ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第70話「霧の島より」

 島民は全疎開。

 街は放棄。

 

 そして10年以上の月日が過ぎているというのは確かな話だったらしく。

 

 島内に入った事のある海自の隊員。

 

 50代の男は湊の波止場から仲間達を浮上した半透明の膜の上から引っ張り上げ、少女を最後に迎えた後、彼らへ最初に暗記させていた地図の何処に此処が当たるのかを教えていた。

 

『騎士ヒューリア。此処から当初の予定通り東周りの道路で向かおう。建設に4年掛かった当時、この島に出入りしていた業者が敷いた新しい道がある。西回りの道路は近年崩れたと聞いている』

 

『分かりました。まずは付近の建物に隠れながら道路に出ましょう』

 

『此処には事前に話した通り、ゾンビはいないはずだ。流れ着くまでゾンビも魚に喰われているだろう。そこまで警戒する必要はあるのか?』

 

『普通の生物ならそうでしょう。ですが、【リヴァイアサン】のような常識では測れない怪物が小型で闊歩していないとは言い切れません。実際、陸上で新しい脅威が次々に投入されていました』

 

『……新しい脅威? それに投入?』

 

『恐らく、【黙示録の四騎士(アルマゲスター)】の所属組織が新規のゾンビを製造して投入していると我々騎士団は見ていました』

 

―――?!!

 

 その言葉に殆どの隊員達が固まる。

 

『今現在、この世界には海洋国家しか存在していないとも聞きます。ならば、彼らが大陸の陸上に残る人類以外を攻撃する時に使うのは恐らく……』

 

『強襲揚陸を可能とする戦力。上陸戦力となるゾンビが存在する、と?』

 

 大きくヒューリが頷いた。

 

 全部、フィクシーとベルが色々と話し込んでいた時に横から聞き齧った話だったが、今のところ海の戦力だけでも恐ろしい事になっていたのは間違いなく。

 

 片時たりとも気が抜けるものではない。

 それが誰にも伝わったのか。

 彼らも最後にはヒューリの提案に頷いた。

 

『行動を開始しましょう。先導はお任せします』

 

 先程の自衛官の男。

 50代の相手が彼女に手を差し出す。

 腕は毛に覆われ、鬼めいた厳つい顔と日に焼けた皮膚。

 小柄ながらも血管の浮き出た体付きは強靭だろう。

 

『海自の袴田直彦(はかまだ・なおひこ)一曹だ』

 

『ここ最近の島の様子を知るのは貴方だけです。よろしくお願いします。袴田一曹』

 

 堅く握手した彼の扇動で家々の合間を縫うようにして一目に付かないルートを足音が駆け抜けていく。

 

 島内の家々は今や海風で腐食する戸板や蜘蛛の巣が掛かった状態。

 

 中には窓が割れて内部まで吹き込み。

 完全に廃屋の様相を呈した場所も多かった。

 しかし、それでもいつか帰って来るとの思いからか。

 

 窓に板が打ち付けられて風雨から護るように工事をした様子が伺える家もちらほらとあった。

 

 まだ10年程しか立っていないという事もあり、完全な廃墟というよりはゴースト・タウンの風情。

 

 まだ生き物以外ならば、沢山いそうというのが彼らの第一印象だろう。

 

 海辺を抜けて道路に出るまではそう掛からなかった。

 

 しかし、そこからはそれなりに長い道のりになる事は当初から言われていた通り、如何に通常よりも極めて軽量な装備に身を纏っていてもマガジン分の重さも加わって、魔術で筋力と体力をブーストされていたとしても、蒸し暑さと微温湯めいた海風は彼らの体力を容赦なく奪う。

 

 爽やかさの欠片もない霧は未だ朝食時の時間帯だというのに晴れておらず。

 

 彼らの視界を20m程先までに制限していた。

 

『隊列を崩さぬよう。常に固まって動いて下さい。私がサポート出来るのは咄嗟だと半径5m圏内までが限度です。互いの距離には注意を!!』

 

 少女の号令の下。

 

 彼らは無言ではなく。数分毎に互いの名前を呼びながら道路を速足に歩き続ける。

 

『騎士ヒューリア。予め訊ねておきたいのだが……』

『何でしょうか? 袴田一曹』

 

 唐突、と言うべきではないだろう。

 

 彼らの中で唯一、袴田は彼女に対して最初から何かを言おうとしていた。

 

『君の魔法はどれくらいの間、連続で使用する事が出来るものなのかね?』

 

『……どれくらいの規模になるかや、構成の複雑さによります』

 

『いや、君が有能なのは分かっている。だが、君にコレを訊ねるのは君がこのチームの中で最も重要かつ生還率が高い人物であると同時にゾンビ化した場合の対処方法が有るのかどうかを知る為だ。気分を悪くしないでくれ、というのは難しいだろうが最悪を想定しておかなければならない』

 

 さすがに思ってみなかった言葉だった。

 

 しかし、すぐにソレが此処では現実なのだとヒューリも理解する。

 

『まだ、私達のような魔法が使える人物のゾンビにはお目に掛かった事がありません。ただ、魔力で肉体を強化するだけならば、強化の度合いにも拠りますが、数倍程度ならばずっと使い続ける事が出来ると思います』

 

『数倍でずっと、か……』

 

『はい。ずっと、です。肉体のあらゆる能力を個別に上げるのはゾンビ化した後の思考では不可能だと思いますが、純粋な魔力による強化ならば、ずっと……』

 

『分かった。つまり、君を失う事は我々の死を意味するのか』

 

『……はい』

 

『では、目的に辿り着くまでに各員が優先すべきは必ず君を含めた2人以上を基地に届ける事、となるのだろうな……』

 

 ヒューリはそれに同意はしない。

 

 しかし、自分がゾンビになってしまったら、という事を今更に考えれば、この部隊のみならず、少年のいる艦すらも全滅する可能性が非常に高いと理解する。

 

『い、いやぁ、自衛官の方は分かっていても言えない事をズバリ言ってくれましたね』

 

『あはは。ホントホント、彼女が死ねば、私達は全滅。逆に言えば、彼女が生きている内はかなり生存率が高いって事じゃない』

 

『生きて帰りましょう。皆さん』

 

 次々に今まで黙り込んでいた彼らが喋り出したのを見て、ヒューリもまたどう接していいのか分からなかったのだろうかと人間の難しさを……大陸でも変わらぬ普遍的な事を思う。

 

 自己紹介が英語で為される。

 袴田はどうやら妻が米国人だったらしく。

 それにしっかりと加わっていた。

 他の3名は米国人二人に日本人が一人だ。

 30代のアンジェラ。

 40代のクリストファー。

 20代のユウタ。

 と、其々に名乗り。

 

 アンジェラは爆発物と電子機器の操作技能。

 

 クリストファーがレンジャー技能。

 

 ユウタは船の機関士技能。

 

 袴田は航海士らしかったが、操艦も出来るとの事。

 

 全員が静かに笑みを浮かべながら進む様は彼らにしてみれば、楽しいハイキング。

 

 もし実際に全員が銃などではなく弁当でも持っていれば、異世界人を加えて話は夜までも尽きる事は無かっただろう。

 

 会話をする事は安全確認の意味もある。

 

 それに含めて自然に自分の事を話そうという流れになったのは自然なものだった。

 

 アンジェラは元々がネバダに暮らす普通のティーンエイジャーだったが、日本に留学している時にゾンビの大発生が起き、故郷に戻って志願兵となった。

 

『いやぁ~その時のSNSでつるんでた子が日本人でね』

 

 しかし、彼女が日本語を話せるという理由から後方勤務が続き、転戦する内にハワイへの勤務になり、家族の為にと勤務し続けている内に日米の艦内での通訳を任される立場となり、今に至っているとの事。

 

『通訳って仕事。案外苦労するのよ。だって、ファッキン・ジャップとか小さく愚痴垂れる馬鹿な連中の話をそのまま通訳してたら、難民絶対お断りだったもん。日米の友好はアタシが保ってたわけ』

 

 クリストファーは元々がハワイ出身で母方の曽祖父に日本人がいた日系。

 

『ボクは故郷が護りたかった。それだけだったんだ』

 

 軍に志願後に米本土から上陸してくるゾンビを想定しての訓練に明け暮れ、レンジャー隊員となり、本土の激戦の合間も唯々東を見続ける日々を送ったとの話。

 

『でも、此処でこうしてていのかとずっと思ってた』

 

 多くの要人などの護衛にも携わった為、日本行を打診されたが、故郷を護って死のうと決めた。

 

 が、ヒューリのおかげで死に損ねたと彼女に感謝を告げる。

 

『本土の軍人達みたいに戦うべきだったのかもしれないとは思ってたんだ……でも、ボクには意気地が無かった……』

 

 次の話はユウタだった。

 

 彼は海自に入ったのが18の時で促成教育を受けて、海に駆り出されたとの事だが、兵士としての適正よりも機械弄りの方が上手かったらしく。

 

『いやぁ、家のじいちゃんの影響かな。工場やってたんで』

 

 護衛艦の機関士になって以降は家族に心配されながらも何とかとの事。

 

『機械はパーツさえあれば直せるけど、人間は完全に壊れたら治せやしない。ホント、ヒューリアちゃんには頭が下がる思いっすよ』

 

 袴田は元々が漁師の家系だったと話したが、近年は息子達に言われて、自衛官を退職するかどうかを考えていたのだと彼らに語った。

 

『網元だったんだが、家業は親父から息子達が継いだ。海もすっかり変わっちまったし、息子達なんかはオレよりも現状の悲惨さがよく分かってるんだろう。当時は網に死体が毎日掛かってたって話で次々に仲間が止めていったそうだ』

 

 全員に全員の人生がある。

 少女もまたそれは同じ。

 

 元々、あちらの王家の出だと言えば、誰もが驚いていた。

 

『王家と言っても、もう実権もありませんし、象徴的なものだったので……』

 

 それを取り返そう。

 

 いや、それよりも純粋に王家による実権を民主政権下で取り戻そうと南部の帝国の傘下に入ろうとしたというのが彼女の家の事情だ。

 

 さすがにそこまでは言わなかったものの。

 

 一国の元お姫様が騎士団に入っているのを何か事情があるのだろうと踏んだユウタ以外の3人はただ頷くだけだった。

 

『姫騎士?! いやぁ、さすが異世界!! そういうのがスタンダードなんすか?』

 

『我々の大陸では様々な理由から上に立つ者に求められるのはまず力です。ただ、内政が上手いだけでは生き残れず。実際に戦場で戦い、功績を上げ、その上で政に秀でた人々が上に立つ事が多かったですから』

 

『それは我々の世界と然程変わらないのか』

 

 袴田の言葉にヒューリが頷く。

 

『この世界と違うのは個人の資質が魔術や家系の血筋に宿る力、魔力形質、魔術具などの要素として引き継がれていく事です』

 

『どのような個人でもある程度は力を示す事が出来た、と?』

 

『ええ、彼らは為政者であると同時に最前線の軍団を指揮し、同時にまた殆どの場合は強大な力を持った個人でもありました。時代が過ぎ去って以降も種族や家毎の資質が強く出た人物達は傑物が多く、引き継がれた力を強固にしていた』

 

『はぁ~~ファンタジーっすねぇ……』

 

 ユウタが感心したように声を上げる。

 

『無論、衰退した家もありましたが、現代でも多くの家々は力そのものは維持している場合が多いんです。ただ、それよりも更に強大な力を得た存在のおかげで全てが陳腐化しました』

 

『強大な力? 現代国家の軍隊的なもの、でしょうか?』

 

 クリストファーにヒューリが首を横に振る。

 

『我々の大陸において最大の宗教は教会と呼ばれていました。そして、その教会に7人の聖女が現れた。彼女達は世界で恐らく“たった一人の例外”を除いて最強の超越者。強大な力を持ち、星すら滅ぼす超高位魔族や各種族の頂点存在達、主神達すらも凌駕する絶対者でした』

 

 星すら滅ぼす魔族。

 神すら凌ぐ聖女。

 

 その言葉に彼らの瞳が微妙に胡乱となる。

 

 それが事実ならば、彼らの世界と異世界の差など言うまでもない。

 

 だが、虚言を弄しているようにも見えない。

 

 だから、彼らはその情報に対して聞かれぬ限りは話さなくてよい話として己の中に沈めて置く事とする。

 

『つまり、その世界宗教の偉い7人の聖女様がその強大な力とやらなの? 騎士ヒューリア』

 

 アンジェラが首を緩く振る。

 

『いいえ、彼女達の非凡さは力の強さもありましたが、世界を変革する程の技術、道徳、組織や国家を造る手腕やカリスマにありました』

 

『カリスマ……独裁者のような?』

 

『いいえ、彼女達はある意味では独裁者の上を征くでしょう。この世にもしも多くの国民や人々に心の底から愛され、畏れられ、敬われ、信仰され、命を掛けても護りたいと思われている独裁者がいるとすれば、それは彼女達ですから』

 

 四人がそこまで完璧な人間がいるのか、と。

 脳裏で適当に聖女像を想像した。

 

『大陸中央諸国。私が来た文化の中心地で彼女達は神をも超える軍隊を育て保有し使い始めた。実際、大陸に蔓延るあらゆる戦争はほぼ撲滅され、悪徳の多くが合理的に滅ぼされ、悪神、邪神の類は淘汰され、人を虐げる社会システム、種族、悪行……物、人、事は彼らが操る経済、軍事、政治、道徳の前に正論で衰滅させられ、呑み込まれた……』

 

 嘘、大げさ、紛らわしいのならば、良かった話であろうが、生憎とヒューリの瞳は極めて真面目だ。

 

『最後にはそういった人々すらも改心させ、自らの勢力としていった事で教会は世界最大の軍事力を持つ組織でありながら、国家に所属せず、それどころか国家を守護する地位に付き、中央諸国のスタンダードを造り上げた。もはや宗教というよりは社会通念の創始者と言えるでしょう』

 

 ヒューリの語る言葉は淡々としていたが、それ故に真実味を増させていた。

 

『と言っている間にもどうやら問題が発生したみたいですね』

 

『ああ、そのようだ』

 

 袴田がヒューリアの前で手を翳して止める。

 現在、時刻11時。

 

 結構な時間歩いていたはずだったが、霧はまだ収まらず。

 

 薄らとその先の道が崩れているのが確認出来た。

 

『土砂崩れだな……巨大な台風がよく直撃していたせいだろう』

 

 海沿いの直線が山間からの土砂で埋まっており、40m以上に渡って道は塞がったままだった。

 

『魔術で土砂の上を走れるようにします。全員で駆け抜けましょう』

 

『サ、サラッと力技っすね』

 

 ユウタの声に肩が竦められる。

 

『その為の魔術ですから』

 

―――3分後。

 

 確かに土砂に脚を取られる事なく靴底に小さな魔術方陣を張り付けた彼らは全員が40mを走破し、その先に着地する事に成功していた。

 

『では、進みま―――』

 

 ヒューリが出発しようと声を上げた時、ふと止まる。

 

『どうかしましたか? ヒューリさん』

 

 クリストファーにも応えず。

 

 数秒後、島に響き渡るような何か甲高い野鳥や劈く雄叫びにも似た絶叫。

 

 そう、生物の声が響いた。

 

『『『『?!!』』』』

 

 今までに聞いた事の無い音にヒューリ以外の全員が硬直する。

 

『ま、まさか、この島ってZ化した獣が住んでるの!?』

 

 思わずアンジェラが腰の拳銃に手を掛ける。

 

『いや、獣だとは思えない。島に響く程の声量が出せる生物など存在しない。恐らく……【リヴァイアサン】のような普通ではない生物だろう』

 

 袴田が声のした方を睨みながらクリストファーにアンジェラとユウタの前に付くよう指示する。

 

『とにかく、補足されていない今の内に回り込みましょう。海を渡れば、どうしても海獣類との戦闘になる危険性が高まります。この中で一番遅いのは?』

 

 ヒューリの声にユウタが手を上げる。

 

『オ、オレっす』

 

『では、ユウタさんの速度に合わせて此処からは静かに素早く行きましょう。皆さんの脚に魔術を掛けます。防護用の方陣も強化を……移動中に致命傷を受けても3度程度ならどうにかなります』

 

 次々に少女が四人のスーツの致命傷となる部位に触れていく。

 

『では、最後に見えませんが、魔術の綱を……これが切れる時は皆さんの命が失われた時だけです。慌てず、静かに行動開始です』

 

 彼ら五人が頷き合い。

 

 そのまま速足で速度を増して道路を進み始めた。

 

 一時間後。

 

 彼らが渡った土砂で崩れた海岸線沿いの道路の上を何かが脚で歩いていた。

 

 遮られた陽光の下。

 

 青紫色の輝きが薄く霧の中で鬼火のように揺らいでいる。

 

 だが、問題なのはその脚の数だ。

 カシャカシャと連鎖する足音。

 

 そして、カシャカシャはやがてガシャガシャへと変わり、最後には土砂を削る重機を多重に動かしているような音となって通り過ぎていった。

 

 *

 

 彼らが霧の中、ようやく目的地に辿り着いた時。

 既に日は暮れ掛けていた。

 何故か?

 

 霧の中、迷うはずの無い一本道のあちこちが土砂で崩れていたのはいい。

 

 それよりも問題だったのは霧そのものの効力が歩くに連れて明らかになった事で間違いない。

 

『まさか、距離感と方向感覚を狂わせる霧とは……もし君がいなければ、我々は知らぬ間に迷いながら化け物の餌食になっていたかもしれない』

 

『うぅ、ありがとうっす。ヒューリアちゃん』

『騎士ヒューリア。君の機転に感謝を』

『ホントよね。普通はどうしようもないんでしょうし』

 

 四人に感謝されながらも少女は首を横に振った。

 

『いえ、魔力での僅かな通信すら遮断されている手前、危機を脱したとは言えません。この浜辺から基地の出入り口の深度まで向かう前に周辺を調べましょう』

 

 その事実について気付いたのは昼時を過ぎた頃。

 

 幾ら何でも道が遠過ぎると感じたヒューリが魔術で感覚に頼らずに四人を連れて歩いた距離や方向を脳裏で計測したのだ。

 

 その結果は驚くべきものだった。

 

 霧のあちこちで光の偏向が起きており、実際に見ている場所が微妙にズレて五感に捕らえられるのである。

 

 その誤差と肉体の感覚の差から途中から歩いているのに四人が気分を悪くした事で事態が発覚する原因になったのだが、それにしても霧そのものに綿密に術式を使わなければ感知出来ない程度の純粋波動魔力が混在していた事には彼女も驚いた。

 

(この魔力濃度の低い世界で純粋波動魔力が高まって光波が歪められるなんて……あちらの“迷いの森”のような地名で呼ばれるような場所が出来た原因がきっと何か有るはずです)

 

 ヒューリアが己と少年の間にまだ微かながらも通信が保たれている事を感じ取って、静かに感謝する。

 

(ベルさんの翻訳が途切れてないのは助かりましたけど、かなりまずいですね)

 

 少女が魔力の迷宮に最初気付かなかった理由。

 それは己自身の魔力の高まりにある。

 

 強力な魔力を持つ者はよく魔力の感知に付いて術式が無ければ、不可能という事がよくある。

 

 それはつまり、己の魔力が強過ぎて上手く外の魔力が感じられないのだ。

 

(黒き水……魔王の系譜……私の血筋の根幹……)

 

 リスティアの話を聞いてから、少女の中で微妙に魔力が強まっていた。

 

 それは変質と言ってもいいだろう。

 

 今まで噛み合っていなかった歯車がカチリと嵌ったような感覚。

 

 認識に明確な核が出来て、己の根幹に関わる靄が僅か晴れた。

 

 それが彼女に己の魔力を明確に意識させ、意識された魔力は更に感覚として確かに馴染み、彼女の内部で形を取り始めていたのだ。

 

(ずっと、この黒い魔力の色が嫌いだった……これは王家の色……私に与えられた宿命の色だから……)

 

 それは本来が彼女の元々持っていた素質が自己認識によって明確になっただけの事である。

 

 しかし、それだけで随分と彼女の肉体は充溢し始めていた。

 

 少年の使い魔を産む。

 

 そう決意した事もまたきっと変化の一助だろう事は術師ならば分かる。

 

 自らの素質を100%出し切る事が魔術師にとって最も基本的で術師として極めてゆく為の最初の難関であり、フィクシーやベルのような術師の家系には分かるであろう感覚でもあった。

 

(でも、この色だからこそ、今ベルさんにしてあげられる事がある。魔王の系譜として大きな力が私の中に眠っているのなら……どうか……)

 

 少女の願いに呼応するように彼女の手の中に持っていた小さな小石が黒く染まって四方に散って消えていく。

 

『偵察用の小さな使い魔を幾つか歩いている間に用意しました。先行探索が終わるまで休憩を。此処からはさらにノンストップになる可能性があります。今の内に体力を回復しましょう』

 

 ヒューリの声に全員が頷いた。

 浜辺の傍にあるすぐ傍が山肌という廃屋。

 

 その周囲にいつもの不可視の結界と消臭の術式を張った彼女がベルのように方陣を地面に展開して消した後、彼らを招き入れる。

 

 埃っぽい場所ではあったが、彼女達が僅か休むには丁度いい広さがあった。

 

 どうやら漁の道具を仕舞う小屋だったらしく。

 内部には網やら銛やら釣り竿などが仕舞われていた。

 

 殆どは古びれているが、まだ使えそうだとヒューリが手に取って『ベルさん。コレ使えるでしょうか』そう聞こうとして振り返って、首を傾げたユウタを見付ける。

 

『どうかしたんすか? あ、釣り竿? いやぁ、ヒューリアちゃんが期待するなら頑張っちゃおうかな♪』

 

『化け物に喰われたくないなら止めときなさい。釣った大物が即座に死となって降りかかるフィッシングなんてゾッとしないわよ?』

 

 アンジェラがそう釣り竿を壁際から取ろうとするユウタに肩を竦める。

 

『確かに……この霧も魔法の類だとの話を信じるなら、何者かが我々を妨害している。もしくはこの霧を発生させるような原因がある事になる。そして、その原因に関係ありそうな出来事を我々はもう体験している』

 

 袴田の言葉にユウタがギクリと手を止めた。

 

『そ、そっすね……あの叫び声の主、結局出会わなかったけど、なんだったんだろ……』

 

『それを知った時が命日になりかねません。ボクはホッとしてますよ』

 

 クリストファーが拳銃を片手に溜息を吐く。

 

 魔力の霧だと言われてからずっと彼は警戒し、アンジェラとユウタの傍で気を張っていたのだ。

 

『周辺3kmをくまなく海中まで捜索します。30分は掛かると思うのでそれまでは食料でも食べましょう。もうすぐ夕暮れ時です。潜行が夜間になる関係上、栄養補給は此処が最後になるでしょうから』

 

 ヒューリの言葉に彼らが背負って来ていたバックからもう蒸かしていた芋を齧る。

 

 時間が経ってボソボソとはしていたが、今は重要な食料だ。

 

 袴田とユウタなどはそれにイカの炙りなども付けて齧り、水も補給していた。

 

『自衛官て逞しいわよね。自分を食い殺そうとした生き物なのに……』

 

 アンジェラがその様子を見て、苦笑いとも付かない顔を浮かべる。

 

『そっすか? 別に海の藻屑になったら、オレらも美味しく頂かれる立場なのは変わりませんし、食えるものは喰っておきましょうよ。食えるなら』

 

『ユウタ。君はレンジャーになれそうな逸材かもな。ジャングルでも生きていけそうだ』

 

 クリストファーが思わず苦笑していた。

 

『まぁ、もったいない精神て奴だ。それに日本人は大抵何でも食う。もしも食い物が無くなってゾンビが食用になるってなら、オレ達はそれだって食って生きるだろうさ』

 

『いや、さすがにそこまでじゃ……』

 

 さすがにユウタが袴田の言葉に半笑いとなる。

 

『だが、将来は分からんぞ。魔法使いに出会えるとはオレもつい先日までは思ってなかった。いや、正確な呼び名は魔術師、だったか?』

 

『いえ、どのように呼んで下さっても構いません。正確には魔術体系毎に呼び名があったりもしますし。ベルさんなんか、魔術師、錬金術師、魔導師、薬師の四役……今こうしていて本当に今まで助けられていたんだと感じます……』

 

『ねぇ、騎士ヒューリア。あなたが助けようとしてる子って、貴女よりも凄いの? いえ、凄いのは分かってるのよ? だって、あの潜水艦を殆ど一人で動かしちゃってるんですもの。でも、あなた達の世界基準で凄いのかは分からないから、ちょっと気になって……』

 

『ベルさんはきっと褒めたら『僕が凄いんじゃありません。そういう叡智を今まで形作ってきた人達が凄いんです』って言うかもしれません。でも、間違いなくベルさんは凄い人です……』

 

『そうなんだ……尊敬してるの?』

 

『私達の世界でもきっとあそこまで多彩に術師として多くの体系に手を出す人はそうはいません。一つ一つの技能は恐らく普通の術師より劣るのかもしれませんが、ベルさんはその全てを使いこなして自分の手札を使い切って苦難を乗り越えて来ました』

 

『強い子なのね……』

 

『はい。今になって思えば、ベルさんがしてくれていた多くの気遣いはベルさんの技能が無ければ、術師がベルさんでなければ不可能な事ばかり……大きなモノを作らなくても、その凄さは感じられていたはずなんです……でも、その背後の無理や努力に私はちゃんと気付いてあげられなかった』

 

『そう……』

 

 少女の顔が俯く。

 

『もっと強く賢くならなきゃいけません。もう無理をさせない為にも……生きて帰る。皆を助ける。それが私の今の一番の課題です』

 

 ヒューリの瞳には確かに光が宿る。

 

 それは安易に力を求めているわけでもなければ、生きて帰れるはずだとの過信もなく……ただ、己の未熟を前にして克服せんとする求道者のものであった。

 

 その決意を前にアンジェラが優し気に頷く。

 

『ふふ、そうね。貴女になら出来るわ。ヒューリア……でも、一つ抜けているのがあるわよ?』

 

『え?』

 

『美しくなりなさいな。好きなのでしょう? その子の事が』

 

『な―――?!!』

 

 分かり易く少女が朱くなった。

 

『お~~ヒューリアちゃんもお年頃っすね。チラッとあの子は見ましたけど、年下好きとかやるぅ♪』

 

『と、年下じゃありません!! ベルさんは私よりも年上なんですから!!』

 

『あら? そうなの? 近頃のアニメじゃ、ロリコンは犯罪者だけど、ショタコンは正義って言ってたわよ』

 

 アンジェラが日本人はそういうのが好きなんじゃないの?という顔で首を傾げた。

 

 思わず、今の日本のアニメ界隈はどうなっとるんだ、という顔をした袴田であったが、少女が必死に少年が如何に年上らしいかを力説するのを見て、何も言わず仕方なそうに主張を聞いておく事とする。

 

『皆さん。ご歓談の最中悪いと思いますが、外の様子がオカシイ。静かに……窓から見えない位置に……』

 

 クリストファーがずっと外を見ていたが、何かに気付いたらしく全員を小屋の入り口と窓から遠ざけた。

 

『どうしたんですか? クリストファーさん』

『霧が晴れてきたようです』

『え?』

 

『だが、何か黒い霧のようなものが何処からか大量に噴き出していて……君のドローン。使い魔の方で何か分からないか? 騎士ヒューリア』

 

『あ、は、はい。今、観測して……ッ、本当です?! この周辺一帯の海沿いが真っ黒い霧に覆われて―――』

 

 ヒューリが使い魔を地中や海底に埋め、僅かな術式を送って周辺環境を解析し始める。

 

 元々はベルやフィクシーがいない時に使う為、ベルに教えて貰っていたものだ。

 

『―――この黒い霧、生体反応があります』

『つまり、霧が生き物なのか?』

『い、いえ、黒い霧の詳細なデータを今出しますね』

 

 虚空に灯りも控えめな魔術での映像が出力される。

 

 黴臭い虚空の埃が透けるソレが五人の前でゆっくりと表示され、彼らが思わず顔を強張らせる。

 

『蟲? 蠅みたいな翅に身体……なのにこの禍々しい顔や口元に脚……これってZ化した昆虫なの?』

 

 気持ち悪そうにアンジェラが口元を抑える。

 

 それは明らかに凶悪な面構えの蟲と呼ぶには違和感のあるものだった。

 

 ワキャワキャと動く口元は確かにZ化した生物のような特徴を備えているのだがそれにしても気色が悪くヒューリもまた顔を顰めていた。

 

『全長0.05mm……マズいです。このタイプの敵は想定してませんでした。銃が役に立ちません……それに駆除しようとすれば、大きな魔力を散布して使うような事になりかねない……明らかに単なるゾンビじゃありません。黙示録の四騎士に連なる新型と考えていいはずです』

 

 ヒューリが蠅の見た目にゾワリと背筋を泡立てたが、何とか自制して喋る。

 

『も、もしかしてもうオレ達のいる小屋にも入り込んでるんじゃ!?』

 

 ユウタが思わず暗闇を凝視する。

 

『いえ、結界そのものは空気を遮断しますから。ただ、地表がこうなっている以上、基地が心配です。地表と海中は本当に繋がってないんですか? 袴田さん』

 

『ああ、そのはずだ。完全密封で土砂に埋もれさせてある構造なんだ。空気は全て自家発電で循環させてるって話だ。当時、米国が提供した小型動力炉とやらを使ったから可能な代物だったと記憶してるが……』

 

『聞いた事ありますね。当時、ゾンビとの戦いで飛躍的に技術が進歩したと。ですが、戦線都市が瓦解後、各国に難民受け入れを受諾させる為、米国は技術を無性で提供していたとも』

 

 クリストファーが呟く。

 

『……嫌な予感がします。基地がこの状況下で大丈夫なのか我々は確認しなければなりません。もし……Z化した海獣類や新種に襲われた後だったりしたら、目も当てられません……』

 

『この蟲の中を突っ切るの?』

 

 アンジェラにヒューリが頷く。

 

『不可視でこっそり進んで海中を突っ切ってそのまま基地まで突入します。防御と移動は全て私が。皆さんは戦闘態勢のまま護衛をお願いします』

 

 四人が頷いた。

 

 こうして彼らはヒューリが産み出した五人が入れる最小の結界内に身を覆われて、そのまま浜辺へと突入していく。

 

 もはや、彼らに退路は無かった。


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