ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
空が白み始めるより前に何とか市街地中心部へと戻ってこれたのは僥倖以外の何物でもなかった。
図書館から中心街までの道程に殆ど瓦礫が無かった事が最大の要因だろう。
津波被害が沿岸部から比較的高低差のある内陸方面に無かったのだ。
この移動時間が事の成否を分ける。
そう考えていたのは正しく。
まだ世が明けていない今しか失われた聖なる入り江に向うチャンスは無い。
「……死体の山になってない事に安堵したんだが……どういう状況だ?」
周囲の建物は砲撃で崩れ、道端には西部兵の死体が幾つも転がっている。
だが、最も驚いたのは戦車の入り口からニョッキリ顔を出している海賊達だった。
その数、何と八両。
ぶっちゃけ、どうやったら乗っ取れるのかさっぱりだ。
しかし、現実に塩辛海賊団は数を半分程に減らしていたものの。
全滅していなかった。
周囲には西部兵の死体を片付け、その装備を剥いでいる海軍局の制服が何人もいる。
どうやら、これからまた一戦というつもりらしい。
「お~い」
声を掛けると一瞬だけ海賊達が緊張した面持ちになったが、すぐ戦車の一台からエービットが顔を出して手を振ってくる。
その腕には包帯が巻かれていた。
ランタンを片手に近付いていくと海賊達が道を開ける。
「生き残れたみたいだな。おっさん」
「ははは、よくよく死には見放されているようでね」
戦車から降りてきた男は未だに血が滲む包帯姿で肩を竦め、イタッと身体を震わせた。
「そちらのお嬢さん達は?」
フラムとリュティさんの姿に気付いて訊ねられたが、そっと唇に人差し指を当てるだけに留めた。
「分かった。聞かない事にしよう。さて、報告しようか。海賊団の死傷者10名。西部兵は数えた限り、21名を排除。この鉄の棺桶内の連中も含めてだ。軽症者は3名。重体1名。君の指示や海軍局の応援が無かったら全滅していたな」
「よく乗っ取れたな」
「通気口内部に外の人間には耐えられないだろう粉末を入れさせて貰った」
「粉末?」
「十六種類程の魚粉を混ぜたものだ」
「ああ、そういう……で、アンタの副官はどうした?」
「ピンピンしている。今はこの車両の把握をして貰っていて、そこの車両の中だ。一つ訊ねるが、君に付けた彼らは?」
「……悪い。助けられなかった」
エービットに素直に告げる。
「そうか。だが、君は生きている。彼らは自分の仕事を全うした。今はそれだけでいい」
「ああ……」
僅かに黙祷を捧げた後。
真面目な表情を崩し、エービットが気を取り直して現状に付いて説明し始める。
「海岸線沿いにどうやら戦力が集結しているらしい。何があったか知らないが、途中で連中の増援が引き上げてくれたんだ。あのタイミングでなかったら、我々は今頃そいつらと立場が逆だったな」
西部兵の死体を見ながら溜息が吐かれる。
「そうか。間に合ったか……」
「君の策か?」
「ああ、策って程のものでもない。全部、アンタの今までの行いの結果だ。それでなんだが、ベラリオーネは?」
「ああ、彼女は他の人員と一緒に政府首班の捜索に加わってもらっている」
「そうか。無事ならいいんだ」
「それで、どんなペテンを使ったんだね? 個人的には非常に興味がある」
「単純な話だ。連中は聖なる入り江を求めてる。そう、シンウンと一緒にな。だから、連中の邪推を煽ってやったんだ」
「邪推?」
「シンウンへの伝言は伝えたよな?」
「ああ。だが、あの指示で何故奴らは撤退を?」
「相手は自分達よりも確実に隠密性に優れた潜水艦だ。あの重要な局面で姿をわざわざ海上に現してミサイルで諸島域の島を一つ攻撃する。このリスクが大きいのは分かるだろ?」
「シンウンも最初渋っていたが、すぐ何か気付いて溜息を吐いていたな」
「連中から見たら、シンウンの行動はどう目に映る?」
「それは……意味不明じゃないのか?」
「いいや、違う。連中はこっちが用心深いと思ってる。その海賊が姿を現してまでも攻撃しなければならないものがあるとしたら、一つしかないだろ」
「あ、ああ!! そういう事か!? 聖なる入り江を破壊していると思ったわけか!!」
エービットに頷く。
「だから、連中は慌てて機甲戦力を戻したんだ。海賊団の連中が入り江を破壊するには潜水艦が一番だが、そいつは攻撃を掛けてきたのにすぐ姿を消した。つまり、海賊は何処かに本隊を隠していて合流を果たそうとしている。次の一手を持っている。それを阻止するならば、敵の戦力が一つになるのを防ぐのが一番だ。海岸線沿いを固めて見張った方がいいと思ったんだろ。本当は海岸線に展開されるより島嶼域に展開する為、撤退ってのが理想的な流れだったんだが、そう上手くはいかなかった」
「それでも君のおかげで命拾いした事は事実だ。海賊団と手伝ってくれた海軍局に代わって、というのも業腹だろうが、感謝する」
「別にいいさ。もしどうにもなってなかったら、オレはアンタの死体を見る事になってたってだけだ。連中がアンタの顔を知らなかった……このラッキーはアンタの運ってやつだろう」
「君って奴は……まったく策士じゃないか。僕の運なんてそう大した事には思えないな。ふふ」
バンバンとエービットが肩を叩いてくる。
「西部の連中は兵隊としては野蛮だったが、合理的だって話を聞いてたからな。一々小さな戦力を潰して回るよりも、目標を直接叩くような確実性を取ると踏んだ。実際、その予測は正しかった。連中のトップはきっと兵隊とは違ってインテリでバリバリの合理主義者だぞ。何せ戦車を拿捕されても戦略的な優位を取ろうとする奴だからな」
「ありがとう。だが、今の君の言葉で我々は更なる窮地に立っていると認識するべき事態だな」
「確かに……海岸線沿いを押さえられた以上、合流出来ない。こっちは情報を持ってきたが、シンウンと合流出来ない以上は口頭で相手に伝えるだけ。後は潜水艦の連中に任せっ切りになる……というところでちょっと相手の意表を突く」
「意表を突く?」
首を傾げるエービットは横に置いておいて後ろのフラムに視線をやる。
「さっきの報告から30分経過。たぶん、もうすぐだ。とにかく急げと言ったからな」
「ならいい」
「何の話だね?」
「これから直接入り江のあった場所に向う。海賊団と海軍局からも人を出してくれ。それとシンウンにも話がある。後、おっさん……アンタにはこれからこの国を救った英雄になってもらう」
「何だと? どういう事かな?」
「あ、おひいさま。音が聞こえてきましたよ」
「空を見ろ」
エービットが未だ薄暗い空から降りてくるものを見て。
その輪郭に驚く。
「これは……シンウンの開示してくれた資料でなら見た事がある……飛行船というやつか!!?」
周囲の海賊と海軍局がざわつく中。
急激に降下してきたソレの下部が開いて、複数の足を掛けるフックや身体を固定するベルトが付いたワイヤーが下ろされる」
「今から無線機器で連絡する。この船にはそういう設備があるそうだ。アンタが使ってるシンウンとの周波数を教えてくれ」
「あ、ああ、分かった。それにしても君は……本当にあの総統と繋がりがあるようだ」
唖然としながらも、何とか男がそう飛行船に目を奪われながらも呟く。
「その総統閣下とやらに一番近い人物へ後で繋いでやる。話の持って行き方次第じゃ、窮地に陥ってる決戦艦隊も救えるぞ。まぁ、全部、アンタ次第だ。相手への話の提示内容と要点は無線で教える。政府首班とやらがまだ生きてるなら、そいつを説得するのがアンタの仕事だ」
「……ふ、どうやら僕はとんでもない奴に助けられてしまったようだ」
「今更、この舞台から降りるか?」
「いいや、その賭けに乗ろう。祖国は負けても死なず。祖国は負けても滅びず。我らが思いはただ一つ。この海の国が再び栄える事だけだ……感情と柵は過去に置いてこよう」
「そうだ。敵だって利用してやれ。海賊にご立派な大義名分なんて要らない」
「ああ!!」
互いに握手を交わす。
「オレは本当の入り江の方へ向う。シンウンには囮になって敵艦隊を本当の聖なる入り江から引き離して欲しい。今から海賊団に住民の内陸部への避難を始めさせてくれ。海岸線沿いからこの中心街よりも後ろにだ。陸上戦力の身動きが取れない今しか時間は無い」
頷いたエービットが周囲の海賊団の生き残りと海軍局の全員に指示を飛ばしていく。
「電信で周囲の全ての公共施設を使って放送を掛けよう。海軍局の人員は彼に付いていく者を今すぐ選抜してくれ。こちらからも何人か出そう」
そうやって慌しくなる場に何やらブオオオンと聞き覚えのあるエグゾーストが響いた。
「バイクだと?! 上陸してきた西部の連中か?!」
思わず身構える。
他の海賊団や海軍局の人員も咄嗟にライフルや西部兵から取り上げた小銃を構えたが、すぐにそれは下ろされる。
何故なら、彼らの瞳には薄暗い中でも耀く金髪縦ロールが見えたからだ。
「シーレーン女史?! その乗り物は一体どうしたんだね?」
軍用バイクらしい迷彩柄の塗装を施されたソレがドリフト気味に後部の車輪を地面に擦り付けて止まる。
操縦していたのはベラリオーネではなく。
それよりも小柄な男。
いや、少年。
ベルグだった。
「ねーさん。付いたよ」
「し、ししし、死ぬかと思いましたわ」
「まぁまぁ、西部の連中からくすねて来たコレ。結構、早いし」
「う、うぅ、は、吐きそう……」
フラフラしながら降りてきたベラリオーネがこちらを見て、早歩きに近付いてくる。
「カシゲェニシ!! ご無事で!! それに教授も……うぅ」
「おお、一体どうしたんだ? 政府首班の捜索の進捗は?」
「は、はい。それが……どうやらもう西部側の兵に連れて行かれたようで……先程、隠れていた場所に残されていた資料から判明したのですが、政府首班層の半分は既に西部から息が掛かった連中になっていました。彼らはもう半分の方々を使って西部への無条件降伏を政治判断で宣言させると」
「最悪の事態か……」
エービットが大きく溜息を吐いた。
「いいや、最高の前提条件だ」
「?」
こちらを訝しがる視線に苦笑する。
「今から、共和国のチャンネル先にいる相手にする話の内容を変えよう。詳しくは無線通信越しになる。もう行くぞ」
「あ、ああ。それで海軍局の方は誰が行く?」
「そ、その空飛ぶ船で何処に行こうというの?」
ようやく気付いたようでベラリオーネが飛行船の姿に驚いていた。
「海軍局と海賊団から人を出してもらって、本当の入り江に向う。其処がどうなってるにしろ。確実に遺跡は水底に沈んでる。使えるかどうかの確認と使えたとしたら、破壊するかどうかも含めて、この国の人間に決めて貰わなきゃならない。本当は其処のおっさんを連れて行きたいが、こっちに指示が出せる人間や交渉出来る人間がいないと話にならないから、連れてけないんだよ」
「そ、それなら!! わたくしが海軍局を代表して行きますわ!! これでも艦隊総司令の娘ですもの!! 現地で戦っている多くの将兵達がどう考えるのか。上に立つ者の心構えは分かっているつもりですわ!!」
「いいか?」
エービットに確認するが、言うまでも無かったらしい。
大きくベラリオーネに頷いていた。
「オレもねーさんに付いてくよ」
「いいや、それはオレの仕事だ」
「?!」
後ろを振り向くと外套を血に染めて、額から血を流した青年が一人。
ヨタヨタと歩いてくるところだった。
片腕を押さえているところから見て、肩を撃たれたのだろう。
血は止まっていたが、どうやらまともに動かない様子で戦車装甲に背を凭れさせた。
「教授。貴方はどうやら海軍局も手玉に取ったようだ」
「いやはや、全部僕じゃない。其処の彼だ」
「……ただの間諜かと思っていたら……そうか。貴様、EEだったか」
ショウヤの姿に慌てて姉弟《きょうだい》が駆け寄って、周囲の人間から受け取った包帯で処置していく。
「EE……そうか。何処かで見たと思ったら、君の連れの恰好は彼らのものか」
教授が合点がいった様子で不機嫌そうなフラムを見た。
「それで付いていくのか? アンタも」
「ああ、憲兵隊最後の一人として、この状況を見届ける必要がある。何がどうなっているのか知らないが、海賊団も海軍局も合同で何かをしようとしているのだろう? そして、それは君が主導した……カシゲェニシ」
「切欠と選択を与えただけだ」
「……この国が西部に飲み込まれるのと。共和国に支配されるの……一体どちらが幸せだと思う?」
「考えるまでもない。裏切らなかった方だ」
「フッ、共和国がそうすると?」
フラムがそのショウヤの嘲笑にも似た嗤いに物申そうとして、背後からリュティさんに口元を押さえられて、後ろに下げられていく。
話がややこしくならないのは良かったが、時間が惜しい。
ザックリ、話の決着は付けるべきだと相手の前に立つ。
「忘れなくてもいいし、別に楯突いたって構わない。だが、西部の連中のやり口を見て、自分達がどちらに付いた方がいいか。考える頭くらいアンタにもあるだろ。共和国の占領政策に口出し出来る機会はこの一度切り。西部はそんな機会も無くただアンタらの国家を食い物にするぞ」
「……艦隊が負けると? この国を共和国に売り渡せと?」
「それこそ一部の人間がしていい事じゃないが、問答無用でクーデターや虐殺、無条件降伏を突き付けて来る連中を前にして、随分と悠長な事だな」
「カシゲェニシ。君がもしも稀代のペテン師なら、オレが止める」
「じゃあ、警務省の官憲も入れて三人まとめて付いて来い。もうさすがに時間が無い。フラム!!」
ようやくリュティさんから開放されて、こちらを不満げに睨んだフラムだったが、すぐ何も言わず下がっているワイヤーフックに足を掛けて、ベルトを付けると格納庫内へと上がっていった。
「じゃあ、行動開始だ。海賊団からは?」
「では、ゼンヤ!!」
「!?」
思わずショウヤが自分の後ろを向く。
親子であろう似た顔が二つ、揃って互いを見つめる。
「ああ、出来過ぎの息子のお守りはこちらでやろう。話は聞いていた。コレの使い方は部下に教えた。ぎこちないが、問題なく盾くらいにはなるだろう。お前は避難と海軍局の掌握を。先程から部下達の情報を電信で拾っているが、警務の連中は西部に侵蝕されてた工作員の人数が多かったような痕跡があちこちで発見されている。気を付けろ」
「ああ、それくらいは信用してもらおう」
「ふ、じゃあ行こうか。息子よ」
「貴様に息子呼ばわりされるのは不愉快だ!!」
「言っている場合か? 置いていかれない内に行くぞ」
戦車から颯爽と降り立ち。
嫌がる息子の肩を掴んで痛みで反抗する気力を奪いながら、テキパキとワイヤーの方へ父親が歩いていく。
「く、許したわけじゃない!! 許されると思うな!!」
「アレには全て話してあった。お前は何も知らないだろうがな」
「母さんが?!」
「今も手紙だけは受け取っている。寂しい思いはさせたかもしれないが、やはりアレはオレが選んだ最高の伴侶だ……報いる事が出来るかは分からない。ただ……もしも、オレが死んだらアレに……オレは自分の信義と正義に準じて満足して逝ったと伝えてくれ」
息子にベルトを装着し、足にフックを掛けさせて、上に合図を送った男が自分も同じ手順で上に上がる準備をしていく。
「勝手だ!! 勝手過ぎる!!」
「ああ、勝手だ!! オレの勝手だ!! お前がオレより先に死なない限り、オレは勝手に幸せなまま死ぬ!! 良い伴侶を見つけろ。ショウヤ」
「ッッッ!!!?」
厳つい顔の男がニカリと息子に笑い掛けた。
同時に上げられた男達に続いて姉と弟、リュティさんが続く。
自分も上がろうとベルト装着して足を掛けるとベラリオーネが横で準備を終えてから何か言いたそうな顔をしていた。
「どうかしたのか?」
「……そちらの方やあの外套の方が貴方の仲間ですの?」
「いいや、オレの保護者だ」
「あ、はい。このリュティッヒ。おひいさまとカシゲェニシ様の保護者は自称してもいいと近頃思っ―――」
「あの、出来れば、後にして下さい。リュティさん……」
「はい♪」
「……もしかして、恋人、ですの?」
「違う。保護者だ。ついでに護衛役でもある。色々複雑なんだ」
「そう……」
勢い良くワイヤーが巻き取られて、地面から足が浮いた。
10秒程で完全に全員を収容すると。
左右に開いていた飛行船下部の格納庫が閉じて通路となる。
『エニシ!! もう用意はさせてある!! こちらだ』
格納庫の先の扉が半開きになっていて、その奥からフラムの声が響いてくる。
「ああ!! 今行く!!」
「カシゲェニシ……」
「何だ?」
少しだけ、その瞳には不安の色があった。
「この国は……」
「心配するな。オレはまだ諦めてない。そもそもバカンスに来たはずなのに一回も寛いでないんだ。自分の保養地くらい確保しなきゃな……」
小走りに扉の先へと向う。
まだまだやるべき事は山済み。
時間は待ってくれない。
空母から戦闘機や爆撃機。
偵察機が上がってくる前に闇に紛れて飛行船を飛ばさなければならない。
『ねーさん。あのスパイ、結構良いやつなんじゃない?』
『……まるで教団の言う……“いつか来る方”みたいですわね……本当に……』
全てが上手くいくにしろ。
ダメになるにしろ。
自分の選んだ道の先。
結果を見るまでは立ち止まる事なんて出来るわけもなかった。