ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
「彼が【亜東善夜《アトウ・ゼンヤ》】……僕の副官だ」
エービットがソファーの対面に座った男を紹介する。
「初めまして。此処でこの男の左腕をさせてもらってる。ゼンヤだ」
その如何にも軍人然とした姿の男が先程までしていた事を思い出して、噴出しそうになったのは内緒だ。
さすがに第一印象全開で茶化すわけにもいかず。
自分は海賊に拾われているという事を己に言い聞かせる。
あの衝撃の展開の後。
エービットは呆れた様子ながらも“触らず”に場所を応接室へと移していた。
岩肌が剥き出しではあるのだが、其処には木製のテーブルとソファーが二つ。
室内は電灯で明るく。
奥の天井には通気用のダクトがあった。
壁際の棚から常備されているらしきガラス瓶が取り出され、目の前に出されたが、どうやら砂糖水らしく。
僅かにコルクを抜くと甘い匂いが漂う。
「さて、ゼンヤ。此処に来るまでに話した通り。彼をこれからこの塩辛海賊団で預かる事になった」
「異議有りと態々唱えるべきなのか?」
溜息がちにゼンヤが肩を竦める。
「彼はきっと役に立つぞ。後、恩を売っておくのも悪くない」
「……図書館からの情報の奪取に失敗した今、我々には色々と後が無いんだぞ? 見知らぬ相手に構っている場合か?」
「ははは、それを言うなら、塩辛海賊団とて同じようなものだ。僕が信用出来ると確信したから、今君達は此処にいる」
ゼンヤがエービットの言葉に額へ手を当てる。
「お前がそこまで言うなら、何もこちらから言う事はない。だが、人員を避ける余裕はないぞ?」
「それはエシオレーネに任せる」
「あの子がウンと言うか?」
「とりあえずシンウンもまた彼に興味を示している。彼女も師の手前、無碍には出来んよ」
「分かった。では、話を通すのはお前に任せる」
「ああ、そのつもりだ」
「で、此処からが本題だが、オレのところまで連れてきた理由は何だ?」
エービットが初めて、即答せず。
ちらりとこちらを見た。
「僕の推測だが、君も遺跡に少なからず関わる者ではないのか?」
「………そう思った理由は?」
聞き返せば、エービットが微笑む。
「幾つかの応答と君の様子の観察結果だ」
「それで、もしそうだったらどうするんだ?」
「君がショウヤ君に連れられていた事は此処に来るまでにゼンヤにも話した。その様子を見たから言える事だが……君、ショウヤ君に捕まった口ではないかな?」
「何でそう思うんだ?」
「彼の挙動が背後の君にも意識を配っていた。それは少なからず護ろうというよりは監視しているように見えたからだ」
「だったとしたら? 遺跡と関係ある人間が官憲と一緒に海賊団の前に現れるとか意味不明だな」
「ははは、そうだな。一見すれば確かに。だが、非常事態であるならば、話は分からない。すぐに海軍局や憲兵隊に引き渡せない状態で君を連れて街をウロウロするのは得策じゃない。だが、海賊が非常事態にやってきているとなれば、仕方なく連れ歩くというのは理に叶っているはずだ」
「だとして、オレをどうする?」
「出来れば、答えて欲しいんだが、君は何処かの国の工作員。もしくはそれに類する仕事を請け負っているのではないかな?」
「………答えたらどうなる?」
「勿論のように何もしない」
「祖国にやってきたスパイとか。明らかに排除対象だろうに。そもそもアンタら祖国を救う為に戦ってるんだろ?」
「ああ、そうだ。だが、今の政権とは違う道を模索している」
「だから、外の勢力との間にパイプでも作っておきたいと?」
「お見通しだな。そして、今までの会話から君が一般犯罪者みたいな扱いの人間ではないと確信出来る。君は嘘を言わなかった」
「どうしてそう言い切れる?」
エービットが片手の人差し指をピンと立てた。
「これでも僕はこの国の文系教授としてはまぁまぁ偉い方なんだ。学問は色々と齧っているが、人間の心理に対する研究を色々としてきた。発掘や資料収集で当時の時代背景から来る人間の思考というものを考察する為にね」
「………」
「そもそもこちらの事情が分かっているなら、海賊となっても祖国を助けようとしている僕らの話から、スパイなんかじゃないと否定するのが普通だろう」
「オレはカレー帝国からショッツ・ルーの内情を偵察してくるよう金を渡された商隊の若様……という事になってる」
「ほほう?」
「後は察してくれ。ただ、オレが此処に来たのはこの国が再び戦争をする真意と裏にいる何者かの情報を得る為であって、この国を自分で直接どうこうする為じゃないとだけ言っておく」
「普通なら情報など渡せんと君を此処で始末するのが正しい僕らの反応なんだろうが、生憎と君は僕の命の恩人で興味深い存在だ」
「それで?」
「ゼンヤ」
「何だ?」
話を振られた男が今までの話の内容から、こちらを微妙な視線を見ていた。
「彼を君の隊に預けたい」
「理由は?」
「遺跡に関係しているお人よしのスパイが僕らに同情的なんだ。この祖国の危機を打ち倒す計画を彼に見届けさせたい」
「反対する理由しかないが、それは命令か?」
「ああ、君の親友からの切なる願いだ」
「……いいだろう。面倒は見んぞ。それと命掛けとなる。敵対行動を取れば、即座に射殺。不審な行動をすれば、拘束して沈められる事も覚悟しておけ」
「いや、物凄くオレの意見を無視してないかソレ?」
「じゃあ、君はこの基地で何も知らずに黙って情報も手に入らないままに放置されているのがいいのかね?」
エービットの巧みな誘導。
というか、こちらの背景を見透かして手伝わせようという魂胆が見え見えだとしても、放置されては自分には移動する事も食料を調達する事も情報を得る事も儘為らないという事実がある。
頷く以外に無いという状況だった。
「アンタ、やっぱり海賊の頭領だな。結構、エグイ……」
「ふふ、ありがたく褒め言葉として受け取っておこう」
「じゃあ、アンタらの計画とやらに付いて教えてもらおうか。命掛けるのに何も知らないなんてのは軍人の話であって、海賊の流儀じゃないだろ?」
その言葉にゼンヤが話していいのかと視線でエービットに訊ね、男は頷いた。
「しょうがないな。出会ったばかりの相手に我々の重要な情報を話さねばならんとは……まったく……」
瓶から砂糖水を煽って一息吐いたゼンヤがこちらを見据えた。
「この海域に聖なる入り江というのがある」
「聖なる入り江……生贄を捧げる場所か? 遺跡、兵器工廠があるっていう」
「そうだ。だが、そこ以外にも何処かに二つ目の遺跡が眠っていると判明している」
「第二の遺跡?」
ゼンヤが腰のベルトに括り付けられていた筒から一枚の海図を取り出す。
其処には大小無数の島々が描かれていた。
「この何処かにソレがある。第一の遺跡。聖なる入り江の地下にはこの船が眠っていた。だが、その遺跡の情報から第二の遺跡の存在が浮かび上がった。嘗て、御伽噺の男が毒の海や地震、津波を退ける為に使った何らかの施設がこの海域の何処かに眠っている」
「おかしくないか?」
「おお、すぐに気付いたな」
エービットが横合いから関心した声を上げた。
「女が聖なる入り江に捧げられると施設が稼動して、そういう災害を抑えられるって言うなら、聖なる入り江そのものに第二の遺跡の力があるべきだろ?」
「それはシンウンが答えをくれたんだ」
海賊の頭領が瓶を軽く煽る。
「あの子が?」
「シンウンが言うには……生贄というのは施設の次代管理者であるらしい」
「施設の?」
「ああ、そうだ。しかし、生贄の儀式がとある時点で途切れた時期から、入り江の場所が意図的に変更されて、彼女達は海外に逃がされていたのではないかという話だ」
「……待て。じゃあ、生贄はそもそも本当の意味の生贄じゃなかった。そして、生贄そのものは続いていたが、そのとある時点からの連中は本来のものではない、別の入り江に捧げられていた、って事か?」
「その通り!! それでシンウンからの事情聴取の結果、我々は一つの結論に達した」
エービットが小さな葵の紋……日本人なら国民的時代劇で見た事もあるだろう場所を指差す。
「本物の聖なる入り江の管理者は過去何処かの時点で己の役目を途絶えさせた。たぶんはそういう事なのだと」
今までの話を総合すると生贄がどうして必要とされていたのかが見えてくる。
「入り江の管理者ってのは全部が全部、そういう生贄本人達だったのか?」
「ああ、そうだ。彼女達は代々、自分の寿命が来る前に生贄を捧げさせ、管理業務を受け継いでいたに違いない。だが、生贄を必要とする事態が長年に渡って安定化した時期から、無駄な犠牲を避けようとした。だから、いつかの生贄であり管理者が、儀式に変更を加えたんだ」
「じゃあ、それから後に生贄に捧げられた連中は誰が海外へ逃がしてたんだ?」
「僕らが探し当てた兵器工廠は素人目にも分かる程、機械の自動化が進んでいた。そして、入り江に入ってきた特定の人物に対して、とある一定の処置を施すようになっていた」
「一定の処置?」
「ああ、誘導と教育だ。入り江から施設に誘導された後、そこで海外への脱出用の小型艇と食料自給マニュアルが与えられていたようだ。食料の生産も船に積まれた機械に自動化済みだったんだろう。儀式変更後の生贄達はたぶんそれに従い、自らの手で祖国を脱出した。それを裏付ける証拠が色々とある」
「例えば?」
「海賊というのは今もこの大陸ではポピュラーな犯罪的生業なのだが、生贄が発生してからの数年で必ず時代を賑わせる女海賊が現れている」
「ああ、つまり……生贄になった少女が貰った船で海賊業に走ったと」
「そういう事だ。海の大淫婦アンナ・スクイッドや大海蛇ユーリ・ベラドンナ。ああ、一度はそっち系の秘蔵本でお世話になった男達の憧れの正体は何と可憐な少女だったのだ!!」
目をロマンと書いてありそうな程にキラキラさせてエービットが何やら浸っている。
「一ついいか?」
「何だね?」
「じゃあ、どうして食料に困ってるんだ? アンタら……」
「ははは、それが兵器工廠を発掘した際に施設の一部が自爆してね」
「オイオイ……洒落にならないんだが」
「途中で止めたから良かったが、シンウンにも直せない部分はあって、という事だ」
「分かった。で、結局は本当の入り江を探し当てれば、この祖国の危機は救えるのか?」
「今分かっている限りの情報では、本当の入り江に存在する力は地形を変えてしまうものらしい」
「地形を?」
「そうだ。それこそ海や陸地を自在に操れるとか何とか」
「本当にそうなら凄い話なんだが……リスク高過ぎるだろ。敵国を追い返しても、もし操作を誤れば、国が消えかねないんじゃないか?」
「無論だ。だが、カードの一つにはなる。そして、敵の艦隊が近付けない。あるいは近付く場所が限定されるならば、戦い様はあるだろう?」
「占領されそうなんだろ? 上陸部隊を追い出せるのか?」
「………何か考えるさ。いざとなれば、敵の陣地の破壊や敵艦そのものへの攻撃にも転用可能という話だ。離れた場所の地形の変更が工事も無しに出来るとなれば、敵は大規模な攻勢を仕掛けられない。陣地の設置も補給路の構築も何もかもが破綻するからな」
本来ならば、敵が占領する前に入り江の力を手に入れたかったのだろう。
だが、突然の津波にその機会は失われたのだ。
ならば、後は時間との勝負と言っていいだろう。
「分かった。あんたらに協力しよう。ただ、忠告しとくぞ」
「忠告?」
「今日の襲撃で分かっただろうが、この世界の軍事的な発展はもう空に戦場を移しつつある。アンタらが言う地形を変更する遺跡の力は確かに陸軍国や海軍国になら通用するだろう。だが、それは万能じゃない。空からの脅威は確実に強まる。その時、空で戦える戦力が無けりゃ……」
「負ける、か」
「ああ」
エービットに頷く。
「そして、忘れるな。アンタらが持ってる船が積んでるのは少なくともどんな悲劇の上にも人間へ使っていい代物じゃない。シンウン……あの子が言ってたのはそういう事だ」
初めて男が、海賊の頭領が真剣な表情でこちらの瞳を覗き込む。
「それがもしも祖国を救う唯一の道だったとしても?」
「その誰も見た事の無い力が相手への示威にならない以上、持っているだけの最強兵器ってのはただの見て楽しい危ないオモチャだ。一つの街が、都市が、国が、地図から消えた時、その恐怖は人を獣のように駆り立てるぞ。アンタら連合は贔屓目に見ても中小の海軍国。世界が征服出来る自力でも無い限り、あの船の荷物は過ぎた力でしかない」
「では、世界が征服出来る力があるならば、あの核兵器とか言うのを持っていてもいいと?」
「使ってすらいいぞ。世界の全てを敵に回して……自国の民にすら憎まれても統制が取れる国家であるならばって但し書き付きだが」
ゼンヤがエービットの横顔を凝視していた。
それ程に男は初めての感情を露にしているに違いない。
「そうか。では、真実……僕は愛国者なのだろう」
海賊の頭領は狂人ではないにしても、変人だ。
そして、確かに祖国を愛する故に全てを擲った聖人で……悪魔にもなれる男だったらしい。
その顔には確かに決意と奈落のように深い光が漂っていた。
「自分を過信するなよ。海賊の頭領さん」
「肝に銘じておこう。
お茶らけた会話の楽しい海賊(笑)の頭領も一皮向けば、こういう事がある。
世の中に色々と怖いものはあるだろうが、一番怖いのは人間という真理は何処も変わらないらしい。
「ふぅ。何やら知らない内に真面目な話になってしまった」
顔をいつものものに戻した男が額を拭って一息吐いた。
「お前という男は……」
急激に弛緩した場の空気にゼンヤがげっそりした様子で立ち上がる。
「では、早急に上陸作戦を決行しよう。既に部下達へ次の指示は出してある」
「さすが、我が親友」
「こういう時だけ持ち上げるな」
「そういうな。君を持ち上げる人間は今や僕かエシオレーネくらいだろう?」
ウインク一つ。
副官は上司の気楽な様子に溜息を吐いて、ついて来いとこちらに促した。
「カシゲェニシだったか?」
「ああ」
「こいつから幾らか聞いたお前の話は確信出来た。上陸作戦に直属として同行させよう。目標はショッツ・ルーの大図書館。本当の入り江を探し出し、祖国を救う。その任、しかと見届けて、共和国に持ち帰れ。我が国は確かにまだ存在しているとな」
「……そういう機会があれば、確かにあの総統って名乗る老人にも言っておきます」
「―――そうか」
こちらの答えに僅か驚きを示したものの。
ゼンヤがこちらに手を差し出してくる。
握手すれば、ゴツゴツとした手は少しだけ軽い気がした。
そうして、次の行動に移ろうとした時、ガダンと音がしてドサッと大きなものがダクトから滑り落ちてくる。
どうやら格子が錆び付いていたらしい。
「アイタタタ?!! ハッ?!!?」
よくよく見れば、それはエシオレーネに瓜二つのモデル体形な相手。
ベラリオーネだった。
「これはこれは。初めてだよ。この場所に誰かが潜り込んだのは……久しぶりだね」
「は、はい。お久しぶりですわね。教授」
「ベラリオーネか。久しいな」
「おじさまも……お変わりないようで……」
今までの話を盗み聞いていたのだろう。
その顔には複雑に過ぎるものと驚愕、他にも緊張や諦観というものが綯交ぜになっていた。
「ダクトにまだいる弟に言っておけ。此処で騒ぎになれば、殺さずとも四肢の一つや二つ無くなる覚悟が必要だと」
「あ、いえ、その……分かりましたわ。ベルグ、お止めなさい」
『……いいの? ねーさん』
「ええ、ゼンヤおじさまにぺーぺーの貴方が敵うわけないでしょう。ダクトに細粉でも流されたら、どうしようもありませんもの」
『うん。分かった』
ダクトからゴソゴソと数時間前に出会った弟も出てくる。
「久しぶりだね。ベルグ」
「教授……その、あんまり記憶は無くて」
何処か罰の悪そうな顔でベルグが頭を掻く。
「まぁ、そうだろうなぁ。おしめを取り替えたと言っても、君にとっては大昔の話だろうし」
「で、お前達はどうやって此処まで来た?」
その問いの声の鋭さにベラリオーネが弟を後ろに庇うように移動して、静かに答える。
「あの状況でも沖に浮いている小型艇があった……きっと何かあるに違いないと思い密かに乗り込みました。それだけですわ。此処に来てからは身を隠していたのですが、声が聞こえてきて……」
ゼンヤが頭に手を当てて、困った表情となる。
「部下の教育をやり直している暇はないんだがな」
「まぁまぁ、前代未聞の上陸だった。彼らはよくやったよ。今回はこういう事もあると想定していなかった僕らの責だ。時間も無いし、彼女達にも聞いてみようじゃないか」
教授。
そう誰にも呼ばれる男は姉弟《きょうだい》に訊ねる。
「それで君達は祖国を救うのか? それとも見殺しにするのか? 一体、どちらを選ぶかね?」
やはり、その顔は結構エグイ……悪魔のものに違いなかった。