真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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魏国翻弄編
44:魏/答えだけでは成長できないモノ


83/自分の在り処

 

 そうして現在、華琳の部屋の前に立っているわけだが……ううむ。ここを前にすると、相変わらず妙な緊張感が沸き出てくるなぁ。

 

(いやいや、扉に負けてどうする。俺はきちんと華琳と話すために───!)

 

 まずはノック。

 そして声をかけて「忙しいから後にして頂戴」…………一蹴。

 沸き出た緊張感もやる気も、早くも頓挫した。

 ……“なんということでしょうって、こういう時にこそ言う言葉な気がしない?”と、心の奥で誰かが語り掛けてきたような気がするくらい、あんまりにもあんまりな一蹴だった。

 

「この調子じゃあ誰も相手にしてくれなさそうな気が……はぁあ」

 

 ───いや。ここで諦めたら駄目だよな。

 こうなったら誰でもいいから話を聞いてもらうんだ。そうだ、誰かが聞いてくれれば、そこから別の誰かへと話は広がるはずだ。

 

「まずは───そう、まずは凪に……!」

 

 凪ならきっと聞いてくれると信じてダッシュ。

 通路を駆け、凪の部屋の前まで一気に走り抜けてノック。……返事はなかった。

 仕事中だろうか……うう、諦めるな北郷一刀! 次だ!

 次、次は……───!

 

……。

 

 その後、中庭の木の下でT-SUWARIをする俺が発見された。

 

「ひーとーりーがー大好きさー……どうせ死ぬときゃ……独りきり~……」

 

 散々と駆けずり回ってみても、みんな忙しい忙しいで相手にしてくれないのだ。

 仕事の大切さも学んできた手前、邪魔をするわけにもいかず……結局はこうしてぽつんと一人ぼっち。

 途中で思春が華琳に呼ばれたために、本当の意味で孤独を噛み締めていた。

 兵もなんかよそよそしいし……俺、何かした?

 支柱になるって、こんなにも孤独を感じることだったのか?

 もはや傍らで蠢く謎の虫でさえ愛しく思えてくるよ……。なんだろこれ……尺取虫? 過去の大陸にも棲息したものなのかな。

 

「風はいいな……いつも空と一緒で……」

 

 鍛錬でも……しようかな……。

 そうだ、こんな時こそ鍛錬をして、嫌な思いを吹き飛ばして───いや、でもな。

 みんなが忙しいのに俺一人だけ鍛錬って……う、ううう……。

 

「そうだ仕事だ! 警備隊の仕事があるじゃないか!」

 

 仕事をさせてくれって言えばきっと無碍には出来ない筈! なんか言ってて悲しいけど、それでもきっと───!

 

……。

 

 あっさり断られた俺は、中庭の木の下で再びT-SUWARIをしていた。

 

「ワー、綺麗ナ蝶々ダー……」

 

 俺……仕事……無イ……?

 これはつまりクビってこと……なんだろうか。

 帰ってきて早々に他国へ行って、いろいろなことを好き放題やった結果がこれ?

 ……いやいやいや、もしそうだとしても後悔はない。あっちゃならない。

 国に返すために、自分に出来ることをやってきたんだ。

 その結果がこんな状態なら……

 

「……胸、張ろう」

 

 座っていた自分を立たせる。

 胸をノックして、深呼吸。

 それが済むと、もう後ろ向きな思考は浮かんでこなかった。

 そうやって前向きになった頃、ふと……視界に通路を歩く思春の姿が入る。

 もう話は終わったのかなと近づいて声をかけると、

 

「貴様に構っている暇はない」

「───! ───!!」

 

 鈍色(にびいろ)の言葉の槍が、心臓を穿っていった。

 言葉の棘というか、もう槍だった。

 音も無く歩いていく思春を目で追うことも出来ず、せっかく前向きになった思考は再び後ろ向きへと───い、いや、だめだだめだっ!

 

「だい……じょうぶ、大丈夫……うん、大丈夫」

 

 全部誤解なんだから、きっといつか全てが解ける。

 それまでは我慢だ。

 思春が華琳に何を言われたのか、今の俺には調べようもないけど、それもいつかわかるさ。

 

「……雑念は殺そう」

 

 バッグから木刀を取り出す。

 さらに木陰に隠れて胴着に着替えると、改めて木刀を構え、素振りを始めた。

 体が鍛錬の動作に慣れると、次はイメージトレーニング。

 仕事が無いって言われたなら、もうこれしかない。

 部屋では袁術が寝ているし、フラフラとそこらへんをうろつくだけだと、物凄く申し訳ない気分になる。

 だってみんな仕事しているんだもの、その傍をスタスタ歩くだけって……堪えられない。

 なら、せめて実りあることを。

 

「ふっ! はっ! せいっ!」

 

 雑念退散っ! ただ武器を振るうだけの存在となれ!

 振って振って振りまくって、疲れ果てて寝てやるんだちくしょー!! じゃなくて雑念退散だって!

 ……と、周りのことを一切気にせず自分の思考と戦い始めた時だった。

 

「ほう……旅から戻って早々に鍛錬とは、中々見所のある奴だ」

 

 ざっ……と芝生を踏み締めニヤリと笑う者が、俺に話し掛けてきたのだ───!

 

「………」

「……? どうした」

「…………あの。今、俺に話し掛けてくれたの?」

「おかしなことを言うやつだな。他に誰が居る」

「…………~っ」

「うわっ!?」

 

 なんだか涙が溢れた。こう、ぶわっと。

 帰ってきて初めて、思春や雪蓮以外とまともに会話をした気がする。

 それが嬉しかったのか、俺自身でもよくわからない喜びとともに、涙がぼろぼろと流れた。

 気づけば俺はその人……華雄に抱き着いて“ありがとう”を何度も何度も発していた。

 ……その少しあとに、頬に拳の痕をつけて正座させられたけど。

 

……。

 

 正座での話は続く。

 律儀にも華雄は同じように正座で向かい合ってくれて、こんな俺の話を真面目に聞いてくれたりした。

 

「なるほど。つまりお前は仲間であった皆に相手にされなくなってしまい、雑念を捨てるために得物を振るっていたと」

「ああ……誤解なのにみんな聞いてくれなくて……」

「ふむ……それは真実誤解か? お前は本当に、魏将以外に手を出すつもりはないと?」

「? そりゃあ……まあ」

 

 だって、子孫を残すならなにも俺じゃなくてもいいと思う。

 揺らぎのことについてはいろいろ話したけど、それでも手を出す出さないは別だ。

 様々なものを受け止めるって、俺らしくいようって決めたけど、さすがにそれは。

 

「他の者がお前に気があるとしても、好きでもない者と子を残せと。お前はそう言うのか」

「……きつい言い方だな、それ。じゃあ訊くけど、華雄はもし俺とそういう関係になるとしたら、受け容れられるか?」

「お前が私より強ければなんの問題もない。自分より弱き者に己を託すなど、身の毛が弥立(よだ)つ」

 

 随分あっさりしていた。

 それって自分より強ければ誰でもいいってことか……?

 

「生憎と私は武に生きる者。己の色恋なぞ想像したこともない。ならば、より強き者に抱かれるほうがこの身も本望というもの」

「………」

 

 どう反応しろと。

 そんなのはだめだー、とか言うのか? や、そういうのって相手が決めることだし。

 

「じゃっ……じゃあさ、誰かを好きになる努力から始めてみるとか」

「強者以外に興味がない」

「……じゃあもし相手が強者で、華雄が負けたら?」

「相手にその気があるのなら、この身を捧げるのもいいだろう。夫婦(めおと)で武芸達者……おお、それはそれで愉しそうではないかっ」

 

 ……華雄ってもしかして、猪々子みたいな人?

 でも別に猪々子みたいに斗詩が好きとか、そういう相手が居るわけでもなさそうだ。

 

「そういえばお前には一度負けたな。負けは負けだが、あんなものでは私が納得いかん」

「まあ……ちょっとずるかったよな。つまり真正面から小細工抜きでぶつかって、負かされれば───」

「フッ……いいだろう。そうまで言うなら、貴様が勝ったら貴様のものになってやろう」

「人の話は最後まで聞くっ! 勝ったら体を許すとか、そういうのはダメッ!」

「な、なに? 駄目なのか? ……いや待て。何故私という存在の否応を貴様に決められねばならん」

「だっ……だっておかしいだろっ! 自分が負けた相手なら誰でもいいのか!? なんか違うだろそういうの! ほら、誰か好きな男性像とかもっとこう……!」

「強者だ」

「戦いのことしか頭にないよこの人!!」

 

 そしていつの間にか貴様呼ばわりされている。

 それはもう思春で慣れたからいいんだけどさ。

 ここまでの戦闘狂は珍しいぞ……春蘭だってまだ、好み云々の時点で……華琳って言いそうだな、うん。

 つまりあれか、戦が恋人なのか。

 

「え、えーとつまりな? 男と女が居まして……」

「ふむふむ……?」

 

 説明すると聞いてくれる。案外熱心に。

 でも聞いてくれるのと理解してくれるのとじゃあ意味は全く違うわけで、

 

「なるほど。恋に落ちるというのは、男を突くという意味なわけだな?」

「“つきあう”ってそういう意味じゃないから! お願いだから戦から離れて……!」

「だが霞が言っていたぞ? “恋っちゅーもんは戦なんやで華雄!”と。戦と聞いてはこの華雄、黙ってはおれん。戦とは突撃してこそ華! さあ、恋とは何に向かって突撃すればいいものなのだ!?」

「“冷静”って言葉にまず突撃してください。まずはそこから始めよう」

「なるほど、冷静さに打ち勝てばいいのだな? フッ……容易い」

「勝っちゃだめなの! 冷静になってほしいんだって!」

「む……そ、そうか?」

 

 困った……この人、春蘭よりも性質悪い……。

 春蘭もいろいろと勘違いはするけど、この人の場合はほぼ全てを戦関連で勘違いする。

 そういえば汜水関を攻めた時も、どうしてか突撃してきたっけ……あの状況であれはないだろうってくらいに。

 

「冷静さも大事だけど、まず戦以外の判断基準を持つ練習をしよう」

「判断基準? 私から武を取ったら何が残る」

「それ、自分で言っちゃだめだろ……」

 

 どうしよう華琳さん。この人、喋るたびにツッコミどころが増えていく。

 

「えと、じゃあまず着飾ってみるとか」

「武装か!」

「武から離れてってば!」

「ならば断る」

 

 なんか普通に断られた!?

 え……? えと、え? 会話終了?

 

「あの、華雄? 武以外で気になることとかは……」

「武以外? うむ。軍勢を吹き飛ばす心地よさがだな……」

「武で戦だよそれ! それ以外!」

「む…………」

「………」

「…………ぶ、武器の手入れ……」

 

 すごいこの人、本気で武のことしか頭に無い。

 なのに作戦とか戦略無視の突撃しか好まない凄まじい人だ。

 なんだろう、何かのアニメでこんな性格の人が居たよ。男だったけど。

 

「むう……よくわからんが、そもそもお前は何故私にそんなことを訊く。お前には関係がないだろうに」

「いざって時に武以外振るえるものがなかったら、いろいろ大変だろ? 戦自体が終わったこの世界だ、少しくらい武以外に目を向けるべきだと思う」

「何を言う、未だこの大陸には賊が───」

「その賊として蓮華に捕らえられたっていうのが華雄たちでしょうが!」

「ぐっ……! 反論出来ん……!」

 

 認めるところはしっかり認めるらしい。

 なんだ、凄く素直な人じゃないか……でもなくて。

 ええと、そもそも俺はなんでこんな話、してるんだっけ?

 話を最初まで戻してみよう。

 

「ありがとう。じゃなくて───ええっとちょっと待った。いろいろこんがらがった」

 

 自分の頭を押さえながら溜め息。

 話し掛けてくれてありがとうなのはもういい。

 それより次だ。

 

「そうだ、誤解の話」

「?」

 

 顎に手を当てての、朱里が考え込む時の仕草で顔が顰められた。

 一応話をもとのところまで戻すことを伝えて、話を続ける。

 すると───

 

「それはお前、全てを受け止めるとは言わないだろう」

「はぐぅっ!?」

 

 あっさり言って返された。

 

「い、や……だってさ、それだと女性の体が目的でそんなことをしているみたいに───」

「目的もなにも、相手がそう望まなければ成立しないだろう」

「………エ?」

 

 「無理矢理はいかんぞ、無理矢理は」なんて続ける華雄を前に、呆然。

 それはそう……なんだけど、あれ? 何処で間違えた?

 以前にも似たことを言われただろ、俺。

 

「お前はなにか、支柱とやらになった途端に全ての女を抱ける権利を得るのか?」

「順序が逆になってません!? いや逆でもないか!? 支柱になりたいって思ってるだけで、誰かを抱きたいとかは思ってないから!」

「……? ならばー……あー……それでいいのではないのか? 抱いてくれと言う者だけを、貴様の言う恋や想いとやらを込めて抱けば」

「………」

 

 …………。

 ハッ!? 思考停止してた!?

 

「けどさ、そんな、来る者拒まずで居たらっ……」

「……よくわからんが、貴様は支柱とやらになって何がしたいんだ?」

「みんなが手を繋いで、国に返していける未来が欲しい」

 

 思考停止状態だったにも関わらず、訊かれた質問を即座に返した。

 華雄は面を食らった様子でしばし沈黙したが、「ふむ」と言って改めて俺を見る。

 

「ならば嘘偽りなく全てを受け止めればいいだろう。抱いてくれと言ってくる者が嫌いならば拒めばいい。逆に好いているなら抱けばいい。そこに偽り無く、貴様の言う恋や想いがあり、支柱として存在出来ているのであれば問題はないんじゃないか?」

「………」

 

 で、言われた言葉に再び沈黙。

 春蘭もだけど、時々的確でグサッと来ることを言う人のようだ。

 あながち間違いじゃないから、余計に性質が悪い。

 

「華雄は、俺はそうしていていいって思うか? いくら恋や想いがあるからって、誰彼構わず抱くような男が支柱になったっていいって思うか?」

「……さっきから訊きたかったんだが。言葉だけで、一方に偏ったままの存在が支柱になれるのか?」

「!」

 

 核心を突かれた。

 それは、恐らく自分自身で必死に考えないようにと努めていたこと。

 “魏に生き魏に死ぬ”、なんて思ってた自分が支柱になりたいって考えて……でも、“自分のため”を周りに広げて、国に返すことでみんなのためになればな、って……。

 

「~っ……」

 

 自分の髪を乱暴に掻きまぜるように頭を掻いた。

 また、変なところで間違ったまま進むところだった。

 無意識に奥へ奥へと仕舞いこんでいたものが引っ張り出されて、正直気持ち悪いが……それは受け止めるべきことだ。

 嫌だからやっぱり支柱になるのをやめる、なんて口が裂けても言いたくない。

 なら、つまり……

 

「つまり……こういうことなんだな」

「? なにがだ?」

「……俺は、国に生き、国に死ぬ。支柱っていうのはつまり、そう生きることなんだよな」

「いや……私に訊かれてもな」

「そこで首傾げられるとこっちも戸惑うんですけど!?」

 

 決意が何処かへと飛んで行ってしまった。

 そこは素直にそうだなとか言ってください!? じゃないとこれからのことを覚悟として受け取れない!

 

「いいえ、それで正解よ」

「へ? ───って、華琳!?」

 

 正座をして話し合う俺達の───もっと言うなら華雄の背後から声をかける存在。

 普通に歩いてきたのか、いつの間にそこに居たのか、気づかないほどによっぽど悩んでいたらしい自分に呆れが入る。

 

「自分だけでは気づけなかったみたいだけれど、いつまでも引きずらなかったことは褒めてあげるわ。まあもっとも、引きずっていたら今のままの態度が続いていただけだけれど」

「って……じゃあやっぱり、皆のあの態度は……」

「貴方の覚悟を試したのよ。支柱になりたいと言っているくせに、それがどれほど重いことかも考えもしない。自分がただその位置に立てば、皆が笑っていられると勘違いしている御遣い様にね」

「うぐっ……」

 

 実際に迷ってしまっていた自分が居る手前、反論すら出来やしない。

 ていうか華琳さん? 説教してるのはわかるよ? とてもありがたいお言葉だ。でもそのー……なんというか、顔が滅茶苦茶嬉しそうじゃないですか? ……今さら気づいたけど、いろんなところの影から魏のみんながこっち見てるし! 気づこうよ俺! ……そしてみんな、仕事はいいのか……?

 

「魏に生き魏に死ぬ。私も貴方の在り方について言ったことはあったけれど、それは貴方が支柱になるとほざく前のことよ。私の言葉をどう受け止めたかは別として、いい加減に私に意見を仰いでばかりではなく、自分で決められるようになりなさい。成長が望めない者は、居ても玩具程度の価値しかないわ」

 

 厳しいことを言ってくるのはいつものことだ。相変わらず、ずしりと重たい言葉だが。なのに華琳? 顔がさ、どうしようもなく笑ってるんだが?

 

「一刀。貴方に機会をあげるわ。今ここで覚悟を決めなさい。私が雪蓮に言ったように、魏に生き魏に死ぬか。それとも支柱となり、国に生き国に死ぬか。呉、蜀での貴方の働きは確認しているわ。それを受け取った上で、貴方自身に答えてもらう」

 

 しかしここに来て、その表情がビッと……いっそ冷たささえ感じるほどの鋭さに変わる。

 ……でもな、華琳。俺もいろいろな覚悟を呉で、蜀で決めてきた。

 ここで中途半端な言葉を言うのは、いつまででも見捨てずに教え尽くすって言ってくれたじいちゃんや、この大陸で出会ってきたみんなのこと、そして自分の覚悟さえも裏切ることになるから───もう、覚悟は決まってるんだ。

 間違ったままで貫くところだったけど、もう……受け容れたから。

 

「国に生きて、国に死ぬ。俺が目指したいのは“みんなが手を繋いで、国に返していける未来”だ。だから、俺は支柱を目指すよ」

「……《チキッ》」

 

 言った途端、華琳が鎌───絶を構え、刃を俺の首に突きつける。

 殺気は……本物だ。

 

「魏を裏切るというのか。天より降り、魏に尽くすと誓った言葉は偽りか」

 

 振るわれれば頚動脈……どころの騒ぎじゃないな、首が飛ぶ。

 そんな冷たさを突きつけられても、目は決して逸らすことなく華琳の目へと。

 

「裏切りじゃない。魏は俺にとって特別な場所だし、自分を変えてくれた場所だ。大切だと思うことに変わりはないし、偏りはどうしようもなく出てくるに決まってる」

「ならば覚悟には程遠いわね。そんな薄っぺらなもので、三国を背負えるつもりでいるの?」

「背負わないよ。一緒に歩いていく。俺に出来ることなんて……いや。人一人に出来ることなんてタカが知れてる。だから手を繋いで、みんなで目指せる未来が欲しい」

「……甘いわね。桃香にさえ笑われそうな未来だわ」

「だから、俺も変わっていく。自分に出来ることを学びながら増やして、変わらないものに安堵しながら……変わっていきたい。目指していきたい」

「言うだけならば簡単よ。それだけでは私は揺るがない。それは貴方がよく知っていることでしょう?」

「……覚悟ならとっくに。これ以上何をお望みですか、魏王曹操」

「……三国に生きようとも、貴方が私のものである証を立てなさい」

 

 言って、書物を一つ、投げて渡した。

 受け取った俺はそれを開くと……頭痛で気が遠くなるのを感じた。

 

「あー、華琳? つまり……」

「うるさいっ!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 書物……巻物か。の、内容は……あまりにも単純。

 どうやら桃香が朱里とともに出したものらしく、俺が桃香に“支柱になったら出来ることならなんでもしてあげる”と言ったことや、俺が魏以外の他の女性に興味がないわけじゃないことがわかったこと、などなど……赤面せずにはいられないことが赤裸々に綴られていた。

 ようするにあのー……か、華琳さん? さっきまでの笑顔と今のこの殺気は……

 

「嫉妬して───いったぁあーっ!? ちょ、華琳! 首! 首切れる!!」

「いいから答えろ! 貴方は私のもの!? それともこの世界に居るためだけに、とりあえず頷いただけの存在なの!?」

「それって物凄い偏りを感じないか!? 言った時点でなんかもういろいろ守れなくなりそうなんだが!?」

「いいから答えろというのが……!」

「いたっ!? 切れてる切れて───って! だから! “言った時点で”って言ってるだろ!? そういうことなんだって!」

「なんのことかわからないわ。私はね、一刀。貴方に“口に出して言いなさい”と……そう言っているのよ……!」

「いやっ……そりゃあ好きだぞ!? どれだけ焦がれてこの世界に来たと思ってるんだ! 天に居た時だってずっとずっと華琳のことを思ってた! 忘れたことなんて無かったよ! 俺は華琳のものであり魏のものだ! この誓いは絶対に揺るがない!」

「…………」

「………」

 

 って、言っちゃったよ! 勢いに任せて!

 ……あ、華琳の顔がみるみる赤く……って痛い痛い痛い! 一応言ったのにどうしてまだ突きつける!?

 

「そ、そう、そうよ。わかっているじゃない。貴方は私の、そして魏のものよ」

 

 顔が赤いままに、鋭かった表情が緩んでいくのがわかった。

 ただし緩むとともに鎌を握る手も緩んで切れる切れる切れるーっ!!

 

「いいわ、それが自覚出来ているなら支柱にでもなんにでもなりなさい」

「へ? い、いいのか? 証っていうのは───」

「絶に吸わせた血を証として受け取るわ。それが虚言となった時、その首が飛ぶ。ただそれだけのことよ」

「……あ、ああ……わかっ……た……」

 

 本気の目だった。

 なるほど、裏切るつもりなんてそもそも無いが、余計に覚悟は決まった。

 

「まあもっとも、一刀が支柱になること自体で困ることなんて、一つもありはしないわ。私はただ、一刀を国に貸してあげるだけだもの」

「へ……?」

「呉、蜀へと行き、少なからず将や王、民や兵と深めたものもあるでしょう? それらが上手く纏まるには、そうした者が立った方が確かに効率がいいのよ」

「それは、わかるけど」

「打算的に言うのなら、呉の民は一刀が雪蓮の相手になるのなら大多数が認めるでしょう。蜀は桃香や将が選んだのならと納得する。貴方はそれらの思いを正直に受け取り、貴方らしく生きればいい。支柱があれば纏まるものがあるのなら、それらに綻びが出ないようにするのが周りの者が努めるべきことよ」

 

 知らずに口が開き、ぽかーんという音が合いそうな顔で、楽しげな華琳を見上げた。

 “うわ、そう来たか……”心の中はその言葉でいっぱいだったのだ。

 

「そして私は、私が認めた将や王がくだらない男に抱かれることを良しとしない。そんな者の子に次代を担わせるくらいなら、一刀の子を産ませるわ。大陸の父にでも支柱にでも好きなだけなりなさい。必要な知識くらい、私がいくらでも叩き込んであげるから」

「ウワー」

 

 その楽しげな目が語っていた。

 刺激の無い日々に、ようやく刺激らしい刺激が舞い降りたと。

 そんな、いっそ舌なめずりでもしそうな目が……俺を見下ろしていた。

 

「………」

「一刀?」

「いや……このことで散々と言われるって思ってたのに、むしろ華琳が賛成だったことに驚いてて。今までの悩みはなんだったんだろうかって……」

「……本当にいちいち一刀ね」

「だから、それはどういう言葉なんだ?」

「くだらないことばかり考えているっていうことよ。悩んだ分だけ言葉に説得力が生まれることもあるのよ。訊かれたことには出来るだけ迅速に。けれど訊かれてもいないことを無駄に話す者を、貴方は無条件で信じられる?」

「そりゃ……その人のことを知っているかどうかでも判断が変わるだろ」

「そうね。それがわかっているのならもう十分でしょう? 私は私として、一刀という所有物を判断している。その他の判断材料も届けられているし、私が知る北郷一刀という像にそれらの材料が加われば、答えなど自ずと出てくるものよ。呉でも蜀でも随分と悩んだそうじゃない」

 

 みんなどんな報告してるんだ!? え……俺の行動ほぼ全て!?

 なんだこの幼い頃の学校での出来事を、腐れ縁の友人の口から家族に暴露されたみたいな気持ち!

 

「……もしだけど。もしさっき、“魏に生きる”とか言ってたらどうしてたんだ?」

「貴方の言う“覚悟”を、一生信じなくなったでしょうね」

「…………」

 

 笑顔なんだけど笑っていない目に射抜かれた途端、冷たいものが背中を走っていった。

 選択間違えなくてよかった……!

 ……よかったけど、どのみち鎌は突きつけられたんだろうな。

 

「は……ぁあああ……」

 

 安心したら気が抜けた。

 正座のままに後方の地面に手をついて、脚を崩してから長い溜め息。

 そんな、胡坐をかいたような状態の俺に、今度こそ華琳が笑顔で言う。

 ……なんの冗談なのか、俺の動きに合わせて鎌をずらしながら。

 いい加減引いてくれませんか、華琳さん。

 

「他国で色目を使った所有物には、それなりの仕置きが必要だった。それだけのことよ」

 

 全然嬉しくない言葉だったが、楽しげな声調の華琳の声が聞けただけで、俺ってやつは笑ってしまうらしい。

 まったく、ちっとも制御出来ない体だ。人の言うことなんて全然聞きやしない。

 聞きやしないから、本能が導くままに───ようやく鎌を引いた彼女の手を引き、抱き寄せた。

 

「なっ……こらっ、一刀っ!?」

「仕置きにしたって、誰からも相手にされなかったのは正直キツすぎたから……」

 

 驚きとともに手放され、ドスッと地面に刺さる絶の傍ら、華琳の体を抱きしめた。

 途端に様々な罵声が飛ぶものの……抵抗がないのが不思議というか、なんというか。

 それが嬉しくて、自分のすぐ傍に華琳が居ることが嬉しくて、体が自然と動いた。

 

「か、か……一刀?」

 

 愛しい者の香りに惑わされたもののように、軽く抱擁を解き、目を見つめてから……やがて顔を近づけ、

 

「へぶぅっ!?」

 

 側頭部に靴が飛んできた。

 突然の激痛にくらくらしながら、飛んできた方向を見れば……そこには肩を震わせる軍師さまが───!

 

「こここっここここの変人! 変態! 華琳さまが慈悲で武器を引いた瞬間を姑息にも狙って、嫌がる華琳さまを無理矢理抱き締めて動きを封じたりして、ししししかもその上その美しい唇を奪おうだなんて───!!」

 

 いや確かに言ってることは間違ってはいないけど! だからって普通靴投げるか!? ていうか一歩間違えれば華琳に当たってたぞ!?

 そして俺こそ落ち着け! 今何しようとしてました!? と、そんな桂花の攻撃がきっかけになったのか、潜んで様子を見ていた魏将のみんなが一気に雪崩れ込んできて───ってちょっと待った待った! 待ったぁあーっ!!

 

「北郷貴様っ! いつまで華琳さまを抱き締めているつもりだ! 羨ましい!」

「っ! わ、悪いっ! って、相変わらず素直だなぁ!」

 

 春蘭の言葉にハッとし、靴をぶつけられながらも抱き締めていた華琳から手を離す。靴の一撃に痛がりながらも抱き締め続けるって、おかしな方向に根性あるな、俺も。

 そんなわけで解放された華琳はスッと立ち上がり……どうしてかぶすっとした顔で、

 

「……春蘭」

「はいっ」

「たった今から私が許可するまで、語尾に“どすこい”をつけなさい」

 

 呼ばれ、ぱぁっと表情を輝かせた春蘭へと、そう仰った。

 

「な、なぜですかどすこい!?」

「天の国の戦人(いくさびと)の掛け声だそうよ。貴女にはぴったりでしょう?」

「おお! 言われてみればなにやら力が漲るような気がしますどすこい! ……華琳さまどすこい? 何故急に顔を俯かせて震え出しているのですかどすこい?」

「なっ……なんでも……っ……ないわっ……!!」

 

 趣味が悪いよ華琳……確かに戦人といえば戦人だけど。 

 確か蜀で、学校の授業の傍らに俺が教えたことだったが……そんなことまで報告されてるのか。

 そんなことを考えているうちに霞に背中から首に抱き付かれ、砕けた胡坐のままだった足には季衣が座り、次いで真桜と沙和に押された凪がたたらを踏んで飛び込んできて───ってぇ!?

 

「あぶっ───」

 

 そんな凪を、伸ばした手でなんとか受け止めると、妙な体勢になってしまったところにさらに足に乗るなにか。

 はてと見てみれば、もはや懐かしいホウケイが。じゃなくて風が。って霞、首から血が出てるから、首に抱き付いたら───や、そんなんどうでもいいってそんなあっさり───!

 

「さすがはお兄さんですねー。風たちに嫌われてしまったと見るや、華雄さんに手を出すとは……その手の早さは呉や蜀に行ったことでさらに進化したのですか?」

「違うからな!? 俺はただ華雄の先のことが心配になって───!」

「うむ、その通りだぞ風よ。この男、北郷は───あー……自分が私に勝てたなら私を抱かせろと」

「言ってないよ!? 違うだろそれ! 俺は華雄に───ってみんな!? なにその“また悪い癖が”って顔!」

「おぉおそうかー、それやったら華雄にも恋っちゅーもんを知る機会がくるかもなー♪」

「霞……お願いだから煽るようなこと言うのやめて……っていうか風、華雄に真名を……」

「悪い人じゃないですし、霞ちゃんのお墨付きですからねー。他の方とも打ち解けてますから、その珍しい反応は風の時だけにしておいてくださいね、お兄さん」

 

 チロチロとキャンディーを舐めながら、いつもの半眼を向けて言う風。

 俺はといえば、そんな会話をしながらとりあえず凪を隣に座らせ───た途端に、みんなから質問攻めにされた。

 内容はこの旅で知った様々なことへの質問ばかりで、聞けば玉座の間では我慢していたとかで、改めての報告を今この場で……強要された。主に華琳に。

 

「そう。それで? 思春には本当に手を出していないの?」

「誓って出してないよ。命だって懸けられる」

「なら今すぐここで死になさいよ」

「桂花さん!? 手は出してないって言ってるんですけど!?」

「ふん、あなたの言う“手は出してない”なんて信じられるもんですか。これだけの将に手を出しておいて、よくもぬけぬけと言えるものだわこの変態」

 

 そしてみんなも……なんでそこで見たことのないものを見るような目で見るのさ。

 

「隊長どないしたん? もしかして立たななった?」

「お気の毒なのー……」

「いきなり失礼だなおい! 直球にもほどがあるだろ!」

「そうね、それはないわ。朱里からの報告で、それは確認済みらしいから」

「おおっ、さすがお兄さんですねー」

「いや……華琳、風……? そういう意味でもなくて……」

「ほらみなさい、他国へ行ってもこの男のそういうところは変わらないのよっ」

「………」

 

 なんかもう滅茶苦茶泣きたいんですが。

 俺……なんのためにあそこまで耐えてたんだっけ……?

 手を出すことが当然みたいに言われて、我慢した俺が別人を見る目で見られて……。

 

「それはそうと兄様? きちんと食事は取りましたか? 兄様は目を離すと、すぐに偏った食事ばかりを……」

「あ、ああ、それは大丈夫……くっ……!」

「なにを泣いているのよ」

「いや……疑われてばっかりの中で、普通に心配してくれたのが嬉しくて……」

 

 流琉はいい子だなぁ……直球で“立たなくなった”とか訊いてくる部下とは大違いだ。

 ホロリと来る心配に心からの感謝を捧げる。そんな俺の首に抱き付いたままの霞が、肩越しに笑顔を覗かせながらけらけらと笑って言う。

 

「うまいもんやったら、向こうでいっぱい手ぇ出しとったんとちゃうん?」

 

 つくづく楽しそうだ。

 ええいもう、だからそういうのは無いって言ってるのに。

 

「誓って手は出してないってば。霞……わかってて訊いてるだろ」

「へー……♪ そらあれか? ウチらに操立てて~とか、そういうことなん?」

「ぐっ……そ、そうだよっ、悪いかっ!? 他の誰かに手を出せば、みんなが傷つくんじゃないかって本気で考えてたよっ! 仕方ないだろっ、本当に大事で、本当に好きなんだからっ!」

「へ……?」

「───っ……!」

 

 茶化されるあまり、本音をぶちまけた。

 すると背中からは茶化す言葉は止み、周りのみんなも喋ることをやめ、華琳が……息を飲んだ。あれ? と見上げたその顔は……真っ赤だった。すぐに逸らされたけど。

 

「あ、あ……あー、そ、そかそか。そりゃあ……~……っ」

「うえっ? し、霞?」

 

 言葉を紡ごうとしたのに言葉に出来なかったのか、何も言わずにただ首に回した腕に力を込める霞。

 少し苦しくて変な声が出たが、緩める気も話す気も無いらしい。

 ホウケているうちに右手を凪の両手に包まれ、足は左に季衣、右に風、背中は言うまでもなく霞で、自由である左手でなんとか状況を変えようとしたら、誰かにがしりと掴まれた。

 振り向こうにも、左肩に霞の顔。何かをじっくり噛み締めているような穏やかな顔がそこにあった。

 しかしながら突然左方から聞こえた言い争いで、どうやら左手を掴んだ相手は人和だったらしいことがわかった。っていたたたたっ!? 脇腹抓ってるの誰だ!? って桂花しか思い当たらない! なのになんとかしたくても手足が封じられている!

 

「……えーと、俺はこれからどうしたら?」

「そのままで居ればいい。北郷、お前はそれでいい」

 

 誰かに届けと口に出してみれば、返してくれたのは秋蘭。

 穏やかな顔で目を伏せ、腕を組みながら少し離れたところでそう言った。

 そのままでいいと言ってくれたのが嬉しかったのに、せめてこの状態からは助けてほしいと思う俺は……贅沢なんだろうな。

 そう思えるほどの自覚はそりゃああるんだが……この脇腹だけはなんとかしてほしい。

 

「だ、大事……大事で、大好き……好かれているということは即ち、いずれいつぞやのように肌と肌を重ねるときが……と、とき……ぶーっ!!」

「うわわっ!? 鼻血飛んできたっ! ちょっと何すんのよっ!」

「あ……ちぃ姉さん、足に血が……」

「拭けば落ちるかなー?」

「ちょっ、天和姉さん!? そんな力任せにっ……滲む! 広がる!」

「うぶっ、うぶぶぶ……」

 

 ……見えないだけに、気になるんだが……なんだろうな。

 声だけで何が起きてどういう状況なのかがありありと浮かぶようだ。

 さあ風、久しぶりに見せてくれ、あのトントンを───と、懐かしさを期待していたんだが、これももはや茶飯事なのかどうなのか。風は軽く俺へと振り向くと、眠たげな半眼のままにニヤリと笑い、自分の口に手を当てて動こうとはしなかった。

 

「ちーちゃぁん、鼻血の時は鼻の上のほうを押さえるんだっけ?」

「違うわよ、こう、お腹をドスンと」

「それだと別のものが止まるわ。ちぃ姉さん、首の後ろを叩いてあげて」

「あ、わたしがやるんだ。よっし見てなさいっ? せいやぁーっ!!」

「ふぐぅっ!? ……」

「………」

「………」

「………」

 

 ……あれ? なんだか周りがやけに静かに……待て、今ドサッて何かが倒れなかったか? それっぽい音が聞こえたような……? ちょ……稟? 稟!?

 

「ちぃ姉さん……どうしてそこで思い切り叩くの?」

「え? 強く叩けば一回で止まるかなって。叩いてあげてって言ったでしょ? 人和」

「気絶するほど強くとは言ってない」

「……えっ? 気絶してるの? これ」

 

 …………体勢的に見ることは出来ないが、見ない方がいいこともあるんだと確信した。

 アア、今日もいい天気だ。

 

「うあー! 血が! 鼻血が止まらない! これってわたしが殴っちゃった所為!? どうすればいいのこれ!」

「落ち着いてちぃ姉さん。まずは止血から……でも上向きだと鼻血が気道を固めちゃって……ええと」

「うーん……こういう時は冷静な人に判断を仰ぐべきだよね?」

「そうだそれよっ! 天和姉さんが珍しくまともなことを言った! というわけで華琳さま!? これはどうしたら───」

「どうする? いつものことでしょう?」

『………………そういえばそうだった』

 

 三人同時に納得しちゃった!? 鼻血はいつものことだろうけど、流れっぱなしなのはまずいだろ!

 いつもなら倒れたあとでも風がトントンやって……あ、でも毎度発見した時は噴き出してからしばらくしたあとだったりしたし…………なんだ、いつものことじゃないか。

 

「………」

「………」

 

 そんな“いつものこと”を感じる場所へと帰ってこれたことに、じわりと暖かさを感じていると……華雄と目が合った。相変わらず正座のままに俺を観察していたらしいその目は、霞の穏やかな顔にも向けられ、様々な変化を育んでいた。

 

「うーむ……私も恋とやらを知れば、お前のような顔が出来たりするのか?」

「んー……? ははー、こればっかりはじっくり知らんと無理や。ただ知るだけやったらこんな、女でよかったーなんて思えへんもん」

「そ、それほどまでなのか? ……そうか」

 

 その変化が嫌な方向に向かっていそうな気もするんだが……今はこの穏やかさの中に埋没していたい。そう思えたから、そっと目を閉じて耳に届く様々な音に意識を集中させた。

 背中の霞から直接伝わる声、仕事を手伝おうとした俺に、突き放すようなことを言ったことへの凪の謝罪や、左足を陣取る季衣へと話し掛ける流琉の声。

 「仕方ないですねー」と腰を持ち上げ、恐らくは稟の介抱に向かう風の動きや、空いた右足を狙って急に喧嘩をし始める天和と地和や、その間にちょこんと足の上に座ってしまう人和。

 ……そして、今でも語尾にどすこいを付けて喋る春蘭……って、まだ許してもらってないのか!?

 思わず吹き出しそうになって目を開けた───その先に、華琳が立っていた。

 見えたのは足。

 視線を上げてみれば、腕を組んで俺を見下ろす姿。

 目が合った途端に自然と落ち着く心にフッと笑み、同じくそんな顔をしている華琳をそのまま見つめた。

 

「改めての再会の挨拶は済ませたわね? じゃあ一刀、貴方に伝えておくことがあるの」

 

 見つめ合ったまま、どこまでも届くような通る声を聞く。

 伝えることとはなにか、とか……そんなことは正直感が得ていなかった。

 懐かしさが何よりも先に走ったというべきなのか、続く声をひたすらに聞きたかった。

 その結果が───

 

「……貴方に、美羽……袁術の教育係りを命じる」

 

 ───これだった。

 思わず「え?」と返した俺だったが、穏やかな視線に反論を許さぬ迫力が含まれた時点で、俺の敗北は決定していた。

 

「いい返事ね。ああ、思春とはずっと同じ部屋で寝ていたらしいけど。これからは美羽と部屋をともにすること。あの子、貴方の部屋が気に入ったとかで動こうとしないのよ」

「まっ……待て待て待てっ、そんな畳み掛けるようにっ……そもそも返事してないだろ俺! ってそうだ思春! 話し掛けたらいきなり“貴様に構っている暇はない”とか言われたんだけど……あれって今の話に関係あるのか?」

「別に。貴方に対してこの子達が冷たかったことと同じ理由よ。そう言えと私が促したの」

「…………」

 

 まあ……なんとなく予想ついたけどさ。

 

「……じゃあ、袁術を俺に任せる理由は?」

「貴方の部屋の問題だもの。自分の部屋のことくらい自分でなんとかしなさい」

「あ……そういうこと」

 

 なるほど納得だ。

 別の部屋を用意してくれたりは、しないわけですね?

 と思ってたら、見つめたままの華琳の表情がニヤリとした怪しい笑みに変わり……あ、とても嫌な予感。

 

「それに。あの麗羽を落としたくらいだから、美羽くらい容易(たやす)いでしょう?」

「へ?」

 

 華琳がそう口にした途端、周囲がざわっとどよめく。

 むしろ俺も相当に動揺した。

 

「な、なんと……あれを落とすとは……どすこい。ところで秋蘭、落とすとはなんだ? どすこい」

「男が女に、女が男に、己に好意を持たせるようなものだ」

「おおなるほどっ、我らが華琳さまを好いているようなものだなどすこい!」

「姉者、それでは女が女になんだが……間違い、ではないな。うむ……」

 

 春蘭と秋蘭の話を皮切りに始まる質問の嵐。

 どうやって落とした、どうしてあれを落とそうって気になった、本当に手は出していないのか、などなど……暖かかった“音”の全てが弾け飛び、今ではがっくがっくと揺さぶられるばかりだった。

 

「……ところでさ。部屋が随分荒れてたんだけど、あれも全部袁術が?」

「ああ……あれは違うわよ。雪蓮が面白がって、怯える美羽を追い掛け回した結果よ」

「…………」

 

 やられた。

 最初に訊いた時、気まずそうにしてた理由はそれか。

 もはやこの場にはいないやんちゃ王を思い、溜め息を吐いた。

 結局……この日は質問攻め続きで懐かしむどころではなくなってしまい、やがて夜を迎えた。その頃にはへとへとになり、自室へと戻ったところで───

 

「ひっ!? な、なんじゃおぬしはっ……! こ、ここは妾の部屋であるぞ? 早々に出ていくがよいのじゃ……」

 

 ……小さな番人を前に、眩暈が起こるのを感じた。

 口調は王族的なものの、自信は全然無さそうだ。

 思春には別の部屋を用意させるって言ってたし……今日からこの子と日々を過ごすことになるんだが。あの……華琳さん? この様子だとその話、一切この子にしてない……よな?

 

(神様……)

 

 魏に戻っても自分自身の在り方があまり変わらないことに、軽く天井を仰いだ。

 そんな中でも借りてきた猫のようにびくびく震えて、寝台の奥側に屈んでこちらを睨む姿を見て、沸き出していた疲れを溜め息一つで追い払う。

 

(七乃に、任されたもんな)

 

 トンと胸をノックして近づいた。

 これからどうなることやらなんて、自国では考えることもないだろうと思っていたことを深く深く考えながら。




ネタ曝しです。

*鈍色の槍
 グレイブ。ほんとは鈍色の剣ですが。
 テイルズオブデスティニー・プルースト・フォーゴットン・クロニクルより。
 ドラマCDなんですが、これで聞けるグレイブの詠唱が大好きです。
 ただ思いっきり間違いをして、それを間違え続けた自分が今でも恥ずかしい。
 だって詠唱が書いてあるわけじゃないもの! 仕方ないよ!
 「我唱えん 我らを宿す黒き大地の上に
  さしずめ鈍色の剣の如く 太陽の目から遠く 死の岸辺に誘う」
 虹色じゃなく鈍色(にびいろ)だった……んだと思います。
 聞くと虹色って聞こえるんですよね……でもどう考えても虹色の剣じゃない。
 じゃあいったい……? と考えているときに、ニコニコで千年の独奏歌を知り、大笑い。
 それは、鈍色なんて言葉を知らなかった、一人のアホウの物語。

*何かのアニメでこんな性格の人が居たよ。男だったけど。
 AngelBeatsの野田くん。
 何故かいっつもハルバートを手にする男。
 この男の未練って……やっぱり燃えるような恋がしたかった、とかなのだろうか。
 それとも惚れた女を守れなかった? ううむ、先が気になります。
 (注:最終話でも明かされませんでした。小説版とかで明かされるのかなぁ)


◆後書き
 お待たせしました、久しぶりの投稿です。
 何故って? 私が来た!
 ……ではなく、PCがヤバくてヤバいからです。
 ブツッ……チュゥウウン……って勝手に電源が切れたり、ブルースクリーンになったり、そろそろ寿命なのやもって段階です。
 念入りに内部の掃除をしてから少しは保つようになりましたが、いつまた勝手に落ちるやらで、結構な頻度で編集保存を繰り返しながらの作業が続いております。むしろうんざりです。

 なのでまた更新が途切れたら、PC……いいやつだったぜとでも合掌してやってください。多分逝ってます。
 暑くなってくるとPCの壊れる確率もあがるんで、まいっちゃいますよね。

 では、PCが死んでいなければ、近い内に。

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