彼は幻想を愛している   作:ねんねんころり

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遅れまして、ねんねんころりです。
毎度のこととは思いますが、タイトルが意味不明なのは今に始まった事ではないので、お許し下さいませ。

この物語は以下略でございます。
今回は日常回、というかちょっとした後日談と次への布石回となっております。


星蓮船編
第八章 壱 価値と無価値を比べれば


♦︎ 魂魄 妖夢 ♦︎

 

 

 

 

 

最近、先生の様子がおかしい。

いや、『おかしい』というよりは…何だか今までとは違うのだ。『別人のような空気を纏っている』と言った方が良いかもしれない。艶やかな黒髪から覗く銀の眼も、重厚ながら全く隙の無い足運びも、紡がれる言葉の端々から垣間見れる優しさも。何も変わっていない筈なのに…どうしようもなく違って見えてしまう。

 

「先生…あの」

 

「……む? どうした、妖夢」

 

自分から呼びかけたのだが、何だか言葉にし辛くて押し黙ってしまった。稽古の合間に取った小休止の最中、先生は庭先の石段にどっかりと座り込んでいる。私には皆目分からない文字で書き記された書物を片手に、足組みながら文字を追う姿が何と絵になることか。紫様が時たま話してくれる西洋の名画の様な、語彙に乏しい私から観てもそんな感じだ。

 

「……ふむ。うむ……うむ」

 

時折頷きを零して読書する先生。ある日を境に、先生の帯びた空気は一変した。以前の静謐で大らかに感じられた気配は、あの日から…大異変を収めんが為に地底へ赴いたというあの日から跡形も無くなってしまった。

 

「……」

 

「………成る程、成る程な」

 

例えるなら、そう。

時に深く、時に激しい…されど平時は緩やかな川の流れを思わせたのが以前なら。今の先生は差し詰め雷雲…蠢きを伴って大気すら震わせる気配と、闘いの場でしか表さなかった稲光の如き苛烈さを隠そうとしなくなっていた。怖い…とは思わない。不気味だ、などと滅相も無い。その余りの完成された御姿に、只々感嘆させられてしまう。

 

「良し…小休止は終わりだ、妖夢。身体は休まったな?」

 

「はい! いつでも行けます!」

 

一つ頷いて満足気に微笑んだ先生は、いつも通りに庭の開けた地点で立ち止まり、両腕を力なく投げ出したまま私を待ち構える。地上を無数の火の玉が襲った大異変からはや数日、先生の佇まいが変わった事は彼を知る誰もが感じている事だろう。霊夢も、魔理沙も、誰も皆、冥界に居られる幽々子様も、先生の在り様が変わったと気付いた際には口を揃えて同じ感想を述べていた。

 

『あいつ、なんか吹っ切れたのかしら? 今までは何処かウジウジっとしてて煮え切らない…八方美人ていうの? 変に言葉で取り繕わなくなった分、今のが良いわね』

 

『不思議だよなあ。最近は、コウが近付いてくると肌がビリビリ来るんだけどさ! 前からすげえヤツなのはわかってたけど、やっぱ貫禄が違うな!』

 

『フッフッフッ…コウが闇に生きる者達にとって一つの極致であるのは言うまでも無いわ。何しろこのレミリア・スカーレットがただひ』

 

……レミリアさんの感想は少々長めだったので、これ以上頭の中で反芻するのは止めておいた。今は集中、集中、集中せねばならない。

 

「来い」

 

「はい―――――――行きますッ!!」

 

力強く踏み締めた地面から、先生の放つ不可視の気迫が伝わってくる。正に人外の頂点と呼ぶに相応しい、言語化不可能な膨大な闇の気配。紫様が仰るには…先の異変で八咫烏なる相手に振るわれた四割程度の力からまた封をして以前の状態に戻っておられるらしい。だが―――――、尚も流れ出す銀の奔流。其れ等が私に齎らす重圧はこれまで感じてきたモノとは比較にならない。

 

しかし…しかし!! 私は先生に教えを乞うている以上、情けない姿は見せられない。見せたく無い!! ならば征く、一心不乱に征くのみ――――――ッ!!

 

「はああああああああああああああああああ―――――――ッッ!!!」

 

「良い気迫だ…かねてより行ってきた日々の修練は、是より始まる新たな苦行の入り口に過ぎない。此処から先は、自らの殻を破れるかどうかにある…心して臨め!!」

 

剣撃と拳打の音が交差する。

私の鋒は未だ軽く、先生の教えの全てを体現する事は叶わない。けれど…雌伏の時を乗り越えてこそ、遥かな高みを目指せるものと信じている。先生の教えを受けて自らの殻を破った咲夜さんにも、負けてはいられない。なにより私はもう、大切な人の背中を黙って見送るなんてしたくない。だからこそ、心身尽き果てるその日まで―――――――前に進んでいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 古明地 さとり ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ。これで、必要書類も全て片付いたわ」

 

「すぅ……すぅ……」

 

執務室の机で、地底の復興作業に必要な資材や人員を記した山のような書類を何とか片付けて一息ついた。いつの間にか仮眠用のベッドで眠ってしまった妹の寝顔を眺めて、この平穏を保てた事実に自分も改めて安堵する。

 

「…お空も、大丈夫みたい。近頃はずっとお燐が付いているから、観念して安静にしているのね」

 

私と、私の家族が囚われていた八咫烏の一件は壮絶の一言に尽きるものだったが。地底の復興作業は、妖怪の賢者である《八雲紫》と彼女に関わる者達の助成もあって恙無く進んでいる。彼が…あの方がお空の中から八咫烏を消し去ってくれた日から幾日かが過ぎて、それでも賢者から此度の件に対するお咎めは何も無い。境界を操るという埒外の力を操る彼女は、今日も何処かで幻想郷の守護者にして管理者の席に座しているのでしょう。八咫烏が葬り去られた直後のことだ…そんな彼女が、私を前にして口にした言葉はとても少なくて。曲者として周囲に認められる彼女にしては、呆気にとられてしまうほど晴れ晴れとした声色だった。

 

『気にすることは無くてよ、古明地さん。誰でも一度や二度は過ちを犯すもの。そうですとも…なので此度の件は不問と致します。これからも、お互いに地底と地上の交流の架け橋となれるよう、仲良くしましょうね?』

 

……なんてことを言われてしまったら、自分からお空のことを蒸し返すなんて出来なくて。寧ろ彼を此処に導いてくれたことや、何の責任も追求せず済ませてくれたのには感謝の念に絶えない。

 

「―――――って、感心していたのに」

 

「あら、何か言ったかしら? 古明地さんにしては歯切れの悪い物言いですわね?」

 

「…! この紅茶、中々良い茶葉を使ってるじゃない。褒めてあげるわ、覚り妖怪。サイコメトラーの親戚か何かと侮っていたけれど、良いお茶を出せる家の主人は同様に品性も確かだわ。このレミリア・スカーレットのお眼鏡に叶うなんて大したものよ?」

 

「なあおい、本当に私も来て良かったのか? 奴との戦いで失った力が未だ戻りきらないとはいえ、私は神だぞ。この神気に当てられて此処の連中がいらぬ騒動を持ち込んで来はしないか?」

 

「そんなことを言ったら、私だって同じよ。大丈夫、さっき来る前に飲んで貰った薬の効果がちゃんと出ているから。しゃんとしなさいな、タケミナカタ」

 

「おやつもおいしいわね〜うんうん。おいしい茶菓子を出せる家は良いお家だわ。もう一つ頂けるかしら」

 

「というか、何で私まで呼ばれてるのよ。私は特定の勢力に属してる訳でも無いのに…正直面倒なんだけど? 帰って花の世話に戻りたいわ」

 

―――――――――本当に、なんなんだろうこの状況は。妹が寝ているからと思って部屋を後にしてみれば、いきなり変な裂け目に連れ去られ。連れ去られた先は自分の家の応接室ときたものだ。驚く間も無く視界に捉えたテーブルの先には、勝手知ったる態度で勝手にお茶会を開いているこの面子。右から八雲紫、太陽の畑の風見幽香、紅い館の吸血鬼、そして神、その隣にまた神、果ては冥界を統括している亡霊までもがその場に列席していた。

 

「…ちょっと、皆さんヒトの家で何をしているんですか……?」

 

訳が分からない…! この混乱の原因を今すぐ解消する為に投げ掛けた私の問いは、テーブルに座る錚々たるメンバー達には全くもって意外なことだったようで。八雲紫を除く全員が目を丸くして返答してくる。

 

「え? 貴女が呼んだのではなくて?」

 

「おいおいどういうことだ? 私らこれでも暇じゃないんだぞ?」

 

「待ちなさい、何だかさとりの様子がおかしいわ。どうやら私達を呼び立てたのは彼女じゃないみたいね」

 

「……なんとなく読めてきたわ。紫、アンタまたやったわね」

 

「なんとなくそんな気がしてたわ。それで、どうして私達を此処に呼んだの? 紫」

 

そうして、此処に集められた全員の視線が八雲紫へと突き刺さる。いや、待って。もしかして皆さん自力でやって来たの? 薬で神気がどうとか、呼ばれたからとか…あと西行寺さん、口元に食べ粕がついたままですよ。そんな状態で神妙な表情をされても…緊張するどころか緩みすぎて逆に腰が抜けそうです。

 

「いい加減にしてください。皆さんヒトの家で騒ぐのは―――――」

 

「そうですわ。私が、今日此処に皆さんをお呼びしたのです」

 

遮られた…!? 確かにこの中では私の実力なんて下の下だけども! 流石に家主を遮るのは良くないんじゃないの? これだからナチュラルボーン強者は苦手だわ…。

そんなこんなで、私の懊悩を他所に八雲紫は語り出す。なぜ此処に主だった者達…その中でも軒並み人外の者達が揃えられたのか―――――その訳を。

 

「近頃のコウ様についてですわ」

 

「……その話か、確かに豹変したとまでは言わないが。そうさなぁ…私からすると、昔の奴が戻って来たみたいで嬉しい限りだ。貴様らの意見は違うのか?」

 

八雲紫の言葉にいち早く反応したのは、誰あろう神の一柱…八坂神奈子氏だった。だが何とも解せないといった体で切り返した彼女の返事に、残りの面々は何度か顔を見合わせて訝しむだけである。

 

「私達の場合、昔の彼を知らないからちょっと判断しづらいのよ。私が彼と初めて会ったのは冥界での異変だったし、その時には今の様な空気を纏ってはいなかったわ」

 

「私もその意見には同意するよ、亡霊。この私からしても、今のコウは以前とは少し―――――否、随分と違った気配を醸し出している。不機嫌という訳でもない…かと言って朗らかな訳でも無い風に見える」

 

次に口を開いたのは、テーブルの両端に腰掛けた亡霊と吸血鬼だ。私も重みがかってきた現状の空気を読んで、八雲紫と対面する形で席に着いた。

 

「そうね…私は、今の彼の方が身近に感じられるわ。昔の、子供の頃に出逢った彼に近い印象よ。とても雄大で、底知れなさが頼もしくも思えて、その強さに誰からも畏敬の念を抱かれていた」

 

「それを上回る神々からの嫉妬と怨嗟の声のおまけ付きでな?」

 

皆さんが彼に抱いている感情というのは、複雑怪奇なモノも含まれているようで。今の彼が昔から親交があった間柄では懐かしさの方が優っているらしい。しかし…それだけでは無い者も勿論、この場には居る。

 

「――――私は、ちょっとだけ怖いわ」

 

「幽香…貴女がそんな不安げな顔するなんて。何か、余程コウ様に気にかかる事でもあるの?」

 

風見幽香は暫くの間瞑目し、ただ一人胸の内を打ち明けたとあって全員の視線を浴びていた。私には分かってしまう…心の中が読み取れる覚り妖怪だからでなく、あの時―――――八咫烏を屠った彼を間近で見た。それ故に今、彼女が考えている不安や懸念している事柄が何となく察せられる。

 

「……根拠がある訳じゃ無いの。でも、強いモノは強いからこそ動向が目立つ。その一挙手一投足、纏う気配に至るまで例外なく。隔絶した存在はそれだけで怪異や争乱の渦中に巻き込まれかねない…それがコウなら尚更よ」

 

風見幽香の懸念は正しい。

八雲紫を除く此処にいる誰もが、一度は自らの意思又はやむない事情から異変を引き起こした前科が有る。其れ等の多くは、彼が直接手を下したか…彼の影ながらの活動によって阻まれている。客観的に見れば彼は彼の考えと価値観で物事を見定め、必要となれば己の手を汚すことも由として各地で武勇を振るってきたに過ぎない。と…彼女らの思考から伝わってくる。

 

だが逆説的にはこうも言える。

彼はこれから先、自身の望むと望まざるとに関わらず、必ず何かしらの形で幻想郷で起こる異変に立ち合うこととなる。と…風見幽香は発した言葉の裏にそういう意味合いをも込めたのでしょう。

 

彼の存在に引き寄せられ、力に魅せられ、闇の深さに呑み込まれた輩がいつ飛び出してくるのか分からない。彼なら大丈夫、私達なら問題ない…そんな次元の話ではない。これは幻想郷の秩序…仮初めながらも確立した平穏を、彼を狙う不逞な輩に崩されてしまうのでは? という可能性の問題だ。

 

そこに彼を利用、若しくは命を狙う輩が、幻想郷にどれだけの被害をもたらすかが不明瞭な以上…新たな障害が彼の前に立ちはだかるのは極力勧められない。物理的な損害を考慮するだけでも、此度の異変に限らずこれまでの経緯から多かれ少なかれ傷跡は残っている。我が身のことなので、あまり話題としては持ち上がって欲しくないのが本音だ。

 

「フン、ならば彼奴を楽園から放逐するのか? これはそういう話し合いだったのか? スキマ妖怪」

 

「馬鹿な…コウを追い出す? 有り得ないわね! 紅魔は、私は絶対に認めない」

 

レミリアさんと八坂神奈子氏は、たいそう不機嫌な面持ちで頭を振って目の前の茶を強引に飲み干した。二人の反応を始めから予見していたかの様に、八雲紫はニヤついた口元を扇で隠すに留めている。

 

「さっきはああ言ったけど、私もコウを此処から出すっていうなら協力出来ないわ。尤も、そんな奴がもしいたら……コウを出す代わりに私がそいつを殺してあげる。これなら不穏分子は居なくなるでしょう?」

 

彼を追放するくらいなら、そんな事を言い出した奴を先に消してしまえば良かろうと…物騒な考えだが、先程自分の意見を述べた二人も力強く頷いて同意を示している。あんまりにも物騒過ぎて身動ぎしそうになっていると、隣で口元を拭った西行寺さんが口を開いた。

 

「まあまあ落ち着いて? 幻想郷では何が起きても不思議じゃないわ。其処に彼が居合わせるからといっても、それはあくまで彼の問題よ。仮にソレが異変であったとしたら、それこそ妖夢や他の子達が察知して動いてくれるわ…だからきっと大丈夫よ。ねえ、紫?」

 

「話を遮って申し訳ないのだけど…私は皆と少し違う意見よ」

 

「どういうことかしら? 八意永琳」

 

「むしろ彼が巻き込まれる前に、此方が先手を打って不要な芽を間引いてしまえばいいのよ。ええ、それが良いわ…邪魔者も減って一番効率的ね」

 

さらりと西行寺さんと八雲紫の間に割って入った八意さんの意見が、実は一番過激な気がする。張り付いた仮面の如き笑顔で語る八意さんの眼が全く笑っていないのが更に恐ろしい。流石の皆さんも気圧されてしまったのか、口元が僅かに引き攣っている。

 

「……何にせよ、皆様の意見は分かりましたわ。そうでしょうとも、一応確認を取っておくべきかと思って集まって頂きましたが―――――貴女はどう? 古明地さん。見たところ、貴女も私達の考えには同意してくれているようですが」

 

「……皆さんの意見に異議は有りません。彼には、お空だけでなく地底諸共救って頂きましたから…私に出来ることなら、如何様にも」

 

気後れしたのではない…私はもとより、彼と彼に助成してくれた皆に恩返しがしたいと思っていた。旧地獄跡に住まう者にとって、彼がもたらしてくれた功績は限りなく大きい。地上に於ける全ての力ある方々にも、同じだけの感謝を私は抱いている。言葉だけでは、幾ら感謝してもしきれない。幸運にも、本当に多くの幸運が重なって…私は家族も、居場所も何一つ失わずに此処に居られるのだから。

 

「でしたら、今はまだ見守ることに致しましょう。あ、それと―――――」

 

八雲紫は微笑んだかと思えば、急に真顔になって私に双眸を投げかけてくる。それに対して、今までに感じたことの無い奇妙な感覚が私の全身を包んでいた。

 

「コウ様と交流を持たれるのは誠に結構なのですが、ええ。少なくとも此処に集まった方々と同様、貴女にも節度と日にちと時間とルールを守っていただかねばならないわ? 異存はないわね? これは最優先事項です! 絶対に守って貰います! よろしくて?」

 

次の瞬間には、妖怪の賢者としての風格は何処へやら。早口でまくし立てた彼女は、凡そ何かの冊子かとも見紛うほどの書類をスキマから取り出して私に差し出してくる。

 

「……な、なんです? コレ」

 

「コウ様と関わっていくにあたって必要な事柄を全て、そう全て! 具に書き記したのが此方ですわ! 彼の御方には知られていない事故、心苦しいのも確かですが! 貴女にも私達と同じく、これ以上其処ら辺の悪い虫がつかない様に見張り兼護衛兼様々な役割を―――――」

 

なんともはや、奇しくも此処にいる全員(何名かは代理ということで)名を連ねているのがコレだという。そんなに厳重な取り決めが必要なのかと問えば、彼が今まで為してきた事に合わせて一体どれだけの《悪い虫(女たち)》がすり寄って来たかを熱弁されること実に一時間…!!

 

各陣営にて彼とお近づきになりたい者とはまた別に、近頃は彼の寵愛や庇護を申し出る輩が水面下で増えて来ているらしい。今となっては最早雄雌の差も関係無く、妖怪人外の類なら種族関係なく、それも幻想郷のあちこちから声が上がって来ている為、厳正な審査の結果認められれば名前を入れられるとか何とか。というか雄ってなんなんですか? もしかしてそっち系のヒトまで? 腐ってるんですか?

 

横からやはりルールをもっと厳しくするべきだの、やはり間引くしかないだの。彼が発端となって物騒な言葉が次々と飛び交っている。しかしそんな事は重要ではない…私にとって一番大切なことは――――――――――、

 

 

 

 

 

 

 

「もう…書類は懲り懲りです……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も深まりきった丑の刻。

両脚で踏み締めた地面の感覚を頼りに、ふわふわとした心の浮つきを鎮めようと深呼吸する。

 

「…はぁ、ふう……よし」

 

眼前に聳える、和洋折衷といった印象の邸宅を見据えた。立ち昇る気配に尻込みしそうになる身体を強引に動かして、ようやく此処まで辿り着いたのだ。今更引き返すことなど出来はしない。此処まで随分と時間がかかった…こんな時間になって目的地にだけは着いてしまった事を、幸か不幸かと自分に問いただしたくなるが、そんな猶予は無い。今すぐにでも助けを乞いたいからこそ、態々危険を承知で《彼》を訪ねたのだ。行くしかない…覚悟を決めろ。

 

「ご、ごめん下さい…?」

 

二度三度と扉を叩いて、体裁を取り繕う様に断りを入れて屋内へと入り込んだ。そうするだけでも…屋敷全体から伝わってくる闇の気質が歩みを鈍くさせる。だけど、此処まで来たからには逢って話しをしなくては―――――。

 

「来たか、待ちかねたぞ」

 

「!?」

 

屋内に足を踏み入れた途端、空気を揺らす程の重圧を伴った声が耳朶を撫でた。覚悟を決めていたのに、此処に来るまでになんとか押さえ付けていた筈の体の震えが蘇ってくる。

 

「……ぁ、あ、の」

 

声の主は、正確にはこの場には居なかった。屋敷全体を通して届いた声は、まるで暗がりの奥から私を誘うかの如く一つの場所を示唆していた。眼窩に映る、ある部屋へと続いているらしい扉。其処からジクジクと骨の髄まで麻痺させるような深淵の香りに、誘われるまま足が前へ前へと突き動かされる。

 

「……ご、ごめん下さい。あの、私は」

 

「鍵はかかっていない。入るが良い」

 

心臓の鼓動が次第に大きくなる。この先に行けば、絶対に引き返す事は出来ない…! 頭の中でけたたましく警鐘が打ち鳴らされ、呼吸が乱れている自分を俯瞰する。追い詰められた獲物にも似た精神状態に、いっそ気でも失えば楽になれるのにと思ってしまう。それでも―――――、

 

「失礼、します」

 

「……良く来た。先ずは及第点だ」

 

部屋の最奥に、男は座していた。

深々と腰掛けた男の全身から溢れ出す気配に、自分は完全に呑み込まれている。確かにその場に立っていた筈の自分が、力なく地べたに座り込んでしまっているのにたった今気付いた。言葉が出ない…直接見れば見る程、視線だけは釘付けにされて動けなくなる。対して男の備える銀の瞳は、私の挙動を一つ一つ観察して小さく息を漏らした。

 

「…今日此処に何者かが来る事は、レミリア嬢の予言から分かっていた。それが君だと言うのなら、私に何か聞きたい事が有るのではないか?」

 

私の知らない誰かの予言とやらで、彼を訪ねて私が来る事は分かっていたという。舐められているのだろうか? それとも私達の胸中を知るが故に敢えて応対してくれたのか? 何方でも構わない。彼は私との会談に応じてくれるという…こうなれば自棄になって洗いざらいぶちまけてしまえ!

 

「―――――お願い申し上げます」

 

これ幸いとばかりに、這い蹲りながら手を合わせ深々と頭を垂れた。衆生一切を救われる道が、《あの人》が仰る通り有るとするなら。きっと、きっとこの行いにも報いがあると信じたい…その為なら私の頭くらい安いものだ。だから、だから…!!

 

「私の名は《雲居 一輪》。貴方様のお噂はかねてより伺っております…どうか私達の願いを、お聞き届け下さいませ―――――っ!!」

 

「――――――――――」

 

懸命に振り絞った言葉を耳にしても、数秒の沈黙を彼は貫いた。何も答えない。何も反応を返してこない。一体どうしたのだろうか…彼は何を考えて、この沈黙を。

 

「駄目だな……その願いには《価値》が無い」

 

「な…っ!?」

 

「聞こえなかったか? その願いには、私が動くに値する《価値》が無いと言ったのだ」

 

そんな、そんな…! そんなそんなそんな…ッ!! 価値がない? どうして、どうして!? 私が此処に来る事は分かっていた筈なのに、私の願いを跳ね除ける為に態々こんな時間まで待っていたというのか? 分からない…分からない分からない!! このままじゃ、このままじゃあの人は―――――っ!!

 

「話は終わりか? ならば帰れ。君だけでは話にならん…独りで此処まで来れた事は及第点だ、認めよう――――――だが面子が足りない。よってその願いは無価値だと知れ」

 

訳が分からない…こんな夜盗のような真似までして。願い出る立場でない事は分かってる。だけど、それにしたってあんまりだ…! せめて話を最後まで!!

 

「三度は言わない。面子が足りぬ…次に来る時は(・・・・・・)、必要な人材をしかと揃えてくるが良い」

 

最後の言葉を不躾に投げつけられて、彼との会話は打ち切られる。何も言い返さないまま、呆然とした私が次に周囲を見回した時…其処はいつもの場所だった。

 

「ちくしょう…何よ、偉そうに……」

 

私達が、仮の寝床としている船の上で…歯噛みしながら立ち尽くす私を皆が見つけてくれたのは、もう少しだけ後の事だった。




最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
いよいよ星蓮船編が始まります! 頑張りましゅ!

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