彼は幻想を愛している   作:ねんねんころり

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おくれまして、ねんねんころりです。
今回は地底の太陽が登場します…ちょっとだけですが。

この物語は勢い任せの稚拙な文章、一部ポエミーな表現、厨二マインド全開でお送り致します。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


第七章 弐 上から下へ、約束が為

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

真昼の日差しから蒸し暑さが拭われだした晩夏の候、交流の深い者達を集めて行われた催しが終わった翌日の話。先日交わされた約定通り、私の元に十六夜と妖夢が訪ねて来た所から始まる。宴会も明けて直ぐにも関わらず、十六夜と妖夢は連れ立って我が家の門を叩いた。と言っても、私は既に庭の前で彼女等を待ち構えていたのだが。

 

『今日から、改めて宜しくお願いします! 先生!』

 

『お嬢様にお休みを頂きまして、毎週この時間から九皐様に御指導して貰う事となりました。私も、己の未熟を恥じるばかりではいられません…宜しくお願い致します』

 

礼儀正しく、銀の髪を備えた可憐な少女達は一礼して頼んでくる。私としても両手に花は大歓迎だ。時は午後一番…昼食もこなれて心身充実した頃合いである。

 

『うむ…して十六夜、早速資料を見せて欲しい』

 

『はい、此方に』

 

パチュリーにも手伝わせると聞いて予想はしていたが、渡された資料は冊子というより宛ら装丁された書物…平たく言えば図鑑を思わせる代物だった。目を通せば、丁寧に十六夜の挿絵付きで彼女の気性から身体能力を数値で表した図表から異能の効力と制限まで事細かに記されている。纏めると、

 

【十六夜 咲夜】

種族:人間 性別:女性 年齢:不明(推定十代半ば)

身長:推定五尺三寸 体重:秘密

彼女は幼少の砌、レミリア・スカーレットの庇護下に置かれ、それより十年近くを紅魔館の使用人として過ごす。性格は真面目で誠実ながら、偶に本人も自覚していない突拍子も無い言動を執る傾向有り。彼女の異能の存在に気付いたのは主人たるレミリア・スカーレット。十六夜が使用人としての勤務中にて不可解な移動方法で館内の清掃を行っている場面に遭遇した。努めて冷静に主人が問い質した所…生まれつき周囲の物体が動かなくなる時があったというのは本人の言。

 

彼女は時間が停止した中でも変わらず勤めを果たそうと仕事を続ける所為か、他者から見れば不意に姿が消える、一瞬にして部屋の隅から隅へ移動している等の報告が幾つか知らされていたという。レミリア自身は眉唾と思ったのも束の間…能力の発覚に伴いパチュリー・ノーレッジとの共同で能力の制御と研究を開始し、程無くして本人に異能を自覚させるに至った。ナイフの扱いはレミリア、護身術は紅 美鈴が勤務外時間に手ずから指導を継続中。ナイフの扱いは眼を見張る物が有るものの、護身術に関しては人並み程度の才覚。

 

といった内容だ。補足によれば、本人は能力を行使しながら長時間の運動は体力を大きく削られるとあり、パチュリーとレミリア嬢の見解では保有魔力と体力、精神力の均衡が崩れる度合によって発動後の反動が増減するらしい。

 

『成る程、大体分かった…十六夜』

 

『はい』

 

『基礎体力に問題は無い。護身術に関しても私が指導しよう…だが、能力についてはもう一度良く見せてくれると有難い。資料では使い過ぎると酷く疲れるとの記述が有るが、一瞬だけでも実演して貰えないか?』

 

十六夜は頷いて、何の所作も交えず彼女が能力を行使するのを知覚した。刹那の間に時間が停止するのはこういった感覚なのか…改めて見ると、中々に興味深い異能だ。

 

『終わりました。お言葉ですが、停止した時間では見るも何も無いのでは?』

 

『先ずは、一つの誤解から解いておこう。十六夜…君の停止能力は確かに凡ゆるモノを含めた時の流れを止められる。しかし、天子やレミリア嬢といった特異な武具や能力を持つ者と対峙すればその限りではない…それは分かるな?』

 

『ええ…先日身を以て実感致しました。私は所詮、便利なチカラを持っている常人に過ぎません』

 

自信を喪失してしまっているのか、今も彼女は俯きながら自己評価をかなり低い所で判断した。これこそ正に、勘違いも甚だしい。

 

『そうでは無い…今の君は、真に己の異能を扱うに至っていないのだ。その使い方では心身の疲弊が最も激しく、荒削りに過ぎると判断した』

 

『先生、具体的にどういう意味でしょうか? 類似する能力を持つ者が近くにいなければ、何を参考にすることも儘なりません。それに』

 

妖夢は気付いたか。私は何も資料に有る事柄だけを捉えて話しているのでは無い…見たからこそ、遠慮無く物申している。咲夜も妖夢の意図に勘付いた様子で、私に対する視線が僅かに訝しいものに変わった。

 

『まさか、九皐様も?』

 

『然り…私もまた、君が時を停止させてから一連の動き(・・・・・・・・・・・・・・)を目で追ったからな。髪をかきあげる仕草まで確り捉えたぞ』

 

言い終えると、咲夜は驚愕と照れが混じった表し難い面持ちで視線を彷徨わせている。妖夢は流石先生です等と言って相槌を打ってくれるが…停止した時の中でありながら付け入る隙が有るというのは由々しき事態だ。

 

『私からすれば…十六夜はまだ制御が甘い。時の流れを一部でも操るという事は、それだけ対象を細かく設定して行使せねば使用者にも綻びが生まれる』

 

『つまり、私の時を止める力の発動自体が不完全だと…?』

 

『妖夢』

 

『はい!』

 

『少し離れて、十六夜に斬り掛かれ。峰打ちで良い…そして踏み込む時は、十六夜が時を止めるという意気を放った瞬間に狙え』

 

二刀の庭師は疑う素振りも無く、紅魔の女給から暫し距離を置いて長刀の鞘に手をかけた。私もまた双方から離れ、再度成り行きを見守る。

 

『ーーーーーー』

 

『………今!!』

 

俊足から繰り出される抜刀。長刀は峰打ちの状態で迷い無く十六夜の首筋目掛けて振り下ろされ、十六夜は堪らず目を瞑っている。

 

『どうして…』

 

『なるほど…一度戦った時は私も気付きませんでしたが、ほんの少しだけ咲夜から透明な揺らぎみたいなモノが視えました! これが時を止める予兆なのですね!』

 

上手く行くかは分からなかったが、妖夢も腕を上げて相手の機微を見分ける力が格段に伸びて来ている。時が静止する直前、十六夜以外の影響される物体全てを即座に止めるのには致命的な間隙が有るのだ。ソレは大気に溶け合うかの如く広がり、数瞬の間を置いて十六夜を除く世界を停滞させる。恐らく発動した異能を起点に距離が遠ければ遠い程…彼女の停止能力は文字通り時を労して幻想郷全土へ拡大していく。

 

『でも…咲夜の能力発動が終わっても、私の動きは一瞬だけ持続していたように思えました。だからこそ首元で剣を寸止めしたのですが』

 

『これが綻び、なのですね? 今までと同じ力を使うだけでは足りない…一体どうしたら』

 

妖夢の眼前で、困り果てた表情で話す十六夜は皆目答えが分からないといった様子だ。預けられた資料の後半部分には…十六夜の時間停止は、本人の疲労度や使用前と後から推察するに体力、魔力、彼女の精神力が発動に必要な一定の値まで消費され、この三要素を触媒にして事象として現れるのではと述べられている。全く素晴らしい洞察だと褒めてやりたいが、生憎と資料を作成したパチュリーはこの場には居ない。

 

『方法は有る』

 

『本当ですか!? でしたら是非、是非お教え下さい!』

 

さて、どう言葉にするか悩ましい問題だ…彼女と親交を持ってから特段精神が脆いのでも無いのは明らか。体力も日々の労働と稽古される内容から充分な水準まで達している。結論としては保持できる魔力を高めてやるのが最適解なのだが。

 

『…一つ、聞かせてくれ。君は人間として生き続け、その生涯を終えるつもりなのか? それとも、何れは主と契約して人ならざる存在に変生する気でいるのか?』

 

『それ、は…』

 

私の問いに彼女は罰が悪そうに身を背けた。両の手を抱く様に重ねる十六夜はどんな答えを出すのか…例え人から外れると答えても、私は勿論レミリア嬢も構わない筈だ。寧ろレミリア嬢の性格からして、従僕にして愛しい家族が己が血と力によって闇の眷属となるのは願ったり叶ったりだろう。

 

『私は…お嬢様に救って頂いた十六夜咲夜は、《人間》です。この身と魂の朽ち果てるまで、人として敬愛する主に付き従うと誓いました。もし私が人間でなくなったら…お嬢様と共に過ごした人としての自分が消えてしまう…それだけは、私には出来ません』

 

『そういうもの、ですか? うむむ…ちょっと難しいです。私にはあまりピンと来ません…』

 

妖夢には、十六夜が人間の在り方を説く内容が難しかったのか…首を傾げて腕を組んで何かしらを考え込んでいる。私とて彼女の言う《人間》というモノの全てを理解している訳では無い。だが、

 

『生を駆け抜けて死しても尚残るモノが有る、か…尊い考え方だ。レミリア嬢も君のそういった部分を認めているから、敢えて誘わないのだろうな』

 

『あ……ありがとう、ございます』

 

十六夜に近寄り、不器用に頭を数度撫でてやる。髪が乱れるのは申し訳無いが…彼女の気高さについ手が伸びてしまった。人は短い生の中で、必ず何処かに己の生きた証を残して去って行く。時に血脈を、時に財産を、時に矜持と生き様を示して…ならば、教える側の私も応えてやらねばなるまい。

 

『分かった…では、君には人として頑張って貰うとしよう。私も何処まで助けてやれるか分からんが、打てる手は未だ残されている』

 

『すみません、私の我儘で』

 

『馬鹿を言え、心に決めた生き方を否定する権利など誰にも無い……任せておけ』

 

『はい!! ありがとうございます!!』

 

ここに来て初めて、十六夜は晴れ晴れとした笑顔を向けてくれた。可能な限りこの健気な従者の意を汲んでやりたい…安心しろ十六夜、此の身は殊《力》という物に関しては一家言有ると自負している。でなくては、我が家に揃った未来ある少女達を鍛えるなど片腹痛いというものだ。

 

『さあ、これより本格的に稽古を始めるぞ…妖夢は先ず私に打ち込んで来い。十六夜には口頭になるが、異能の行使に必要な魔力を一から練り上げる方法を教える』

 

『『はいッ!!』』

 

二人は高らかに声を上げ、妖夢は二刀を引き抜いて構え、十六夜は私と妖夢から遠巻きに佇み私の指示を待つ。今日は妖夢には技の練度を上げさせ、十六夜には現状で保有する魔力の容量を増やして貰う。

 

『妖夢、遠慮は無用だ…首を獲る積もりで剣を振れ。十六夜はまず周囲の雑音が聞こえなくなるまで心を沈めろ、私の指示以外は全て流せ』

 

『はい!』

 

『はああああッッ!! 《弦月斬》!!』

 

そう言えば、昨日夜中に帰宅した時に心当たりの有る人物から書状を貰っていたな。丸みを帯びたいじらしい字面で私を招待する旨の内容と、あの娘の住まいまでの地図を同封して送ってきた。此方からまた別の機会に遊ぼうと誘ったが…まさか招待してくれるとは思わなかった。此方に関しても、夜には必ず出向くとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『………うにゅ』

 

胸の奥底…埋没した意識が辿るのはいつも決まって、よく知らない誰かの記憶。きっと昔の…此処に来る前の自分なんだろうけど、私には全然身に覚えが無い。友達は私がトリ頭だからとか言うが、そういうのとはちょっと違う気がする。普段は難しい事を考えるのは得意じゃないから、思ったものをそのまま自分に問いかけるだけ。

 

ソレはーーーー濡れ羽色の翼を広げて雄大な空を飛ぶ、三本足の不出来なカタチをしたカラスだった。不思議と、今の私と良く似ているなんて感想が浮かんでくる。太陽を背に、轟々と燃える神気を迸らせて私を虚空から見下ろしていた。あなたはダレ? と、声にもならない質問を何度そのカラスにしただろう…裡側に傾けた意識が泥みたいに重く沈むにつれて、裡側に潜んでいながら、この魂の持ち手である筈の私を睥睨する存在。

 

「ワタシはアナタ、アナタはワタシ。翳る太陽の儚さと共に生まれた…ワタシトアナタ」

 

このカラスはいつも同じ言葉を私に返して、背にした山吹色の輝きを一際強く湛えるばかり。生きてきた過去の大半を忘れても、ソレを初めて認識した時の事だけは忘れない。アレはそう…ご主人様の口から、私に大きな大きな力が宿っていると知らされた日。

 

【お空…貴女は神の火、何者も届かぬ天上の光を持って産まれたのよ】

 

自分のことは良く知らない。気付いたら何処かの野原にぐったりと倒れていて…そんな死にかけの私を助けてくれた大切なご主人様が居た。虚ろに見えた瞳の奥から、確かに宿る意思を垣間見せたそのヒトは…胸元に伸びた管に張り付く眼球をぎょろりと動かして、優しく優しく私を抱き上げた。

 

『さとり様…』

 

思い出される在りし日の出来事は、《霊烏路 空》という妖怪が生まれた原初の記憶。名を与えられ、居場所を与えられ、漠然と過ぎる日々で…ある時それがどんなに幸せなものか自覚した時、目尻から熱い涙が頬を伝った。

 

『集中しなきゃ…温度、圧力、排熱量を調整して』

 

でも、ずっとずっと気掛かりだったのは…なんで私達は、暗くて暑苦しい地の底で暮らしているのか。ご主人様に質問した時…さとり様は悲しげに笑うだけで何も教えてくれなかった。何年も一緒に暮らすようになって…お燐が代わりに話してくれた。

 

【ここにいる連中はね…色んな理由で地上に居られなくなった妖怪や、人間に疎まれて追いやられた奴ばっかりなのさ。人間の恐怖や業、時に信心深さから生まれた存在なのに、いざ目の前に出てみたら…呆気なく拒否されて】

 

歯噛みして語る友達の顔には苦痛と、後悔と、憎悪と…それらと同じだけの《憧れ》みたいなものがあった。地上で生きることを許されず、若しくは自分達の意思で空の下から逃げ出した者の最後の砦。それが…私たちの住んでいる地底の正体。

 

『出力安定…確認完了……よし! 今日のおしごとおーわりっ!!』

 

そんな中でも、私たち《地霊殿》の妖怪は特別嫌われているらしい。地上の人間、妖怪だけじゃない…時には同じ場所に住む旧地獄跡の奴らにさえ。私は馬鹿だから…何にも考えないでさとり様にどうして? どうして? と聞いてしまう。その度、

 

【ごめんね…私が覚り妖怪だから。皆怖がってるの…ごめんね、お空…ごめんなさい】

 

頻りに謝るご主人様を慰めたくて…いつからか大きくなった身体で必死に抱き締めてみるけれど、結局さとり様が眠ってしまう迄…大切な恩人の涙は止まらなかった。

 

『さとりさまー! ただいま帰りましたー!!』

 

『お帰りなさい、お空。今日は一段と元気ね…何か嬉しいことでもあったの?』

 

『はい! 今日は夜までさとり様と居られるから、空はとっても嬉しいです!!』

 

さとり様は、私の頭の中なんてお見通しなんだろう。それでも構わない…この蟠る激情も、幸福も…私は全部熱に変えてしまえるから。

 

『そう…いつもありがとうね』

 

『えへへ…! こんなのお安い御用です!』

 

だから…いつかこの熱が溢れてしまったら、どうなってしまうか分からないけれど。多分その時には、もう私の我慢は限界だって事なんだ。だから我慢なんてしない。例えこの身体が燃え尽きても…さとり様にだけは、ずっとずっと笑っていて欲しいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アナタはワタシ。ワタシはワタシ。天地人燃ゆらす…熱く扱い悩む神々の火、未だ起こらず。されど優しき涙は慟哭に、慟哭は恨めしき。恨めしきは憎しみに、憎しみは地を焼く光。光こそは………アナタトワタシ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 古明地 さとり ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『へへ…さとり様…』

 

時間にして午後の四時前あたり。私に無防備な後ろを見せて、小さく畳んだ羽をブラシで梳かれるお空の無邪気さに…私は内心喫驚していた。なんて純粋で、優しい子。私に尽くし地霊殿を想う余り、私の能力など一顧だにしないかの様に、心の奥底に仕舞い込んだ憤激を露呈させてしまっている。いつものお空なら、自分の力の大きさに配慮して無意識に思考を読み取れない程深く沈められているのに…今のこの子はそれにすら気付いていない。この子の心から吐き出される信念、決意、優しさ、無自覚な憎悪さえ…全てが真実として私には見えている。

 

『でも…私には』

 

『うにゅ? どうしたの? さとり様』

 

『っ…いいえ、なんでも無いわ』

 

苛烈で裏表の無い気性が、私の《第三の眼》を通して頭の中に流れ込んでくる。だのに…それを焚き付けているだろう存在を知覚しようとすると、途端に繋がった互いの意識が途切れてしまう。況してや私の力では…本気になったお空を止めることなど到底出来ない。今はただ、見守ってあげるしかない。

 

『そういえばお空…近々お客様が来るから、貴女もお燐に呼ばれたら直ぐに来て頂戴ね?』

 

『うう…また妖怪の賢者ってヒト? 私、あの妖怪苦手だなあ…何考えてるかわかんない。顔は笑ってるのに、眼はこっちを値踏みするみたいに動きが無くて』

 

動物的な勘か、覚り妖怪でもないのにこの子は他者の機微に凄く敏感なようで…お燐も例に漏れず危険な輩の気配がすると一目散に地霊殿へ帰ってきたりするのだ。

 

『今回は、八雲紫ではないの。そうね…きっと、とても素敵な方の筈よ』

 

『ほんとう? さとり様が言うなら、大丈夫かな…』

 

大丈夫…何せ能力を使っていたこいしを目で捉え、対面した妹の歪さを前に変わらず接する事の出来る人物だ。私も妹も、顔も知らない相手だけれど…今回だけは確信めいた予感がある。

 

『楽しみにしていてね…きっと大丈夫よ』

 

『はい! さとり様が言うなら間違いないですよね!』

 

お空の翼を整えてやり、お気に入りの外套を羽織らせる。身綺麗になった為か、表層意識からも不穏な思考は薄れている。私にしてあげられるのはこの位だ。妹も、お燐も、お空も良く私の様な不出来な家主に従ってくれている。せめて皆の心の安定だけは保ってやらなくては。

 

『さ、私も仕事が残ってるから少し離れていてね。直ぐに終わるから…それまでお燐と一緒に御夕飯の支度を手伝ってあげて?』

 

『はーい!』

 

お空は無垢な応対にそぐわないバタバタとした挙動で、私の部屋を出て行く。今日の献立は何だろうと考えつつ、下町に引いた温泉の温度管理に使った炉の材料費やらを纏めた請求書の山に手をつけていく。すると…

 

『お姉ちゃん! 今日はね、お夕飯は焼き魚なんだって! さっき台所にお空とお燐がいてね? 珍しく地上から魚が出回ってたみたいなの! それでね?』

 

『待ちなさい、こいし。そんなに一気に捲し立てられても分からないわ…もう少しだけゆっくり話して』

 

私に諌められて、妹は唇を尖らせて詰まらなそうに部屋のソファに腰掛けた。妹の思考は全く読み取れないが、今日は何だか不機嫌そうというか…無理をして元気に振舞っている気がする。

 

『どうしたの、こいし? お姉ちゃんに話してみなさい』

 

『だって…お手紙書いたのに、来ないんだもん』

 

ああ…彼がいつ来るのか気になって仕方ないのね。それは仕様がないことだ。書状をお燐に届けさせたのは昨日の今日で、訪ねる側にも予定というものがある…都合が悪ければ明日か、明後日か。もっと時間が空くかも知れないのは当然だ。

 

『きっと直ぐに来るから、もう少しだけ待ちましょう』

 

『そうかな? 来るかな? でも、約束したもんね…うん! 大人しく待ってる!』

 

素直で気分屋なこいしは、優しく諭せば大概は聞き分けてくれるのは有り難い。妹を宥め続けるには、私も仕事を早くひと段落つけるのが効率が良い…暫く妹には我慢させておこう。

 

『……』

 

『ふんふーん…ふふーん…あれ?』

 

二時間もしないうちに、こいしはいつの間にか広げていた画用紙と色鉛筆を放り出してソファから立ち上がった。何事かと思って彼女を見ると、壁を隔てた向こう側…とある一点を見詰めている。感覚を引き絞る様に鋭く…風を受け流す凪に似た静けさで、外の方に意識を向けていた。

 

『今度はどうしたの?』

 

『ーーーーーーーーーーくる』

 

『え?』

 

妹が短く応えてきた刹那。

ソレは何の前触れも無く到来した…地底を遍く埋め尽くす、雄々しくも強大な闇の気配。書類仕事の為に握っていた筆が指から零れ落ち、自分の手が震えているのを漸く理解する。来た…来た…! コレだ! 私の心を瞬く間に昂らせる、爪先から天辺までもを支配する無尽蔵な気質の流れ…!! 《彼》のチカラを、こんなに近くに感じる…っ!!

 

『私行くね!』

 

『こいし…! 待ちなさい…っ!!』

 

制止も空しく、妹は部屋を飛び出し彼の居る場所へ駆けて行く。私も行かなくては…! でも、此処を離れたらお空とお燐が、

 

『『さとり様!!』』

 

妹と入れ違いに、前掛けを付けたままのお燐と翼を戦慄かせて警戒するお空が来てくれた。安堵が身体の緊張を少しだけ和らげ、私は何とか平静を取り戻す。

 

『…二人とも、動いては駄目よ。今は、こいしが先に向かっているから』

 

『こいし様が!?』

 

『私達は行かなくて良いんですか!? こんな気配を持ってる奴なんて絶対ヤバいですよ!?』

 

『これは命令よ。絶対に先走っては駄目…彼は敵じゃない、歴としたお客様なの』

 

『お、お客さん…さっきの話の? この気配のヒトが?』

 

『一体…どうして地霊殿にお客人なんて』

 

嘗てこれ程、この子達に対して強い口調で話した事は無かった。焦ってはいけない…私が焦ればこの子達は私を護ろうと躍起になって出て行くだろう。そうなれば地底の被害がどれだけのものになるか予想もつかない。しかも、

 

『もう…彼は既に手荒い歓迎を受けている』

 

『だ、誰にです…?』

 

強靭な思考の波が、私に教えてくれる…頭の中で声と同時に文字が浮かんで来る程の強い個我を持つ者。

 

『ーーーー鬼よ』

 

部屋に雪崩れ込んで来た二人は、私の導き出した答えに息を呑んだ。私達の知る鬼とは、旧地獄跡に住まう人外の中で最も強固な勢力圏をたった一人で維持する彼女のことだ。膂力の高さは言うに及ばず、持ち得る妖力も幻想郷では指折りの滅茶苦茶な妖怪…だけど、

 

『大丈夫…安心しなさい。彼なら心配無いわ』

 

『心配無いって…鬼は鬼でもあの《勇儀》さんですよ!? 普段は大らかで気前が良くても、喧嘩となったら話は別です! お客人が殺されちゃいますよ!?』

 

『いや、でもお燐……この力は』

 

それだけは無い。予感とか推測とか、そんなあやふやなモノじゃ断じて無い…未だ興奮が抜けないからか二人も気配を分析仕切れないでいる。果ての無い暗がり、この世の負という負を綯交ぜにしたかの如き圧倒的な質量と密度の闇。然し乍ら、放たれる闇の気配に不快感は無く、有るのは質量相応の重圧だけで他には何も感じない。だから大丈夫…彼は私達の敵でも無ければ、地獄跡の下町で酒に耽溺するだけの鬼に負ける訳も無い。不安なのはーーーー、

 

『この気配に当てられて、もう片方の鬼がどう動くのか…』

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

妖夢と十六夜の稽古を終えた直後、私は日も沈み切った時間に改めて書状の中身を確かめた。繰り返し読んだ文章に思わず口元が緩んだ。永琳に永遠亭への招待状を貰った時にも感じたが、誰かから請われて呼び出されるのは悪い気分ではない。同封された地図を眺めて、閉じた瞼の裏に目的地を想起する…座標は速やかに特定でき、慣れた動作で眼前に展開した黒い孔の中へと身を投じた。

 

『此処が、地底か』

 

視界に映るのは、光の届かぬ広大な穴倉に乱立する古びた建物と薄明かりの立ち並ぶ街道。差し詰め下町とも呼ぶべき場所を観察しながら、緩やかな足取りで示された地点へと歩き始める。

 

『暑い所だ』

 

天蓋に立ち込める排煙、地熱の滑りと町々に上がる喧騒が淀んだ空気に赴きを与える。今時期が夏でなく秋冬だったなら、是非とも春まで厄介になりたいと感じる私はやはり変わり者だな。御世辞にも尋常な生物が棲める環境ではないのに、此の身に限っては問題にもならない。

 

『見ない顔ね…新入り?』

 

『ん? あれれ? アンタどっから来たんだい?』

 

地図を確認しながら進んだ先で、川の流れを跨ぐ桟橋を発見した。其処に佇む二つの影に声を掛けられて立ち止まる。私を呼び止めたのは、一人は鈍めに光る金糸の髪と碧眼の異人めいた見て呉れの少女…もう一方は膨よかな土気色の衣服を纏うこれまた金髪の女性であった。

 

『上からだ…今日は知人に呼ばれていてな。差し支え無ければ道を尋ねたい』

 

地図を見せつけ、二人の少女に道を聞く。両者は顔を見合わせて言葉ではなく指差した方向で以って質問に答えた。

 

『気をつけなさい…此処は旧地獄跡。妬ましい程強い妖怪がわんさかいるから』

 

『お兄さんも相当にやるみたいだけどね…ま、死なない様に頑張ってね』

 

『忝ない…精々気を付けておくとしよう』

 

短い応酬を経て、桟橋を渡って歩を進めること数分…下町の入り口にて立ち尽くした。眼窩の街並みは最初に立った場所からは想像だにしなかった活力に溢れ、僅かに香る硫黄と酒気…加えて所々を歩く異形の住民が異質さを極めている。

 

『………』

 

視線を泳がせて道の脇を静かに通る。桟橋に居た二人を除いて真っ当な人型を保った人外は物珍しいのか…行き過ぎる住民達の視線が背後から突き刺さる。

 

『いや、単に見慣れぬ顔に警戒しているだけか』

 

独り言を述べた直後、同じく街道の脇を通りがかった大仰な体躯の妖と肩がぶつかってしまった。

 

『失礼した…怪我などはしていないだろうか?』

 

『あぁん? ひっく…ケガ? アンちゃん今ケガしてねぇかって言ったのかい?』

 

藪蛇を突いたらしい。注視すれば怪我とは明らかに無縁そうな発達した肉体を備えている…剥き出しの乱杭歯が荒々しさを際立たせ、其れを誇るように大股で振り返り私を見下ろす八尺近い体躯の妖、見た目に違わぬ粗暴な口調で返してきた。

 

『済まないな、余所見をしていたのは此方の落ち度だ。どうか許されよ』

 

『テメェ…オレをおちょくってんのか!? 古ぼけた喋り方しやがって、このーーーー』

 

双眸に猛獣じみた危険な光が灯る異形は、丸太の如き太さの腕を振り上げた。如何やら逆上させた様で…周囲を歩いていた者達の驚愕も憚らず掲げられた腕が私目掛けて振り下ろされる。

 

『ダボがァッッ!!』

 

暴、という風切り音を伴って振るわれた拳槌が頭蓋に当たる直前…身体に閉じ込めていた奔流を少量だけ解放する。加減を間違えてしまった…街を覆い兼ねない程出てしまったソレを間近で浴びて、異形の拳は直ぐさま押し止められた。私が見上げた立派な体躯の異形は、膝を震わせてその場で崩折れる。気を失ったらしい。

 

『うむ、少しやり過ぎたか。済まぬな…私の不注意であったのに』

 

力無く地に膝を着く異形を肩から担ぎ上げて、適当な建物の壁際に寄り掛からせると…またも背後から私を呼ぶ声が響いた。

 

『ーーーー見つけた…!!』

 

『………君は誰だ?』

 

今度の声の主は、壁に凭れた先程の異形とは瞭然に違った。豪奢な下駄を鳴らし、機能性に優れた上半身を白無地の服で隠した女の姿…取り分け目を惹くのは、左手に備えた朱色の盃と温い風に靡く細やかな長髪。闘志を漲らせた瞳と、喜悦に歪んだ口角。そして、

 

『あたしは、アンタを待っていたんだ…ッ!』

 

私を見知った風に嘯く彼女は、顔立ちが地底で見た者達の中では一番美しかった。美しさと剛健さを併せ持つ立ち居振る舞い…其れ等を更に誇張して止まない膨大な妖力。額に反り立つ、鬼を思わせる猛々しい一本角…それが、私の見得る彼女の全てだ。

 

『あたしと戦えッッ!! 姓は《星熊》、名は《勇儀》!! 鬼の誇りと意地を賭けて、正々堂々アンタに決闘を申し込むッッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 






遂に鬼の片割れがコウに挑戦する展開となりました。
伊吹さん何処いったんやという方、次回をお待ちくださいませ。それにしてもこのジジィ、モブ相手にはいっつも加減間違えてるな…

改めまして
最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!

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