『コミュニケーションで最も大事なことは、言葉にされないことに耳を傾けることだ』
―Peter Drucker―
「付き合ってよ!」
文化祭当日。オブザーバーというか看守というか、昨年のこともあり監視されながら仕事をこなしていたところ相模に呼び出されてこの状況だ。
この状況を丹生谷に見られでもしたら終わりだ。付き合って、の意味が買い物とかに付き合う、とか、いやまあ絶対そういう意味だけど彼女、人の話を聞かないことが多いから。ったく何で俺の周りは人の話を聞かないやつばかりなんだって、それは俺も人の話を聞かないからだな。
「はあ?!」
どんな誤解が生まれてもおかしくない状況で、たった2、3メートルほど先の声が羨ましく感じた。
しかし少し離れた声でも、今聞こえたものは少しも羨ましいものではなかった。
俺は一歩二歩と後ずさる。
振り向けば、確かに丹生谷がいた。悪魔さながらに腕を組んで仁王立ちをしていた。……というか後ずさったせいで丹生谷が近くなっちゃったんだけど……。
「えーっと、どなたか存じ上げませんけど……」
予想外に、声の主である丹生谷は大人の対応だった。まあ信じられないくらいに笑顔は引き攣っているし、言葉が他意の可能性も考えていないくらいだし、心情は察するにあまりあるが。
丹生谷は、俺の存在に気づいているのかも怪しいくらい相模を見つめると、はっきり口を開いた。
「比企谷は私の彼氏なんで」
すっと風が吹き抜けた気がした。丹生谷は俺の肩をつかむ。浮かんでいる笑顔が、怖い。
対峙した相模の表情が歪む。
「あんた彼女いたんだ」
「まあ、な」
「へえ……」
それっきり相模は黙って俯いてしまった。相模も丹生谷同様、腕を組み始めた。まるで何か黙考しているようだ。その沈黙を埋めるように俺は軽く足踏みをする。
「で、用がないなら俺は行くが」
俺は沈黙を区切りと捉えて、くるりと身を翻す。俺はそんなに暇ではないのだ。まだ仕事が残っているし、なにより何故か俺担当の直属の上司がいてサボタージュなんて以ての外だ。ちなみに上司の属性は氷。
しかし振り返ったところで丹生谷が俺の両肩を掴んで俺の目を見つめる。
「ちゃんと話聞いてあげて」
なにその変わり身の速さ……。戸愚呂さんでもそんなに早く変わらないぞ。
「……まあ話くらいなら」
諭されてしまった。普段なら小町か戸塚の言うことしか、なんなら言いなりになっているのだが、どうしてか今日くらいはちゃんと話を聞いた方がいいと思ってしまった。
「で、なんだ相模。早く言ってくれないと後ろで良いこと言った風に見せかけて超睨んでるやつにやられるんだが」
「なっ、睨んでない!」
「じゃあ背後から感じる殺気は何なんでしょうね……」
暗澹たる空気を背後から受けながら相模の返事を待つ。早くしてくれないと殺られるんだけど……。
しばらく待つと、相模はようやく顔を上げた。こちらを一瞬睨んでからサイドの髪を耳にかける。すると突然、相模は顔真っ赤にして叫んだ。
「文化祭、一緒に回ろうと思っただけ!」
「……は?」
× × ×
「第三章 一節 精霊の囁きと光と水の想いが私達に届く時、白い世界開かれるのです。400年にわたって世界を見続けてきた私には……」
「おい落ち着けモリサマー」
「この子何言ってるの……?」
はっ! と我に返る。あまりの衝撃に、本来の姿……、いや忌まわしい過去に足を掴まれるところだった。
「あ、いやなんでもないのあはは」
「無理だから隠し切れないから」
呆れた顔の比企谷を私はムッと睨む。
比企谷はまったく気にする様子もなく頬を赤く染めながらこちらを睨むサガミさん? を気にかける。
「まあ、今のは見なかったことにしておいてくれ相模。思春期に誰もが通る道だろ」
そのやけに達観して、まるで自分は無関係だと装う姿にいらっとして私はぽつりと呟くように反撃を加える。
「比企谷……昔のニックネームって確か……」
「おいまてやめろ」
「シンフォニ……」
「やめてくださいすみませんでした」
「ヒキガエ……」
「それ小4」
「ヒキコウモ……」
「それ妖怪ウォッチ」
「ヒッキー……」
「それガハマさん」
私たちが下らない応酬をしている間もサガミさんは待っていたようで、その律儀さにちょっと親近感を覚えた。
しかしいい加減我慢ならなかったようで大声をあげた。
「ああもう! どうでもいい!」
「落ち着け相模。冷静に行こうぜ」
「なんで夫婦漫才見せられなきゃいけないのよ!」
「いやいや違うから……違わない?」
ここまで私は間接的にさえサガミさんとお話をしていない。ことは不器用なヒキガエ……比企谷では解決出来なそうだ。
私が協力するために重い腰を上げようとすると、ピロリと一昔前の着信が鳴った。音の出処はどうやら比企谷のようで、ポケットからスマホを取り出していた。比企谷は画面を見てすぐ固まる。
「やべ……これはまじやべえわ。っべーっべーって」
「どこの戸部だ」
サガミさんが間髪を入れず、つっこむ。なにちょっとカップルっぽくなってるの……。
私の嫉妬など露知らず、比企谷は私たちに画面を見せる。
From:雪ノ下雪乃
Title:Dead or Dead
本文:あなたの担当部署の仕事が集まっているわ。昨年と違い、記録雑務ではなく本部側なのだからしっかりと捌きなさい。各模擬店やアトラクションの安全性。廊下に人が溜まっているのが原因で通ることが出来ないとの苦情まで来ているわ。まああなたが行ったところで人に揉まれて終わりでしょうから、列の整理くらいはしておいたわ。ところで無能谷くん、いつになったら戻ってくるのかしら。平塚先生にあなたの諸行動のことを伝えたら、ファーストかファイナルか忘れてしまったけれど瓦割りの練習を始めていたわ。ちなみにメールアドレスは由比ヶ浜さんから聞きました。お返事を待っています。
End
気づけば三人、黙り込んでいた。これはやばい。やっべー、っべーって言いたくなる気持ちが分からないこともないこともない……?
あまりの危機迫った状況に私は固唾を飲んだ。
「というか比企谷……こんなところにいる余裕あるの……」
「あるわけねえだろ。タイトル読んだ? Dead or Deadだよ? 確実に殺しにくるよ?」
「じゃあ早く行きなさいよ」
サガミさんが言う。いや元はと言えば……。
「相模……お前のせいで……。どう取り繕えば……。まあいいや。去年も今年も相模のせいだからな。つーか、やっぱ、ワンフォアオールだな。今年は相模に傷を負わせるわ」
「はっ? あんた人のせいにするつもり?」
「いや今回はマジで相模が……」
「は?」
「いえ僕のせいでした」
比企谷は、どこに行っても扱いは変わらないらしい……。少し反省しよう……。
そんなやりとりをしているうちにまた刻一刻と時間が無くなり、また何度か着信があった。次は平塚先生のようで、比企谷はあからさまに嫌そうな顔をした。そして画面を私たちに見せる。
「俺そろそろ行くわ……」
「うん……」
「ごめん比企谷……長居させて……」
「気にするな……じゃ、またあとで……」
言い切らないうちに比企谷は踵を返してしまった。
平塚先生のメールを見たあとの私たちには一種の団結感のようなものがあった。平塚先生のことについては比企谷から何度か聞いていたけれど、まさかあれほどとは……。
というか最後、瓦割り二十枚成功しましたってコメントと写真が添付されていたの怖すぎる。文化祭に参加しないでなにやってるの平塚先生。
残された二人に残るのは沈黙のみ。
私は適当にはぐらかして、かつ最低限の話――比企谷と回るのは私ということ――を伝えて、私はすぐにその場をあとにした。
去り際にぽつりとネバーギブアップ精神を感じさせる一言を呟かれたこと以外は特に問題なかった。
「諦めなくても無駄よきっと……」
そんな独り言を呟いて、私は明るい雰囲気に包まれた雑踏に潜り込んだ。
無駄、だよね? 比企谷!
どうもお久しぶりです。中二病。
最近、そつがなくという言葉を知りました。
あと、間髪を入れずの読み方が(かんはつをいれず)と初めて知りました。
日本語は楽しいですね。
静かに二人の後輩は決意する。の方も完結しました。最終回直前話は重たいですが、最終話は自分的にはハッピーエンド、全て丸く収めました。ぜひご覧いただければと思います!
これからもよろしくお願いします!