彼は幻想を愛している   作:ねんねんころり

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遅れまして、ねんねんころりです。
不定期にも程があり申し訳ありません。何とか生き延びて更新を続けますので、待ってくださいました皆様、これからもよろしくお願い致します。
厨二、冗長な展開と多々ありますがそれでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


第八章 漆 影を呑み、深淵は唄う

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

両手に持てるくらいの丁度良い水晶玉に、向こう側の景色が映っている。私達は視覚、聴覚から流れてくる情報を咀嚼し、存分に諧謔を楽しんでいた。

 

まさに仙術様々。遠見の術というのは、誰かの痴態や醜態を盗み見るのにとことん便利な代物ですね。

 

「うふふ、とても楽しい余興ですわね…。ねえ《芳香(よしか)》?」

 

「そーだなー。《青娥(せいが)》が楽しそうで私も楽しいぞー」

 

ふよふよと空を漂いながら、目先の魔界を通して中の景色を眺め見る。私にとって刺激と呼べるモノがあるとするなら、それは他人が他人を羨む姿を観測する事でしょう。

 

人も妖も結局は同じ。羨み、妬み、憧れるが故に憎々しいと思う。例えば誰かが誰かを幸せにしたいと願えば、それと同じだけ別の誰かが誰かを貶めてやりたいと常日頃から感じているもの。

 

それはごく当たり前のモノで、感情と理性を持つ生き物なら必ず行き当たる矛盾。

 

私という存在は他者が誰かを幸せにしたり、はたまた不幸せにする為に足掻く様を見るのがとても好きな性分らしい。だから…あの妖獣を見た時は一目でその歪みを見抜いてしまった。

 

「ぬえ、大活躍だなー?」

 

「ええそうね。本当に、値千金の立ち回りよね?」

 

《封獣ぬえ》…と名乗ったその妖獣は、名に相応しき大妖怪であった。

今は昔に極東の地、平安の時代において時の帝を戦慄させたとされる恐ろしき物の怪が彼女だったわけね。

 

けれど、そんな大妖怪にも悩みの一つや二つはあったと見える。

それは分かりやすく表すならば、『他者との交流』。或いは『自分を受け入れてくれる誰か』を求める心。実に健気で、大妖怪にしては何ともはや有り触れた悩みだと嘆息したものですわ。

 

そんなデリケートかつ初心な部分を、ほんの少し捏ねくり回せばあら不思議。幻想郷の空に繋がるここではない何処か…つまりは魔界の空で気に入らない連中を相手に暴れはじめたのだから、それはとてもとても楽しい事態へと発展してくれた。

 

「ああ…なんて美しいのかしら。他者に認められること、誰かを受け入れたいと願うこと、それは鵺の立場からしてみれば何と難しいことでしょう。だからこそ嘗ての彼女は努力して努力して努力して…そして遂には、失望と落胆だけが残ったの」

 

「うまくいかなかったんだなー。かわいそうに、妖怪ってのは因果だなー」

 

「うふふふ。難しい言葉を知っているのね? 偉いわ芳香。そうその通り…因果なことなのよ。だって仕方ないじゃない? 上手くいく確率の方が圧倒的に低いんだもの。百や二百は失敗するに決まってますわ」

 

《邪仙》と称された私は、そうして励んできた彼女の悩みや嘆きを読み取れてしまった。いとも容易く、呆気なく操れてしまえそうなほど鮮明に。故に背中を押してあげたのだ。

 

『変化のない、ただ時間を浪費するだけの日々に何の意味があるのです? 貴女はもう一度自分から踏み出さねばなりません。だって…それって昔の貴女が仲良くしたがっていた、如何にも人間が取るような行動ではありませんか?』

 

半分は当てずっぽうだったけど、それだけで彼女は簡単に重い腰を上げてくれた。地底の片隅で、生きているとも死んでいるとも言えない無価値な生活から見事に脱却した。

 

その後はあれよあれよという内に、あの妖怪たちがこさえた船へと乗り込み、今まさに獅子奮迅の活躍を見せてくれている。これだから、ヒトを導くという行為は病み付きになってしまうのです。

 

「あら、あらあらまあまあ…!」

 

「どうしたんだー?」

 

芳香を近くまで呼び寄せ、掌の上で絶えず映像を流す水晶を覗き見させる。するとそこには…今まで敵だった筈の星蓮船の徒党と和解し、今や手に手を取って異変解決者へと挑み掛かる鵺の姿が映し出されていた。

 

「ふふ…ふふふ、あははははは!! 素敵! そうですわ、こういうのが見たかったんですの! 裏切られ、絶望し、それでも差し伸べられた手を振り払えない。希望に縋り、暗闇の中を進もうと奮い立つその姿…! 嗚呼、なんて美しいのかしら。愚かしくて、愛おしい…! 良かったですわぁ、本当に良かったです! 他者が不幸になる様も悪くありませんが、やっぱりこれくらいベタで王道的な話でないと」

 

「青娥ー、興奮しすぎだぞー」

 

「おっと…いけません。私としたことがついつい」

 

ああ良かった。本当に良かったです。不幸のどん底に陥れられ、破滅するヒトの散り様もそれはそれで美しい。けれど、やはり幸せに纏まった方が断然良いのです。

 

だって、それって不都合なヒトが誰も居ないということじゃありませんか?

 

私も誰かを煽り立てて楽しい。私に煽られた誰かも、つかなかった踏ん切りがついて行動を起こした結果、望みのモノを手に入れる。その顛末を見届けた私は更に楽しい。

 

「良い気分ですわ。変よね芳香? こんなに良い事を成した筈なのに、浮世の私は方々から邪仙と罵られてしまうなんて」

 

「そうだなー。ちょっと歪んでるけど、結果的には良いことしてるよなー。終わりよければ全てよしだぞー」

 

「あら、なんて賢いのかしら芳香ったら。そんなに賢いと主人として鼻が高いですわ」

 

次はどんな手法で演目を盛り上げようかしら?

誰かが不幸になってから幸せになる。絶望を味わったモノが最後に希望を手にする。

 

そんなありふれた、けれどとても楽しい劇場は次にいつ起こるのだろう? もしかしたら次は――――――――。

 

「自分で起こしてみるのも良いかも知れません。彼女が目覚めるとなれば、あの方の封印が解かれるのもそう遠いことでは無いでしょうし」

 

魔界に封印された彼女が目覚めるのもあと少し。そうなればこの異変はもう解決したと見て良いでしょう。

 

となれば次は、本筋に手を出さなくてはならない。あの方達をあまり待たせ過ぎると、起こした時にどんな文句を言われるか分かったものじゃありませんもの。と言っても、皆さんが眠りについてからもう千年くらい経ってますけど。

 

「青娥ー。次はどうするんだー?」

 

「そうね。一度《仙界》の仮拠点に戻って、次の準備をすることにするわ。芳香も手伝って頂戴ね?」

 

「わかったぞー。簡単な仕事は得意だー」

 

その時だ。私たちの頭上から、見慣れないモノが姿を現した。

それは丁度ヒト一人分くらいの、大きな黒い黒い孔。その孔を視認した瞬間、私の背筋が瞬く間に冷え切ったのを自覚する。

 

「な、に…あれは」

 

「お、おおー? アレはなんだ青娥ー? すごく、ぶるぶるくるぞー?」

 

たどたどしい芳香の口元から、緩慢な速度で言葉が紡がれた。だというのに私の可愛いキョンシーは、口腔の奥からカチカチと奥歯を震わせて、堪らず私に抱き付いて強く袖を握り締める。

 

「芳香…あなた、恐怖しているの? キョンシーの筈のあなたが?」

 

「わからない。わからないよ…でも、凄く、凄く寒いぞ。これ、なんだろう?」

 

異常な反応を示していた。

屍人となってから生前の記憶も朧げな、感情の一部も抜け落ちてしまっているキョンシーの芳香。私の愛すべき使い魔が、頭上の孔から一瞬たりとも目を逸らさず、果ては恐怖に身体中を支配されている。

 

「なにか、くるぞ」

 

「芳香? あなた何を言って―――――」

 

「この方達ですわ、コウ様」

 

「うむ。今後に備えて方策を練っていた所に、知らぬ気配が出てきたと思えば…成る程な」

 

ソレは…端的に言えば『力』の塊だった。

背が高く、鍛え抜かれた五体を覆う異質な気配。それらを備えた黒髪の男が私達を逃さず捉えている。

 

黒髪から覗く銀の双眸は、私が見てきたこの世のとんなモノより強く、淀みないものだった。

 

「あなた、は」

 

「一つだけ、聞いておく事がある。心して答えるが良い」

 

名も知らぬ男の声が耳朶を震わせた。それだけで私も、芳香も、今まで経験した事の無い抗いがたい感覚を持っている。質問に正直に、そして即座に答えろ。さもなくば―――――と。

 

「コウ様。彼女は恐らく、幻想郷でも稀な《仙人》と呼ばれる者の一人ですわ」

 

「仙人か。では、質問を増やそう。君は誰だ?」

 

「は、はい…っ。私は、《霍青娥》と申します。近頃外の世を捨て、此方へと移った仙人でございます」

 

いつもなら煙に巻いているような質問に、私は自分でも驚くほど素直に応えていた。この場で、彼に、そして隣にいるもう一人の女に、絶対に偽りを告げてはならないと警鐘が鳴っていたからだ。

 

「新参ですわね。確かに、近頃結界が小さな揺れを観測しておりましたが。意外と早く見つかったものですね、コウ様?」

 

「偶然…ではなかろう。此度の異変には、当事者を除いた何者かの手が加えられていた。そうか…貴様が」

 

刹那。彼の纏う気配が一瞬にして濃く、大きくなった。

それは憤慨か、はたまた他愛のない疑問と好奇か。いずれにせよ、私は今にも膝から崩れ落ちそうなほどの重圧をその身に受けて、気づけば額から汗が滲んでいる。

 

「鵺を異変の只中に放り込んだのは、貴様で間違いないか? 霍青娥」

 

「…っ! はい。彼女を囃し立て、異変に介入するよう誘導致しました。さすれば或いは、彼女の望みが叶うものと…ぐっ!?」

 

私の言葉が終わるのを待たず、隣の女が扇子の先を一振りして制した。それと同時に、私の首元が万力のような力で締め上げられ、宙に浮いている筈の自分が首から強引に持ち上がっていた。

 

「貴女の弁明は聞いていないわ。コウ様の知りたいことだけを、簡潔に述べなさい」

 

抗おうにも、此方の用いようとした術が何かに阻まれているのは明白だった。咄嗟に左手で印を組み上げ、髪に挿したかんざしを喉元に飛ばそうとする。が、何も起こらないのだ。視線を傾けてみると、左手は陽炎のような、裂け目のようなモノに覆い隠されていた。

 

私の術を阻んでいるのは、そこの女の能力によるものに違いない。これだけで彼我の戦力は定まっていた。今の私と芳香では、逆立ちしてもこの妖怪には勝てない…っ!!

 

「く…!? かはっ…はぁ、はぁ…は、はい。これは失礼を、致しました」

 

女が手元の扇を口元に寄せると、首にかけられていた見えない力のようなものが和らいだ。うなじの辺りがざわつく感覚が今も絶えず私を苛んでいるが、気づけば左手と腕を隔てていた裂け目も消えている。

 

この二人は不味い。異質なのは気配だけではない…膨大な妖力が目の前の男女から放たれている。

 

「手荒な対応だが、許せ。此方としては、今回の異変はなるべく早く終わらせたいところだったのだ。ところが」

 

「私が、御二方の邪魔をしてしまったと…?」

 

「そういう訳だ。尤も、彼方もあと少しで片が付くだろう。して…この落とし前をどう着けさせるか」

 

男の双眸がより強く、妖しく輝いた。

真白の月よりも更に神秘的な銀光を湛えた瞳が、私を一瞥しただけで五体が消し飛ばされそうな錯覚を与える。嘘は吐けない。かといって話を逸らそうにも傍らの女が見張っている。

 

「お、おお…八方塞がり、だぞー」

 

「……今の言葉は、君が発したものか? 屍人の少女よ」

 

意外にも、男は私の隣で身を縮こまらせた芳香に興味を示した。まるで私のことなど、興味を惹いた事柄の前には瑣末なモノであるかのように。

 

「そ、そうだぞー。芳香って言うんだー。よろしくな、こわいひとー」

 

「コウ様。この屍人は、仙術によるある種の黄泉還りを受けたモノ。死した筈の肉体は強力な呪術で腐食を免れ、頭に据え付けた札から簡単な意思疎通をこなせるように調整された…《キョンシー》という妖怪ですわ」

 

「そうか。では芳香、君はどう考える? 私達に見つかった以上、今後このような事を続けて無事でいられると思うか?」

 

男の言葉は簡潔で、それでいて紡がれたもの以上の意味を孕んでいた。

 

『手前勝手に我々の邪魔をして、報復を恐れぬ覚悟はあるのか?』と。

 

これ以上勝手をすれば、遠回しに消すぞと脅しをかけて来ているのだ。宜しくない。非常に宜しくないことですわ。私達はまだ本来の目的を達成していない。だというのにこの状況、もはや私が横から口を出す余地は残っていない。

 

ここから先私が芳香を遮って言葉を弄せば、間違いなく彼らは私達二人を揃って亡き者にしようとする。それこそ彼の横に妖しく揺蕩う女が、容赦無く、徹底的に私達を駆逐するだろう。

 

如何に仙術を修めた私といえど、この二人を相手に芳香を連れて逃げ延びられる訳がない。それほど私達と彼等の実力には大きな差がある。

 

一方は反撃する余地さえ与えず私の首を締め上げてみせた。では…彼はどうだ? 窺い知れるだけでも、膨大な妖力と不気味な気配を送ってくる大妖怪とも呼べる傍らの女を、さも当然の如く制し敬称まで使われている隣の彼は。

 

あらゆる感知術を駆使しても、力の底がまるで読み取れないなんて。考えるだに恐ろしい…っ。 数瞬先の死が確かなものだと意識するほど、この場を逃げ出したいと思う思考が止まらない。

 

でもどうやって? どうしたら良いの? 女の方だけでも手に負えない相手なのに、もう片方の彼ときたら視線だけで身体が竦んでしまうというのに…!!

 

「つ、つまり。青娥がこわいひとを怒らせちゃったんだなー。ごめんなさいだー。私も謝るぞー。でもどうしたらいいんだー? お願いだぞー。せ、青娥をどうやったら助けられるか、教えてほしいぞー」

 

ああ…私の愛しいキョンシー。芳香ちゃん。なんていい子なのかしら。まるで雨に濡れて震えた子猫のよう。でも…ごめんなさいね。私がちょっと調子に乗ったばかりに、藪の中の蛇をつついてしまったばっかりに。

 

芳香は未だ、深く考えられるだけの知能を有していない。それなのに、ブレーンとして指示を出す筈の私は発言さえ許してもらえる状況に無いなんて。これは手詰まりだ。せめて、せめて私が殺される前に自動式を組み込んで、ありったけの呪力を注いでからこの子を逃がす隙が作れれば。そんなものが、もし創り出せたなら。

 

「―――良かろう。二人とも助かる方法を知りたいなら、私が教えてやる」

 

「……はい? コ、コウ様?」

 

「…え?」

 

私と、彼の侍る女は同時に素っ頓狂な声をあげた。

私は勿論横にいる彼女も、彼が何かに満足げに発した言葉があまりにも予想外だったらしい。これは…どういう状況なの?

 

「ほ、ほんとかー! 嘘はいけないことなんだぞー!?」

 

「本当だとも。君の主人が嘘偽りなくこれからする提案に乗ってくれるなら、私もそこの彼女も、君達に手荒な真似はしないと約束しよう」

 

そこまで告げて、彼の瞳がより鈍く光った。

芳香を逃すなら、これは絶好の機会だ。次はない。だがもし、もし…。

 

「ほんとうだなー? わ、わかったぞ。でも、決めるのは話を聞いてからだー。教えておくれこわいひとー」

 

「クハハハ、慎重なのは良いことだぞ芳香。二つ返事で了承されなくて寧ろ安心した。紫」

 

「…はい。承知致しました」

 

『紫』と呼ばれた女は、閉じた扇を大きく開いて応えてみせた。チリチリと焼け付くような殺気を私に送っていた彼女は、『コウ』と呼ばれた御仁の呼び掛けにすぐさま気配を潜ませる。

 

「下手に動けば、貴女を背中から《飲み込む》つもりでしたわ。失礼をお許し下さいね、青娥さん」

 

言うだけ言って柔和に…とても朗らかに私に微笑んでみせた妖怪は、先程まで私を踏み潰さんとしていたとはとても思えない。それだけに厄介なのだ。この女…紫は彼に頼まれれば、私を生かすも殺すも些末なことだと割り切っている。口惜しいですが、完敗という他ない戦況でした。

 

「いえ…私どももこの度は知らぬこととはいえ、そちら様に御不快な思いをさせたことをお詫びいたします。それで、そちらの旦那様(・・・)のご提案とは…」

 

「うふふ。うふふふふふ。嫌ですわ青娥さん? 旦那様だなんてそんな。ええ勿論、そう思って頂いて構いませんことよ? しかし、この方には九皐様という立派な御名前があるんですの。いいえ、旦那様という呼び方が不快なわけではございませんむしろドンと来いというか望むところといった次第でしてそれはもう―――」

 

「紫。少し静かにしていてくれ」

 

「はっ…!? コウ様、失礼致しましたわ。オホン…青娥さん? 今の事は、どうかお忘れになって下さいましね?」

 

「は、はい。それはもう…」

 

もう訳がわからなかった。紫…さんの方は打って変わって陽気に喋り出したが、傍らの彼の提案とやらが此方に不利なモノが予想される以上は安心出来ない。

 

そんな不安を他所に彼は、九皐は鷹揚に微笑む。何事かと身構えるが、彼は構わず徐ろに右手を差し出して口を継いだ。

 

「私達と同盟を結ばないか? 霍青娥」

 

「同盟…ですか?」

 

「そうだ。君が《これから起こすだろう異変》…その手伝いをしてやる。具体的には、現在幻想郷に住む大方の勢力へ事前に根回しをしておく。異変解決者達を除いて、君達を阻むものはなくなる訳だ。成功にしろ失敗にしろ異変が終わった後、君と芳香は見返りに《仲間》ともども私達に迎合する旨を言い含めておいて欲しいのだ。さすれば、楽園での君達の安寧はその後も保証される」

 

どうして、私達の事を其処まで知り及んでいるの。いいえ、例え彼の言葉が嘘でも真実でも、結果に変わりは無いのでしょう。私達は最早、行動を起こす前に絡め取られてしまったのだから。夜の帳で巣を張った、大きな蜘蛛に囚われ弄ばれる羽虫の如くに。

 

答えは決まってしまった。私は自分も芳香も、そしてあの方達のどちらも捨てられない。捨てるだけの逡巡や思考など、初めから与えてはくれていなかった。

 

「承知いたしました。この度の無礼、重ねて平に謝罪します。そして、我らが大願のためご助力頂きますことを御礼申し上げます。この身をお許し下さるばかりか芳香への寛大なる対応、御見逸れしました。これより我等は貴方様と共に、歩んで参る所存です」

 

「しかと聞き届けた。此度の異変が終わり次第、君達の拠点に伺うとする。ああ、地図や連絡手段の心配は無用だ。既に…全て掴んでいるからな」

 

なんと、私達の素性はおろか拠点すらも知っていたとは。幻想郷にいる限り、彼の目を掻い潜ることはどの道不可能だったのですね。全容は掴めませんが、圧倒的な力にも驕らない抜け目なさ…益々恐ろしい。

 

とまあれ、火中の栗を拾ったとはこの事でしょう。私達のバックには、途方もつかない様な力を有する、楽園の実質的支配者が味方となったのです。ふふ、ふふふふ…一時は死を覚悟しましたが、何という僥倖でしょうか。

 

彼のお力添えがあれば、勝っても負けても結果は同じだなんて。こんなに安心できることはありません。それでも、何の対価も要求されないなんて不思議ですけれど。

 

「分かっているとは思うが、裏切ってくれるなよ? その対価は、君だけでなく君の愛する全ての者達に支払ってもらう事となる。努努忘れるな、霍青娥よ」

 

成る程…対価はもう支払われたも同然ってことですわね。不忠のあかつきには私も、私と親しい輩総てが、彼にとっては支払われるべき代償であると。

 

「ええ、勿論ですの。必ずや、貴方様のご期待に添うてみせましょう。そうよね? 芳香」

 

「おおー! ありがとうなこわいひとー! がんばって青娥のお手伝いするからなー」

 

最後に芳香の返答を聞いて、彼はまた黒い孔の中へ紫とともに去っていった。身震いするほどの恐怖に、目を奪われるようなあの威容。どれをとっても文句なしの同盟相手を得られました。二度三度と、死ぬ様な目にあった甲斐があったというものですわ。

 

「あれだけの力…いったいどうすれば手に入るのかしら? ああ…欲しい。私もあの方のように溢れ出る力を、意のままに操ってみたいわ。うふ、ふふふふ…!」

 

「あんな目にあったのに、青娥懲りてないんだなー。いい加減ほどほどに…できないかー。そうかー」

 

 

 

 

 

 

◆ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「宜しかったのですかコウ様? あの邪仙、全てを犠牲に裏切るだけの気概はもう残っていないでしょうが…」

 

「うむ。此方にその気が無いとはいえ、上手く勘違いしてくれた。正直なところ…断られた場合どう対処するか決めていなかったからな」

 

私と邪仙が交わした、行き当たりばったりな駆け引きの実情を教えると、紫は目を丸くして此方を見ていた。

 

「先程までの遣り取りは、全てハッタリだったのですか?」

 

「その通りだ。彼女らが私に支払えるモノ…もとい私が支払って欲しい対価など始めから存在しない。私はただ気軽に、和やかな心で楽園を謳歌して欲しかっただけだ。誰かを唆し、陥れて得られる遊興などたかが知れている」

 

転移先に辿り着くまでの距離を、紫との談話に費やす。これも今となっては大切な日常の一つとなっていた。異変が終わる前から気の抜けた話だが…彼女を含め私と親しくしてくれる者との会話は、何より大切な事柄と言える。疎かには出来ないし、したくないのだ。

 

「しかしあの者は所詮…コウ様の仰る遊興を貪り、影から手を引いて力を誇示しようとする自己顕示欲の塊ですわ。コウ様の提案に乗ったのも」

 

「私の力に興味が芽生えたからだろう。それで構わん。私の力が欲しければ、いっそ望むだけくれてやっても良いくらいだ」

 

紫の表情が曇る。私の意図が分からないと言いたげに、しかし反論するだけの材料も無いという風に。それでいて、どこか納得し難い空気を醸し出していた。

 

「案ずるな。たとえ私自ら彼女に力を与えようとも、決して使い熟す事など出来ん」

 

「…そうですわね。過ぎた力は、まず己が身を滅ぼすことになりますもの。幾ら黒くとも影は影。日の落ちた空を覆う闇の中では、影など一息に呑み込まれてしまう」

 

抽象的な表現だが、言わんとする事は分かるつもりだ。どれだけ性質が似ていようとも、大元が違えば何もかも違ってしまう。

 

青娥は『力』というものは須らく無色であり、原理さえ解明できれば操るのは容易いと考えている。どれだけ相容れなかろうと、手に入れてしまえばどうとでもなる…と。

 

そんな次元で片が付くなら、私も絶えず肥大化する力を手ずから押さえつける必要も無かっただろう。

 

「君の言う通りだ…待っているのは破滅のみ。適量なら兎も角、我欲に任せて際限なく取り込めるほど我が深淵は浅くない」

 

「コウ様…近頃御身体のほうは、大丈夫なのでしょうか? 私に出来ることがあれば、遠慮なく仰ってくださいね? お望みとあらば空に境界を作り上げ、吐き出された力を星の外まで流して差し上げる事も」

 

人化の術を保ち続けている弊害で、私は本来の姿の時よりかなり圧迫された状態で過ごしている。それがもう、楽園で過ごすことを決めてから半年ほどになる。

 

それは言うなれば…蓋をした瓶の中でひとりでに湧き出た水を溜め込み続けているようなものだが。幸い苦痛より喜びが勝り、力を抑える労苦より日々の幸せが優っている証左なのだ。それはもう…一度幻想郷の外に出ることさえ躊躇われるくらいに。

 

「そんな事をすれば、境界を制御する君の身体がどうなるか見当もつかない。内側で溢れる力に関しては、今は同じだけのモノをぶつけて相殺している状態だ。打ち消しあった力の残滓は微々たるもの故、魔術や弾幕として用いられる。それに本来の出力の三割は、君の配慮で常時解き放たれているのだから、残りの七割くらい御せずしてどうする」

 

「…それは」

 

私は、いつ死ぬのだろうか。ここに来てしばらく経った頃、或いはそれより遥か昔に…ふとそんな考えが過ったことがある。

 

しかし、自分から生じる力に押し負ける器など有りはしない。時に例外は有るのだろうが、私に至ってはそれも望めまい。この深淵が拡がれば拡がるだけ、力が増せば増すほど、それを押しとどめんとこの肉体も魂も強固になってゆく。

 

自滅する…若しくは衰えて死ぬなどと、私には決して起こりえない。そういう仕組を持って生まれてきた命もあると…身を以て知っているのだ。

 

「それより、今は見守ろうではないか。この異変の終わりを見届ける。それが、私達に与えられた今回の役回りだ」

 

「はい、コウ様。霊夢達はあの一団を…そして復活する彼女を、どのようにして治めるつもりなのでしょうね」

 

転移の孔を抜けた先には、一度は後にした魔界の空がある。煌々とした魔界の陽を背に、封印によって囚われた《魔法使い》は…今まさに、再誕の産声を上げようとしていた。

 

《聖 白蓮》…雲井一輪とその仲間達が救わんとする美しき尼僧。魔道を極め、若さを保ったまま長き時を妖怪と人の双方の世界で過ごしてきた傑物。

 

聖に導かれ今に至る彼女らは叫んだ。一歩踏み出すたびに折れそうな心を奮い立たせて、決して諦めはしないと。いつか必ず、共に歩めると信じた者を救ってみせると。

 

「さあ、終幕は近いぞ。誰も彼も、後のことは私達に任せておけ。今は各々の想いを乗せて、存分に語り合う刻だ」

 

 

 





やっと青娥さん出せました。特に戦いもなく(強制的に)仲間になった邪仙の今後の活躍が楽しみです。

デスマラソンならぬ、人化の影響で生きながら苦しみに耐えて自前で経験値を稼ぐ主人公。いつか思う存分暴れられる強敵を出したいものです。

最後まで読んで下さり、誠にありがとうございます!

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