103/慣れてもできないこともある
筆を走らせる音が自室を支配する。
鍛錬も結構だが、やっぱりやらなければいけないのが仕事。昨日の鍛錬の疲れがミシミシと体を蝕んではいるものの、本日の仕事は警邏ではなく書簡整理だからまだいい。
それに“やらければいけない”と義務的な意味で言ってはみるものの、前にこの世界に居た頃よりも辛さは感じず、むしろ楽しんでやっている自分がいるのだ。
何故かと言われれば、以前よりもわかることが多いことが大半を占めており……他を挙げるのなら、警備隊の仕事を誇りだと断じたことがあるってところからも来ている。
事実、“やっぱり自分の仕事といったらこれだろう”と頷けるから。
治安もよくなって、窃盗食い逃げもあの頃に比べれば随分と減った。
たま~に他の街か邑かから来た人、裏通りの人がやったりもするが、そういった輩はあっさりと思春に捕まえられている。逃げ出そうとすれば俺もたまぁにやられる“ピンポイント殺気”をぶつけるのか、逃げ出した筈の相手が急に足をもつれさせ、転ぶことが大体だ。こっちとしては楽でいいが、ほんと……どうやってんだろうね、あれ。
「……よしっ、こっちはもう乾いたな」
墨が乾いた竹簡をカロカロと丸め、積んでゆく。
こうして山になったものを見ると思うのだが、こういうのって誰がどう作ってるんだろ、ってこと。
絡繰はあっても機械はない時代だから、もちろん手作りだろうし。
職人業だなぁ。
「た~いちょ~……退屈なの~……」
「はーいはいはい、それもう12回目だからな?」
と、軽く別の方向に意識を向けてみれば、少しの間を黙っていた沙和が愚痴り始める。
非番だからと最初は張り切っていたんだが、阿蘇阿蘇も読み終わり、爪などの手入れをなんとなく終了させた今、どうにも手持ち無沙汰らしい……って、こういったことを考えるのも何回目だろうか。
しかも人の部屋に入ってきたらきたで、扉も閉めずに退屈だ~と念仏のように唱え続ける始末。
ええいどうしてくれようか。
「沙和ー? そういう時はな、一人で出来る楽しいことを開発するチャンス……いい機会なんだぞ? なにせ上手く思い付ければ、暇になっても暇潰しが出来る」
「だったら隊長、でーとしてほしいのー!」
「……いや。あのな? 見ての通り書簡整理中なんですが? あ、なんだったら美羽と一緒に勉強でもするか?」
「え~……? 休みの日にまでそんなことしたくないのー……」
「ええいこの娘は……!」
人の寝台で好きなだけゴロゴロして、阿蘇阿蘇を読みっぱなしで放置したりしているだけじゃまだ足りないと申すか……!
「なんか最近だるいし、働く時もぐったりしちゃうし……」
「はぁ……。なぁ沙和、もしかしてお前、眠る時に足出して寝てたりしないか?」
「え? あ、うん。暑い日とか、いっぱい動いて足が疲れちゃった日なんかはついやっちゃったりするけど……」
「たぶんな、原因それだ。頭寒足熱っていってな、夏の暑い日とかは暑いのを嫌って、腹だけは冷やさないように~とかしてる人が多いけどな、足ってのは第二の心臓って言われるくらい大事な場所なんだ。そこが冷たくなって血の巡りが悪くなれば、足からだるくなって疲れていくのは当たり前だろ?」
「……よくわかんないの」
「暑いからって、足は冷やしすぎないこと。風呂に入ったら少し浸かってすぐに出る~とか、シャワーだけでいいとかじゃなく───」
「沙和?」
「シャワーな。天にはそういうのがあるの。で、きっちり温まる。その際、肩まで浸かるのが辛かったら足だけでもいい。しっかり温めて、風呂から出ても冷やしすぎないこと。この時代の女性なんかはまだ筋肉とかあるからいいけど、現代、もとい天だとな、そういうのでさえ相当気を付けないと、ろくに動けなくなるんだよ。だるすぎて」
「むー、たいちょー、沙和は今この時の退屈の話をしてるのー!」
「退屈なら動けって言ってるんだよ俺も!」
美羽を見なさい! 隣の円卓で静かに勉強してらっしゃるでしょう!?
……などと言おうものなら妙に反発されるのが目に見えているので言わない。
しっかし、本当に静かなもんだ。
俺に迷惑はかけない、俺の期待に応えたいと言っていたけど、だからこそこうして静かに勉強してるのか?
「………」
「う、うみゅぅう~……」
まあその……それでもわからないものはわからないらしく、しっかりと理解しようと時間をかけた上で、申し訳なさそうに俺に訊ねてくる。
ならばと俺も、答えではなく解き方をもう一度教えていく。
“まずはきちんと考えること”。脳にとっては大事なことらしいから、まずはそれをやらせている。守ってくれる美羽が、なんというか尊い。他の人に言ったところで、たとえば沙和なら“わかんないものはわかんないのー!”とかあっさり投げ出しそうだしなぁ。
「むー……袁術ちゃんー、それ楽しいー……?」
と、ここで人様の寝台にうつ伏せに寝転がり、足をぱたぱたさせていた沙和が質問を投げてくる。それすらもただの話題作りなのか、言葉にあまり感情がこもっていない。
「ふふーん、お主にはわからぬじゃろうの。こうして苦労して覚えたことは、けっして……けっして…………お、おー……?」
「自分を裏切らない、な?」
「おおっ、そうなのじゃっ、自分を裏切らぬのじゃ! それに、出来ると主様が褒めてくれるでの、たくさん覚えてたくさん褒められて、いずれは妾が主様を隣で助ける者になるのじゃ」
「……そっか。ありがとな、美羽」
美羽は……殴ってしまい、仲直りしてからは随分と丸くなった印象がある。出来ることはなんでも自分でやろうとする姿勢になったし(あくまで“やろうとする”)、妙な見栄を張ることも少なくなった───のだが。丸いのは何故か俺にだけであって、魏将とはそれなりに衝突していたりする。そこのところは妙な意地があるのか、打ち解けるまではなかなか時間が必要になりそうだ。
しかしまあ、なんだろう。隣で助けるって、知識的なことでだろうか。
今からいろいろ学んで、活かせるようになるにはどれくらいかかるかを考えてみる。
……いや、期間は関係ないか。今ここで頑張って、いつか役に立ちたいと願ってる。それでいいんだよな、きっと。俺だって、国に返すためにこうして頑張ってるんだし、美羽の場合は“返したい気持ち”っていうのが俺に向いているだけなんだ。
怒って殴って心配して、無視して振り向かされて抱きつかれて泣かれて───どこらへんに俺に返したいと願うきっかけがあったのか、いまいち掴みきれてない俺だけど……そうだよな。そういう気持ちは、“素直に嬉しい”……そういう、簡単だけど大事な感想でいいんだ。
あの後の華琳の言葉や、美羽が俺の目を覗きこんだところに答えはあるのだとしても、それを真正面から受け取ってしまうと今以上に甘やかしてしまいそうで、それが出来ないでいる。
断言しよう。俺、絶対に子供が出来ると甘やかしまくる。
「うーん……ねぇ隊長ー? 隊長は仕事、手伝ってもらえたら嬉しい?」
「ものや程度にもよるけどな。ほら、自分が得意な仕事があったとして、自分だけのほうが早く終わらせられるのに~……って思う時、あるだろ?」
「あ、うんうんあるあるー! 絡繰いじってる真桜ちゃんがそんな感じなのー!」
「真桜はなぁ……趣味が仕事になってよかったなとは思うけど、邪魔すると怒るからなぁ」
俺が作った問題集を前に、うんうん唸りながらも筆を動かす美羽を、ちらりと見ながら頬を掻く。
「それはそうだよー、邪魔されて喜ぶ人なんていないもん」
「だな。で、そう仰る沙和さんは、いつまで俺に話し掛けますか」
「だって退屈はお肌の天敵なのー! たいちょーたいちょー、でーと~!」
「いつからお肌にそんな天敵が追加されたんだよ! だ~めっ! 仕事ほったらかしにしてデートなんてしたら、鍛錬取り上げどころか罰が下されるだろっ!」
「ぶ~……! 前の時はなに言っても聞いてくれたのに、ひどいのー……!」
「前回のが条件が厳しすぎただけなんだって。それよりほら、美羽と同じ問題を作ったから解いてみなさい。退屈しのぎにはなるだろ」
ぐで~と伸びている沙和の傍まで歩き、書き、墨が乾いた竹簡をほいと渡す。
こちらを見上げてくる表情は……実に面倒臭そうだった。言葉にするなら「え~?」だ。
むしろ普通に言われた。
「いいから軽くやってみろって。ここでぶちぶち言ってるより、よっぽどいいから」
「えー? だって、ひゃぁんっ!? やっ……たいちょっ!? なに───」
ぷ~っと頬を膨らませていた沙和を強引に抱き上げ、妙な誤解を受ける前にすとんと美羽が座る円卓の向かいの席に座らせる。
そうしてから筆と墨と竹簡を渡し、ニコリと笑ってサムズアップ。
幸運を祈る。
「むー……あ、隊長たいちょー? これやるから、なにかご褒美がほしいのー!」
「書簡整理の仕事を差し上げよう」
「そんなのいらないの……」
即答だった。
いや、もちろん冗談だし、差し上げる気もさらさらない。自分の仕事だしね。
「けどな、ご褒美っていったって急に振られてもなにも思いつかないぞ? あ、デートは却下だからな?」
「あうっ……さ、先に言われちゃったの……」
やっぱりか。でも褒美……褒美ねぇ……。
「あ、じゃあ」
「艶っぽいのも却下。ほら、いいからやってみるやってみるっ」
「うぅー……こんなのつまんないのー……」
それでも筆に墨をつけ、問題が書かれた書簡を見ていく。
そんな様子を見て真っ先に思うことが、“こっちのほうでも黒板とかチョーク、なんとかしたほうがいいだろうな”なんてことだった。
あって損はないし、そもそも便利だ。
勉強のたびに竹簡と墨を用意するのもなぁ。本当に、竹簡等を作っている人に感謝だ。
「褒美ねぇ……満点取ったら昼餉をおごるっていうのはどうだ? 昨日は凪たちにご馳走したし」
「えー……? 満点なんて無理なのー……」
「いきなり随分な弱気だな……そんなに難しいか?」
軽い授業の中でもきちんと教えてきたものだ。
“これは?”と訊かれれば、こうですってすぐに返せるような問題なはずなんだが。
と、そんなおり、
「でっ……できたのじゃー! 主様主様、見てくりゃれっ? 全部きちんと出来ておるであろっ?」
うんうん唸る沙和の正面で、竹簡を両手で持ち上げながら喜ぶ美羽。
きちんと考えて解けたことが嬉しいのか、はたまたとりあえず全てに答えを出せたことが嬉しいのか、文字通りの満面の笑みで席を立ち、竹簡を差し出してくる。
そんな美羽の頭をよしよしと撫でながら竹簡を受け取って採点。
さてさて、どうなっていることやらと、椅子に座り直したところで美羽がちょこんと膝の上に乗ってくる。
沙和がぴくりと反応を見せたが、俺にとっては季衣を始め、他国の将にもこうして膝を提供したことがあり、なんかもう座りたいならどうぞって感じだ。
だから特に気にすることもなく採点をする。
美羽はその採点を俺より近くで見て、時折にごくりと喉を鳴らしていた。
わかる、わかるぞ美羽……目の前での採点って凄く緊張するよな。
俺もお菓子を作る際、華琳がどういった反応をするのかとか緊張……むしろ恐怖を感じることさえあるから……! だって、ヘンなものを食べさせれば華琳は起こるし春蘭は剣を抜くし桂花は罵倒するし秋蘭は落胆の目で俺を見るだろうし。
(問題は二十問。対する正解は……)
この世界の問題じゃないから間違いが多いのは仕方が無い。
大事なのは最後までやりきること。でも、仕方なく最後までやるのと諦めないで最後までやるのとじゃあいろいろと違う。
そういったことを学んでほしくもあり、こうして暇が出来ると問題を出しているのだが……お、おお? 正解、正解、正解……おぉおおっ? 何気に正解が多い!?
……と思ったら、途中からは不正解の嵐。
なかなか上手くはいかないもので、二十問中八問正解という形に落ち着いた。
「うみゅぅ……半分は正解じゃと思ったのじゃがの……わぷぅっ!? ぬ、主様!?」
さっきまでの元気が嘘のように落ち込む美羽の頭を、ちょっとだけ乱暴に撫でる。
頑張ったのに落ち込む結果の辛さを知っていればこそ乱暴に。
「落ち込まないの。八問正解ってことは、教えたうちの八個を覚えることが出来たってことだろ? じゃあ次は九問正解すればいいよ。べつに同じ間違いをしたって怒ったりはしないから」
「主様……」
「ただ、わからないからって考えること自体を放棄するのはだめだぞ? 覚える気があるならきちんと教える。覚える気がないなら、そりゃあやめちゃってもいいかもだけど……後悔ってのは先に立ってくれないからなぁ。教えてくれる人が傍に居るうちは、なんでも覚えてみるのもいいもんだよ」
そう伝えてから、俺へと軽く振り向く美羽の頭を胸に抱く。
どうしてそんなことをしたのかな、なんて軽く考えてみると、答えなんてあっさり出た。
俺も、教えてくれる人に囲まれながら成長している途中だからだ。
人に偉そうに言えるほどにこの世界を知っているわけでもない。
半端に生きて、この世界に飛んで、戦を知って死を知って、“人が生きるために必要なこと”を何度も何度も様々なものを吐き出しながら知ってきた。
些細なことで泣いて、些細なことで世界って箱庭から逃げ出したくなっても、“明日へ辿り着けば、まだいいことが待っているかもしれない”なんて理由で生きるのとは違う。
生きたいからこそ、米の一粒のために死地へと歩む人を見た。
この地に教わり、祖父に教わり、天の書物に教わり、再びこの地でどれほどを学んだだろう。
他国を回ることで知ったこと、第二の故郷でもあるこの魏で学んだこと。
それら全ての知識を合わせたところで、泣いた子供一人を笑顔にするのでさえ苦労する自分が居る。
「んみゅ……よくわからぬが……心地良いの、これは」
「……。ああ」
いつかの戦、いつかの出城にて、華琳に頭を抱かれてありがとうを伝えられた。
それを思い出したら、“俺もこうして、誰かにありがとうを伝えたいのかな”なんて考えが浮かぶ。もしそうやって、ありがとうを伝えるのだとしたら、どんな言葉がいいだろう。
この世界に来させてくれてありがとう? みんなに会わせてくれてありがとう? もちろん思っていることだが、なにか違う気がした。
(……あれ? 来させてくれてありがとうなら、俺は貂蝉が言ってた銅鏡か、もう一人の誰かさんの頭を抱かなきゃならないんだろうか。待て、そもそも銅鏡に頭はないぞ)
穏やかだった気持ちが、軽い疑問を持った所為で滅茶苦茶になってしまった。
けれども美羽の頭は胸に抱いたまま、ゆっくりと撫でる……のだが、沙和が頬を膨らませながら睨んでいることに気づいた。
しかもこの状態をどう受け取ったのか、ごしゃーとかつてない速度で筆を動かす沙和さん。そうして問題分の答えを連ねた竹簡をどうだとばかりにニッコリ笑顔で突き出してくると、勢いにたじろいだ俺へと今ぞとばかりに抱き付いてきて───ってこらこらこらっ!!
「袁術ちゃんばっかりずるいのー! 沙和も撫でてー!?」
「そういうことは採点くらいさせてから言おうな!?」
そう言いながらも、こうしたドタバタにひどく安心している自分を感じた。
本当に、どこまでお人好しなのか。
結局そうしてドタバタに巻き込まれて時間を無くしても、仕方ないって笑っている。
もちろん二度目まで失敗するわけにはいかないから、そんな仕方ないって笑みもどうにか引っ込めて仕事に戻るものの───そうだなぁ……。
うん、そうだな。まずはこれだ。
この世界で今まで経験したことの様々を思いながら……やがて、何を争っているのかギャーギャーと騒ぎ始める沙和と美羽を両手で抱き締める。
二人は急なことに少しだけ硬直してみせ、そんな硬直の隙に言いたいことを言ってしまうことにした。
「傍に居てくれて、ありがとう」
言いたいありがとうを数えればきりがない。
届けたい気持ちを頭に描いたところで、いくら口にしても唱えきれないだろう。
ならば今、あの乱世を抜けた先の今でこそ、生きて傍に居てくれる事実にありがとうを。
『………』
二人は特に反応を見せない。
何を言うでもなく、身動ぎをするでもなく───ただ、大事なものを離すまいとするかのように、ぎゅうっと俺を抱き締め返してきた。
「………」
穏やかな時間。
筆が走る音も、誰かが騒ぐ音も聞こえない。
風に揺れる草花の音、鳥の鳴き声ばかりが耳に届き、そうした静けさの中で、俺は───
「一刀殿、今日のまろやか麻婆のことなのですが───はっ!?」
「あ」
───開けっ放しの扉の先から、ひょいとこちらを覗く稟と、視線を交差させた。
少女二人を抱き締める俺。嫌がるでもなく何も言わず、抱き締め返してくる二人。
抱き締めている二人からは見えない……というか見る気もないのか本当に身動ぎひとつしないが、見えてしまう俺の視線の先には、見る間に顔を紅潮させてゆく稟が……!!
「ま、ままま待てっ! ストップ稟! ここ最近は鼻血なんて出してなかったんだから、妄想だめ! 妄想禁止!」
「か、かかかっ……一刀殿がっ……両手に童女と少女を……! 嫌がる様子も見せない二人はこれから彼になにをされるかも知らず……い、いいえ、知っていても抵抗する気さえなくっ……! しかもそれを知ってしまった私までもを捕らえ、北郷隊や数え役萬☆姉妹とともに鍛えた三人同時に食らう淫技を……!」
「離れてても聞こえる声でそういうこと言うのやめよう!? り、稟っ! 抑えて! それ以上先に進んだら───」
「まずは一人ずつ、いつしか二人、やがて三人に……! 扉を開けたままという大胆なる行動も、恐らくは訪れた女性を次々と閨へと引きずりこむため……! あぁっ……華琳さまや桂花が居ないのをいいことに、抑え付けていた獣がとうとう解き放たれて、この国の女性という女性を……!」
「…………あれ?」
鼻血が出ない。
それどころか次々と妄想を働かせて、その度にうへへへとかえへへへとか怪しい笑みをこぼす稟は、もはやブレーキを無くした乗り物のように止まることなく怪しい言葉を放ち続け……って赤っ!? 顔すごい真っ赤!!
「りりり稟っ! まずい! 妄想やめてほんと!」
抱き締めていた二人に断りを入れ、稟の傍へと駆ける。
鼻血が出ないのは、食事での血管や粘膜強化の賜物といっていいのだろうが、この赤さは怖い! 血管破裂するんじゃないかってくらい怖い!
そして人の話全然聞きやしないよこの妄想娘ったら! うへへへへじゃないってば!
「えーとえーとこういう時はぁああっ……!!」
「たいちょー! 抱き締めるのー!」
「! よしきた!」
悩んでいる時に放たれる誰かの助言ってありがたいよね。
だから咄嗟に、顔が段々と紫色っぽくなってきた稟を抱き締めたんだが。
……次の瞬間、世界は赤の色に包まれた。
「ギャアーッ!!」
「きゃああーっ!? きゃーっ!!」
「ぴきゃーっ!? 赤いのじゃーっ!!」
抱き締めた俺を振りほどくほどに大きく仰け反り、そこから放たれるは赤の雨。
我慢した分と妄想した分、その量は凄まじく……部屋の前の壁が真っ赤に染まったその日。
俺はまず、血管強化よりも妄想癖を直させる必要があることを、心の奥に刻み込むことで知った。
……ちなみに。
沙和の答案だが、一問たりとも正解はなかった。