ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
潜水艦内部で呼び出されてブリーフィング・ルームで上陸に関するレクチャーをされた後。
民間の魚船に見せ掛けた高速艇が止めてある小島の影に一度浮上したシンウンからボートで移動し、今や少し薄汚れた水夫姿で陸へと向っていた。
周辺は月明かりのおかげで未だ遠方を見通せるくらいには明るい。
ショッツ・ルーの港は完全に埠頭を破壊されている様子だったが、北側にある砂浜は瓦礫があるものの船から下りて20m程泳げば、上陸自体は容易らしかった。
夏場で真夜中の海水が凍えるような温度ではなかった事と浮き輪を渡されたのが救いだろうか。
シンウンは既に島影から再び出てショッツ・ルーを迂回するように航行している。
敵の目は潜水艦がある以上、沖に向いており、沿岸部は手薄。
そういう作戦らしい。
真夏の海を浮き輪と救命胴衣付きで泳ぐ。
ぶっちゃけ、夜の海は月明かりが無ければ、かなりゾッとする場所に違いないだろう。
津波があったとは思えない程に水面が穏やかだった事も安心して泳げた理由の一つだ。
水自体は濁っていたが、夜ではさすがに全体の様子は分からない。
何とか岸辺に海水を掻き分けて上陸すると砂浜の惨状がよく分かる。
打ち上げられた魚の屍骸やら海草やらがガラクタと一緒に広がっている。
地震そのものが無かった事から考えて、これでもまだマシな方……と言うには被害はかなり大きいと考えるべきだろうか
家や建造物の下敷きで死ななかったとしても津波に流される。
あるいは避難場所が浸水する。
諸々で死人は出ているはずだからだ。
ショッツ・ルー内部では今も無数に松明が焚かれており、あちこちで瓦礫に埋もれた地下避難場所の発掘が行われているのだろう。
教授が言うには津波時は大昔から地下への避難が推奨されており、そのパニック・ルームのような地下壕だけは上の家よりも頑丈に作っているとの事。
少なくとも本当に大地震でも来ない限りは浸水の心配も無いらしい。
「おい。これからそのまま図書館に向うのか?」
肩で息をしながら、衣服の含んだ海水を絞っているエービットが同じ水夫姿で髪を掻き上げて後ろに撫で付け頷いた。
部下達は背後に背負っていた防水の皮袋から旧式のライフルを取り出して、周囲を警戒し始めている。
ゾロゾロと上がってくる人数は合計で20人近い。
それでも人手が殆ど内陸の人命救助に当てられている為か。
発見される様子は無かった。
「そろそろ海軍局も異常事態に対する違和感を覚える頃だろう。西部の連中は昼間の爆撃をたぶんは海賊を狙ったものとでも言っているだろうが、ブリーフィング・ルームで見せた通り。奴らは北の連合艦隊と合流する様子もなく。こちらに全ての艦を差し向けている。もし本当に援軍に駆け付けたならば、まずはどうなっているか分からない艦隊の救援を先にするはずだろう。わざわざ、人命被害の軽微な首都に揚陸艇だけを多数向わせる道理は無い」
「で、揚陸艇の中身は何だと思う」
服の水気を絞っている部下達に軽く先行するよう手で促して、エービットが歩いていく。
先行する中には暗がりで見えないものの。
ゼンヤもいるらしい。
「西部では既に既存の歩兵戦力が内燃機関搭載の馬車や帝国や共和国が実用化しつつある輸送鉄棺と言ったか。アレの完成品が出回っているらしい。二年程前に西部で大きな戦争があった際に投入されたとの噂だ」
「それは……どうしようもないな」
実際、そうとしか言いようが無い。
現在のショッツ・ルーは上陸する際、空母からの空爆支援すら必要ない状態なのだ。
何より人々が備えられるような状況ではない。
味方と思っている人々に援軍に来たと偽って、堂々とやってくる事すら有り得る。
「……内燃機関である以上は動かすには補給が必須。上陸後も動かし続けようとするなら、補給路を叩けば、どうにかなる。問題は陸上戦力を持ち込まれてもまだこの国が相手を信用して、我々を追い回す可能性の方だ」
「有り得るのか? 普通、さすがに上陸戦力を堂々と展開されたらどうなるか分かるだろ」
「いいや、それだけならいいが、この状況では友好関係を崩すのはマズイと圧力に屈する可能性すらある」
「じゃあ、今回の上陸の混乱に紛れてってのは言う程、目を眩ませられないかもしれないのか?」
「ああ、だから、出来れば、相手の揚陸艇が付いたとほぼ同時に動くのが望ましい。此処はショッツ・ルーの端……中心街や住宅街までは徒歩で30分以上。だが、この瓦礫だ。たぶんは軽く見積もって一時間半以上は掛かるだろう。まずは先行部隊の確認が終わるまで待機だ。複数のルートは既に撤退時、確認してあるがどうなっているのかまだ分からない」
歩き出して二分程すると後ろからゼェゼェというやたら疲れた様子の足音と軽い足音が並んでやってくる。
「ねーさん。大丈夫?」
「だ、大丈夫、です、わっ、はぁはぁはぁ……」
振り返ると巻き毛をしっとり塗らして緩ふわカール状にしたベラリオーネがグッタリしていた。
「それにしても海軍にも泳げない人員がいるんだな」
「?!」
何やら言ってはならない事を口走ってしまったらしい。
一瞬でベラリオーネの顔が真っ赤になった。
「いや、泳げない水夫というのは割りといる。基本的に日中や夜中の大半を船の上で暮らしているだけだからな。まさか、シーレーン家の者が泳げないとは思わなかったが」
「ぅ……」
「う~ん。ねーさんて、基本的に船は好きだけど、機械に弱いから、警務課の配属になったくらいだし……」
「ベルグ?!!」
思わず弟の暴露を叱った美女は恨めしそうな顔で睨んだ後、罰が悪そうな顔をした。
『お頭!! 先行してる隊長からの伝令です。ルートGHを確保。四十五分で此処から中心街まで行けるそうです。先行偵察で辺りを探ると』
前から走ってきた男にエービットが頷く。
「了解した。シンウンからの情報では後30分以上揚陸艇の上陸は無い。中心街を覗いたら、一端小休止して、状況を確認。先行して図書館側へと向ってもらおう」
「!!」
敬礼してダダダッと再び部下が先へと走り出していく。
「ルートは大丈夫そうだな」
「ああ、上手くいっているが……さて、どうなる事やら……」
「何か不安そうだな?」
「海軍局は既に体勢を立て直しているはずなのだが、見張りの一人もこちらには立っていなかった。もしかしたら、先に小型艇などで上陸して、西部側が話を付けている可能性もある」
「……心配のし過ぎだな、と言えないのが何とも痛いな。こっちに残した奴や現地の協力者とかから情報は入って来ないのか?」
エービットが首を横に振る。
「協力者の大半が海軍局に身柄を拘束されていた。また、敵が無差別に我々を爆撃するのは避けたくてな。ショッツ・ルーからの脱出前に総員に撤収命令を出したんだ。此処で響いてくるとは……」
「どうする? だからって今更戻れないだろ?」
「それはそうだ。一つだけ連中が気付いていないとすれば、それは我々の目的が大図書館だという事だけだな」
瓦礫を避けながら歩きつつ、どうするかと互いに顔を見合わせていると。
「あ、あの!!」
背後からベラリオーネの声が掛かる。
「どうかしたのかね? シーレーン嬢」
「大図書館はその……今は海軍局ではなく。警務局が警備を受け持っていたと思いますわ。それも国境警備に人を割いていたせいで歩哨が一人いるかどうか……周辺の見回りを兼任していたかと」
「そうか……では、さっそくで悪いが海軍局に行って話を聞いてきて欲しい。我々も悪戯に海軍局とは事を構えたくないのでね」
「分かりましたわ……ですが、約束した通り」
「ああ、ベルグの事を我々は知らない。それでいいかな?」
「はい。この子には未来が必要ですから」
「ねーさん。オレは別にねーさんとな―――」
横で口を出そうとした弟の唇がそっと人差し指で閉ざされた。
「これは大人の決定ですわ。貴方はもう少し歳を取ってから、こういう話に参加なさい」
「………ありがとう」
姉弟の心温まる遣り取りにエービットが僅かに表情を緩めた。
「じゃあ、ついでにこっちの方もよろしくお願いする」
「分かってますわよ。祖国を救う為ですわ……どんなに遺憾だろうとも、わたくしは目的の為なら今の敵とも手を組みましょう」
「敵じゃない。利害が一致する協力者だ」
こちらの言い分に何やら溜息が吐かれた。
「そうでしたわね。貴方は生きて帰る為に。わたくしは祖国を救う為に」
「こっちは少なくとも今の時点でアンタ達を裏切りようもないのは覚えておいてくれ」
「もし帰れたなら、精々首を長くして待っていますわよ。一生忘れられない約束ですもの」
「ああ、互いに目的が達成されるのを期待しよう」
一連の遣り取りでやはり用語は慣用句的なものは日本風なのだなという感想を抱きつつ。
エービットを中心にして只管に月明かりに照らされた夜道を歩く。
途中で部下の一人が海軍局への道へとベラリオーネを誘導して別れた。
ベルグは中心街よりも前の住宅街に出た時点で自宅へ帰る為に離脱するという算段になっていたが、中心へと近付くに連れて騒がしい事に塩辛海賊団の誰もが気付いた。
「街の方で何を騒いでるんだ?」
エービットが呟くのとほぼ同時。
慌てた様子で部下の一人が夜道をこちらに走ってくる。
「お頭!! た、大変でさぁ」
「どうした!! 報告は正確にだ!!」
「へ、へい!! 伝令!! 街の中心部で住民が西部の連中によって人質に取られてます!!」
「何ぃ?!!」
思わずエービットと同じような声を出しそうになった。
「連中の一部はどうやら途中から陸路で既に国内へ侵入していたようです!!」
「抜かった!!? 途中から陸上を内燃機関式の車両で駆け抜けたのか?!! 詳しい状況は?!」
「馬鹿デカイ砲が載った鉄の馬車みたいなのが二十程!! 放射状に外へ向けて配置されていて、中心部には集められた女子供と男達の死体が……海軍局の制服でした。それと双眼鏡で確認した限り……西部の連中と思われる歩兵と海軍局、警務局の制服を着た者が数人一緒に話していて……武装を取り上げられていない当たり、内通者がいる可能性を否定出来ません」
それを聞いたエービットが額に手を当てて天を仰ぐ。
「―――どうやら形振り構っていられなくなったようだ。エニシ」
「ああ、どうすればいい?」
「我々は……海賊だが、これでも義賊を気取る程度には正義というものが頭の片隅に残っている。ノコノコ出て行って殺されはしないが、こちらへ掛かり切りになるかもしれない。事前の話は忘れてくれ。ゼンヤにはまた予定変更で悪いが……戦闘要員以外は連れて行けないな。本格的な戦闘になる。シーレーン嬢が危険かもしれない。そちらを追って欲しい。もし、あちらでも内通者によって手引きが行われていた場合、彼女は政府首班達に対する人質としてはリスト的に最優先であるはずだ」
「どういう事だ? そこまでシーレーン家ってのは大きい力を持ってるのか?」
小さく頷きが返された。
「海軍総司令官の家、そのご令嬢だからな」
「マジかよ……」
「―――あぁ、シンウンか。そちらにも動きが?」
エービットが耳元に当てたインカムから情報を拾ったらしく。
何やら潜水艦内部にいるらしいシンウンと話し始めた。
「何? それは本当か……く、奴ら本格的にこの国を乗っ取るつもりだぞ」
男が苦虫を噛み潰したような表情となる。
「どうしたんだ?」
「今、この地域以外の海岸線沿いの港の幾つかに砲撃が加えられているようだ。応戦しようにも武器一つ無い。一方的な通告無しの虐殺だ!!」
「―――」
「理性的だと思っていたが、あちらは野蛮人を通り越して鬼畜だったようだ。まったく僕もつくづく人が良かったわけだ。予想は大ハズレだ……クソッ」
ガンッと周囲の壊れた廃屋の壁に拳が裏剣気味に叩き付けられる。
「今の状況と照らし合わせると。何処かでまだ抵抗している政府の要人がいるはずだ。それに対する見せしめだとすれば、効果的だな。この都市の人間を狩り出しているような様子は今のところ無い。となれば、街の中心に集められている彼らは政府首班と住民達に恐怖を植え付ける為の生贄なのだろう」
部下達の前でこれ以上の醜態は曝せないと思ったか。
怒りを静めて、冷たい視線で街の方を小柄なはずの男が睨む。
その眼光は確かに海賊と言われても頷ける程に苛烈なものが宿っていた。
「こちらは図書館に行く以前の状態になった。彼らを見捨てれば、確かに我々は図書館の情報を手に入れられるかもしれないが、現実的に国家の主体たる国民と指導者層の心が折れてしまえば、占領された後の回復は見込めない……最優先で彼らを救うべきだと私は判断する」
「いいんじゃないか? 図書館に行くのは別に情報の取得の仕方さえ分かってるなら、誰でもいいわけだしな」
「……行ってくれるか?」
「此処まで来て逃げ出したって途中で補足されて軍に撃ち殺されるか。あるいは拷問部屋行きだろう。状況が許すなら、ベラリオーネの回収後、図書館へ向うのは合理的だ。その足でシンウンとの合流地点まで向えばいいんだな?」
「ああ、我々は少数……彼らを助けても五体満足に図書館まで行けるかどうかは未知数だ……此処で君のような部外者に頼む事になるとは心苦しい限りだが……」
「自分の命を優先させてもらうが、少なくともこの一件には最後まで関わらなきゃならないって気がしてる。一人か二人でいい。護衛を付けてくれ」
「分かった。そうさせてもらおう」
エービットはこちらを見て頷く。
「一応、連中の新兵器に付いて、対処出来るかもしれない可能性を教えておく」
「分かるのかね?」
「ああ、その鉄の箱が履帯で動いてるなら、悪路に入り込めば、途中で移動用のソレが外れるかもしれない。後、何時間もぶっ続けで動いてはいられない。それから後ろか前にエンジン・ルーム。つまりは動力供給部分があるはずだ。もしそこを何かで熱し続けられれば、動けなくなる。ちなみに弱点は上からの攻撃だ。車体が水平の状態ならも砲塔の自由度がそう無いと見ていい」
「ほうほう」
「後、装甲は正面よりも横が薄い。外を確認する部分が正面や左右にあるはずだ。目暗ましや暗闇には弱いだろうな。さすがに車体へライトは付けてあるだろうが、それにも限界はある。もしも仕掛けるなら、とにかく灯かりという灯かりを煙なんかで用を成さない状況にするか。足元を狙うかだ。それと車両の前と後には出るなよ。轢き殺されるぞ」
「随分と有益な情報を貰ったな」
「近付いたら散弾がどっかから飛び出てくるとか。据え付けられた短機関銃で一掃されるとか有り得るからな。最優先は相手の目。次が相手の足、最後に相手の心臓が狙い目だ」
「分かった。各自へそのように伝えよう」
「あ、言い忘れてたが、随伴する歩兵には気を付けろ。まずはそいつらを片付けるんだ。出来れば、狙撃が望ましいだろうが……無理なら市街地の建物が連なってて複雑な路地に引き込んで高低差を利用して上から仕掛けるといい。移動を常に心掛けて止まったまま建物の影から撃ち合い、みたいな状況は避けろ。相手の砲の餌食になりたくなかったらな。誘って歩兵を削りながら身動きが封じられる地形に誘導すれば、相手は外からの情報が遮断されて正しく鉄の棺桶に入っているのと変わらなくなる」
よくよくFPSと戦略シュミレーションで培った知識が生きてくるという嬉しくない状況。
眺めているなら恰好良いで住む戦車が自分に向かって進軍してくるとなれば、げんなりする以外無いだろう。
一番嫌なのは自分の身体が砲弾で粉々になっても生き返るかどうかを意識があるまま確認する事だが、確実に精神を病むくらいでは済まない。
発狂するか。
激痛に精神が死ぬか。
それを一瞬想像して、溜息が零れた。
「………」
「何だ?」
「つくづく、自分の勘は間違っていなかったと思っただけだ。さぁ、行きたまえ。此処から先は我々の仕事だ……随伴を2人付ける」
二十人もいない中から二人。
その戦力が生死を分けるとすれば、決して少ないとは言えない。
だから、短く一言で相手に感謝を伝えた。
「……死ぬなよ」
「そちらこそ」
その場を後にして、エービットの部下達に誘導されるまま。
目的地である海軍局へと走り出せば、背後からは次々に部下達へ指示を飛ばす男の声が聞こえた。
その響きには燃え上がるような熱量が込められている。
(こういう時にあの自信満々なナッチー美少女が恋しくなるってのも現金な話だよなぁ)
乾いた目をするオールイースト家のご令嬢を思い浮かべて苦笑した。
自分よりも余程にこの状況が似合っていると。
あの総統命と言って憚らない相手よりも先に戦場で走っている。
世の不思議というものがあるとすれば、今の現状に他ならない。
それでも逃げ出す気にはやはりなれなかった。
今はただ生き延びて、自分のやるべき事を、自分で自分に課した責務を果たす事だけを考えよう。
約束も信用も命には代えられないが、命を賭けるに値するものなのだから。
少なからず。
今まで出会った彼らに死んで欲しくないというのが異世界暮らしになれてきた自分の慣れならば、それは歓迎するべき事のように感じられた。