急展開、御都合主義が稚拙な文にて続きますが、それでも良い方はゆっくりしていってね。
第一章 壱 博麗神社と紅い館
♦︎ 紫 ♦︎
彼に、コウ様に人化を促すと即座に取り掛かってくれた。
銀の光が強く瞬いたかと思えば、巨大な黒竜だった筈の彼は既に人間の姿に変わっていた。
「これで良いか?」
「ええ、問題ありません。ですが…その服は何処から?」
彼は竜の状態から人型に変じたが、竜の時は当然衣服など身につけてはいない。
彼が人化出来ると分かった時はこっそりスキマから何着か選んでいたのに、手間は省けたが私の準備は無駄に終わってしまった。
「これか? 随分昔になるが、まだ人間の住む世界にいた頃、山中に身を潜めていた筈の私を偶然見つけてしまった人間が、その場から荷物を放り出して逃げ出してしまってな。荷物の中にこれらの衣服が有ったので、拝借したのだ」
というか、幾ら山の中とはいえ人間に見つかるような場所に居ては駄目なのでは?
そんな疑問が頭の中を過ったが、とりあえずは気にしないでおく。
「そうでしたの。よくお似合いですわ」
「そうか…ありがとう。誰かに身なりを褒められたのは、初めてだ」
「ど、どういたしまして!」
そう言われた途端、あからさまに動揺してしまって声が上ずってしまう。ああもう! なんなのこの胸の奥から湧き上がる気持ち! よく分からないけど嬉しいと感じる事だけは確かだわ!
だって、清潔な衣服に艶やかな黒髪!
少し長めの前髪から覗く月光の様な銀の眼!
整った顔立ちがそれらを更に引き立てているわ!
何より身長は六尺と高いし体格は逆三角形!
引き締まった筋肉で身体は細すぎず太過ぎない絶妙なバランス!
人体の黄金比とは正に彼と言って差し支えないわ!
「どうした? いきなり顔を手で覆って蹲って…体調でも悪いのか?」
「九皐殿…あまりお気になさらぬよう。紫様はいたって健康ですので」
藍が私のためにフォローしてくれているが、何処と無く呆れた雰囲気を感じるわ。尊敬が足りないわよ藍。私これでも大妖怪なんだから。
しかし…本当にどうしてしまったんだろう?
今日の私は本当におかしい。彼と会ってからというもの、ペースを乱されて仕方がない。顔は熱いしちょっとした動悸まで起こしている。風邪でも引いたのかしら? けれど身体に不快感なんて微塵も無いし、むしろ今日は気分が良いほうだし。
「し、失礼しました…私は大丈夫です。気を取り直してコウ様? いよいよ幻想郷へ向かおうと思います。私が案内致しますので、どうかそのまま」
「お前の事は信頼している。全て任せよう」
彼の言葉にまた胸が熱くなるが、何とか自制してこの場にいる全員をスキマで包み込む。スキマを繋げた先は博麗神社、少しスキマの中を歩けば目的地に辿り着く。それまでに彼には幻想郷のルールやら地理やら簡単な説明をしないとね。
♦︎ 博麗霊夢 ♦︎
朝、卯の刻くらいの出来事。
突然、凄まじい一つの気配が幻想郷を覆った。それは一瞬にして消え去り、今は何事も無かったように小鳥の囀りや緩やかな風の流れだけが残るのみ。
「なんだったのよ? さっきのアレは」
私、博麗霊夢は巫女をやっている。
年季の入った我が家、博麗神社で暮らしながら時たま起こる人里のお悩みを解決したり悪さをする妖怪をとっちめたりして暮らしている。
ともあれ、さっきのアレは今までに感じたことの無いモノだったのは確かね。まるで土砂崩れが自分目掛けて突っ込んでくるような…一言では形容し難い何か。それなのに、不思議なことにそこまで不快感はなくて、逆にそれが底知れなさを醸し出していた。
「まるで…果てのない暗がりみたい」
そう、暗がり。
紫みたいな大妖怪が放つ不気味な妖力や、神降ろしをした時に感じる無駄な神々しさとも違う。そんなよくわからないものが幻想郷を覆って、私は寝床から飛び起きた。もう少し寝ていたかったのに。
「ほんっと安眠妨害甚だしいわね。あんな事があったのに、紫は姿を現さないし」
「―――――い!」
「…ん?」
声が聞こえる。
天気は快晴、昨日までは夜空が曇っていて雨が降ると思っていたのに、飛び起きた時には雲ひとつない青い空が広がっていた。それで、声の正体だけどもう見当は付いてる…直感でなくとも、ほぼ毎日聞いている声がした。癖のある金髪、エプロン付きの白黒の服、箒に跨って空からやってきた私の知り合いと言えば一人だけ。
「魔理沙? いったいどうしたのよ?」
「おはよう霊夢! 聞いてくれよ! 今日なんか良くわかんないけどスッゴイ波みたいなのが―――――」
「知ってるわよ。それで寝床から飛び起きたんでしょ?」
「なんでわかった!?」
そりゃ分かるわよ…私も飛び起きたからね。
きっと他の主だった連中も、アレには気が付いてるでしょうね。紫は未だに此処に来ないのが気にかかるけど、きっとアレの原因を今頃は調べてるんでしょうね。
「それで? 貴女はどうするの?」
「決まってるだろ? きっとこれは紫が言ってた《異変》ってヤツに違いないぜ。調べるんだよ」
だと思ったわ。
まあ、魔理沙の意見には賛成ね。私もいつもなら気にしないで縁側でお茶でも飲んでるけど、今回の事はどっちみち調べないと原因が分からなさそうだから。
「なら、私も行くわ」
「お、そうこなくっちゃな! でも珍しいな? 霊夢が自分から行くだなんて」
「そうかもね。でも気になるのよ…あれから多分一時間くらい経ってるけど、紫がまだ来ないし」
「管理者を謳ってるアイツが、まだ来てない? おいおい…俄かに怪しくなってきたな」
妖怪の賢者がこの異変、ならぬ異常現象を看過する筈もない。そう思って外で掃き掃除しながら待っていたのに、私としては完全に待ちぼうけ。加えて今の季節は夏。暑いったらない。私にとって夏で良いことと言ったら、西瓜が美味しい事と洗濯物がよく乾いてくれることくらい。
「まあいいわ。それじゃあ魔理沙、早速アレの正体を探りに行きま―――――なに?」
またも、幻想郷を不可思議な現象が襲う。
今度のはさっきのアレとは違う。幻想郷を照らす太陽は遮られ、青々とした快晴の空は瞬く間に赤く塗り潰された。ぼんやりとした明るさを保った赤い霧の幻想郷。これは、これはもう疑いようもない。
「魔理沙…予定変更」
「あ、ああ。そうだな…朝のアレは凄かったにせよ一瞬だったし…これはやっぱり」
魔理沙もどうやら私と同じ意見みたいね。
妖気を帯びた赤い霧。加えて、夏の暑さが肌に纏わりつくような不快さが一層増したのは、きっと季節のせいじゃない。
「魔理沙、人里に向かうわよ」
「ああ、普通の人間にこの霧はちょっとキツそうだ」
多分、普通の人がこの環境下で過ごそうとしても保て三十分がいいところ。一刻も早く人里に行って、住民の外出を禁じるのが先決ね。紫はこうも立て続けに異常な事が起きたのに、全く姿を現そうとしない…ああもう! 面倒臭いわね!
「魔理沙、人里に行った後は貴女の勝手だけど」
「いちいち水臭いこと言うなよ。 《異変》、解決しに行こうぜ?」
ほんと…こういう時ばっかりウマが合うんだから。
一先ず思考を打ち切って、私は魔理沙と人里に向かう事にした。赤々と天を染め上げた霧に、今までとは違うナニカを感じる。朝の妙な気配だけでも異変じみてたのに次から次へと、よくもまあこれだけ派手にやらかすものだ…と。辟易としつつ、退屈凌ぎが出来た事を喜ぶ自分がいるのだった。面倒は御免被るけれど、どうせなら―――――有意義な時間を過ごしたいのだ。
♦︎ 九皐 ♦︎
「スペルカードルール…とは、なんだ?』」
「大まかに言えば、人と人ならざる者が公平に勝負できる《弾幕ごっこ》という決闘方法における決まりごとのことです。そのルールの下で、弾幕ごっこでは美しさを競ったり、自分の放った弾幕を相手に当てて相手の《残機》を減らしたり―――――」
現在、紫の式、八雲藍の説明を聞きながら紫の生み出したスキマの中を私たちは歩いている。何故か空間内には無数の目玉が散らばっていたり、不規則に様々なモノが飛散していたりするのだが、それは別に良い。
「藍、あんまり詰め込んで説明してもコウ様だって混乱してしまうわよ?」
「いいえ、必ず覚えて頂きます。九皐殿は力の余波だけで幻想郷を震わせる程のお方。仮に九皐様が避けようとも、無謀にも挑みかかってくる輩を殺してしまわないよう留意して頂かなければ」
先ほどまでは随分と萎縮していたようだが、今の力を抑えた私ならばもう慣れたようだ。私としても、いつまでも藍に蒼い顔をさせたままでは流石に偲びない。
「心配はない、いざとなれば此方から逃げる事にする。楽園まで来るのに使った転移術なら相手も追うのは不可能だろう」
無理に争うことはない。
私の目的はあくまで幻想郷を見て回る事だ。そこに住む者たちの中には、一度争いが起きてしまえば、殆どの人間と同じく対処出来ない力の弱い者たちもいる筈だ…迎え入れてくれた紫の厚意を無碍には出来ない。
「そうですか…ですが、やはりなるべくお早めにルールを把握して下さいませ」
「努めよう。近日中に網羅しておく」
「コウ様? そろそろ目的の場所へ到着します。其処には結界を維持する為の巫女、《博麗の巫女》がいます。幻想郷を廻られる前に、一度お互いに顔を合わせるべきと思いますわ」
「そうだな。紫が言うのなら、会っておくべきだろう」
私は、この八雲紫という妖怪ながら見目麗しい少女に、出逢って間もないながら篤い信頼を置いていた。言葉を交わすまでは、彼女は私へのある程度の敵意や警戒心があったが、私にその意思がないと悟ると丁重に扱ってくれた。
藍が言うには、彼女は幻想郷を創り出した者たちの一人であり、賢者として広く知られているという。千年を生きた大妖怪にして、幻想郷の賢者。その二つ名に恥じない確かな実力と知性を備えている。
何よりも、彼女は私に対してある程度好意的だ…その態度が嘘か真かは手に取るように分かる。これまで私を討ち果たさんと挑んできた者共や、私の力を利用しようと甘言を差し向ける輩を腐る程相手にした。だから分かる…彼女は私が知れず呆気に取られてしまうくらい、私に対し誠実だ。
「着きましたわ。このスキマの先からは、もう幻想郷の中ですわ。コウ様」
「ああ…楽園が、幻想郷がこの先に――――――――」
思わず笑い出しそうなほど、自分の心が弾んでいる。
失われた自然、忘れ去られた者たちの拠り所。私は揚々とスキマを潜り、それを目に焼き付けようとした。
「……む?」
スキマから出た先で、最初に目にしたものは年季の入った木造の建物。この神社、が紫の言っていた博麗神社であると直ぐに理解する。荘厳な空気を纏いつつ、春の陽気のような温かみがある。このような神社まであるとは…話では聞いていつつも益々楽園への期待が高まっていた。
のだが……私がスキマの中を通っている短い間に、外側から私が見ていた楽園とは、今は幾らか様変わりした景色が広がっている。全てを受け入れると謳われた幻想郷においても明らかな異物。それの存在感、視覚的な情報は、私にこれが平時のモノではないと強く訴えていた。
「これは…赤い霧か?」
「紫様、これはもしや」
「ええ。予定より少し早いけれど、どうやら始まってしまったみたいね」
予定と言うからには、幻想郷を覆うこの赤い霧のことも紫は把握しているのだな。幻想郷を覆い尽くす赤い霧。人間の基準で言えば、アレは少々厄介だ。今はまだ昼前の時間の筈だが、霧が太陽を遮り、ぼんやりとした明るさが現状の異様さに拍車をかけている。
ともすれば、見る者の感性を刺激する神秘的な風景とも言えるが…コレはそういった娯楽や道楽の類で無いことは、紫の神妙な顔から直ぐに察せられた。
「妖怪が人の恐れを集め、それを人間が己の手で解決する。それが、人と人ならざる者の間を取り持つ為の必要なシステム…コウ様、これが《異変》ですわ。この異常を引き起こした首謀者は先刻、私が会合の場を持ち、私はこの異変を彼女らが起こすことを了承いたしました。現世から忘れ去られた幻想、失った力を取り戻す為の舞台装置…それが、この妖霧の正体です」
紫は静かに、はっきりとした口調で私に語りかける。
なるほど、人の恐怖や感情を糧として生きる妖怪、またはそれらと近い存在は此処で暮らしてゆくのに必要な力を、このように集めるわけか。勿論、それ以外の意味も別に存在するのだろう…それは私の与り知らぬ事柄だが、彼女が分かった上で起きているならば是非もない。
「大丈夫だ。お前の話では、これは人の手で解消させるべきものなのだろう? 外側から見ていたあの美しい光景を直ぐに堪能出来ないのは少々残念だが、私たちのような存在が人と関わっていく為には仕方のないことだ」
「お気遣い、痛み入りますわ」
今の返答は彼女が楽園を管理する者として、妖怪の賢者としての責任が込められた言葉と受け取った。
「だが…見てみたいものだな」
「九皐様? 」
「紫、藍。私はこの異変とやらを起こした者と、それを解決するだろう人間に興味がある。遠目からでも見られるのなら、それを肉眼で直接見てみたい…どうだ?」
「うーん……そうですわね」
私の頼みに、紫はしばし逡巡する。
それもものの数秒のこと、紫は私に微笑み返した。
「それでしたら、この霧を生み出した者たちの所に行ってみませんこと? コウ様が望まれるなら、私が話せば彼女も分かってくれるでしょう」
「ありがとう、紫。先方に礼を失せぬよう、私も気を付けよう」
「硬くせずとも大丈夫ですのよ? むしろ幻想郷に住む私たちの方が、コウ様には礼を尽くさなければならない位です。ありのまま対応なさって下さいな」
本当に、彼女には感謝の言葉しか浮かばない。
私を精一杯持て成そうとしてくれている。彼女に出逢えたことは、長い生を生きた私の数少ない幸運だろう。
「では、また案内を頼む」
「ええ。既に先方への道は通してあります。此方のスキマへどうぞ」
紫がスキマを開き、私たちはその場を後にし異変の首謀者の元へ向かう。振り返ってもう一度幻想郷の空を見上げるが、赫赫たる霧は未だ、楽園を一色に染め上げていた。
♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎
数少ない館の窓から、私の起こした異変の有様を見る。
今は時間にして正午。本来なら私たち《ヴァンパイア》からすれば睡眠の真っ最中なのだが、今日ばかりはそうも言っていられない。
「咲夜、咲夜はいる?」
「―――――はい、レミリアお嬢様。十六夜咲夜は此処に」
私の従者、《十六夜 咲夜》を自室に呼び出す。
今回の異変では彼女の為すだろう役割は大きい。この子もその事は分かっているだろうけれど、一応釘を刺しておく。
「咲夜、遂にこの時がやって来たぞ」
「はい。これで私たち《紅魔館》の名は、幻想郷の隅々まで喧伝されることでしょう。そして、お嬢様の悲願もようやく…」
「ええ。ここに居る者たち全員、よく私の無理難題に応え此処まで付いて来てくれたわ。後で館内の皆に声をかけに行くから……今はお茶を一杯、貰えるかしら?」
私の要求に応え、咲夜は会釈の後一瞬にして姿が消える。
部屋の隅から隅を隈なく見ても、彼女の姿は部屋にない。
私の認識の下では、彼女は密室のこの部屋から音もなく姿を眩ましたようにしか感じない。これも、あの子の《時を操る程度の能力》のおかげ。
そうして思案しながら待っていると、咲夜はまた音もなく私の視界の端に現れ、トレイ、茶菓子、カップ等のティーセットを持ち込んで来た。
「お待たせ致しました。紅茶の茶葉はディンブラ、お茶菓子はスコーンになります」
鮮やかな手並みで咲夜はカップに紅茶を注ぐ。
流石は私の瀟洒なメイド長。仕草一つ一つに華があって、文句なしの仕事ぶりね……そこにもう少し笑顔が増えれば、更に完璧なのだけど。
「ありがとう咲夜。良かったら貴女もいかが?」
「よろしいのですか?」
「ええ。それに、そろそろお客様が此処に来るから二人分、お茶を追加して頂戴」
咲夜は私の言葉に疑問を持っていたが、やはりそこは瀟洒なメイド長。指示通り、いやそれ以上に完璧な手際で自分を含めた三人分の紅茶を注ぐ。
「では、私もそのお客様がお見えになってから頂きます」
「そう――――――――――あら、もう来たみたいよ?」
咲夜は私が見ている、彼女の丁度真後ろの方へ振り向く。
私の視線を遮らぬよう対角線から少しずれて姿勢を正し、浅く頭を垂れて客人を迎えた。
何もない空間から突如裂け目が生じ、その中から一人、二人、三人と人影が現れる。
「度々の急な訪問、御免下さいな。幻想郷の管理をしております、八雲紫ですわ。」
「構わないわよ、分かっていたから。それで……早速一つ伺いたいのだけど?」
「何かしら?」
「一番後ろに控えている殿方は…一体何者なの?」
スキマ、と八雲紫の側に立つ従者、八雲藍が私に教えてくれた裂け目から、私が垣間見た運命には存在しなかった者が此処へ来ている。八雲紫もそれを分かってか、薄く微笑みながら私の問いに答えた。
「流石は紅魔館の当主、運命を操ると言われるレミリア・スカーレット嬢。その慧眼は誇り高きヴァンパイアに相応しいと、改めて感服致しましてよ。この御方が誰なのかは、直接答えて頂くのがよろしいですわね」
この御方? 妖怪の賢者とまで謳われる八雲紫が、まさか敬称を使った? 動揺を悟られないよう何とか抑えたが、側に侍る咲夜は私と目を見合わせる位には面食らっているようだ。
男の身形は清潔で、外の世界で言えば中世かそれより少し後の西洋風な服装。闇夜に溶けるような漆黒の髪と銀の双眸が美しく、整った顔がより際立たせている。
何より気配、気配が底知れない…それほど大きな波長ではない筈なのに、六尺前後の人の身体に敷き詰められている闇の性質が不気味にさえ映る。 それでも、不思議と私の抱く警戒心はそれほど高くない。何なのよ? コレは…。
「紹介に預かったので名乗っておこう。私の名は九皐…幻想郷に今しがた来たばかりの新参者だ。紫に案内を頼んでいたのだが…急に表れた外の霧に興味が湧いた故、此方へ邪魔をさせて貰った」
「……それで、そんな貴方が何故私の所へ来たのかしら?」
「もし良ければ、此度の異変を見届けたいのだ。その行く末を、間近で私に見せて欲しい」
「貴女からすれば、不躾な話なのは重々承知しております。ですが、どうか彼の願いを聞き届けて頂きたいの」
「―――――はぁ。分かった…邪魔が入らないというのなら、それで良い」
溜め息混じりに短く返すと、黒髪の男は口元に笑みを浮かべ満足気に二度ほど頷く。益々訳がわからないわね…服装に対して名乗った名前は和名だし、そもそも紫の彼への扱いが私たち相手より幾らも丁寧ときてる。結局、詳しい事は見た目と名前以外教える気は無いってことね。
「御歓談中に申し訳ございません。これよりお嬢様からのご配慮で、お茶を御用意させて頂きます、メイドの十六夜咲夜と申します。どうぞ、皆様こちらの席へお掛け下さい」
「あら? 悪いわね…それじゃあ頂くわ。藍、コウ様も」
「私も宜しいのですか? これはどうも…お気遣い、痛み入ります」
「うむ…私のも有るのか。忝い」
本来なら咲夜も同席させたかったけど、客人の手前自分もというのは控えたようね。まあ、そもそも三人目なんて予定外だったから…咲夜とのティータイムはまた今度に持ち越しだわ。
「とても美味しいわ。流石は紅魔のメイド長ね」
「ええ、私もこれで二度目ですが。まさに格別の一杯です」
「お褒めに預かり、光栄です」
八雲紫、式の藍もひとまず大丈夫なようね。
あとは…まだ紅茶を音も無く嚥下している彼の方だけ。気付かれないように視界の端に彼を捉えて伺っていると、彼はカップを置いて一つ、小さな溜息を吐く。
「……! 九皐様…? 私が何か、粗相を致しましたでしょうか…」
「ん? ああ…君は十六夜、だったな。違うのだ、そうではない」
咲夜が恐る恐る問いかけると、彼は拍子抜けするほど和かに返してくる。
「私は…これ迄に人との関わりを余り持って来なかったものでな。こういったモノは数える程度しか飲んだ事が無かったのだが、今は少し後悔している」
「後悔、ですか?」
「うむ。私は、今までにこれ程美味い紅茶を飲んだ事がない……思わず人前である事も忘れて堪能してしまった。クセがなく、柔らかな舌触りと味わい、香りがまた実に良い。何より十六夜、君の手際が実に良かった…失礼だが、カップに紅茶を注ぐ君の姿を切り取って額縁に飾りたいと思った程だ」
「―――――!?!?」
「むっ…」
なんとも、この男は咲夜の淹れた茶を絶賛してくれた。当の咲夜は異性に褒めちぎられてか顔が真っ赤である。それとよくわからないけれど、私の対面に座る八雲紫はちょっと不機嫌そうだ。
「確かに素晴らしい一杯でしたが、コウ様? それほどお気に召されましたの?」
「ああ、紫。この茶には、淹れた相手に精一杯堪能して貰いたいという真摯な想いがある。味や香りもそうだが、彼女の気遣いに私は惜しみない賛辞を送りたい…レミリア嬢、で良かったか? 主人である君の教育も有っての事と思う。主従揃って、実に見事だ」
何故かしら? 相手が相手なら褒められ過ぎると逆に不愉快と感じる筈なのに、この九皐という男からは微塵もそうは感じない。むしろ囁かれる言葉に嘘がない分、下手に言い返せないくらい素直に聞き入ってしまった。
「い、いいえ…これは従者である咲夜の日々の賜物よ。私は最初に少しばかり指導しただけ。でも、素直に礼を申し上げるわ…ありがとう」
「あらあら? コウ様は随分女性を持ち上げるのがお得意のようですわね。私にも是非甘い言葉を囁いて欲しいものですわ…」
「紫様!?」
「先も言ったが、紫。君にはとても感謝している。この気持ちは言葉では表し切れない……君が私の前に現れた時、私は君の美しさを前に、思わず見惚れてしまっていた。故に、君たちの問いに直ぐ応えられなかったのだ」
この男は…全く歯が浮くような事を真正面から言い放つわね、少しばかり危険だわ。容姿や声、視線から所作まで彼を構成する様々な要素が人妖問わず彼に心を惹きつけさせる。吸血鬼や一部の妖怪が持つ魔眼や魅了の力とは違う。
彼は自然体で、他者を籠絡する才を持っている。
「そ、そうですか? で、でしたらよよよろしいですの事よ!?」
「紫様! 賢者賢者!」
式である筈の藍も堪らず狼狽える紫を諌める。
咲夜は…ダメね。顔は茹で蛸みたいで俯いたまま私が目配せしても気付きもしないわ。私も正直、少し警戒していなかったら危なかった。
「オッホン…それで? これから皆はどうするのかしら?此処に留まるなら部屋を用意するけれど?」
「うむ…私は是非そうしたいが、紫と藍はどうする?」
彼が紫とその式の方を見やると、何とか平静を取り戻した賢者様が静かに答えた。
「ええ、コウ様がお望みならその通りに。ですが、申し訳ありませんが、私と藍はこれからまだ所用がありますから…レミリア・スカーレット。彼を一旦お預けしても?」
「私の対応は変わらないわ。彼が此処に残ると言うなら、一旦お預かりしましょう?」
「感謝する。短い間だが、よろしく頼む…レミリア嬢」
「何度も言うようだけど、構わないわ。それと、九皐?」
「コウと呼び捨ててくれ。これから世話になる身だ」
「ならばコウ。私たちの、幻想郷で初めての大舞台をしかと目に焼き付けなさいな」
私が最後にそれだけ言うと、八雲紫と藍はスキマに姿を消していった。さてさて、彼の出現によって…私の見た運命にどんな狂いが生じるのやら。
「それじゃあ咲夜。 館の皆に声を掛けがてらコウを案内するから、貴女も付いて来なさい。コウもそれで良い?」
「畏まりました。お嬢様」
「そうだな。頼む、レミリア嬢」
私たちは一様に立ち上がり、部屋を後にして先ずは庭先へと向かう事にした。丁度今頃は、ウチの門番もコウの気配だけが残った事に気付いてるだろうし。
あのムスメへの労いと一緒に彼の自己紹介を済ませてしまいましょう。夜が来るにはまだ遠い…夜が来るまでに片付けておける事は、早めに片付けておくのが効率的だ。
―――――それと、地下に閉じ籠っているあの娘と、彼をどうやって引き合わせるのかも、館を回るうちに算段を練っておかないと。
レミリアが最後に頭の中で思い浮かべたあの娘とは、やっぱりあの娘のことです。
どうやって…接点持たせようかと頭をひねっております。