ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第71話「カウントダウン」

 地下ドックへの入り口は浜辺から500m程離れた海中。

 

 巨大なトンネルというよりは巨大な岩窟と言えるものが直径60m程の幅をポッカリと海に向けて開けていた。

 

 海藻や岩礁、珊瑚などが周囲を自然のモノのように見せているが、実際にはよくよく見てみれば、造り物が半数を占めているのが分かるだろう。

 

 偽装された内部は完全に暗く。

 

 半透明の楕円な膜に包まれて進む五人からすれば、まず最初に来るのは確かに恐怖であった。

 

 あまりにも大きなソレに呑み込まれていく感覚。

 

 これから深い深い海の底に引きずり込まれるのではないかという錯覚。

 

 術師であるヒューリとて魔術によって内部に音波を放って戻って来た反応を見るまでソレが人工物であるとはさすがに分からなかった。

 

 怪物の口に入るような心地で彼らがその長い長いトンネルの先へと向かい。

 

 2km程なだらかな坂を進んだ時。

 

 ようやく彼らは奥底となる地点へと辿り着いていた。

 

 魚達もどうやら入って来ない程深く暗黒が占拠する空間はヒューリが術式によるソナーで確認する限り、六角形状の巨大なプラネタリウムのような形の行き止まりとなっていたが、ユウタとアンジェリカが最初に八木から渡されていた情報などを元にしてその壁の一部をライトで照らしながら探り、その突起を見付けてガチャリと引いた。

 

 途端だった。

 

 彼らのいる半径3m程の空間がまるで壁から突き出して来た太い格子状の複数の檻のような金属棒によって壁の如く遮られ、三角錐状の出っ張りとなった。

 

 そして、広大な空間内と外を繋ぐトンネルの終端から隔壁が降り始めた。

 

 十数秒で封鎖されると。

 

 カカカカカッと周囲でライトが左回りで順に周回するように付き始め、一気に排水作業が始まる。

 

 底に当たる外周がタービンのように開いて水を強制的に排出。

 

 人間を呑み込む程ではないにしても確実に腕や脚くらいなら吸い込まれたら持って行かれそうな無数の穴へと激流のように海水が渦を作って流れ込む。

 

 排水が完了した後。

 彼らがいる区画はそのまま横にズレた。

 

 まるでその空間がピンボールの通るような円形のチューブの中を動いているのだと彼らが理解したのは横への動きが感じられたからだ。

 

 そして、彼らのいる閉鎖区画がガコンと何処かと接続された。

 

 彼らのいる壁際が正八角形状に複数の隔壁を内部にスライドさせて、道が開かれる。

 

 しかし、内部通路は暗く。

 ヒューリが小石を簡易の使い魔化して先行させた。

 音を発てないよう浮遊して飛び出したソレは4つ。

 

 次々に周辺に異常がない事を彼女の脳裏に通知して、更に通路の奥に二つ目のハッチを見付ける。

 

 行けるのはそこまでらしく。

 

 安全が確保された他の全員がホッとした様子でヒューリと共にハッチの場所まで辿り着く。

 

『アンジェラさん』

 

『分かってる。基地内部の事が分かるかどうかオンラインで繋げてみるわ』

 

 ハッチ横の電源も入っていないパネル。

 

 耐水性らしいソレを探っていたアンジェラが手探りでハッチの予備電源のブレーカーの位置を探り当て、上からカバーをガションと開き、手動式のレバーを上げて通電させる。

 

 すると、一気に周囲が明るくなった。

 通路内部は緩い凸型になっているらしく。

 出っ張りの部分にハッチがあった。

 真白い通路内でパネルだけがどうやら液晶らしく。

 

 予備電源が入った途端にレバーの上の部分に内部へ格納されていたジャックイン用の接続端末がキーボード付きで現れる。

 

『ちょっと持ってて』

『あ、はいっす』

 

 ユウタに持って来た小型端末を持たせたアンジェラが軽やかにキーボードを叩き、何かのプログラムを立ち上げたかと思えば、すぐにオンラインの文字とウィンドウが複数枚出力され。

 

『どうやら基地内部の電源は生きてるらしいわね。でも、此処の予備電源を使わなきゃ動かないようにされてたのが気になる……基地のサーバーにアクセス……パスコードは現役の海自の佐官級のコードでも大丈夫って話だけど……どうかしら?』

 

 八木が彼らに教えていたコードがすぐに撃ち込まれ。

 

『来た来た!! 基地のサーバーと接続終了よ。これで基地内部の一部の機能をリモート出来る。音声認識は生きてるわね。え~~基地内の保安システムを呼び出して』

 

 OKの文字がサーバーから返り、彼女のPCに次々と項目が現れる。

 

『このシステム……十年前のアメリカで見たわ。秘密裡に技術協力してたって本当だったのね』

 

 ボソリと呟きつつも基地内の監視カメラと出入室記録が全て立ち上げられる。

 

『―――残念よ』

『アンジェラさん?』

 

『此処はゾンビに汚染されてる。どんなルートだったのかは知らないけど、動体反応多数……恐らく30体から50体。潜水艦一隻分くらいの人間がいるけど、生体反応無し。ついでにドックの整備区画内部のカメラや監視装置が壊されてて、非常レバーで区画毎封鎖されてる』

 

 ヒューリの言葉にアンジェラが瞳を僅かに閉じた。

 

『……此処の警備システムは旧ペンタゴン並みだって話だったんだがな』

 

 袴田が深く溜息を吐いて何てことだと僅かに顔を歪めた。

 

『なら、ペンタゴンが突破されたのと同じ事が起ったんでしょう。ゾンビ相手に常識は通用しない。対ゾンビ戦闘の教本で習う事だわ……』

 

 自分で言っていても信じられないという顔の彼女の額には未だ磯の臭いと纏わり付くような通路の湿気で汗が浮いていた。

 

『それで内部の詳しい状況は?』

 

 クリストファーの言葉にアンジェラが次々に内部情報を引っこ抜いては張り出していく。

 

 このドックは中央地下のターミナルと呼ばれる円柱状の基地機能の入ったビルのような建物の周囲を油圧式の区画を移動させるリングが取り巻くという構造になっているらしい。

 

 その構造上、完全にゾンビで汚染された区画があるとしても、繋がっていない区画は無事。

 

 更に一つの区画とターミナルが繋がっている間は他の区画とは繋がれない仕様らしく、次々にゾンビに汚染される事も無い。

 

 だが、何らかの方法でターミナルと整備区画が汚染されてソレを自動で通報するはずのシステムがダウンしたまま内部の機能がゾンビの流出を防ぐ為に自動で休眠。

 

 結果として彼らが来るまで全区画が完全に封鎖されていた、という事らしかった。

 

『最後の施設稼働日のファイルを開くわ』

 

 アンジェラが警備システム内の映像ファイルを次々に開く。

 

 最後に施設の潜水艦が出発した日付けを見て、彼女が固まった。

 

『これ2日前みたい!?』

 

『何?! つまり、我々が甲板で戦闘していた頃か!?』

 

 袴田がもし自分達が二日前に辿り着いていれば、という言葉こそ呑み込んだが、悔しそうに唇を噛んで映像を目に焼き付けようと前を向く。

 

『発進直前の映像ファイルの時間とシステムダウン直前のシステム内の非常コードの発令が殆ど同時だわ……コードの処理内容は……ゾンビ化した船員を確認。ただちに政府へ通報? いえ、違う……通報が……不能になってる?! どういう事!? それじゃあ、海底ケーブルが壊されてるって事に……』

 

 彼女の言葉にゴクリとユウタが唾を呑み込み。

 

 クリストファーが最悪の事態かと片手を頭に当てて目を瞑って天を仰ぐ。

 

『ええと、海底ケーブルの破損を確認。この施設、電波は傍受の可能性を考えて一切遮断してるみたい……これじゃ応援を呼ぶ事も出来ない……』

 

『万事休すか』

 

 袴田が拳をギリリと握り締めた。

 

『いえ、まだです』

 

 その言葉に四人が今まで黙っていたヒューリを見つめる。

 

『ベルさんなら破断したケーブルを修復する事が出来るかもしれません。それにゾンビ汚染されているならば、我々で制圧すれば、ターミナルの復旧は可能。ベルさんと私とハルティーナさんがいれば、恐らく整備区画にいる“ナニカ”もどうにかなるでしょう。とにかく今はターミナルの制圧と復旧を急ぎましょう。皆さんの力を貸して下さい』

 

『ヒューリア……』

 

『ヒューリアちゃん……そ、そっすね!! オレ達には善導騎士団が付いてるんですよね!!』

 

『分かった。騎士ヒューリア。外の化け物の事もある。我々に後が無い以上、やってやれない事は無い。まずは敵が何なのかを知ろう。全てはそれからだ』

 

『ボクも歳食ったかな……その通りだ。騎士ヒューリア』

 

 全員が頷き。

 

 アンジェラが異常が起きた時点での映像情報と緊急コードの発令の順番を時系列順に整理した。

 

 すると、映像内部では一隻の潜水艦が内部に入って来るのが確認された。

 

『………この潜水艦おかしくないですか?』

 

『え?』

 

 最初に気付いたのはヒューリだ。

 

 彼女が入港し、巨大な排水装置で水が抜かれていく区画内の潜水艦底部を指差す。

 

 艦を固定する為に下から迫上がって来る巨大な固定用の底を模ったような板の群れが途中で微妙に船底へ付いていなかった。

 

 だが、浮いている潜水艦が存在するはずもない。

 

 更に僅かな入港中の映像で艦の船主で一瞬だけ黄色く丸いものが映り込んだ。

 

 最初こそ目の錯覚かと思った四人だったが、アンジェラが一瞬だけ超スローで映像を確認した時、ゾワリと全員の鳥肌が立った。

 

 目だ。

 

 艦首の部位に黄色い目が一つ映っていた。

 

『……蛸や烏賊ってそう言えば、擬態するって読んだ事があるんですけど』

 

 ヒューリが昔見た七教会制の海洋生物図鑑を思い出してポツリと呟く。

 

『まさか?!! あの戦闘で出てきたようなZ化した巨大なヤツが船に張り付いて隠れて入って来たのか!? それも潜水艦の自重に耐える程のッ?!!』

 

 袴田がその船底に憑いている敵の全体像を想像して渋い顔をした。

 

『我が国のそうりゅう型一隻の自重で潰れない強度を誇る敵か……整備区画と隣接時に入り込み、艦は見逃した? 破壊したのではないのか……』

 

『どうやら、その答えの映像ファイルがコレね』

 

 ターミナル内に悲鳴が上がる。

 

『……何だコレ!? 艦の船員が基地の人間を襲って……?!』

 

 ユウタが口元を手で覆う。

 

 潜水艦の船員がターミナルに入ったと思ったらいきなり銃で基地の人間を攻撃し始めた。

 

 だが、すぐに反撃した自衛官達だったが、今度は見えない何かによって次々に顔や腕を血潮で染めていく。

 

 だが、問題はそこからだ。

 

『ひッ?!! こ、これ蛸!?』

 

 敵クルーに制圧されたターミナルの一区画内。

 死体だらけのそこで初めてソレが姿を顕した。

 

 ソレは潜水艦の船員の頭部に張り付いていた赤黒い蛸のような生き物だった。

 

 ような、というのはその大きさが30cm程にも関わらず、数mの脚にビッシリと乱杭歯がまるでバナナのように生えていたからである。

 

 ソレもまた細胞の一部らしく消えていたのだが、姿を顕した蛸達は潜水艦の搭乗員達の頭部から離れる時、ズリョッと口のある場所から生えた無数の細い棘を頭蓋の剥き出しとなった頭部の穴から引き抜いて、新鮮な死体の頭部へと乗り換えていく。

 

『ぅ……ッ?!!?』

 

 ユウタが口元を押さえた。

 

 自分が何を口にしていたのかを思い出したからであった。

 

 が、それは袴田も同じだった。

 

『シィィット!! デビル・フィッシュ!!! 奴ら人間の脳髄を乗っ取って?!』

 

 さすがにクリストファーも取り乱した様子で拳を握っていた。

 

 自衛官と米兵らしい者達が見えざる敵との戦闘で次々に撤退を余儀なくされ、それでも汚染された潜水艦を何とか整備区画へと隔離しようと尽力する。

 

 しかし、潜水艦は蛸に操られた自衛官達によって再びの出航プロセスへと入り。

 

 彼らは最後の手だとばかりに区画内部へと殴り込んで次々に潜水艦を破壊しようと小銃を掃射。

 

 しかし、ソレはすぐに血の染みとなった。

 理由は単純だ。

 潜水艦に張り付いていたヤツが姿を顕したからだ。

 

 300mは無いが、少なくとも150m級の【リヴァイアサン】とは違った凶悪化した蛸のような赤と七色の原色を纏うソレは小さな無色の蛸と同じ形をしていた。

 

 だが、本体が直接潜水艦のある区画から連結されていた整備区画へ移動した瞬間。

 

 隔壁が落ち、本体は整備区画内部へと隔離。

 

 脚は動いてその区画内を破壊していたが、再びの出航する潜水艦に張り付いたかと思うと再び消えてしまった。

 

 恐らくは潜水艦が銃弾で傷付いた部分を補強したのだ。

 

 蛸に乗っ取られた自衛官達の一部は再び潜水艦に乗っていた。

 

『……これで全てよ。恐らく、ケーブルはあの蛸の子供に齧り取られたんでしょうね。あの乱杭歯なら破壊出来たっておかしくない。でも、危なかったわね。このままハッチを開けてたら……私達全員』

 

 アンジェラが脳髄を蛸に乗っ取られた自分を想像して震えた。

 

『分かりました。アンジェラさん。私だけを行かせて下さい』

 

『正気なの?』

 

『はい。このハッチ内は空中も壁も全て魔術で解析が終了してます。内部には確実にあの蛸はいません。ハッチ周囲も同様です。私が先行して蛸を全て掃討します』

 

『一人でか?』

 

 袴田にヒューリが頷く。

 

『皆さんは時間が掛かるでしょうが、此処で待機を……ターミナルを全て解放後、アンジェラさんはこの場でターミナルの操作をお願いします。外への連絡は使い魔で行って、艦を汚染されていない区画内に迎えて隔離。ベルさんを助けてから、汚染された区画を掃除してソレと整備区画を連結。敵を倒してから出発した潜水艦を追いましょう』

 

『だが、もう二日前に出向済みだ。もう本土に到達していてもおかしくない』

 

 袴田にヒューリが頷く。

 

『そうかもしれません。でも、蛸がどれくらいの知能があるかにもよりますが、まともな操艦が出来るとは思えません。だって、それなら最初から日本本土に上陸していれば良かったはずです。基地の隊員が怪しんでいなかったという事は予定通りに此処へ辿り着いていたはず……ならば、今回も予定通りの航路を進むのでは?』

 

『確かに……』

 

『あの潜水艦を追跡するシステム。もしくは予定航路は分かりますか?』

 

『ちょっと待って』

 

 アンジェラがすぐに予定航路を探し出して表示する。

 

『どうやら本土近海を回った後に……東京へ向かうみたい』

 

『トウキョウ?』

 

『マズイ。我が国の首都だぞ!? そんなところに透明な蛸なんぞが侵入したらッ!?』

 

 袴田が航路図を見て、唇を噛む。

 

『―――5日だ。航路図では5日の日程になっているが……此処を出たのが二日前。つまり、もし奴らが複雑な操艦が出来ないと仮定しても、脳髄を乗っ取りで普通に入港するとしても残り3日という事になる……そうか!? 東京湾!! 8月15日……東京アクアラインと東京湾全域で観艦式が有る!!』

 

 袴田が何てこったと頭を抱えた。

 

『観艦式……それって船を一杯集めてパレードするって事ですよね?』

 

『ああ、もう旧式になった艦が幾らかあって、終戦記念日に日米の結束をアピールすると日米政府が合同で企画していたんだ。その中に一隻だけ現役の潜水艦を混ぜるという話だった』

 

『……つまり、残り3日で彼らは人々が集まる場所に到達する。それまでに相手を撃沈しなければ、我々の負け。日本は東京をZ化した見えない蛸に襲われる、と』

 

『冗談にしても笑えない。4月1日はとっくの昔に過ぎてるだろう……』

 

 袴田の絶望的な状況を知っての呟きに誰もが分かっていた。

 

 残り実質的に2日で少年を救い、巨大な100m以上の化け物を倒して、その子供が載った潜水艦を止めて透明な蛸を処分しなければ、彼らは帰る場所どころか。

 

 人類絶滅へのカウントダウンを見届ける嵌めになるのだ。

 

 日本と米国。

 

 それはこの世界で未だ人々に先端兵器を生産し、輸出している国家に他ならない。

 

 その援助が無ければ、殆どの国家はゾンビを前にして戦う事すら不可能になる。

 

『分かりました。状況は全て……戦いましょう。我々に出来る事はそれだけです』

 

 四人の視線が全員に向けられた笑みに注がれる。

 

『アンジェラさん。魔力式の通信術式をマスクに込めておきます。誘導と内部の状況の解説を。ユウタさんはこの施設の油圧式の機械に付いて出来る限り詳しく調べて下さい。詳細なデータがあれば、巨大な敵相手にも優位な作戦が立てられるかもしれません。クリストファーさんは皆さんの警護を。袴田さんは潜水艦の現状の位置や海流の状況から逸早く追い付ける航路を探して下さい。騎士を相手にする覚悟さえあるなら、私達は戦えます……ですから……』

 

『分かったっす。この基地のデータを洗い浚い必ず!!』

 

『任せておけ。彼らはボクが護る!!』

 

『OK。デンジャラス・ガール……絶対生きてあの子の下に返してあげる!!』

 

『出来るかどうかは分からんが、オレとて海の男だ。日本人として最後まで投げ出しはせんさ!!』

 

『……状況を開始しましょう』

 

 ヒューリの笑みに全員が太々しい笑みで頷いた。

 

 未だ笑えている。

 それこそが戦いに勝利する第一条件。

 嘗て、父に祖父に聞いた戦場での流儀。

 いつも強敵は笑っていたと彼らは語る。

 

 まだ世界はゾンビのものではないと彼らは確かに抵抗する者の一人としてその手を握ったのだった。

 

 *

 

「次の曲がり角の先に動体反応5!! 頭部に蛸は確認出来ず!! 通路内の隔壁をロックするわ!!」

 

 少女が走り抜け様に背後の扉が、彼女が制圧して魔術で確認した区画が閉じられていく音を聞きながら、真正面の自衛官の死体に向けて発砲。

 

 即座に頭部を破壊し、更にその上に向けて動体誘導弾を魔術で制御して視線誘導弾のようにして見えざる蛸の頭をブチ抜く。

 

―――ギジャアアアアアアアアアアアアア?!!

 

 絶命の断末魔を上げる蛸は頭部から跳び下がるまでもなく。

 

 次々に神経中枢を破壊されてボタボタと床に落ち、少女が走り抜ける間に魔術で操作された熱量の集束を受けて沸騰して茹蛸になり、香ばしい匂いを上げて丸まる。

 

 魔力の純粋熱量への転化は多くの魔術にとっては基礎の基礎だ。

 

 巨大な魔力を今や肉体に馴染ませた姫騎士の周囲はそれだけで猛烈な熱波に覆われ、打ち抜いて破壊した蛸、物陰に隠れていた蛸、更にはアンブッシュを仕掛けて来る蛸などを次々に茹で上げて無力化していた。

 

 消火装置は予め切っている為、蛸達に逃げる場所も隠れる場所もない。

 

 ついでに能力が擬態である以上は彼らは細胞でソレを行っている。

 

 細胞を攻撃する熱波を前にしては擬態が緩んで狙いも付け易くなっていた。

 

『残り区画は!?』

 

『12ブロック!! このままのペースなら夜の3時までにはどうにかなるわ!! ダクトに逃げ込んだ個体も今限界ギリギリまで空調を熱風にしてるから、熱量が籠ったダクト内の金属の温度で焼け死ぬよりは外に出て来るはず……頑張って!!』

 

『はい!!』

 

 今現在、午後11時。

 あれから数時間。

 ずっと少女は蛸の掃討を続けていた。

 

 見えなくなる敵への対処方法は彼女自身が考えた代物だ。

 

 例え、凶悪化していても、元は蛸なのだ。

 生物としての限界があるのは明白。

 ならば、戦いようはある。

 そう考えた彼女の方法論は正しく。

 

 ターミナル全12層をノンストップで掃討し続けた結果、残る区画は最下層の2層のみとなっていた。

 

 もう使い魔は外部へ続くハッチに注水してから複数体を海中へ放出済み。

 

 敵に悟られぬよう、静かに素早くもう潜水艦側と接触しているはずであったが、未だ応答は無かった。海中でもしかしたら戦闘でもしているのかもしれず。

 

 あるいは使い魔が何処かで海獣類に捕捉されているのかもしれず。

 

 だが、長距離では自動で動かす術式以外は作用させられず。

 

 彼女はただ信じて己の役目を果たすのみだった。

 

『ヒューリアちゃん。重要な事が分かったっす。何も言わずに聞いててくれれば。この基地の区画構造は話したと思うんだけど、どうやら油圧そのもので区画の強度も増してるみたいっす』

 

 蛸を帯剣で一閃。

 

 燃え散らせた彼女が天井やデスク、通路のダクトから次々に湧き出す蛸を斬っては捨て斬っては捨てしながら、その声に耳を傾ける。

 

『油圧系統は分厚い外殻に覆われてて、外部からじゃ15mのコンクリをブチ破らなきゃ破壊出来ないみたいっす。非常時は区画内部にZを閉じ込める関係でちょっとやそっとの威力の爆弾や銃弾じゃ傷一つ付かない硬度になるとか』

 

『残り11ブロック!!』

 

『汚染区画と隣り合った整備区画は非常事態用のボタンで封鎖されて、油圧式で区画の外からの圧力を受けてるから、恐らく……この隔壁の分厚さから考えて、150mm口径の砲弾でも数十発は耐えられると思うっす』

 

 その間にも駆け抜ける彼女の背後には次々に蛸の丸まった死体が増えていく。

 

『これらの技術の殆どが米国政府からの技術供与だったって資料には書かれれてて、戦線都市由来とか……ああ、コレだコレ。最後に一番重要な機能がこの基地には備わってて、地下の新型レーザー核融合炉からの電力を使えば、ターミナルから切り離した区画を専用の焼却設備に連結する事で内部のものを全部封じ込めたまま焼き殺せるって……』

 

『本当ですか?』

 

 思わず彼女が聞き返す。

 

『設備自体は完備されてたらしいっすけど、恐らく見えない蛸にターミナルを制圧されたせいで発動出来なかったんじゃないかと』

 

『ユウタさん。ありがとうございます』

 

『いや、そんな……ただ、この話には続きがあって、区画外壁と油圧系統の外にある炸薬ボルトを起爆して、区画とターミナルを連結しているシャフトの一部を折らなきゃいけないんすけど、ケーブルが断線してるらしくて……内壁に備え付けられた手動式のレバーで直接起爆するしかないみたいなんす』

 

『つまり?』

 

『分かり易く言うと区画が丸い輪に紐で括り付けられたボールで、その紐を切ると最下層までボールが転がっていって、焼却炉に直付けされて内部が蒸し焼きって感じっすかね?』

 

『分かりました。ユウタさんのおかげで大きい敵にも何とか対処出来そうです』

 

『い、いいんすよ。一番、大人として戦わなきゃいけないのにヒューリアちゃんにおんぶにだっこで恥ずかしいくらいなんすから』

 

 そんな事を話し、順調に彼らがターミナルを制圧している時だった。

 

『トンネル付近に大規模な物体を感知!! これはタイフーン級だ!!』

 

 クリストファーの声と同時にアンジェラが状況を説明し始めた。

 

『ちょっと待って!? タイフーン級の速度がオカシイわよ!? こんなスピードじゃ基地に突っ込むわ!?』

 

 そうは言われても彼女にはどうしようもない。

 ナニカが起きた。

 そうとしか思えなかった。

 

『水中カメラを映像出力……何コレ?!! 船首で誰か戦ってる?!! これって!!?』

 

 一瞬、もしかしたら蛸の残存勢力とハルティーナが戦っているのではと考えた彼女だったが、次の声でその考えは払拭された。

 

『ヒューリちゃんに似てる金髪のぜ、全裸の半透明女が蛸と戦ってる!?』

 

『リスティアさん?!!』

『だ、誰?!』

『潜水艦を減速出来ないんですか!?』

『む、無理よ!? そんな機能このトンネルに無いわ!?』

 

 彼女の声の後。

 

『各員衝撃に備えて!? 残り20秒!!』

 

 ヒューリは蛸に掛かり切りでそれどころではなかった。

 しかし、アンジェラの声が残り1秒を告げた時。

 

『か、艦首の激突を回避!? いきなり艦が止まった?!! 慣性を無視して!?』

 

(慣性制御術式……今のリスティアさんの状態でも使えた? まさか……ッ)

 

 嫌な予感に震えながらも少女は蛸を斬り捨てる任務を継続する。

 

『どうするの!! 騎士ヒューリア!! 化け物は今見えないかもしれないけれど、区画を閉鎖して排水するの!!?』

 

『確かめましょう。区画内への情報の伝達は出来ますか!!』

 

『大丈夫よ!! スピーカーは無いけど、艦を支える床の支柱は自在に形を変えられるの!! 船体検査用の装置がスピーカー代わりになるわ!!』

 

『分かりました!! 今の状況を艦外に人が出て来たら、逸早く教えてあげて下さい!! それと透明な蛸の事も!!』

 

『了解!!』

 

 その時だった。

 ザリッとヒューリの脳裏にチャンネルが繋がる。

 

『お~生きておったか。小娘』

 

『リスティア様。艦外や区画内に見えない蛸が取り付いている可能性があります。安全が確認出来るまで外に出ないようハルティーナさんを通して船の人達に教えて上げて下さい』

 

『ああ、あの珍味共か。大丈夫じゃ。全て剥がして駆除して来た。生き残っておるのはおらんよ。この空間内にもな』

 

『本当ですか?』

『うむ。ワシはこれでも強いのじゃ!!』

『……ええと、ハルティーナさんは?』

 

『艦外に出て化け物を倒すと言って訊かんかったから、それよりはワシが戦えるようにした方が安全じゃと説いて、今ワシの入っておるミスリルをタコ殴り中じゃ』

 

『ベルさんから聞きましたけど、魔力を?』

 

『うむ。本来は一回供給させたら恐らく枯渇して目でも回すかと思っておったが、どうして中々良い魔力を持っておる。まぁ、艦内の連中にはいきなり奇妙な正方形金属物体を殴り始めたオカシな子として可哀そうな目で見られておるわけじゃが……』

 

『ちょ?! どうにか説明して上げて下さい!? これは魔力を産む儀式なんですって!!』

 

『ワシが出ていくとややこしい事になるじゃろ? 取り敢えず、お主が戻って来て説明しやれ』

 

『こっちはこっちで忙しいんですよ!?』

『ちなみにさっきのはワシの魔術ではない』

『―――?!』

 

『悪いが、後8時間が限度じゃ。それ以上はおのこの身体が持つまい』

 

『分かりました!!! すぐに行くから準備をしておいて下さい!! 準備出来てるんですよね!? 出来てなかったら、出来るまでやらせますよ!?』

 

 思わず怒鳴ったヒューリに声の先の主は肩を竦める。

 

『出来ておるとも……だが、衆人環視の中でやるわけにもゆくまい? まずは艦から人を降ろして儀式の準備じゃ』

 

 彼女のやる気はフルスロットル。

 

 休む事も十分に考えれば、もう儀式までの時間は殆ど無かった。


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