を設けるのであれば、人を賞品にすることも可能ということよ。他国が賞品として一刀を選べば、あなたは文句の一つも許されずに他国へ行かなければならない。子種が欲しいと言われればそうするしかないと言っているの」
「ななななななんだってぇええーっ!?」
お、俺のっ……俺の自由はいずこっ!?
あ、い、いやっ、逆に考えるんだっ! 勝てばいいんだ勝てば!
大体、もし負けたからって、相手が俺を望むかどうかなんてわからないしネ!?
そうだよそう、そうじゃないかアハハハハ……ハ……は………なんだろ、笑えない……。
でもな、国のみんなで話し合って決めるなら、その線は薄いよな。
くそう、こんな時ばっかりは他国に桂花が居ればと思ってしまう俺は異常か?
分裂できないだろうか、あの軍師。こう、ゴワゴワと。無理だな。本気で落ち着け、俺。
「か、かかか勝ったときのことを考えよう! いや、みんなが嫌ってわけじゃないけど、賞品状態で無理矢理行かなきゃいけないってのはなんか嫌だ! 行くなら自分で、全力で笑いながら行きたい!」
「それだけ言えるのなら、他国の誰か一人とでも寝てみせなさい。言ったでしょう? 私は私が認めた者がくだらない男の子を宿すことを良しとしない。したくもないのよ」
「や……そもそも俺、手と手を繋ぐ礎になりたいとは誓ったけど、子を宿すための糧になるつもりはなかったぞ……?」
「より一層の同盟という名の結束の手を繋げるのに、あなたが必要だと言っているの。私たちが認める支柱というのはつまり、そういうもののことよ。やさしいだけでは足りないの。皆が認めていて、あなたならばと頷いたからこそ都の話が纏まったんじゃない」
「うぐっ……そりゃ、そうなんだけどさ」
こんな時、じいちゃんだったらどうするかなぁ。
……“男ならば誓った言葉に関連するもの全てを汲んでみせぃ!”とか言いそうだ。
誤解を生ませるのも、明確な言葉を伝えなかった責任である。
ならばそれら全てを抱いて進む。それこそ男。
…………男って損な生き物だなぁちくしょう。
「わかった、一応覚悟は決めておくよ……」
「まったく、魏の子たちには例外なく手を出したのに、なにをそんなに躊躇しているの?」
「いろいろと事情があるんだよ……みんなとは友達として接してきたし、それを急に抱けとか言われたって出来るもんか」
「あら。魏の子たちには出来たじゃない。乞われれば部下にも手を出すくせに」
「……手を出したからだってば」
「? なに? よく聞こえなかったわ」
「なんでもないっ」
華琳にとっては、俺はあの時消えてから戻ってきたってだけなんだろうか。
まあ、一年は経ってるんだからいろいろと考える時間はあっただろう。
しかしまあなんというか……自分のであるのなら、誰に手を出してもいいって考えはどうなんだろうか。懐がでかいなぁって思いはするものの、かなり複雑だ。
「………」
俺はこんなに好きなんだぞー、とばかりに、わしゃわしゃと髪の毛を掻き混ぜるように撫でた。……ええ、めっちゃ怒られました。でも膝から降りるつもりはないらしい。
(……おかしいよな、俺。もっと独占してくれてもいいんだぞーとか思ってる)
なんて言えばいいんだろうか。
もっと求められたいって言えばいいのか?
こうして膝に乗っかることが、まさか華琳の精一杯の独占ってわけじゃないだろうし……うーん、一度でいいから思い切り甘えられてみたい。
そんなことを思いつつ見下ろす華琳の耳は、いつからかずっと赤いままだった。
(?)
熱でもあるのかなと思いながらも頭を撫でる。
掻き混ぜたこともあって嫌がられたが、それがやさしいものだと知ると抵抗もなくなった。
いつでもこうして寄りかかってくれると嬉しいんだけどなぁ。
それは贅沢か。うん。
じゃあ、話を変えてと。
「華琳はこれから用事は?」
「昨日のうちに済ませたわね。あとはそれぞれの最終確認が残っているだけだけれど、それは周りが終わらせてからでないと回ってこないことだから問題はないわ」
「へぇええ……」
さすがは覇王様、行動に澱みがない。
それなら久しぶりに訪れた休憩時間を有意義に過ごせばいいのに、と言いそうになるが、なるほど。澱みがないからここに居るって……受け取っていいんだよな? 勘違いだったら恥ずかしい限りだ。いや、恥ずかしくてもいいや、素直に嬉しいし。
(あー……華琳だ……華琳だなぁ……)
強くなりすぎない程度に彼女を抱き締め、椅子の背もたれに深く沈む。
自然と華琳の頭が俺の胸に預けられるカタチになるが、華琳はとくに抵抗はしなかった。
深く息を吐き、吸えば華琳の香り。
おかしな話になるが、そんな香りがひどく心を落ち着かせた。
昨日アレコレと考えていたというのに、こうして抱き締めているだけで心が落ち着くのだ。我ながら現金というかなんというか。
しかしながら相変わらず、髪に鼻を埋めて香りを嗅ごうとすると、デシンッと額を叩かれた。まあ、自分の匂いをまじまじと嗅がれて喜ぶ人なんてそう居ないよな。