ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第六章の始まりです。今回から本格的な戦記物っぽい感じに話が進んでいくかと思われます。


大主食撃滅戦~双極の櫃~
第92話「ニートの正しい使い方」


―――ごはん公国首都白粥(しろかゆ)

 

 郷愁を思わせる笛の音の後。

 何かを売り歩く者が旅籠《はたご》の先を通り過ぎる。

 周囲には二階建て以上の建物は無く。

 

 都市外れの宿場という事を差し引いても、其処は……江戸時代の大通りにしか見えなかった。

 

 柳が植えられた川沿い。

 アーチ状の木製の橋。

 反物や簪を売る店。

 風鈴を売り歩く露天。

 和紙らしきもので作られた行灯や提灯が並ぶ一角。

 

 食材以外のあらゆる問屋が道端には溢れており、店先には盗られる事も無い治安だからこそ国外からの輸入品が多数展示されていた。

 

 武器を持っている侍というのがいない事。

 

 また、洋風の制服を着た官憲が案外小型な拳銃を腰に挿して巡回している事を除けば、明治の世という単語がしっくり来る。

 

 それが現在パン共和国と戦争中であるごはん公国首都の情景だった。

 

 瓦屋根に飴色の柱。

 畳みに漆塗りのテーブル。

 

 ソファーが置かれているというのが印象的ではあるが、全うな日本旅館と言った風情はやはり日本人たる自分にあっているらしく。

 

 妙に落ち着いた。

 

「ふぅ……」

 

 現在、何が何でも付いていくと同行を申し出た女性陣は旅館に必須だろう温泉へ浸かりに行っており、室内には誰もいない。

 

 しかし、帰ってくれば、またいい加減にしてくれと悲鳴を上げそうなくらい姦しい様子になるだろう。

 

 本来、共和国にとっての重要な人材、もしくはモルモットであるところのカシゲ・エニシがどうして敵国の公国にいるのか。

 

 それに思いを馳せれば、全てはカレー帝国から共和国内に戻って数日経った頃。

 

 五日前に遡る。

 

 *

 

―――パン共和国首都ファースト・ブレッド中央区オールイースト邸。

 

 朝。

 

 起き出して服を着替え、歯を磨き、顔を洗った後。

 

 いつもメイド長を補佐している金髪メイド達の一人に言われ、家の主の部屋に向かったのはまだ日差しが地平線から出てそう経っていない頃だった。

 

 よくよく考えてみれば、フラム・オールイーストの部屋にはまったく入った事が無いというのを思い出したのは内部へとノックして張り込んだ後。

 

 其処は所謂……重火器のコレクションが壁中に飾られたガンルームに近かった。

 

 寝室は隣らしいのだが、私室として常用するのは簡素なテーブルとソファーと机がある其処らしい。

 

「朝から用事って何なんだ?」

 

 座れと指差された位置に腰掛ける。

 

 すると、机の椅子を回してこちらに向き直った美少女はいつもの軍服姿のまま。

 

 机の上に置いてあったA4サイズの茶封筒を幾つかテーブルの上に並べる。

 

 差出人の欄に書かれている横文字の名前に見覚えが無いわけもない。

 

 パン共和国政府首班。

 MUGI党永世党首。

 アイトロープ・ナットヘス。

 所謂、共和国の独裁者。

 偉大なる政治家にして指導者。

 悠久なる歴史の探求者にして国父。

 様々な枕詞が日常的に人々の口に連ねられる老人。

 総統閣下と呼ばれる相手からのものだったからだ。

 

「まだ、封は開けていない。これは公式書簡だ。差出人は総統閣下だが、出したのは内務省系、外務省系の関連省庁。貴様に関する共和国の“公式見解”と“公的扱い”に付いての書類だそうだ」

 

 フラムの瞳はいつもよりも静かだ。

 帰ってきてからというもの。

 

 毎日のように他の少女達が家にやってくるものだから、軍務を早めに切り上げて帰ってくる事も多くなった少女は不機嫌顔で家内に睨みを利かせているのだが、そういう実に人間らしい険が取れている。

 

 人を撃つ時の渇いた瞳に近いものが現在その目には宿っていた。

 

「内容を知ってるって事は事前に情報を通達されてたのか?」

「ベアトリックス様から直々に話があった」

 

「そうなのか……今更こういうのが来たって事は何かあったんだろうな。オレの立場を曖昧にしておけない感じの出来事が……」

 

「はぁ? 貴様は一体、何を寝惚けている」

「どういう事だ?」

 

 フラムが呆れ顔となって、溜息を一つ。

 

「今まで自分がやってきた事を思い出してみろ。こういった書類が届かなかった理由は単純だ。貴様が議論も終わらぬ間に次から次に事件へ巻き込まれ、巻き起こし、評価を二転、三転、四転させまくったせいだろうが」

 

「ぅ……まったく、反論の余地は無いが、それにしても何で“今”なんだ?」

 

「それを私に訊くな。知っているわけが無いだろう」

「……じゃあ、有り難く見せてもらおうか」

 

 封筒を差し出された鋏で開け始めるとフラムが微妙な何とも言えない視線でこちらを睨んで来る。

 

「つい先日知らされたが、貴様オルガン・ビーンズの一件で総統閣下に会っていたらしいな……」

 

「ああ」

 

「くッ!? 私よりも何故貴様が総統閣下と先に会うのだ!? アレか!? 貴様、閣下に取り入ろうとしたのか?! うぅ、私ですら公式行事の時しかお目に掛かれないというのに!!?」

 

「ホント、好きだよな。お前……」

 

「当たり前だ。総統閣下を敬愛しない国民などいない。いや、いたとしたら、私が矯正してやるとも!!」

 

 溜息一つ。

 複数の封筒から取り出した書類に目を通す。

 

 各封筒には数枚ずつペライ証書の類が入っており、書類は一枚の公文書とそれに添付された“極めて特殊な取り扱いを留意するよう”という……たぶんは各省庁トップへの但し書きだった。

 

 一つ目は戸籍と身分に付いての取り扱い。

 二つ目は権利と身柄に関する取り扱い。

 三つ目は研究と管理に対する取り扱い。

 四つ目は軍とMUGI党と独裁者からの通達。

 

「………なる程、つまり働けって事だな……」

 

「?」

 

 フラムが不審そうな視線でこちらを見つめる。

 

「ざっと目を通したが、オレはこの国の人間として登録された上で基本的な権利を保障された挙句、身柄は軍の管轄で研究に協力する義務があり、管理はお前持ちで……働かされるらしい」

 

「素晴らしいな!!」

 

 フラムが至極真面目に働かせてやるという意欲に目を燃やした。

 

「(あの老人らしい……)」

 

 フラムの機嫌を損ねないようボソッと呟く。

 

(オレを国民として登録する。身柄は軍部のもの。研究への協力義務。管理者としてのフラムの指定。此処まではいい。今までと然して変わらない。だが……この仕事ってのは……いや、このままニート生活ってのも格好付かないとは思ってたってのはあるにしても……)

 

 アイトロープ・ナットヘス。

 あの老人からの“公的な要請”にはこう書かれてあった。

 

 本日を持ってカシゲ・エニシを【総統付き勅令担当官】に任ずる。

 

 それが何を意味するのかを詳しく書いた一枚には更にこうある。

 

―――勅令担当官は総統閣下の勅命を遂行する単独個人の“省庁”と見なす官位である。どのような状況でも共和国内の軍権に干渉しない限りにおいては各省庁に対して総統勅令と同等の権利において命令する権限を有する。また、勅令担当官は各省庁が所管する法令に従う必要を認めず。全ての命令執行に掛かる予算の全ては特別会計予算より支出する。国内での法令違反に関しては極めて人道、公共の福祉を害するものでない限りは免じる。

 

「何考えてるんだろうな……」

 

 要は現在パン共和国に新しい一つの省庁が出来た挙句。

 それは個人官位であり。

 全ての省庁に命令する権限を有している上。

 予算は後払いで使いたい放題。

 ついでに国内での法令違反、つまり犯罪は殆ど免除される。

 

 そう読めるのだが……この無茶句茶な設定を押し通す為に一体どれだけ行政従事者達にあの老人が汗を掻かせたのか。

 

 考えるだけでゲッソリするのは贅沢な話だろうか?

 

「この書類は一括して私の金庫に保管しておくが、何か他に確認したい事はあるか?」

 

「いや、別に……」

 

 まだ朝食もまだだというのに胃が重たくなるような文字を散々見せ付けられたのだ。

 

 もう結構と書類を全て一括して裏返し、フラムの手に渡す。

 

「では、私からもベアトリックス様から貰ったものを渡しておく。何でもお前と一緒に何処かへ行くようにとの話だ。戻るまでに読んでおけ」

 

 フラムが寝室の方にあるという金庫へ書類を持っていこうと背を向けて横の扉から出て行った。

 

 当人から渡された茶封筒には何も書かれておらず。

 鋏で開封して中身を見ると。

 其処には総統からの“勅命”とやらがサインと共に入っていた。

 

 曰く。

 

 公国との停戦、白紙和平を探るべく公国へ公国大使を連れ立って向え。

 

 簡単に言えば、公国内部での非公式会議への出席命令だった。

 

 特別外交使節は既に公国入りしており、それを追って行けばいいという事らしい。

 

 日程は10日後。

 

 装備品の類は軍に申請すれば、その時点で即座支給される云々。

 

(オレの性質が分かったから、大きな事態に放り込んで利益取って来いと無茶振りさせるわけか)

 

 現在、そんな幸せなるニート。

 カシゲ・エニシの日常は絶賛炎上中だ。

 

 主にオリーブ教の聖女様との婚姻発表と正式な結納に向けて水面下で勝手に話が進んでいる。

 

 当事者たるパシフィカは『A24は何も心配しなくてもいいのよ♪』と乗り気だし、その背後のオリーブ教は上から下まで、高僧から事実を知る信者まで、お祭りムード。

 

 これと同時にカレー帝国からこっそり入国したクランもまた騒動の中心となる事が多くなった。

 

 未だ帝国内で無事なカルダモン家当主の支援を受けつつ。

 

 情報操作の一環として今や“世紀のスキャンダル”とか“奇跡の駆落ち”とか“1000年に一度のラブストーリー”とか評判だった前回の大立ち回りの“その後”を既成事実化する為、未だ付き従う侍従達に促されて、あれやこれや一週間という短い間によくもまぁこれだけという事件が引き起こされた。

 

 カシゲ・エニシとラブラブ大作戦(本当に計画書まで作った侍従達が真面目な顔で持ってきたので今も寝台横のチェストの中に置いてある)が実行されたりしただけでも目を覆いたくなる。

 

 定期的に国民からの視線や意識を向けてもらう為の努力と称した侍従達のお節介は二人で一緒に寝台に眠っちゃう工作から始まって、一緒に食事、一緒にお風呂、一緒に一緒に一緒にと……とにかく本気で子作りして下さいね(ニッコリ)という代物ばかり。

 

 クラン当人は少し嬉しそうに笑顔で偽者の伴侶として振舞う事を愉しんでいる様子だし、それに対抗心を燃やすパシフィカは暴走。

 

 ついでに妻って言ったのに妻って言ったのにと貞操観念強めなサナリ・ナッツさんの冷たい視線、ジト目、涙目、平手が毎日のようにクリーンヒットするものだから、止めて僕の心のライフはゼロよ状態だ。

 

 救いと言えば……きっと、あの邪悪な笑みを浮かべる幼女が2日に一回くらいのペースでしか現れていない事だろうか。

 

 いつも混ざりたそうに事態を引っ掻き回していくのだが、どうやら今は仕事が忙しいらしく。

 

 毎日来る事は無くなった。

 

 それでも……瞳の艶やかさと微妙に仕草が初々しい少女のようだったり(絶対、練習してる……)と前とは違って、どう接すればいいのか距離感が掴み難くなっている。

 

 ふとした瞬間、唇をサッと奪われて逃げられるという事すらある始末。

 

 それを他の少女達に見られようものなら、自分も私も不潔です貴様ぁあああという大声のオンパレードだ。

 

 精神的にドッと疲れる事は言うまでも無い。

 それは良いとしよう。

 自分が選んだ道なのだから。

 

 チートだろうがハーレムだろうが飲み込んで歩いていこうと思う。

 

 だが、何故か。

 その中に魚醤連合将軍の娘が突入してくるのだ。

 共和国との戦後協定は先日発効したらしい。

 

 こちらにいるのは最初こそ祖国を崩壊の危機から救ってくれた恩人の身の安全を確める為だとベラリオーネは言っていたのだが、数日後には理由が二転三転。

 

 いや、確認しまくったからもういいだろと適当な理由を付けて帰ろうとしないグラマラスボディーな海軍局職員に伝えたら、涙目で「カシゲェニシの馬鹿ぁああぁあぁあぁッッ」と逆切れビンタされた。

 

 これで満場一致お前が悪いと少女達から白い目を向けられるのだから、世の中は理不尽に満ちていると言うべきだ。

 

(詳しい事を訊いても、塩辛海賊団の事は機密だから教えられないの一点張りだし……どうなったのかは今度百合音に聞かなきゃならないかもな……)

 

 魚醤連合は現在、海軍の主力たる艦船の全てを共和国に譲渡。

 

 また、大幅に海側へ広がった国土内部に広がる巨大海底鉱床地帯の採掘権を百年単位で開放し、海と接する広がった海岸線沿いの地域を1000年租借する事で合意した。

 

 戦争の賠償はそれで全てチャラになったとの事。

 

 事前に打ち合わせておいた通りの展開だが、共和国は調査結果が思っていた以上のものだった事もあり、採掘した資源の輸送ルート、貿易商船業務を全て連合に任せたらしい。

 

 また、陸地となった連合首都ショッツ・ルーと元沿岸地域を後方輸送ルート上の要衝として復興、再開発する為の投資を政府の復興計画ブレーンに返り咲いた元海賊団頭目との間に確約。

 

 正式な書簡が交され、現在あの教授は計画の初期段階を業者との調整に費やしているなどの話も聞こえてくる。

 

 総統閣下万歳主義なファースト・ブレッドの主要大手2紙の内容を信じるなら、初期復興は迅速に行われ、現在は避難民の居住地整備と仮設住宅の設置が急ピッチで進んでいるはずだ。

 

 結局、帰ってから詳しく調べてみれば、連合の大艦隊は津波で被害を受けた後。

 

 祖国の現状を知って降伏していた。

 

 将官、佐官、尉官以外の大半は“総統閣下の速やかな人道的見地からの解放策”とやらで祖国へと帰還し、残った者は現在共和国海軍内部への再編成と海軍戦力統合の為の計画立案に携わっているのだという。

 

 そして、睨んでいた通り。

 此処で罰するべきを軍人ではなく。

 西部に祖国を売り渡そうとした政治家達となった。

 老人はそいつらを捕らえたこちらの意図を知っていて利用した。

 

 戦後処理を迅速に終え、尚且つ現場の軍人達を助ける為、西部系の政治家を差し出すという事前にエービットと話し合っていた策はドンピシャだったのだ。

 

 フラムの話を信じるなら、海軍関連は未だに感情的な蟠《わだかま》りからゴタゴタはしているが……問題無いだろうとの事。

 

 現在の共和国にとっての問題は降伏した連合に降伏した西部からの侵略者、というややこしい立ち位置の相手だけだ。

 

 ポテト社会主義人民連邦。

 通称【ポ連】の艦隊と兵達。

 

 連合の沿岸部で地殻隆起に巻き込まれた全ての潜水艦、空母、重巡洋艦、巡洋艦、戦艦、輸送艦が座礁。

 

 載っていた艦載機と先進性と工業力の塊たる艦隊が一気に手の内へ転がり込んできたのだ。

 

 共和国からすれば、棚から牡丹餅という感じだろう。

 ポ連兵達は連合に降伏するまでにかなりの抵抗を行った。

 それを鎮圧したのは海賊団と共同で事に当たった海軍局だ。

 事前に首都の避難をほぼ行い終えていた事。

 

 また、陸に打ち上げられた艦隊と陸地で抵抗を続ける者達をフィズルを擁する海賊団が高性能な誘導弾《ミサイル》で脅した事で将官を屈服させたのだが、それにしても数百人規模の死傷者が出た。

 

 それも最後の抵抗だけでの話であり、連合全体で見れば、被害は数千人に及んでいたのである。

 

 内陸に進出してきた機甲戦力や揚陸した陸戦部隊はこちらに見えない部分、沿岸部の各港、漁村、港町で暴虐の限りを働いたのだ。

 

 連合は一応のお伺いを立てたようだが、共和国はポ連兵の悪行を厳しく糾弾し、東部各国への宣伝を持って、責任のある現場指揮者と末端の兵達を追及。

 

 最終的に悪行が確認された者達は迅速に銃殺。

 

 その可能性がある者は未だ採掘が始まっていない沿岸内部へと造る収容所での強制労働付き、罰金付きの懲役刑を課すらしい。

 

 罰金への労働による納付は彼らの主食である芋の輸入代金でほぼ帳消し。

 

 刑期と罰金を払い終えるまで出られない兵達は事実上の無期懲役刑。

 

 この話にポ連側は共和国へ兵の即時釈放を求めたとの噂もあるが、定かではない。

 

(……この話もきっと何かあったな……)

 

 フラムと話していた時は公国との戦争に終止符を打つ理由というものを思い付かなかったが、こうして考えてみれば、現在予想外の戦争理由になるかもしれない出来事は転がっていた。

 

 この40年で共和国がしてきた幾多の戦争。

 

 その内実をこの一週間は他の調査したい事柄と共に色々と大図書館の本で漁っていたのだが、確実に言える事は共和国の戦争は極めて洗練されているという事だ。

 

 常に戦線は1つか2つ。

 

 戦力集中の為なのだろうが、それにしても念入りな戦争プランは国力を消費し過ぎないように調整されているように見受けられた。

 

 基本的に短期決戦、早期講和、完全併合という三つの骨子があり、この40年で培われた神速の行軍技術と消耗を最小限にして敵を降伏させる手際は怖ろしい程だろう。

 

 公国が消耗戦術に遅滞戦術、更には要塞ドクトリン運用による篭城戦で抵抗していた理由……それが正しく優れた敵への知見から来る回答だったのは火を見るより明らか。

 

 彼らは忍耐を持って、待っていたのだ。

 共和国が次なる戦争に突入してしまう事態を。

 

 その時間稼ぎの間に何も無かったら降伏していたのだろうが、その賭けに彼らは勝った。

 

 離れ過ぎている西部との軋轢とはいえ。

 この技術革新の時代と称されるようになっているらしい現在。

 

 不可能という言葉はゆっくりと淘汰されつつあるとも科学雑誌にはある。

 

 ポ連との戦闘状態が絶対に無いとは言い切れないのだ。

 

 そもそも爆撃機や複葉機を飛ばしているという時点で陸軍国の共和国には相性が悪い。

 

 そう思えばこそ、あの総統閣下も公国との戦線を抱えるべきではないと思ったのではないのか。

 

 少なからず、あの用意周到な人物がそういった事を予想しないとは考えられなかった。

 

(公国との講和。上手く行って欲しいが……そこでオレを使う理由もどうにか確認しないとな)

 

 己の沈み込んでいるのもそこそこに顔を上げた時。

 

 ドバンッと。

 

 フラムが扉を開けて走り拠ってきて、突如として腰の拳銃をこちらの眉間にグリグリと押し当ててくる。

 

「ちょ、何なんだ?!」

 

「エニシッ!? 貴様これは何だ!? どうしてお前の戸籍の第一妻があの聖女なんだ!?」

 

「は?」

 

 ババンと顔の前に出されたのは戸籍に関する書類だった。

 

 其処にはオリーブ教徒専用の欄が存在しており、ズラリと女性陣の名前が並んでいた。

 

 第一夫人パシフィカ・ド・オリーブ。

 第二夫人グランメ・アウス・カレー。

 第三夫人サナリ・ナッツ。

 第四夫人フラム・オールイースト。

 第五夫人リュティッヒ・ベル―――。

 

「ちょちょちょ、ちょっと待った!? パシフィカだけじゃないのか?! サラッとクランやサナリやリュティさんの名前まで書かれてるッッ?!! 何でだ!!?」

 

「それはこっちの台詞だ!? こんな大事な事を流しておいて今更言い訳するつもりか?!!」

 

「し、知るわけないだろ!? というかッ。さっきは別にパシフィカの名前が書かれてるだろうってよく見てなかったんだよ!?」

 

「説明致しましょう!!」

 

 デデンッと。

 

 いつの間にか通路側の扉を開けていた胸のふくよかな黒子もチャーミングなメイド長が背後にサナリを従えて室内に入ってくる。

 

「どういう事なんだリュティ!?」

 

 その主の微妙に悲哀が透けている絶叫にキリッとリュティさんがいつもとは違った顔でフラムに書類を差し出していた。

 

 それをふんだくるようにして掴み取ったフラムが高速で目を左右に行ったり来たりさせた後。

 

 ガクリと両手を床に付く。

 ヒラリと落ちた書類を拾い上げて内容を確認する。

 

 色々と堅苦しい文体で書いてあるのだが、最終的に言えるのは単純な事実だ。

 

 登録順に婚姻関係を認める。

 

 文字を追っていくと戸籍そのものは既に造ってあったのだが、こちらの特殊な事情を勘案してギリギリまで正式な婚姻に関する部分は空白にしていた云々。

 

 それでオリーブ教の聖女との婚姻関係の証書なわけだから、正式なオリーブ教徒扱いとなった戸籍上のカシゲ・エニシは重婚が可能になった。

 

 それでカレー帝国の一件の後。

 

 帝国側からの働き掛け(カルダモン家の主)によって更に名前が追加される事となった、らしい。

 

 ただ、共和国的には重要な人材(モルモット)が他の国の重要人物とだけ関係を持っているのも芳しくないと事実婚状態にある女性陣を登録する事にしたようだ……本人に無断の裏工作過ぎるが、受け入れない事には始まらないとそこら辺は目を瞑る。

 

 それでオールイースト邸で最低数人の仮初の花嫁候補を募集したようだ。

 

 もしも本人達がいたならば、諸々抗議したり変えたりしたのだろうが、生憎とオールイースト邸にいるのは図書館通いのせいで夜と朝くらいなもので大抵空けていた。

 

 フラム当人は前回の一件での報告書作成と軍務で帰ってきた当初は不規則にしか帰宅しなかったので、その合間の出来事なのだろう。

 

「サナリが最初に書類を提出して、次にフラムの分をリュティさんが、そして最後に自分も名乗り出た、と」

 

「はい。その通りでございます。カシゲェニシ様」

 

 リュティさんがルンルンとスキップでもし始めそうな様子でニッコリする。

 

「………ま、まぁ、どうせオレの特殊な事情の上にある書類だし、こっちから働き掛ければ、色々変えられるだろ。たぶん……」

 

 ぶっちゃけ、紙切れ一枚の話である。

 

 何がどうなるのかまだ分からないが、基本的に当人同士で問題を解決し、それに従って書類の不備を直すという形でどうにか出来ると思ったのだが、ギロッとフラムは瞳の端に涙を溜めて此方を睨んだ。

 

「お前がそういう態度だから、私が苦労するんだぞ!?」

「そ、そうなのか?」

 

「うぅぅぅ、どうやって、第一夫人じゃないとお父様やお母様にお伝えすれば?! ハッ!? まだ、この事は叔母連中には伝わっていないだろうな!? リュティッ!?」

 

「あ、はい。正式に籍が入った事をご親類一同と奥方様宛に速達切手で出しておきまし―――」

 

「ぴあぁぁぁああぁぁぁあぁあ!?!! 何処だッッ!? 何処のポストだぁあああああ!!!?」

 

 悲鳴を上げつつ涙目なフラムがリュティさんの肩を揺さぶる。

 

「えっと、家の左側の道の先にあるやつです。あ、そろそろ集配の時―――」

 

 速攻でオールイースト家の主は扉から飛び出していった。

 

「おひいさま。そんなに恥ずかしいのでしょうか?」

「いや、違うと思いますけど」

 

 首を傾げるメイド長に溜息を吐くしかなく。

 眉間を揉み解して何とか立て直す。

 

「エニシ……」

 

 顔を上げるとサナリが少し済まなそうというか。

 微妙に申し訳なさそうな瞳でこちらを上目遣いに見ていた。

 

 八の字の眉には余計な事をしただろうかという感情が滲んでいる。

 

「せめて、こういうのは当人がいる時にして欲しかった、とだけ言っておく」

 

「す、済みません。書類はその……定員があって、それで……早目にしないとその……」

 

「ッ」

 

 そのシュンとした表情に思わずドキリとした事は顔に出さず。

 何とか言葉を口から紡ぎ出す。

 

「済んだ事は別に構わないし、そもそも嫌だってわけでもないから、気にするな……」

 

「ほ、本当、ですか?」

「ああ」

 

「~~ッ、わ、分かりました。では、この話はもう終わりにします。それよりも朝食にしませんか? もう作ってあるので」

 

 柔らかくなった表情でそう言われて、頷く以外無い。

 

 帰ってきてからというもの、毎日の朝食を作ってくれているのはサナリだ。

 

 リュティさんに料理を習いまくったらしい腕はまぁまぁ上がっている。

 

 これからどうなるにしろ。

 

 プリースト少女とは食事の面でも私的な面でも長い付き合いになるだろう。

 

(それにしても実際に籍も作られて、大々的な結婚発表まで秒読みとか……本気で考えないとな)

 

 冗談では済ませられないところまで来ている。

 

 済ませる気は無いが、それにしても大変という言葉で終わらないのが事実だろう。

 

 この夢世界に隠された真実、とやらを見付け出すのは重要事に違いないが、自分を慕ってくれる相手に対して、せめて誠実に在る事もまた大切に違いないのだ。

 

「じゃあ、さっそく食堂に行―――」

 

『A24~~遊びに来たのよ~~』

 

 玄関先から元気一杯な聖女様の声が聞こえてくる。

 

『カシゲェニシ!? 聞きましたわよ!!? こ、こここ、この方とけ、けけけけ、結婚するそうですわね!? 此処はキャベツを食べさせた仲であるわたくしにも然るべき説明があっていいはずですわよ!!? 出てきなさいッ!!』

 

 同時に聞こえてきたのは海の国のグラマラスおほほ哄笑系美女の呼び出し。

 

 溜息を深くしつつ、とりあえずリュティさんに視線を向ける。

 

「……お願いします」

「はい♪ 畏まりました。カシゲェニシ様」

 

 嬉しそうに追加注文を受け付けたメイド長が下がっていく。

 

(結局、あいつ今日も来なかったな……)

 

 いつもなら、そろそろ顔を出すはずの美幼女は不在。

 

 それに物足りなさのようなものを感じている自分は毒され過ぎなのだろうとは思いつつも、何処か懐かしいというか。

 

 背景のように溶け込んだ姿が無いというのもやはり落ち着かなかった。


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