09/お酒の味と危機の味
-_-/一刀
ふと目を開けると夜空があった。
視界いっぱいに広がる夜の空は、気温の所為だろうか、どこか冷たく感じる。
視線をツと横にずらしてみれば、目に映る賑やかな景色。
どうやら宴はまだ続いているらしく、視線を横に向けるまで、そこが賑やかだったということにさえ気づかなかった。
気づいてしまえば耳に届く、喧噪という名の祭囃子。
どんちゃん騒ぎっていうのはこういうことを言うのかな、なんてしみじみと思う。……べつのなにかが見えた気がするけど、俺は見なかった。見なかったさ。
「さて……」
雪蓮と祭さん(結局無理矢理呼ばされた)に酒を、それこそ浴びるように飲まされてから……───の、記憶がない。
(あれ? 俺どうしたんだっけ)
体を起こしてみる───いや、起こそうとしてみると、腕に圧迫感。
見れば、人の右腕を枕にして寝ている劉備……劉備!?
何故、と思いながらも左腕の圧迫感も気になり見てみれば、そこには黒髪のゲェエーッ!! か、かかか関羽さん!?
あぁ、さっきそこにあっても意識的に見ないようにしていたものの正体はこれかっ!
神様これは何事ですか!? 俺に恨みでもあるんですか!? と、とにかく迅速に行動を……───ダメです動けません! しかもどっちを先に起こしても死亡フラグが立っちゃう気がするんですが!?
「とにかく……うわっ! 二人とも酒くさっ!」
むわっと香る匂いに思わず目を閉じる。
そんなことをして匂いが消えるわけでもないが、反射的な行動だったからどうにもならない。
もしかして酔い潰れて寝てる……? それにしたって、なんだって俺の腕を枕に。
「う……」
どちらを向いても、整ってはいるがどこか幼さを残した綺麗な顔立ち。
無防備な寝顔を見て、心臓が高鳴ったのは覆せない事実だ。
特に劉備は何故か頬を赤らめて、閉ざされている瞼の端には涙の痕があり、それらが余計に幼さを感じさせた。
なんというかこう、無条件で守ってやりたくなるような、そんな感情が湧き出してくる。
べつに嫌ってるわけでもないし、関羽がせめて敵視しないでいてくれたらな、とは思う。初見ってわけでもなかったが、印象が悪すぎた。なにせ覗きだ。
「……はぁ」
そうやって理想を心の中で語っていると、視界の隅でゆらりと動くなにか。
「………?」
仰向けに寝転がった状態で天を仰ぐように、上を見やる。
視界に入ったのはネコミミと言っていいのか解らないフード。そして……ニヤリと笑う、どこぞの軍師様。
「ふふふふふ……北郷? 目覚めの気分はどうかしら」
「桂花…………これはお前の仕業かっ!」
「あら、そんな大声を張り上げていいのかしらぁ? 貴方が関羽に嫌われているのは知ってるのよ? ここで起こして、貴方なんかの腕で寝ていたことに気づいたらどう思うのかしら」
「うぐっ……」
心底楽しそうな顔がさくりさくりと近づいてくる。
しかも両手にはなにやら禍々しいオーラ(湯気であってほしい)を放つ料理……! まずい、この状況はよろしくないっ!
(いい! とりあえずあのオーラ料理を食うくらいなら、怒られる覚悟で二人の頭の下から腕を解放っ……、おや? ふん! ふんっ! ~…………OH)
まずは関羽から、と思ったわたくしの腕が、気づけばその関羽自身の手によって掴まれております。
何故? と見てみれば、うっすらと開いた目からは無言の重圧……!
「……桃香様をお起こしになること、この関雲長が~~……んむー……許さ~ん……」
関羽さん!? 貴女起きてらっしゃって……ってネボケてらっしゃる!!
寝惚けていても王の身を案ずるその在り方、なんと見事……って言ってる場合じゃないんだってば!!
関羽起きて! 関羽ーっ!!
「っ……ええいっ!」
ならば劉備! 彼女の頭の下から腕を逃がして───殺気!? すごいこの人! 寝ぼけながら殺気を───……と、再度見てみれば、ばっちり目が合いました。わぁ、起きてらっしゃる。
「え、あ……え……か、関羽サン……? ね、寝惚けていらっしゃったんじゃ……」
「刺激臭がするので起きてみれば……貴様、これはどういうことだ。何故貴様が私の隣で寝ている……!」
「ど、どういうこと~と仰られましても、ぼぼぼ僕のほうこそが訊きたいくらいでして……!」
ば、馬鹿な……! なんだ、この尋常ならざる力の波動は……!
戦場での兵たちはこんな殺気を前に立ち向かっていたというのか……!
「あ、あのー……ですね、関羽さん? まずは状況の整理と、出来ればそのー、腕を離してくれるとありがたいというか……」
「! ふひゃああっ!?」
あ、飛び跳ねた。
寝てたっていうのに器用だな~なんて思いながら、関羽が俺を挟んだ隣に眠る劉備を見てハッとするのを見届けると、心の中で静かに十字を描きました。エイメン。
「桃香様!? なぜ桃香様が───き、ききっ、き、貴様……!」
「気づいてなかったの!? ぉおおわわわわいやいや何処から出したのその青龍偃月刀! ツッコミどころ多いなぁもう! いやそれよりもまず落ち着きましょう!? これ全部桂花───筍彧が企てたことで!」
「なにを馬鹿なことを! 筍彧など何処に居る!!」
「えぇ!? すぐそこに───あれ居ない!!」
けっ……桂花……サン? 桂花さん!? ウソでしょう!?
こんな状況だけ残して、自分だけはちゃっかり退避ですか!?
「この関雲長の青龍偃月刀を前に虚言とは……その胆力だけは褒めてやろう」
「嬉しくない! 全然嬉しくない! はははは話をしよう! 誤解があるから解かせてほしい!」
「誤解などない。貴様が桃香様の、あ、あああられもない姿を覗いたことに、なななんの誤解がある。その上、こ、ここここのようなぁあ……!!」
「だからそれが誤解なんだって! いいから話を───!!」
相当に重いはずの青龍偃月刀を片手で持ち上げ、頭上高く振り上げる姿に思わず“ゲーッ!”と叫びたくなる。
しかしここまで騒いでいれば当然、隣の彼女もいい加減目を覚ますというもので。
「んう……なに~……? ───うっ!? はうっ! ……は、はたたた……なんか頭が痛……え? ……ひゃうっ!」
目を開けた劉備は二日酔い……二日目かどうかは別としても、頭の痛さに顔をしかめるが、自分がなにを枕に寝ていたのかに気づくと、俺の顔を見て上半身だけを起こした。
これでようやく自由の身! 俺は今こそ自由を手に、身を起こすことで振り下ろされる青龍偃月刀から逃走し、完全に立ち上がると…………振り向いた途端に喉に青龍偃月刀を突きつけられ、両手を上げるしかありませんでした。
……儚い自由と人生でした。
「あ、愛紗ちゃん!? ちょっと待ってなにやってるの!?」
「いえ桃香様。この者は桃香様が眠っているのをいいことに、お、己の腕の中に桃香様を引きずり込んで───!」
「えぇっ!? ち、違うよ違うっ、御遣いのお兄さんは私が華琳さんにその、いろいろやられてるときにはもう眠ってたの!」
「その後に目覚めて引きずり込んだという可能性が無いと言い切れますか?」
「してないしてないっ! そもそももしそうしたとして、片手が塞がってるのにどうやって二人に腕枕なんて出来るんだ!」
思い切り首を横に振る。
誤解で斬首されたんじゃあ俺の人生、首が幾つあっても足りやしない。
「とにかく、だめだよ愛紗ちゃん。せっかくみんな仲良くなったのにこんなことしちゃ。華琳さんも言ってたでしょ? どれだけ笑顔を見せても、握り拳をしてたらお話なんて出来ないんだから」
「うぐ……し、しかし桃香様、この者は桃香様のお召し換えを……」
「それは忘れていいのっ!」
先ほどのように、夜の暗がりでも解るくらいに顔を真っ赤にした劉備が叫ぶ。
俺はといえば、ようやく引いてもらえた青龍偃月刀を見て長い長い安堵の溜め息を吐いていた。
そうしてからまじまじと、劉備と会話をしている関羽を見やる。
身振り手振りでわたわたしながら話をする劉備とは対象的に、どっしりと構えて話をする関羽。
その表情からは、安堵だの困惑だの、自分の主が壮健であることなどの、劉備への思いが溢れている。
つくづく忠臣だなぁと思ってしまうのは、仕方の無いことなのかもしれない。
これが華琳だったら、間違いなくアッチの方向へと転がるんだろうけど。
「………」
ていうか俺、どうしてここに放置されてたんだろ。
ちらりと見やれば賑やかな宴の席。そこから少し外れた、パッと見るだけでは目立たない場所に寝てた俺。
桂花がそうしたにしても、せめて部屋に寝かせるとかは…………なんて思っていると、宴の席からこちらへ歩いてくる人影。
上気した顔で、ホウと息を吐く彼女の手には、重ねられた二つの杯と一本の大きめの徳利。
金髪のツインドリルテールをゆらゆらと揺らしながら、彼女……華琳は目立たないこの場へと歩いてきた。
「……? あら、目が覚めたの」
「ああ。……で、これってどういう状況?」
頑固者に言い聞かせるように、やがてヒートアップしていく劉備の声調。
対する関羽は少し困ったような顔をしながらも、その言葉を受け止めていく。
……俺の話題が出るたびに苦笑に歪む顔が真面目顔になるのを除けば、それはまあじゃれ合いにも見えた。
「貴方が春蘭と愛紗の料理を食べたあとに凪の激辛料理を食べて、お酒を飲みすぎて気絶した。ここまでは覚えている?」
「え? あ、あー…………思い出した。けどその後、お花畑に行ったよな? 何処だったんだあそこ、綺麗だったなぁ」
「………」
「……? 華琳?」
「い、いえ、なんでもないわ」
苦笑をもらしながら、華琳は杯の一つを俺に促す。
両手が塞がっている彼女の手から一つの杯を取ると、ハテ、と思いながらも酒が注がれていないソレを見る。
「少し付き合いなさい。他の子とはもう、散々楽しんだでしょう?」
「付き合わされたって言っていいんだと思うけど……この状況への説明は無しか?」
「そんなの私が訊きたいくらいよ。私が知っているのは、一刀が倒れたことくらいだもの。それからのことは、むしろ一刀のほうが私よりも詳しいでしょう?」
「む……そうかも」
木の陰になっているところを除けば広めの場所。
その適当な場所に向かい合って座ると、華琳の手から徳利を抜き取って酌をする。
そのまま自分の杯にも注ごうとするが、それは華琳に止められた。
「華琳?」
「人のは酌しておいて、自分は自分でするつもり?」
「や、でもな、華琳は王で───」
「宴の席でいちいち堅苦しいことを言わないで頂戴」
言いながら徳利を奪った華琳は、俺の杯に酒を注いでくれた。
そうしてから徳利を置くと、なんだか改まって言うのも恥ずかしいけど視線を合わせて───
『乾杯』
多めに注がれた酒を一気に飲み干す。
ふぅ、と息を吐くと再び交差する視線。
なんともムズ痒い状況に思わず笑みがこぼれて、少しだけ笑った。
「…………なぁ。ここに俺を運んだのって華琳か?」
「あら。なぜそう思うのかしら?」
再び注いだ酒を、今度はちびちびと飲みながら言う華琳。
俺も同じく、言い争いとはまた違った、やさしいじゃれ合いをしている劉備と関羽を肴に、のんびりと味わいながら飲んでゆく。
「いや、特に主だった理由があったわけじゃないけどさ。部屋に運ばれることもなく放置って意味では、今日の華琳ならやりそうかなって思った」
「………」
酒からくる上気とは違うのだろうか。
頬を赤くしてそっぽを向く華琳は小声で何かを言ったが、それは劉備と関羽の話し声に掻き消されて届かなかった。
代わりにズイと杯を突き出され、一度頬をコリ……と掻いたのちに酒を注いでいく。
“いいから一緒に酒を飲め”ってことでいいのだろうか。
「なぁ華琳」
「……なによ」
注いだ酒をちびちびと飲みながら上目遣いに睨んでくる姿に、“俺、なんか悪いことした?”と訊きそうになるのをなんとか堪える。
言葉を飲み込むようにして酒を飲み、喉を鳴らしてから真っ直ぐに目を見ると……訊きたかったことを訊くことにする。
「……酒。美味いか?」
「………」
訊かれた華琳は“なにを言ってるんだろうかこの男は”って顔をして……けれど小さく溜め息を吐くと、ちびちびとではなくスッ……と喉を鳴らし───
「……ええ。悪くないわ」
目をやさしく細めて、そう言った。
“そんなの、一年も前から不味いわよ”
川のほとりで聞いた言葉を思い返すと、自然と俺の目も細る。
だから俺は「そっか」とだけ返して、酌をする。
「ふぅ……それで? あれはいったいどういうこと?」
「うん? ……ああ」
促されて華琳から視線を外してみれば、いまだなにかを言い争っている劉備と関羽。
酒のことで話題が逸れたが、そもそもその話もしていたことを思い出す。
「ちょっとゴタゴタがあって、そのことについて譲れないものがあるらしい」
「ごたごた?」
「さっきまで俺、ここで倒れてただろ? ああ、もう華琳がここに寝かせたって方向で話を進めるけど」
「ええ、事実だから構わないわ」
「やっぱりそうなの!?」
帰って早々、人に風邪でも引かせたいんだろうかこの人は。
ああ、いい、今さらだ。華琳はこうだから華琳なのだろう。
「ああ、えと……うん。……ふと目を覚ますと、空は夜だった。まず目に入ったのは星が輝く夜空。離れた位置からは宴の喧噪が届いてきて───」
「簡潔に話しなさい。なんなのよ、その妙な回りくどい話方は」
「いや、雰囲気が出るかな~と。うん。えっとな、目が覚めたら大の字に寝てた俺の両脇に、俺の腕を枕にした関羽さんと劉備さんが居た」
「……一刀?」
じろりと睨まれた。
ちょっと待て理不尽すぎる!
「待て待てっ! いいから最後まで聞いてくれっ! 全部桂花が仕組んだことだったんだよ!」
「桂花が? 桂花の細腕で愛紗や桃香を運べると思っているの?」
「あ」
あれ? じゃあ待て、なにかおかしいぞ? まさか…………共犯者が……居る……? と考えて、また違和感。
「……いやほんと待て? なんだって劉備さん、あんなに俺のこと庇ってるんだ?」
耳を傾けてみれば、「お兄さんは悪くないよー!」とか、「桃香様は少々人を信じすぎます!」とか、酒を飲む前よりも熱くなっていってる会話。
違和感というか疑問は消えることを知らない。
「………」
「ほんとなにもないぞっ!? 睨まれても知らないから!」
「ふぅん……? その割には、いつの間にか“お兄さん”で定着しているほど仲がいいみたいだけど?」
「う……その点は俺にも解らない」
風がハキハキと元気になったらあんな感じになるのかなぁなんて、能天気なことを考えてる場合じゃない。
とりあえず俺は、華琳に劉備のことを訊いてみることにした。
華琳にいろいろされた、とか言ってたから少しは知ってるんじゃないかと思うし。
「桃香の行動? ……虚言を口にした罰を与える前は、雪蓮と話し込んでいたわね」
「雪蓮と?」
「ええ。その後もふらふらになりながら雪蓮のところに行って………………ねぇ一刀?」
「ああ。俺もなんとなくそうじゃないかなって思ってる」
「貴方が引きずり込んだ可能性も否定できないけど?」
「それはしてない。誓ってもいいよ」
慌てそうになる自分を押し込みながら、真っ直ぐに返す。
華琳は「そう」とだけ言って、雪蓮のことを疑問に思った時点で俺に対する疑惑は無くなっていたのか、軽く頷いてくれた。