彼は幻想を愛している   作:ねんねんころり

3 / 55
遅れまして、ねんねんころりです。
ようやく一章の二話目です。
話の構成や最後の引きが相変わらず行き当たりばったりですが、この物語を読んでくれるお客様方、ゆっくりしていってね。


第一章 弐 紅い館の地下深く

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

レミリア嬢の私室を後にしてから、彼女は私に館を案内してくれている。

今は午後、館の殆どの者は既に昼食を済ませ、レミリア嬢も私たちがやって来る前に済ませたようだ。

 

「ここがウチの庭よ。門番が庭師を兼任してて、いつもは植えてある花壇の世話をして貰いながら外敵の撃退もして貰っているわ」

 

レミリア嬢が丁寧に各所の説明を引き受けてくれている。

紅魔館はその名の通りあらゆる物が紅く配色され、しかしそのどれもが館と上手く調和されていた。

館自体は先祖が代々守って来たものらしく、スカーレットの血族の中で、とりわけ吸血鬼としての実力と住まう者たちを導く指導力があると認められた者が、その代の当主となる仕組みらしい。

 

なぜそれを彼女が私に教えてくれたかと言えば、私はまだ遭っていないがどうやらレミリア嬢には妹がいるという。

その話によれば、妹御は潜在能力や吸血鬼の資質ではレミリア嬢に勝ると目されていたが、諸事情あって当主の器ではないとされ…今は主の妹として紅魔館で共に暮らしているとのこと。

では、その妹御はこの館の何処に居るのかと彼女に問うとーー

 

「ちゃんとあの娘の所にも行くから、今は私に任せて欲しい」

 

とだけ返され、妹御の話題は意図的に避けているようだった。まあ…最後には顔見せもしてくれるようなので気にはしないが。

 

「美鈴! 紹介したい者がいるの! 此方へ来て頂戴!」

 

レミリアが門の向こう側へ呼びかけると、なんと門の真上を跳び超えて現れる人影があった。

 

「はい! お嬢様、美鈴は此処に!」

 

レミリア嬢の前に手を合わせて会釈した人物は、またも女性であった。赤みがかった長髪に、緑を基調とした中華風の服装に身を包んでいる。

 

「私たちが異変を起こす間、ウチで預かる事になった九皐様よ。ご挨拶なさい」

 

レミリアの傍にいる咲夜の言葉に美鈴は和かに頷き、私にも手を合わせて彼女は名乗った。

 

「初めまして、お客人様。私は紅美鈴《ホン メイリン》。紅魔館で門番兼庭師をしております! どうぞよろしく!」

 

眩しい笑顔に溌剌とした応対が、彼女の健康的な美しさをより強調している。先ほども思ったが、門番というからには何か戦いの術を身に付けているのだろう。

 

「申し遅れた。私の名は九皐、実は先ほど幻想郷に来たばかりでな、以後よろしく頼む」

 

はい! と元気に返す彼女は、その返答の後静かに目を鋭く細めて私に問いかける。

 

「九皐様…失礼ですが、貴方は一体」

 

「その問いには色々な意味が込められているな。今はまだ、全てをありのまま話す事は出来ない。だが、可能な限り誠意を以って応えよう。それと、敬称は不要だ。私は此処で厄介になる身だからな」

 

「では…九皐さん。貴方からは、不思議な気を感じます。実は、九皐さんが館内にいる事は此方へ来る前から分かっておりました。気…貴方の放つ生命力といいますか、それに伴う気配が、普通ではなかったので」

 

なるほど。出来れば正直に話してやりたいが、紫には私の正体についてはまだ話すべきではないと釘を刺されている。どう答えたものか。

 

「実は私も、君と同じく武道の心得があるのだ。何分私も未熟ゆえ、気配を隠し切れないでいる」

 

「そうだったんですか…ならば是非、一手試合たいものです」

 

美鈴は笑顔を絶やさなかったが、敢えて私と視線を交え私との試合を望んでいるようだ。

先ほどの、私の言葉の半分は嘘ではない。かというと後半の部分も別段偽っているわけでもない。

その事にレミリア嬢も気づいているのか、私にさり気なく視線を投げながら口元はニヤけている。

 

「だそうだけど? コウはどうするの? 私も貴方の実力には少しばかり興味があるわ」

 

「うむ…十六夜はどう思う?」

 

「えっ!? わ、私ですか? ええと…」

 

私としては美鈴が構わないのならとも思ったが、黙して佇む咲夜にも話に入って貰おうと適当に聞いてみたが、思っていた以上に考え込ませてしまった。

 

「私も、九皐様のお手並みを拝見したいと存じます。ですが…まだ案内する場所も残っておりますし、夜には異変も大詰めとなります。残念ですが、またの機会がよろしいかと」

 

「まあ、そうよね。私もああは言ったけど、美鈴と闘うならこの異変が終わった後にお願いできるかしら? コウ」

 

「そうだな…美鈴は恐らく、この館で真っ先に異変解決に来た者と対峙する事になる。私も悪巫山戯が過ぎたようだ、すまなかったな」

 

私の不用意な発言のせいで美鈴にも十六夜にも迷惑をかけてしまったな。レミリアはくつくつと噛み殺したように笑っているが、気にしないでおこう。

 

「さて、美鈴?」

 

「はい、お嬢様」

 

「貴女がコウと闘いたいと望むなら、それも私が叶えよう。しかしその力は、これより我らを阻まんとする者共へ存分にぶつけてやりなさい」

 

「しかと、主命を賜りました。この紅美鈴、全霊を賭して役目を果たしてみせます!」

 

レミリアは満足気に一つ頷き、それ以上は何も言わず踵を返した。なるほど…私を焚き付けておいてその実、美鈴の戦意の程を確かめたわけか。

最後に美鈴を激励してみせたレミリア嬢の姿は悠然としており、従う者に慕われているだろう彼女の人柄を克明に表している。

 

私と十六夜もレミリア嬢に続き、紅魔館の庭を離れる。

主人を見送る美鈴の表情は、レミリアへの惜しみない敬意と武人の凛々しさがあり…何故か、悲壮な程の決意を滲ませていた。

 

 

 

「コウ…美鈴の為、貴方にも一役買って貰ったわ。けれど、客人に礼を失した事は謝罪させて頂戴」

 

廊下を歩く途上、レミリア嬢は私に向き直り謝罪を述べる。私が彼女の意図を知った上であの場で乗り気になっていた事を、レミリア嬢はそれでも深く頭を垂れた。

 

「君が謝る必要はない。紅魔館の皆にとって、今が大事な局面である事は私も分かっているつもりだ。それに…私もあの様な掛け合いは久しぶりで楽しかった。重ねて言うが、君が詫びることは無いのだ」

 

慣れないながら微笑んで応えると、レミリアは姿勢を正して私を見詰める。

 

「こんな事、面と向かって言ったことは無いのだけど。貴方の瞳、綺麗ね。月の光より映える銀の眼からは、私への安っぽい気遣いは微塵も感じられない。貴方の事はまるで分からない事ばかりだけれど…その言葉が本心だと分かるもの」

 

「そうだろうか…私は自分を善良などと、思えたことは一度も無い」

 

ああ…一度だって無い。

私は君が思うような、高尚な人物ではないんだ。

私はただ楽園を求めてやって来た、無遠慮で場違いな存在に過ぎない。何故なら私の本質は…

 

「違うわよ。コウのそれは全くの見当違いだわ」

 

「ーー!」

 

私が自分の内側で抱えた想いを見透かし、否定するように、レミリア嬢は鋭い声音で返した。

 

「貴方が実際、どんな奴であれそれは関係ないわ。私がコウを良い奴だと勝手に思っているだけのこと。だから、私にとって貴方は良い奴なのよ」

 

彼女は力強く言葉を放ち、私の感慨を切って捨てる。

私が何であれ、彼女は彼女の思うままに全てを見る…と。

私よりも遥かに短い時しか生きていないだろうに…彼女には揺るがぬ決意の様なモノを感じる。

 

「そうか…そうだな。君の言う通りだ、レミリア嬢」

 

分かったのならそれで良い…と、そう告げてまた彼女は前を歩き出す。十六夜は一瞬だけ私に目配せをし、私もそれを受けて彼女に追従する。

 

「着いたわよ…此処が我が紅魔の誇る大図書館。これまでに我が一族が集め、今尚忘れ去られたあらゆる書物が増え続けながらこの先で眠っている。大図書館には、それを管理してくれている私の親友とその使い魔が居るわ」

 

親友、か。私にはそういった相手が今までいなかったので、あまりその言葉には実感が湧かない。私は流れ流れて、此処へ辿り着くまであの夢と現が入り混じる領域で永い時を浪費していた。

 

四百年か五百年か…体感としてはその程度の期間。この扉の先には、誇り高い吸血鬼のレミリア嬢が親友とまで呼び親しむ者が座している。

 

「レミリア嬢の親友か、是非懇意にしたいものだな」

 

「きっと気が合うと思うわよ? 私の直感だけどね」

 

「お嬢様、九皐様。私は皆様にご用意するお茶の準備をしたいと思いますので、一旦失礼させて頂きます」

 

「そういえばもうそんな時間だったわね。ええ、お願いできる? 咲夜」

 

「畏まりました」

 

二人の会話は簡潔に済ませられ、十六夜はその場からまた一瞬にして姿を消した。

 

先ほどから十六夜の、あの突然消えたり現れたりするアレは…恐らくアレだ。私が物思いに耽っていると、レミリアは自ら目の前の扉を勢いよく開け放った。

 

「パチェ、いつもご苦労様ね…今日の体調はどんな具合かしら?」

 

「ーーーーそうね、今日はまだ大丈夫よ…レミィ」

 

「パチュリー様? 何度も申し上げますが、ご無理は禁物ですよ?」

 

レミリア嬢の声に反応してか、一つまた一つと図書館の奥で声が上がる。視線を送れば広めのデスクに座る者と、それを気遣うように側に立つ者の計二人。

 

デスクの前で書物を広げ、顔色は蒼白ながらレミリア嬢を愛称で呼び合ったのが、パチュリーという少女だろう。

 

「急な話だけど、客人を迎えたから彼の紹介と…近況を伺いに来たわ」

 

「客人ね…上の階で妙な力を感じてはいたけれど、彼がそうなのね?」

私の予想は当たっていたようだ。パチェという愛称で呼ばれた彼女は、私の姿を上から下、下から上へと確認している。

 

「ううう…何だか不思議な気配をお持ちの殿方ですね、パチュリー様」

 

さながら秘書の様にパチュリーの傍らに立つ少女も、私を見据えながら弱気な声で図書館の主人に語りかけた。

 

「彼の名前は九皐、私はコウと呼んでいるわ。八雲紫が連れて来た、私たちと同じ新参者…らしいわよ?」

 

私たちは図書館の奥、彼女の座るデスクの方へと歩み寄る。私の名を聞いたパチュリーは細い顎に華奢な指を添えて、九皐という名を吟味しているようだった。

 

「九皐。深い谷底、幾重も曲りくねった沢の意味ね…どうせ彼の素性も八雲紫は話さなかったのでしょう?」

 

「まあね、本人に聞けば良いだろうし。私自身、相手の種族や出自に殆ど興味が無いもの…私は開明的だからね」

 

「それは悪く言えば大雑把って事じゃーーゴホッ! ゴホッ!」

 

「パチュリー様!!」

 

彼女は会話の途中で、大きく咳き込んでしまう。

それは唾液や水分が気管に詰まった際に出すような症状とは違い、明らかにパチュリー自身が抱える持病の類だと分かってしまう。

 

側に立っていた赤髪の少女は即座に手に淡い光を宿らせ、それをパチュリーに翳す。何秒か何十秒か…その淡い光を身に浴びながら咳き込んでいたパチュリーの呼吸の乱れや咳は、次第に落ち着きを取り戻していった。

 

「御免なさいねパチュリー…一度に多く喋らせ過ぎてしまったわ」

 

「はぁ…いいえ、良いのよ。コレは私の問題だもの、レミィが気に病む事じゃないわ。けれど本当に厄介ね…魔女になってそれなりに経ったけど、私自身がそうなる前から抱える持病を根底から治癒する魔法は、未だ創り出せていないもの」

 

浅い呼吸を繰り返しながら、それでも会話を続ける彼女は、もはやこの状態には慣れたものだと言わんばかりだった…が、その苦しげな表情は此方も同時に嫌な汗を掻いてしまう。

 

「もう、駄目ですよパチュリー様! またお身体に障りますから」

 

「わかっているわ…こうやって、使い魔である小悪魔に症状を和らげる魔法をかけて貰わないと。咳き込んでしまっている私では魔法の詠唱もままならない」

 

彼女の持病とやらは、気道の炎症が原因で起こる発作…喘息だろう。平時でも常に呼吸器官に異常を来している為、激しい咳や浅い呼吸、それらが合わさり発作の苦しみを助長してしまう。

 

パチュリーの言では魔女になり人から違う存在へと変わった自身の病を癒すには、彼女の側に控えている小悪魔…がやったように魔法に頼る他無いのだろう。しかし、魔法…魔法か。

 

「魔法、魔術や異能の類ならば…君の病は治るのか?」

 

「どうかしらね…さっきも言ったけれど、私自身長年調べて魔女に有効な快癒の魔法は創れなかった。貴方に心当たりでもあると言うなら別だけれど」

 

諦念を含んだパチュリーの笑みに、私は痛ましさや同情といった感情を孕ませていた。なんと身勝手な考えだろうか…欺瞞にして独善に過ぎるという事は分かっているのに。だのに、私は彼女に手を差し伸べずにはいられない。

 

「許しは請わない…偽善だと笑ってくれて結構だ。生憎こういった事態も初めてでは無いのでな」

 

「コウ? 貴方何を言ってーー」

 

「何なの…貴方、急に気配が濃くなったわ。それにその力」

 

今まで抑えていたモノを僅かばかり行使する。一匙分にも満たない力を、己の裡から掬い上げて闇の奔流として可視化させ…手に纏ったままパチュリーに向ける。

 

図書館に充満し始めた私の魔力を、この区域に押し留めながらの作業。やはり慣れない為か時間が掛かるが、その効果は徐々に周囲の環境に現れていった。

 

「な、ななななな何ですかこれ!? ま、まるで」

 

「果てのない闇の中に…放り出されたような」

 

「濃密な闇の性質ーーなのに不快に感じない…? コウ、貴方この力は一体…!」

 

この場にいる三人の反応を他所に、あらゆる生命にとって負となる私の力を以って、病の元を《奪い取る》。絶望こそが私の糧、負の極点こそ私の配下。ならば人の罹る病など、砂粒程度の脅威もない。

 

パチュリーの身体から、黒い瘴気の様なものが立ち上る。彼女から瘴気のようなソレが全て出払った後、風に巻かれる煙の如く私の翳した左手に吸い込まれてゆく。

 

コレが私の存在を成り立たせる根幹。負と忌まれ、闇と貶されたあらゆるモノが私の力となる。今回もまた例に漏れず、彼女の抱える病は一片の残滓無く吸い上げられた。

 

「……終わったぞ。まだ息苦しいか?」

 

「えっーー? あ、苦しく、ない…苦しくないわ! こんなに大きな声で、強く呼吸しても…全く息苦しくない! それどころか身体の不調すら無くなって…!?」

 

「コウ、まさかパチュリーの喘息が…治ったというの? どうして、どうやってそんな事が!?」

 

「凄いです!この方から言いようのない力が湧き上がってきたかと思ったら、パチュリー様の身体から黒煙みたいなのがモワモワーって! ほ、本当に回復なされたのですか!? パチュリー様!!」

 

三者三様の感想を述べてくれるが、私にとってはさしたる感慨もない。私の力は負に属するモノなら例外なく操れる。力を多く吸い取れば、負の属性以外のモノさえある程度は思い通りに出来る。最も…戦う時以外では、初めから必要の無い行為だが。

 

「正確には治したのではない。彼女に巣食う病そのものを、私が根刮ぎ毟り取って喰らっただけだ」

 

「つまり、吸い取って自分の力にしたと? 病気なんて千差万別、それ自体が概念や外的、内的なものから成る現象じゃないの…」

 

「私は、負に属するモノを意のままに出来る。褒められた力ではない」

 

「…いいえ、貴方は私の病を治してくれたわ。方法は普通とは違うけれど、病だけを身体から追い出すなんて…あり得ないなんてものじゃない」

 

「やった! パチュリー様がずっとずっと苦しんでこられた病気が、遂に治りました!! でも…」

 

小悪魔と呼ばれた少女は、主人ではなく私を見て、弱々しい声で問うた。

 

「病気を自分のものになんて…お身体に毒ではないのですか?」

 

「問題ない。先も言った通り。私が奪ったモノは全て私の力となる。詳しい説明となると難しいが、兎に角問題など起こりようもない」

 

次に訪れたのは沈黙だった。

当然の事だろうが、私の力の性質は妖怪や魔女など此処にいる者たちと比べても異質なモノだ。今までに出逢ってきた彼女たちの言動や能力を示唆する情報から、それぞれが有する固有の力を予想したとしても…私の存在は完全に浮いてしまっている。

 

「コウ、貴方に是非遭わせたい娘がいるの。 急な話で悪いけどこのままついて来て」

 

レミリアは今までとは違い、明らかに私を急かしていた。何か私の力で役に立つ事でも有るのだろうか…その答えはきっと彼女が遭わせたいと言った《あの娘》というのが関係している。

 

「わかった。すまないなパチュリー、それと小悪魔だったな。私に対してまだ聞きたい事は残っているだろうが、今は失礼させて貰う」

 

「ええ…今はレミィに付いて行ってあげて。貴方ならばきっと、レミィとあの娘の力になってあげられるわ」

 

「パチュリー様を治して頂いて、ありがとうございました! 」

 

私は頷くだけでその場を後にし、足早に何処かは向かうレミリア嬢を追って行く。十六夜とはまだ合流していないのだが、それは今は良いだろう。本来の予定を押し退けてでも、レミリア嬢には頼みたい事柄であるとみえる。

 

「今はもう夕刻よ。本格的に夜が来る前に、貴方を連れて行きたい場所があるわ」

 

「ああ、何処へなりと行くとも」

 

足早な彼女は、努めて此方に悟られない様にしてはいるが、先ほどまでとは明らかに違い切迫した空気を漂わせている。

 

「行き先は更に下の階にある地下よ。其処に、あの娘はいるの」

 

「…地下、か」

 

こういう時は黙っているに限るが、幾つかの仮定が頭の中で浮かび上がってくる。彼女の抱える問題と、此度の彼女が起こした異変が無関係ではなかったことは、察しの悪い私にも何となく感じ取れた。そもそも幻想郷を覆う程の赤い霧…これがいかに異変を起こした証になるとはいえ、理由がそれだけでないのは自明だ。

 

そこまでの考えに至ったのは、吸血鬼の弱点として広く知られる日光を遮り、夜に活動する種族であるレミリア嬢が昼間に動いている現状がどうしても不可解だったからだ。

 

此度の異変によってレミリア嬢の得られる表面的なメリットは余りにも少ない。態々楽園全体を霧で包み、昼夜問わず活動の自由を手に入れたい事情を抱えているのだろう。だが、場合によっては障害になりかねない紫や藍と予め会合を済ませていたような三人の口振りと、異変の解決に乗り出してくる者たちへの明らかな戦意…そして庭で会った美鈴が私の疑念をより深めていた。

 

別れ際のやり取りで美鈴を激励したレミリア嬢と、それに全霊を賭して応えると言い放った美鈴の姿。二人の間にあった見えない共通意識と決意の強さは凄烈なものだった。必死、不退転、そう表現する他ないほどに。

 

加えて紫は私に言った。

異変は必ず人ならざる側が画策し、それは人の手によって解決される、と。幻想郷に住まう人々に必要な分だけの恐れを抱かせ、人と人ならざる者たちが共生する為のシステム。レミリア嬢はその仕組みを分かっていながら、館の庭で互いの覚悟を確かめ合っていた。

 

彼女は人間に与える恐怖によって紅魔館の力を高めた上で、太陽を隠した環境下で何かをしたかったのだ。全ては仮説に過ぎないが、私の疑問の答えは彼女の向かう地下にある事だけは確信出来る。

 

「此処よ…この扉の先が、あの娘の居る部屋」

 

辿り着いた地下空間の一番奥。

私が考えていたよりも、事態は深刻な事が一目で分かる。眼前の扉は鋼鉄で造られており、これまでの館のモノとは一線を画す様相だ。中でも目を引くのは扉に何枚も貼り付けられた紙、紙、紙。その内容は、

 

【ハイルナキケン!】

【Geh nicht rein】

【NO ENTRY!!】

【About face...】

【Vous obtenez le monstre】

 

幾つかの言語で、この部屋に入らんとする者への危険を促した同じ様な意味合い貼り紙。対照的に綴られた文字は拙く、覚えたての幼子が書いたかのような字体の数々。

 

「これは…」

 

「あの娘が、書いたの。私の妹…フランドールが」

 

この状況で、まさか妹御の話に戻るとは思ってもいなかった。

しかし…これで確信した。これ迄の私の疑問、レミリア嬢が幻想郷全土を吸血鬼の活動可能な環境へと変えた理由。それら全て。この扉の先に居る彼女の妹、フランドールに帰結している。

 

「君の妹は自分で、この部屋へ他者が入ることを禁じているのか?」

 

「そうよ。それにフランドールは、ある時期から一歩もこの部屋を出ていない。フランは、ヴァンパイア一族の中でも稀に見る高い資質と能力から将来を嘱望されていたわ。けれど、あの娘の抱えるモノが原因で自分を強く戒めている。姉である私でさえ、フランが拒めば無理には入れない」

 

実の姉であり、館の当主のレミリア嬢も慎重になる身内の問題か。私は彼女の口から、核心が語られる事を黙して待った。

 

「ーーーー妹は、狂気に取り憑かれてしまったの」

 

「取り憑かれている? 失礼だが、元から気が触れていた訳ではないと?」

 

「今も、何が原因かは分からない…でも事実よ。ヴァンパイアとして力は兎も角、フランは至って普通の優しい女の子だった。それなのに、自分でも制御仕切れない程の狂気が彼女の周りを取り巻いた結果…部屋から一歩も外へ出られない。私はフランから狂気を取り除く術を探したわ。そうして外の世界で四百年余りを費やしても、打開策は見つからず、幻想郷に来てからも一向に成果は上がっていない…だから!』

 

扉の先の妹を想いながら語ってくれたレミリア嬢は、私に振り向きざまに深く、深く頭を下げて懇願した。

 

「お願いよ…どうか、どうか妹を救って頂戴! 報酬や対価なら何でも支払うわ! どんな無理難題にも応えてみせる! だからパチュリーの病気を治したように、妹の狂気を取り除いて欲しい…この通りだ!!」

 

彼女は今日初めて会った私に、胸の内に抱えた苦しみの一切を吐き出した。涙を流し、どれ程の対価でも構わないと臆面なく言い放ち、尚も懇願し言葉を重ねる。

 

彼女の振る舞いには、誇り高き一族とされるヴァンパイアの矜持など毛ほども宿ってはいなかった。そんなものよりも、自分が妹に何をしてやれるか、どうすれば幸せを与えてやれるのか…それだけをひたすらに探してきたのだ。

 

「四百九十五年の間…それらしい治療法は何一つ見つからなかった! 妹の狂気は眼に見える程溢れ出ているのに、どんな妙薬も魔法も効果は無かった。フランは私に言ったわ。自分が我慢していれば、皆を傷付けずに済むからと…! どうして? どうしてフランだけが、こんな」

 

スカートの裾を千切れんばかりに握りしめ、レミリア嬢は私に願う。妹を取り巻く狂気、それによって隔たれた姉妹の距離。姉は妹を想い治療法を探し続け、妹は姉を想い自らを閉じ込めた。

 

レミリア嬢の眼からは大粒の涙が今も止めどなく、私自身、かつて無い程に強く拳を握り締め、ふと見れば手には血が滲んですらいる。

 

「レミリア」

 

「………」

 

「君の願い、私はしかと聞いたぞ」

 

「ーーー! コウ!!」

 

私の顔を見詰める彼女の顔に手を差し伸べ、流れた涙を不器用に拭う。私の心は決まっている…結果は分からないが、私の取る行動はたった一つだ。

 

「君の妹、フランドールの身体から…必ず狂気を取り払う。悲しみに暮れるのは今日で最後だ…君達姉妹の積年の悲哀、全て私が奪い去ろう」

 

そう告げて、私は迷いなく目の前の扉を押し開けた。

 

 

 

 

「ーーーーアナタ、誰なの?」

 

「おはよう、吸血鬼の妹君よ。突然だが…君の狂気、私に譲ってはくれないか?」

 

 




彼の能力が少しずつ明かされて来ましたね。
言葉通り、深竜・九皐は負にまつわるモノを例外なく操れます。ハッピーな幕切れを目指しておりますが、これから徐々に流血や暴力的な内容が増えると思います。

戦闘描写、苦手なんですよね…。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。