ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第76話「冷蔵庫」

 夕暮れ時の小雨。

 蒸し暑い馬車の中。

 

 ブラックペッパーの街並みに溶け込みながら、幾つもある大通りを縫うように進んで、その少し錆びれた感のある洋館へと辿り着く。

 

 書類上はカルダモン家と何の関係も無い一般商人の所有物。

 だが、実際には彼らのセーフハウスの一つ。

 脱出して一日目の拠点は今も表上は閑散としていた。

 

 洋館に付随する馬車を入れる倉庫内に停車すれば、停車中の車体の底が開き、下から侍従の一人が顔を出して、安全を確認した後、再び地下へと潜っていく。

 

 車体と地面の中間に設けられたダクトを降りて、地下通路に入ると周囲には朝方には無かった洋光《ランプ》の灯かりが灯っていた。

 

 狭くはあるが、アスファルトで固められたトンネルの先。

 教室程はあるだろう空洞が姿を現す。

 

 内部にはやはり人工の灯かりが複数据え付けられ、収集された情報が書き込まれたブラックペッパーとその周辺、帝国本土全域の地図に次々手書きで新たな付箋が貼り付けられていた。

 

 地図を見下ろす三段程も高い床の上から伸びた鋼製の大きな撮影機材でも乗っていそうなアーム。

 

 その先に付けられた座り心地の良さそうな椅子に納まったファーンが次々に張られていく付箋に目を通しながら、地図の情報に目を細めている。

 

「今、帰ったぞ」

「ああ、お早いお帰りで」

 

 アームの伸びた壁の根元で侍従の一人が大きなハンドルを回すとスゥッと空中に固定されていた椅子が下りてくる。

 

「それでクランの情報は集まったのか?」

 

「ええ、宮殿域から連れ出されて、現在ブラックペッパーとフォーク・ダイナーの中間地点であるライム渓谷付近の街に運ばれているようです」

 

 侍従達が何も言われずとも仕事をして、イソイソと台の上の地図の一部と同じものをこちらの前まで持ってくる。

 

 受け取って、それを見る限り、都市部から馬車で数時間というところに其処はあるらしい。

 

 確かに言われた通り。

 

 大きな渓谷があって、その左右の淵で領域が色分けされていた。

 

「とりあえず、街の様子を見てきたが、兵士がウジャウジャしてたぞ」

 

「分かっていましたが、我々をこのブラックペッパーに閉じ込める気でしょう。検問は?」

 

「言われるまでもなく何処も彼処も行商人や旅人がブーイングの嵐を巻き起こしてたな」

 

「ぶーいんぐ?」

 

 首を傾げられて言い直す。

 

「いや、何でもない。普通に不平不満たらたらの連中が検問でいざこざ起こしてただけだ」

 

「やはり、我々が都市部を抜けるのはかなり難しいと見るべきですか……脱出した時から覚悟はしていましたが、貴族院からの正式な兵士達への命令といい。かなり、相手は念入りな準備をしていたようですね……」

 

 あの抜け道から侍従達を連れて逃げ出した先は後宮の庭の端の石畳の下だった。

 

 兵士達へ正式な帝国を牛耳る貴族院。

 

 要は滅ぼされた国家の元王家だの皇族だの諸々の特権階級だった人々の組織する行政の最高意思決定機関から出された命令が出てはいたらしい。

 

 だが、長年カルダモン家に仕えるに等しかった宮殿の護衛部隊は突如の当主捕縛と逮捕に混乱しており、蟻も出られなさそうだった巡回シフトに穴を生じさせていた。

 

 隙を付いて出て行く事自体は慎重になれば、可能であったのは幸いだったと言えるが、そこから先はそう甘くない。

 

 別の地域から召集された兵士達が街中をうろついており、百合音の助けを借りて何とか夜闇の中でセーフハウスまで辿り着いたのだ。

 

 明け方になってから、街娘に化けた侍従達と百合音が情報収集を開始。

 

 商人の所有の館は現在、所有者がまた使うからという体で現在物資が表向き運び込まれ、地下では黙々と集まった情報を基にしたクランの救出作戦が練られていた。

 

「それで彼女は?」

 

「ああ、『某はちょっと定時連絡してくる故。二時間後に戻るでござるよ』とか言って消えたぞ」

 

「……はぁ、仕方ないですか。随分と大きな貸しになりそうですね」

「咎めないのか?」

 

「手を借りると決断した以上。交渉は対等に行うのが当方の流儀です」

 

 いつもの姿に戻っているファーンは頭に載っている帽子を僅かに直して溜息を吐く。

 

 気を取り直したように彼女が地図の一部。

 都市外延部の道を次々に指差しながら現状をこちらに教えてくれる。

 

「軍部の動きは思っていた以上に困惑している様子だとの話ですが、それは上層部に限ったもののようで集められた兵士達は単純に命令を遂行しているに過ぎない。騒ぎを起こして気を逸らそうにも、すぐ鎮圧に乗り出してくるでしょう。現在、都市からの脱出方法はかなり限られます」

 

「そうなのか? 帝国の兵の練度がどれくらいのものか知らないが、勤務中暢気に酒煽ってたぞ」

 

「……平時ならその兵士の首を飛ばしているところですが、今はありがたいと言っていいのかどうか。ですが、我が国の兵士はそれなりに優秀ですよ。勤務態度は普通、統制は共和国軍程ではありませんが一般兵でもかなり取れています。精鋭なら、新興の陸軍国たる大陸最強を標榜する共和国とも良い勝負をするでしょう」

 

「つまり、簡単には騙されもしないし、命令も無視されないと?」

 

「はい。集められているのは主にバジル家の私兵と周辺地域に点在する基地から何も分からずにただ命令で連れて来られた山岳兵ばかりのはず。精鋭にさえ気付かれなければ、都市部から脱出出来るでしょうが、それがまずかなり可能性の低い選択肢となります」

 

「バジル家ってのは軍閥だって話だが、軍部でどれくらいの力を持ってるんだ?」

 

「兵数で言えば、陸軍四個師団相当。それも正規兵の中でも国境警備に回される最精鋭です。救いと言えば、近年は戦争が殆ど無かった為、実戦経験が皆無なくらいで、帝国内でなら敵無しと考えて構いません」

 

「物凄く絶望的なのは分かった」

 

「現在、連合に救援物資と救助活動を行うという体で一個師団拠出させていますから、三個師団。一つはバラけさせて隣接する国境に。もう一つはフォークダイナー市街地の警備に。残る一つが此処に投入されていると見ていいはずです」

 

「勿論のように検問はフォークダイナー方面のルートが厳しかったぞ」

 

「ですが、クラン様が移されるまでどれだけの時間があるか分からない以上、遠回りで検問を突破するのは間に合わなくなる可能性があります」

 

 台の上の地図には今も付箋が貼り付けられ続けていたが、どれもこれも良い情報というには剣呑なものばかりだった。

 

 市街地での銃器使用の許可が出ている。

 騒乱が起きたら、陸軍での即鎮圧許可が出ている。

 

 フォークダイナー方面の検問は厳格になされ、全てフォークダイナーから派遣された兵で行う旨。

 

 行商人は基本的に商会の紹介状無しには通行不可。

 

 迂回ルート上には全て時間経過での通過を許可する時間性の検問を設置。

 

 まったく、敵が周到だった事がよく分かる。

 

「……なぁ」

「何でしょうか?」

 

「この一番危険な検問を通り抜けられる人間がいるとしたら、そいつはどんな職業や立場だと思う?」

 

「バジル家の息が掛かった兵や将官。もしくはこの一件において関わる事が不可能と明らかに見なされる存在……少なくとも商人や旅人では抜けられないでしょう。フォークダイナー側の兵士が渓谷方面の人員で纏まっているなら、相手の兵士に成りすますのも不可能です」

 

 抜け道は無い。

 

 実際、抜けられる理由が見当たらないというのがファーンの厳しい顔からはありありと分かった。

 

 しかし、それでも考えれば、何かが変わるかもしれない。

 

 最後まで諦めないというのは結構、どんな状況でも重要な事だ。

 

 ダメな事の方が多いかもしれない。

 しかし、諦めたら其処で試合終了なのだ。

 

 何事も最後までダメ元でも考えるというのは両親から聞かされた研究者としての癖のようなものだ。

 

 自分の目標に向けて様々な研究方法を考え、届きそうにないダメそうな知識や知見でも最後まで検証し続ける。

 

 それが閃きとなって繋がった時、何かに届き得るというのは少なくとも子供心には合理的な考えと思えたのだ。

 

(此処であの笑顔を曇らせるのも後味悪いしな)

 

 宮殿で起きてからというもの。

 よく話をせがまれた手前。

 それなりにクランとは話していた。

 

 目をキラキラさせて、適当にこの世界に来てから経験した事を継ぎ接ぎして語れば、次々に疑問や質問が飛んできた。

 

 天真爛漫な様子は少なくとも人に微笑ましいと思わせるくらいには耀いていた。

 

 それを失うのは出来るならば、避けたい。

 少なくともそう思ってしまっている。

 

「………?」

 

 地図を見ていて、二枚の付箋が目に止まった。

 そして、それを手に取って―――僅かに指先が震える。

 

「………兵士じゃ、通れないって言ったよな」

「ええ、当方の兵であったらという懸念があるはずですから」

「じゃあ、元兵隊ならどうだ?」

「言っている意味が分かりません。益々妖しいと通してくれませんよ」

 

「いや、言い方が悪かったな。兵隊としてもう働けなくなった連中が適当な理由で通行を許可して欲しいと言ったら、通れると思うか?」

 

「それは……どういう場合を想定していますか?」

「この付箋に書いてあるんだ。兵士三名が検問を通過ってな」

「それは?」

「一枚は商人達の情報。もう一枚は……」

 

 掴んだ付箋を渡すとファーンが沈んだ様子になる。

 

「彼らは特別です。検問の者とて兵隊だからこそ、見過ごせない事もある。それだけでしょう」

 

「ちなみにこの国では女性将官とか女の兵隊はいるのか?」

 

「ええ、いますよ。全体の三割程ですか。でも、彼らに化けようとしても無駄です。しっかりと身体検査をされた後の通過でしょうから」

 

「ああ、だから、絶対に相手は通してくれるんだよな。足も手も不自由な……もしくは存在しない……廃兵院の連中なら」

 

「彼らは戦えません。戦争が近頃は無いと言っても、事件、事故、国境域での偶発的な衝突による局地戦など……それらの現場に居合わせた被害者……最低限以上には融通しているつもりですが、彼らの殆どは欠損や不自由な部位から親子供親族に働けないからと半ば見捨てられたようなもの……勲章一つ抱いて自ら命を絶つ者も少なくはありません。今更、国家に忠誠など求められませんよ。それが例え、どんな権力だとしても……彼らが協力してくれる事は……」

 

 ファーンの言う事は一々最もだ。

 

 福祉の整っていない国ではどうやら働けなくなった兵隊は悲惨な目に合っているというのが基本的な大陸の常識だ。

 

 それは共和国で軍に付いて調べた時、共和国の軍人が大陸一幸せ者であると説かれたポスターや図書館での学習によって調べが付いていた。

 

「冷蔵庫って今は馬車で持ち運べるものもあるらしいじゃないか。香料の保存用に」

 

「いきなり、そんな話をして、何を……」

 

 ファーンが困惑した表情を浮かべる。

 

「ハッキリ言うぞ。アンタ、腕の一本や二本、捨てられるか?」

 

「そんなのは言うまでもありません。ですが、五体満足ではない身体でクラン様をお救い出来るとは……当方にはまったく思えません。カシゲェニシ君」

 

「アンタが部下に腕の一本も差し出せと命令すれば、この状況をどうにかしてやれるかもしれない」

 

「―――気でも違ったかと訊ねるべきでしょうか?」

 

 そのファーンの本気で心配そうな顔に苦笑する。

 

「あのなぁ。アンタは一体、オレを()()()()()()だと思ってたんだ?」

「?」

 

 まだ分からない様子のファーンに脂汗を背筋に流しながらも何とか言い切る。

 

「全部、実験してからだ。オレもまずは指から試す。だから、アンタも自分の一部を差し出せ。冷蔵庫とありったけの麻酔と一生を棒に振る覚悟と……元兵隊を雇う金を用意しろ。アンタらがもしも一生傷物の人生になったら、その時は出来る限りの面倒を見よう。オレの人生を掛けていい」

 

 唖然とする周囲の侍従達を前に我ながら大それた話をしたものだと内心で苦笑する。

 

 しかし、それくらいのリスクなのは本当だ。

 だからこそ、決して相手が自分達を疑わないと言い切れる。

 人間はいつだとて自分の常識でしか物事を見ない。

 

 真に新しい事実を発見した時、その現場に立ち会った人々はまず最初に疑うか思考停止するものだ、とは両親の言葉だったか。

 

 研究者はそんな時、淡々と検証するものであると説く二人の顔が今も思い出せた。

 

「始めるぞ。クランがアンタ達にとって、その身を犠牲にしても守りたいものなのか」

 

 閃きは決して常人のものではない。

 だが、合理と理性によって鎧われればこそ、狂気ではなく。

 限りなく正気の沙汰として。

 

 その唯一の回答は確実に相手の包囲網を突破するに値すると確信していた。

 

「問われるのは今、この瞬間だ」

 

 残酷な運命とやらがあるとすれば、それは正しく今の自分であるに違いなかった。


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