文化祭が例年と同じく大成功を納める裏で生徒会は暗雲に包まれていた。顧問が多忙を理由に生徒会へ顔を出さなくなっていたためだ。今まで当たり前にいた存在が欠けると、それだけで不協和音となって他に影響を及ぼす。
しかし文化祭を終えた三年生は本格的に受験へ目を向けるようになる。そのため生徒会唯一の二年生である前木慶次はひとり思い悩んでいた。
教師が忙しいというのは当たり前のことで、生徒がそれを疑うのはおかしい。だが明紫波光秀は教師の中ではやる気に欠ける人間として二年生の間でも知られていた。そんな教師が突然やる気を発揮して仕事に終われるというのは納得いかない。
けれどひとりで教師の元へ行く勇気はなく、前木は理科室に救いを求めた。
生徒指導室で大量の書類を前に悪戦苦闘していた光秀は現れた生徒に目を丸めた。文化祭当日ですら理科室にこもっていた石黒は何をしているのかと問いかけてくる。そのため光秀は手元の書類に目を落として指先で軽くたたいた。
「フランス語の翻訳作業。英語ならすぐなんだけどな。こっちはさすがにムリだわ」
簡単に説明してやると石黒の後ろにいた前木が嘆くような声を漏らす。それを聞いた石黒も、ずっとそれをしていたのかと問いかけてきた。
「向こうから送られてきた資料が全文フランス語だったからな」
「何の資料なんですか?」
「秘密」
石黒が相手だからか光秀は作業をしながら気安い態度で質問に返していく。すると石黒は無言で光秀の手元に目を落とした。
「さすがのおまえも読めねぇだろ」
そんな石黒に声をかけながら光秀は表情を緩める。石黒はそんな光秀に何も返さずその目を前木へ移した。
「多忙なのは事実のようですね」
「あっ、うん。えっと……すみません明紫波先生」
石黒に話を振られた前木は素直に謝罪を向けてきた。そんな二年生に光秀は何の話なのかと問い返す。
すると前木は照れたように笑いながら頭をかいた。
「最近ずっと先生が生徒会に顔を出さなかったのでなんというか」
「文化祭は問題なかったろ?」
「空気がおかしいというか、悪いというか…」
具体的な事はわからないが居心地が悪い。そう訴える前木を前にして光秀は書類を見つめたまま手を止めた。しかしすぐに作業を再開させる。
「もうすぐこっちも終わるから、来週になりゃまた嫌でも俺の顔を見ることになるぞ」
「そうなんですか?」
「俺は生徒会の顧問だからな」
そう告げた光秀は生徒ふたりをまっすぐに見ることをしない。そんな光秀の態度に違和感を覚えた前木だが、深く考えずにうなずいた。
生徒指導室を出た前木はひとまず安心かと安堵の息を漏らす。しかし石黒は不機嫌に眉を寄せたまま歩きだした。そのため前木は慌ててその後を追いかける。
「みっちゃん、なんで怒ってるんだよ」
「怒ってませんよ」
「もしかしてオレがくだらないことで付き合わせたから」
「くだらないことではありませんが、手間だと思います」
「やっぱりオレのせいで!」
「違いますよ。しかししばらく様子を見ましょうか」
慌てふためく前木を落ち着かせつつ石黒はこれからの事を告げる。すると前木はきょとんとした顔で石黒を見つめた。
「何を?」
「生徒を直視できなくなった教師です」