キスをしないという条件の上で、光秀は緋田信長の依頼を聞いてくれた。それ以降、予定のない休みの日は光秀の元へ赴いて何度も身体を重ねている。
夜空をこうこうと照らす月のように届かない存在なら落としてしまえば良い。そう考えた結果、信長は恋い焦がれる存在を捕まえることができた。
けれど肌を重ねて快楽を与えられ同じ時間を過ごしても実感がわかない。腕を伸ばせばたやすく抱き締められるのに、何かが離れていくような気がする。しかし信長にはそれが何なのかわからなかった。
秋が終わりに近付き黄色の葉が中庭を埋める頃、信長は風紀委員長に呼び出されていた。不仲な相手の呼び出しなど普段の自分なら無視していただろう。しかし風紀委員長は大切な話だからと信長の親衛隊を遠ざけた。その珍しく真面目な表情に信長もいつものような無視はできなくなる。
そうしてふたり屋上に移動すると晩秋の強い風が流れていた。
「生徒会長さん、あんた何してんの?」
「曖昧すぎて質問の意味がわからないよ」
唐突すぎる質問に信長は顔をしかめて白い物体を睨み付ける。しかしその時の豊白はやはりいつもと違っていた。
「ならはっきり言ったるわ。あんた、明紫波先生に何してんの」
豊白の口から放たれた名前が信長の脳に突き刺さる。あげくその単語をうまく処理できず返答に詰まった。
「……何の事か、わからないね」
無理やり虚勢を張り相手から目をそらしてなんとか言葉を紡ぐ。しかし嫌な動悸が心臓を騒がせ考えることの邪魔をしていた。
「あんたの親衛隊が何度か明紫波センセに詰め寄ってんの見たんやけどな。明紫波センセ困っとったで、あんたを誘惑しとるって因縁つけられて。センセはあんたに嫌われとるって認識やから当たり前やけどな」
「僕だって……あんな教師は嫌いだよ」
豊白から目を背けたまま、信長は空を飛ぶ鳥を眺めた。秋晴れの下を飛ぶ鳥は風に乗ってどこかへ飛んでいく。
「手が届かないならと羽をもいで落としたのにそれでも届かない。あんなのは」
「アホが!!」
突然飛んできた大きな声に思考に入り込んでいた信長も驚き豊白を見る。二年半も一緒にいたが、豊白が大声を出したのははじめてだった。
「あんた明紫波センセに惚れとんのやろ。ならなんで気持ちを向けんで羽もいで落とそうとするん? おかしいやろ。好きなら好きて言うのがスジやろ!」
「あいにく僕は君のように単純明快にできていないんだよ!」
「うちが単純ならあんたはアホやろ。糖分とりすぎて脳ミソ溶けとんのとちゃうか」
「うるさいよ!」
「あんたのがうるさいわ!」
「君のほうがうるさいよ!」
屋上での罵倒は授業開始のチャイムが鳴るまで続けられた。そうして大声を出し続けた信長は妙にすっきりした気持ちで豊白と別れる。
授業を終えると信長は一年の教室へ向かう。しかしそこに光秀はおらず、下級生に聞けば10分前にホームルームは終わったらしい。それを踏まえて職員室へ向かうが、そこにも光秀はいなかった。
走り回った信長は息を切らせながら生徒指導室へ入る。すると難しい顔で辞書を開く光秀がいた。
「今まで悪かったね」
声をかけると調べものをしていたらしい光秀の手が止まる。怪訝な顔で信長を見た光秀は何事かといぶかしんでいる様子だった。
「僕が間違っていた。もう君のところには行かないよ」
あんな形で関係を築いても何の意味もない。まずは気持ちを伝えるところから始めなければならない。そう気づいたからこそ、信長は今の関係を清算することを決めていた。
「抱いてくれなんて言わない。もちろん君の秘密を暴露することもしないよ」
だからと今の気持ちを素直に告げたその先で光秀は驚いた顔を見せる。もちろんこうしていきなり関係の解消を告げられれば誰でも驚くだろう。しかしそんなことは百も承知だった。
「驚かせたことはあやまるよ。それと親衛隊には僕から言っておとなしくさせるから」
これで何も問題はないはずだと思いながら信長は生徒指導室を後にした。