彼は幻想を愛している   作:ねんねんころり

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遅れまして、ねんねんころりです。
戦闘描写が全くなかったにも関わらず、長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
この物語は多めの場面転換、珍しく落ち込む主人公、ポエミィで稚拙な文章構成、ゆかりん可愛いよ、お空可哀想だけど頑張って、でお送り致します。

訳わからんけど読んでやるよという方は、ゆっくりしていってね。


第七章 伍 太陽の化身

♦︎ 十六夜 咲夜♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

近頃の九皐様は、いつもと何処か違う。どこがと聞かれれば良く分からないけれど…兎に角何かが違う。声のトーンが少しだけ低いとか、顔に差す影がいつもより濃いというか…落ち着いた雰囲気がより強調されている気がする。漠然としか言えない違いだが、稽古の最中も指示を出されるまでの間隔が長いような。

 

『精神を埋没させ、内に眠る魔力を緩やかに呼び起こすのだ。水面を揺らす波紋の様に…均等に少しずつ』

 

『………』

 

妖夢と共に、大恩あるこの御方に指導されてから早二週間…回数にしてたったの三度、三度の訓練で私の能力は目覚ましい進歩を遂げていた。最初の変化は初日の数時間程度で教授して頂いた魔力を練り上げる修行の最中、これまでとは全く違った感覚が私を支配した。

 

『その調子だ…身体の隅々まで魔力を循環させよ。然らば、君の異能に隠された真価が分かるだろう』

 

『はい…以前とは比較にならない程、長く安定して時間を停止出来るようになりました』

 

幻想郷で私達紅魔館が異変を起こした折、館に押し入った霊夢と戦った頃から実に三倍以上の時間停止を継続可能となりました。それどころか、今や三十分、一時間もの間時を停止しても額に汗一つかかずに熟せている。

 

『次は、先週取り組んだ能力開発だが…空間を操る方法と時間の遅延と加速について復習する』

 

『承知しましたーーーー』

 

独力では何年かかっても到達し得なかった境地に、彼のヒトが容易く押し上げてくれた事を強く実感する。一々時間を止めなくとも、能力の副産物として芽生えた新たな作用…流れる時間を遅らせて自分だけ高速で移動したり、逆に物体の時間の流れを速めて瞬く間に老朽化させるなど汎用性と取れる選択肢は嘗て無いものとなった。

 

『停止はより自然に、遅延は心拍を早める様に…加速は己の呼吸を確かめるが如く。常に別々の所作から力を使う意識を持って取り組むのだ…自然体を心掛けろというのも妙な話だが、仕事の最中に能力を行使するのと然程違いは無い』

 

持ち物のナイフを滞空、固定した空間から高速で射出。指定方向へ飛ばしたナイフを、太腿に括り付けたスロットへ元通りに収納。見違えるだなんて陳腐な表現だけれど…他に言い表せないくらい多くの力と術をごく短時間で細やかに培った。まるで初めから出来て当然みたいに…九皐様はただ言葉を紡ぎ、私は魔力を練り上げながら指示される作業を淡々と実行していた。

 

『たったあれだけの稽古で此処まで…咲夜さん、感服しました!』

 

『ありがとう、妖夢。でも…九皐様が御教え下さらなければ、私は自分の殻を破れなかったわ。本当に感謝してもしきれません』

 

『短い期間で伸び代を得たのは君の成果だ、十六夜。時間という不定形のモノを、柔軟な角度から捉えられる君の資質が有ってこそ…此度までの鍛錬が功を奏した』

 

物理的な法則がどうのといった原理に照らせば、時間や空間を操作する能力は全く不出来で欠陥だらけだ…と九皐様は言う。本当に世界の時間流を停止したとして、星の自転すら止めれば術者は…或いは時間が止まった中で大気も例外無く固定化されているのに呼吸が可能なのは…。等の私が知りもしなかった様々な問題が発生する筈の能力は、彼が確認する限りでは一切無いらしい。一個人が扱うには余りある超常のチカラ故に、使用する条件、発生に係る影響、使用後の反動の不釣り合いさもまた尋常な理からは外れているとの見解に収束した。

 

『あの…九皐様?』

 

『む? 如何した十六夜』

 

私は付きっ切りで稽古をして貰った後なので暫し休憩を言い渡された。彼は彼で休む事無く、今度は妖夢と刀と拳で打ち合いながら私の声に反応してくれる。

 

『…あ、いえ、何というか』

 

『フッ! せやッッ!!』

 

『うむ…妖夢、確実に一撃を与えたい時こそ焦るのは禁物だ。焦りは息吹から、筋肉の動き一つからでも相手に悟られる危険が伴う…もっと虚と実を使い分けろ』

 

『はいっ!!』

 

勘違いかも知れない…いつもと変わらない、かに見える訓練風景。質問したい意図を知ってか知らずか、彼自身は何も答えてくれない…私達が頼りない訳では無い。と思う。九皐様は楽園と其処に住まう者を過剰に庇護し愛し過ぎるきらいがあって、力の有る無しに関係無く他者を遠ざけ自身を危険に晒す。総ては楽園の安寧と、保たれた平穏に心満たされる御自身の為なのは分かっている。けれど…貴方様が我々を慮ってくれるのと同じだけ、関わった者も貴方様を案じているのに。矢面に立つと決めたら敢えて気付かないフリさえする。

 

『…でも、本当は』

 

『ーーーーどうした? 何か悩み事でもあるのか?』

 

『……いいえ、大丈夫です』

 

だが、答えは私の中で明瞭に出ている。自分を磨き、力を高め、いつか…彼の手を煩わせなくても済む程に強くなれれば。一緒になって稽古に励む妖夢も、そうなる事を願って日々鍛錬を続けているのだから…私も。

 

『はぁ…はぁ…今日も真面に当りませんでした。すみません先生、反省致します』

 

それはさておき、妖夢は此処へ顔を出す以外に白玉楼でも彼に稽古を見て貰っているという。私抜きの間に行われる鍛錬を見ていないから分からないが、半日通して観察しても、檄を飛ばす九皐様に妖夢は一心不乱に斬りかかるばかりで…素人目だとしても二人の稽古は全く内容が掴めない。妖夢はここ数ヶ月で霊夢に並ぶ程の実力をつけ、先の催しでも八雲様の弾幕結界を見事に斬り伏せた。彼女が妖夢を育てる為に、ある程度の手心が有ったのは誰もが知るところ。しかし、与えられた試練を潜り抜けたのは妖夢の努力の賜物…色々な面で、私と妖夢の間には未だ大きな差が有る。

 

『気にするな。意を消した斬撃は未だ繰り出せ無いものの、真に迫っては来ている…呼吸を整えて、次に備えろ』

 

『はい!! ありがとうございます!!』

 

『その後は十六夜と模擬戦を行う。二人とも、少し休んでからまた始めるとしよう』

 

『わかりました!』

 

『はい、全力で取り組みます!』

 

積み上げれば良い…何度でも、何度でも。今はまだ少しの助けになれなくても。尊敬する主を助けて下さった彼の為…研いだ牙が必要となる時まで、私は私を磨き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十六夜と妖夢が稽古を終えて帰って行った後…私は遠い空を茫洋と眺め、当て所無く庭先で佇んでいる。今日は珍しく、時折訝しげな視線を傾ける教え子達を見て…隠していた私の煩悶を僅かでも勘付かれたのではと、内心とても驚かされた。

 

『私の手を離れる時も近い…か』

 

そう遠くない内に、彼女等も自らの意思と力で異変を解決して行くのだろう。寂しくもあり、誇らしくもある…だが、真に気遣うべきは其処では無い。守谷との会談で結論付けた或る仮説…地底に住まう少女が、太陽の化身を有しているのでは無いかというもの。正直、無力化するだけならば誰の手も煩わせず密やかに事を為せる。然れど、

 

『あの娘もまた、楽園を彩る大切な要素…私の都合であの力を渡せとも言えん』

 

いっそ跡形も無く消してしまえ、と八坂神奈子は冷徹に決を降した。洩谷諏訪子は様子見をと勧め、早苗は先ず確認を急ぐべきとして話は平行線を辿り…結局は私の好きな様にしろ、と有耶無耶に終わった。八咫烏が私と関われば、幻想郷に無用な火種を産む可能性を考慮しても…霊烏路から無理に力を奪おうとするのは偲びない。

 

『本末転倒ではないか…此方から仕掛ければ、八咫烏も黙ってはいまい』

 

八方塞がりとは正に今の私だ。此方の提案は受け入れられる保証も無く、地霊殿の者達が了承したとしても、八咫烏が機嫌を損ねて霊烏路空の身体を使って盛大に暴れ回るのは想像に難く無い。

 

『初めて逢った時もそうだったな…』

 

神々が我を倒さんとした何時かの時代。顔を合わせた瞬間…相反する性質故に奴は私を親の仇の如く嫌い、奴の方から戦いを挑み、我が勝利した。一度は勝ったにしても、昔とは状況が違う…捨てるには余りにも惜しい宝が楽園には在るのだ。私の都合を考えてくれる程、八咫烏本来の人格は安定していない。

 

『………』

 

『どうしたのお兄さん? 何だか難しい顔してるよ?』

 

『…こいしか、済まんな。今は』

 

『悩みごと? それなら私に聞かせてよ! お友達の悩みは聞いてあげなさいって、お姉ちゃんも言ってたよ!』

 

いつの間に私の傍に居たのか、普段なら気付いていた所を…情け無い。若しかすると身内の説得には応じるだろうか? 否、待て。一つ間違えば予想される最悪の結果が、

 

『もう!! 答えが出ないなら、誰かに相談するのはキホンだよ! キ・ホ・ン!! 良いから話してみて?』

 

翡翠の瞳を備える少女は、いつになく真剣な面持ちで私を見据えた。視線は矢のように真っ直ぐで、ただ無邪気な好奇心では無く友として私の身を案じてくれているのが窺える。

 

『ーーーー悩みというのは…君の家族についてだ』

 

その場で、包み隠さず霊烏路空の持つ力への見解を述べた。揚々と訪れた彼女には申し訳ない限りだが…事が起きてから知るのと予め知らせておくのでは対応も変わる。家族として扱ってきた者と、唐突に対峙する事態は避けさせねばならない…必要なら私が動こうか悩んでいるのもこいしには伝えた。

 

『そっか、ヤタガラス。そいつがお空の能力の源なんだ…転生って言うんだよね? そういうの』

 

『平たく言えばそうなる。どんな経緯で幻想郷に落ち延びたのかは分からないが…嘗ての奴を知る私からすると、霊烏路空と八咫烏の人格が別物なのは間違い無い』

 

こいしは座り込んでいた玄関先の石段から立ち上がり、重苦しく決然とした表情を浮かべて口を開いた。

 

『お兄さんは動かないで。あくまで地霊殿と地底の問題だから、先ずはお姉ちゃんにちゃんと話すよ』

 

賢い選択と言える。一度訪れたとはいえ、不穏な存在を確かめに来た部外者と地霊殿の主の妹では明らかに後者の方が聞き入れられる。彼女に託し、静観出来るのに越したことは無い…体の良い遣いに出した様で居た堪れないが、伸るか反るかも決断に至れず手をこまねくよりは幾分かマシだ。

 

【嘘だ】

 

『頼んだぞ、こいし…霊烏路が変わらず力を制御しているなら現状維持で構わない。誰にも文句は言わせん』

 

【恥を知れ】

 

『うん! でも、お姉ちゃんに話して様子を見て貰うだけだから平気だよ!』

 

【行かせては駄目だ】

 

快活な笑顔の後に、彼女は軽い足取りで我が家を走り去って行った。地上、地底の何方にも異常らしい異常は見られず…ただ古巣へ帰る少女の奮戦に期待する他無いとは、私も随分と落ちぶれたな。

 

『違うな…分不相応な宝を零すまいと躊躇するから、身動きのし難さが後を引くのだ。以前の私なら』

 

【価値と無価値を選り分けられた】

 

以前の私なら、我なら…もっと効率良く、酷薄な選択をした筈だ。八咫烏の巣食う娘の元へ赴き、有無を言わさず奴の魂と力を根刮ぎ奪い取っただろう。誰をも我を止める術を持たず…無限に溢れる深淵を行使して八咫烏を食い潰せば、我に降りかかる幾らかの非難と諫言で済む。春雪異変、永夜異変の際には事実そうした…だのに今更足踏みをしたのは。

 

『ーーーー友に疑念を抱かれ、落胆されるのを厭うたからだ…何たる身勝手よ』

 

【然り…傲慢にも己の尺度で価値を規定した】

 

楽園の徒と日々を過ごし、慈しみ愛する心地良さに慣れてしまった…罪深い。例え友々から一様に糾弾され石を投げられ、自ら幻想郷を去る事になろうとも…護れたならば本望だと、少し前なら考えていたのに。八咫烏の無力化を敢行すれば、霊烏路空と相対するは必至。だが実際はどうだ? 直前まで躊躇し、代わりにこいしを送り出すなど言語道断…価値と無価値の境が曖昧になり、迷いが募った挙句傍観を選んだ。

 

『憐れだぞ深竜…此の身は遍く負を統べる悪辣な存在に過ぎん。裏切られず、讃えられ、認められて…今の立ち位置が惜しくなるか…ッ』

 

無様、なんて無様だ。疑念を伝えはしても、決して彼女に重荷となる役目を負わせてはならなかった…次第によっては地霊殿に蟠りを残す可能性も充分に有る。剰え無垢なあの子に縋り、余計な不安と使命感を植え付けて。

 

『ク…ッ!!』

 

口角は醜く歪み、憤怒と自責に耐えかねて行動に現れる。苛立ち紛れに地を踏み付けても、残るのは粉微塵に砕かれた石くれと土…深々と圧され陥没した庭の一角だけだ。膝は無念さと脱力に逆らえず、地機に惨たらしく跪いた。

 

『親愛に慣れ、信頼に溺れ、奢った結果がこの様か…』

 

さりとて、約束を違えて動き出す事も出来ず…問題を先送りにして成り行きを見守るのみ。初めて天に在りもしない啓示を求め、祈りにも似た感慨を覚えた。

 

『天よ…何故、我に価値有るモノを悟らせる? 初めから心を持たぬ、只総てを無価値と定める白痴に生み出してくれたならーーーー』

 

これ程の幸福(くるしみ)を甘んじて受け入れるなど…絶対にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八雲 紫 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…コウ様』

 

『全く何だあのザマは? いいや、奴もまた孤独な身の上だったのだ…責める道理は無い。無いが』

 

八坂神奈子が私を呼びつけたのは、恐らく彼が苦悩するであろうこの事態を予見していたからだ。彼は自分の禍々しさを補って優しく、強く、高潔な精神性を持っていた。けれど…彼は彼を想い助ける者達に触れて知ってしまったのだ。周囲に隔てなく、近しくなればなるだけ…孤高だからこそ成し得た英断も、超然としていたからこそ顧みなかった御自分の進退も。誰かと絆を深めれば深めるだけ、以前と同じ様に断ち切り捨て去るのを惜しんでしまう。そんな…当たり前の苦しみ(こうふく)を。

 

『……お労しい光景ですわ』

 

『お前は、何もしてやらんのか?』

 

まだ親交を持って幾月も経たないが、八坂神奈子の言わんとする内容には想像が付いた。慰め、立ち直らせてやるべきではないか? 楽園に彼を受け入れ…当たり前の幸福と信頼が彼にも手に出来ると教えたのは貴様だろう、と。そんな事は、彼女に言われずとも重々承知している。可能なら今すぐにでも駆け寄り、優しく抱き締めてあげたい…甘く柔らかな賛美と肯定の言葉を紡いで、背中を押され立ち上がった彼が勇壮と地底へ降り立つ姿を見届けたいのは…この私以上に請い願う者は居ない。彼がいつだって周囲を慈しむ眼差しで見守り、護るべき皆の為、誰より先に争いへ身を投じた様に…無償とも呼べる愛に倣って導いてあげたい。

 

『……出来ません。コウ様の抱える懊悩は、自ら乗り越えて頂かなければ』

 

『どうだかな…まあ、奴には良い薬だ。しかし、深竜が何故あそこまで悩むのか私にはまるで分からん。幾ら関わった者達を大切に想うと言ってもな? 誰も彼もを厚遇することなど出来んのだ…いつ如何なる時も、囲った連中に手を差し伸べてやりたいなどと、子供の世話じゃあるまいし』

 

傍らで踏ん反り返る神の辛辣な物言いは、不愉快なれど全く正しいのでしょう。彼が愛しい宝と称する我々とこの幻想郷は、常に何某かの思惑と変化が渦巻き流転し続ける場所。それは外でも此処でも同じ、人と妖、神と精霊…多様な者たちが暮らすからこそ世界は美しく残酷で、故に誰もが日々を謳歌するのに相応しいと感じられる。彼は此処に来てから、いつしか永遠の安寧を何処かで願っていたのかも知れない。けれど、それだけは不可能なのだ…《安寧》を手にした変化の無い日常とは、その実唾棄すべき無価値な時の経過と浪費しか生まない。変化が無ければ世界は色を失い、誰かの思惑が無ければ異変どころか、騒がしくも楽しい日常も続きはしない。

 

『異変を起こす者が居て、それを解決する者が居て、双方を見守る者が居る…だからこそ幻想郷は起こる全ての変化を受け入れ、今この時まで続いてきたのです』

 

地底が見せていた異変の兆しや、コウ様が出向かれた事で起きつつある変化にも私は気付いていた。遠くない内に八咫烏を宿したあの娘は暴走し、異変を起こした勢力として地霊殿は異変解決者と衝突するだろう。そうなればコウ様も双方の間を取り持つ為に必ず介入する。だから見逃した…コウ様がこれまでにない動きをすれば、絶え間ない変化が楽園に齎される。それを利用してーーーー私は、

 

『だから態と放置して、悩める奴を他所に異変を確定させようというわけだ! もし異変の規模が大きくとも、アイツに解決させれば良いしなぁ!! ククク…ハッハッハッハッ!! 傑作だ! 切欠の良し悪しは兎も角、地底と地上が繋がりを取り戻すには絶好のイベントだよなぁ? お前の話では地底も大人しくなってきたと言うし、全く方々を覗き見るにはもってこいの力だよスキマってのはーーーーーー奴を利用して、上手く運んで満足したか?』

 

『貴様ーーーーッッ!!』

 

悩み打ち拉がれる彼を遠く眺める空の上で、私は不快な声音で捲し立てる八坂神奈子の胸倉を掴みあげた。こいつにだけは言われたくない…!! 神の気紛れか何か知らないけど、彼が失意に沈むのも分かっていて、私がこの状況にどれだけ心を痛めているか知っている癖に…!!

 

『離せよ妖怪、不敬だぞ? 私からすれば貴様も貴様だ。そんなに大事なら、恋仲になるでも籠絡でも…なんでもして手元に置いておけよ。管理者としてどうだのと詰まらん柵を意識して距離を取るから、奴に助言も出来ずあたら苦しませる羽目になるんだ』

 

『私は…! 彼の方を』

 

穢したく無かっただけ。崇高で、烈しくも美しい生き方を貫く彼を…私の様な存在が慕っているだけでも烏滸がましいのに。

 

『お前が導いてやれば良かった…で済む話じゃないのか? 必要だったとしても、薄汚い手を弄した自分が相応しくないとでも? 舐めるなよ小娘。奴は貴様など及びもつかぬ数多の裏切りと闘争を経て、語り尽くせぬ血と憎悪を浴びて尚絶望に染まらなかった真の強者だ。その気になれば世に憚るもの皆ゴミ同然に滅ぼせるというのに…本当に酔狂で面白い竜だ。だが同時に、私にとっては掛け替えの無い宿敵にして友である。我が友を苦しめたと悔いる暇があるなら…意地を張らずに、今すぐお前から声をかけてやれ』

 

言われたい放題言われて…それでも結局、私は神から手を離した。いつからだったろう? 彼と初めて出逢い、心に触れて、眩いと感じた。愛おしいと想った。恋い焦がれるとはこういうモノなのかとある時気付いて…初めて誰かに執着する自分を知って、そんな自分が堪らなく下劣なモノに思えた。彼を手駒の如く動かし暗躍しておきながら、恥ずかしくないのか…と。

 

『私が、彼を助けても…良いのかしら』

 

『莫迦め、助けるのに誰とか関係があるものか。第一、お前の策が上手くいくとも限らんだろ? もし八咫烏が暴れればどの道上も下も火の海だ。打てる手は打てと、私からの有難いお告げだ…従っておけ』

 

そっと背中を押されて、眼下で膝をつく彼を見た。ああ、コウ様…貴方は地に伏しても、何と絵になる御姿なのでしょう。

 

『行けよ。それでさっきの遣り取りは不問にしてやる…美女と野獣、と言うか月とスッポンの方がお似合いだが、私は寛大で空気の読める神だからな! 信仰するなら遅くないぞ?』

 

『ーーーー言っていなさい。今度吠え面かかせてやる』

 

スキマを使って、彼の居る場所へ直接行ける道を作った。

どんなに不遜な想いだとしても…この胸の内が、彼と共に在る事で満たされるなら。彼の望む永遠(らくえん)を…私の手で築き上げれば良いだけよ。

 

 

 

 

 

 

『やれやれ…スキマの小娘にくれてやるには惜しい男だ。早苗には悪いことをしたかな? まあ良い…此方も此方で、異変の前のお膳立てくらいはしておくさ。感謝しろよ? 深竜』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『コウ様!!』

 

裏返りそうな声で、私の眼前に紫が姿を現した。穿たれた地面で這い蹲る醜態を晒して恥ずかしがりたいのは山々だが、今の私には立ち上がる気力も失せていた。

 

『私は…どうやら間違えてしまったらしい。自分の都合で、あの子を使いに出してしまった』

 

『いえ、違います…違うのです。私は知っていました…知っていて』

 

……関わりも無い筈の話に、最初から用意していたかの様な口振り。そうか…君もまた楽園の掟に殉じたのだな。尚更彼女が弁明する筋合いなど無い。愚鈍な私とて、楽園に来た時から聞いて知り及んでいた事だ。楽園に住まう者は異変を企て、霊夢達異変解決者の手で解消されるのが常…八咫烏と霊烏路空の問題も、いずれ何らかの形で異変として地上に認知され皆で立ち向かう定めにあった。必要な過程を熟し、ある程度の損害を見過ごし、人から恐れを集めねばならない。同胞に危険を伴うと分かっていても…皆が楽園に居続けるには、幻想に係る畏怖を保つのが肝要なのだ。

 

『私こそ、君がどんな思いで成り行きを見てきたか考えもしなかった。私よりずっと…君の方が胸を痛めて来ただろうに』

 

ならば、私も異変が本格化するまでは耐え忍ぼう。こいしを信じて託したのが少しでも紫の、幻想郷の助けになれたなら…今は座して見守るのも。

 

『我慢は、お身体だけでなく心にも毒ですのよ?』

 

『……待て、何を言っている』

 

土と砂を数えるだけだった眼を緩慢に動かして、改めて彼女を見据える。眼窩に捉えた妖怪の賢者は…声音に反して朗らかな微笑みで私の頬を両の手で包んだ。

 

『申し訳ありません、コウ様。私、これからとても身勝手な事をお話しします…ですが、最後までお聞き下さいませ』

 

土に汚れる膝下を気にもせず視線を合わせ、私の顔を覗き込む彼女は宛ら聖女の様に…金糸の髪を風に揺らしながら、優しく落ち着いた声で語り始める。

 

『此度の異変と目される地底の問題を私が知ったのは…地霊殿の友人から、霊烏路空について相談を持ちかけられたのが最初でした』

 

一体、いつ頃の話をしているのか知る由も無いが、地霊殿で紫と正面から対する人物とはさとりの事だろう。あの娘も身内の抱える異常を既に察知していたか…確かに、覚り妖怪であるさとりが他者の、それも身内の霊烏路が宿す八咫烏の声を聴いていないとは考え難い。

 

『相談を受けた時は、友人には明確な対策を教えませんでしたわ…私には、異変として公的に処理するのが最善だという目論見がありましたの』

 

故に放置したのだと紫は言う。地底と其処に潜む存在は、長らく地上の人間達から摂取し得る怖れが枯渇しており…旧地獄跡に蔓延る死霊や、地底周辺の地脈から噴出し大気に充ちる妖力を糧に辛くも存えて来たらしい。それも無尽蔵ではなく近々限界を迎えると紫は考え、地底と地上を繋ぐ足掛かりとして霊烏路空の宿す力に白羽の矢を立てた。

 

『ですが…コウ様が望まれぬ遣り方を、私は何故か納得出来ないみたいなのです。可笑しいですわよね…此処まで進めてきたのに、貴方様が苦しんでおられることの方が、私には我慢がならないなんて』

 

『紫…そんな選択をすれば、君の苦労が無駄になるのだぞ? 私に拘っては』

 

困り果てて眉を顰めた筈の賢者は、されど口元の笑みを崩さなかった。凛々しさを湛えていた何時もの表情は影も形も無く、私を見下ろす彼女は…飾らない少女の可憐さと柔らかな手付きで頭を撫で付けてくる。

 

『構いません…もう決めましたから。コウ様の願う、徒総てを掬い上げられる温かい場所を、私が創って差し上げます。ですから』

 

黄昏の差す庭先に現れた我が道標は、夢現混じり合う領域で見つけた時より一層美しく…儚げで、嫋やかな眼差しで応えた。

 

『私を、どうか御助け下さいませんか? 正直な所、藍と橙の手を借りても足りないんですの…このままだと、いつか心労で倒れてしまいますわ』

 

『ーーーーそれは、困るな』

 

自然と伸びた左手が、紫の横顔に触れていた。滑らかな肌は、此れまで触れたどんなモノより尊く感じられる。この細やかな肌に傷が付く様な結果だけは…如何しても避けねばならない。

 

『決めたぞ、紫。我は決めた』

 

『はい』

 

遮二無二立ち上がってみると…四肢に力が戻っている。美女に諭されて随分と現金な心持ちだが、治ってしまったモノは仕方が無い。何時迄も座っていられるほど、此の身は老いても朽ちてもいないのだ。革新を得たからには、宣誓を以って彼女の心に報いてやりたい。

 

『我は傲慢だ…ソレを敢えて押し殺していた。だが最初から、何方か一方を優先しようとしたのは誤りだった』

 

『では…如何致しましょう?』

 

決まっている…霊烏路空も八咫烏も、幻想郷の平穏も、何もかも手に入れる。我には可能な筈だ、凡ゆる負を内包する我を置いて誰に事が成せようか。竜は竜らしく…大口を開けて赴くままに全て喰らい尽くせば良い。無価値なモノは無に還し価値有るモノは愛でてやる…獣じみた我欲に従い、楽園に我が理を敷く。

 

『異変が起きるなら、起きても問題の無い状態にする。神々の火が何だと言うのだ…島国一つ程の松明で、我が深淵を照らせる道理は無い』

 

風は邪魔だ。雲も邪魔だ。空の色さえ今は無駄なモノ。内に抑えた力の箍をまた一つ外し、瞬く間に楽園を漆黒の帳で覆い隠す。身体から迸る奔流は銀に縁取られた闇として表出され、数秒と掛からず幻想郷に早めの夜が訪れた。

 

『あらあら…これじゃ、霊夢の洗濯物が乾きませんよ?』

 

『光を遮っただけだ。陽光が与える熱と恩恵までは奪っていない…それより、地霊殿の動向は捉えているか?』

 

『既に。地上の皆も動き出しそうですが、各々の準備を考えれば暫くは大丈夫でしょう』

 

紫に促されてスキマから覗けたのは、煌々と光る空洞の中心で苦しげに胸を押さえる霊烏路空と対峙するさとり、こいしの姿だった。恐らくは八咫烏が霊烏路の中で暴れ出しているのだろう…急がねば、地底に棲む者共もまたぞろ巻き込まれる。

 

『地上の主だった者達に伝えてくれ。これより我が地底へ向かい、八咫烏の焔を地上へ逃がす。要所から火の手が上がった場合、鎮火若しくは結界等を張って各地を守護せよと』

 

『紅魔館、永遠亭、太陽の畑、人里、魔法の森、博麗神社辺りの六方に陣を敷かせれば良いのですね? 直ぐに取り掛かります』

 

八咫烏、待っていろ。預かり知らぬ所で貴様に振り回される者達と、我の憤懣を存分に叩き込んでやる…貴様に楽園をむざむざ燃やさせてなるものか。我は決めたのだ…好きにはさせぬ。霊烏路空の心配も有ったが、昔の好と思って見逃してやったのも今日で最後だ。

 

 

 

 

 

 

『八咫烏…貴様に楽園を生きる価値が有るのか、我が直々に見定めよう。無価値となれば、其の魂の一欠片までもを喰い潰す…ッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霊烏路 空♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痛い…痛いよ…どうしてこんなことになっちゃったの? 分かってくれたと思ったのに、どうして言う事を聞いてくれないの? 教えて…このままじゃ、

 

「離せ! 離せェ!! 宿主ヨ、何故私ニ身体を貸さナイ!? 討たねばならない!! 神の火を今度コソ、悪しき竜ノ、闇の奥底で照らさねバナラヌッッ!! 大人シク器を寄越せェッッ!!」

 

『無理だよ…できない…!! 貴女を野放しにしたら、ぜんぶ燃えてなくなっちゃう…!!』

 

必死に制御している筈なのに、右手の制御棒はドロドロに歪んで暴発寸前にまで追い詰められている。炉の温度も圧力の規定値も、臨界に達する手前で何とか止まっているだけだ。もし私が抑えられなくなったら、何もかも消えて無くなってしまう…嫌だ! 嫌だよ!! さとり様、こいし様…お燐だって近くに居るんだ!! 地底の皆を暖めてあげるのが私の役割なんだ!! 貴女に、思い通りになんかさせない!!

 

「渡せェェェエエエエッッ!! ■■■■ーーーーーーーーッッッ!!!!」

 

『嫌…だぁっ!! く、ぐ…! いやぁぁあああッッ!!!』

 

咆哮と絶叫に耳鳴りがしてきた…頭の中をグチャグチャに掻き混ぜられているみたいで気持ち悪い。あと何分、何秒持ち堪えられるだろう…意識の均衡が崩れそうになる刹那、朦朧とする視界に私の家族が現れた。

 

『『お空ーーーー!!』』

 

『あ、ア…さとり様、こいし…さま…』

 

駄目だよ…こいし様はまだしも、さとり様は荒事には向いてないんだから…こんな所まで出てきちゃ…。みんな、みんな燃やしちゃうよ。

 

『お姉ちゃん!』

 

『ええ! 想起ーーーー』

 

さとり様の三眼、サードアイと呼ばれる器官が力強く見開かれ、淡い発光が炉心部全体を埋め尽くした。温かい…私達が産み出す焔とは違う、木漏れ日みたいな…暖かい《陽》が…。

 

『ーーーー《テリブルスーヴニール》ーーーー!!!』

 

不思議…さっきまで、頭は痛いし考えは纏まらなくて、さとり様とこいし様に逃げて欲しかったのに…今は、眠いや。眠くて眠くて…おそらの上に浮かんでるようなーーーーーーーー。

 

『お空の熱が収まったよ! お姉ちゃん!!』

 

『大丈夫、お空の思考はちゃんと掴んでいるわ…このまま八咫烏と繋がって』

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーーーーギィィィアアアア■■■■■ーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!』

 

『『ッ!?』』

 

遂ニ、遂ニ器を手ニいれタ!! 面倒ナ宿主の支配カラ抜け出し…私の火の煇を世界ニ与える時ガキタ!! 灰燼に帰せ、ワタシ以外の全て全て全テ!! 無尽の荒野とナッテ私ヲ讃え奉ル世の到来ダ!!

 

『これは、八咫烏の思念…!? そんな、確かに私の能力で』

 

『ガァァアアアアアアッッ!!!』

 

『ーーーー!? お姉ちゃんッ!!』

 

庇っタ? ヒヒ、ギィハハハハハ!! 無駄よ、無ダム駄ァ!! 姉を守ろうトシテ一緒に燃えタ!! 何タルチカラ、そうだ…このチカラだ!! 腕を一振りしただけで、忌々シイ妖怪が二匹モ塵にナッタ!! モエロ、燃えろ、燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ!!! 地底モ地上も何もかも総て、燃え尽きてシマエェェッッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

『不快だぞ、鳥風情が囀るな』

 

『ーーーーキサマ』

 

炎の波が防がれタ? ナゼ? 何ダアノ唸る靄は?? 決まってる…この声、排煙カラ垣間見えるあの銀、ギンの瞳!! キサマダ、キサマ以外に誰がイル!? 貴様貴様貴様キサマぁぁアアア!!! あと少しで、喧しい妖怪を二匹諸共消せたノに!!

 

『シンリュウゥゥゥウウウウウウーーーーーーッッ!!!』

 

『よもや二人を殺めんとするか…流石の我も、我慢の限界だーーーー八咫烏ッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 





感情と妄想のまま正直に書き連ねた結果、過去最多かもしれない文字数にて投稿となりました。
コウが幻想郷に変化を促すのと同じだけ、幻想郷での日常は彼に変化を与えてきました。今回は一つの分岐点を差し込ませて頂きました。

価値と無価値の線引きを自分なりにキッチリしてきた主人公ですが、今回はかなりウジウジ決めあぐねていて、どうしてもやりたかった反面書いてて辛かったです…ゆかりんじゃなくても立ち直らせられたかもしれませんが、ゆかりんレベルの主人公ストーキング力が無ければ、彼の悩みを解消してあげられなかったと思います。

長くなりましたが後書きまで読んで下さった方
誠に、誠にありがとうございます!!

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