もやもやと溢れてきた思考を一旦打ち切るつもりで、静かに溜め息。
そうしてから、改めて華琳と向き合って、その言葉を耳で受け止めていく。
不安の正体を、自分でも知り得ない答えを、俺も探すように。
「……もし貴方が不満を爆発させて、一時であろうとこの世界を嫌ったらどうなるのかしら。貴方はそれでもこの世界に存在出来る? わたしが帰したくないと思えば、本当にずっとこの世界に居られる? 消えることに抗えなかった貴方がどれだけの言葉を並べたとしても、わたしはきっとそれを信じられないのよ……」
「……それは」
「証をと絶に血を吸わせたところでそれがなに? 証程度で貴方が消えることを止められたなら、わたしはあの時泣いたりなんか───」
「へ? ……な、泣いた?」
「!?」
あ。なんか今、頭の片隅でカチリって音が。
ていうか、目の前の華琳が慌てて自分の手で口を塞いだ。
…………地雷踏んだ? いや、この場合はうっかり口を滑らせた華琳が……!
ぁあああ……! 華琳の顔がみるみる赤くなって……! く、来るか!? 何が来る!? 拳、蹴り、ビンタ……はたまた絶!? くくく来るならこい! 出来ればこないで!
「そ、~っ……そうよっ! 泣いたわよ泣かされたわよ! この曹孟徳がよ!? 勝手に現れて勝手に人の中に入り込んできて! なのに勝手に居なくなって! 逝かないでって言わせたくせに! 大好きだって言ったくせに! この私にあんな無様をっ……!」
何が来るのかと身構えていたんだが……あらやだ可愛い。
じゃなくてっ、え、ええ!? 華琳!? 華琳だよな目の前に居るの!
この、椅子に座りながら真っ赤な顔でギャーギャー叫んできているお嬢さん、魏の王で国の覇王さま、華琳だよな!?
そんな華琳さまが椅子に座りながら、俺の襟首を引っ張って顔を近づかせて……!
「不安にさせるなっ! あんなに見てて怖くなる鍛錬なんかするなっ! もっともっとわたしの傍に居なさいよっ!」
「い、いいぃいいいいやいやいやいや、かっかかか華琳!? 華琳さん!? 落ち着こう! 落ち着こう、な!?」
「落ち着いているわよっ! 落ち着いてるから怒っているのよ!!」
「どこをどう見たって誰が見たって落ち着いてないだろ! むしろ華琳が泣いたって、それ聞いたらこっちが落ち着いていられないぞ!?」
「泣かせたのは一刀でしょう!?」
「そんなの想像つくもんかっ! ていうかそれこそ理不尽だろ! 悪いとは思うけど抗えなかったんだからどうしようもないだろっ!?」
「抗う様子も見せないで別れを受け容れたくせにっ! 大体“愛していたよ”っていうのはなに!? あんな言い方されたら二度と会えないって思うじゃない!」
「消えるってわかったならせめて別れくらい言いたいって思うじゃないか!!」
「いつわたしがそんなものを望んだというの!? わたしはずっと傍に居なさいと、それだけを願ったでしょう!?」
「やっ……だからそれを選べれば苦労はしなかったって……!」
「…………“しなかったって”……なによ」
「い、いや……ちょっと待ってくれ、少し心を落ち着かせたい」
「それじゃあ意味がないでしょう!? わたしは“怒りなさい”と言っているのよ!」
「えぇ!? 意味がないって……じゃあ今までの全部演技か!?」
そうは言うけど、涙が滲んだ目でじろりと睨まれて、「そんなわけないでしょう」とハッキリ怒られた。
そりゃあ、あそこまで全部演技だったら凄い。
凄いけど……全部ではなかったにしろ、演技も混ざっていたとしたら……と考えると、心の中にざわりと動くものが。なので、じーっと睨む。
「………」
「な……なによ」
「いや、俺からもひとつ。華琳もさ、人に怒れとか言う前に、もっと自分を出したらどうだ? 覇王然とするよりも、普通の女の子している時の華琳のほうが好きなんだけど。いや、結論から言えばどっちも好きだけど」
「なっ───……一刀? 大きなお世話という言葉、知らないはずはないわよね?」
「そりゃあもちろん知ってる。ただこっちも言わせてもらえるなら、わざと怒らせるためにあれこれやるのは勘弁してくれ。ていうか少しは、ここまですると嫌われるかもとか思ってみてほしい」
あんまり無茶をされるとこっちの身が保たない。
むしろやさしくしてくれたほうがほら、無駄なストレス溜めなくて済むし。
仮に怒り出したとしても、相手が魏王で覇王なら、駆逐されるのって俺一択じゃないか。
駆逐は言いすぎにしても。
「非道な王にはならないなら、相手が所有物だからって無茶しないでくれ」
「はぁ……あのね、一刀。わたしはそう思うからこそ貴方に怒りなさいと言っているの。わたしが天より降れって言ったから無茶しているのか、王だからと遠慮して怒らないのか。所有物だからって我慢させているなら、それこそ非道じゃない」
「あ」
……そこまで考えてなかった。
「でも俺、華琳が原因で我慢してることなんて…………えーと。無い、と思うぞ?」
「断言出来ない時点で既に不安なのだけれど?」
うう、でもなぁ。
「じゃあさ、もういっそ怒らせる気で何かするより、怒りを溜めさせない方向に気を向けてくれないか? 楽しかったり嬉しかったりすれば、怒りなんて溜まらないだろ?」
「嫌よ。ただ喜ばせるだけなんて、つまらないじゃない」
「……ゲンコツした上で激怒していいですか?」
言いながらも、やるのは華琳の頭を撫でるだけ。
撫でるっていうよりは、頭の上でポムポムと手を弾ませているだけ。
「……はぁ。怒っていいかと訊ねる者ほど、怒れないものね」
華琳自身はといえば、そんな俺を少しがっかりした風情で見上げ、溜め息を吐いていた。
そのくせ、手は払わない。滲んだ涙も拭わないので、その涙を軽く指ですくってあげた。
「自覚はあるかな。怒りやすい人はわざわざそんなこと訊かないもんな」
訊くより先に怒ってるだろ。
そう返して、俺もまた溜め息。
「なら……そうね。一刀、一度試しに怒ってみせなさい。嘘でいいから、一度だけ」
「思い立ったらなんでもなところは相変わらずか……。どんな言葉でもいいのか?」
「ええ任せるわ。大声でない限りは、誰も来ないでしょう」
「そっか。じゃあ……」
素直に受け取るってことは、俺もこれで、案外外に出したい不満もあったのかな。
そんなことを軽く考えながら、言うべき言葉を探してみる。
えと……華琳は俺が何かを嫌うことで、消えてしまうんじゃないかとか思ってたわけだから……そだな、軽くでいいから嫌いって想いを出してみよう。
嘘の言葉でも、氣を込めるように放てばなにかこう……言霊的なものになるかも。
そんなわけで、許可を得てから軽く、軽ぅ~く、こう、ポクリとゲンコツをして、いざ。
「華琳……お前には失望したよ。お前が───大嫌いだ」
一応言葉に氣を込めるようにして言ってみた。
すると、軽くすくってはみたけど滲んだままだった涙がぽろりとこぼれて、え、なんて声が出ずに口が開いたところで、変わらぬ表情のままにぽろぽろと涙を零す華琳がホギャアアアアアアアアア!?
泣いっ……泣いたぁあーっ!?
え、あ、えっ……えぇええーっ!?
「ごごごごめんなっ!? ごめんなっ!? 嘘っ、嘘だからっ! なっ!? あああぇえとどうすればっ、こんな時どうすればっ!」
訳もわからず狼狽える俺が誕生した。
けれど体は勝手に動き、泣いた少女を胸に抱き、ごめんと謝りながら頭を撫でていた。
……。
……恐ろしいものを見た。
結論はあくまでそこに落ち着く。
ていうか泣かせてしまった。女性を泣かせてしまった。好きな人を泣かせてしまった。
そのショックは大きくて、俺はまだ華琳を離せないでいた。
「………」
「………」
華琳にしても珍しく、いっそ俺を締め上げるみたいにぎうーと抱き付いてきていて、少々腰から腹部までが苦しかったりする。
言葉に氣を乗せるつもりで放ったのがまずかったのか、それとも嘘とはいえ“失望した、嫌いだ”と言ったのがまずかったのか。判断には困る……どころか、それはたぶんどっちもで、そしてこれだけは言える。“二度と言うまい”。
「……仕返しをしたら非道かしら」
「非道だと断言する」
怒ってみろと言ったのは華琳なので、そこのところは勘弁を。
ただ華琳自身にしても、受け取れるなにかがあったのか、食い下がろうとはしなかった。
「……一刀?」
「うん?」
「わたしが一刀を嫌ったら、貴方は居なくなる?」
「んー……わからない。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。そもそも華琳は何を願ったんだ? 俺がまたこの大陸に降りられたのは、華琳が何かを願ったからだろうし」
この際だし、気になっていたことを訊いてみる。
再会した時に聞いた言葉は、多分べつの願いとして放たれた言葉だ。
だからもし他に理由があるならと。
「………、……っただけよ」
すると華琳は、ぼそぼそと顔を赤くしながら……え? なに?
「ん?」
「だ、だからっ……“また会いましょう”って言っただけよっ! その少しあとに貴方が桃香の着替えを覗いてっ……! だからっ……理由があるとするなら、それくらいしか思い当たらないわよ……」
また会いましょう、って……それだけ?
……どれだけ強く願えば、そんな願いを糧に降りられるんだ、御遣いってのは。
でもそれだと、会った途端に願いが果たされないか?
よく消えなかったな、俺。
それとも“また会いましょう”っていうのは、どっちかが生きてる限りは何度でも繰り返せるわけだから……? ほら、たとえば夜眠って朝起きて会うだけでも、また会うことにはなるわけで。
(そっちの考えでいくと俺は、俺か華琳が死ぬまではずっとこの世界に……)
俺が死んだ時点で、帰るとかそんなのは関係が無くなるんだから、事実上は華琳が死ぬまでか。
……ようこそ老後生活。
ごめんじいちゃん、こっちの理由が確定だと、恩返しとか無理そうだ。
宅の華琳さまは病気で死ぬようなヤワい人には見えないし、そもそも華佗がなんとかしてしまいそうだ。
でも……覚悟はしてきた。
いつかそうなるかもって思いを膨らませて、否定したい気分はあったものの……帰れないんだったらこの地に骨を埋めようと。
「そっか。その願いに応えることで降りたなら、俺もしばらくは大丈夫そうかも」
「………」
抱き着かれながら、不安と不満を混ぜたような目で見上げられた。ちなみにまだ涙目であるため、なんというかこう、保護欲というか、抱き締めて撫でまわしまくりたくなる……あ、それもうやってる。
「大丈夫だって。たしかによっぽど嫌いになって、二度と顔も見たくないってことになれば、いつかみたいに“そうなるべき歴史”を曲げることになって、強制的に帰らせられるんだろうけど……あんまり無茶をしなければ、そうそう嫌いになったりなんか出来ないって」
「…………わかったわよ。無茶な要求はしないし、無理も言わないであげる」
「………」
「……なによ、その顔」
いや……そんなあっさり了承してくれるとは。
熱でもある?
「ああ、いや、ありがと。正直こんなにあっさり受け取られるとは思わなかった。じゃあ鍛錬も───」
「それはだめ」
「ですよね……」
予想はついていたから悲しくないぞ? ほんとに。
「ま、それはともかくさ、写真の続きを見よう。たしかじいちゃんを映したやつもあったはずだから」
「一刀の……興味があるわ」
そして俺の言葉にあっさりと抱擁を押し退け、携帯をいじくり始める華琳さん。
……いいんだけどね。珍しいもの、むしろ可愛いものも見れたし。
「お、それそれ。それが俺のじいちゃんだ」
「……良い面構えね」
「ああ。強くて怖くて時々やさしい、不思議なじーさんだよ」
「へえ……」
言葉通りに興味深々なのか、食い入るように画面を睨む華琳。
そんな彼女の手が珍し気に次へ次へとボタンを押し……ビシリと空気が凍った気がした。
ハテ、と首を傾げながら画面を覗き込むと、そこには───はうあ!?
「ア、アワワ、ハワワワワ……!!」
「───ねぇ一刀?」
「な、ななななんでせう華琳さま……」
「なぜ……思春の寝顔がここに収まっているのかしら?」
ア、ハ、ハハハ……ななななんででしょうね……!?
それはなんというかその、悪戯心というか、僕の童心が黙っていられなかったと言いますか……!
「……へえ、次は美羽ね。次がわたし……そう。───一刀?」
「うぃっ……!? あ、か、華琳~? ほら、無茶も無理も言わない約束が……。っていうか笑顔で睨むの、やめようよ……な?」
「ええ、もちろん覚えているわよ。けれど、種馬の躾には無茶も無理もつきものだと思わない?」
「是非とも思いたくないんですが!? ていうかそれくらいで躾がどうとか言ってちゃ、もし他国の誰かに手を出したりしたら絶対に冷静で居られないだろっ!」
「ふぐっ……!? う、うるさいわねっ! そんなことは今はどうでもいいのよっ!」
「ひどっ!?」
あ、でも自覚はあったみたいだ。言葉に詰まってたし。
「じゃっ……じゃあ華琳! 膝枕するから寝てくれ! それを俺が撮影すれば全て解決して───」
「だからっ……! どうして貴方はそう、望んでいない方向に聡いのよっ!!」
「仰る意味がわかりませんが!?」
ただ、今日も元気に華琳が怒ってることだけはよーくわかる。
そんな華琳が俺の腕を掴み、引っ張り、寝台に座らせると……ちょこんと寝台に寝転がると同時に、俺の膝の上に自分の頭を乗せた。
「………」
結局やりたかったんじゃないですか。
顔を真っ赤にさせて、俺と目を合わせないように目を閉じている華琳を見下ろしつつ、苦笑。
しかし華琳様、携帯はしっかりと俺の手に返して……エ? 撮れと? ……何故こんな状況に?
そりゃ俺も言ったけどさ……なんだか玉座に座らされた時のことを思い出させる状況だ。
(しばらく会わないうちに、随分と我が侭になったような……あれ? それは元からか?)
苦笑しながらカメラ機能を起動。
さらりと頭を撫で、目を瞑っているために急なくすぐったさに、軽く身を竦めたその顔をパシャリと収める。
早速その写真を確認してみると…………まるで、くすぐったさに身をよじる猫だ。
想像以上の破壊力がそこにはあった。
春蘭、秋蘭、桂花、稟が相手ならば、一撃必殺の効力を弾き出しそうだ。
「撮ったぞ?」
「っ───見せなさいっ!」
で、報告してみると飛び上がるように身を起こし、俺の手から携帯をひったくる。
そして画面に映る可愛らしい女の子な自分を見ると、ますます顔を赤くした。
「一刀……? これを消すにはっ……どうしたら、いいのかしら……!?」
さらに言えばその顔は、生涯の汚点と出会った表情にも近かったに違いない。
が───それを消すだなんてとんでもない! これは宝……たった今から至宝にござる!
携帯の命が続く限り、この写真はこの北郷めが責任持って預からせていただきます!
その旨を熱く語ってみせると、華琳はもはや何も言えなくなり、逆ギレ気味に「だったら好きにすればいいでしょうっ!?」と携帯を俺の胸に押し付けた。
……うん、正直怒られたんだか照れてるんだか解らない。
顔は真っ赤だし声も上ずっていた。ただそれが照れから来ている赤さなのか、怒りから来ている赤さなのか、俺には解らなかった。
まあそれはそれとして、せっかくだし待ち受け画面にでも。あと、知恵をつけて消されても困るから、別フォルダにも……よし。
「思わぬ収穫が───イエ、ナンデモ」
つい心のうれしさが言葉となって漏れたら、真っ赤な顔で睨まれた。
可愛い。じゃなくて怖い。
乾いた笑みを絞り出し、じゃあと去ろうとするのだが、袖を掴まれて再び座らされてしまう。その膝にもう一度頭を置く華琳は、顔を赤くしながらも今度は目を開け、うろちょろと落ち着きもなく視線を彷徨わせていた。
……出たのは苦笑。
特に何も言わずに頭を撫でると、彷徨っていた視線は一方だけを向き、俺は気にせず頭を撫でた。
「華琳さ、甘え方を知らないって……前に言ったよな」
「っ───……言ったわよ。それがなんだというの?」
言った時を思い出したのか、少しだけこちらへ向いた視線は、途端に別方向へと向けられた。
「いきなり拗ねられても困るけど……報告受けてるなら知ってるだろ? 蓮華と桃香のこと」
「あ、ああ……甘える場所になったという話ね?」
「そ。華琳も甘える練習でもしてみないか? 生意気に思われるだろうけど、華琳を見てるとやっぱり思うんだよ。年がら年中、王である必要なんてないだろって」
「………」
「非道な王にならないために頑張るのもいいけどさ。たまには息を吐くのも───」
と、話していると、華琳が盛大な溜め息を吐いた。
まるで、“今わたしがしていることがなんなのか、わかっていて言っているの?”ってくらいの溜め息だ。
……ハテ?
「これは、雪蓮も桃香も苦労するわね……」
「? なにがだ?」
「なんでもないわ。それに、息なら十分に吐いているわよ。……まったく、だからこうして引き止めたっていうのにこのばかは……」
「……? 悪い、最後のほうがよく聞こえ───」
「いい天気ねと言ったのよ」
「───?」
雨だけど。
今日の華琳はそういう気分なんだろうか。
(まあ、いいか。疲れてるからこうして膝枕を要求し続けてるんだろうし、こういう時くらいはせめてゆっくり───)
手に氣を込めて、やさしくやさしく撫でる。
心が穏やかになりますように、疲れが取れますようにと。
袁術にもやったように、氣で華琳を包み込み、さらに頭も撫でて、ただひたすらに彼女を癒すためだけに。
どうしてか赤くなっていた華琳だったけど、しばらくするとその呼吸は一定になり、やがて穏やかな寝息へと変わる。
「……いつもお疲れ様、華琳」
その寝顔に言葉を届ける。
熟睡しているのか、反応らしき反応も無い。
俺はただ、変わらずに彼女の頭を撫で続け、その寝顔を見下ろしていた。
(───、はぁ)
基本的にやることなすこと滅茶苦茶な人達。
巻き込まれることもあれば、自分から首を突っ込むことも多々あり……こんな状況、もし俺が及川だったらどうしてただろう。喜んでいたか、それとも早々に逃げ出していたか。
(“怒りなさい”かぁ……)
最初に必要だったのは役職。
乱世の頃は、華琳の傍でなければ生きられなかった。
だからこそ仕事を得て、努力して、次から次へと必要とされる要求に応じ、なんとか頑張ってきた。
部屋の扉は春蘭に壊されるし、部下は言うこと聞かずにからくりいじりや阿蘇阿蘇読むのに夢中だし、世話役だからってなんでもかんでも俺に当たって俺に押し付けるし、模擬戦ともなれば武力のない俺に向けて楽しげに武器を振るって……思い返しても溜め息が出る。
怒ることはそりゃああったけど、軽く流されるだけだもんなぁ……そりゃあ怒っても無駄って思えてくる。むしろ“別にいいじゃない”って感じで別の話題に走るのが大半だ。
(しかも今回のことで、余計に怒りづらくなった)
泣かれるなんて思ってもみなかったのだ。
だって華琳だぞ? あの華琳が……───って、それはこっちの勝手な言い分か。
常時王で居る必要なんて無いって言い出した俺が、そんなこと言っててどうするんだか。
消えたときにも泣いたと言う。
それだけ大切だって思ってくれてたなら、この地で頑張った甲斐もあったってことだ。
(思わぬ本音も聞けたし───返したいこと、増えちゃったよ)
国に返す想いは日毎に増えていく。
全部返し終えることなんて出来るのだろうかと思うばかりだ。
けれど、とりあえず今は……穏やかに眠っている少女の寝顔を堪能しよう。
起きた途端にまた、「どうして起こしてくれなかったの」とか言われそうだけど……それも、あの時のように笑って受け止めて。
それが終わったら……えーと。あの三日が過ぎてから、どうにもよそよそしい魏将のみんなに会いに行こうか。
よそよそしい理由は見当がついているから、いつもの彼女らに戻ってもらうために。
あ……でも加減は覚えてほしいから、そこのところはそのー……少しぼかしてみようか。
(ははは……)
顔が勝手に笑むのを感じながら、甘え方を知らない少女の頭を撫でる。
もし華琳が甘え方なんてものを知ったらどうなるんだろう。
その姿を想像してみて、自然の笑みとは別の笑みが小さく溢れた。
そんなことに肩を震わせながら、静かな部屋での静かな時間を、雨音と少女の吐息とを聞きながら過ごした。
……ちなみに。
さっきのとはべつにもう一枚、寝顔を写真に収めたのは内緒だ。