ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第88話「家族」

 

「つまり、アレか。今までの事は全部バジル家が悪いって開き直るつもりなのか?」

 

「ええ、まぁ、身も蓋も無く言えば」

 

 いきなりの結婚して頂きます宣言から小一時間後。

 

 とりあえず説明を求めたこちらにファーンは室内で自分の計画を披露してくれた。

 

 何処がどうなってそうなったのかと呆れるこちらに対し、ファーンは真白い紙にペンを素早く奔らせて、すぐに計画の概要を図にして示して見せたのである。

 

 理論展開の肝はまず全ての出来事を一端、横に置くというところから始まる。

 

 何故なら、常識的に考えて、現在のクランの状態を良い方向に変化させるのは不可能だからだ。

 

 そこで前提条件であるカルダモン家の冤罪、クランの追われている状況を棚上げする。

 

 そして、逆にクランが起こした事件。

 つまりは皇帝の氷室の破壊を事態の中心へと据える。

 

 簡単に言えば、絵画で中心となる暗い題材を除けて、周囲を明るく描く事から開始したと言うべきだろうか。

 

 大事件である氷室の破壊は既に皇帝も知るところとなっているだろう。

 

 此処で周囲はこう考えるはずだとファーンは様々な予想を立てた。

 

 まず事情を知る者はクランがバジル家に一時的にも囚われ乱心したから、このような氷室の破壊という凶行に及んだのだと思うだろう。

 

 それを知らない人間はそもそもクランがカルダモン家の策略によって位を失ったのだ、とか。

 

 バジル家が次の皇帝の器たるクランを陥れたのだ、とか。

 その程度の事しか今のところは知らない。

 だから、この情報の不均衡をまず是正する。

 要は皇帝の氷室の事を細部の情報を曖昧としながら暴露。

 そして、クランがそれを破壊した事を世間に喧伝する。

 此処まではいい。

 問題は其処から先だ。

 

 クランが乱心したという印象を与え、バジル家の陰謀が露見した状態で新たな情報を投下する。

 

 それが実際には事実かどうかはともかく。

 

 此処で重要なのは悲劇のヒロイン張りに悲惨な目にあったクランの話に逆張りの明るい話をぶつけるという事らしい。

 

 此処でようやく正体不明の男(笑)カシゲ・エニシなる者が登場する。

 

 何処かの誰か曰く。

 クランは今、何と国外からやってきた謎の紳士に匿われている。

 

 彼はクランの宮殿に逗留していた客人だったが、実は恋仲であり、国外ではオリーブ教の聖女と結婚している間柄で多くの伝手を持つ人物だった。

 

 バジル家の陰謀によって囚われの身となったクラン。

 

 その身を案じ、彼は終にバジル家の部隊を突破して、クランを奪取。

 

 空飛ぶ麺類教団を巻き込んで彼女を支援する事とした。

 

 其処でバジル家の陰謀の発端となった皇帝の氷室へと向かい。

 

 バジル家との戦いの末。

 氷室を破壊。

 その魔の手から帝国を守ったのだ。

 

 というのが……筋書きらしい。

 

 何処の小説だと突っ込みを入れそうになったが、この話の肝は隠されていた真実が暴露され、帝国の国民に受け入れられる話として成り立ち。

 

 バジル家が皇帝を選ぶ他の香料選定公家から悪印象を受けるというところにあるらしい。

 

 国民的な話題となった陰謀の敵役が推す相手と悲劇のヒロインであるクラン。

 

 どちらが正しいのかは国民が決める事だ。

 

 もし、事情通な者達がこれはカルダモン家の情報操作だと思っていたとしても、殆どの国民は食い付きたい物語の方を真実と受け取るだろう。

 

 それは奴隷拳闘を愉しむような刺激を求めて已まない人々にとって格好の餌なのだ。

 

 最もらしいストーリー展開の先で表立ってクランを責めようとする者がいれば、国民からの目は邪魔になる。

 

 また、氷室の内実までも暴露される危険性がある事を皇帝と周辺が知っている状態でクランに表立って手出しする事は国内世論を黙らせるという難事であり、余計なパワーがいる。

 

 更に皇帝周辺からすれば、内部への侵入を果たし、その内実を知った上で破壊したこちらはその情報を得ていると考えるのが妥当だ。

 

 故にこちらのストーリーに違うとあからさまに反論し辛くもなる。

 

 そもそもファーンの話によれば、あの洞窟周囲は強固な岩盤ばかりで既存の爆薬を使っても大規模な長期工事でもしなければ、地中奥の遺跡をあそこまで破壊するのは本来不可能らしい。

 

 これを己の手で壊したとすれば、それは遺跡内部へ入った証左にも等しいのだとか。

 

 このような状態で皇帝側がその話は違うと否定しようにも、内部に入った相手を安易に否定して、本当の事を不用意に言い触らされるような事はすまいとの読みは当たっているだろう。

 

 遺跡の内実をバラされれば、それだけでかなり国内を動揺させるのは確定的なのだ。

 

 皇帝や周辺の香料選定公家に国民を殺しても国家を存続させようとするかもしれない、なんて疑惑の目が向けられて困るのは当人達である。

 

 クランに耳目を集め、バジル家からも皇帝からも他の香料選定公家からも国民の視線という盾を得る事で事態を打破しようというのがファーンの計画だった。

 

「国内での殿下の支持者や支援者はそれなりに多いのです。また、国民全体からの感情も悪くない。皇帝になるのを諦め、結婚を決めた相手と幸せになれるはずの殿下がバジル家を筆頭に権力者達の理不尽な欲求によって不幸となる。このような事態を想像出来れば、誰もがこちらの大義を疑わない。同情的な意見が多勢を占めるはず」

 

「よく考えた。考えたが……オレはダメ押しに使う小道具か?」

「はい」

 

 言い切られて。

 室内で溜息を吐く以外無かった。

 

「まぁ、いい。確かに国民が望んでいる物語をこっちから与えてやろうってのは情報戦としては十分なもんだろう。だが、それをどうやって短時間でやる? 後、物語を背景にしてやるとすれば、バジル家を更に悪く見せなきゃ効果は薄い。クランをバジル家が確保した事は知れてるが、逃げたところまではまだ国民だって知らないはずだ。短時間で帝国内に噂を浸透させるなんて、今のカルダモン家に出来る事なのか?」

 

「その工作は某が協力する事となった」

 

 いつの間にか。

 扉の前に百合音が立っていた。

 

「お前がやるなら、確かだろうさ。帝国の裏方と公国の裏方。夢の競演だな。でも、それを真実だと国民に思い込ませるには噂だけじゃ足りない。決定的な一押しが無いんじゃないか?」

 

「そこは当方に考えがあります。三日後、皇帝陛下が数年前から定例となっている一般教書演説を首都ガラムマサラにて行う予定があります。当日は諸国内外から沢山の観光客とオイル協定諸国を筆頭にした多数の来賓があり……其処で事態を裏付け出来れば……」

 

「氷室が破壊されてもやるか?」

 

「はい。確実にそれは行われるはずです。現皇帝陛下。クラン様のお父上様は……若い頃は数学者として腕を振るっておられました。その合理性を重視する姿勢から考えて、各皇族や香料選定公家に動揺を曝すとは思えません」

 

「……博打だな」

「はい」

 

 ファーンが頷く。

 しかし、その瞳にはクランの為ならばと決意が灯っている。

 そもそも逃げるだけなら、今から共和国に向かえばいいだけだ。

 

 皇帝を氷室の事で脅して、クランの故郷を守ってくれるよう、クランを国外へ留学させるよう、話を通すだけで通じる可能性もある。

 

 というか。

 そちらの可能性の方が高い。

 そんな事はファーンも分かっているはずだ。

 その上でこの提案をしている。

 

 バジル家の暗躍阻止やクランの故郷の安全を求める為でなければ、そこまで回りくどい事をする必要は無いのである。

 

 今の状態でも遺跡に入った事自体は皇帝側が知っている。

 

 クランの身の安全という単体の事案だけを追求するなら、それだけで十分な可能性は大きい。

 

 娘を態々、自分の手で殺したい親なんていないだろう。

 バジル家から逃れて行方不明という事にしたっていいのだ。

 だが、それでは祖国を故郷を守れないかもしれない。

 

 氷室内部から何も持ち出せていない事で決定的なカードを作れなかったからこそ、クランもファーンも己の心身……人生を削る覚悟で未だ帝国領内に留まっているのだ。

 

「……分かった。じゃあ、オレは精々クランの伴侶らしく振舞えるよう付け焼刃の作法でも習う事にしよう」

 

「とうとうエニシ殿も上流階級の仲間入りでござるな。某、涙で前が見えないでござるよ」

 

「リュティさんの真似はいいから、お前はお前の仕事をしろと」

 

 オールイースト邸のメイド長みたいな事を言い始めた百合音が泣き真似をした後。

 

 「では」と軽く唇の端を曲げて、扉から出て行った。

 

「……あんた、凄いな。クランの為なら、国民すら騙し通そうって言うんだから」

 

「当方は殿下でなければ、此処までしていませんでした」

「まるで本当の姉妹だな」

「その言葉はどんな賞賛よりも当方にとって価値があるものです」

 

 ファーンが少しだけ額に汗を浮かべ、疲労を感じている様子ながらも笑みを浮かべた。

 

 この数日、気を張っていたのだろう。

 

 大きく息を吐いて、再び背筋を伸ばした姿は正に家族の為に立つ母親のようにも見えた。

 

「……百合音にカルダモン家が被害者だって事は広めなくていいって言ったろ?」

 

「?!」

 

 こちらの言葉に僅か驚いた様子ながら、すぐに隠し事は出来ないようでと苦笑のみが返される。

 

「それでいいのか?」

 

「はい。人は二つくらいまでなら要求されても呑めますが、三つ目からは難しい。だから、いいのですよ……殿下にはどうかご内密に」

 

 其処にはどんな後悔も苦悩も無かった。

 受け継いだ家名。

 己の命。

 全てを諦めて尚、女の顔は耀いていた。

 

「クランが悲しむぞ」

 

「だから、この案を練りました。殿下もこれで忙しくなる。当方の事を気にしている余裕も無いでしょう」

 

「そこまで織り込み済みなのか。深いな……」

 

「これでも情報で食べてきた家ですので。主の身体と心の事なら何だって知っています」

 

 煙管が何処からか取り出されて、ゆっくりと咥えられた。

 香料の薫り高い煙が吸われ、緩く吐かれる。

 

「随分と長い事。クラン様の下で働いてきました……でも、これが当方最後の仕事です」

 

 ファーン・カルダモンは白く揺れるものが虚空で曖昧に消えゆく様を見つめながら、遠い瞳をした。

 

「世界が如何に在ろうとも、日々が苦難に塗れようとも、小さき姿が大きくなった……それを見届けられた……それだけで当方は報われました。あの遺跡の業と力を前にして尚、これからの事を人の手でと言った時のお姿……きっと、最後まで忘れません」

 

「馬鹿だな。クランがそれを望まないってのに……」

 

「良いのです。人との別れもまた殿下の糧となり、成長なされる事でしょう。当方は……私は……その礎となれるのです。これ以上に喜ばしい事などありはしません」

 

「……あいつの症状はどうするんだ? 治したかったんだろ」

「―――取引をしませんか?」

「何のだ?」

 

「当方がいなくなった後。侍従達はクラン様に仕えるか。故郷に帰るよう伝えてあります。ですが、彼方は仮初とはいえ、伴侶となる……クラン様のご病気をその力で……もし、それが叶わずともどうか最後までお傍に……」

 

「代価は?」

 

「生憎と資産はこの身一つ。ですが、さすがにこのイキオクレを進呈するわけにもいかないでしょう。となれば」

 

 ファーンが銀鎖の付いた黄色の懐中時計を胸元から取り出して、こちらに差し出した。

 

「この中に帝国のあらゆる情報を納めた倉の場所が記されています」

 

「オレに使えないだろ」

 

「いえ、使い様でしょう。大商人や宰相、帝国内の紳士録に載るような名家や貴族、軍高官の輩出家、それらの醜聞、異聞、真実、事実、恨み、妬み、嫉み、当人達すらも知り得ない秘密……全ては当家の力そのもの……誰かに使わせるも良し。取引材料にするも良し。彼方程の智があるならば、莫大な富を産む事も、己のしたいように帝国を変える事も可能でしょう」

 

 ファーンがそれを差し出す意味こそが何よりも尊い。

 そう知ればこそ、受け取らないとは言えなかった。

 その力を使えば、少しは自分の保身とて出来るだろう。

 

 だが、クランの人生に他者からの不安材料、怨みの類を持ち込まない為、染みを一つも残さぬ為、真白いままにしておきたいが為、敢えてカルダモンの真骨頂であろう情報を脅迫材料や取引材料にしないのだ。

 

 潔いという言葉では推し量れない。

 本当の忠誠心がなくてはそんな事出来るはずもなかった。

 

「分かった……じゃあ、預かっとく。後で返すから取りに来い」

「……はい」

 

 頭まで下げてくる年上にもうこれ以上言う事など無い。

 どうあっても、変えられない決意というのがある。

 それが己の為ではなく。

 命掛けで誰かの為ともなれば、尚更だ。

 

「じゃあ、オレはあのケロイド男と三日後の話を詰めてくる」

「はい」

 

 立ち上がって、部屋を出る寸前。

 

「お願い、します」

 

 小さく声が響く。

 

 大きく身動ぎする音が、深々と頭を下げた姿が、容易に想像出来て。

 

 一言だけを返した。

 

「任せておけ」

 

 後ろ手に扉を閉める。

 そして、やはりいたのだろう。

 きっと、ファーンとて気付いていただろう相手を見付けて。

 声も無く雫を零す皇女殿下を見付けて。

 何も言えなくなった。

 

「―――ッ」

 

 胸に当たる小さな顔。

 じんわりと熱を伝え、冷えていく尊き願い。

 抱き締める事は終に出来ず。

 ただ、支えるように身体を貸す。

 

「立派だったぞ。だから、後三日耐えてみせろ。あのお前を大好きなカルダモン家の当主が安心して自分の使命を全う出来るように……」

 

「ッッ!!!!?」

 

 泣き声はしなかった。

 

 不器用な優しさと不器用な優しさが扉越しに同じように接している。

 

 仮初の伴侶など入る隙間も無い。

 家族とはそういうものだろう。

 

「きっと、上手くいかせる。オレとお前とあいつと……此処にいる全員でだ」

 

「―――ッ、はぃ……!!」

 

 全てを押し殺して、歯を食い縛って見上げてくる瞳は強く。

 

 きっと、大丈夫だと思えた。

 きっと、この二人ならばと。

 勝負は三日後。

 カレー帝国首都ガラムマサラ。

 

 夜が明けた頃。

 

 確かに人々は光の速さで伝わった御伽噺に胸躍らせて。

 

 祭りへと集い始める。

 

 それはとある国のお姫様が悪人から恋人に救われる話。

 

 でも、本当は寂しい少女と寂しい女が出会い。

 

 二人が家族になった話の……その結末に違いなかった。


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