ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第96話「拉致時々誘拐教唆」

 

 薄ら蒼い硝子に映し出される稲穂の黄金。

 

 硝子細工がこれ程に見事ならば、確かに工芸品向けという言葉に嘘は無い。

 

 傾けられる小さなグラスから伝わってくるのは技術の高さと職人達の技の凄み。

 

 工業的なラインや精密な加工機器から生み出される兵器が共和国の国是を体現しているとすれば、その単純な道具と人の手によって生み出される硝子こそが公国を顕していると言っていい。

 

 内部から漂ってくる芳香は純米酒のものか。

 ブランデーやウィスキーとは違う。

 

 清純という単語が思い浮かぶ僅かに果実にも似た鼻を擽る甘さ。

 

 その力強い酒精の匂いにも負けないソレが物の確かさを教える。

 

 水で軽く割られたのだろう薄く揺らぐ液体が飲み干され、そのお猪口というには艶美な代物が地表に落とされて割られる。

 

 縄でグルグル巻きのこちらを見つめる者達の目が据わっているのは果たして酔いだけのものなのか。

 

 横で目隠し、猿轡まで噛まされた少女達を横目に相手を見る。

 

 顔を色分けされた狐の面で隠した者達が4人。

 顔も隠さず着物姿に羽織と帯剣を佩いた男に片膝と頭を垂れる。

 冷たい鋼の床の上に敷かれた畳の上。

 

 後ろのステンドグラスを背に歩いてくるそいつが蒼い瞳でこちらを見つめた。

 

 優男というには冷たい相貌をした目付きも鋭い二枚目。

 

 髪がやたら長く。

 

 腰まで届こうかという黒髪で鋭利さと童顔が同居する表情の中にあるのは見定めるような感情。

 

 どうしてこうなった。

 とは、こういう時の為にある言葉だろう。

 

 事態は12分程前。

 

 地下の城において黒猫との対談を終えた直後まで遡る。

 

 百合音が機密区画以外。

 

 いや、その城自体たぶんは全部機密の類なのだが、単純に見せたい場所があるからと歩き出してすぐの事。

 

 今、男の左右にいる四人の狐面に出会い頭の攻撃を受け、昏倒……速攻で人質に取られた。

 

 此処まで運ばれてきた手順はバラバラなのだろうがパシフィカやクラン、サナリやフラムまでもが同じように捕まっているのを見れば、狐面達が何者なのかは分かり切ったようなものだろう。

 

 そして、その裏工作のスペシャリスト達が付き従う男と言えば、今のところ一人か二人しか重い浮かばない。

 

「……冷静だな。それも遺跡のせいか?」

 

 男の声は思っていたよりも若い。

 だが、それにしても二十代後半。

 狐面達の体格は男と女が半々。

 

 少なくとも一人は四十代以上と分かるだけの白髪がある。

 

 年上を使うという時点で男の身分は分かろうというものだろう。

 

 天井から何かしらの施設で集めたのだろう陽光が降っている。

 

 それを一身に浴びたようにも感じられる力強さが男の言葉には宿っていた。

 

「発言しても?」

「ああ、問題ないとも」

 

 とりあえず、人質を取った割りには下種い方法を安易に使ってくる事が無くて助かる。

 

 後ろには仲間達。

 こちらは全員を守り切れるような装備も力量も無い。

 

 百合音やフラムがサックリ無力化されている事からも、容易に挑発したり発言したりはするべきではない。

 

「まず、これはどういう事なのか。誰かに説明して欲しいんですが」

 

「楯突くでもなく。感情も面に出さず。説明して欲しい、か……思っていたより冷静だな」

 

「そう見えるだけですよ」

 

 男がこちらを見る瞳を僅かに細めて、背後にいる女の白い狐面を振り向く。

 

「では、僭越ながら」

 

 おずおずと男の横に出てきた百合音が常用する羅丈スタイルの彼女がそっと面を外す。

 

「―――あんたはファナディス、さん?」

 

「はい。カシゲェニシ様。貴方の知るファナディスで間違いありません」

 

 思わぬところからやってきた伏兵的な驚きに思わず目を丸くする。

 

「……羅丈の人間だった、と」

「話が早くて助かります」

 

 僅かに頭が下げられる。

 

「で、どうして羅丈が百合音まで一緒にオレ達を捕まえたりするんです?」

 

「ご自覚が無い?」

 

「いえ、どれが貴方達にこういう事を引き起こさせた原因なのかが分からない。全部なのか。あるいは一部なのか。それにしても羅丈の城の中で自分達の上司と話してきたばかりの要人やその関係者を拉致してくるというのは……穏便に済ませられる範囲を超えているはずです」

 

「その通りでございます。穏便に済ませられないから、こうして此処に……」

 

 その言葉に思わず額を揉み解したくなった。

 

「1から10まで話してくれと言ったら、可能ですか?」

「幾つかの事実だけをお伝えする程度でしょうか」

「なら、それでお願いします」

 

「分かりました……端的に申し上げまして、貴方は共和国の危機を救い、国力の増強に寄与し、国土の増大と戦力の整備、技術の確保において類稀なる成果を残されました」

 

「なら、本人だけでいいのでは?」

「ご自分が不死である事をお忘れで?」

 

 ファナディスがニコリとする。

 

「それにしたって、EEであるフラム、羅丈である百合音、オリーブ教の聖女に、元皇女殿下、ペロリストの親玉の妹、何処から突っついても遺恨しか残りませんよ?」

 

「承知しております」

 

「その上、一箇所に集めるというのもお粗末な話だ。羅丈がもっと合理的で理性的な組織なら、誘拐した人間を人質に使うとしても、画像や映像だけ取って別の場所に置くんじゃないんですか? それがオレに対して何かを要求、もしくは大人しくさせる為だとしても、いきなり一緒に拉致とか……余裕が無いように見えますよ?」

 

 背後では三人の狐面達がこっちの言い分に何やら苦い顔をしたようだ。

 

 微妙な仕草や息の吐き方から察せられた。

 

 これが単なる芝居であるとしても、妙に誰もがこちらの言葉をまともに受け止めているように感じられて、先程からの違和感……羅丈が四人も一同に時間を無駄にしている事が強く意識された。

 

「本当に冷静でいらっしゃいますね。カシゲェニシ様は……」

「冷静にもなりますよ。いきなり拉致されたら……」

 

 こちらの言葉に男が意外そうな顔となる。

 

「後ろの彼女達が心配ではないのか?」

 

「勿論、心配してます。でも、殺すのが目的なら最初から殺しているはずだし、人質にするにしても本当の合理主義者なら音声でも録音して最初から殺しておけば、後腐れだって無いと考えるはずだ。でも、あくまでこうして拘束して転がしているだけ、となれば……まずは話を聞くのが優先で構わない。違いますか?」

 

 男がファナディスを軽く手で制して、後ろに下がらせた。

 

「その洞察力……今まで見てきた報告書以上だ。カシゲ・エニシ」

 

「名前は名乗ってくれるんですか?」

 

「ああ、それは名乗ろう。我が国は礼儀を軽んじない。我が名は聖上《せいじょう》」

 

「セイジョウ?」

「あの老人に公国の王と言われている存在だ」

 

「王様って事は一番偉い人って意味でいいんですか? 主上、百合音にそう言われてた人には二人で一人を演じてる、みたいな事を言われたんですけど」

 

「ああ、主上は我が妹だ」

「……随分と歳が行ってそうな話し方でしたけど」

 

「あの姿を見てもしっかりと観察していたようだな。そう……我らはこの国にもう40年以上君臨している……公の姿は化粧で歳を加えているが、本来の姿はこちらだ」

 

 途中、ファナディスが喋っていいのかと少し声を掛けようとしたが、途中で他の歳を食っていそうな赤い狐面に止められていた。

 

「拉致の理由がさっきファナディスさんに言われた事だけなら、リスクの高い人間を全員此処に持ってくる必要は無い。他の理由があるなら、教えて欲しいんですが」

 

「君に是非、解決して欲しい事柄がある」

「オレじゃなければならない理由は?」

「明日、公国は共和国からの和平提案を蹴るからだ」

 

「どうそれがオレに繋がってくるのか説明して頂ければ、国王陛下」

 

 そこで初めて聖上と名乗った男は自らの帯剣を引き抜く。

 

「知る権利があるとでも?」

 

 剣は一瞬でこちらを切り裂くだろう。

 無論、後ろにだって貫通するに違いない。

 

 力関係は明白。

 

 だが、だからと言って、交渉で引き下がっては何も守れはしない。

 

「無いなら別に構いませんが」

 

「………共和国からの事前要求は我が国の穀倉地帯の四割。あの老人はそれで手を打つだろう。しかし、共和国内での諜報の即時停止と共同防衛協定……安全保障条約の締結は必須だ」

 

「食料を制限、羅丈の解体もしくは縮小、次の戦争の盾になれって事ですか?」

 

「そこまで分かるのか。なら、これが我が国にとって属国になれ、以上の状況だと言うまもでないな?」

 

「だとしても、あの老人なら約束は守るかと思いますけど」

 

「ああ、約束は守るだろう。だが、今の状況では制限される分野以外で我が国が共和国に勝っているものが殆ど無い。風光明媚な観光地として売り出されるだけならいいが……内実は高度な文化や生活向上の名を借りた同化政策を推し進めてくるはずだ」

 

「それが嫌だから、勝ち目の無い戦争を続ける、と?」

 

「勝ち目が無いならば、諦めも付いたろう。だが、グダグダの内にナァナァで我が国が蹂躙されていくのを座して見守るのならお断りだ」

 

「至極全うな意見なのは分かりました。それで具体的に何をして欲しいと?」

 

 そこでまだ若い男だろう黒い狐面が頭を下げて後ろから大きな地図をこちらの前の地面へ広げた。

 

「これは……」

 

 この大陸の地図。

 

 しかし、東部から中央に掛けてしか描かれてはいない。

 

 あの教団の飛行船、うどん号で見たものとは違って不完全な代物だった。

 

「現在、大陸中央荒野……砂漠の端から何も育たない不毛の地に掛けて……」

 

 スッと黒い狐面が指で地図の西寄りの山くらいしかなさそうな部分を指差す。

 

「ポ連の工作連隊がゾクゾクと到着し、アスファルト製の道路を延ばし続けています」

 

「………」

 

 思わず顔が渋くなったのは致し方ない。

 

 此処に来るまでポ連と共和国の関係に付いて詳しいところが知りたいとは思っていたのだ。

 

「軍事用高速馬車専用路……砂漠を迂回する形にはなりますが、これで西部と東部が結ばれれば、通常の荷を運ぶ高速馬車なら約30日で。ポ連軍の補給部隊が運用するものならば、荷を最大まで積んでも約40日で輸送が可能になります」

 

 ツイッと指先がポ連側の始点から終点である共和国と公国から4カ国程離れた森林地帯までを軽くなぞってみせた。

 

「………」

 

「何千kmの道。それも完成するまで何年掛かるかも分からない。そもそも今指差した場所から東部までかなり離れてるんですが……」

 

「問題は距離ではなく時間です」

「時間?」

 

 黒い狐面がすっと地図の上の先程の場所の一部を再度指でなぞる。

 

「此処から此処まで。どれくらいの建設期間だと思われますか?」

 

 大陸地図の詳しい縮尺が分かっているわけではなかったが、それにしてもかなりの距離である事は想像に難くなかった。

 

「数年とか?」

「いいえ、一ヶ月です」

「―――冗談、じゃない?」

「はい」

「遺跡。あるいは遺跡の力を使った何かで道を造っている、と」

「ご明察です」

 

 そこから再びファナディスが前に出て話し始める。

 

「我々はこの件をまだ共和国には教えていません。また、共和国がこの情報を保持していない事もほぼ確信しています」

 

「どうしろと? 遺跡の力を止めて来いって言うなら、出来るかどうか妖しいし、奪って来い、利用しろというなら、一人では不可能かもしれない。そもそもこの共和国に秘密の情報をどう使えば、公国が救われるのかさっぱりなんですが?」

 

「いえ、ポ連側の遺跡をどうにかしろ、等という無茶を言うつもりはありません」

 

「?」

 

「カシゲェニシ様には現地視察に赴く事になっているポ連軍高級将校の拉致を頼みたいのです」

 

「ッ、高級将校……軍のお偉いさんって事ですか?」

「いえ、どちらかと言えば、ポ連情報部の心臓みたいな方です」

 

 ヒラリと如何にも光学望遠レンズで盗撮しました、という感じの写真が目の前に際し出される。

 

 その中には黒尽くめで擦り切れた外套にフードを被った……目付きの悪い若者が映っている。

 

 何処かのV系バンドのボーカルでも張っていそうなビジュアルの良さとは裏腹に瞳の揺るがなさみたいなものが写真からも感じ取れた。

 

「そういう……それこそ羅丈みたいな玄人がやるべきでは?」

「それが彼、旧世界者《プリカッサー》でして」

 

 そこでようやく事態が見え始める。

 

「羅丈でも手に余る、と」

 

 ファナディスが大きく頷く。

 

「現在、公国を見れば分かる通り、羅丈には人手が足りていません。その上、戦力の一角が貴方の為に失われるという失態。今回は羅丈十人掛かり以上の大取り物になる計画でしたが、あらゆる面での人的資源の不足から頓挫してしまいました」

 

「……それでその高級将校をオレに拉致させて、共和国との交渉カードに使いたいと」

 

「理解が早くて助かります。出来る限り、会議は長引かせる方向ですが、2週間が限度でしょう。それまでに……共和国へ白紙和平を飲ませるに足るカードを用意して頂きたい」

 

「表沙汰に出来ないカードじゃ、和平しても停戦しても破られるかもしれませんよ?」

 

 聖上がファナディスを後ろに下がらせた。

 

「それを考えるのは君ではない。カシゲ・エニシ」

 

「……オレの連れである全員の心身の安全。成功しても失敗しても、オレが死のうと生きようと期限までには解放し、彼女達に自他の組織問わず間接的にも直接的にも危害を加えないし、加えさせず、誘導の類もしない、させない。という確約があれば、出来る限りの事を約束しますよ。どうですか?」

 

「それでは脅しにならないとは思わないのか?」

 

「条件としては十分でしょう。国家の為に非道も厭わないと言うからこそ、国家が示すべき範は裏の組織だろうと在って然るべきだ。悪辣な手段で全てが上手く行くとでも?」

 

「それを言える立場だとでも?」

 

「ええ、此処でオレのやる気を削ぐような事を言う必要も無いし、一々問題の種をばら撒くような命の遣り取りだって、そちらは望んでいないはずです。あまりこちらを刺激しないよう温い対応をしてくれているのは感謝してますし。相応の礼を取ってくれるなら……全力でこの件に当たると保証しますよ」

 

 久方ぶりに髪を掻き上げてみる。

 全員が僅かに沈黙し、その上でセイジョウが溜息を吐いた。

 

「……いいだろう。君の提案を受け入れよう」

 

 剣がスッと鞘に戻される。

 

「ああ、それと。一つだけ」

 

 ようやく近頃慣れてきた身体の使い方。

 戦闘中の技能的な反射を脳裏でスイッチし。

 

 雑な巻き方の縄を筋肉を弛緩させて抜け、立ち上がる。

 

「オレはオレの大切なものを壊されたら、何をするか分からないくらいには子供で感情的で我侭なんです。“嘘も方便”“ちょっとくらいなら”……そういうのは許せないし、許す気も無い……だから、覚えておいて下さい。オレにとって……共和国も公国も大陸も世界も……後ろにいる連中以上じゃないと」

 

 初めて四人の狐面が連携するように僅か身構えるのが分かった。

 

「脅しているつもりか?」

 

「いえ、ただの事実です。人と話す時、その人と為りを見るのは常識。でも、上っ面だけ見たって本当のところが全部分かるわけじゃない。オレがこういう人間だという事はお伝えしておきます。それを知った上でどうするのか。なんて、それこそオレが強制出来る事じゃないですよ」

 

「達観した物の見方だ。君の事が少しだけ理解出来た。カシゲ・エニシ」

 

「それなら良かった。それでこいつらをこれからどうするつもりですか?」

 

 ファナディスが警戒はしたままなのだろうが、それでも作り笑いを浮かべて、こちらに近付いてくる。

 

「城の内部で軟禁させて頂きます。主上の座しておりました部屋のような場所が他にも幾つかありますので武器を取り上げた上で共同生活して頂く事になるかと」

 

「そうですか……面倒を見るのは?」

「わたくしです」

 

「どうか、よろしくお願いします。後、こいつらには後で軽く事情を説明して、大人しくしてるようにって言っておいて下さい。手紙を書きたいので道具を用意してくれませんか?」

 

「分かりました。よろしいでしょうか?」

 

 セイジョウがファナディスに頷いた。

 

「それでは手紙を書いて装備の受領後、ただちに向かって頂きます。向かう途中にこれまで我々が得た現地の状況やポ連軍の現状をお伝えしますので」

 

「分かりました。それで装備って言うのは?」

 

「教団側から“不意の施し”があり……カレー帝国内での一件でカシゲェニシ様が使用された装備一式と最新の重火器類が届いております。整備は万全の状態でしたので、そのままソレをお使い頂ければ……」

 

 羅丈側の情報を事前に掴んで、支援までしている教団の実情に苦笑が零れた。

 

 たぶん、ポ連の裏で糸を引く【鳴かぬ鳩会(サイレント・ポッポー)】に対する牽制。

 

 あのケロイド男が飛行船のラウンジで笑みを浮かべている様子が容易に想像出来る辺り、かなり自分も毒されている。

 

「では、ありがたく。連れて行って下さい」

「はい。では、聖上。カシゲェニシ様をお連れ致します」

「ああ、頼む。香蓮《こうれい》」

「畏まりました」

 

 ファナディスに連れられるまま。

 後ろの扉へと向かう。

 未だ誰も起き上がってはいなかった。

 

 その寝顔は安らかそのもので……僅かに後ろ髪を引かれたが、気を張り直して前を向く。

 

 扉が閉まり。

 

 歩き出すだけで背筋に汗が滴るのを今更に自覚したが、それも今はいい。

 

 こうなったからには……やるしかないのだ。

 

【……聖上。心臓に悪かったですぞ。今のは……】

【僕なんか思わず漏らしちゃうところでしたよ】

 

【そうねぇ……あの瞳、必要なら何をしでかすか分からない感じだったわ。坊やとか煽らないで良かった……】

 

【お前ら……はぁ……アレが旧世界者《プリカッサー》を退けた男か。中々にして口達者だったな】

 

【自分が子供だから、逆に何をするか分からないというのは説得力がありましたな】

 

【いやぁ、あんなのと戦わなくて良かったですよ。本当】

 

【不死身、屋外でなら攻撃しただけで即死。ついでに戦闘能力は高い。もしかしたら、黒鳩《クロバト》より厄介かもしれませんね。聖上】

 

【我々に後が無いのも分かっていたな。たぶん】

 

【そうですな。他の羅丈は主上側……今回の一件は羅丈全体の機能を麻痺させかねない】

 

【此処に来て、意見集約出来なかった事は悔やまれますね。というか、主上側の次善策がもう完成しているとはいえ……いやぁ、僕らも瀬戸際だ】

 

【まさか、百合音ちゃんの良い人があんなのとは……良い趣味してますわね……】

 

【ごほん。アレでも人を見る目はある。我が子ながら見付けて来るのだけは上手い。昔から……】

 

【カシゲ・エニシ。彼が本当に我々が捜し求めていた存在なら、今回の一件で黒鳩《クロバト》を無事捕獲出来るだろう。それが出来なかった場合は……最後の切り札を使わざるを得ないが……】

 

【まだ、時間はあります。そう思い詰める事もありますまい。あの殺気とは違った空気……狂人の類にも似ていたが……似て非なる冷たさと熱さがあった】

 

【僕は彼に賭けてみても良いかと。あそこまで事態が冷静に見えていながら、リスクを取ってもこちらを脅せる精神力を持つ人物……そうはいないでしょう。僕らには出来なかった奴の無力化も彼ならば、あるいは簡単に成し遂げてしまうのかもしれない】

 

【“神の屍《ししむら》”は諸刃の剣……主上は許すまいな……だが、これは我が公国が……古より受け継いできた正統なる権利だ……教団や侵略者達より民の血と文化を守り抜く……それこそが……羅丈に課せられた。いや、我々二人に課せられた大任なのだ】

 

【『大げさじゃのう。兄上』】

 

【ッ、主上か……盗み聞きは止めろと昔から言っているだろう】

 

【『ワシの“身体”の中で何をしようがワシの勝手じゃ。それにしてもあまり気負い過ぎると沈むぞ。今までの主上や聖上のようにな』】

 

【勝手な事を……貴様は己の大任を忘れたと言うのか?】

 

【『もう旧き時代の事よ……もはや我ら以外にこの地の民の本当の名を知らぬ、国の真の名を知らぬ。侵略者達の生い立ちや変遷も教団や過去の大戦《おおいくさ》の結末すらも……だが、それでいい。“神の屍《ししむら》”もまた真実の全てと共に歴史の層に埋もれゆくが良いと……ワシはそう思う』】

 

【フン。埋もれたものが掘り返された。だからこそ、あの老人がこの状況を引き起こしていると分かっているだろう。遺跡の嫌いな貴様が遺跡の権化のような力を手に入れたあの子供に肩入れする理由は何だ? 自覚が無いだけで新たなる旧世界者《プリカッサー》かもしれんのだぞ?】

 

【『ふははっ!! 自分でさっき捜し求めていた人物かもしれないと言っておったではないか。ワシはそうであればよいと心底に思うよ。ワシらが求めるのがああいう人物であればいいと』】

 

【………】

 

【『聖上よ。兄上よ。もはや時代は動き出した。此処から先は未知……過去の人の過ちを再び犯し、我が子等に償わせるなぞ。立派な親のやる事ではないぞよ。夢見た先の世界がもし地獄であろうとも……我らは今に笑い生きよう……それこそが開祖の残した教えじゃ』】

 

【オレよりも多くを遺された貴様が何を知っているのかは知らないが、我ら公国は決してあの侵略者達とは相成れない……失われし二つの霊薬無き限り……】

 

【『フフ。まぁ、良い。抗うならば、そうせよ。二週間であったな。ワシも久方ぶりに当てられた……時間稼ぎくらいはしてみようか。あの男《おのこ》の決意に免じて独断専行の責はまだ問わぬ。好きにせよ』】

 

【そうさせてもらおう。まだ最後の仕上げが残っている。往くぞ……】

 

【はッ、聖上の御心のままに】

【あ、置いていかないで下さいよ~】

 

【あの坊やの働き次第じゃ打ち首かぁ……百合音ちゃんの目が確かな事を信じましょうか】

 

【『ああ、一つ言い忘れていたが、百合音はあの男に付けてやるので貰っていくぞ。どちらも今は我が庇護下と心得よ。炒間《イルマ》』】

 

【ハッ!? 何でございましょうか!! 主上!!】

 

【『心配するな。貴様の娘は良い子じゃ……真に国家の為尽くした。あの伴侶殿を見付け出した事がやがては時代を大きく変える出来事だったと思い返す事もあるじゃろう。誇れ……羅丈百合音は公国を次の時代に運んだ者になったのだと』】

 

【あ、ありがたきお言葉ッ!! さぞや娘も喜ぶでしょうッ!!】

 

【『うむ。では、ワシもこれで失礼しようか。準備があるからのう♪』】

 

 廊下を歩いていると。

 不意に誰かから見られている気がした。

 自分の知らないところで何が動いているのかいないのか。

 それは分からない。

 

 しかし、何があろうと今自分に出来る限りの事をしなければ、自分の傍にあるものは守れない。

 

 これだけは事実で……ヲタクが仕事をするには十分過ぎる理由に違いなかった。


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