ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第28話「異世界と林業」

 

「お待ちかねの接触成功のお知らせよ」

 

 その報にさすがの四人も笑顔になっていた。

 

 バージニア・ウェスターのオフィスは今現在、前よりも市庁舎の高い位置に置かれ、より豪華になっている印象があった。

 

 まぁ、それでも簡素なものであったが、椅子の座り心地だけはかなり良さそうだろう。

 

 ザッと騎士団の団員だとハッキリ分かる程の近距離で撮られた写真が数枚。

 

 全員が直立不動ではあったが、妙に頬がこけており、写真の中では食料らしき缶詰が支給されて、頭を下げるシーンも入っていた。

 

「彼らの栄養状態は?」

 

「ああ、一応は缶詰を2000個程配ったから、しばらくは大丈夫でしょう。まぁ、相手は300人程だから、何日か持つ程度でしょうけど」

 

「とにかく、通信は出来るのですね?」

 

 フィクシーの言葉にアージニアが頷く。

 

「二日後、軍用の通信車両が中継することになっているわ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「彼らは凄く警戒していたようで最初は接触も困難だったそうよ。何でもこの世界の人間にあまり近付かないようにしていたとか。それで北部の森などで狩猟や採取で食い繋いでいたらしいわ」

 

「そうだったのか……」

 

「でも、さすがに数百人ですもの。害獣になっていた食べられる鳥獣を狩り尽くした後は採取だけで何とかってところだったそうよ。それで缶詰を餌にしてあなた達の写真を見せたら、食い付いて来たと」

 

「……生きてさえいれば、どうにかなる。感謝したい。バージニア・ウェスター」

 

「あなた達に私の方が感謝するべきなのだけどね。あの各種精錬された要塞の金属ペレットだけでこの都市が数年は食えるだけの食料が手に入るんですもの。更にハンター達に十分な量の重火器と弾薬が配布出来るようになった……ゾンビが走るようになって弾丸の消費量も上がっていたから……」

 

「では、御互い様という事で」

 

「そうね。更に山吹色のプレゼントも貰ったし、今同盟国からあのお金で各種の装備を買ってる最中よ。守備隊の失った装備が数年ぶりにようやく補充交換出来る。実際、助かったわ」

 

「守備隊に投資を? 別の組織なのでは?」

 

「ええ、そうよ。でも、ハンターは守備隊がいるから、安心して帰ってこられる。そして、もしもの時はハンターの救出も守備隊の遊撃部隊が担ってる。此処で後方を万全にしておきたかったの」

 

「守備隊の装備はそれなりだと見受けられたが……」

 

 肩が竦められた。

 

「そうね。普通の小国の軍隊ならば、十分な装備でしょう。でも、多くの装備が戦線都市とその後の防衛戦で失われているの。残っている今の装備の大半は軍が都市に払い下げていたもので磨耗も激しいものばかり……何とか練度と士気で補ってた状態だったのよ」

 

 それを感じさせない程に男達の精強さを感じていたフィクシーは守備隊に同じ様な仕事柄、頭が下がるような心地となった。

 

「要塞の方の様子はどうですか?」

 

 ベルの問いにバージニアがその小さくも確かな力を持った相手を前に微笑む。

 

「今も誰一人欠ける事なく生存しているわ。後発部隊と業者が今は最低現の生活環境を造ってる途中よ。壁の銃座も南部方面にはもう配備が終わったそうだし、砂防用のカバーや周辺への植林も順調だそうよ。ああ、後あなた達が残していった畑なんだけれど、水と肥料だけあげておけば、実が成り続ける作物や果樹とか、ちょっとやり過ぎたわね」

 

「やり過ぎ?」

 

「ええ、食料品の業者が後発組にいたんだけれど、今すぐあれを育てて作った連中を出せって陳情が来てたわ。アレがあれば、餓えずに済む可能性があるんですもの。そりゃそうなるわよ」

 

「それに付いては前々から言っている通り」

 

 フィクシーが首を挟む。

 

「分かってるわ。騎士団の合流後にね。後、坊や……いえ、ベルディクト・バーンに個人的なお願いなんだけれど、一つ頼まれてくれないかしら?」

 

「な、何でしょうか。バージニアさん」

 

「銃は足りているのだけれど、防御用の装備が足りないの。衣服や繊維、回路のようなものは作れないと聞いているけれど、盾や衣服に纏う装甲のようなものはどうかしら?」

 

「装甲、ですか?」

 

「ええ、我が国は世界最先端の軍事力を嘗ては持っていた。その成果物は残っているけれど、その成果物を作る為の方法と人間と工場が残っていないの。だから、人間が身に付ける繊維以外のもの。ボディーアーマーの一部を造って欲しいのよ」

 

「アーマー……」

 

「あなた達の装甲みたいなものよ。こっちのは軽い樹脂製って話だから、同じような原材料さえあれば、可能ではなくて?」

 

「ベル」

 

 出来ないならば、断ってもいいのだと暗に言っている隊長を前にして少年はバージニアに向き直る。

 

「分かりました。何処まで出来るかはわかりませんけど、材料なんかを渡して頂けるなら」

 

「……それが問題なのよね」

「へ?」

 

「2日で戻れる位置に森林地帯があるから、ちょっと行って取って来てくれないかしら?」

 

 ニコリとハンター達の元締めは新たな仕事をポンとベル達に渡したのだった。

 

 *

 

 さっそく出発したのは昼時。

 

 ベル達と数人の市庁舎お抱えハンターに護衛された木材運搬用の大型の長いトレーラーが数台。

 

 東部の森林地帯へと向かう事になっていた。

 

 この時代、ガソリンは貴重だが樹木の運搬は一苦労な代物であり、川の上流に森林地帯が無い事も相俟って河川を用いての運搬も出来ず。

 

 そのような形で木材の調達を行う事になっていた。

 

 目的となる森林はどうやらそれなりに樹齢が高い樹が育っているらしく。

 

 数時間後に見えた場所は山肌の一部が土砂崩れで崩落している以外は普通の山だった。

 

 山間の道路の殆どは長年整備されていないせいで多くが草や枯葉に埋まっていたものの、先導する形となったキャンピングカーが蹴散らした後には楽々通れた為、問題は無く。

 

 林道の入り口にトレーラーを止めて、複数のハンターが周辺のゾンビをスナイパー用の消音装置を付けたライフルで撃ち倒し、安全を確保した。

 

 それに触発されたのか。

 

 クローディオもまた近頃すっかり野菜のお兄さんになっていたのも忘れてゾンビを弓で刈りまくり、ベルのゴーレムで遺留品を回収している間も弓兵らしく周囲の偵察へと出掛けていった。

 

「血が騒ぐのだろう。エルフは元々が大樹の民だからな。森林地帯とは相性が良い」

 

「そう言えば、クローディオさんてエルフなんですよね。あの態度ですから、すっかり忘れてましたけど」

 

 ヒューリが街の市場で野菜を店に卸しつつ、適当に野菜を浮浪児や孤児達に盗ませつつ、自分の欲望のままに美人達を口説いていた姿を思い出して肩を竦める。

 

「まぁ、あちらの大陸ではエルフは今現在微妙な立場になっているからな。帰りたくないというか。あの態度なのも分かるのだがな」

 

「……エルフが化け物になるって、あの噂ですか?」

 

「ああ、七教会はかなり気を使っているようだが、人の口に戸は立てられん。実際に出所不明のエルフの子供や赤子が化け物になったという報告は魔術師のネットワークには映像付きで出回っていた。恐らく、邪神の類がエルフの血筋を“生産している”のではないかと推測されていたな」

 

「……血の礼拝節の原因がエルフって話……クローディオさんも知ってますよね当然……殆どの被害は七聖女様と騎師団が食い止めたとの事でしたけど、それでも随分と……ご家族の事だけでも辛いのに……」

 

「大陸中央諸国で数百人だ。地方にも被害が及んでいた。一時はエルフの隔離を唱える者達もいたし、事実エルフの出入国は厳格化されていたな」

 

「……帰りたくないんでしょうか。クローディオさん……」

 

 ヒューリが森に消えていった男の背中を捜して視線を彷徨わせる。

 

「さて、そればかりは本人にも分からんのかもな。愛する者は既になく、とは……そういう事だ」

 

 二人が話し込んでいる間にもベルが集まってきたゴーレム達から遺留品を受け取って浄化後、麻袋に入れて戻ってきていた。

 

「終わりましたよ。さっそく伐採に取り掛かりますか?」

 

「ああ、そうしよう。ベル、こういう時に使える魔導はあるか?」

 

「あ、は、はい。伐採用のカッターが物凄く五月蝿いそうなので魔導で防音措置を……倒れた樹木の音までは消せませんけど、かなりゾンビには聞え難くなると思います」

 

「さすがベルさん」

「さすがベル」

 

 二人から持ち上げられて、照れた様子ながらも、すぐに業者の屈強な男達の下に少年は駆けて行った。

 

「我々は護衛だ。優秀な強行偵察兵が周囲を守ってくれているとは言えな」

「はい。じゃあ、ハンターの方達と一緒に……」

 

 彼女達が共に連れ立って、向かおうとした時、ガオォォォンという雷鳴のような激音が周囲一帯に響き渡った。

 

 それと同時に濛々と今まで2時という時間帯で蒸し暑かった森林地帯を覆うように雲が発生していく。

 

 それは少なからずゆっくりと規模を拡大し続け、果ても見えない程に山間を埋め尽くした。

 

 ポツポツと雨が降り始める。

 

 しかし、それはやがて巨大な雨粒と化して、猛烈な豪雨が降り注いだ。

 

「ッ、ベル!! 戻って来い!! トレーラーの者達に車両を固めさせるぞ!! 結界を張る!!」

 

 大声を上げたフィクシーがヒューリに車両を任せて、その上に立ち、ただちに業者とハンター達に集まって其々の車両に入り、守りを固めるよう告げる。

 

 実際、この雨では作業も出来ず、帰ろうにも視界が悪く音もまともに聞けない為、撤収作業でゾンビに襲われる可能性が0ではないという事もあり、全員が頷いた。

 

 フィクシーが己の手を上に掲げる。

 

 すると、純粋波動魔力が周囲に拡散しながら、不可視の結界を張り巡らせて行く。

 

 大魔術師程度になれば、方陣を使わずに術を行使することは可能であり、魔力の消費を考えないならば、かなりの事が出来る。

 

 いつもは周囲の地面にチョークで方陣の補助を書き込むことが常であったが、緊急時には手順を踏まずとも同じ事が可能だった。

 

 幸いにも周辺のゾンビは狩り尽している。

 

 少なからず雨の中で視界不良のまま戦わなくても良くなったのは間違いなく幸運だった。

 

「うぅ、ずぶ濡れになっちゃいました」

 

 ベルが外套の下を見て、水も滴る男となり顔から水滴を拭う。

 

「私もだ。フード付きは騎士団の庁舎に置いたままだったからな」

 

 車両を移動させ終えたヒューリもまた運転席から同じような格好で戻ってくる。

 

「わ、私も……風邪引いちゃいますね」

 

「とにかく、まずは服を乾かして、一端温まろう。先程の雷鳴……それに突然の豪雨……明らかに自然のものではない。不用意に動くのもマズイだろう。あの弓兵が何か情報を持ってくるまでしばし待とう」

 

「わ、分かりました」

「そうですね。フィー」

 

 ヒューリは既にクローディオと魔術のチャンネルを通して魔力波動での通信が出来なくなっている事を知っていたが、静かに頷くに留めた。

 

 敵が来るにしろ。

 来ないにしろ。

 

 濡れた服は乾かしておくべきだし、雨の中で魔力を消耗せず、体力も温存しておくには結界の中で大人しくしている以外無いと分かっていたからだ。

 

「よし、ベル。入るぞ」

「へ?」

 

「そうですね。部隊の中核であるベルさんが風邪を引いてしまっては戦力が半減してしましますし、私達も今風邪を引くわけにはいきませんし」

 

「あ、あの……僕はま、魔導で乾かして最後でい―――」

 

 ガシッとフィクシーの手が左肩に乗った。

 

「ベル。どんな魔力も今は温存して使うべきではない。それが無限にあったとしてもだ。魔導の反応が相手に知られる危険性すらあるのだぞ?」

 

 ガシッとヒューリの手が右肩に乗った。

 

「そうですよ。ベルさん。此処は普通に車両の乾燥機を使いましょう。魔力の使用は控えるべきです。幸いにして走行中の熱でお湯はたっぷりですし」

 

「ぁ、ぁあ、ぁ―――」

 

 狭い車両のバスタブに三人。

 

 そんなの絶対不可能だという言葉が出るより先にズルズルと引き摺られた少年はイヤイヤするものの、スペースに引きずり込まれた後、生まれたままの姿でバスタブに突っ込まれ、いつもなら畳まれる衣服は全員分が纏めてスペースの外に投げ出されるのだった。

 

 勿論、極めて真面目に少年の分は上官や同僚からお勧めされ、数着も買われてしまった為、穿かざるを得なくなった“しっかりした下着”だったことは記されるべきだろう。

 

 どんな偉業を無そうが、やっぱり二人には頭の上がらない少年なのだった。

 

 *

 

 カポーンという獅子脅しの声は聞こえてこずとも。

 

 ダクダクと自分の汗が流れ、チャプグニュという感覚はある。

 

 ベルは正しく天下分け目の大合戦で少数勢力。

 それも戦場の中心で煮詰まっているような状況となっていた。

 

 右に傾けば、身を縮めたハッキリと狭いと言える場所で体育座りな頭をタオルで巻いた上司がどうしたと良い笑みで何か甘やかしてくれそうな気配と共に顔の水滴もしくは汗を拭ってくれ。

 

 左に傾けば、同じ格好で同じく体育座りな同僚が寒くないですかと手に持つ小さな柄杓のようなグッズで肩からお湯を掛けてくれる。

 

 無論、二人とも全裸だ。

 

 少年が目をどちらにも向けられないと知る故に二人が先に入って、少年が間に入らされた。

 

 無論、少年は手で股間を隠しているが、全裸だ。

 だが、ちゃんとそれなりに気を使ってくれているものか。

 常ならば普通のお湯だけのバスタブは泡に包まれている。

 どうやら売っていたから買って来たという事らしく。

 丸見えにはなっていない。

 少年とて二人が美人な事くらいは分かるのだ。

 そして、その違いだって解析出来てしまう。

 

 大隊長フィクシー・サンクレットの肌は肌色というよりはもう少し薄化粧をしたかのようなシットリした肌触りで色濃く。

 

 健康的な姿態は少なからず胸部の大きさこそ他の女性陣よりは控えめであるが、その美しいプロポーションは正しく彫刻。

 

 その滑らかさな指先が肌を拭う度、少年の心音は確かに高鳴り、厳しくも何処か父性を感じさせるような包容力が人の心を掴んで離さない。

 

 命の恩人ヒューリア・レイハウト・イスコルピオ・ガリオスの肌は皮膚すら薄く下にある血管すら見えてしまいそうな透明感を保ちながらも濃厚なミルクのように白く。

 

 震える指先から滴る水滴は恐らく甘いに違いないと確信出来るくらいに少年の想像力を掻き立て、聖母のような人が良過ぎる笑みは多くの誰かに安堵と安心を与えるだろう。

 

 どちらも少年の護るべき相手である。

 

 フィクシーが毎日のように帳簿を付けたり、深夜に魔術の試作をして、自分の部屋で試行錯誤している事を少年は知っている。

 

 ヒューリが毎日のように野菜を売りにいくのに拘るのは孤児や浮浪児達に少ないながらも食事を届ける為のものであり、それをクローディオもまた見て引き継いでいる。

 

 戦闘でフィクシーの的確な指示が無ければ、もっと苦戦して戦う事になっていただろう。

 

 ヒューリがいるから、都市内部で彼らを表立って悪し様に言うような人間はいないのである。

 

 悪い噂が出ても彼ら相手に商売を止めようという者がいないのは孤児や浮浪児達が下働きしたりする場所で『聖女様は良い人なんだ』と人々に屈託無く言って回っているおかげだ。

 

(二人とも本当に凄い人で……だから、こうして僕は生き残っていられて……)

 

 少年が少しだけ瞳を閉じて、唇の端を緩めた姿。

 それに二人の少女は―――見惚れていた。

 何を言う必要も無く。

 それは確かに人のみが持ち得る温かなものだったから。

 

「うぅぅ、ベルさんはカワイイです」

「うむ。ベルはカワイイな」

「え、あの?」

 

 キュッと少しだけ狭く二人が中央の少年に寄った。

 

「もう少し温まったら出よう。下着も乾かさねばならないしな」

 

「はい。クローディオさんが帰ってくるかもしれませんし」

「だが、今はもう少しこうしていてくれ。ベル」

「ほんのちょっとだけ、ですから、ね? ベルさん」

「ぅぅ……わ、分かりました」

 

 そうして数分後、少年が目隠ししている横で先に上がっていく女性陣はすぐに身体を温水のシャワーで洗い流し、外に出て備えているバスタオルで身体を拭き拭き、乾燥機から出て来た衣服に装甲を付け付け、自分達の下着より大胆なベルの“しっかりした下着”を見て、ニヤリとしてから自分達のものと一緒に乾燥機へ放り込むのだった。

 

 それから数分後。

 

 ようやく風呂から上がった少年は二人が先に着替えたというので通路に出て着替え始める。

 

(何か甘い匂いがする。ジューナンザイ? とか言うのなのかな)

 

 見るだけで恥ずかしい自分の下着を二人が見てませんよ~と背中を向けている間にババッと着込み、上にいつもの衣服を着用した少年はようやく乾いた服に人心地付いて『もうイイですよ』と後ろの二人に告げつつ、車両の運転席の方へと向かっていく。

 

 何か伝播が届く範囲で通常の無線が入っているだろうかとラジオを入れた時。

 

 不意に響く声のようなものに一瞬だけ脳髄を冒されたような感覚に陥り、意志力を総動員して、全身の肉体を使ってそのラジオの電源を切った。

 

 グラリと身体が傾いだ少年の瞳が見たのは慌てた少女達の姿。

 

 何とか呟きでラジオは付けるなと言い置いて、少年の意識は音が途絶えていく黒い世界へと投げ出されていったのだった。

 

 *

 

 少年は今車両後方のテーブルを展開した寝台で横にされていた。

 

 その鼻には僅か、鼻血の痕。

 

 ヒューリが手を側頭部に当てて能力で治癒させていたが、それでも未だその意識は目覚めていないのが現状だった。

 

 即座にフィクシーは事態を把握し、ラジオ機器をそのままに常備されている雨合羽を着用して外に出て、各ハンターと業者の車両を見回ったが、そこにあったのは蟲の息で昏倒する人々だった。

 

 そのラジオは付けられたままだったが、彼女は音波を完全に遮断していた為、そのままラジオを切ってから破壊し、全員に治癒用の魔術を掛けて回った。

 

 そうして戻ってきた彼女だったが一行にベルが目覚める事はなく。

 

 今はラジオからサンプリングした音を音として聞かないようにしながら、魔術による解析を開始し、それが一体何なのかを突き止めようとしていた。

 

 音と言っても色々ある。

 可聴域のものから不可能なものまで色々だ。

 何か生物にとって危険な音が含まれているのは確実。

 

 そして、その音が無線装置を通じて垂れ流されたのが雨が降ってから、というのにまず間違いなく何者かの攻撃であるとフィクシーは確信していた。

 

 雨で仕事が出来ない状況で車両のような密閉空間で孤立する時に何か聞えてこないかと通信機器や音の受信機で情報を得ようとするのは人間の心理だ。

 

(状況で行動を誘導し、それで相手に致命傷を与える。戦略系の思考だな……この音の正体も気になる)

 

 そうして、サンプリングした音を魔術の上で走らせ、その音程などを解析しながら、彼女は不意に気付いた。

 

(この音、人間の声に近い? 1音が酷く短いが……)

 

 今まで解析していた音を非常にスローで流した途端。

 

 解析中の魔術が音声を認識し、それを文字で彼女の瞳に映し出した。

 

 未だ喋りは拙い彼女だが、冷静に文字を追って正確に意味を追う事くらいは出来る。

 

 だが、その瞬間、その瞳が細められた。

 

『メーデー!! メーデー!! こちら○○郡避難者最後尾集団!! ゾ、ゾンビが!! ゾンビが向かってくる!! 逃げられないッ!! 誰か!! 誰か!! 軍は、軍は我々を見放したのか!!?』

 

『こちら、○○州○○郡!!! ―――――警察署!! 応援を請う!! 応援を請う!! もう!! もう弾薬が無いんだ!! 誰でもいいッ!! 誰でもいいから助けてくれ!! 此処には避難民がいるんだッ!!?』

 

 それはゾッとする程に大量の助けを請う声の集合だった。

 瞳に写るだけである以上、音声ではない。

 だが、音声ではないにも関わらず。

 

 吐き気を催す程に大量の救いを求める声は暴力染みて見る者の精神を削るだろう。

 

『こ、ここは○○○ストリート23番地!! お願い!! お願い!! 誰でもいいから助けて!! もう誰も残ってないの!!? ジムもトミーも!! みんなみんな死んじゃった。誰か、誰でもいいから、応えて、応えてよぉ……』

 

『や、止めろ!? 叩くなッ、窓をッ、窓を割るなぁあああああああああ!!!?』

 

『うぉあああああああ!? オレの腸を食うなぁああぁああああ!!? ガフッ!?』

 

『お願いですッ!!? 誰かッッ!! 誰でもいいからッッ!! 娘達を助けて下さいッ!? 我々は○○山の中腹の山小屋にいますッ!! もう食べ物が無いの!! 食べ物がッ!!? お願いよぉぉッ!!!』

 

『ファックッ!! こんなところで死ぬのか!? オレは死ぬのか!? 聞いてるか!! ジョニー!! レベッカ!! 今からお前らのとこに行くからよ!! だから、天国でオレを迎えてくれよぉおおおおおおお!!!』

 

『ゴフ……もう此処はダメだ。生きてる人がいたら、北に……北に逃げるんだ……』

 

『ぼ、ぼうや泣かないで。見付かっちゃうッ、見付かっちゃうのよ!? うぅぅぅうぅぅうぅ、誰かぁ、誰かぁ!?』

 

『ひひ、皆死ぬんだ。みんなぁああああ!? 来るなッ!? くるなッ!? 僕を食べ、がgくあgふぁいrh!!?』

 

『ぎゃァアアアアアアアアアアアア』

 

 しかし、大魔術師として自らの信念のままに彼女はそれを解析し、一つの結論に辿り着く。

 

「これはやはり魔術か……それも人間の怨嗟と悲鳴で呪うだと?」

 

 もしも一世紀前ならば、大陸においてソレは日常的とは言わずとも敵国を撃ち滅ぼす為に軍なら使う程度の代物だっただろう。

 

 街一つを滅ぼして、その怨嗟を呪いとして国すらも腐らせようとする。

 

 そんな術式など珍しくも無かった。

 だが、今はもう文明が進歩した現代だ。

 

 それが大陸中央で先行しているとはいえ、大陸規模で見れば、昔よりも倫理水準も道徳水準も確実に遅々とはしていても上がっている。

 

 だが、その臆面も無く旧い時代の残酷な戦略用の術式を音声によって垂れ流すという暴挙は……この世界がもしもまだ滅び掛けていなければ、テロとして数千万単位の人命を奪ったに違いなかった。

 

「魔力波動を乗せず、術式の原理を音で再現するこの手法……並みの術師ではない。この天候が人為的なものだと仮定すれば、ほぼ間違いなく大魔術師クラス。この雨を続けて降らせている事からしても魔力量は無尽蔵にしか思えん……」

 

 だが、この世界に通常存在する魔力は極めて実用に足りない程の濃度しかない。

 

 魔力を使うならば、個人の体内や要素に内在する魔力。

 

 もしくは現象や概念から魔力を抽出するタイプにしか魔術は使えない。

 

 幸いにしてフィクシーもヒューリもクローディオも魔術師としての素養はあり、魔力も個人的な内在する魔力は充溢しており、大陸より消費は多いものの、魔術は用いる事が出来ている。

 

 身体強化や魔力の積層化による具現、クローディオが用いるような腕の限定的な魔力による再現と接続など小規模なら何ら問題ない。

 

 だが、自然環境を大規模に変えるようなものは確実に彼らには不可能だ。

 

 ベルにはその可能性があったものの、魔導初級者が扱えるような術式でもないし、その莫大な魔力の行使はベル当人を傷付ける可能性すらある。

 

「超越者。もしくは概念魔力……どちらにしても四人でなければ、厳しいな」

 

 冷静に計算すれば、最悪で【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】を相手にする可能性がある以上、まずは合流が優先。

 

「ヒュー……」

 

 悪い事は重なるこもので。

 彼女は息を止めた。

 理由は結界から外をうろついている。

 培養ゾンビ。

 あの乳白色の巨体が複数。

 何かを探すように周囲を見回していた。

 

「ヒューリ。マズイ。敵に囲まれつつある。連中……我々を此処で潰す気だ」

 

「フィー……あ、あれって……」

 

「クローディオが不在なのが痛い。このままだと結界が見付かってもおかしくない。ハンター達と業者が自主的に対応出来ない以上。避難させている暇も無い」

 

「どうしますか?」

 

「決まっている。我々が囮になるぞ。だが、ただ逃げて見せるのでは恐らく意味がない。敵がもしもこちらの状況をある程度把握しているならば、我々が姿を顕して逃げ始めたことに違和感を感じるだろう」

 

「確かに……」

 

「残していく者達が無防備になる以上、あちらがこちらの意図を誤認するよう仕向ける必要がある。ディオを上手く使おう」

 

「クローディオさんを?」

 

「こういう時、どのように連絡を取るか。取り決めていただろう」

 

「ああ、そういう……」

 

「あの男なら死にはしない。我々は仲間を救出しに向かう体で向かう。追撃が厳しいものになるのは必死だが……やってくれるか?」

 

「わ、分かりました!!」

「私は外で培養共を相手する。運転は頼んだぞ」

「了解です!!」

 

 すぐにヒューリがベルを一瞥してから、その頬に軽く口付けして、運転席に収まると同時にいつでも出発出来るようキーを握る。

 

「合図と同時に行くぞ」

「はい!!」

 

 未だ豪雨の外へと出て扉を閉めたフィクシーが屋根の上に飛び上がり、シートで覆われているミニガンの横で魔術による赤の信号弾を上空400mに上げた。

 

 その途端、4km先の中腹から白の信号弾が上がる。

 

「来たッ!! 今だ!!」

 

 エンジンがスタートすると同時にフルスロットル。

 

 アクセルがベタ踏みされたキャンピングカーが林道の先に飛び出し、結界を越えて逃走を開始する。

 

 それとほぼ同時に反応した培養ゾンビ達が一匹残らず追ってくる。

 

「良し。成功だ。このまま突っ切るぞ!!」

 

 林道はまだ枯葉と草によって隠されている。

 

 それも雨で濡れており、舗装も剥げている場所が幾らかあった。

 

 いつスリップしてもおかしくない。

 しかし、ヒューリは決してブレーキを使わず。

 車両を出来る限り飛ばして林道を加速する。

 

 その合間にも肉薄してきていたゾンビ達が一斉に後方から襲い掛かった。

 

 豪腕がフィクシーに向かって8本突き出される。

 しかし、彼女は背中に背負った大剣は使わず。

 

 外套の中に吊るしていたショット・ガンを腰溜めに構えて連射した。

 

 珍しいオートマチックの連射式。

 

 さすがに幾ら固くても空中での攻撃動作中に襲い掛かる散弾の猛威を至近で浴びて無事なはずもなく。

 

 腕は無事だとしても、前方に突き出ていた胸や頭がミンチとなって弾け飛ぶ。

 

 しかし、その激音を聞き付けたか。

 

 林道の下に広がる山林地帯からは同じ肌の個体が何体も駆けて来ていた。

 

「やはりか。ヒューリ!! 先程の地点から“かーなび”で一番近い川に向かえ!!」

 

『は、はい!! どうするんですか!?』

 

「川沿いはもうすぐ濁流になる!! 全方位からの攻撃を受けるよりは背中が安全な方が戦い易い」

 

『それは追い詰められたって言いませんか!?』

 

「もしもとなれば、この車両を浮かす事くらいしてみせる。このままでは待ち伏せを喰らって死ぬだけだ!! 行けッ!!」

 

『は、はい!!』

 

 林道の一部から食み出た車両が森の中に突入する。

 雨の中、視界は最悪。

 

 しかし、フィクシーは感覚を研ぎ澄まし、全方位からの襲撃に備えた。

 

 すると、四方八方からの気配。

 車両正面及び左右からの相手を最優先に迎撃。

 

 距離2mに侵入した相手をショットガンのフルオートが御出迎えする。

 

 撃ち尽くすと同時に投棄し、ヒューリから借りた帯剣を装備。

 

 更にミニガンのシートを剥がして、盛大に揺れる屋根の上でトリガーを引いた。

 狙いはブレるし、まともに当たらないが、次々に樹木を打ち抜いて倒壊させていく。

 それに何の意味があるのかとゾンビ達は何も気にせず突進。

 

 しかし、その瞬間、高い樹木の合間をまるで猿のように抜けてくる陰が虚空で踊るように回りながら、雨粒の降る戦場に4本の矢を射った。

 

 1発は敵頭部。

 1発は敵の足。

 1発は肩。

 

 1発は今にも車両の進路上に出ようとしていた固体の膝裏に当たった。

 

 回りながら雨のように落下してきた男がミニガン横に着地する。

 

「この森の中では迎えに行くより、向かえに来させた方がやはり早いか」

 

「一気に12体に襲われたんだが?」

 

「それを置き去りにして合流した男が何を言う。ほら、爆破矢だ」

 

「おお、ありがたくて涙が出る。まったく大隊長殿の心遣いには頭が下がるなぁ」

 

「御世辞はいい。とっとと片付けるぞ。合計30体以上、行けるか?」

 

「此処はオレのフィールドだ。囮役は任せた」

「遺憾ながら引き受けようッ」

 

 フィクシーの手の内から眩い燐光が溢れ、積層化された魔力がジャラリと鎖の形となって己の腰と男の手に繋がれた。

 

「惜しむらくは鎖の先が首輪じゃない事だな」

「英雄殿の寝所に向かうにはとてもとても」

 

 大剣が引き抜かれてクローディオの顔の真横を掠め、またクローディオの片手が投げたナイフがフィクシーの頭上を通過する。

 

 同時に化け物達の頭部が弾けて車両後方に過ぎ去っていく。

 

「「フッ」」

 

 互いに笑みを零し、フィクシーが後方へとダイブする。

 

 魔力を転化させた運動エネルギーによる虚空での任意の方向への加速。

 

 更に鎖を操るクローディオの腕力が車両から離れ過ぎない範囲での一撃を可能にする。

 

 同時に3方向から5体。

 

 2体がクローディオの爆破矢によって弾け飛び、残り3体がC4製の爆破剣によって弾け散っていく。

 

 しかし、次々と車両を追う者達は増えて、今度は纏まった数が一斉に襲い掛かってきた。

 

 その数、23体。

 正しく四方八方。

 ついでに前方には倒木。

 しかし、ヒューリはその速度を緩めない。

 このままでは車両が吹き飛んで宙を舞うのは確実。

 しかし、それでも速度は緩まない。

 そして、全方向からの腕の一撃が車体や彼らを貫こうという刹那。

 

「―――【縛鎖(ヴィンクルム)】!!!」

 

 ヒューリが手を付いたドアから車体を侵食した魔術方陣が車両を中心に半径2m圏内に展開され、【秘儀文字《アルカナ》】を多数鏤め、無数の魔力の鎖を大蛇のように溢れさせ、前方と左右の敵を纏めて後方の敵にブツけた。

 

 それと同時に鎖が地表を打った事で上空へと加速し、強引に距離を稼いだフィクシーが急降下で纏まった化け物達を上空から一刀両断しながら地面スレスレまで加速し、ソレを鎖で後に引っ張り上げられ、それと入れ替わりに前へ出たクローディオが己の再現した片腕をブレさせた。

 

 矢筒の矢が次の刹那には全て消え去りほぼ同時に化け物達の頭部を破砕する。

 

 しかし、時間切れ。

 倒木に車両が激突。

 

 それも勢いのままに車体が上空へと回転するように跳ね跳んだ。

 

 ものの、それでどうにかなるわけもない。

 

 一回転した車両が地面への着地の衝撃で破壊される瞬間。

 一瞬だけその下に魔術方陣が展開され、衝撃を減殺。

 そのまま地面から泥を巻き上げつつ、川へと向かっていく。

 

最初から車両内部に方陣が仕込まれていて、衝撃を相殺して、車両と内部の人間を護れるように準備されていたのだ。

 

「まだ追って来ますか!?」

「ああ、まだまだいるぜ。こりゃぁ」

 

 クローディオが愚痴る。

 大幅に数を減じたとはいえ。

 それでも再び車両を追って集まってくる敵が多数。

 

 どれもこれも培養されていたゾンビばかりで通常のものは一体もいなかった。

 

「残りは?」

 

 そのフィクシーの問いにクローディオが指を四本立てた」

 

「40体ならば、まだ行けるか」

「いいや、400体弱だ。山の上を見ろ」

「ッ」

 

 フィクシーが雨の中でも分かる程に土砂崩れ染みて溢れた化け物達の姿とその先に黄色い金属の化け物が蠢くのを確認した。

 

「あのビルと同じか!!」

「恐らくは山体に隠してたんだ」

 

 舌打ちしたフィクシーが瞳を細める。

 その時、丁度前方に川が見えてきた。

 増水し、激流と化していたが、ゴールはすぐ傍。

 だが、こうも数が多くては突破は必死。

 

『フィー隊長……クローディオさん……』

 

 その時、屋根の上に続く窓から少年が顔を出した。

 

「ベル!? もう大丈夫なのか!?」

 

「は、はい。現状は把握してます。あの大量のゾンビ、どうにか出来ると思います。でも、それにはお二人のお力が必要なんです」

 

「坊主。何か策があるのか?」

 

「は、はい。色々と地形を考えて戦うのが凄く大事だと要塞を造る時に学んだのでコレを」

 

 少年が懐から矢を一本取り出した。

 

「コイツは?」

 

「試作していた魔力を込められる矢です。これをあの山の後ろ側に射って、伸びる魔力の糸をそのまま、斜めに振り切って下さい」

 

「ッ、そういう事か!! だが、この優男の腕力では足りないだろうな」

 

「はい。それはフィー隊長が手伝って下さい」

「おお、お二人の初めての共同作業か?」

「気持ち悪い事を言うな。行くぞ!! ちゃんとやれよ!!」

 

「分かってるとも。これでも現場じゃ本番に強いと評判だったんだ。的に当てるよりも随分と簡単だろうよ!!」

 

 ギリギリと引き絞られた矢が躊躇無く放たれた。

 

 その鏃に使われているのは銀とも似たような不可思議な色合いの金属。

 

 大量に採掘されたミスリルに近しい性質を持つソレであった。

 

 ベルの魔力を大量に込められた矢は射られたと同時に条件を満たして内部の魔力を解放。

 

 白線のように世界を切り分け、雨の中にも関わらず何処からでもハッキリと確認出来た。

 

 そして、矢が山頂部を逸れて後方に伸びた瞬間。

 

 フィクシーが両腕を用いて、弓に紐付いている白い白線を弓を掴んで思い切り、斜めに引き抜く。

 

 白線がズレた。

 そして、山の山頂付近が黄色い金属の化け物毎、ズレた。

 変化は一瞬後。

 

 今も山を降りつつあった化け物達の背後から圧倒的な土砂の津波が全てを飲み込んでいく。

 

 元々大雨で地盤が緩んでいたのだ。

 そして、その表層どころか。

 

 山を中腹まで支える岩盤なども同時に切断され、一気に山体崩落が起きた。

 

 次々に巨大な岩と岩盤の超重量と衝撃にゾンビ達が飲み込まれて消えていく。

 

 そして、彼らの車両を追っていた化け物達は程無くして、爆破矢を補充されたクローディオの射撃で頭部を弾け散らせたのだった。

 

 *

 

 川縁付近まで辿り着いていた彼らはすぐ傍に林道を発見。

 

 流された橋の跡も見つけて、そこが間違いなくゴールだと確信していた。

 

 あれだけの豪雨が嘘のように雨が上がり始めており、雲間にはそろそろ暮れ掛けた陽光が見えている。

 

「ふ、あの時の剣を今度は魔力で再現するとは……」

 

 大量のゾンビ達を撫で斬りにしたあの時の剣は巨大な炭素分子を結合させて強度を増した一繋がりの巨大な糸だったが、本日の力は正しく少年の魔力そのもの。

 

 前より進歩しただろうかと少年は思うものの、ヒューリに抱き締められ、よくやったとクローディオに頭をガシガシされて、難しい話はどうでも良くなった。

 

 今はこの心地良さに身を委ねればいいと分かっていた。

 

「そ、そう言えば、ハンターさんや業者さん達大丈夫でしょうか?」

 

 さすがに心配となった様子のヒューリが表情を曇らせる。

 

「ああ、気にするな。私の魔力をかなり結界に注いできた。明日までは恐らく大丈夫だろう。それよりベル。この豪雨の元凶が気になる。魔導で―――」

 

 そう相手を探すようフィクシーが頼むより先に彼らは己の遥か頭上。

 高空からゆっくりと彼らの前に降りてくるモノを発見する。

 

「ヒューリ。坊主。下がってろ」

 

 相手の力量を即座に推し量ったクローディオが纏まった爆破矢を矢筒の中で素手に手に挟み込んで様子を見ていた。

 

 また、フィクシーも同様に剣を構えている。

 

『ああ、青褪めた騎士が言っていたのはあなた達の事ですね?』

 

 女の声。

 それは紅い鎧と馬に跨る全身鎧の女性騎士。

 そのメタリックなカラーリングと圧倒的な魔力波動。

 

 そして、まるで無限のように噴出す魔力が転化光として相手と馬を覆っていた。

 

 その造詣はベルも見た事がある青白い騎士と胸部の膨らみ以外全て同じ。

 

『私は紅蓮の騎士。第三の騎士とも呼ばれています。この管区を預かる者です』

 

「管区、だと?」

 

 フィクシーが油断無く剣を構えたまま、目を細めて訊ねる。

 

『ふふ、お止しなさい。今のあなた達に勝ち目は無い。彼は遊びが過ぎることが多いですが、私は違います。彼我の力量の差くらいはお分かりになるでしょう。大魔術師殿』

 

 フィクシーは沈黙を保つ。

 

『まぁ、そこの彼が敵に回るのならば、話は違うかもしれませんがね』

 

 騎士の指が優雅にベルを指差す。

 

「生憎とウチの兵站担当だ」

 

『あははは、そうですか。無限の魔力を手にしていながら、そういう道を選ぶ……オリジナルでも【BFP(ビッグ・ファイア・パンデミック)】時の個体でもないとすれば、そう……そうね……彼が貴方を欲しがっていたのも納得がいく。あの方に献上したいのは当然ですか』

 

「それが貴様等の頭目か。どうしてあのような化け物達を造る!! この世界は滅び掛けているのだぞ!! それを加速させて一体何がしたい!!」

 

 その言葉にカシャリとマスクが片手で開閉された。

 それと同時に丹精な美人の屍蝋の顔が浮き出る。

 

『何がしたい? これはおかしな事を……今ご自分で仰ったではないですか』

 

「何?」

『滅びを加速させているのですよ』

「なッ―――」

 

 臆面も無く紅蓮の騎士と名乗る彼女は言って空を仰ぐ。

 

『この薄汚れた世界の人類は根絶やしにするべきです。そう……我らが目的は復讐に過ぎない。そして、それこそがこの世界において絶対唯一の正義となる。ふふふふ、私は運がいい。あの方に献上する土産を持って帰参するなど、中々無い事ですよコレは』

 

 キロリとその屍の瞳が少年を捉える。

 

『それにしてもまさか本当に転移者が15年越しに来ているとは……運命とは悪戯なのですね』

 

 カシャンとマスクが再び下される。

 

『その子を置いて立ち去りなさい。若き術師よ。貴方の実力では私に傷一つ付ける事も出来はしない。同じ転移者のよしみです。命は助けて差し上げましょう』

 

「ふざけるなッ!? 何が同じだッ!! 貴様等は何の罪も無いこの国の人間を何千万殺したッ!! あのラジオの電波に乗せていた術式の中身もそうだ!! この外道めッ!!」

 

 その激昂にも近い言葉に紅蓮の騎士が本当におかしそうな嗤い声を上げた。

 

『あははははは、罪が無い? 罪が無いですって? 何も知らないとは……無知とはこれほどまに愚かなものか……いいでしょう。ならば、掛かって来なさい。その減らず口を永劫に閉ざしましょうッ!!』

 

 戦闘開始。

 だが、相手は虚空。

 

 速攻の爆破矢が装甲表面に同時に12本着弾したが、その爆発の中、女の魔力が励起し、転化した熱量がその爆発を喰らい尽くすように猛り、その耀きが数十倍までも膨れ上がった。

 

 ゆっくりと上昇していくのは相手の余裕の表れか。

 地表からヒューリの鎖が伸びたものの。

 

 その表面装甲に触れられもせずに魔力の鎖が相手の周囲の耀きに接触した刹那に砕けて分解されていく。

 

 そして、紅蓮の騎士が跨る馬がガツンとまるで空間に響くような蹄の音を虚空に響かせ、空中を蹴った途端、彼らの周囲数百m四方が巨大な炎の壁に阻まれ、囲まれた。

 

『では、訓練のお時間と行きましょう。私と戦うならば、実力を示して貰わねば』

 

 巨大な業炎の波濤がユックリと内部へと向かって収縮していく。

 

 生半可な熱量ではなく。

 内部の酸素も急激に失われ始めた。

 

「クソッ!? 熱量を遮断して、酸素を確保するぞ!! 術式展開用意!! ベル、行けるか!?」

 

「は、はい!! それは任せて下さいッ!! 長距離行軍に備えて極限環境改善型の魔術具を造ってたんです。皆さん!!」

 

 ベルが三人にブローチ型のソレを渡す。

 

 騎士団の紋章が彫り込まれているソレはミスリルに似た耀きを放ちながらも、奇妙な程に白み掛かっていた。

 

「でも、試作品なので時間は10分、強い衝撃を本体に受けたりすると壊れます!! 後、外部に魔力を展開する時も気を付けて下さい。通常の生存環境じゃないと魔力を吸い上げて起動しようとして魔術が不発になります」

 

「十分な性能だ。あの外道を地べたに這い蹲らせるにはなッ」

 

 全員が襲い掛かってくる炎の中、確かに自分達の身体を薄皮一枚隔てる術式が現象としての熱量を遮断し、酸素濃度や湿度までも保っているのが分かった。

 

 元々外部からソレらを一時的に吸引して確保しておく方式らしく。

 

 制限時間が無い事は内部で熱を持っているブローチの本体からも間違いないだろう。

 

 完全に収束した数千度の炎の中。

 溶け崩れる道と大地と樹木の底。

 

 彼らが生存しているのを嬉しそうに見下げた紅蓮の騎士が今度は片手を上げる。

 

『次はコレでどうかしら?』

 

 彼女の手が上がった瞬間。

 その上空にまるで太陽の如き劫火が出現する。

 彼女の魔力の転化した耀きと同じ色合い。

 

 その直径50mはありそうな普通なら大魔術に相当するだろう一撃が瞬間的に組み上げられ、躊躇無く掌から零されるような仕草と共にそっと落とされた。

 

 落下速は然程ではないが、大きさが違う。

 

 地表から200m程も上空にいた彼女の一撃が正しく地表にいた全員へと直撃―――する前にクローディオが魔術方陣を上空に展開。

 

 その極大の熱量が接触した瞬間、彼の手に方陣とは違う耀きが収束していく。

 

「投げっ放しの直接制御しない純粋熱量攻撃とか舐め過ぎだろッ!! 術師の基礎は転換と置換だってのにッ!!」

 

 彼の方陣に接触していた火球が急速に小さくなっていく。

 

 その様子に僅か目を見張った紅蓮の騎士だが、男の手に耀きが握られている様子で何をされたのかを察して愉しげな声を上げた。

 

『ああ、熱量の媒質である空気分子の方向を制御したのですか。面白い……ですが、熱量を運動エネルギーに変換したところでソレを自分の手に集積? 腕が崩れても知りませんよ』

 

 しかし、心配無用とばかりにクローディオがその魔力によって再現した腕の中の耀きを横のフィクシーに手渡した。

 

 カシュン。

 そんな音と共にその耀き。

 

 熱量を運動エネルギーとして再集積し、今や超高温のプラズマと化したソレを、制御を誤れば、瞬間的に地表が数十mに渡って溶鉱炉となるだろうソレを、消し去った。

 

『熱量を今度は何に転換したのかしら。まぁ、いいでしょう。弱卒に魔術師の戦い方というのを教えるのも先達の務め。代価は命で結構ですよ』

 

 ジャカシュッと馬の前方の足が嘶きと共に折れ、二つの柄が飛び出す。

 

 それを紅蓮の騎士が引き抜いた。

 

「アレはミスリルに近い性質を持ってます!! 魔力は極力物理量に転換して使って下さい!! 直接、接触で吸収や反射が考えられますッ!! あの黄色い化け物と同じ様な硬度のはずですッ!!」

 

 ベルが冷静に分析し、魔導方陣を両手に展開し、未だに灼熱する地面に付けた。

 

 それと同時に周辺の熱量が急激に魔導方陣によって吸い上げられ、地面が冷え固まると共に罅割れていく。

 

 足場と環境の改善。

 

 今はそれだけに過ぎなかったが、二人とってはありがたい事に違いなく。

 

『あ、そーれ♪』

 

 まるで玩具で遊ぶ子供のような無邪気な声が剣を地表へと向けた。

 

 途端、猛烈な純粋波動魔力そのものを凝集した光弾が二発。

 

 両の剣先から放たれ、1m降下する毎に2個という速度で猛烈に分裂し、四人の頭上を全天覆い尽くして着弾した。

 

 地表がまるで砲弾を受けたような光と衝撃に爆砕する。

 再びの大規模範囲攻撃。

 まるで地表へと花火を打ち下ろすような光景。

 

 だが、その面制圧火力は持続して多重積層化され、まるでミルフィーユのように厚みを持って一瞬にして数十層にも及ぶ連続攻撃となった。

 

 正しく大地を削る攻撃が地面を嘗め尽くして掘り進み、一瞬にして40m直下の莫大なクレーターとなって周辺の地形を歪ませる。

 

『分かってるわ。まだ、無傷なのですよね?』

 

 高速で急降下した紅蓮の騎士が未だ自分の攻撃による衝撃が魔力の転化光と共に乱舞する最中を突っ切り、四人を包み込んでいた魔術方陣を切り裂く。

 

 防御に魔術の処理リソースの殆どを裂いていたフィクシーがそれでも己の役割を続行し、剣先が喉下を貫くより先に同時に切り裂かれた防御方陣の隙間に殺到した爆破矢が方陣の手前を猛烈な爆発で吹き飛ばす。

 

 指向された爆破は術式による衝撃の誘導を行った暦とした魔術だ。

 

『運動エネルギー、熱量に特化して制御する処理……あなた軍人ね?』

 

 僅かに後へと馬毎飛び下がった紅蓮の騎士がクローディオを見つめる。

 

「だったらどうした。美人さん」

 

『ありがとう。でも、軍人は嫌いなのよ。死んで?』

 

「ッッ」

 

 クローディオが咄嗟に左へと回避する。

 

 途端、方陣が吹き飛んだかと思えば、今の今までクローディオの頭部があった場所を極太の巨大な光線が駆け抜けていた。

 

 もう面制圧用の魔力による光弾は終わっていたが、それにしても彼らのいる地面の下は殆ど奈落だ。

 

 マスクの瞳の前から出ていた光の束がまるで今までのレーザー然とした状態から鞭のように歪んでヒューリとフィクシーを吹き飛ばそうとうねった。

 

 次撃の準備をしていた二人が小型の方陣を手前に展開するも、光の鞭に弾かれるようにして防御を割り砕かれ、奈落へと墜ちていく。

 

 無論、それで殺せるとも紅蓮の騎士は考えていなかったが、わざと残していた少年に虚空をカポカポと馬で近付き横付けると、ズイッとそのマスクを少年の顔に近付けた。

 

『へぇ……見た事の無い式ね。殆ど魔術じゃない別の体系……これは呪い、かしら? いや、ただの呪いでも無いわね。概念域側から弄ってるなんて、よっぽど貴方を作った人は肉体を傷付けたくなかったのね』

 

 カシュンと仮面が上にズラされ、その下の屍蝋の女性の顔の瞳が直接、少年を射抜いた。

 

『魂魄を用いた呪い。北部三国の体系ね……超ローコストな魔力消費に反比例して魔術染みた効用……治すのに特化されてたはずだから、それで維持してるわけか。まぁ、持って帰ってから弄ってあげるわ。大人しく付いてくるなら、あのまだ生きてる連中を助けてあげてもいいわよ?』

 

「ぅ……ぼ、僕はッ」

 

 少年が脚が震えそうになるのを何とか堪え、紅蓮の騎士を睨む。

 

「意思は固そうね。まぁ、いいわ。あの子達を殺してからにしましょう」

 

「誰が誰を殺すって?」

「ッ」

 

 騎士の刃が横の虚空を貫く。

 しかし、それよりも早く。

 クローディオが虚空に何とか浮きながら射った矢が10本。

 騎士の鎧の隙間。

 首元の僅かな隙間に殺到する。

 

『馬鹿ね。大魔術師の方陣防御は―――』

 

 その言葉が溢れ出した膨大な魔力転化の光と装甲から発生した方陣の巨大化によって遮られようとした時。

 

 パリンと呆気なく方陣が消滅し、同時に虚空で酸素と熱量の平均化が行われる。

 

『?!!』

 

 それに対応するより先に紅蓮の騎士の顎から喉に掛けてヒューリがほぼ奈落の底の地表から満身の力を込めて投げた帯剣が突き刺さり。

 

『がぁああああぁあ!?』

 

 それで更に仰け反った際に曝け出された喉に弓矢が突き刺さる。

 

 だが、何が起こったのかを彼女が分析する隙間もなく。

 

 ほぼ至近距離で不可視化しながら、相手に場所を悟られながら、剣を突き出されながら避けずに待機していたフィクシーが腹部に突き刺さる剣と血飛沫そのものへの迷彩を解除し、貫かれたままに片手で大剣を振り下ろした。

 

「ベルッッ!!」

 

 少年は分かっていた。

 

 此処で自分に出来る事は……奈落へ身を投げて今から起る爆発を何とかやり過ごす事だけだと。

 

 兜の隙間に突き刺さる帯剣を引き抜こうとしていた紅蓮の騎士が兜と胸部装甲の隙間に……隙間と言っても一番装甲が薄いというだけの場所に叩き込まれたC4大剣の一斉起爆に緊急起動した防御方陣で凌ごうとしたが、ソレもまた不発となった。

 

 彼女が目にしたのはフィクシーが片手に持っていた二つの砕けたブローチ。

 

(ぁあ、対応をミスったわね。方陣を破れはしないと高を括った挙句に接敵。相手の隠し球で防御を無力化されて最大火力を叩き込まれる。ふふ……如何にも術師らしい負け方……そうね……此処は負けてあげましょうか……この一瞬の為に腹部を串刺しにされて声一つ無く私が無防備になるのを待っていた勇ましいひよっこ大魔術師殿に敬意を表して、ね)

 

 爆破の最中。

 

 防御を捨てた紅蓮の騎士の姿が馬と共に掻き消える。

 

『ふふふ、まさか本来のこの鎧には無い隙間……無防備な首元を狙ってくるなんて……大魔術師殿もやるわね。でも、久しぶりに良い痛みを貰ったわ。少しだけ目が覚めるような心地にしてくれた御礼として見逃してあげる』

 

「くッ!? やはり、転移も使えるか―――ぐぅッ」

 

 ボタボタと腹部からの出血を何とか片手の方陣で抑え、もう片方の消し炭になった腕を垂れ下がらせながら、フィクシーがそれでも油断無く周囲を見回す。

 

『精々、滅び行く世界を愉しんで頂戴。命令があるか、もしくは大人しく滅び切ったら、その子は迎えに行くから、その時までよろしくね』

 

 パカラパカラとまるで気長な遠乗りをするような速度で蹄の音が遠ざかっていく。

 

 やがて、完全に音が途絶えた時。

 

 ようやく虚空から彼女のところにまで辿り着いたクローディオが何も言わずにその場でフィクシーを寝かせ、己の魔力を全て治癒の方陣に注いで傷口に当てた。

 

「チッ、太い血管が逝っちまってる。オイ!! 大隊長殿!! 気をしっかり持て!! 破れた血管を無理矢理再生で繋ぐ!! 失血してる部分が血栓になるが、後で取り出してやるからな」

 

「………頼む」

 

 脂汗を浮かべながらも激痛を何とか術式で遮断したフィクシーが呟く。

 

 次に戻ってきたのはヒューリだった。

 

 虚空を魔力転化した運動エネルギーで高速飛翔して帰ってきた彼女が重症のフィクシーを見て、泣きそうになりながらも、己の両手を傷口に当てて治癒を試みる。

 

「フィー!! フィー!! 意識を保って下さい!! 今、クローディオさんと一緒に治しますから」

 

「…………たのむ」

 

 かなり気が遠くなっているのを確認しながら、二人が体内の傷付いた血管を何とか再生して繋げ、何とか安堵の息を吐く。

 

「クソ、薬が無いとマズイ。血圧も下がってやがる。炎症を抑える薬と化膿止めの薬が必要だ。すぐに都市に行かないと感染症になっちまう」

 

「腕も何とか再生させないと!!」

 

「腕はお嬢ちゃんに任せるぞ。オレはこっちの血管以外の傷だ」

 

「はい!!」

 

 その治療中にようやく地面を直接変化させて嵩増ししながら、底から何とか昇ってきた少年がフィクシーの傍に寄ってくる。

 

 その外套は強か打ち付けられた様子で片腕が折れているのか。

 

 いつもの利き腕ではない左手が差し出され、まずはクローディオ、次にヒューリの手と順番にかなりの魔力が注がれる。

 

「ベルさん!? その腕ッ」

 

「僕はすぐに治りますから。それよりもフィー隊長を」

 

「は、はい」

 

「魔導方陣を展開します。フィー隊長の傷口と腕を滅菌して、抗炎症作用がある薬草を……後、血圧を安定させる薬も……」

 

 小さな薬瓶が外套の内部から幾つか取り出された。

 

「坊主。そんなの何処で手に入れた?」

 

「元々、実家は薬師みたいなことをしてたので。もしもの時用のお薬は持ち出してて。勿論、まだ使えますよ」

 

「分かった。傷口に頼む」

 

 すぐに処置が開始された。

 

 出された小瓶から出された薬が傷口に当てられ、少年の手が翳されるとスウッと肌に染み込んでいく。

 

「これで炎症は何とかなると思います。血圧の薬は処方が難しいので少しずつ容態を見ながらゆっくりとになると思います」

 

「はは、ありがたくて涙が出るぜ。坊主が昔のオレの部隊にいたらなぁ」

 

「馬鹿な事言ってないでベルさんが出した包帯で傷口をッ」

 

「分かってる。傷口は塞いだが、傷でグチャグチャになったところをちゃんと再生させるには時間が必要だ。だが、オレ達の車両はあそこで横転……少なくとも今は治せない。麓の連中のところまで運ぶぞ」

 

 キャンピングカーは辛うじて紅蓮の騎士の攻撃で破壊されてはいなかった。

 

 しかし、最初の一撃の時にかなり転がされた為、屋根上のミニガンは折れて消し飛び、横転して完全に今は使い物にならなくなっていた。

 

「皆さんの血液型は何ですか?」

 

 ベルが血圧を安定させる薬を少しだけ肌から染み込ませた後、訊ねる。

 

「わ、私は赤です」

「オレは青だ」

 

「隊長は緑だと言ってました。この世界で言うとAとBと確か稀血だったかな……動かすには恐らく少し血が足りません」

 

「ぁ~~~でも、この世界の人間の血じゃ、オレ達に合うかも分からんぞ」

 

「ええ、僕もそう思います。なので、僕の血を使います」

「ベルさんの血を?」

 

 思わずクローディオが少年を見つめる。

 

「安心して下さい。僕の血は僕から離れて新しい命に触れれば、その人と同じ血液になりますから。大丈夫ですよ」

 

「……そうなのか?」

 

「地元では僕の血を輸血した怪我人の人が何百人かいましたし、お爺ちゃんも太鼓判でした。基本的な能力だって言ってましたよ。お父さんやお母さんにも事故の時とかには輸血してましたし」

 

「そうか……なら、オレから言う事は無い」

「べ、ベルさんは大丈夫なんですか!?」

 

 ヒューリが腕が折れているのに血を採って大丈夫なのかと心配そうな顔を向ける。

 

「はい。それよりもヒューリさんはフィー隊長の腕を……細胞の増殖分裂用に栄養が必要なので胃に栄養剤を直接流し込むチューブとかも入れないと」

 

「な、何かベルさん慣れてますね」

 

「ま、まぁ、呪い師は医者でもありますから。お爺ちゃんもお父さんも医者でしたし」

 

 お喋りをしている間にもフィクシーの顔色は幾分か良くなっていた。

 

 意識は朦朧としているようだが、それでもまだ瞳は開いており、気絶はしていない。

 

「フィー隊長。口を空けて下さい。苦しいでしょうけど、栄養剤流し込みますよ」

 

 言われた通り口を開いたフィクシーの喉に直径で0.5cm程の細いチューブが入れられ、ベルは慣れた様子でグイッとソレを気管に入らないように胃に続く食道へと差し込んだ。

 

 その合間にも吐きたくならないようにか。

 すぐ首元には魔導方陣が展開され、咽るのを抑制していた。

 

「じゃあ、今から輸血しますからね。脱がせますよ」

 

 ベルがフィクシーの軽装に手を触れるとハラリと装甲が取れて、布地の部分も分解されたように横へと脱げていく。

 

「クローディオさん。手首をお願いします。あんまり深く無くていいので」

 

「……分かった」

 

 クローディオが懐から取り出した投げナイフでベルの手首を軽く斬った。

 

 そして、血が触れ出すと同時に展開された魔導方陣が虚空で血をチューブに通したかのように吸出しながら、少女の首筋や脇の下などに直結されていく。

 

「輸血が終わるまで2時間くらい掛かります。それまで出来る限り、治療を。移動させられるようになったら、腕を包帯で巻いて固定してから、クローディオさんに麓のハンターの人達の車両まで連れて行ってもらいましょう。僕に出来るのは此処までです。帰ったら、病院にまた直行ですね」

 

 冷静に計画を立てる少年の様子に少女も元軍人も今までとは違う感慨を抱いていた。

 

「坊主。いや、これからはベルと呼ばせてもらうぜ。大隊長殿は今こんなだ。病院に行くまではリーダーはお前にしよう」

 

「え?」

 

「そう、ですね。フィーもきっと同じ事を言うと思います。今のベルさんになら任せられます」

 

「わ、分かりました。とにかくまずはフィー隊長の回復が先決です。もう夜になりますから、クローディオさんは一息付いたら麓までの道の偵察を。ヒューリさんは引き続き腕の方を。回復次第、緊急搬送します」

 

「「了解!!」」

 

 こうして3時間後、何とか目処が付いたフィクシーの容態は安定し、そのまま麓まで彼らは駆け抜け、まだ昏倒していたハンターと業者を起こして、車両で深夜までには都市に辿り着く事が出来たのだった。

 

 緊急入院したフィクシーは医者が驚く程に安定しており、重度の火傷と判断された腕も切らずに処置され、事なきを得た。

 

 それが本来は完全に殆ど炭化していたという事は彼らしか知らない。

 

 戦いの事後報告は明日に持ち越され、バージニアには翌日伝えられることになったが、それもすぐに三人はフィクシーの治療へと向かった為、簡易のものでしかなく。

 

 更に翌日に控えた騎士団の生き残りとの通信はリーダー不在の中、クローディオが受け持つ事となったのだった。


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