ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第84話「居場所」

 

『お~い。縁』

『父さん?』

 

 熱い夏の事。

 母親が居らず。

 

 男一人で息子の面倒を見ていた父が不意の来客に話し込んでいたかと思えば、突然の呼び出しとはどういう事か。

 

 そもそも自宅というべきものが祖父母の家以外に無く。

 

 海外から帰ってきても日本のあちこちに家を借りていただけなのだ。

 

 これからどれだけ祖国に居られるのだろうかと海外で貯めた貯金で自分が離れていた間に出た漫画だのラノベだのグッズだのゲームだのを纏め買いするのに忙しい息子を呼ぶからにはそれなりの理由なのだろうな、と。

 

 二階からリビングに降りていけば、人当たりの良さそうな父よりは歳が行っているだろう五十代のスーツを草臥れさせた壮年が一人。

 

 煙草に火も付けずに咥えて笑みを浮かべていた。

 

『縁。こちら大学の研究室で同期だった―――』

 

 父の紹介を片手で制して苦笑した相手が煙草を指で挟んで灰皿に置くと口を開く。

 

『よせやい。こんなオッサンを紹介なんぞしてくれるなよ。一回会っただけで、後は絶対もう二度と会わないような奴に違いないんだぞ?』

 

『お前なぁ……』

 

 呆れた視線の父親なんて母親とのコンビ以外で見る事になるとは思っていなかった為、思わず目を瞬かせたのも無理は無い。

 

 両親共に世間知らずで自分の常識が正しいと思うタイプの人間なのだ。

 

 そんな父が呆れるのだから、相手も相当なツワモノであろうというのは子供心にも正しい印象だろう。

 

『あ~坊主。オレはお前のオヤジのダチだ。だから、覚える必要なんぞ無いぞ。その若い脳は可愛いギャルと流行やゲームの知識を暗記するのに使え』

 

 ギャルは死語だとのツッコミを入れなかったのは相手が勉強しろと言わない大人だからではなかった。

 

 相手の笑みが心底にそうしろと言っていたからだ。

 

『昔話はしたくないが、これでも家が厳しかったんだ。大人になってから楽しい事を覚えたもんだから、色々と苦労した。この天才の息子がオレみたいになったら悲劇だからな。此処は素直に頷け』

 

『……はい』

 

『ちょっと、他人(ひと)の息子に変な事吹き込むなって!? 縁、宿題は終わったのか!!』

 

 教育方針がガラッと音を立てて崩れそうなので親の威厳を今更に取り戻したような取り繕った父の声。

 

 まったく、いつもは興味が引かれたものを調べるのが一番だとか言っている癖にと思いつつ、肩を竦める。

 

『昨日、終わったって言ったよ』

『ぅ……そ、そうか』

 

『ははは、天才の息子はまた天才か。そうそう、大人には正論で返してやれ少年』

 

『お前なぁ……はぁ……』

 

 溜息を吐く父にどうやら本当に親友の類なのだろうと、本当に内心で驚いたのは父親がそれ程に心を許した様子で緊張を欠片もしていない状況を見た事が無かったからだ。

 

『まぁ、これでもコイツとの付き合いは長いんだ。大学のゼミ生だった頃からだから、もう二十年近く経つんだな』

 

『そうだな。腐れ縁というのも中々侮れない……』

 

 男が汗を掻いたタンブラーから麦茶を呷って一息吐く。

 

『こいつは免疫の研究がメインで、オレは遺伝子工学全般。簡単に言えば、こいつは考える人で、オレはそれを実現する人ってところだ』

 

『仲間って事ですか?』

『いや、家を作る設計者と大工の関係かな。そこらはシビアだ』

『………』

 

『ま、それにしてもオレが凄いと思うのがお前の父親だ。オレの独自研究なんて、こいつの独創的過ぎるのにゃ敵わん。体内で細胞を初期化してIPSにする遺伝子ってのをオレは継ぎ接ぎでスクラッチしてるが、こいつのは即人類に普及するレベルのもんだからな』

 

『父が凄いって事ですか?』

『ああ、その内、脳が減る賞だったか? アレも取れるだろ』

『持ち上げ過ぎだぞ。気持ち悪い……』

 

『はは、お前が言えた事かよ。さっきはオレに凄いじゃないかとか今にも飛び掛ってきそうなくらい興奮してた癖に』

 

『う……』

 

 父がやり込められているのを見て、お邪魔だろうと頭を下げる。

 

『おう。悪かったな。貴重な夏休みの時間を奪って』

 

『じゃあ、また上に行っててくれ。父さんはコイツと色々話がある』

 

『うん……それじゃあ、お邪魔しました』

『ははは、お邪魔したのはオレなんだが、人生頑張れよ。少年』

 

 リビングの扉を閉めて再び二階に戻ろうとすると。

 僅かに扉の合間から声が漏れ聞こえてくる。

 

『で、だ。人工的な転写因子カスケードの形成には成功してんだ。だが、実際の表現型において求めている状態にあまり近付かない。ここらはこれからの課題だが、殆ど解決出来ると思う』

 

『だが、問題は……』

 

『ああ、ホメオティック突然変異だ。弄繰り回して蓄積してきた変異が突如として牙を剥く……こいつをどうにかしないと狙った部位に必要な器官を生成しても、別のもんが生えて確実に死ぬ』

 

『今までの研究状況は?』

 

『悪いが写真は持ち出せなかった。ただ、漫画やアニメの世界だぜ? 想像は付くだろ。キメラってやつだ……』

 

『そうか。人は其処までの段階に……』

 

『此処からがお前に協力して欲しいところなんだ。結局、今の技術じゃ……メッセンジャー、ギャップ、ペアルール、ホメオティック、リアライゼーター、これらへの干渉でカスケードは起こせても、それそのものを完全に制御出来ない。その結果としての変異だ。だが、表現型がどうあろうとそれよりも更に問題なのは生体構造上の変異ではなく。その器官が免疫系から攻撃を受けるってところだ』

 

『免疫の暴走か?』

 

『ああ、同じ個体の遺伝子で作ったはずの器官にも攻撃がある。原因は……特定が困難でな』

 

『つまり……』

 

『お前の研究成果の一部を借りたい。こいつは人が夢見た世界への扉。お前が願うものと同じ次の未来への標……そうそう諦められなくてな……』

 

『欲しい器官を欲しい場所に、か。夢の技術だな』

 

『少なくとも、気質的な問題から器官的な欠損まで障碍者ってのが死語になる世界だぜ?』

 

『……分かった。考えてみよう』

 

 モソモソと話す父親達の声はよく聞こえず。

 しかし、難しい話でもしているのだろうと二階へと上がる。

 

 その日、結局のところ父の親友なのだろう男が帰ったのは夜遅くになってからだった。

 

 *

 

―――ん?

 

 パチリと脳裏の何処かでスイッチが入る。

 起き上がると。

 

 其処には何故かアザカの顔が今にも唇がくっ付きそうな程の至近にあった。

 

「………怖ろしい夢だな」

「ああ、起きた起きた。どうやら帰ってこられたようで」

「一体、何言ってるんだ?」

 

 後ろに退いた半貌ケロイド男が寝台横の椅子に戻ると。

 

 何やら横にあるスイッチ類が複数並んだ機器を操作し始める。

 

 すると、ウィィィィッと機械音がして、頭部付近にあった何かの照射装置のようなものが複数、蜘蛛の足にも似て開いた。

 

 よくよく周囲を見回せば、どうやら医務室のようなところにいるらしい。

 

 壁一面の薬品棚。

 

 奥には人間ドックのCTの類なのだろう人が入れそうな円筒形の機械が硝子越しに見える。

 

「此処は船の診察室か何かか?」

 

「ええ、うどん号の診療室です。それにしても面白い波形をしていますねぇ」

 

「何の事だ?」

 

「ご自覚が無い? いや、自覚はあるはずだ。どうして肉体機能が殆ど停止して尚、レム睡眠状態を保っていられるのかは知りませんが、貴方は確実に受信している」

 

「………」

 

 その言葉に思わず毒電波でも受け取ってるのかと返そうと思ったのも束の間。

 

 急激な気分の悪さに見舞われて、口元を押さえる。

 

「ああ、検査用の薬剤を注入したのでしばらくは気分が悪いかもしれません。ですが、その分の情報はお渡ししますよ」

 

「何の話なんだ。さっきから……」

 

 何とか吐き気を堪えて、相手に返す。

 すると、ケロイド男が怪しげに笑む。

 

「貴方がもしもカシゲ・エニシでなければ、是非我が教団の実験に付き合って頂きたいところだが、それはまた今度の機会にしましょう。先程倒れたので此処で診察していたんです。お仲間がこの区画の外で待っていますよ」

 

「そうか。なら、とっとと向かわせて貰おう」

 

 寝台から降りて、立ち上がる。

 僅かな眩暈。

 しかし、シッカリと足は動いた。

 

「では、身体を調べた結果だけお伝えしましょう」

「まるで余命宣告だな」

「ええ、貴方の余命は後一年程だと仮定されます」

「―――は?」

 

 思わず頭が真っ白になった。

 相手が何を言っているのかまるで理解出来ない。

 

 いや、理解してはいるのかもしれないが、唐突過ぎて思考が追い付かなかった。

 

「度重なる肉体の損傷と再生。随分と肉体のあちこちに負荷が掛かっているようで」

 

「ちょっと待て。どういう事だ?」

 

「ですから、言った通り。貴方の身体は既にボロボロです。生体補完機能が逆に肉体全体に悪影響を及ぼし始めている。ま、簡単に言えば、身体の変化が急激過ぎて、ホルモンその他の分泌物の異常やら臓器や血管の強化が細胞全体に負担を強いている、と言うのが適当でしょう」

 

「………」

 

「ちょっと化け物染みた身体をしている我々からしても、貴方の肉体は異常で過剰。共和国の検査は定期的に受けていたのでしょうが、帝国に来てからは殆ど受けていないはず。その間の変化なのかもしれません」

 

「身体が強くなってるから死ぬ、と?」

 

「はい。心臓が二つ。膵臓が二つ。肝臓が二つ。腎臓が四つ。大腸の変容。小腸の変容。血管強度の上昇。問題を上げれば、切りがありません。臓器の過多でホルモンバランスが崩れています。人間の身体というのは体内の要素が少なくても多くてもいけません。普通は病気や怪我で少なくなる事はあっても、多くはならないので珍しいケースです」

 

 言われた事に眩暈以上の衝撃が頭部を襲う。

 だが、それでも何とか平静を保って訊ねる。

 

「……普通、身体が強くなったら、寿命が延びると思うんだが?」

 

「それは身体が完全に変容し切ったなら、でしょう。貴方の細胞は特別のようですが、それにしても肉体の全てが変容し切る前に何処かで限界を迎える可能性が非常に高い。そもそも臓器が一度、消えてから再構成されるなんて……貴方、実は蟲の親戚だったりします?」

 

「―――」

 

 要らぬ知識というのはよくよく頭には残っているもので。

 

 頭に思い浮かんだのは蝶だった。

 

 蝶の幼虫は蛹になった時、一端硬い殻の内部で肉体が全て溶けてから細胞が変容して羽化する。

 

 その時、幼虫という存在は果たして蝶と同一の存在なのか?

 

 全てが蕩けた後に再構成されているのは別の存在なのではないのか?

 

 科学的に分かってもいない話だ。

 

 今まで異常ではあると思っていた身体だったが、ケロイド男が嘘を言う理由も今のところ無い。

 

 半ば、死刑宣告をされたに等しいが、疑う要素が無い。

 

 それは救済方法が存在しないに等しいという事だったが、それを考えている暇は……無かった。

 

「まぁ、些細な話です。現在、地表に降りていますが、貴方の目覚めるのを待っていたようなものですから、先刻の話通り。目的地に送っていくのは構いませんよ」

 

「……今の話、誰にもするなよ?」

 

「守秘義務というのは医者にとって患者次第。勿論、お約束します」

 

「あんた、医者だったのか?」

 

「ええ、この大陸でも指折りと自負する程度には……まぁ、教団の技術力あってですがね」

 

「とにかく、今はオレの事よりも帝国内の事態の収拾に協力して貰おう」

 

「喜んで」

 

 溜息一つ。

 

 また、厄介事が増えてしまったとは思いつつも、何処か死ぬという宣告に醒めている自分を見付けて、この夢世界に辿り着いてから随分と図太くなったものだと自嘲の笑みが零れた。

 

 扉の前まで行くと。

 自動で開き。

 そのまま外に出れば、後から向かうと背後からの声。

 とりあえず。

 

 余計な事をしてくれた男を置いて外に出ようと廊下を歩き出す。

 

 一分もせずに通路のあちこちが破壊されている場所へと出た。

 

 周囲に外への出口を見付けて、そちらに向かおうとした途端。

 

 ガパッと背後から奇襲を受けた。

 

「エニシ殿~~♪」

 

 たたらを踏む事なく。

 

 その暗殺者紛いな首筋に抱き付いて来るペロリストにまた溜息が零れる。

 

「何か積極的じゃないか? 百合音」

 

「むむ? 某がエニシ殿に対して積極的でなかった事があろうか!? いや、無い!!」

 

「そんな反語表現されても……」

 

「一ヶ月ぶりくらいに感じる感動の再会でござるよ? 此処はかわゆい某に感動のあまり、接吻した挙句。盛り上がったまま、寝所へ消えていくのが男の本分では?」

 

 もう溜息も出なかったのでズルズルと引き摺りながら外へと出る。

 

 タラップを降りると何やら飛行船と飛行船の合間に出た。

 

 その中心ではカルダモン家の侍従達が何やら白い外套を来たEEなのだろう共和国軍人達に食事を勧めて持て成している。

 

 その端で仏頂面をした美少女が一人。

 食事も満足に取らずイライラした様子でこちらを―――。

 

 刹那、ダダダダッと駆け足になって至近まで近付いてくるフラム・オールイーストがジロリギロリとこちらを見て、ガンを付けた後、安堵の息を吐いた。

 

「大丈夫なようだな」

「ああ、一応」

「何だ? その曖昧な態度は!!」

「いや、身体が強化されてましたって話だけは聞いたからな」

 

「……やはりか。共和国でも貴様の身体は常人よりも余程に頑丈となっているとの話を研究者達はしていたが……まぁ、いい。不具合が無いなら、容赦なく扱える」

 

「心配してくれてたのか?」

 

 その問いの途端。

 ボッと火が付いたように目の前の頬が赤くなる。

 

(アレ?)

 

 普通のフラムならば「馬鹿め。共和国の財産である貴様に何かあったら、私はEEの恥さらしだ」くらいの憎まれ口を叩いてくれると思っていたのだが、何やら違うらしい。

 

「あはは、エニシ殿は鈍いでござるな~~フラム殿は某がエニシ殿を見付けて連絡を入れるまでずっと海岸線沿いの国を探していたのでござるよ? それも凄い沈んだ顔で。いやぁ~~あのしおらしいフラム殿をエニシ殿にも見せてやりたか―――」

 

 赤い頬のままフラムが片手の拳銃を百合音の額にゴリゴリ押し付けた。

 

「何でもないでござるよ~~」

 

 ササッと背後にぶら下がるのを止めた百合音がソソクサ侍従達のいる食事会場へ消えていく。

 

 何やら、本当に何やら、赤い頬のまま。

 拳銃を仕舞ったフラムがこちらを睨み付けてくる。

 

「貴様は何も聞いていなかった。いいな?」と無言で脅されているに違いない。

 

 まぁ、逆に新鮮過ぎて、どう接していいか分からないというのも本当のところだ。

 

 何やら今までとは関係が変化したような気持ちもある。

 

(あ……)

 

 思い出した。

 海の国で飛行船に乗っていた時の遣り取り。

 

『お前は……どうだ? あの女達の方が……いいか?』

 

 そう訊ねておきながら、重なった感触。

 

 思わず赤くなりそうな顔を俯けようとしたら、ズイッと下から赤い頬のままフラムが上目遣いに睨んでいた。

 

「……貴様はまた女に好かれたようなだな? 全部、あの皇女殿下から聞いたぞ? あの侍従達の話もな」

 

「えっと、いや、その、まぁ、好かれてるかな?」

 

「それ以外の何だと言うんだ? じ、侍従達に手を出さなかったのは褒めてやるが、それにしても一緒の風呂に入ったらしいではないか。あの皇女殿下も貴様を偉く気に入っているようだ……」

 

「そうか? 助けたり、助けられたりしたから、こう、何と言うか……連帯感が生まれただけじゃないのか?」

 

 こちらの言い訳みたいな言葉にしばらく睨んだままだったフラムが僅かに顔をうつむけて視線を逸らす。

 

「フン。本当なら私に手間を掛けさせた分くらいはいびってやろうと思ったが、興も醒めた……少ししたら、政治に関して色々と話し合う予定になっている。その時は共和国に利するよう話を纏める事になるだろう。その時にはちゃんと働いてもらうからな」

 

「分かった……」

 

 それで去っていくかと思われたフラムだったが、何故かそのまま固まっている。

 

「まだ、何かあるのか?」

「……背筋を伸ばせ」

「?」

「いいから、背筋を伸ばして目を閉じろ!!」

「え、いや、どうし―――」

「撃つぞ!?」

「わ、分かった」

 

 言われた通り、背筋を伸ばして目を閉じる。

 粛清するのは軍人の嗜み。

 

 殴られるのかと思ったのだが、フッと唇に軽い感触がして離れた。

 

「ッ」

 

「……共和国に帰ったら……心配しているあいつらに声を掛けてやれ。それと……」

 

 目を開くと。

 

 こちらを再び見上げた美少女の瞳が僅かに潤んで、何処か戸惑いを帯びながらも艶やかに耀いている。

 

「手くらい出してやるんだな。この浮気者……」

「―――」

 

「一つ言っておくが最初におまえの……オールイースト家の世継ぎを産むのは私だからな?」

 

 その声は弱々しく。

 思わず唾を飲み込んでしまったのは男として仕方ないはずだ。

 

(ああ、また死ねない理由とやらが出来たらしい。父さん。母さん)

 

 男冥利に尽きると言うべきか。

 自分はそんな大そうな男じゃないと謙遜するべきか。

 

 いや、せめて……馬鹿な男の一人として、美少女に見初められた分くらいは何かを返せる自分であろうと心に決めた。

 

 あのケロイド男の言っていた余命云々はこの際抜きにして。

 

 死んだと思われていた間にきっと色々と考えさせてしまったのだろう相手に告げる。

 

「こういう時は一言でいいんだぞ。フラム」

「え……?」

「少なくともオレはお前をそう思ってる」

「―――ッッッ」

 

 見る見る内に目の前の美少女の顔は完全に赤く染まっていった。

 

 しかし、決定的な一言を告げる前に視線に気付いてしまう。

 

 じ~~~~。

 

 少なくとも外に出ていたEEその他飛行船の乗組員全てがこちらを見つめていた。

 

 その顔にはやっかみだの羨望だの酒の肴みたいに他人のデリケートな事情を期待するゲスさが垣間見えている。

 

 この際、ハッキリ言おう。

 誰もがデバガメしているような様子でニヤニヤしている。

 

 気付いたらしいフラムがバッと背後を振り返って、自分が今まで何を口走っていたのかを正気に戻った様子で思い出し、更に赤くなって……逃げ出した。

 

『あ、逃げた!?』

 

 侍従達が年頃の恋に恋するお年頃的なウットリした様子で生暖かい視線をその背中に送る。

 

 そして、彼らを代表するようにイソイソと少し赤い顔のカルダモン家の当主とその主がやってきた。

 

「お、おめでとう。さすがカシゲェニシ殿だな……まさか共和国のEEとそのような関係に……是非、祝福させてくれ」

 

 皇女殿下の頬は赤く。

 しかし、確かに恥ずかしそうながらも笑みが浮かんでいる。

 

「あ、その……それはまだ早いんじゃ……」

 

 何ともむず痒い事を言われて、オロオロすると。

 今度は主に続いてファーンがコホンと咳払いをする。

 

「イ、イキオクレている当方から言う事はありません。とりあえず、その時になったら、こちらから何か贈らせて頂くかと」

 

「ファーン。そう自分を卑下するな。私とてまだ夫はいないのだから」

 

「し、失礼しました……」

 

 どうやら、それなりにファーンも動揺していたらしい。

 思わず主に謝って。

 そのまま、こちらに瞳を向けてくる。

 

「先程の話を聞いている限り、複数人と……やはりオリーブ教の聖女様も先程の話の中に?」

 

「色々あるんだ。色々……」

 

「まぁ、良いでしょう。貴方が普通の立場にない事はよく分かりました。今後も頼る事になるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」

 

「あ、ああ」

 

 妙に桃色な空気に支配されたまま。

 僅かな休息の時間は過ぎていく。

 やがて来る争いの渦中への逃避行。

 目的地に何が待ち受けているかなど誰も知らず。

 それでも一つだけは、一つだけは決まった。

 

(必ず帰る……今のオレの居場所に……)

 

 何を敵に回しても守りたいものがある。

 

 帰りたい場所がある。

 

 それに比べれば、自分の苦労など然して重要ではない。

 

 そう、思えた。


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