ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第90話「異説~鯨の国にて~」

 

『パラダイムシフト・パラドクスさ』

『そう、パラダイムシフト・パラドクスだよ』

 

 無数の覆面の男達が立ち働く巨大な白亜の施設群。

 その中央会議区画内部。

 

 怯えと恐れに支配されながらも、何とか平静を保つ各国の貴族王族、外交大使達の中で、久しぶりに重要な話を聞いていた。

 

 縄で縛られている者はいないが、その周囲には警備の死体が山と積まれている。

 

 死臭の最中。

 冷静なものが数人。

 

 遺体に僅かな黙祷を捧げていたが、果たして女子供もいる此処がいつ軍の突入部隊との応戦で全滅するかとハラハラしている輩からすれば、苛立ちを募らせるだけのものだろう。

 

 このテロ真っ盛りの会議場は今やペロリスト達の巣窟。

 豪奢な部屋の外側の通路は先ほど銃声が鳴り止んだばかりだ。

 

 こんな時にいきなり重要な話をし始める方もアホだが、こっちもそれを普通に聞いてしまえる図太さを身に付けてしまったアホだろう。

 

 二人の軍人にいつでも重要な話が聞けるよう実地という名の工作三昧な旅で慣らされたのは良かったのか悪かったのか。

 

「パラダイムシフトが矛盾する? 意味がまるで分からないんだが」

 

 鯨の国。

 イサナ豊国。

 西部最大の侵略国家。

 ポテト社会主義人民連邦。

 

 通称【ポ連】の一部にして、あの平和主義者共の思想が効いた軍の一翼を担うようになった世界最大規模の軍港と造船所群を複数有する海運国家。

 

 その大手海運業者達の大会議が軍主導で始まったはずの円形会議場も占拠されてみれば呆気なく血の海に沈んだ。

 

『あの当時、世界の研究者達は次のマインド・ステップが到来すると予測した』

 

『シンギュラリティーの到来は常に未来で変遷し、実際に限界から先へと創造は拡大する』

 

『だが、同時にそれは無限の向上を意味しなかった。少なくとも複数の権威達が総量規制のある拡大という結論に落ち着いた』

 

 どうやらペロリストの大半はポ連に滅ぼされた各国の難民出か移民辺り。

 

 大陸共通言語を話してこそいたが、独特の訛りがあちこちで聞かれた。

 

 嘗て日本の各地に残っていた方言も今や懐かしむべき遺物か。

 

 顔に灰色の布を巻き付けて目元と鼻以外を隠している男達、女達は何処か浮かれ気分でテロの成功に笑い声を上げるものすらあった。

 

「無限の向上……それが今回の帝国の事件とどう関係あるんだ?」

 

 大陸の反対側での事件をリアルタイムで網膜投影用のコンタクトで確認しながら、忙しそうなテロリスト……ペロリスト達の様子を観察する。

 

 中には自分達の故郷を破壊し、奪い、人々の意思を打ち砕き、平和な生活と心を粉々にした輩への復讐心を満足させた様子で……下卑《げび》た、からかいの声を上げながら、大使の夫人や娘に手出ししようとする者まであった。

 

 そういった輩は途中で他の者達から止められる事もあったが、不満そうにしていると規律に従わないなら銃を使うしかないと暗に示され、渋々仕事へと戻っていく。

 

 人間、復讐心は目を曇らせると言うが、そういう問題ではない。

 

 人を殺すにゃ刃物は要らぬ。

 

 大切なものを奪い、虐げるだけでも、十分に人生と人格は破壊され得るのだろう。

 

 被害者も行動を起こせば、加害者に早代わり。

 それは世が時代が世界が変わってすら変わらない人間心理。

 

 苛めた奴が苛める奴になるという、イジメかっこ悪いの標語すら超える事実の一端だ。

 

『君は世界が進歩するという事が究極的には無限に達しないと気付いた研究者が次に何をしようとするか分かるかい?』

 

「……解決しようとする、のか?」

 

『ああ、その通り。あの当時、究極の知性は生まれた。確かに生まれた。数百キュービットもの量子コンピュータ連結体が』

 

『だが、それは不完全だった』

『ソレには物質世界において情報を静止させる方法が無かった』

 

『エンコードは可能だったが、その情報密度を書き込める媒体は存在しなかった』

 

『だが、此処でとある女性科学者が登場する』

 

『彼女は作成不能だった量子コンピュータのデータ保管技術を開発してしまった』

 

『パラダイムシフトが、シンギュラリティーがやってくる。未来は無限に向上する。パラドクスはなくなる。誰もがそう思った』

 

『それが悲劇の始まりで』

『全ての終わりの引き金だった……』

 

 どうして、こんな事になっているのかと言えば、この会議が急遽開かれる事となったからだ。

 

 ポ連書記長の発案であると喧伝されてはいたが、内実は“鳴かぬ鳩会”の差し金だろう。

 

 イサナ豊国は西部でも指折りの海軍を率いた選挙制度の整った民主主義国家だった。

 

 軍事力は陸軍よりも海軍が強力ではあったが、地上戦力だって精強だっただろう。

 

 そう、だったが……30年前のポ連侵攻を食い止め切れず併呑され、今ではポ連海軍本局と軍工廠が密集する工業プラントの国となった。

 

 嘗て美しかった多くの港は灰に塗れ。

 汚染は深刻でこそないが、国民の寿命を蝕んでいるともされる。

 

 時折黒い雨が降る日は健康被害を減らす為、屋内待機令が出され、灯かりはあるが活気の無いゴーストタウンのように静まり返るのも今はお決まり。

 

 そんな場所で数年来無かった海運業に関する会議があるとすれば、確実に東部への侵略が躓いた事に端を発するものに違いない。

 

 帝国内部の話は気になったが、今は何も干渉出来ない。

 

 駒として使う予定だったバジル家の暴走であらぬ方向に事態が逸れ、大惨事となったのは正しく事故としか言いようが無かった。

 

 本来なら、あの肥え太った豚みたいな男を使って、本格的に帝国内での活動用の工作を行うはずだったのだ。

 

『無限に達しようと研究者達は我先にシンギュラリティーの引き金たる彼女の技術へ飛び付いた』

 

『委員会というのは元々がソレを確保する為に各国の真の意味での最高権威達が結成したパラダイムシフト・パラドクス……シンギュラリティーの無限未向上問題解決機関だったんだ』

 

「………そんなのほっときゃ良かったんだ」

 

『そうさ。でも、そうしたくないという科学者、技術者、権威達の気持ちも分かる。人類は進むべき未来を持っていると。そう信じたかったんじゃないかな」

 

「彼女の技術はタイムマシンを作ったんだよ。それが今回の帝国内で破壊された“神の氷室”……第2ストレージの前に造られたマスターマシン【メンブレン・ファイル】本来の姿さ』

 

「それはさすがに……本当か? 名前は聞いてたが、タイムマシンとかSFを通り越して魔法だろうに」

 

『過去に行けるタイムマシンじゃないけどね』

『人間を送ったりも出来ないけどね』

 

「じゃあ、何なら出来るんだよ?」

 

 巨大な会議場のあちこちで立食式のパーティーが行われていた。

 

 そのせいで不審な空気にも気付かなかったのだが、どうやら式典に使う人足が丸々ペロリストに取って代わられていたらしい。

 

 さすがに出迎えた全員が最初から全部ペロリストでした、とか。

 

 予測出切るわけがない。

 侵略者に怨み骨髄な人間はどうやら何処にでもいるのだろう。

 絶対に内部で手引きした者が大勢いたはずだ。

 

「く、くくく、ほれ? 暴発しちゃうよ? お父さんに庇ってもらおうねぇぇ?」

 

 怯えた子供に難癖を付けて、お前らの父母が悪い怨め怨めと銃口を突き付けて仕事の片手間に遊んでいる輩が仲間から「これくらいはいいだろう……」と軽く無視されている光景を見れば、彼らはこの事態すらポ連相手に手緩いものと考えている。

 

 それは間違いない。

 そこまで歪んでしまうのにどれだけの辛酸を舐めたものか。

 

 それはきっと地獄を味わった彼らでなければ、分かりもしないはずだ。

 

『情報を完璧に復元し得る状態で永劫の先、宇宙の終わりまで送れる。画期的な量子情報保管技術だよ。この技術を基礎としたマスターマシン【メンブレン・ファイル】があったからこそ、量子コンピューター【深雲《ディープ・クラウド》】は不自由ながらも一応の完成を見たんだ』

 

『分かるかい? 彼女の技術によって量子コンピュータは未来に情報を先送りする事で演算を可能とするようになったのさ』

 

『それは現在時点での完全な演算が不可能という事だったけど、あの技術は情報の読み込みと書き込みも従来の形ある物体としてのストレージとは比べ物にならない速度だった。時間さえあれば、大抵の事は解決出来たんだよ』

 

 人が集められた会議場の端。

 

 死体横でワイングラスを片手にカーキ色をしたポ連の軍服姿で三人並んで無言。

 

 脳裏で声を遣り取りしているわけだが、それにしても……本当に今話さなくてもいいだろうと少しだけ溜息が零れた。

 

 ペロリストも人質も等しく何処かのエイリアン映画に出てくる記憶を消す小道具みたいなボールペン(アレ)と噴霧済みの薬剤でこちらの姿を何ら不審には思っていない様子だが、見ているだけでお腹一杯なアニメや漫画のワンシーンにも見える状況。

 

 これを静観するのにも精神的に疲れてきている。

 

【旧世界者《プリカッサー》】とて、何も毎日毎日人死にが見たい異常者ではないのだ。

 

 休みだって欲しいし、生理的な反応由来の欲求だってある。

 

『そして、究極の知性はとある重要な預言をした』

 

「預言?」

 

『やがて、未来において最後のシンギュラリティーが発生すると』

 

「最後の?」

 

『そうさ。量子コンピュータに与えられた最初の解決すべき命題はソレだった。我々が知性として機械に劣り、超えられなくなる日はいつかと研究者達は聞いたのさ。そして、数ヶ月後……演算は終了した』

 

「それでどうなった?」

 

『研究者達に辛うじて分かったのは数々の叡智と現実に達成可能な既存技術の組み合わせによる超技術(特許は考えないものとする)。そして、人類のシンギュラリティー到達までの生存方法《スケジュール》だった』

 

「はは、まさか……」

 

 渇いた笑いが思わず出る。

 世の中は小説よりも奇なり。

 

『そうだよ。M計画は委員会が描いた図じゃない。量子コンピュータ連結体。日本から世界各地の委員会が管轄する地殻埋蔵型施設内に移送された【深雲《ディープ・クラウド》】が出した人類生存計画だ』

 

「何処かのSF映画も真っ青だな」

 

 しかし、それよりも更に異なのはそういうSFを考え、物語を紡ぐ脚本家なのかもしれない。

 

『計画のMが何のMなのか。未だに分からないけど、アレは人のMだったのかもしれないと少しだけ考えるよ』

 

「どうだか……」

 

『財団からの支援があったのを思えば……アレら全ては彼らの言うXKクラスのリスクだったが、同時にそれ以上に人類へ利益を齎すとも判断された福音だったんだろうね』

 

「福音が死とは、究極の知性とやらは皮肉を介してたんじゃないか?」

 

 ペロリスト達が犯行声明と同時に何やら要求を電信で周辺の軍施設に送り始める。

 

 それに思わず考えたな、との感想が出た。

 

 どうやら街中にも仲間が多数潜伏しているらしいのだが、その要求は……金でも物でも無かった。

 

 官憲と軍をこの会議場周辺に集めろというものだった。

 

 どうやら軍や警察で働く者、特に重犯罪捜査やペロリスト専門の特捜官、特殊部隊のリストを入手しているらしく。

 

 そいつらに監視出来るところに出て来いというつもりらしい。

 その合間に色々とやりたい事でもあるのだろう。

 

 混乱していようと間違いなく街中に情報部の人間が複数紛れ込んでいるのは相手も知っている。

 

 ならば、それが問題にならないくらいに数の暴力が活かせる状況を作り出せれば、行動の幅が出るのは自明。

 

 生憎と本日は晴天。

 その上、まだ朝方だ。

 時間は幾らでもある。

 

 リストに登録された8割以上の人間と指定したリスト上位者の顔が確認出来ない場合、即座に差分の数をランク分けした人質から間引き始めるというのだ

 

 下から順に時間経過で殺されるとなれば、事態は凄惨を極めるだろう。

 

 それが嫌なら、狙撃対策はしてもいいから顔を見せろという事らしい。

 

 これでポ連に吸収された各国の重鎮達やその親族や大使、関係者達が死んだとなれば、警備会場を預かっていたイサナ豊国の地位はガタ落ち。

 

 何も狙撃される為に出て来いではなく。

 顔の見える場所にいろと言っているだけなのだ。

 

 それで対テロ実務の指揮者や末端の動きを封じる作戦となれば、国も色々と考えざるを得ない。

 

 対策を立てる人間程リスト上位に上げられているらしく。

 

 大使達の間では軍と警察の対応が強硬だった時の事を想定して、人質の中でも特にランクの低い者達を助ける術はないか話し合う姿があちこちで見られた。

 

『君の言う事も分かる。けど、それで大まかな流れは作られてしまった。それに当時、人類の増加に伴う自滅を委員会が各国政府に警告していたけど無視された事も事態に拍車を掛けた一因だった。各国政府の要人にマルサスの話を説いて回る者もいたらしいけれど、まぁ……無駄だったよね。決して単純に機械が人を殺せと指示したわけじゃない』

 

『人間を養えなくなった国家間の奪い合いの戦争が現実に成り始めていた。その全面戦争を百年後ではなく。あの時期に起こすならば、制御可能な範囲で人類を永続させ、シンギュラリティーを迎える事が出来る。現実的な限界を踏まえた合理的な計画が最終的に科学者達の妥協と良心によって了承された事こそ最たる皮肉だろう』

 

 いつもいつも遠回し、迂遠過ぎる。

 

 回答の為に話を外堀から埋めていく気質な二人の軍人が肩を竦めつつ、自分達の前で僅かに緊張しながらも気を張っている外交官の子供達の頭を撫ぜた。

 

 それに気付いた一部の子はどうして此処に軍人さんがいるのだろうという顔はしないものの。

 

 目をパチクリとさせてから、首を傾げて技術と薬物の壁を突破しようと考え込んだ顔となる。

 

『高キュービット量子コンピュータの開発自体が小さなシンギュラリティーであったと考えるべきなんだろう。世界はあの大戦で最悪の秘密結社と呼ばれた委員会の暗躍を知る事となったわけだけど、その内幕は結局、人類の生存なんて大そうな話を真剣に考えた科学者と究極の知性のお節介だったのさ』

 

「人類総人口の75%を死滅させてまでやる事かよ……」

 

『確かに』

 

『まぁ、本末転倒だとは思うけれど、本人達は至って大真面目だっただろうさ』

 

『シンギュラリティーを人に温かくと願った者達の思いは無駄ではなかったと祈ろう』

 

「どうだったにしろ。もう月のマスターマシンも各地の深雲《ディープ・クラウド》本体も黒魔術《りかいふのう》みたいなもんなんだろ? 教団を裏から操ってるのがソレだとすれば、正しく漫画的展開だな」

 

『それは無い』

『ああ、それは無い』

「どうしてそう言い切れる?」

『教団は今も救世主を待っているからさ』

 

『そう、救世主ってファクターだけは今も変質してないからさ』

 

「?」

 

『カレー帝国での一件、どうやら本当に“神の氷室”が破壊されたようだけれど、アレ……元々は教団の指導者……救世主って呼ばれてる誰かが作り始めたものだったんだよね』

 

「分かるように話せ」

 

『つまり、教団はアレを本来なら絶対に破壊なんてさせるはずがなかったんだよ。何故なら、アレそのものが救世主の持ち物。その一つだったから』

 

「待て待て!! 何だ? 要は教団は今もあいつらの説く話に出てくる救世主って……人類の救い主みたいなのが操ってると?」

 

『いいや、消えちゃったんだ。随分と昔に』

『そうそう。“前の僕ら”が再起動した8世代前くらいかな』

 

「……教団はそいつの残した行動基準を今も運用してるってのか?」

 

『そうなるかな?』

『そうなるよねぇ?』

 

「さっきから色々と初めての話を聞いたぞ? 耐性が付いてサラッと流してきたが、一体どうしてこんな重要な話を諸々黙ってた?」

 

『訊かれなかったから』

『訊いてくれれば、答えてたよ?』

 

 テロリスト達が慌しくなってきたというのに溜息しか零れない。

 

「はぁぁ、オレはアレか。お前らに何でもかんでも訊かなきゃならないのか」

 

『そこは随時、受け付けておくよ』

 

『新しい身体に乗り換える時の弊害みたいなものかな。僕らも中身が相当に更新されちゃってて、実際思い出すのはスイッチ入らないとダメなんだよねぇ』

 

「カレー帝国の馬鹿げた恋人達の一件で今までの工作が水の泡……後でまたあの豚オヤジを消す為だけに行くのか……気が滅入るな」

 

『それにしても、このカシ・ゲェニシ? 旧世界者《プリカッサー》なのかな? 各地の電信情報から見るに光の柱を空から降らせたとか。オリーブ教の聖女と婚姻関係にあるとか。顔の半分に面を付けてたとか。教団が氷室を簡単に破壊させた、かどうかは分からないけれど、実際に破壊された事といい……今度調べてみよう』

 

『塩の化身の力……月のマスターマシンに一部干渉可能なコードを持つ肉体が未だに残ってた? 随分と浪漫だね』

 

『凄くスタイリッシュな格好してて、仮面で顔を半分とか……中二心を擽られまくる存在なのは確かだよね』

 

「どうでもいい。遺跡が破壊されたって言っても、月のマスターマシンの代わりが無くなっただけなんだろ? 帝国にそんなもの持たれ続けても、正直面倒だし、遺跡が国家の管理から消えたところでオレ達のやる事は変わらない。違うか?」

 

『どうだろう』

『どうだろうね』

 

「まだ何か話してない事でもあるのか? 先に洗い浚い訊いてもいいが」

 

『『……また、今度かな』』

 

「ハモるなよ。どっちがどっちか分からなくなるだろ。それに今の間は何だ?」

 

『第2ストレージ。絶対零度の情報保管庫“神の氷室”……正式名称【次世代型原子凍結式ホルミウム・ストレージ】……アレは世界を滅ぼせる鍵の一つだった』

 

『でも、消えた以上……また、それは遠退く。今は君もそれだけ知っていればいいんじゃないかな』

 

「いい加減、その微妙な語り口を止めないとこの実際、歯切れのワルそうな鯨肉食わすぞ?」

 

 ワインを置いて、小さなスタンドに置かれた取り分け済みの皿から分厚そうな厚切りをフォークで突き刺して脅してみる。

 

『うわぁ……海軍の人としてソレは断固拒否かな』

 

「普通逆じゃないのか?」

 

『実は大昔のプリティーでキュアな生身の頃、菜食主義者だったんだよね』

 

「海軍の癖に菜食主義者とか。食事、取れてたのか?」

 

 陸軍の人がこちらからフォークを取って、肉を大口で一気に喰らい始める。

 

『日本は良い国だったよ。レーションと缶詰にはとてもお世話になった記憶しかない。禅料理とか懐かしいなぁ……』

 

『脂ぎったステーキ。いいよね……豚オヤジもこれくらい美味かったら良かったのに……』

 

 傍のスタンドの上に置いてあった調味料。

 

 オリーブ油を大量に回し掛けなら、そのドぎついギトギトフレッシュな鯨肉を陸軍の人がモシャモシャと咀嚼した。

 

「オイ!! テメェら!? 何者だ!!?」

 

 数秒。

 

 こちらの事とは思わず無視していたのだが、あっと言う間に周囲をペロリストに取り囲まれる。

 

「これはこれは……ポ連? いえ、貴方達……旧世界者《プリカッサー》の方達ですか?」

 

 話の分かりそうなペロリストの中でも事態を動かす中心に近そうな輩が出てきた。

 

 蒼い瞳に褐色の肌。

 たぶんは南方に近い辺りの高耐性者の家系だろう。

 男なのは間違いないが、その物腰はインテリの香りがした。

 それを示すかのように男達の統一された感のある草臥れた装束と違い。

 着ているのは高級そうなダークグレーのスーツだった。

 

「貴方達が何処の方かは知りませんが、あの“黒鳩《クロバト》”の近辺でないならば、干渉無用に願います」

 

『ああ、彼女の側近に間違われてたら、哀し過ぎて君達を皆殺しにしちゃうところだったよ♪』

 

『うん。人間、言っていい事と悪い事があるからね♪』

 

 互いにいつの間にかスタンドに置かれていた皿から其々に野菜と肉をフォークで取ってモグモグ口に含んでいた二人がまぁまぁな食事の質に楽しげな反応を返し。

 

「ッ……はは、私という人間はどうやら死ななくて済みそうだ」

 

 小さく息を呑んだ相手が安堵した様子で多少無理やりながらも笑みを作った。

 

『あ、でもさ。悪いんだけど』

 

 軽く海軍の人がひょいとフォークで傍の死体を指差す。

 それは……子供の死体、それもまだ小さな少女のものだった。

 

 首が折れ曲がっている。

 

 最初のテロリストの突入時、警備隊との戦闘に巻き込まれ、部屋に入る寸前の廊下で死んだらしい。

 

 その顔には靴跡が生々しく未だに付いていた。

 濁り始めた瞳には涙が微かに残っていて、一滴……頬を流れる。

 

『子供を足蹴にする奴は人間の内に入らないんだ』

 

 最初からもう用意だけは済ませてあったのだ。

 話しながらも周辺区画の状況は全て把握済み。

 警備は皆殺し。

 人質は中央の会議室内に鮨詰め。

 

 その他の関連区画は三十人単位からなる小銃と手榴弾、非耐性細粉入りの袋で武装した訓練済みの部隊が複数。

 

 周辺区画の施設群は完全に制圧されている。

 だが、だからこそ、いい。

 何一つ加減をする必要が無くて、実に事態はシンプルだ。

 

「な?! わ、我々にこの状況下で逆ら―――」

 

『撃っていいよ』

 

『ああ、せっかく苦労して黒鳩のいない間に潜り込んだのに……まぁ、気持ちは分からなくもないけれど』

 

「別に構わないだろ。アレがいなかったのなんて単なる偶然みたいなもんだったし」

 

 陸軍の人が肩を竦めて、たっぷり十秒後。

 巨大な爆発音と衝撃が会場全体を揺さぶった。

 湧き上がる悲鳴。

 老若男女無く屈み込み。

 

 男達ですら体勢を崩して、こちらに向けた銃口を維持出来ずによろける

 

「な?!!? 何が!? 貴様ら!!? 一体、何をした!!? で、電信は!? オイ!? 他の部隊に連絡を取れ!?」

 

 インテリ男が部下に命令すると。

 

 激震でパラパラと上から埃が降ってくる中、大きな通信用設備を背後に背負った男がさっそく受話器型の機器で交信し始める。

 

 しかし、誰からも応答は無いようだった。

 

「一体、何をした!? 何をしたんだ!?」

 

 銃を片手に詰め寄ってきたインテリ男に海軍の人はニコリと笑みで答える。

 

『君達以外は全滅だけど、ごめんね』

 

「な?!!!」

 

『大丈夫、君達もすぐに会えるよ。教団が言う死後の世界が在れば、の話だけど』

 

 ドスリとインテリ男の胸から刃が飛び出ている。

 それが外側に向けて振り抜かれた。

 

「ひ?!! う、撃―――」

 

 恐怖に駆られたインテリ男の副官らしい相手が攻撃命令を出す前に周囲にいた女も含めて、横に斜めの綺麗な赤い線が引かれ、ズルリと断面がズレる。

 

 普通なら指が引き金を引いているだろうが、それは無い。

 最初に噴霧の薬剤をケチった陸軍の人が反省してか。

 

 普通に皮膚からでもよく効く非致死性の麻酔薬を袖から既に周辺空間に放出していたからだ。

 

 人質の間から悲鳴が上がるものの。

 

 薬剤の回りは広大な会議場の空調が未だ生きていた為、かなり早く。

 

 数秒の充満後、すぐに途絶えた。

 斜め真っ二つになって臓物の臭いを曝す者達には見向きもせず。

 

 崩れ落ちた人々の中から陸軍の人がペロリストを選別して中央へ乱雑に投げ、一纏めにしたところで薄い紐で一括りにする。

 

「それ、どうするんだ?」

 

 訊ねると陸軍の人がスッと僅かにいつもニコニコして細められている瞳を開けた。

 

『自分達の末路を少し見せてあげようかと思って(笑)』

 

 自分でカッコ笑いを付ける辺り、相当にキテいるらしい。

 

『行こうか』

 

「ああ」

 

 陸軍の人が一纏めにした三十人からなる団子を片手で持ち上げる。

 

 同時に紐が食い込み過ぎて特定の部位が絨毯に落下し、ボタボタと大量の血液が声無き悲鳴と共に零されたが、考慮されなかった。

 

 そのまま大きな通路を三人で歩き出し、出口のあった場所を通り過ぎる。

 

 合間に担がれた者達の複数人が死んだようだったが、陸軍の人が気にする事は無い。

 

 如何に彼らが被害者で、悪党になっても復讐したい類の哀れな犠牲者だったとしても、この二人の軍人には気分を害した存在以上ではないのだ。

 

 悪党ならば、悪党らしい末路を。

 

 そう人殺しをこれ以上させずに死なせてやった事は殆ど慈悲と言ってもいい。

 

『気持ち良いくらい粉々だね♪』

 

 外には……あるはずの建物が全て瓦礫と化した光景が広がっていた。

 

 本会議場の前まで移動すると。

 それがよく分かる。

 何もかもが吹き飛んでいる。

 中々に凄まじい光景だろう。

 

 諸々の庁舎や施設が多数のクレーターと残骸の海と化している。

 

 400人程いたペロリスト達は全滅。

 

 精密誘導爆撃や射撃という分野はやはりアメリカ一強だろう。

 

 それが空軍であろうと海軍であろうと代わる事は無い。

 最先端という言葉はいつでも緻密な作戦を可能とするものだ。

 数百km先にいる洋上の軍艦から行われる艦砲射撃。

 

 超大な射程を誇る大電磁砲《ビッグ・レールガン》の連続精密射撃が施設毎、相手を破壊したのである。

 

『いつ見ても、この艤装って使われた跡地が侘び寂びの世界になるよね』

 

 適当にペロリスト達を横に転がして、世界の残酷な真実とやらを教えた優しい陸軍の人が上空からやってくる大型ヘリ。

 

 よく政治的に文句を付けられ、未亡人製造機なんて不名誉なレッテルを貼られていたソレが降りてくるのを見上げる。

 

『帰ろうか。我が家へ』

『ああ、黒鳩が来ない内にね』

 

「補給を済ませたら、帝国だな。破壊された現地遺跡の偵察、教団の動向の把握。やる事は無限にある……」

 

『あ、そう言えば……』

 

「?」

 

 海軍の人がポリポリと頬を掻いた。

 

『その前に連合へ寄って行っていいかな?』

 

「何しに行くんだ?」

 

『本部からの命令で、浮上した陸地にある唯一のアトラス・パイルと鉱物資源の採掘環境を調べて来いって命令出てるんだよね』

 

「この前、見付けた施設に付いて報告してないのか? そっちの方がよっぽど重要だろうに」

 

『何が不思議かなんて今更この世界で言う立場に無いし。そもそも人員不足で確保も収容も保護も出来ないからね。まぁ、システムのリスタート時に内部が開いたとはいえ、()()()()()()()、問題ない』

 

『ああ、()()()()()()から、問題ない』

 

「じゃあ、とっとと片付けに行くか。ついでにさっき言ってたカシ・ナンタラに付いても調べればいい。案外、教団の使ってる表向きの人形か。あるいは本当に中二病なだけの可哀想な旧世界者《プリカッサー》モドキになった一般人かもしれないしな」

 

『それを君が言っちゃお終いさ』

 

『ああ、お終いさ。君も相当なものだからね。()()()

 

「言ってろ……」

 

 ヘリに乗り込むと。

 すぐに上昇が開始された。

 

 まだ海軍の迎撃機が上がってもいない以上、こちらを追う事も不可能。

 

 外に見える巨大な軍港の都は郊外の海辺を黒く染める工場群からの煙で遠ざかる毎に薄暗く見えなくなっていった。

 

(また来る事になるだろうが夢には見ないだろうな……死に動揺し難くなるなんて……オレも随分と変わったもんだ……)

 

 そう思ったのも束の間。

 

 例え、自分の何が変わっても変わらないものもあるかと思い直す。

 

 後部座席に態々出しておいたのだろう。

 袋に入ったレーションが置かれていた。

 機体の熱を持つ部分で温められてあったのか。

 僅か封を開けた瞬間に内部から薫り高い香気が噴出す。

 

(……もう、母さんの完成させるはずだったカレーは食えないんだな……オレは……)

 

『好きだよね。ソレ』

『本当、本拠地を帝国にしてもいいくらいには好きだよね。君』

 

「喧しい。喋ってると急に回避運動したら舌噛―――」

 

 急旋回した機内に黄色いというよりはデミグラスソースみたいなソレが一面ぶちまけられ、窓からはチラリと複葉機が上がってくるのが見えた。

 

 ああ、と思う。

 

「恋しいと思うのは何もカレーだけじゃないな。クリーニング、手伝えよ?」

 

『ああ、唯一のポ連高級将校バージョンの一張羅が……』

『ガンパウダーとスパム臭いのはいいけど、これはちょっと……』

 

 緊張感の欠片も無く。

 

 とりあえず、アラートの鳴りっ放しな機内で侘しく残った液体を啜る。

 

 ロックオンされた事を伝える音色を耳に全員でスパイスの香りに塗れながらの帰宅は……少しだけ、そう少しだけ心が弾むような気がした………。


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